画面共有をしていなかったですね。
はい、というので、あれです。角川の赤い系の本、角川宣書。
宣書よりもちょっと難しい系のやつですね。
前回の薄い本シリーズで紹介してもらったやつですよね。
ページ数400から600ぐらいあって、どっちかというと薄い本とは真逆な方向。
でも一応位置付けとしては入門書。
そうですね、486ページあるらしいので、位置付けとして入門書で、文量はめちゃくちゃ多いんですけど、内容が難しいではない。
ああ、なるほど。
とはいえ文量がめちゃくちゃ多くて、これをなんかちょっと丁寧に紹介しようと思ったら3回か4回か5回かっていうことになってしまうし、
いくら覚える、理解の文量が少ないとは言ってもやっぱすごく多いので、
一番俺が得意な、古代中国、春秋戦国時代だけの部分を紹介しようと。
ちなみに全体としては、この本全体としてはどこからどこまでをカバーしたの?
いわゆる中国思想というものが、近現代までの一通りの歴史を俯瞰できて、なおかつそれは日本人の観点で一応書いているというところがポイントかなと。
西暦で言うと何年くらいかな?
いわゆる中国思想として最後に出てくるのは朱子学・陽明学と、最後に清井の新王朝の学問の部分とかまでサラッと出てくるんですけど、
事実上朱子学・陽明学までかな?みたいなイメージですかね。だから明の時代からぐらいまでか。
中国明。つまり明が何年かわからない。
そういうのはね、俺もあんまりよくわからない。明って明るいやったっけ?
明の明。清井の新が確かに300年続いているから、1600年とかそんなレベルだったかな。
明は1368年から1644年ってかなり長いですね。
なるほど、その辺か。
中国王朝の歴史を語ると多分それだけでも無限の長さが出てくるんですよね。
やっぱりこの西洋の歴史と日本の歴史と中国の歴史のその年表が合ってないから、今ちょっと初めてわかりました。
ちょうどそれとつながる話なんですけど、非常に興味深いことに
春秋戦国時代ってものすごく中国思想が始まったと言われるのが一般的にその孔子なんですけど、
その頃にいわゆる偉人が膨大な数いるんですよ。哲学界の偉人というのか。
なるほど。
で、タイミングとして大体ブッダも同じぐらいの時期で、大体プラトンソクラテスも同じぐらいの時期なんですよ。
その何かあるのかどうなのかわからんけれども、結構同時多発的にそういう感じで。
その世界で見ても思想と言われるものがそのぐらい。紀元前の大雑把に400年ぐらいっていうイメージで。
厳密なことを言えばみんな一緒ではないんですけど、そのぐらいの時期にたくさんその大きな
人類全体にとってそういう思想みたいなものが生まれてきている。
うーん、そうか。春秋戦国時代がその辺ってことだね。その紀元前ホニャララ。
著者はあえて中国哲学じゃなくて思想という言い方をしているらしくて、
哲学っていう言葉自体が多分明治だったと思うんですけど、
西洋のフィロソフィーっていう言葉を、
現代の和訳して当てはめるために哲学っていう言葉を使っているんだけれども、
2000年前の中国にそんな言葉はなかったわけで、
残っているものが思想っていう意味で、
あえてそういうふうに中国思想みたいな言い方をしているという感じのことを言っていて、
その上で、この本で出てきた人物が、
孔子、孟子、隼子、牧子、漢子、老子、孫子、
隼子、孫子、孫子、蘇縁、蘇新、張儀、漢弼氏まで出てきました。
最後の2人、最後は知って、漢弼氏は知って、その前の2人が知らんな。
蘇新、張儀。
それは知らなかったわ。
あのあれですね、昭和って言われる一番最後の時期ですね。漢弼氏の直前ぐらい。
合唱連行っていう言葉をもし万が一聞いたことがあれば知っているかもしれない。
キングダム読んでたら多分出てくる。合唱連行は。
大雑把に言うと、最後の始皇帝の秦の国がめちゃくちゃ強くなって、
その秦の国を滅ぼされないようにするためには、どうにかみんなで組まなきゃいけない。
最初の蘇新っていう人はそれを訴えて秦に対抗してみんなで縦なんですよね。合唱、章っていうのは。
縦でチームを組んで秦に負けないようにしよう。
多分俺が読んでいた頃のキングダムだと確かね合唱がうまくいって、
張の国があの韓国かまで攻めてきてみたいな、なんかそういうシーンとかがあった気がする。
で、秦の側としてはそれを潰すために新たな思想家張儀さんっていう人が現れて、
横向き、一個一個みんな秦とちゃんと戦った方がいいよっていうような弁説を展開して、
みんなそうかそうかって従っちゃったせいで、一個一個の国潰されて、最後秦が終わってしまった。
思想の対決が行われたわけだね。そこで。
これを極端に穿った見方をすればやはり思想によって歴史が変わったとも言えるんですよね。
確かにね。
思想界の影響から歴史が変わったっていうのが。
なんか合唱で15年ぐらいどこの国も滅ばされることがなくなったんだけど、
そっから一気に合唱連合が崩れたことで、一国一国滅ぼされていってしまって、
漫画のキングダムが今どこまで進んでいるのかちょっと把握していないんですけど、
そこはもう秦王朝が統一して終わってしまうみたいな話になってくるのかなと。
自分もこの人が何で選ばれたのかとか、例えばよく分からなかったんですけど、
現代の見方で言うと国際外交を訴えた人たちみたいなんですよね。
結局、どの人たちもある意味我々の感覚からすると思想という次元ではなく当たり前だろうみたいな概念のようなものを言っている人とかもいたりして、
何がすごいのか、何が歴史に残ったのかすら分からなかったぐらい、
俺は逆に思ったのが、そのぐらい進退化されているんじゃないのかなとも思ったりして。
ちなみにで言うと、祖親張儀とかが言ってた話で言うと、
孔子の弟子でいいのかな、大きな意味で。
その次に有名な人が孟子。
漢文とか出てくると、孟母三線とか孟母団旗みたいな話とかは出てきたりもしたりするんですけど、
母ちゃんが超ウルトラ教育熱心で、良い環境のために何回も引っ越ししたとか、
孟子が学問を辞めて途中で帰ってきたら、
折ってた旗ぶっ壊して、おめえが帰ってきたのはこんなんと同じもんや、みたいなことを言って怒ったとか、
教育が大事だよみたいなことのパターンとして作られているっていうのと、
この人が一番有名なのは、生前説を唱えたっていうやつ。
人の本性、孔子は人間の本性みたいなこととか聞かれても何も記録には残ってなかったんだけど、
孟子は明確に、人間の本性は善であるっていう言い方をしている。
おー、でもこれはかなり時代的には早いよね、きっと。
おそらく。
聖哲学でもそんなことは言ってない気がするな、きっと。
っていう意味で早い人で、なので二大中国で好かれる人っていうのかな。歴史的にもそうだった。
で、あと50歩100歩もこの人が言ったと言われています。
なんか弁論のテクニック、50歩100歩って言葉聞く割にどういうこと、話なんかあんまりよくわからないじゃないですか。
大きな違いはないよねっていうことだと思うんだけど。
孟子さんが、どこの国だったかな、義だったかな、どっかの国の王様にいい話をしてくれみたいな感じで、
いい話をしてくれじゃねえや、出てきたのは国を強くしたいみたいな話をしているのか。
で、戦争をしていて、やばいかもって思って50歩逃げたやつと100歩逃げたやつが2人います。
どっちが育児なしでしょうかって。
なるほどね、そういうことか。
で、これはテクニックだったらしくって。
そのどっちも同じだよねって言わせてから弁論術として、
で、実はそれは他のことにも言えてとか、他の国より強いとか、そういうことは関係なくて。
大事なのは仁義だよっていうことを言わせるために、弁論術としてそういうテクニックを使っていた。
なるほど。
俺たちだと言葉だけが残ってきてしまっていて、この50歩100歩っていう用語だけが残ってきているんだけれども、
その辺はちょっと面白いところっていうか、こういうぐらい中国のもの、この時代のものが無意識レベルに影響をしてきたりしている。
おそらく孔子と同じぐらいめちゃくちゃ影響力がでかいのが老子と呼ばれる人。老人の老。
この人は超ウルトラ謎の人らしいです。
まじでいたかどうかすら分からない。
本だけ残っててこんな感じのこと言ってたんだけど、本当にいたかも分からなくて。
本名が李治。季節の木みたいなやつに耳。漢字はなんでもいいんですけど、
そういう名前で唐の国を統一した人の名字が李なんですよ。
都合がいいから進化化されて、また余計すごくなっているみたいなこともあったりして。
なるほど。
この人は非常に哲学レベルが深いというか、
いわゆる宇宙論的な話もしていたりしていて、
全ての世界の元は道にある。
この道っていうのが宇宙的な道から全て始まっていて繋がるとか、
この道の在り方っていうのが社会とか人生全部に応用できるみたいな概念だったり。
中国読みするとTAOなんですけど、この概念っていうのは結構専用にも衝撃を与えていたりだとか。
あと単純に今現在これは普通にすげえいいんじゃないかということを結構自分は習慣的に思っていたりして。
天の道にかなう生き方というのは、自然に沿って無理をせず一歩身を引く生き方で、
立心出世をするんじゃなくて頑張るっていうのは苦しいから、
自分を後ろにすることで逆説的に先頭になってしまおうみたいな非常に独特で、
西洋人からはとても理解がしがたい特殊な文明感を持っている。
いかにも老子っぽいよね。
いかにも老子っぽいというか、老子ですからね。言い出しっぽいからね。順番が逆ですからね。
変に原始に帰れとかプリミティブな思想とかになったりもしていったりもするので、
必ずしももちろん上手に取り入れないといけないものだとは思うんですけれども、
竜安寺でしたっけ?我ただ太ることを知るとかっていう池みたいなやつがあるやつ。
真ん中に口があって全部横向きに読むと我ただ太ることを知るみたいな概念とかっていうのも、
この老子のところで太ることを知れというみたいなこととかもこの時代この人が言っていたりするし、
この思想みたいなやつがおそらく日本の仏教とかにも結局強く影響をしていて、
その概念、ジャンルで言うと道教と呼ばれるような、
さらにそれは中国のもともとあった古代の思想なんかと相まってすごく変わった特殊な形式として
残っているというか民間思想として。
日本だと多分日本で言う神道に近いものがこの道教とかの感覚なんじゃないのかなと思って。
教師とかは道教ですね、イメージで言うと。
という感じで結局93年とか2009年とかに漢の頃の写本とかそういうものが見つかったりして新しく研究が進んでいったりするタイプ。
あとは、多分何なら日本で一番有名かもしれない。孫子の兵法の孫子。有名な人が2人いるっていうところまで知っている人はあんまりいないかもしれない。
孫武と孫品って呼ばれる2人の孫子がいて。
孫子の兵法って誰が書いたか、どっちが書いたかわからない。みたいな感じも、最近多分考説っていうのがだいぶわかってきて。
孫武が書いたのが孫子の兵法で、孫品と呼ばれる方は多分一族、一家秘伝の章を引き継いでいて、それが後ほどその人がもう一回だから超有名になったことで2人分の名前が残っているんじゃないか。
っていうのが多分間違いなさそうぐらいまで来ているっぽいです。
ちなみに孫品っていう人は、小ネタなんですが、品刑っていう足切られるという恐ろしい刑罰を受けていて、自分で歩いたりせずに台車っていうか戦車っていうか馬車っていうか、そういうのに乗って戦争を指揮していたっていう感じの。
さらに言うと、孫武はさっきの五越道州とか中国の南の方にいる人なんですけど、孫品は関中とかと同じ西の国で有名になった人で、めっちゃ雑に言うとあれ北京ぐらいって言ったらいいかな。
そこはね、そういえば試しに生成AIに中国の国一覧みたいなやつの画像とかを作ってもらったりしたので、そういうのがお見せできたらなと思います。
この分析として非常に面白かったのが孫氏の兵法って、敵を知り己を知れば百戦危うからずとか、そのあたりが一番有名な言葉だと思うんですけど、戦争論でありながら情報収集と事前計画というものが一番大事で、戦わんでええなら戦わんほうがいいぐらいのことを言っているタイプの人で、
なんならこの後クラウセビッツまでこういうような戦争論を言っているような人とかっていないんじゃないかぐらいのことを思ったりするぐらい影響力がでかいんですけど、やっぱなんでこういう人が出てきたかっていうと社会情勢が変わったからっぽくて、私たちの戦争社会学入門とかでも確か歩兵の戦い方から気兵に変化したみたいなのが出てきたと思うんですけど、それともかなり近いっぽく
村部が出てくる前ぐらいまではやっぱ戦争というものが、これ日本の感覚で言うと平安時代の戦争だったっていうのか
大量に兵士に兵士が集まって、槍で突っつき合うみたいな
われこそは何々であるお前たち出てこいみたいな
名乗りを上げてからみたいですね
どうやらなんですけど、まだ最初は馬に車引かせる戦車に乗って貴族が戦うっていうのが村部が出る前ぐらいの戦争の主な形だったっぽいんですよね
そこから歩兵が主力になってきて、農民も兵士として徴用されるようになって
さっきの兵地の話と繋がるんですけど、戦車で戦うということは山で戦えるわけがないんですよ
なんだけど歩兵で戦うということは山に隠れていていきなり襲いかかるとかが原理的にできるようになった
身を隠すとか早く移動するみたいなことがどれだけ大事なのかっていうようなことを
世界が変わったがゆえにやっぱ主張できたみたいな話もあるし
この時代としてはめちゃくちゃすごいんですけど占いなんて意味がないって言っている
それはすごいと思う
当時で言うとおそらくなんですけど占いってコンサルに聞いたコンサルレポートと同じような効果だと思うんですよね
だって皇帝ですら国の道行きを占いで決めてたっていう話を聞くもんね
中でも戦争に占いなんて意味がなくてだから情報収集だって言ってたっていう言い方なんですよねこの時代から
リアリステな
っていうのでやっぱめっちゃすごいし現代でも受けるところはやっぱこのあたりにもある
ビジネスの世界を戦争に例えるって俺は全然いいとは思わないんですけれども
そういうのが好きなタイプの人はやっぱりいっぱいいるし
変わってきたの話で言うとやっぱ尊武と尊平の頃で
これも確か2,300年とかもっとだったかな結構時代が空いているので
尊武の時代には石弓銅っていう
なんていうんだろう機械式の弓かガチャってセットして棒弾かな日本の用語で分かりやすく言うと
銅の登場とかがなかったりするので尊平が鈴木を書いたっぽいような部分とかは
その例え話が違っていたりだとか
春秋戦国の頃はまだ春秋時代の頃は今ほどその戦争が
当たり前すぎるまでは言っていなかったから
なんでその戦争をしないといかんみたいなことを考える余裕がなかったりだとかっていう
そういういろんな変化なんかも現れてきているらしいです
なるほどね