について語るポッドキャスト、ブック カタリスト。まずは今回いただいた
コメントなどをご紹介しようと思います。
お願いします。
かまいだいすけさん。今回のブック カタリストは、面白かった本を
語るを大きく超えて、goryugoさんの 創造性が発揮されていて本当に
面白かったです。それとは別に、 このところのアフタートークは、
ライフハックにおける生成AIという ものの変化をリアルタイムに感じ
られる貴重なコンテンツになって いて、おすすめです。
はい、おすすめです。
はい、っていうので、あれですね、 やっぱりいつもと違うことで褒め
られるとこんなに嬉しいんやな っていう。
確かに。
創造性というほどの偉そうな言葉 で言えるかどうかは分からんけど、
今までと違うものであったことは 事実ですかね。
そうですね。本の内容紹介だけだと、 ある種、生成AIでも大体できてしまう
わけですが、あんなふうに組み合わせ て語る、ストーリーを語るという
のは、goryugoさんならではのもの、 個性というか、癖というかこだわり
みたいなのが宿っていて、よろしいん ではないかと思いますね。
そうか、言われてみたらそうですね。 音楽とNFLをその、反時政治主義
つけるなんていうのは、良くも悪くも 人間にしかできない。
だから、わざわざ1時間の番組を 聞いていただける価値があるん
じゃないんですかね。
そうですね。そういう意味では、 あれですね、新しい試みとして
やってよかったっていう話ですね。 あと確かね、かまいさんが以前、
去年買ってよかったもの的な判定 で、ブックカタリストのサポーター
プランが良かったって確か言って くれていて、やっぱちゃんと価値ある
アフタートークを提供できているん だなと。
そうですね。僕たちがその価値をあまり 伝えきれなくていないというところ
はあると思うんですけど。
そうですね。一応、自分なりのできる だけ客観的な分析で言うと、例えば
ライフハックにおける生成愛という ものの話なんかで言うと、割と他の
誰も喋っていない話ができている という自負はあるし、良くも悪くも
まだ文章にできるほどまとまって いないものを喋りながら整理している
という感じ。
ありますね、それは。
だからこそ不確定というか、なんて 言うんだろう、ドストレートに学び
たい人には効率が悪いのかもしれない けれども、一緒に考えていこうっていう
目線だったらだいぶ価値あるもの になっているんじゃないかと今は
思っています。
まあそうですよね。僕らがここで 喋っていることっていうのは、要約
すると聞いてしまうような、まとめて しまうと聞いてしまうような事柄
で、でも実際学びの栄養分っていう のはそういうところの中にあります
よね。
そう、例えばね、生成AIでこうこう こういうふうにしたら知的生産
が剥奪れますとかっていう答えを 得ても、それは知的生産ではない
というまさに相反することをやっている。
そうですね、だからある種答えは、 答えというかヒントは現場にしかない
という感じかな。
そうですね、そんで現場トークを しているっていう感じはあるのか
そうそうそう、まさにそういう感じ かね。
はい、ということでそれにも今回 もまた通ずる話なんですかね。
まあそうですね。
135回、今回は難解な本を読む技術。
はい、難解な本を読む技術ということで、 クラシタがお送りするんですけども、
一応本の紹介のテーゼを取りながら、 僕なりの読書論というか、読書
に関する技術のテーゼを整理して いきたいなと思っているんですけども。
難解な本。
そうですね、基本的になぜこの本を 取り上げるのかをまた後ほど語る
と思うんですけど、とりあえず本を読む こと、この僕課題数でも色々読書
とか本を読むことについての本を 取り上げてきたと思うんですけど、
僕の中にあるモヤモヤ感が一つありまして、 世の中のちまたのノウハウ本の
読書をすればホニャララになるっていう 言説の荒っぽさというか育つさというか、
乱暴さがまずありましてですね。
僕の周りもその本を読んでいる人が 幾人かいるわけですけど、
共通した人間像になっているかという ところ全くなってないわけですね。
ある種の専門家もいれば浅く広く 知っている人もいて、特定の
イデオロギーに凝り固まっている人も いるわけですよ、結局。
たくさん本を読んだらどうなるかというと、 たくさん本を読んだ人になるだけであると。
そこで見逃されているのは、本を読む というのはどういうことかということの
解像度が荒いだろうと。
結局それぞれの人が自分の中のやってきた 読書の方法だけを読書だと読んでいると。
そして読書すればこうなるというふうな 限定的な一般化を行ってしまっていると。
僕のようにいろんな読書術の本を 読んでいる人間からすると、
その全体が読書なんだと言いたいわけですね。
ラシタさんの得意分野でいうと、 読書術の本をいっぱい読んでいる
っていうのがあるもんな。
個別の読書論ももちろん大切ですけど、 そんな色々なものがある本との付き合い方
っていうものが読書の全体だと。
だから読書っていう時に、特定のものだけを 特権化したくはないという気持ちがまずあって。
今までも例えばいろんな本の読み方の本を 紹介してきて、第何回?
119回では読書ザルさんのゼロからの 読書教室っていう本を紹介しまして、
読書ザルさんのその前の独学大全という本でも、
本の読み方、ほにゃらら読、ほにゃらら読 っていうのがいっぱい出てきまして、
ここでも読み方の色々っていうのはあるわけですけど、
それも一つの読み方の多様性であって、 もっと読書の目的みたいなものもさらに広くあると。
戦略戦術レベルの話が。
そうですね。読書ザルさんの方法論は戦術レベルか、 戦略レベルのもっと上もあると。
戦争するかどうかっていうところで言うと、
そもそも本を読まないという選択もあるという話が、
33回結構初めのほうですね。 通常こそが完全な読書ザルであるという本では、
本を買っておいていることすらも本との付き合い方の 一形態であるというような話もしまして、
読んでいない本について堂々と語る本っていう 有名な本があるんですけども、
この本って読書術の本として認識されがちなんですけど、
その保養にして読むと本を読まなくてもいいという本に聞こえるんですけど、
よくよくタイトルを見てもらったらわかるんですけど、
語る本なんですね。
これは会話術なんですよ、実は。
ある文脈で本について会話するんであれば、
別に本は読まなくてもいいよねっていう話なんですね。
人間は本を読まなくていいという話ではなくて、
ある語りにおいては本は読まなくてもいいし、
むしろ読まない方がいいこともある。
その本人の思い込みとか。
本人の思い込みとかを離れて、
そこの行われている会話のコンテクストに沿って、
会話するんやったら読まなくてもいい。
だから本との付き合いっていうことを考えるときに、
読まないレベルからもっといろんな対応方で読むみたいな、
たくさんのものがあって、
僕としてはその全体を捉えたいのですが、
だいたい読書術というと、
ビジネス特化にした効率的な読書か、
そうなんですよね。
もう一個は非常に人文的な人の、
誠読こそは読書みたいな感じの2極化で、
その2つとも僕は読書だと思っているので、
そのより大きな構図の中で、
それぞれの読書術を位置付けていきたいなと、
そんなふうに考えているところです。
一応一つの考え方のパターンというかフレームとして、
全然関係ないですけど、
読書志向トレーニングという本で、
この四証言のマトリックスが出た後に、
四証言というと、
アイゼンハワーマトリックスを思い出すわけですね。
緊急かどうか、重要かどうか。
予測していたら実際その話が出てきまして、
この本はなかなか面白いことをするなと思っていたら、
その四証言がこうなってたんですよね。
絵でいうとツッコミどころしかない。
重要度と緊急度の2軸を作った時に、
4つの読書が全て重要になっているんですよ。
本を読むことは重要だからという位置づけなんですけど、
さすがに僕は例えば、
娯楽のための読書は重要度は高くないような気がするんですよね。
重要度という観点が人生を豊かにするという観点であれば、
高いにおいてもいいとは思う。
この四証言を作るのであれば、
やってもやらなくてもいいけど、
やるから娯楽なんじゃないですか?と僕は思うわけですよ。
あえてやるからこその娯楽であって、
本を読むことは重要だから読むっていうのは、
娯楽じゃなくなってる気がするんですけど。
人生を彩るために重要だという、
もう一個上の観点なら重要だとは思う。
でもそれは読書じゃなくていいんですよね。
あらゆる生きてることに関して、
重要なことはないということになってしまって、
そうなると四証言の意味が消失しちゃうんで、
別にいいんですけど、
僕は娯楽のための読書は、
やってもやらなくてもいいという緊急性の低さ、
重要性の低さこそが価値だと思うんで、
ここはちょっと僕の観点では違うかなと思ったっていうところがあったんですけど。
それを言われると四証と教養は、
区別がつかんくなってしまったんですけど。
難しいですね。
教養というのは、
この本の定義でいうとアウトプットを求められないということですね。
四証っていうのは例えば仕事でアウトプットを出さなければいけないから、
問題解決力を上げようみたいなのが四証のための読書術。
じゃあそれはその著者の言葉の定義になってくるわけですね。
ここの切り分けはそうで、
さっきの清水さんの切り分けでいうと、
この2つはそんなに簡単には分けられないという感じになってますが、
アウトプットのビジネスパーソン向けに言うと、
あなたの仕事で必要ですよねっていう、
どストレートにつながっているものとそうでないもの。
そうでないものっていうのを分け方にしているという感じでしょうね。
こんな感じで読書をどう切り分けるのかも人によって違うんですけども、
今回取り上げたいのが、
僕らがあんまり訓練してこなかったであろう難しい本、
つまり等身大で体当たりしたら、
ぶつかって帰ってきてしまうような本を読むための技術を紹介した本を、
2冊紹介したいと思いまして、
両方も新書なんで簡単に読めると思うんですけども、
一つは公文社新書から出ている難解な本を読む技術ということで、
田畑さんという方、文学部コミュニケーション学科教授ということで、
哲学科の先生ではないんですが、
この本の中では比較的、
というかほぼ哲学、ないしは思想書を取り上げて、
そういう本をどう読んだらいいのかを教えてくれる知的生地さんの技術書となっております。
作品構造分析ゼミナールとかって、
だいぶ難しそうな、出てくるタイトルも全部難しそうな感じ。
あえてそういう本が選ばれているわけですけど、
一応簡単に目次だけ見ると、
まず1章から5章立てになってまして、
フロック1,2と付いているんですけど、
フロック1,2が半分とは言いませんけど、
3分の1ぐらいの分量になってまして、
フロック1,2は実践例なんですね。
実際の読書ノートとかを紹介して。
非常に良い。
良さそう。
良さそうでしょ。
実際、内容書とかにも出てきているような難解な本。
本読みの中でも難解と言われているような本を、
実際にガイドしながらどう読んでいくかっていう。
だからブックガイドプラス読書メモの実践例になっているんで、
全編理論的な本ではないんで、
この本はこういうタイプの読書術を学ぶ本として、
非常に良い構成になっていると思います。
逆に言うと、1から5まではそこまで難しいことが書かれているわけではなく、
第1章で基本的な考え方と、第2章で準備。
第3章で本の読み方の方法の1。
4章が2。
5章がさらに高度な本読みということで、
基本的に役立つ話が書かれていると思うんですけど、
まずその分類。
本をどのように切り分けるのかという考え方が3つほど紹介されてまして、
まず1つが開いている本と閉じている本という分類がありまして、
この言葉は受け取り人によって全く逆に感じられると思うんですけど、
開いている本というのは、
著者が明確な結論を提示させない、提示していない、
密閉しているタイプの本が開いている本。
完全に私の考えはこうですよと書いているのが閉じている本。
つまり収束していく感じのものが閉じているのかな?
だから結論はあなたが考えてくださいよという形で開かれているのが開いている本ですね。
私の考えはこうですというように、
読者が入り込む余地がなくシャットアウトされているのが閉じている本。
何回の本でも開いているタイプの本と閉じているタイプの本があると。
次が外部参照が必要な本とそうではない本なんですけど、
これは読者の知識に依存する切り分けなんですけど、
要するにその本を読むだけで完全に理解できるのか、
その本を読むために別の本を参照しなければならない風なのか。
基本的に初心者向けに書かれた本は、
初心者がその本だけを読んでも読めるようには聞くばりされていますけど、
分野によっては他の入門書とか参考書を読まないとわからない本もありますし、
中級者以上になってくると当然初心者がわかっていることは前提になっているので、
初心者の方が中級者の本を読むと思ったら、
その初心者レベルの本が必要になってくるので、
一冊の本が必要、一冊の本ができるのかそうじゃない、
他の本と関連して読むタイプの本かという切り分けが2つ目。
もう1個面白いのが、
登山型の本とハイキング型の本というのがありまして、
これは僕は初めて聞いたんですけど、
登山型本というのは最初の方から読んで、
論理が、ロジックが徐々に積み上がっていくタイプの本。
当然のように途中で挫折したら、
もう後は追えないタイプの本ですね、このタイプの本は。
段階を追っていかないと理解できないタイプの本なので。
ハイキングタイプの本というのはそうじゃなくて、
著者がいろいろ歩き回っている、試作を歩き回っているというのも
一緒に読者がついていくというタイプの本。
だからそれはある種、どっかの議論がわからなくても、
一応読み続けることはできるタイプの本であると。
だから読み方として、もうこの2つでもちょっと違ってくるわけですね。
登山型少なくとも絶対に取りこぼしがないように読んでいかなきゃいけないわけですけども、
ハイキング型の本はそこまで厳密にしなくてもいい。
このさっき言った開いてる閉じてる外部参照が必要、そうじゃないほう。
登山型、ハイキング型っていう切り分けで難解な本というのを区別し、
それに合わせて読み方を変えていきましょうというのが本書の大書で確認されていることで。
もう1個読み方のかなり根源的なものとして批判読みと同解読みというのがありまして、
これはもう文字通り受け取ってもらったんですけど、
同解読みというのはその本が、その著者が主張したことに同意しながら理解しようと務めること。
で、批判読みっていうのはむしろ、著者の主張に対して問題があるんじゃないかとか、
爪が甘いんじゃないかっていう疑問を持ちながら読んでいくタイプの読み方で、
比較的難しいというコードなのは批判読みですね。
読者の初心者は基本的には同解読みから始めた方がよろしかろうと。
本書でも基本的には同解読みをベースにして、
閉じている本で登山型の本、
ないしは開いている本で登山型の本、
で、共に同解読みっていうのを大きく本書の読み方では紹介していくと。
背景型の本っていうのは別にその登山型のような準備ってあんまり必要がなくて、
必要がないというか、
一応最初から最後まで読むというスタイルでいけばなんとなくいけるし、
もちろん精読しなければわからないことはわからないですけど、
登山型のような挫折が多分少ないので、
本書では登山型の読み方を、
読書ノートの付け方とかを紹介していくという形になっております。
当然何回の本を読むのは、
例えば図書館に行って面白そうなミステリー書いてきて、
2時間で読むみたいなことにはならないわけですね、基本的には。
まずどんな本を読むのか、どんな本があるのかを見、
そこから自分がどれを読むかを選んで実際に読み始め、
読み始める時も読書ノートを付けながら読むわけで、
すごい時間がかかると述べられているので、
年に26冊も何回の本を読めたら相当すごいことと書かれているわけですけど、
年26冊は多分難しいですね。
僕らは。
俺個人的には蒸気を逸したパワハラ発言じゃないかと思うんですけど。
僕らも1ヶ月に1冊ある程度詳細の読みをしているわけですよね。
ということは1年間12冊で。
これでも結構アップアップになるわけですから。
何回の本読んでないしね。
例えば時間がある大学生はともかくとして、
社会人であれば年5冊とか6冊できたらもう。
十分じゃないですか。とんでもないと思うけどな。
だからここでも冊数年間100冊読んだとか全然関係ない話で、
自分のレベルより少し高い本を、
例えば目標として年6冊、2ヶ月に1冊ぐらいのペースでとりあえず読んでみようとするだけで十分なレベル設定というか。
それでももしかしたらハードかもしれないですね。
だから教養書100冊読もうみたいなのは身の丈を超えた目標設定であるということは、
この年26冊っていう言い方からも確認できるかと思います。
実際年26冊も難しいですけども、
もっともっと本を読むことに時間がかかるということは覚悟しておいた方がいいと思います。
難しい本を読む時は。
2週に1冊を想定した数字ですよね。
そうですね。
実際だから本の読み方の詳しさを下げればいいわけです。
2週間しかないとするんじゃったら、
2週間で読める分の読み方をしようということが言えるわけですから。
それは臨機応変に変えていけるんですけど。
逆に言うと多分小説を読む気持ちの人は、
2週間読書ノートを取って読むという行為はコマンドには多分ないと思うんですよね。
ブックカタリストをやっていて思うけどね。
こんなの普通やらんよって思うけど。
でもこうしないと読めないわけですよね基本的に。
それは事実ですね。
そういう本を読もうとした時に、
その辺に散歩に行く格好で、
登山したらいかんということなんですね。
遭難して周りに水をかけて。
山に登る準備をしましょうという当たり前の話ですね。
そういう当たり前の話が確認されるということですね。
第一章が基本的な本の分類の仕方とか、
時間がかかるよっていうのが確認されて、
第二章で読む前の準備なんですけど、
準備も結構必要で、
まず棚見をしましょうとあって、
棚見というのは棚を見るという感じがきますけど、
書店に行って自分が読みたいと思っているような分野のところを行って、
それを端から端まで眺めていきましょうと。
人間の認知能力というのはすごくて、
それを知るだけでちょっと分かることが増えるんですね。
ただ本に並んでいる方を見るだけで、
どんなタイトルがあるのかとか、
どんなキーワードが並んでいるのかとか、
書店の本などがどう分類しているのか、
すでにそれすらも情報なので、
それを見て当たりをつけていくと。
著者はそれを頭の中に知識の容器を作るという言い方をしていますけど、
残念ながらAmazonの検索ではこれが生成されないので、
これは本屋さんに行ってもらうしかないと思います。
質量の体積が必要ですよね結構。
並んでいて空間に配置されているものを見る。
ないしや書店員が人間的に配置した、
ある種の偏りを持った地図というのを見ることで、
ああこういうふうになっているんだというふうに分かるので、
だから本屋さんに行って棚を見て歩くだけで、
実はもうインプットしているというか、
情報を収集しているんですね実際は。
ちなみに図書館は想定していないのか、
書いていないんですか?
基本的には本屋さんに行きましょうという話ですね。
それはまあそうじゃないですかね。
僕も両方行きますけど、
この分野の知識の地図が手に入る感覚は、
本屋さんの方が強い気がしますね。
ちなみにその言い方とらしたさの中で、
図書館ってどういうイメージなんでしょう?
予算の限界があるし、入れ替えが頻繁ではないので、
トピックが形成されていない、
トピックの分類がうまく立っていない感じがするかな。
新陳代謝が弱いから古い細胞が残ってしまっている感じ?
自分はそこにむしろ良さを感じていて、
市場を無視して特定の分野が大体一定量あって、
いわゆる儲からん分野もある程度選択肢がある、
というところで個人的には書店の本棚より図書館かなと思ったんですけど、
まあ著者は違う意見だと。
実際これも書店次第であって、
実名を出すのははばかれますけど、
頭文字Tから始まる書店は、
あんまり知識の容器にはならないかもしれないですけど。
Tから始まるところで。
宣伝された場では言いませんけど、
ある程度書店員さんが作っている本棚は、
市場という話ですけど、
例えば人文書とかで言うと、
売れている本、売れ続けている本が残っているので。
ただ古いだけじゃなくて。
そういう競争原理が働いているか。
なので比較的パッと見たときに、
今重要なのはとか、古典はどれなのか、みたいなことがソリッドにいたじゃん。
逆に生鮮されていると言えるのか。
そうそう、だから両方あっていいと思うんやけど、
パッと地図を作るときには、
ある人がセレクトして作ってあげたその並び、そのものが意味があると思うんで。
資料的価値よりももう一段階キュレートされている。
そういう書店を持っている本、書店員、
そういう書棚がある書店だったら、というかぎかっこはつきますけども。
そういう本棚を持つ書店さんは確かにあるとは思います。
だいぶ納得できました。
そうやって色々その本を見て、
本を一冊パラパラと取り上げたら後ろの方に参考文献があるんで、
頭の中でリストができていくわけですけども、その分野に関すると。
その中で自分のレベルよりも少し上の本を読む。
自分のレベルよりも少し上の本が本書でいう難解な本と思っていいと思います。
自分のレベルで読める本は別にそんなに準備もいらないんで、
基本的にはそれよりもちょっと難しい本が難解な本。
読む態度を決めるっていうのは先ほど同解読みするのか批判読みするのかですけど、
難解な本は基本的には同解読みしないとわからないと思いますけど、
逆に読み慣れた分野であればもう一冊目から批判読みでいけるというか、
必然的にそうなってしまうというか、
ノウハウ書は批判読みしかほとんどできなくなっているんですけど、
難解な本に関しては同解読みして読んでいこうということは決めたし、
その辺の準備が第2章で語られて、第3章が本の読み方ですけど、
基本的には2回読むことが本書では想定されています。
2度読む。
その3章では1度目の読み方で通読なんですけども、
通読でやることも基本的にはさっき言った先は分野の地図を頭に描くことですけど、
今回はその本の中の内容の地図を頭に描くことをイメージして読んでいくと。
通読にも実はパターンがありまして、
読書ノートwith通読なんですけど、
まず全体読んでから読書ノートを作るパターンと、
章ごとに読んで読書ノートを作るパターンと、
あるページごと数ページ進んだら読書ノートを作るっていうパターン。
3つのパターンがありまして、
これは僕全部やったことがあるんですけど、
結論から言うと本によるということなんですね。
同じ感想です。
実際本と自分のレベルによるんですけども、
ある程度読み慣れたジャンルの本であれば、
全体通読が一番効率がいいんですけど、
初めて読むないしたら2冊目ぐらいの本やと、
章ごとでもちょっと大きすぎて、
ある程度細かくしないといけませんし、
その中間ぐらいに章ごとで読んでいくっていうのがあるんで、
ここはちょっとやりながら、
自分で確かめていかれるのがよろしいと思います。
あと本の分量、全体の分量によっても当然違いますし、
ある程度短い本であれば、
えいやと最後まで読み切った方が早いということはあると思います。
実際その読書ノートを作る。
これは紙のノートがイメージされてるんですけど、
その本1冊読み込もうと思ってるその1冊の本に対して、
1冊の読書ノートを当てましょうと。
結構強気ですね。
たくさん書く気満々ですね。
大体キャンパスノート売ってるの30ページから40ページぐらいの、
40枚ぐらいのノートなんですけど、
それを標準と考えて、
目次を見て、
区分けを考えると。
だからその本によっても章立てとかが。
じゃあ2章はこの辺のページからあって、
先に決めちまえみたいなイメージなんですかね。
そういうことなんですね。
だからもう読書ノートを書く分量をあらかじめ制限するわけですね。
このぐらいの細かさで書こうとか、
これぐらいの幅で書こうみたいな量を書こうみたいなことを、
ここでもざっくり決めてしまう。
通読していない時で?
でも別にそれもいいし、その後でもいいんですけど、
さっきでも全然変わらないと思います。
とりあえず読書メモこれぐらいこの分量で取っていこうと、
さっき見てしまうので、
これは結局自分がその読書にどれぐらい時間をかけられるかで、
逆説に決まってくるんで、
だから最初の準備のとこで、
2週間かけてこの本を読もうと、
そうしたら1日これぐらいのペースでこれぐらい書けるだろう、
みたいなことを考えて書いていきましょう。
で、実際この読書ノートのフレーム、外覚を作ることに
少し多めの時間を使った方がいいですよと書かれてて、
それは慣れるためと書かれてるんですけど、
逆に言うと慣れてくると別にいらないんですよ。
なんとなくわかるから。
いきなり書いていけば、
7章だからこの辺かとかでわかる。
そうじゃないときはまず肩を身につけようということで、
ちょっと時間がかかってもいいから、
この読書ノートのフレームを作ることに
多めの時間を使いましょうと書いてあって、
非常に有益なアドバイスかなと思います。
あとは実際に、
ある区切りごとを意識してメモを取りながら通読していくと。
いくつかポイントがあって、
これも読書説の基本ですけど、
まず余白を空けてメモを取っていくことと、
あと雑に取る。
つまり掘りこぼしなくとか、
一時行く漏れなくみたいなことをすると、
まずめんどくさくて続かないですし、
そもそも手元に本があるんで、
これは本を買っていることのイメージですから、
本は手元にあるんで、
見たかったら別に本を見たいわけですから、
めんどくさくならない程度に続けられるという意味で、
雑に取ると。
鉛筆で書くというのがありまして、
そういえばそうだなと思うんですけど、
これ鉛筆で書いたほうがいいんですよね読書メモは。
僕はボールペンで書き直せるし、
基本的に最近は大体デジタルノートが最終的な行き場なんで、
デジタルノートで書くと鉛筆で書いたのと等しくなるんでいいですけど、
僕は結構手書きのノートはボールペンで書いて、
ボールペンで書いて、
いやーって汚くなってしまうので、
鉛筆で書くのはいいかなというところですね。
あとポイントは疑問を感じたら何でもメモしておくと、
著者に対する疑問だけじゃなくて、
これってどういうことだろうとか、
この言葉の意味は何だろうとか色々とあるんですけど、
思い浮かんだことは基本的に何でもメモしておくと。
本を読んでたら特に解説書とかだいたい重要な概念というか、
何回も何回も出てくるんで、
僕はそれ赤ペンで丸しますけど、
ノートを取っている場合はノートにメモしておくとか、
ある概念がAの概念がBの概念から発展しているとか、
関連しているみたいなことがあったら、
2つの概念の矢印でつなぐっていうメモの取り方をしておくとが良いと。
これはデジタルの方よりもアナログの方が、
こういう構図的なものは取りやすいんじゃないかなと思いますね。
こういうふうに1度目通読して、
2度目が詳細読みに入っていくんですが、
そこを語ると本章の美味しい部分が全部語られてしまうので、
気になったら読んでください。
これは1回目のメモの書き方?
本を決めて、読書ノートをフレームを作って、
1回目のメモの書き方っていうのがこの話?
そうです。
2回目はまたメモを取る?
これを見ながらより詳細に読んでいくという段階があって、
そこはこの読書術の肝になってくると思うんで、
そこは見ていただきたい。
こういう準備をしながら、
つまりここのターンで一番言いたいのは、
富士山に登るんやったら準備をしましょうと。
この準備をするっていうのが、
こういう読書ノートとか本の選び方っていうことをしていくと。
だから気になった本を手に取って読んで、
読めなかったっていうのは読めないですよねっていうことが確認できたら、
僕はこれ結構それだけで十分価値があると思いますね。
とうとうハードワークですよね。
たぶん1日3時間ぐらいやらんと終わらんのじゃねえのかなっていう気がしたんやけど。
まあでも本格的に、
学者のような読み方をしたらそうですけど、
全然わからんがちょっとわかるぐらいのレベルであれば、
3時間はいらんじゃないか。
でも1時間か1時間半はいるとは思います。
ですよね。そんなもんだよね。
それぐらいしないと読めないような本を読んでいるっていうことは、
だから難しい本を読むっていうのはこれぐらいタフなことなんだよなと。
まあそうか。
それをしなくて読めなかったとしても、
それは別に当然というか、
なんかそれで自分の自信をなくす必要は全然なくて、
あるいは自分が読書が向いてないとか思う必要はなくて、
ただ準備が足りてなかったですよって思えばいいんじゃないかなと思います。
っていうところが難解な本を読む技術の読書ノート編で、
もう1冊紹介した本がありまして、
難しい本を読むためにはということで、
これはちくまポリマー新書で、
つまり中高生向けに書かれた本なんですけども、
山口翔さんという哲学者が書かれている本です。
哲学トレーニングブックとか、
日本哲学の最前線とか、
幸福と人生の意味の哲学っていう本、
僕は著者の本で読んでるんですけど、
非常にね、
ロジカルというんかな、
ソリッドというかね、
曖昧なところを背して、
慎重に正確に議論を組み立てていくタイプの人で、
端的に言うと読みやすいんですね。
議論が追いやすいか。
だいたい最初の方に、本書は恒例を主張しますと、
それに向けてこういう段取りを取っていきますって宣言があって、
実際その通りに進んでいくっていうタイプの書かれ方をして、
非常にそれが読みやすいんですけど、
それが読みやすいのはなぜかっていうのがこの本で分かるんですけども、
そういう哲学者の方が難しい本、
特に本書で言うと哲学書を読むためにどうしたらいいのかを、
中高生向けに語っていく本でして、
大きく急所立てて、
文で言うと原理編、方法編、実践編というのがあって、
今回もさっきほどと一緒で、
おいしいところは紹介しないんで、
原理編だけ紹介するんですけども、
冒頭読めば本書の内容はすごくよくわかって、
まず難しい文章はどうすれば読めるのかと、
難しい本を読む方法を提示することが本書全体の目標であると、
ソリッドに言い切られまして、
難解な本を読解できずに諦めてしまうことの原因は、
文章を読む成功法を知らないからかもしれないですと、
一定のコツを掴むことで、
そうした本との関係が変わってくるかもしれませんよということで、
成功法を本書では置きましょうと。
基本的には中高生向けなんですけど、
さっきほど確認したように大人になっても、
この手の本の読み方を知らないという方は、
知らないというかそういう訓練をしたことがない方が多いんで、
割と大人でも文章の読み方をちゃんと、
しっかり勉強したいという方にも、
多分というかめちゃくちゃ有用な内容だと思います。
本書では哲学書の実際の文章を引きながら、
どう読んでいったらいいのかということが、
実践的原理的に解説されていきまして、
基本的になぜ哲学書を取り上げるかというと、
全般的に言えることですが、
哲学書はロジカルに書かれているからなんですね。
ロジカルに書かれている本は基本的に追いかけやすいんで、
つまり成功法を使いやすいんで、
基本的にはこの哲学書を取り上げてはいるけども、
それ以外の本でもおそらくは使えるだろうと。
中高生向けの非常に重要なアドバイスが、
文章を読むことに関する真実として、
残念ながら必勝法はないという話なんですね。
難しい本を絶対に読める独自術っていうのは、
まあ前打つ場と思った方がいいかもしれない。
でもだからといって、
どんな方法もどんなコツもありえないのかというと、
そこまでではないと。
成功法はあるというわけですね。
この成功っていうのはサクセスじゃなくて、
まっすぐ攻めるっていうことなんですけど、
必勝法はないけど成功法はあるよと。
その成功法を本書では取り上げるという論立てになっております。
じゃあそれはどんな成功法なのかなんですけど、
それが1章から3章の序盤で確認されるんですけど、
もう本当に当たり前の話なんですけど、
第一章はキーセンテンスを見つけたんですね。
キーセンテンス重要なことが書かれた文を見つけて、
それで著者が何を主張しようとしているのかを捉えようと。
キーセンテンスっていうのは文章全体の主張を表現する文で、
そこをキーセンテンスが分かると、
キーセンテンス以外の他の文章の部分についても何が及わんとしているのか、
あるいはそれはどんな役割を全体の中で持とうとしているのかが分かると。
キーセンテンスと言ってますけど、別に一文だけでは限らず、
その文章の書き方って人にそれぞれですけど、
分かれていることもあるけども、
一つ大きな塊としてキーセンテンスっぽいものを見つけると。
ここまではありきたりな話なんですけど。
じゃあその文章全体の主張って言ったときに、
文章全体って何ですかっていうところに入るのが、
いかにも哲学者らしいんですけども、
内容の切れ目のその都度ごとを全体とみなすことができると。
どういうことかというと、
一つの説も一つの文章の全体ですし、
一つの説で構成される章も全体と言えますし、
章で構成される一冊の本も全体と言えると。
その切れ目それぞれで全体があって、
その全体が組み合わさって、
より大きな全体になっていくから、
それぞれでキーセンテンスっぽいものがあるだろうと。
それを見極めていこうと。
何回の本というか、
ある種の主張を成す文の読み方として、
これもあえて言うまでもないですけど、
覚えておきたいのは、
理解することと賛成することは異なるということで。
SNSを見る限り、
これを混同している方がちょっと多いと思うんですけど、
ありがちですね。
著者の考えは全く賛同できないけど、
何が言いたいのか分かるということはあるんですね。
それが理解するということなんですよ。
理解したからといって賛同したことではないし、
全くない。
逆に言うと、
そう思ってしまうとどうなるかというと、
本の中で自分が理解できるとこだけを、
自分が賛成できるとこだけを探してしまうんですね。
で、その部分を見つけて、
その本を理解したってなってしまうんですよ。
完全に理解したって感じがするね。
でもすっとんきょうな理解なんですね、それは全然。
ただ自分が賛成できる場所を見つけているだけなので。
必要なのはキーセンテンスを探すことであって、
自分がいいなという場所を見つけることではないっていうことは、
当たり前かもしれないけど、
中高生の頃には知っておきたいことだと思います。
キーセンテンスを見つけられると、
文章中のしっくりこない箇所を減らすことも役立つというアドバイスがあって、
著者が言いたいことが何かあるとしておりますよね。
その言いたいことを説明するために何か例を挙げているとするじゃないですか。
その例がどうも納得できない場合があるんですよ。
でも納得できなくてもいいわけですね。
だから、著者が言いたいことの例として挙げられているわけで、
例えば、ある話が異語で例えられていたとしますよね。
でも、いや、
例えば2人向かい合って何か競技することの例えとして挙げられているのだと、
それを将棋に置き換えても別にいいわけじゃないですか。
例えがずれても。
でも、例えば2人で向き合い合って勝負していることについては、
変えたらあかんわけですよね。
それはキーセンテンスだから。
手と銃が分かると銃は差し替えられるわけですよ。
手に合わせて。
それが応用できるって感じですよね。
そのままを受け取るんじゃなくて、
著者が全体として言いたいことがこうやと。
だとしたらここは補佐的な補足な部分なんで、
例えば無視してもいいし、別のことで考えてもいいっていう風に考えられる。
これができないと全部を逐次受け取らなければいけなくなって、
非常に負荷が高いわけですけど。
階層を1個上げると下の読み方はちょっと浅く飛ばす、
あるいは置き換えるっていう読み方ができるようになるというのが、
第一章のキーセンテンスの話です。
人間の理解の仕方をそういう文脈で説明しているっていう印象ですね。
そういうふうに意識してキーセンテンスを見つけると、
著者の主張を把握しながら読んでいくことができますというのが第一章で。
第二章からが面白くなってくるんですけど、
第一章が文章全体の主張を捉える。
キーセンテンスじゃなくて、キーセンテンスっていうのは文ですよね。
具体的な部分、文ですけど。
第二章では部分じゃなくて全体の理解をしましょうと。
第一章では部分を見て、ここでは全体を見るんですけども、
部分と全体っていうのは別個のものではなく、
全体をわからない限りは部分もわからない。
もうすでにここで前の章と話が重複し始めてると思うんですけど。
千葉先生、千葉雅也さんのTwitter哲学っていう本の中で引用されている部分がありまして、
ちょっと短いんで読み上げますけど、
勉強が嫌いというのは自分を変えたくないということだと思う。
そして勉強嫌いが多いのは今の自分でまあいいかという人が多いからだろう。
別人のように変わることは恐ろしいことなのだろう。
勉強することは変身の恐ろしさの真っ只中にダイブすることだっていう短いツイートがあるんですね。
例えば今聞いた中でキーセンテンスってどれですかという話になるわけですね。
まずキーセンテンスっていうのがある種の主張だと理解してた場合、
勉強が嫌いというのは自分を変えたくないということだろうと思うっていうのはちょっと主張名出ますよね。
でも最後まで読むと別にそうじゃないようになってくるわけですよ。
おそらく著者が言いたいのは一番最後。
勉強することは変身の恐ろしさの真っ只中にダイブすることだが、
これ提示ですねきっと。
この段落の。
でそれがキーセンテンスなんですね。
つまりその前の部分っていうのはあくまでそこにつなげるための
入り込むための材料みたいなやつ。
みたいな感じであって、どうでもいいとは言いませんけど、
主張に絡めて理解するものであって、主張そのものは一番最後の部分であると。
だからこの段落全体が最後の主張であるということが分かれば、
その最初の文3つぐらいの文はある種様々なこととして
切り捨てることができると。
この1章と2章を読み進めていくと非常に難しい問題にぶつかりまして、
キーセンテンスが先か全体の把握が先かっていうことなんですね。
先ほどの文の引用したツイートの全体として言いたいことがあると。
それが分かればそれを表しているキーセンテンスはこれだと。
そうなると単は文も分かると。
しかしキーセンテンスがどれだを選ぶためには全体を分かる必要があり、
でも全体を分かるためにはキーセンテンスを見つける必要があるということで、
これ堂々巡りなんですね。
卵が先か鶏が先か問題なんですよ。
ここに一見矛盾したことを見るのではなく、
実はこれが難しい本を読むために避けては通れないことなんだと主張するのがこの本のポイントなんですね。
これを繰り返せと大雑把に言うなら。
こういうことなんですね。
まず読みながらキーセンテンスはどれだと仮説を立てながら読んでいく。
これがキーセンテンスだとしたら全体としての主張としてはこうなるだろうと。
しかしこれが全体の主張だとしたら他の部分と合わないぞということになって、
じゃあキーセンテンスは別だというふうに再定義していく、再仮説していくということをぐるぐる進めながら、
つまり部分と全体を行き来しながら読んでいくという読み方が難しい本を読むためには必要なんだというのがこの本書の大きなメッセージで、
これを解釈学という分野で扱うらしいんですね。
解釈学的循環というらしいね、さっきのぐるぐるを。
こういうのを解釈学的循環をしながら自分の理解を更新しながら読んでいくと。
読み進めうちにさっき言った自分が考えていた全体の部分の構造そのものが少しずつ入り替わっていく、更新されていくということで、
これは僕とタクさんはリビジョンって呼んでますし、
アズマさんの言い方で定性可能性という言い方で言えると思うんですけど、
ある読み始めた段階で全体がわからなくても読み進めうちにある仮説が出てくる。
でもそれも正解とは限らずに、読みながらどんどん変わっていくっていうふうに進んでいく、このぐるぐるの読み方。
これは頭から順に理解していくという進め方ではないんですね。
これ実際読んでわかりますけど、ある部分まで読んで戻るんですね、大体。
あ、これあそこが言いたかったのはこうだっていうふうにしてちょっと戻る。
ないしは、例えば戻る時は目尻に戻る時もありますけど、全体を見て、
これはこういう位置付けなんだっていう堂々巡りとか右往左往しながら読んでいく。
だから確定的なものは何もないんですね。
仮説しかない。仮説と検証が回っていくしかない。
だから著者はこうしたら絶対に読めるっていう読み方は嘘だと。
だってこの読み方の中では絶対に結論が見つけられる保証はないわけですよ。
で、著者もこの読み方をしてるけど自分でも読めてない段階の本はあると正直に述べられてます。
それは実際その通りだと思うんですけど。
それがこの必勝法とか攻略法はないけど成功法はあると。
このぐるぐるを厭わず読み進めていくっていうことをせよと。
だから先ほどの難解な本を読むは通読することで1回目にざっと読んでそこで大まかな仮説を立てて
多分2回目にもうその仮説を検証しながら読んでいくっていうタイプですけど
それをもっと短いサイクルでぐるぐるぐるぐるぐる回していく読み方が本書では紹介されてまして
多分実際僕も意識してないですけどこうやって読んでると思いますこれは。
てかそうでないと読めない。
だから全体の主張と部分のキーセンテンスの理解を回していくってことをしているなって
初めてこの本を読んで実感したというか
うまく言語化してもらったというやつですけど最近の言い方をすると。
だから非常に分析的に本の読み方を解説されている本で
3章以降もその話を前提とした上で
実際の方法とか実践的なやり方
読書会とかも紹介されてますけど中高生向けに本の読み方を紹介してくれると
だから小説の場合基本的な頭から順に読んで体験していくという読み方ですけど
この辺の難解な本というのはそうじゃないそんな直線的には進まないと
で多分ミステリー小説も多分ちょっとこれに似た読み方するんじゃないかなと思うんですけど
犯人とかトリックの当たりをつけながら読んでいくけど
なんかそれと違った部分ができた時にちょっと戻って解釈し直すみたいなことを
そこまで深くはしないですけどきっと行きつつ戻りつつしながら
犯人宛のミステリーを読んでいくと思うんですけど
そういう意味で謎解き方の難しい本というか謎が含まれた本の場合は
線形で読むんじゃなくてぐるぐるで読むっていう読み方を覚えておくと
非常にいいコツなんじゃないかなと読んでて思いました
なので2冊読書メモの読書ノートの取り方の本もいいですけど
大きなスタンスとしてぐるぐる読みするっていうのが
娯楽読みとは違う読み方なんじゃないかなというところで
この2冊自分が今まで読んだことがなくてちょっと難しい本を読むっていう前に
1回目を通しておくと結構挫折感が減るんじゃないかなと思います
自分は結果論なんですけど
アトミックなノートを作って読むっていうやり方が
これに近い行為をしていたのではないかと思っていて
なるほど
覚えてられないんですよね1個1個のキーセンテンスっぽいやつ
はいはいはい
いわゆるキーセンテンスっていう正当派なっていうか
必ずしもおそらくこれが主張だろうっていう言い方をして読んでいたわけではないんですけど
自分にとってのキーセンテンス的なものとかっていうのを集めながら書いていって読んでいくと
章の段階でこの本はなんかこういう主張があったんだなっていうのがだいぶまとめやすくなる
本質的なやろうとしていることとかは同じことをやろうとしていたんだなっていう印象がありますね
多分ですけどその同じようなその取り方でもやっぱり
ノートを取り始めた時と最近ではやっぱりキーセンテンスの選べるセンスが上がってるんじゃないですかねきっと
ちなみにこれは俺ね約3年前に読んだメモがありまして
全然できてないですね
だからやっぱりそのキーセンテンス慣れしてる状態とそうじゃない状態がやっぱりあって
非常にそのトータルの読書の中でその循環ぐるぐる能力が多分磨かれてきたんじゃないですかねきっと
そうキーワード解釈学的循環って書いてあって
やっぱ同じ言葉はキーワードとして残るんやなと思いつつ
それが何なのかとか何も書いてねえから自分で読んでもわからんっていう
やっぱり著者はそのキーセンテンスを拾って読むことを重視してるんで
何がこの本の主張なのかあるいはこの章の主張は何なのかを冒頭に示してくれるんで
読み間違いようがないように書かれてますね
これはだからいろんなロジカルな本がありますけど
ここまで親切な本はなかなかないなと思います
そういう意味でやっぱあれなんでしょうねいろんな人にお勧めできるんであろうなっていう
そうですねこの本は読者その難解な本を読みたい読者読書をしたい人にとっては
だいぶヒントになる本じゃないかなと思います
俺それでも例えばハイデガーが読めるのかとかカントが読めるのかって言われたら
相当困難ではないかという気はするんだけど
だから必勝じゃないから
必勝ではないですからね
でも読むためにはそういう読み方は欠かせないという話ですねおそらく
まあそういうことなんでしょうね
だから僕が考えている読書の技法はいろんな読み方があるんですけど
こういう読み方も僕の読書のオファーの一つには入れておきたいなというところで
僕の暮らした読書頭痛の整理として今回この二冊プラスアルファを紹介させていただきました
難しい本を読むための難しい本
まあ難しくはないと思うよこの二冊は
難しい本を読むためにはのみで言えば確かに難しくはなさそうだったイメージかな
もちろん縦書きの文字を読むのが苦痛というレベルの読者だったら難しいけど
そうじゃないければ難解な用語とかは特になく
非常にロジックと実践例を合わせて紹介してくれてますので
哲学の本を読むんやったら先に読んだ方がいいんじゃないかなという気すらしますね
あとは俺の主張意見なんだけど
この難解な本を読む技術で書かれているような
ちょっとレベルの高い本を読むことはするよりも
俺はこの簡単な本を丁寧にメモを取る方が早く上達するのではないかと
今の自分は考えているかな
ゴルゴさんのトレーニング理論で言うとおそらくそれはそうやと思う
だからどういう点かな
モチベートかな
難しい本を読みたいと思っているモチベーションを持っている人にとって
やる気を持ちやすいよねきっとね
こういう本を対象にした方がそれが実際に可能かどうかは別として
やる気になりやすいのはこういう本を対象にした方がいい
俺が主張するのだいたいだいぶ根性がいるもんだ
いうところでね
でもゴルゴさんが言われるように
もっと優しい本でも全然メモを取りながらないとわからないというのは確かにあると思うんでね
どこからどう始めるのかはあれですけど
まあでもそうね
例えばウソいからって言って
論理哲学論考をノート一冊で攻略できるかっていうと
むしろ本理より量が増える
いうことはあるんで
基本的には必勝はないけど
でもやっぱりぐるぐる読みとメモを取るっていうことの
何かしらのサポートをしながら読んだ方がいいということは
確かで身一つで読書するっていう
小説読みだけが読書術ではないということは
僕が全体として言いたいことの一つですね
そうですね
俺もそれで言うと若い頃の自分は自分のことを賢いと思っていたから
メモなんて取らずに本なんて分かるものだと思っていた
いやでもやっぱりそうじゃないかな
本の読み方はそういう訓練
教科書を読むか小説を読むかしかほぼされてないんで
あるテキストをちょっとずつ読んでいくって訓練は大学のゼミしか多分しないと思うので
マインド的なレベルから訓練が必要だったかな
自分の場合で言うと
だからやっぱりそういう教科書的なのを読めないと
自分の頭が悪いということになって
悪いのかもしれないけども
そもそも前提が違うよねというところね
国語の教科書って国語の授業って言ってみれば
一段落二段落とかを
1時間の授業で進めていくとかってイメージじゃないですか
それで言うとやってたはずなんですよね
でもあれは読めるレベルを調整してもらってるよね
うん多分
だから多分階段が平たいというか
階段を設定された上で登っているだけなのか
だからそこがちょっと違うんじゃないかな
あとあの階段も平均によって設定されてるからさ
ある人にとっては難しいかもしれんけど
ある人にとっては簡単すぎるかもしれん
ある程度読書は自分でレベルを選ばないと
うまくトレーニングにはなりにくいというのはあるかも
まあそうですね結局その大人になってしまったらね
基本的には自分でトレーニングするしかないですからね
そうですねあとは続けられるような形でやっていく
あんまり凝らないっていう時間はかかるけど
凝らないのは大切だと思うね
そうですねその
毎日1時間は俺普通の人はやれんと思うからやっぱ
まあでもまあ趣味で何かやってる1時間やってる人はいると思うんで
その代わりに本を読むっていうことを
まあそれ現代でそれにどこまで意義を感じる人がどれぐらいいるのかは知らないけど
いたとしたらそういうことをしたらいいよということでね
あの幻聴にあたるって対当たりして挫折することだけが読書じゃないということは
100回ぐらい言いたいですね
そうですねそのなんかまじ石橋を叩き続ける
壊れないとかって言っているよりも
もうちょっとそれ意味が違うからやめよう
だからある程度サポートとか技法とかノウハウとかコツとかを使いつつ
まあ読んでいけばいいそれで読めるようになるとは限らないけど
身一つで行くよりはぐっと距離感が近くなるようだし
おそらくその循環ぐるぐる読みをしたら読めないなりに得るものはあると思うのできっと
その経験そのものから得られる
何が分からないか分かるようになったら大きな前進ですからね
そんな価値は全然あると思いますね
だから読めない読めないつって投げ出して終わったらそれでもう終了
試合終了してしまうのでそうじゃない形で読んでいけたらいいんじゃないかなと思います