紹介するのは136回。
アンディ・クラークさんの経験する機会という話。
サブタイトルが心はいかにして現実を予測し構成するか。
ちくま書房、2025年10月に出た。
半年ぐらい前ですね。
マジで半年かけて読んでいたという印象があります。
なるほど。
まず前提としてめっちゃ頑張って読んだんですけど、それでもとても難しいです。
分かっていない部分がたくさんある前提で喋らないと、現段階で自分の実力では結構無理だった。
言葉遣いが懐中難しいのか、概念構成そのものがもう何回なのか。
概念ですね。
例えば、この人デビッド・チャーマーズさんと一緒に仕事をされていたりもしていて、
その拡張する心みたいな話とかの論文で結構有名になっているみたいなんですけども。
その4章と5章の間に、ハードプロブレム、チャーマーズさんが言っていた。
ハードプロブレムに関してのその現段階での著者の答えと言っていいのかな。
そういうようなことが書いてあったんですけど、少なくともここに関してはマジでわからんかった。
ハードプロブレムっていうのは要するに、肉体から精神がなぜ生まれるのかっていうような問題として定識しているのかな。
チャーマーズが言っていたハードプロブレムなので、脳というのは非常に神経回路のつながりだけで説明できない。
赤を赤いと感じるのはなぜなのかみたいな話って言えばいいんですかね。
それをこの本の主題である予測みたいなことをベースにすると、ある程度答えというか現段階での見解みたいなものがある程度見つかって
一言で言うならばハードプロブレムというのは心が仕掛けた罠、トリックみたいなもんだっていう結論ではあるんですよ。
ハードプロブレムという問題構成そのものがっていうことなのかな?
ハードプロブレムというものが生まれてしまうのが罠っていうかトリックっていうか
あるというよりはあるように我々は罠に仕掛けられているという認識はできたんですけど、その過程とかは全然わからなかった。
正直そこに関してはもうマジでわからなかったので、そう言っているみたいですしか言えない感じ。
他の章はそれに比べればだいぶマシではあって。
後から気づいたんですけど、いわゆる神経科学者とかそっち系の人かと思ったら哲学者だったっていうことに気がついて
だからこんな難しいというか、やっぱりサイエンスじゃない難しさがある?
哲学的な議論についていける何かがないといけないってことだよね。
それはね、たぶん自分の場合で言うと1年後2年後ぐらいにもう1回読み直したらめちゃくちゃ発見は多そうだなという予想もできるかなという感じで
全体がさっきの間のハードプログラムの章を含めて7章プラス結論みたいな感じになっていて
大きく2つのところに分かれていると言えばいいのかな
まず著者の大きな主張として人間の脳っていうのはサブタイトルにもあるようにその予測する機械である
経験する機械っていうタイトルがついてるんですけど
おそらくこれ翻訳用の言葉でその脳みそというのは常に予測で動いていて
その予測っていうことを前提にするとなんかめちゃくちゃいろんなことがうまく説明できたり
さらにその仕組みを利用すると例えば医療だとかケアだとかそういう概念でも
この前提に立ってうまく説明できると非常に解決できる問題がたくさんあったりする
っていう意味で仕組みを知る的な面白さが主な前半
その仕組みを上手に著者をハッキングするみたいな言い方をしていて
予測能をうまいことハッキングしてやると結構いろんなことに使える
それはさっきの話にも出てきたようなリサフェルドマンバレットさんの
情動はこうして作られるみたいな話ともかなり似通ったところがあるし
あともう一個自分で紹介しておいて本のタイトルを忘れたんですけど
VRで治療ができるとかスポーツが上手になるとか
あの本ありましたよね何回だったっけってやつだけど
あの辺の話とかもこの予測っていう観点からかなり説明ができる
っていう意味で自分がいわゆるクラスターさんとは違う形で
心みたいな概念とか脳の考える頭の中みたいな概念のことを
いろいろ興味をあって読んできたりしたんですが
割と集大成的な本だったというイメージがある
ちなみにここでいう脳っていうのは脳なのか人間の脳なのか区別はされてるのかね
どういうニュアンスでしょうかそれは
予測するしてるのは人間の脳だけなのか脳を持っている生物全般が予測という機能を働かせているのかという
そこはなかった別に
動物チンパンジーの例出てきているので
脳ってことに要するに
脳みその仕組みというレベルで考えていると予想されます
ありがとうございます
そういう応用がどこまでできるのかみたいな話だとか
あとちょっと前提として割と重要なんですけど
この予測っていう言葉って
ちゃんと定義しておかないといけないよねっていう話で
無意識に行われていること全部含めて予測なんですよ
いわゆるファスト&スローのゼロの方よりももっと定義のレベルでの予測ということを予測と言っていて
例えばボールが飛んできて
こいつは当たりそうだ当たりそうじゃないみたいな予測よりも
もっとローレベルのところの予測っていう話で
予測っていう言い方をした場合は
そういう意識していないレベルのことがまず基本的には全部前提になっている
っていうことと
著者は翻訳された方はそれを意識的に予測と予想っていう言葉としてきちんと使い分けていますよっていう話と
あとはその後に繋がっていく範囲の話なんですけど
予測することすら人間の行動にめちゃくちゃ影響を与えているというのか
予測することが人間の行動にめちゃくちゃ影響を与えているというのか
説明が難しいな
言いたいことはわかんないけど
予測してその結果こうなるっていう結果に対しての影響という
予測した結果が次の行動に影響を与えているというよりは
予測しているそのつまり観測者効果みたいなもので
予測していることそのものが影響を与えているってことだよね
おっしゃる通りです
ありがとうございますきれいにまとめていただいて
そこがかなりそういうところがやっぱり難しさの大きな部分ではあったかな
その予測をしている場合に
それはもうちょっと後で詳しく触れようと思ってるんですけど
予測の精度をより高めようとして
本来の目的とは外れているように見える行動とかも
人間は好んでする生物全般
本来あっちに行きたいだけなのに
そのあっちに行きたいために右を見て左を見るというのは
必要ない行為ですよね
まあ確かに
その例えがちょっと正しいかどうかわかんないんだけれども
そういうような予測を高めるための行動というものが
かなり人間には結構あるっぽくて
言い方としては非合理不合理かもしれないけれども
それすらも予測する脳の作用だみたいなことなのかな
合理非合理の判断が入る前の何かってことだよね
そうですねそれも予測なのでそういうことですねやっぱり
っていうようなところがまず前提としてある話
で結局予測をしておくと
1章2章あたりは非常に都合がいいとか
それが実際にどんな影響がしているのかみたいな話だったりするんですけど
前回の読書会でもちょこっと紹介していただいたような話なんですけど
その足に釘がぶっ刺さったと思い込んでしまった
工場作業員みたいな人が
マジで動かすだけでも耐えがたいような痛みがあったりしたんだけれども
実際救急車届いて見てみたら指の間すり抜けとって
全く貫通もしていなかったみたいな話だとか
一番最初に出てくる著者の体験談の話なんですけど
大きな舞台とかで講演をする前とかにめっちゃ緊張をして
いきなり自分のスマホが鳴っていると思い込んでいた
ポケットが震えたって思ったんだけれども
それは本当に思い込みで
そもそもポケットにスマホすら入っていないのに
緊張してしまうとそういう謎の予測みたいなことをしてしまうだとか
っていう人間
合理では説明できないっていう言い方に
やっぱりなってくるんじゃないかと思うんですけど
人間の脳が予測するということが思ったよりも
はちゃめちゃな論理っていうか
想像とは違うようなことすらも
というか予測してしまうと実際に
体がそうであったかのように反応してしまうというのか
話は逆というか
体を反応させるために予測してるんだよね
本来の目的はそうですね
釘刺された云々観音の痛みも
一歩も動いてはいけないというような
体の動作をするために痛みを感じさせているわけで
もちろんそれは実際刺さってないからミステイクではあるんやけど
予測さん的にはちゃんと仕事をしてるわけよね
そうだなちゃんと仕事をしていると言っていいのか
ちょっと分かんないんですけど
予測さんの仕事としては正しいことをしていると言えるのか
現状認識のどっかがずれてたから
予測さんのアラートがずれてただけで
状況から見てこうなるであろう
一歩先に手を打つわけだな
そうですねそれは本当そうだと思います
一歩先に手を打つっていうのはめっちゃ言葉として
素晴らしい例えだと思います
だから逆に一歩先状況を確認してからじゃないから
ミステイクも起こるよねというようなことなのかな
それがちょうど第2章とかとも繋がるような話なんですけど
いわゆる病気みたいなやつとか痛みみたいなやつとかって
結構そういう
本来痛くないのに痛いっていうような病気っていっぱいあるみたいで
医学用語かな精神医学みたいな言い方をされてるんですけど
構造的な痛みと機能的な痛みという言い方で分けることができるらしい
いわゆる機能的な痛みっていう
構造的な痛みっていうのは
自分の表現でいうなら物理的に痛いこと
指が折れ曲がった傷がついたみたいなイメージなのかな
に対して機能的な痛みっていう
医学とか生理学では説明できない痛みみたいなものがいっぱいあるっぽい
有名なやつとかで原始痛みたいな腕を失ってしまった人が
みたいなやつとかっていうのも結構あるんですけど
これらの痛みっていうのが基本的にその予測という概念で説明すると
結構うまくいったりして
そしてその予測っていうのは
思い込みというレベルの次元ではない予測みたいなんですよね
脳みそが理性よりももっとローのレベルで思い込んでしまっている
僕の感じで世界モデルみたいな感じがするね
そうですね
著者が言うにはそこをうまいことを
ハッキングという言い方をしているし
自分はそれをもっと上手に騙してやれば治るっていう言い方ができる
まあそうだね
騙すという表現も勝ち判断が入ってるけども
言いたいことはわかる
例えばなんだけどそれで本当に目が見えない女性っていう
さっき言った構造的な障害ではなくて
機能的な障害を持って目が見えなくなっている人みたいなものっていうのも
実際に少しずつ少しずつ予測を修正してあげることで
回復したっていう事例とかもあるらしいんですよ
なんかイメージで言うと
暗くて物が見えない狭い閉じこもった部屋にずっといるから
脳が周りが全然見えないっていうことを思い込んでしまって
自分は目が見えないものだという予測をするようになり
本当に見えなくなってしまった
で例えばその人とそのいわゆる
まさに党発さんがやっているような
カウンセリングに近い形式だと思うんですけども
例えばあなたちゃんとアイコンタクト取れてますからねみたいなことを
やってみたりだとか
電磁場を使ってニューロンを活性化させて
ピカって光ったのが見えるでしょうみたいなことを言ったりだとか
まさにあの手この手でカウンセリングによってどうにか問題はないですよ
それはあの思い込みなのですよって言い方間違っていると思うんですけどやり方としては
その思い込みなのですよっていうことを分からせてあげたことで
やっぱり実際に治ったりしている
だからそのこれもだから目が見えないと思っているという表現をせざるを得ないけど
意識としてそうじゃなくて脳がもうそういう状態であるということやねこれは
そうですそこが非常に難しいというか不思議というか面白いっていうか
で例えばそのそういうのの特徴としてこれは単純に自分が興味深いなと思ったような話なんですけど
感情筒じゃないなクダ
感情しやけっそんっていうものがあったりして
目の前のある一部の部分だけが見えなくなるらしいんですよ
でそれって物理学で考えるとおかしくって
仮にその網膜の一部の部分だけが見えなくなっているんだとしたら
遠くを見ている場合は見えない範囲が広くて近くを見ている場合は見えない範囲が狭いはずなのに
どの距離の何度も見ても同じ直径ぐらいのものが視覚的に見えなくなってしまっている
カメラのレンズがかけたような感じになっているということだよね
カメラのレンズがかけたものの写った部分だけにフィルターがかかっている
レンズがかけたらそうはならないはずって感じか
写真の方が常に同じ場所に穴が開いてるって感じか
それは物理現象としては多分おかしいはずなのに
そういう障害が起こってしまっていて
それってやっぱさっき言った機能的な傷害と構造的な障害で言うと
やはり構造が問題なのではなくて
どこかの機能的な障害になっている
私はこの部分が見えないというモデルで視覚が構成されているということか
っていうことみたいなのが
こういうのってどうやら著者が言うには
最近になるまで結局よくわからんで処理されてしまっていたようなもの
なるほど
なんでそうなるのかわからないし
どうやって直したらいいのかわからない
っていうような現象とかっていうものが
かなりの部分がそういう予測という土台に立って考えてみると
説明できるし解放が見つかる可能性が出てくる
例えば自閉症患者とかも
予測の話から説明ができるみたいな感じを言っていて
自閉症患者の場合は例えばで言うと
予測よりも感覚的証拠を過大に評価してしまうがゆえに
自閉症的な症状が現れると考えることができる
なるほど一般の人たちも感覚的証拠を評価してるけど
それよりもより強く感じていることの方が
この世界の形だというふうに捉えやすいということか
そういう脳の特性
そういうふうに考えれば果たしてこれが自閉症というものが
良いとか良くないとかそもそも病気なのかどうかという
概念はさておいてそこに対する解決とか
それに少なくとも
そういういろんなテストをしてみると
科学的なレベルで予測が弱いんじゃなくて
感覚的証拠を過大評価する傾向があるということは
少なくとも科学的には確からしい
仮に治療というとあれやけど
社会生活を送りやすくするためにはその課題評価を標準評価に
ならしていくようにすればその反応が変わってくるかもしれない
という仮説は立てられるね
例えばこういう概念を使ってあげると
PTSDみたいなやつとかっていうのも結局予測過剰なんですよね
戦争の恐ろしい場面を経験してしまったので
大きな音が鳴るだけで爆弾が落ちたかもしれないと
予測してしまっている
光っただけで何か怖いことが起こるかもしれないと
予測してしまっている
だからあることを学習するということは
予測のモデルを手に入れるということであるわけか
そうですね
そこも素晴らしいことにこの後の話とかで
ちょうど次のタイミングなので
学習してしまうと面白いことにまず一つは
元に戻ることは良くも悪くも絶対にできない
世界をありのままに体験するということは
原理的に不可能であるっていうのがなので
著者の主張でもあるんですよね
見えたものを見えたままに評価するということは
おそらく人類が脳を持っている限り不可能である
なるほど
何かを学んでしまったら
それを良いとか悪いとかではなく
もうなかったことにはできない
そういう予測の精度を上げるということで
身体の行動も基本的に全部説明できるみたいな感じで
いわゆるスポーツ選手が練習するのとかっていうのも
行動の仕方を学習するんじゃなくて
制御の精度を上げていくみたいな言い方をしていて
自分的にも上手に説明するのが
これはまた非常に難しいんですけど
ある理想的な動きっていう
例えばボールを投げるとかでもいいのかな
ボールを投げるってめちゃくちゃ複雑な動作ですよね
あれも基本的には常に予測をした上で
そことのズレを常に修正し続けながら
身体を動かしている
なるほど
ちょうどそれはVRの話で
桑田選手のピッチングがめちゃくちゃ制御がすごいみたいな話とかと
まさに繋がる話かなと思うんですけど
あらかじめ目標が決まっていて
そこに向かって動くというよりは
常にマイクロレベルの
マイクロの単位の多分時間差で
動きを予測しながらそれを制御していって
身体を動かすというのが
人体 人間というか脳を持った生物の動きの仕方というのか
身体の学習の仕方というようなことだと思うし
自分はこの概念を使ってあげれば
いわゆる例えばスポーツの練習とか
そういう楽器の練習 絵を描く練習とかにも
かなり応用ができるような気もするし
それを全部予測で説明できてしまうというのが
この言っていることの見事な話だなっていう
僕らからの予想が行動を阻害してるもんね
そうですね だからスロージョギングの素晴らしさを
予測の話で言えば
やっぱスロージョギングというものはきつくなくて
なのに健康にいいという予測をより上げていくこと
予測してしまうようにするというのか
だから一旦ハードなジョギングから始めてしまうと
その人のジョギング予測モデルが
ハードな方に動いてしまうから
より強固になっていき
それは続かないわねっていう話だね
結局そういう感じで
全てが予測みたいな話でしか言えないし
結局哲学的な話で言うと
やはり真実というものは
その意味で言うと我々は知覚することができないというのか
予測というものを前提にしてしまうと
一番喋りたかった6、7章がメインなんですけれども
この予測という能力がめちゃくちゃすごくて
人間は道具とか環境すら
もう予測の材料に組み込んでしまって
それをめちゃめちゃ上手に活かしていくことが
得意な生物で
最終的な話で言うと
人類とはみんなサイボーグだみたいな言い方をするんですよ
そりゃそうでしょうね
例えばメガネって
より視覚による予測を高めるためのものだったりするし
補聴器なんかもそうだし
紙とペンも予測の道具であり
その道具というものが
より身体的に予測しやすいものになればなるほど
我々はそれを体の一部のように感じていくらしい
だからよくアプリケーションで直感的な操作って言われるのは
予測しやすい操作ということか
そうですねだから
何て言うんだろう
ハップした時にポヨンって動くとか
そういうことってどういう言い方をすればいいんだ
UはUXで大事だっていう言い方をされているんだけれども
結局それは道具であるために
身体に近い道具と感じさせるために重要な動作と言えるのか
多くの人が予測しやすいようなものっていうのが
おそらく使いやすいっていう言い方もできるのかなっていう気がするし
それは紙とペンなんかももちろんそうだし
自分がキーボードの入力方式をわざわざ切り替えているとかっていうのも
より身体的に近いところにローマ字よりも
なぎなた式というシステムにした方が
最終的にはより予測と結びつきやすいか
体の一部のように感じやすいから
そのために好んでそういうことをやっていたりとかもしているし
あとアルツハイマーな人たちみたいなの
人たちとかがある場所ですごく上手に
本来なら一人でうまく社会生活なんて送れないはずなのに
どうにかできてしまっている人たちっていうのがいたりして
そういう人たちを取材させてもらったりすると
家中が超最適化されているっていうのかな
メメントでしたっけ?腕に入れ墨みたいなの掘っていくやつとか
あれもある意味で予測という説明でできるっていうのかな
環境というものをうまいこと使ってあげれば
それは自分の体の一部のように扱うことができるし
人間はそれを道具であると同時に自分であるという認識もするようになる
さっき言ったアルツハイマーの人が引っ越しをすると
途端に何もできなくなってしまうらしいんですよ
同時に何かが失われたみたいな感覚を得てしまう
自分の一部が欠けたってことだもんね
本来人間の肉体ではないはずなので
人間の心は脳にあるという言い方をすると
それは起こり得ない感覚のはずじゃないですか
人間がAの場所からBの場所に移ったってだけの現象になってしまう
なんだけれどもやっぱり環境まで含めて人類
人間というのはそれが全て自分の体の一部のようなものでもある
ということは結局事故みたいなものっていうのも
世界と境界線というものがすごく曖昧だし
更新されていくものという感じだね
現代の象徴で言うとそれはスマホだったりして
多くの人が家にスマホを忘れてくると
何か足りない感覚になると思うんですよね
非常に不安に苛まれてしまっている
それって脳はスマホを身体の一部だと予測するようになっているからという言い方ができる
この辺りは大分哲学の話になってきてやっぱり難しくはあったんですけど
その外部環境というものとか事故とは何かみたいな話とかっていう観点でも
その予測というところからいろいろ広げていけるという面白さと
こうやって外部環境が悪くなってしまうと
人間の能力が落ちてしまうっていうところも面白いなと思うし
著者は例えば俺ん家からラシタさん家に行く場合に
頭の中で知っていていくという行為と
カーナビを使っていくという行為は変わらんみたいなことを言っていて
どっちもお前が自分の頭の中で行動したものであって
その手段が何であれそれが身体の一部のように感じられているのであれば
それはもうあなたのものであって
外部のツールみたいな風に区別をするべきではないっていうのかな
脳内にシリコンチップを埋め込むという行為と
外部環境を整えるっていう行為は
拡張する心っていう概念で考えたら
本質的に違いなんて何もないよっていう話だったり
その根拠の一つとして例えばなんですけど
こういうふうに予測っていうものを
あとはうまいことハッキングしてあげれば
いろんなことに応用できてとても便利だよっていうような話で
例えばよく言われる儀式の重要性とか
子どもがちょうど来年卒業式とかだったりするんですけど
ああいうのとか俺めっちゃ嫌いだったんですよね
入学式卒業式とか
例えばお祭りとかもそういうものの一部に入るだろうし
いわゆる儀式とかって自分は好んではいなかったんだけれども
これも予測を上げるための行為なんだと
私はこれからこの組織に属して行動をするんだみたいな予測行為だったり
卒業式なんかだと逆にこことは別れを告げるんだ
葬式なんかまさに典型ですよね
たぶんあれは葬式をやることで残された人たちが
この人はもういないんだという予測制度を高めるための行為なのである
著者はそれは結局脳のハッキングツールという言い方ができるとか
プラシーボとかVRとかも同じ効果があって
1個大事なのはそのハッキングの効果とかっていうのは
文化的な背景とか心の習慣からすごく大きな影響を受けていて
我々が例えばなんですけど
アミニズム的な葬式をしたとしても非常に違和感を覚えるだろうし
逆もまたしっかりだし
この後プラシーボの話で
お医者さんが権威のありそうな病院でパリッとした白衣を着て
偉そうな賢そうなお医者さんに渡される薬であることで
プラシーボは効果を発揮するらしいですけど
それもそういう人たちというのは権威があるという
社会環境文化的背景があるからそうなるのであって
科学にあんまり触れてない未開の民族の人に
仮に同じ薬をあげたとしても似た効果はあげられないかもしれない
その人たちはシャーマンが儀式をしないといけない
逆に言えばシャーマンが祈祷することは
予測能力を上げていくので
予測で対処できる病気なら治せるという見方もできる
だからある種のノウハウというか方法みたいなのは
文化とか環境から切り離して
強化することはできないということだよね
やっぱ結局未開という言葉が
もう既に差別的だとは思うんですけど
未開の人たちを見下していたことの大半は
結局西洋文化の他者の文化への理解の浅さというのか
レビストロースの話ままではあるんですけど
そういうことも予測的な観点からも説明ができる
プラシーボとかって本当にすごいらしくて
アスリートのパフォーマンスとかも上がったりするらしいんですよね
マスクみたいなやつつけて
これは純酸素というすごいやつで
これがあると酸素をたくさん取り込めて
もっと早く長く走れるんだって言われると
能力上がるし赤血球とかも本当に増えるらしい
結局それはどれだけ信頼度があるかみたいな話だったりだとか
あとプラシーボの効果を高めるために
最初だけ本物の薬を使うとかっていうテクニックもあったり
最初のうちは実際にいわゆる
ちゃんと脳に作用する薬とかをあげたりするんだけど
途中から違うものにしても
こいつ効いてたから効くに違いないって思うようになるとか
あとあれですね死の話に出てきた赤い目薬みたいな話とかも
あれも多分プラシーボではあるんだけれども
でもその効果
機能的な方には効くってことだよね
面白いのが本当に正直なプラシーボっていうものもあるらしくて
この薬というものは
偽物で効果がなくて
実際はプラシーボというだけで有効成分は何にもないし
信じなくてもいいし飲めばいい
ただそれだけだって言って
渡された薬というのにも本当に効果があったりもして
同時に重要なのはそれは
俺がハイテラスタさんに渡してもダメで
ということだよね
病院の権威ある場所でこれは効果がないですけれども
毎日飲んでくださいって言われると
効果が出てくるようになってしまう
っていうことでその脳みそを
思い込ませてあげることで
実は案外かなりの部分というものが
ハッキングして直すことができてしまったりもするし
VRはそういうことなんかにも効果があるっていう話だし
同時に当たり前なんだけど
それだけじゃうまくいかんこともあるからねっていう
アルツハイマーの人とかが
痛みみたいなものとか
アルツハイマーじゃないパーキンソン病とか
痛みに対しての緩和みたいなものは
プラシーボというか
ハッキングによってある程度やっぱ対処ができるみたいで
ただその病的な編成プロセスをどうにかするっていうことは
基本的には難しいんだけれども
でも例えばそのガンがなぜか治ったみたいな
一見すると怪しいやつとかあるじゃないですか
ありますね
そこもひょっとしたらある程度一部は
この予測脳を書き換えることで
どうやって死なない細胞を殺すかわからないんだけれども
ある程度のことはひょっとしたらできる可能性とかもあるのかもしれない
免疫反応がどうこうなったらどうこうなるということが起こり得るのが
人体の謎ですからね
その免疫反応をうまく作用させてあげれば
どうにかアポトーシスを促せるのかもしれないし
実際治る人もいるわけやからね
それは現代医学では説明がつかないけれども
実際にそうなったことは現実なんだから
ここがややこしいとこやね
怖いところですよね
技術科学がつける隙が必ずあるということやからね
その科学の発展でさらにそれが解決するかどうか多分わからないんですよね
それがどうにかなるものなのかならないものなのかは
多分わからないんだろうなっていう感じで
結局そういういわゆる自己肯定とか不安とか
そういうものを予測というもので結構変えれるよっていうのが
最終的に非常に重要なことなんじゃないのかなと思って
いわゆる自己啓発的な部分ではあるんですけど
具体的にどうこうっていう話が本に出てきたわけではないんですけど
多くのことが予測で説明できるとなると
困ったり悩んだりした場合に
これを予測でどうにかできないだろうかと考えることで
対策が練れることがかなり増える気がする
そこが自分的には一番面白いところだと思うし
いろんな人が読む価値がある部分はそこにあるんじゃないのかなっていう
例えばある種の自信のなさというのは
その行動に対する予測がおそらく失敗になるだろうというのが働いてて
自信のなさになってるわけでその予測を変えたらいいわけじゃないけど
自己啓発的なアドバイスだと自信を持てって言われるわけだけど
だからあなたの予測を変えるためにどんな行動ができますかって言ったら
小さな成功を積み重ねるって話になりますよね
でそのようにその予測モデルその人が世界をどう捉えているのかのモデルを書き換えていくという言い方をすると
もっと同じアドバイスであっても実践的な内容になってくる気がしますね
そうですねあとまあ言い方っていうか違う話になるかもしれないけど
そのブックカタリスト読書会に参加することは
成功の予測モデルを高めるための行為であるとか
まあその小さなコミュニティとか今のそのネットが閉じられすぎて
閉じられているって言わないのかネット社会が荒れすぎているし
現実社会では人間関係が濃密すぎるし
その中間的な距離感みたいなものっていうのがその予測モデルを
自分の好みの方に変えていくきっかけとか理由にもなるんじゃないのかなとも思ったりして
ああだから案外ねその結局その事故も事故の予測モデルっていうのがあって
つまりこのコミュニティの中でどう振る舞うのかっていうコンテキストが
自分の行動を変えているわけですね
だからその旅の恥は書き捨てみたいな言い方がありますけど
旅に行くと日常とは違う行動を取ることがあると
それも別に違う行動を取ろうぞと思っているわけじゃなくて
自然とそうなっちゃうって感じだけど
そのつまりサードパーティーサードプレイス的な場に参加することで
公共でもないローカルでもないパーソナルでもない
新しい自分の立ち振る舞いっていうのをその場で経験することができたら
今度はそのパーソナルのところとか公共の場の自分の立ち振る舞いも
変わっていくことがあり得るんじゃないかなと思いますね
そういう観点ではあれなんですね