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BC136 『経験する機械』
2026-04-07 1:12:10

BC136 『経験する機械』

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面白かった本について語るPodcast、ブックカタリスト。

今回は『経験する機械』について語りました。

個人的にはこの本は(著者は哲学者だけど)「脳科学系の集大成」というイメージの本で、BC035 『情動はこうして作られる』なんかとも強く繋がる(本編でもこの著者の名前がよく出てくる)ものでした。

本編でも語ってるように、やっぱりめっちゃむずかしい本なんですよ。わからん部分は、いっぱいあった。

でも、ちょうど倉下さんが紹介してくれたBC135 難解な本を読む技術とも繋がるんですが、難しい本は難しい本で、読めないわけじゃなくて、やっぱりこれは苦労しただけの面白さがある。

主観だけど、これ一冊をきちんと読んで、それによってめっちゃ賢くなったと思えている。

そういう本を、私は読みたい。

今回紹介した書籍のリンクなどははこちらから→📖ブックカタリストで紹介した本



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感想

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サマリー

今回のブックカタリストでは、アンディ・クラーク著『経験する機械』について語られました。この本は、人間の脳が常に現実を予測し、それを基に世界を構成しているという「予測機械」としての側面を掘り下げています。著者は哲学者であり、その難解さから理解に苦労する部分もあったものの、脳科学や心理学の集大成とも言える内容で、非常に示唆に富む一冊だったと語られています。 本書では、ハードプロブレム(意識はなぜ生まれるのか)に対する著者なりの見解や、予測がどのように身体の痛みや病気、さらには自閉症やPTSDといった精神疾患の説明に繋がるのかが解説されています。予測モデルをハッキングすることで、これらの問題を解決したり、緩和したりする可能性が示唆されています。また、スポーツの練習や学習、言語理解など、人間の様々な行動や能力も予測という観点から説明できることが論じられています。 さらに、本書は「拡張する心」という概念にも触れ、人間は道具や環境すら自己の一部として取り込み、予測の精度を高めていると主張します。メガネやスマートフォン、さらには腸内細菌に至るまで、これらはすべて予測を助けるための「身体の一部」と見なすことができます。この予測モデルを書き換えることで、自己肯定感や不安といった感情、さらには病気の治療にまで応用できる可能性が語られ、読書会やコミュニティの重要性にも言及されています。

リスナーからのコメントと書籍紹介への導入
おもしろかった本について語るポッドキャスト、ブックカタリスト。 最初に今回のいただいたコメント、お便りなどを紹介しようと思います。
お願いします。
えーと、ブルース会でいただいたコメント。
はい。
タカットさんでいいのかな?
読み方難しいですね。
リサフェルドマンバレット、浄土はこうして作られるを読み、
トーハタ会とカウンセリングとは何かの会の、
心は生物が無意識にコントロールしていない外部環境と内部環境の間に立って調整するところに生まれるという話を聞いた後で、
文化はいかに浄土を作るのか。
バチャーメスキーターの他者の浄土を理解するためには相手の文化の基準枠を採用する必要があるに行き当たった。
なかなか難しい連鎖ですね。
リサフェルドマンバレットさんはいわゆる心理学系の人ですよね。
はい。これは確か紹介してもらった。
ブックカタリストで以前紹介しています。
トーハタさんは前回のやつですね。
現場のセラピスト。
そうですね。この間というと、トーハタさんの心というのが自由自在に動けるわけじゃないけど、
間に挟まれてごくわずかな変化を調整のために行う装置として心を捉えてあって、
他人の浄土を理解するために、自分という動かせる心を少しだけ相手の文化の方に移動させるということが必要なんだという話だと僕は理解しましたが。
さらにバチャーメスキーターさんの話ともちょっとつながっている感じがしますね。
面白いですね。
そして実はですね、今回の話も大変都合が良いことにちょっとつながっている気がする。
なるほど。
っていう意味で非常にありがたい前振りをいただいた感じなんですけど。
『経験する機械』の概要と難解さ
紹介するのは136回。
アンディ・クラークさんの経験する機会という話。
サブタイトルが心はいかにして現実を予測し構成するか。
ちくま書房、2025年10月に出た。
半年ぐらい前ですね。
マジで半年かけて読んでいたという印象があります。
なるほど。
まず前提としてめっちゃ頑張って読んだんですけど、それでもとても難しいです。
分かっていない部分がたくさんある前提で喋らないと、現段階で自分の実力では結構無理だった。
言葉遣いが懐中難しいのか、概念構成そのものがもう何回なのか。
概念ですね。
例えば、この人デビッド・チャーマーズさんと一緒に仕事をされていたりもしていて、
その拡張する心みたいな話とかの論文で結構有名になっているみたいなんですけども。
その4章と5章の間に、ハードプロブレム、チャーマーズさんが言っていた。
ハードプロブレムに関してのその現段階での著者の答えと言っていいのかな。
そういうようなことが書いてあったんですけど、少なくともここに関してはマジでわからんかった。
ハードプロブレムっていうのは要するに、肉体から精神がなぜ生まれるのかっていうような問題として定識しているのかな。
チャーマーズが言っていたハードプロブレムなので、脳というのは非常に神経回路のつながりだけで説明できない。
赤を赤いと感じるのはなぜなのかみたいな話って言えばいいんですかね。
それをこの本の主題である予測みたいなことをベースにすると、ある程度答えというか現段階での見解みたいなものがある程度見つかって
一言で言うならばハードプロブレムというのは心が仕掛けた罠、トリックみたいなもんだっていう結論ではあるんですよ。
ハードプロブレムという問題構成そのものがっていうことなのかな?
ハードプロブレムというものが生まれてしまうのが罠っていうかトリックっていうか
あるというよりはあるように我々は罠に仕掛けられているという認識はできたんですけど、その過程とかは全然わからなかった。
正直そこに関してはもうマジでわからなかったので、そう言っているみたいですしか言えない感じ。
他の章はそれに比べればだいぶマシではあって。
後から気づいたんですけど、いわゆる神経科学者とかそっち系の人かと思ったら哲学者だったっていうことに気がついて
だからこんな難しいというか、やっぱりサイエンスじゃない難しさがある?
哲学的な議論についていける何かがないといけないってことだよね。
それはね、たぶん自分の場合で言うと1年後2年後ぐらいにもう1回読み直したらめちゃくちゃ発見は多そうだなという予想もできるかなという感じで
全体がさっきの間のハードプログラムの章を含めて7章プラス結論みたいな感じになっていて
脳は予測する機械:前半の仕組みと応用
大きく2つのところに分かれていると言えばいいのかな
まず著者の大きな主張として人間の脳っていうのはサブタイトルにもあるようにその予測する機械である
経験する機械っていうタイトルがついてるんですけど
おそらくこれ翻訳用の言葉でその脳みそというのは常に予測で動いていて
その予測っていうことを前提にするとなんかめちゃくちゃいろんなことがうまく説明できたり
さらにその仕組みを利用すると例えば医療だとかケアだとかそういう概念でも
この前提に立ってうまく説明できると非常に解決できる問題がたくさんあったりする
っていう意味で仕組みを知る的な面白さが主な前半
その仕組みを上手に著者をハッキングするみたいな言い方をしていて
予測能をうまいことハッキングしてやると結構いろんなことに使える
それはさっきの話にも出てきたようなリサフェルドマンバレットさんの
情動はこうして作られるみたいな話ともかなり似通ったところがあるし
あともう一個自分で紹介しておいて本のタイトルを忘れたんですけど
VRで治療ができるとかスポーツが上手になるとか
あの本ありましたよね何回だったっけってやつだけど
あの辺の話とかもこの予測っていう観点からかなり説明ができる
っていう意味で自分がいわゆるクラスターさんとは違う形で
心みたいな概念とか脳の考える頭の中みたいな概念のことを
いろいろ興味をあって読んできたりしたんですが
割と集大成的な本だったというイメージがある
ちなみにここでいう脳っていうのは脳なのか人間の脳なのか区別はされてるのかね
どういうニュアンスでしょうかそれは
予測するしてるのは人間の脳だけなのか脳を持っている生物全般が予測という機能を働かせているのかという
そこはなかった別に
動物チンパンジーの例出てきているので
脳ってことに要するに
脳みその仕組みというレベルで考えていると予想されます
ありがとうございます
そういう応用がどこまでできるのかみたいな話だとか
あとちょっと前提として割と重要なんですけど
この予測っていう言葉って
ちゃんと定義しておかないといけないよねっていう話で
無意識に行われていること全部含めて予測なんですよ
いわゆるファスト&スローのゼロの方よりももっと定義のレベルでの予測ということを予測と言っていて
例えばボールが飛んできて
こいつは当たりそうだ当たりそうじゃないみたいな予測よりも
もっとローレベルのところの予測っていう話で
予測っていう言い方をした場合は
そういう意識していないレベルのことがまず基本的には全部前提になっている
っていうことと
著者は翻訳された方はそれを意識的に予測と予想っていう言葉としてきちんと使い分けていますよっていう話と
あとはその後に繋がっていく範囲の話なんですけど
予測することすら人間の行動にめちゃくちゃ影響を与えているというのか
予測することが人間の行動にめちゃくちゃ影響を与えているというのか
説明が難しいな
言いたいことはわかんないけど
予測してその結果こうなるっていう結果に対しての影響という
予測した結果が次の行動に影響を与えているというよりは
予測しているそのつまり観測者効果みたいなもので
予測していることそのものが影響を与えているってことだよね
おっしゃる通りです
ありがとうございますきれいにまとめていただいて
そこがかなりそういうところがやっぱり難しさの大きな部分ではあったかな
その予測をしている場合に
それはもうちょっと後で詳しく触れようと思ってるんですけど
予測の精度をより高めようとして
本来の目的とは外れているように見える行動とかも
人間は好んでする生物全般
本来あっちに行きたいだけなのに
そのあっちに行きたいために右を見て左を見るというのは
必要ない行為ですよね
まあ確かに
その例えがちょっと正しいかどうかわかんないんだけれども
そういうような予測を高めるための行動というものが
かなり人間には結構あるっぽくて
言い方としては非合理不合理かもしれないけれども
それすらも予測する脳の作用だみたいなことなのかな
合理非合理の判断が入る前の何かってことだよね
そうですねそれも予測なのでそういうことですねやっぱり
っていうようなところがまず前提としてある話
で結局予測をしておくと
1章2章あたりは非常に都合がいいとか
それが実際にどんな影響がしているのかみたいな話だったりするんですけど
前回の読書会でもちょこっと紹介していただいたような話なんですけど
予測による身体反応と機能的痛み
その足に釘がぶっ刺さったと思い込んでしまった
工場作業員みたいな人が
マジで動かすだけでも耐えがたいような痛みがあったりしたんだけれども
実際救急車届いて見てみたら指の間すり抜けとって
全く貫通もしていなかったみたいな話だとか
一番最初に出てくる著者の体験談の話なんですけど
大きな舞台とかで講演をする前とかにめっちゃ緊張をして
いきなり自分のスマホが鳴っていると思い込んでいた
ポケットが震えたって思ったんだけれども
それは本当に思い込みで
そもそもポケットにスマホすら入っていないのに
緊張してしまうとそういう謎の予測みたいなことをしてしまうだとか
っていう人間
合理では説明できないっていう言い方に
やっぱりなってくるんじゃないかと思うんですけど
人間の脳が予測するということが思ったよりも
はちゃめちゃな論理っていうか
想像とは違うようなことすらも
というか予測してしまうと実際に
体がそうであったかのように反応してしまうというのか
話は逆というか
体を反応させるために予測してるんだよね
本来の目的はそうですね
釘刺された云々観音の痛みも
一歩も動いてはいけないというような
体の動作をするために痛みを感じさせているわけで
もちろんそれは実際刺さってないからミステイクではあるんやけど
予測さん的にはちゃんと仕事をしてるわけよね
そうだなちゃんと仕事をしていると言っていいのか
ちょっと分かんないんですけど
予測さんの仕事としては正しいことをしていると言えるのか
現状認識のどっかがずれてたから
予測さんのアラートがずれてただけで
状況から見てこうなるであろう
一歩先に手を打つわけだな
そうですねそれは本当そうだと思います
一歩先に手を打つっていうのはめっちゃ言葉として
素晴らしい例えだと思います
だから逆に一歩先状況を確認してからじゃないから
ミステイクも起こるよねというようなことなのかな
それがちょうど第2章とかとも繋がるような話なんですけど
いわゆる病気みたいなやつとか痛みみたいなやつとかって
結構そういう
本来痛くないのに痛いっていうような病気っていっぱいあるみたいで
医学用語かな精神医学みたいな言い方をされてるんですけど
構造的な痛みと機能的な痛みという言い方で分けることができるらしい
いわゆる機能的な痛みっていう
構造的な痛みっていうのは
自分の表現でいうなら物理的に痛いこと
指が折れ曲がった傷がついたみたいなイメージなのかな
に対して機能的な痛みっていう
医学とか生理学では説明できない痛みみたいなものがいっぱいあるっぽい
有名なやつとかで原始痛みたいな腕を失ってしまった人が
みたいなやつとかっていうのも結構あるんですけど
これらの痛みっていうのが基本的にその予測という概念で説明すると
結構うまくいったりして
そしてその予測っていうのは
思い込みというレベルの次元ではない予測みたいなんですよね
脳みそが理性よりももっとローのレベルで思い込んでしまっている
僕の感じで世界モデルみたいな感じがするね
そうですね
著者が言うにはそこをうまいことを
ハッキングという言い方をしているし
自分はそれをもっと上手に騙してやれば治るっていう言い方ができる
まあそうだね
騙すという表現も勝ち判断が入ってるけども
言いたいことはわかる
例えばなんだけどそれで本当に目が見えない女性っていう
さっき言った構造的な障害ではなくて
機能的な障害を持って目が見えなくなっている人みたいなものっていうのも
実際に少しずつ少しずつ予測を修正してあげることで
回復したっていう事例とかもあるらしいんですよ
なんかイメージで言うと
暗くて物が見えない狭い閉じこもった部屋にずっといるから
脳が周りが全然見えないっていうことを思い込んでしまって
自分は目が見えないものだという予測をするようになり
本当に見えなくなってしまった
で例えばその人とそのいわゆる
まさに党発さんがやっているような
カウンセリングに近い形式だと思うんですけども
予測と自閉症、PTSD、学習
例えばあなたちゃんとアイコンタクト取れてますからねみたいなことを
やってみたりだとか
電磁場を使ってニューロンを活性化させて
ピカって光ったのが見えるでしょうみたいなことを言ったりだとか
まさにあの手この手でカウンセリングによってどうにか問題はないですよ
それはあの思い込みなのですよって言い方間違っていると思うんですけどやり方としては
その思い込みなのですよっていうことを分からせてあげたことで
やっぱり実際に治ったりしている
だからそのこれもだから目が見えないと思っているという表現をせざるを得ないけど
意識としてそうじゃなくて脳がもうそういう状態であるということやねこれは
そうですそこが非常に難しいというか不思議というか面白いっていうか
で例えばそのそういうのの特徴としてこれは単純に自分が興味深いなと思ったような話なんですけど
感情筒じゃないなクダ
感情しやけっそんっていうものがあったりして
目の前のある一部の部分だけが見えなくなるらしいんですよ
でそれって物理学で考えるとおかしくって
仮にその網膜の一部の部分だけが見えなくなっているんだとしたら
遠くを見ている場合は見えない範囲が広くて近くを見ている場合は見えない範囲が狭いはずなのに
どの距離の何度も見ても同じ直径ぐらいのものが視覚的に見えなくなってしまっている
カメラのレンズがかけたような感じになっているということだよね
カメラのレンズがかけたものの写った部分だけにフィルターがかかっている
レンズがかけたらそうはならないはずって感じか
写真の方が常に同じ場所に穴が開いてるって感じか
それは物理現象としては多分おかしいはずなのに
そういう障害が起こってしまっていて
それってやっぱさっき言った機能的な傷害と構造的な障害で言うと
やはり構造が問題なのではなくて
どこかの機能的な障害になっている
私はこの部分が見えないというモデルで視覚が構成されているということか
っていうことみたいなのが
こういうのってどうやら著者が言うには
最近になるまで結局よくわからんで処理されてしまっていたようなもの
なるほど
なんでそうなるのかわからないし
どうやって直したらいいのかわからない
っていうような現象とかっていうものが
かなりの部分がそういう予測という土台に立って考えてみると
説明できるし解放が見つかる可能性が出てくる
例えば自閉症患者とかも
予測の話から説明ができるみたいな感じを言っていて
自閉症患者の場合は例えばで言うと
予測よりも感覚的証拠を過大に評価してしまうがゆえに
自閉症的な症状が現れると考えることができる
なるほど一般の人たちも感覚的証拠を評価してるけど
それよりもより強く感じていることの方が
この世界の形だというふうに捉えやすいということか
そういう脳の特性
そういうふうに考えれば果たしてこれが自閉症というものが
良いとか良くないとかそもそも病気なのかどうかという
概念はさておいてそこに対する解決とか
それに少なくとも
そういういろんなテストをしてみると
科学的なレベルで予測が弱いんじゃなくて
感覚的証拠を過大評価する傾向があるということは
少なくとも科学的には確からしい
仮に治療というとあれやけど
社会生活を送りやすくするためにはその課題評価を標準評価に
ならしていくようにすればその反応が変わってくるかもしれない
という仮説は立てられるね
例えばこういう概念を使ってあげると
PTSDみたいなやつとかっていうのも結局予測過剰なんですよね
戦争の恐ろしい場面を経験してしまったので
大きな音が鳴るだけで爆弾が落ちたかもしれないと
予測してしまっている
光っただけで何か怖いことが起こるかもしれないと
予測してしまっている
だからあることを学習するということは
予測のモデルを手に入れるということであるわけか
そうですね
そこも素晴らしいことにこの後の話とかで
ちょうど次のタイミングなので
学習してしまうと面白いことにまず一つは
元に戻ることは良くも悪くも絶対にできない
世界をありのままに体験するということは
原理的に不可能であるっていうのがなので
著者の主張でもあるんですよね
見えたものを見えたままに評価するということは
おそらく人類が脳を持っている限り不可能である
なるほど
何かを学んでしまったら
それを良いとか悪いとかではなく
もうなかったことにはできない
そういう予測の精度を上げるということで
身体の行動も基本的に全部説明できるみたいな感じで
いわゆるスポーツ選手が練習するのとかっていうのも
行動の仕方を学習するんじゃなくて
制御の精度を上げていくみたいな言い方をしていて
自分的にも上手に説明するのが
これはまた非常に難しいんですけど
ある理想的な動きっていう
例えばボールを投げるとかでもいいのかな
ボールを投げるってめちゃくちゃ複雑な動作ですよね
あれも基本的には常に予測をした上で
そことのズレを常に修正し続けながら
身体を動かしている
なるほど
ちょうどそれはVRの話で
桑田選手のピッチングがめちゃくちゃ制御がすごいみたいな話とかと
まさに繋がる話かなと思うんですけど
あらかじめ目標が決まっていて
そこに向かって動くというよりは
常にマイクロレベルの
マイクロの単位の多分時間差で
動きを予測しながらそれを制御していって
身体を動かすというのが
人体 人間というか脳を持った生物の動きの仕方というのか
身体の学習の仕方というようなことだと思うし
自分はこの概念を使ってあげれば
いわゆる例えばスポーツの練習とか
そういう楽器の練習 絵を描く練習とかにも
かなり応用ができるような気もするし
それを全部予測で説明できてしまうというのが
この言っていることの見事な話だなっていう
予測モデルと身体の学習・制御
たぶん英語の学習しているときでもさ
あれってすごく予測が働くんですよ
読めるときって主語 動詞ってきたら
もう次の前置詞これだなっていう
予測が働いているときは読めるし
その間所が全く働いていけないときは
単語しか拾っていないわけで
その予測モデルは
予測モデルの確率と学習というのは
ほとんど同じだなと話を聞いてて思いますね
そうですね たぶん進退性が高いものほど
例えば読み書きの話で言うと
読み書きよりもやっぱり聞いてしゃべるっていうものって
スピード感が重要になってくるので
そのより予測
もうだからの いわゆるやっぱり
勉強するとか学ぶっていう概念が
根本的に変わるとも思うんですよね
こういうモデルを手に入れると
なんか足し算ができるようになるとかっていう
話とはまた違うレベルの
予測というのは進退の動作が伴うもので
意識のレベルではないところに何かがあって
それは全部予測の精度を上げていくことだという
見方をすれば
なんていうんだろう
どうにか
どうにかいろんなことに応用ができるような気がする
これでも生成AIが文を生成してるのもある種の予測
あれ予測にランダム性入れてるやつですもんね
近いことしてる
知的な能力の処理ですら予測が影響してるってことだもんね
うん
多分だから結局いわゆる知的な
どう作用行動というものすべても
なんていうんだろう
もうちょっとそれは統合されたレベルの予測だと思うんですけど
すべては根っこに予測があって
予測と予測が組み合わさって予測がされて
その予測が組み合わさって予測になっていって
っていうイメージというのが
我々が考えるという行為なのではないか
なるほど
っていうようなことも読んでいると
想像ができる感じになってきた
同じように体っていうのも
基本的には予測で全部できていて
そうだとすると
ずっと暗いところで動かんかったらいいんじゃないみたいな話があるんだけれども
予測の重要性と喉の渇きの例
それはちゃうよねっていうような話とかもあったりして
ホメオスタシスアーロスタシスっていう概念で説明すれば
うまいこと言えるんですけども
これも非常に難しいのと
長くなりすぎてとても難しいので
めっちゃ簡単な答えだけを言っておくと
ちょっと予測が難しい状況というのが
生物にとってとても重要で
それが一番快適で成長ができる環境っぽい
なるほど
これが全く予測ができないもダメで
逆に全てが予測でき得るというのもダメである
はいなるほど
これいわゆる何て言うんだろう
人間の成長みたいな話とかでも通じるところでもあるし
それはそれすらも脳の予測という話でも説明もできると言える
なるほど
快適な場所に身を置きすぎているのも
当然良くないのは目に見えているし
だからといってハードすぎる環境は
やっぱり疲れてしまうということも
予測もできるだろうし
ちょっと面白いのが
例えば
喉が渇きました
一杯の水を飲みました
喉が渇いたのが癒された気がしますよね
気がしますはい
でもおかしくないですか
なぜでしょう
水分が血液まで達して
実際に全身の血液に対する水分比率が上がるのって
20分ぐらいかかるらしいですよ
なるほどね
なのに俺たちは一杯の水を飲んで
飲んだ瞬間に喉が渇いた感じは解消されている
これも体が予測をしているということの
誰しもが納得できる面白い話なのではないかと思って
まあね
だから喉が渇きの信号を止めるわけやんか
基本的には
それだからもう水飲んだから
これは大丈夫だろうという判断は意識的には行わないけど
脳的にそうなった
だからそれは予測
こうなるだろうという予測のモデルが
脳の動きを決めているわけだ
でそれによって我々は
まだ物理的にはまだ血液中に水分は不足しているのに
行動としては飲み物を求めようとしていないようになる
例えばさ
喉が渇きました
で一瞬だけ意識を失います
その間に体に水分を補給します
目が覚めます
その人は多分まだ喉が渇いているってことなのかな
多分なんですけど
20分の間に水分が行き渡っているので
今の操作が仮に一瞬で行えたとしたら
SFとしてね
ならそうなりうるんじゃないですかね
水を飲んだというアクションを感知してないから
予測の修正が行われてないってことだよね多分
これとさっきの自閉症の話なんかをつなげると
やっぱ非常に興味深いなと思って
極端なことを言えばなので
自閉症的な症状というのは
その水飲んでも喉の渇きが収まらないんですよ
なるほど
予測が染み渡らない予測を信じないから
なるほど
20分ぐらい経ってから
自分が血液中に水分が十分に行き渡ったことで
喉が渇いたという行為が完了するんだけれども
欲求というのか
多分それまでに過剰な水分を取りすぎてしまっていて
そういう感じで
これはもうちょっと後の章にも出てきたような
統合することっていうのが非常に難しいみたいな話も
あったりして感覚情報と
予測を上手に結びつけないと
生物として結構困難なことになりやすい
なるほどね
予測と身体情報の統合、精神疾患
例えばなんですけど
子供が不機嫌になっていて
本人すら自覚がないんだけど
それは眠いから不機嫌になっているとか
お腹が空いているから不機嫌になっているとか
よくあると思うんですけど
何の病気だったかな
ちょっとどこに出てきたか
今思い出してしまったので
喋っているんですけども
そういういわゆる心の障害系の
物を持っている人って
そういう統合が非常に難しいらしくて
なんか気分が悪いなって思ったら
ご飯食べてなかった
っていうことに
後にならないと気がつけない
腹が減っているという身体のサインを
うまく統合して
本来は腹が減っているというサインは
原理的には存在しないんですよね
確かにそろそろ
その血液中のさっき言った
なんかが足りんくって
なんかが足りんくって
こういう状態だから
そろそろ飯を食わんと
良くないぞっていうことを
人類は腹が減ったという言葉に
集約するんだけれども
でやっぱりそういうことが
不得意なのの特性を持っている人もいる
なるほどね
でそういうところも
結局逆に言えばやっぱ
それは治るとかどうかは
ちょっとよくわからないんだけれども
その身体の情報を統合して
予測するということが上手にできないと
結構不便なことが起こってしまう
社会生活では不便でしょうね
でおそらく我々が生き残っている
多くの人が平均だと考えることっていうのは
その今の社会において
予測とその身体情報感覚のバランスが
今の社会とうまくバランスが取れていると
うまくやれる
そうですね
っていうような言い方も
できるんじゃないのかなと
まず逆に言うとそういう特性の人たちは
僕たちよりより鮮明に感覚
身体的な感覚を感じているっていうことよね
多分芸術的才能があるとしたら
その辺が表現につながっているから
なんじゃないかなという気もしますね
そうですね
芸術的才能っていう言葉を
かなりそこで説明できるような気もするかな
っていう身体感覚をより強く
表現できるみたいな言い方ができる
僕たちはだから
世界がこうであるであろうモデルで
予想を修正してしまうんで
平均的な表現になってしまうけど
そうかそうか
精々AI的な表現になってしまう
そうじゃない外れ地に向かって
進める力があるということだろうねきっと
平均的にそういう人たちは
安定的な社会生活を送ることが
困難になるであろうことも
ある程度想像はできる
確かに
例えばうつ病なんかも
大雑把な言い方をすると
予測エラーだと
なるほど
これもうつ病はさっき言った
自閉症とイメージとしては真逆で
今度は身体感覚を信じずに
予測だけを過剰に信じようとしてしまう
なるほど
っていう風に説明してあげると
結構
上手いこと説明ができて
それが即座に何らかの解決策になるというわけでは
もちろんないですけれども
でも個人的にこうやって
いろんなことをかなり統合して
説明できるという意味で
おそらく確実性が
割と高いんだろうなということも言えるし
これが
多分なんですけど
20世紀の頃は少なくとも一般的だったとは思えなく
新しい段階での心理学とか医療とかに
使っている役に立つような
ものだったりするんじゃないのかなと
なるほど
その後にあれなんですよ
予測の利点と負の側面:バイアスとネガティブループ
さっきのハードプロブレムの話が入ってきて
ここで1週間2週間悩んでもやっぱりわからなかったっていう
自分の予測力が上がらなかったと言えばいいのかな
そこから後半みたいなやつっていうのが
いわゆるもうちょっといかに役に立つような
方向に行けるかっていう話なんですけど
まず一つは
結局予測の何がいいかっていう
大雑把な言い方をすると
曖昧な状況からでも早く判断がしやすくなる
というのかな
なるほど
いきなりなんかでかい音がしたっていうのは
でかい音が何かは分かんないけれども
おそらくでかい音というのは何らかの緊急事態が起こっているであろう
ということは多分人類が本能的に予測できることで
その場合に少しでも早く
行動が取れた方が生存可能性は高まるわけで
そういう曖昧な状況からでもより早く行動ができるというところが
基本的にはプラスの作用として残ってきているんだけれども
もちろんそこにも
負の側面みたいなものも存在していたりして
ブラックリブスマターとかでも結構有名になっていたりするんですけど
特にアメリカなんかで警官に射殺される人って
もう比べ物にならないぐらい人口比ではおかしいぐらい
黒人ばかりが殺されている
で結局何でなのかというと
射撃者バイアスみたいな言い方ができると思うんですけど
我々人に対して基本的には予測を持って迎え合っているので
この人はこうであろうと思い込んだ場合に
あらゆる行動をその予測とつなげて行動してしまいやすい
相手は乱暴者だと思ってその人が手を挙げたら
こっちを殴りかかってくるだろうというふうに考えてしまう
考えてしまう傾向があって
それはかなりそういうことが負の側面として出てきやすいとか
もうちょっと現実的な我々でもあり得るような話で言うと
あいつなんか機嫌悪そうだなと思い込んだ場合に
あらゆる行動が機嫌が悪いことの証明の行動のように見えてしまい
それによってこちらも相手に対して警戒をしているという行動をするようになり
その警戒をしているという行動が相手側にも伝わって
相手はこちらを警戒していると認識するので
向こうは向こうでまた警戒するようになりっていう
ネガティブループが繰り返され
しなくてもいい喧嘩をすることになってしまう
みたいなことも全部予測で説明ができるし
そこは強くバイアスがかかりがちになってしまったりもする
ここで言われる予測は認知的で言うと評価とかっていうふうに使えるけど
評価しないようにするっていう判断しないでもいいけど
それはだから認知的にその人が判断しているというよりは
脳の予測モデルとして捉えたら非常に扱いやすい気がするね
そうですね そんなような話とかも
4章5章あたりは情動はこうして作られるとかと
かなり似通っている部分もあるし
結構その著者の中でバレットさんの名前とかも何回も出てきていたりもしていて
おそらくその辺の人たちの影響が業界でだいぶ大きいんだろうなっていう感じのことも言われていますね
環境、フィクション、VRによる予測のハッキング
結局対象としては環境を変えるっていうことの効果がめちゃくちゃでかくって
環境すらも予測であるという言い方もできるかもしれないし
フィクションとかVRとかの効果というものも
予測という概念からいろんな説明ができるというのか
小説を読むことは予測精度を上げるためとか予測のバリエーションを増やすために役立つのですといえば
教養好きな人にも役立つそうだし
教養好きな人はその説明を多分拒絶すると思うけど
本を読むことの正当性を他者に伝える場合にも
フィクションというものが結局起こらない
違うな予測の幅を広げるとかこういう人もいるんだということを知る場合は
予測の選択肢が増えるわけだし
例えば小説を読むことの効能を他人の心が理解できるようになるっていう言い方をすると
ものすごく傲慢なわけなんですよね
でも予測精度を上げるとか予測のバリエーションを増やすという言い方をすると
もっとフラットな感じがするよね
そういう意味で変に偏りすぎないような予測のことだし
VRなんかもそういう意味でこの後に出てくる治療とかに
予測を変えるという治療手段としてVRだったり
何ならだから映画を見るとか小説を読むっていうのが心の健康に役立つっていうのは
予測を変える予測を回収する変化させるという説明だけでも
わりとスパッと説明できてしまうのかもしれない
なるほど
でこことさらに言うとこれもハック的な話なんですけど
こういうのを上手に応用してあげることで
例えば息切れをしているとか疲れたとか眠いとか
いろんな感覚って結構曖昧な感覚なんですけど
そこの解像度を上げてあげることで
めっちゃ大きな言い方をすれば
自分の性格とか心の持ちを好きな方向に変えることもできる
なるほど
心臓がドキドキしているのって
いろんな原因があるじゃないですか
緊張しているのかもしれないし
心臓の病気なのかもしれないし
ただめっちゃ速く走っただけなのかもしれない
でいわゆるそういうなんだっけ
心は脳の働きのみであるみたいな大雑把な説明をすると
たくさんの解釈があるのに一つの答えしか出てこないんだけれども
ある身体の状態に対して説明できる原因とか理由ってめっちゃいっぱいあって
その理由とか原因っていうものをある程度訓練によって
こういう時はこうだということを思い込ませることもある程度できる
そういうことをトレーニングしていくことで
例えば病気を治すだとか性格を変えるみたいなことにも
つなげていくことができたりして
分かっている範囲の話で言うといわゆる不安障害と言われる人
身体感覚の解像度向上と不安障害
心配になって何も手につかなくなる系っていうのかな
そういう人ってめっちゃ大雑把な話なんですけど
自分のすぐにドキドキしたりとかしそうなイメージがあるんですけど
結構逆みたいで
不安障害者の人の多くは
自分の心拍数に対して非常に鈍感らしい
見積もりが不正確で
不正確なくせに俺は正しい見積もりをしていると過剰に思い込んでしまう
でかなり相関していて
分かってないのに分かったつもりにしてしまっているということが
不安障害の原因みたいな言い方もできる
そんなにドキドキしてないのにものすごくドキドキしている感覚があって
それは確実に私はドキドキしているんだという
ある種の独断が働いてしまっている
で多分それの負のループがあって
実際にそこから上がったりもするんじゃないかなと想像するんですけど
で例えばそれなんかで言うと
現実的なレベルの話で言って
Apple Watchつけて心拍数見てあげれば
ある程度まで改善
自分だけでも改善できるかもしれないし
よく言われる話でなんだっけ
セミナースピーチする前に自分で心拍を測ってみて
心拍が高いことが分かるだけでも不安が取り除けるというのか
自分は緊張しているんだなということを自覚できることで
やっぱり思い込みというのはかなり減らすことができて
確かにそうやな
緊張してる時に自分が緊張してるなってはっきり分かると緊張
解けたりはせえへんけど緊張の過剰ループにはまるのは避けられる感じがあるね
そもそも大事な場面で緊張すること自体は大事なことじゃないです
ゼロであるべきではないので
そこがコントロールできなくなってしまうのがよろしくなくって
ライフハック的な概念でやっぱりそうやって心拍数を見ることが
緊張を和らげる効果があるみたいな話とかはあったりはしそうだし
あると思うんですけど
そのあたりっていうのもやっぱり道具を使ってあげたりだとか
それを知っていることでやっぱり対処もできるし
そういう観点でも役に立つような要素というのは
本の中にもいっぱいある感じがします
例えばさっきの話で言うと
いわゆる人質交渉するような人
交渉にネゴシエイターみたいな人とかは
さっき言った不安障害なんかの人と真逆で
やっぱめちゃくちゃ正確に自分の心拍
今どのぐらいなんやっていうのが判定できたりするらしい
それはどうなる?結果としてなのか
訓練としてそれをさせられるのかどっちなのね
俺は両方だと思いますね
そういうことが得意な人が成果を出しやすく
さらに訓練することで上がっていく
これは自分の話なんですけど
同じ心拍の話なのでいいかなと思うんだけど
常に心拍数を測りながらジョギングしている
繰り返して
このぐらいの苦しさは多分心拍このぐらいというのが
少なくとも1年前に比べたら
遥かに正確に自分で認識できるようになりました
これは多分110か20ぐらいで
これは多分130か40ぐらいで
これはもう150超えてくるきついやつだな
みたいなこととかも
かつてはやっぱ現実的にはほぼ不可能だったものが
そういう電子機器なりを使ってあげることで
結構できるようになって
同じ話ではないんだけど
ジョギングが苦しくて嫌にならないための
ライフハックとして心拍数を上げない
スロージョギングの話に出てきたやつなんですけど
そのあたりっていうのもやっぱ
身体感覚と脳をちゃんとつなげてあげる訓練
実際あるもんな
ジョギングがしんどいよりは
ジョギングがしんどそうでやらないもんな基本的に
予測と身体、道具、そしてサイボーグ化
僕らからの予想が行動を阻害してるもんね
そうですね だからスロージョギングの素晴らしさを
予測の話で言えば
やっぱスロージョギングというものはきつくなくて
なのに健康にいいという予測をより上げていくこと
予測してしまうようにするというのか
だから一旦ハードなジョギングから始めてしまうと
その人のジョギング予測モデルが
ハードな方に動いてしまうから
より強固になっていき
それは続かないわねっていう話だね
結局そういう感じで
全てが予測みたいな話でしか言えないし
結局哲学的な話で言うと
やはり真実というものは
その意味で言うと我々は知覚することができないというのか
予測というものを前提にしてしまうと
一番喋りたかった6、7章がメインなんですけれども
この予測という能力がめちゃくちゃすごくて
人間は道具とか環境すら
もう予測の材料に組み込んでしまって
それをめちゃめちゃ上手に活かしていくことが
得意な生物で
最終的な話で言うと
人類とはみんなサイボーグだみたいな言い方をするんですよ
そりゃそうでしょうね
例えばメガネって
より視覚による予測を高めるためのものだったりするし
補聴器なんかもそうだし
紙とペンも予測の道具であり
その道具というものが
より身体的に予測しやすいものになればなるほど
我々はそれを体の一部のように感じていくらしい
だからよくアプリケーションで直感的な操作って言われるのは
予測しやすい操作ということか
そうですねだから
何て言うんだろう
ハップした時にポヨンって動くとか
そういうことってどういう言い方をすればいいんだ
UはUXで大事だっていう言い方をされているんだけれども
結局それは道具であるために
身体に近い道具と感じさせるために重要な動作と言えるのか
多くの人が予測しやすいようなものっていうのが
おそらく使いやすいっていう言い方もできるのかなっていう気がするし
それは紙とペンなんかももちろんそうだし
自分がキーボードの入力方式をわざわざ切り替えているとかっていうのも
より身体的に近いところにローマ字よりも
なぎなた式というシステムにした方が
最終的にはより予測と結びつきやすいか
体の一部のように感じやすいから
そのために好んでそういうことをやっていたりとかもしているし
あとアルツハイマーな人たちみたいなの
人たちとかがある場所ですごく上手に
本来なら一人でうまく社会生活なんて送れないはずなのに
どうにかできてしまっている人たちっていうのがいたりして
そういう人たちを取材させてもらったりすると
家中が超最適化されているっていうのかな
メメントでしたっけ?腕に入れ墨みたいなの掘っていくやつとか
あれもある意味で予測という説明でできるっていうのかな
環境というものをうまいこと使ってあげれば
それは自分の体の一部のように扱うことができるし
人間はそれを道具であると同時に自分であるという認識もするようになる
さっき言ったアルツハイマーの人が引っ越しをすると
途端に何もできなくなってしまうらしいんですよ
同時に何かが失われたみたいな感覚を得てしまう
自分の一部が欠けたってことだもんね
本来人間の肉体ではないはずなので
人間の心は脳にあるという言い方をすると
それは起こり得ない感覚のはずじゃないですか
人間がAの場所からBの場所に移ったってだけの現象になってしまう
なんだけれどもやっぱり環境まで含めて人類
人間というのはそれが全て自分の体の一部のようなものでもある
ということは結局事故みたいなものっていうのも
世界と境界線というものがすごく曖昧だし
更新されていくものという感じだね
現代の象徴で言うとそれはスマホだったりして
多くの人が家にスマホを忘れてくると
何か足りない感覚になると思うんですよね
非常に不安に苛まれてしまっている
それって脳はスマホを身体の一部だと予測するようになっているからという言い方ができる
この辺りは大分哲学の話になってきてやっぱり難しくはあったんですけど
その外部環境というものとか事故とは何かみたいな話とかっていう観点でも
その予測というところからいろいろ広げていけるという面白さと
こうやって外部環境が悪くなってしまうと
人間の能力が落ちてしまうっていうところも面白いなと思うし
著者は例えば俺ん家からラシタさん家に行く場合に
頭の中で知っていていくという行為と
カーナビを使っていくという行為は変わらんみたいなことを言っていて
どっちもお前が自分の頭の中で行動したものであって
その手段が何であれそれが身体の一部のように感じられているのであれば
それはもうあなたのものであって
外部のツールみたいな風に区別をするべきではないっていうのかな
脳内にシリコンチップを埋め込むという行為と
外部環境を整えるっていう行為は
拡張する心っていう概念で考えたら
本質的に違いなんて何もないよっていう話だったり
その根拠の一つとして例えばなんですけど
腸内細菌、心、そして自己の概念
最近流行りの腸内細菌の話とか
腸壁にはニューロンって500万本ぐらい通ってるらしくて
確かこれが脳に次ぐとかそれに被験するレベルですごく多い
繋がりらしいんですよね
腸内細菌がセロトニンとか
そういうホルモンの分泌に大きく影響をしていて
そしてセロトニンとかっていうホルモンは
人間の感情に大きく作用をしていて
ということは腸内細菌は
細胞学的にはあなたではないんだけれども
生理学的には
あなたの思考や気持ちに大いに影響を与えている
セロトニンの95%ぐらいは腸内細菌由来で発生したりもするらしくて
その心が安らぐみたいな気持ちは
俺たちには関係ないぐらいの言い方ができるんですよね
腸が大切ってことですね
腸が休まらないと心が休まらない
みたいなレベルでもあるし
結局この人が言いたい哲学の概念で言うと
心というものがあなたという概念が
いわゆる今までの西洋哲学とは全然違うんだよ
みたいなことっていうのかな
おそらくこれから生成AI的なものが
スマホに取って変わる脳の一部になってくるであろう
みたいなことも言っているし
自分はもう明確にそう感じていますね
ネットワークがなくなってしまったら
もうやべえ感じがする
もうプログラムなんて生成AIなかったらどうしようとか
っていうぐらいにはなってきてしまっているんだけど
それは脳の得意なことというか特徴なんだから
それをあんまり悪いことだと言っていない印象があるかな
聴者は
そういうもんだっていうような言い方をしている感覚があったりします
最後の最後
儀式の重要性とプラシーボ効果
こういうふうに予測っていうものを
あとはうまいことハッキングしてあげれば
いろんなことに応用できてとても便利だよっていうような話で
例えばよく言われる儀式の重要性とか
子どもがちょうど来年卒業式とかだったりするんですけど
ああいうのとか俺めっちゃ嫌いだったんですよね
入学式卒業式とか
例えばお祭りとかもそういうものの一部に入るだろうし
いわゆる儀式とかって自分は好んではいなかったんだけれども
これも予測を上げるための行為なんだと
私はこれからこの組織に属して行動をするんだみたいな予測行為だったり
卒業式なんかだと逆にこことは別れを告げるんだ
葬式なんかまさに典型ですよね
たぶんあれは葬式をやることで残された人たちが
この人はもういないんだという予測制度を高めるための行為なのである
著者はそれは結局脳のハッキングツールという言い方ができるとか
プラシーボとかVRとかも同じ効果があって
1個大事なのはそのハッキングの効果とかっていうのは
文化的な背景とか心の習慣からすごく大きな影響を受けていて
我々が例えばなんですけど
アミニズム的な葬式をしたとしても非常に違和感を覚えるだろうし
逆もまたしっかりだし
この後プラシーボの話で
お医者さんが権威のありそうな病院でパリッとした白衣を着て
偉そうな賢そうなお医者さんに渡される薬であることで
プラシーボは効果を発揮するらしいですけど
それもそういう人たちというのは権威があるという
社会環境文化的背景があるからそうなるのであって
科学にあんまり触れてない未開の民族の人に
仮に同じ薬をあげたとしても似た効果はあげられないかもしれない
その人たちはシャーマンが儀式をしないといけない
逆に言えばシャーマンが祈祷することは
予測能力を上げていくので
予測で対処できる病気なら治せるという見方もできる
だからある種のノウハウというか方法みたいなのは
文化とか環境から切り離して
強化することはできないということだよね
やっぱ結局未開という言葉が
もう既に差別的だとは思うんですけど
未開の人たちを見下していたことの大半は
結局西洋文化の他者の文化への理解の浅さというのか
レビストロースの話ままではあるんですけど
そういうことも予測的な観点からも説明ができる
プラシーボとかって本当にすごいらしくて
アスリートのパフォーマンスとかも上がったりするらしいんですよね
マスクみたいなやつつけて
これは純酸素というすごいやつで
これがあると酸素をたくさん取り込めて
もっと早く長く走れるんだって言われると
能力上がるし赤血球とかも本当に増えるらしい
結局それはどれだけ信頼度があるかみたいな話だったりだとか
あとプラシーボの効果を高めるために
最初だけ本物の薬を使うとかっていうテクニックもあったり
最初のうちは実際にいわゆる
ちゃんと脳に作用する薬とかをあげたりするんだけど
途中から違うものにしても
こいつ効いてたから効くに違いないって思うようになるとか
あとあれですね死の話に出てきた赤い目薬みたいな話とかも
あれも多分プラシーボではあるんだけれども
でもその効果
機能的な方には効くってことだよね
面白いのが本当に正直なプラシーボっていうものもあるらしくて
この薬というものは
偽物で効果がなくて
実際はプラシーボというだけで有効成分は何にもないし
信じなくてもいいし飲めばいい
ただそれだけだって言って
渡された薬というのにも本当に効果があったりもして
同時に重要なのはそれは
俺がハイテラスタさんに渡してもダメで
ということだよね
病院の権威ある場所でこれは効果がないですけれども
毎日飲んでくださいって言われると
効果が出てくるようになってしまう
っていうことでその脳みそを
思い込ませてあげることで
実は案外かなりの部分というものが
ハッキングして直すことができてしまったりもするし
VRはそういうことなんかにも効果があるっていう話だし
同時に当たり前なんだけど
それだけじゃうまくいかんこともあるからねっていう
アルツハイマーの人とかが
痛みみたいなものとか
アルツハイマーじゃないパーキンソン病とか
痛みに対しての緩和みたいなものは
プラシーボというか
ハッキングによってある程度やっぱ対処ができるみたいで
ただその病的な編成プロセスをどうにかするっていうことは
基本的には難しいんだけれども
でも例えばそのガンがなぜか治ったみたいな
一見すると怪しいやつとかあるじゃないですか
ありますね
そこもひょっとしたらある程度一部は
この予測脳を書き換えることで
どうやって死なない細胞を殺すかわからないんだけれども
ある程度のことはひょっとしたらできる可能性とかもあるのかもしれない
免疫反応がどうこうなったらどうこうなるということが起こり得るのが
人体の謎ですからね
予測モデルの書き換えと自己啓発
その免疫反応をうまく作用させてあげれば
どうにかアポトーシスを促せるのかもしれないし
実際治る人もいるわけやからね
それは現代医学では説明がつかないけれども
実際にそうなったことは現実なんだから
ここがややこしいとこやね
怖いところですよね
技術科学がつける隙が必ずあるということやからね
その科学の発展でさらにそれが解決するかどうか多分わからないんですよね
それがどうにかなるものなのかならないものなのかは
多分わからないんだろうなっていう感じで
結局そういういわゆる自己肯定とか不安とか
そういうものを予測というもので結構変えれるよっていうのが
最終的に非常に重要なことなんじゃないのかなと思って
いわゆる自己啓発的な部分ではあるんですけど
具体的にどうこうっていう話が本に出てきたわけではないんですけど
多くのことが予測で説明できるとなると
困ったり悩んだりした場合に
これを予測でどうにかできないだろうかと考えることで
対策が練れることがかなり増える気がする
そこが自分的には一番面白いところだと思うし
いろんな人が読む価値がある部分はそこにあるんじゃないのかなっていう
例えばある種の自信のなさというのは
その行動に対する予測がおそらく失敗になるだろうというのが働いてて
自信のなさになってるわけでその予測を変えたらいいわけじゃないけど
自己啓発的なアドバイスだと自信を持てって言われるわけだけど
だからあなたの予測を変えるためにどんな行動ができますかって言ったら
小さな成功を積み重ねるって話になりますよね
でそのようにその予測モデルその人が世界をどう捉えているのかのモデルを書き換えていくという言い方をすると
もっと同じアドバイスであっても実践的な内容になってくる気がしますね
そうですねあとまあ言い方っていうか違う話になるかもしれないけど
そのブックカタリスト読書会に参加することは
成功の予測モデルを高めるための行為であるとか
まあその小さなコミュニティとか今のそのネットが閉じられすぎて
閉じられているって言わないのかネット社会が荒れすぎているし
現実社会では人間関係が濃密すぎるし
その中間的な距離感みたいなものっていうのがその予測モデルを
自分の好みの方に変えていくきっかけとか理由にもなるんじゃないのかなとも思ったりして
ああだから案外ねその結局その事故も事故の予測モデルっていうのがあって
つまりこのコミュニティの中でどう振る舞うのかっていうコンテキストが
自分の行動を変えているわけですね
だからその旅の恥は書き捨てみたいな言い方がありますけど
旅に行くと日常とは違う行動を取ることがあると
それも別に違う行動を取ろうぞと思っているわけじゃなくて
自然とそうなっちゃうって感じだけど
そのつまりサードパーティーサードプレイス的な場に参加することで
公共でもないローカルでもないパーソナルでもない
新しい自分の立ち振る舞いっていうのをその場で経験することができたら
今度はそのパーソナルのところとか公共の場の自分の立ち振る舞いも
変わっていくことがあり得るんじゃないかなと思いますね
そういう観点ではあれなんですね
失敗できる場と人間関係の構築
ブックカタリストサポーターに価値はあると思うよっていう言い方ができるし
結局さらに言えばそれはもう失敗したらその場からさればいいと思っていて
もっと失敗自分が失敗だと思っていることをしても
周りから何も言われないっていう経験が
失敗するという予測モデルを変えていくんじゃないかな
だから気楽に失敗できる場の方がいいんじゃない
そうですねそういうあれかな
自分が思っていた場じゃなかったら
平気でされるという場合に一歩大胆な行動ができる
それがその人の予測モデルを実際に修正していくんじゃないかな
それが例えば公共の場だと犯罪者になってしまうかもしれないし
結局ツッコミどころって無限にあるわけだから
誰かがイチャモンつけてくるわけや
Nの母数が多くなればなるほどさ
ツッコまれる確率が上がってくるわけやけど
ある程度閉じた場であれば安心感があるよねきっと
例えば職場とか家族とかって簡単に人間関係を変えられないので
その大胆な行動とかいつもと違う行動をするだけで
向こうが予測と外れるから
何かあったんじゃないかなっていう風に
お前なんなんやっていう風に言われてしまうとかがあって
変わりにくい
実際読書館に参加してる人が日常生活でどんなことしてるか
俺ら全然知らんもんね
当然だってそもそもラシタさんが普段何してるか知らんしねえっていう
そのブックカタレストで話している時しか知らなくて
そういう人間関係でいいと思っているし
だからこれも小説を読むとかの一つのバリエーションやね
事故の予測モデルを変えるバリエーションですよねきっと
少なくとも割と低コストでできる手段としては
やっぱそうやって上手にインターネットを
リアルに不満がなければいいんだけれども
多分大抵の人は長い人生の中で何度かは行き詰まったりすると思うので
そうだね確かに
そういう時にやっぱ回避できる場所が1個2個あると
結局それは心の安全にもつながる気がするし
そうだねインターネットがない時代は趣味のサークルとかが
そういう役割になってたと思うし
今でも多分になってる
今でも大いに活用したらいいと思いますけどね
すべきぐらいに思うけど
ネットもその一つの選択肢やけど
初期の頃のツイッターはそうやったんやけど
最近は絡まれる予測モデルが働くから
あんまり楽しくない場所にはなってきてますね
初期のツイッターはツイッターを使っているというだけで
その母数が小さかったので共同意識があったんですよね
それがもはや駅前みたいなことになっているから
ちょっとね公共の振る舞いに近づいてしまったね
その役割は閉じたSNS的なものに
その修練するしかなくなってしまったという感じかな
だから宿命なんですよね
多分人が増えることは使えない場所になってしまうという
常にリフレッシュリセットしていかなくなっている
そこはねちょっとこれから我々が
今後の展望とリスナーへの呼びかけ
なんて言うんだろう
これエンドゲームがないというのか
っていう意味では大変ではあると思うんだけれども
そういうもんなんでしょうと
ということでご意見ご感想あれば
お便りフォームだとか
さっき言ったツイッターブルースカイなどなどの
公共の場でもつぶやいていただければ
公共の場でしか見れないものもありますからね
そういう
逆にね
閉じたところとの接点は公共の場にあったりはするので
そうやって大いに活用していただければと思いますし
後で話そうと思うんですけど
あれですよね
新しい読書会のバリエーションみたいなものを
読書会というかトーク会かな
みたいなものも思いついて案外いいんじゃないかっていう感じがして
読書に限らずもうちょっとコミュニティ的な
場所としてもそのサポーターの方々と一緒に
なんかやっていけたらなみたいなことも考えておりますので
よかったら概要欄から詳細などご覧いただければと思います
それでは今回もお聞きいただきありがとうございました
ありがとうございます
01:12:10

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