宇宙軒明星さんは、関東を拠点に、滋賀県発祥の江州音頭を学び、音頭取りとして活動している。幼少期には日本舞踊を習い、地域の盆踊りで手本を務めたが、当時は半ば強制される踊りに複雑な思いを抱いていた。
上京後は民謡から離れていたものの、約10年前に中西レモンさんと出会い、三味線の集まりを通じて再び民謡に触れる。江州音頭には、一般的な民謡を一曲覚えるのとは異なる奥深さを感じ、「生半可にはできない」と覚悟して学び始めた。
しかし、CDと太鼓が中心の関東の盆踊りには、生唄を受け入れる設備や仕組みがほとんどなく、歌う場所を見つけられなかった。転機となったのは、コロナ直前に参加した三陸国際芸術祭での陸前高田滞在である。震災後も暮らしの中で芸能を守る人々に触れ、地域芸能の技量と継続への覚悟に圧倒された。この経験から、江州音頭だけでなく、各地の暮らしと芸能の関係そのものを学びたいという関心が広がっていった。
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サマリー
宇宙軒明星さんは、幼少期に日本舞踊を習い、盆踊りに複雑な思いを抱いていたが、大人になってから江州音頭と出会い、その奥深さに魅了される。東京での活動場所を見つけられない中、三陸国際芸術祭への参加が転機となり、地域に根差した芸能の力強さと、暮らしと芸能の関係性に感銘を受ける。現在は江州音頭だけでなく、各地の多様な芸能とその文化を学ぶことに興味を広げている。
宇宙軒明星さんの活動紹介と盆踊りへの原体験
はい、ヒデドンです。今日は、オンラインで宇宙軒明星さんを、東京なのかな、まあ多分そこにもうちょっとお聞かせいただきたいなとは思っているんですけども、今回のゲストは宇宙軒明星さんです。お願いします。
よろしくお願いします。
じゃあ、あのー、自己紹介をお願いします。
はい。
東京の隅田区に隅田公園っていうのがありまして、隅田川のね、横に。
あのツリー、ツリーの下に。
はい、ツリードも近いんですけれど、スカイツリーを見ながら、お月見しながら、星を見ながら、盆踊りや、出店のね、飲み物、食べ物なんか楽しんでいただくというような集まりがあったんですけど、
その中に盆踊りの時間がプログラムで入っていまして、生演奏で盆踊りをする時間と、レコードをかけて盆踊りする時間とか交互になってまして、その中の生演奏で盆踊りをやっていただくという時間帯に、
今、民謡イズっていう民謡のバンドがありまして、そのバンドは一応盆踊りの曲をメインに踊りの伴奏としてやってみようってことでやってらっしゃるんだけど、
そのバンドに一応ゲストで入って、合詞音頭とかをはじめ、他にも東京音頭とか、炭鉱物詩とかいろんな盆踊りの歌を歌うっていうのをバンドにちょっと入れてもらって、その七夕の日にも公演で歌ったりしました。
ちょっとXに上がってる動画を見たりして、すごい楽しそうだなっていう。
そうですね。特にヤグラを作るとかそういうんでもないんですけど、芝生にサンタイブルを置いてね、DJが来てレコードかけたり。
私たちもマイクなんかもちゃんと立ててもらってね、音響はちゃんとしてるんですよ。
岸野さんがやってるんですか?
そうです。勉強家の盆踊りなんかいろいろプロデュースされています。岸野雄一さんが音響やらもう何から何までやってくださってね、お膳立てしていただいて、乗っかるだけで本当に申し訳ないんだけど。
踊り手の皆さんも一生懸命、会社終わって早く駆けつけていただいて、平日だったから。
雨が降りそうで降らないかて良かったんだけど、そんな中でも本当にたくさんの方に来てもらってね、びっくりしました。
平日だからどうかなって言ってたんだけど。楽しかったですよ。
そんな妙女さんが盆踊り、そもそも興味持ったきっかけとか、子供の頃やってたとかっていう話をぜひ。
子供の時は、小学校入ったぐらいかな、日本舞踊を習っていて、盆踊りの時は練習会とかを。
小学校だとラジオ体操を地域で、近所の人で集まって、道路の端っこみたいなとこで、6時半とかですかね、夏休みのラジオ体操の時間に体操が終わった後、何でかうちの地域ではその後も無理やりのように盆踊りの練習をしてまして。
もう反強制じゃないですか、そしたら。
私の盆踊りの始まりとしてはやりたくてやってないっていうか。
日本舞踊を始めたのは自分の意思なのか。
やりたいって言ったらしいんだけど、おばあさんが結構お祭りとかが大好きで、福岡だと博多どんたくっていうのがあるんですけど、それとかにやっぱ出させたいみたいなのもあって、衣装揃えたりとかね、色々したかったのか知らないけど、
それで、本当はちょっとヒップホップダンスみたいのを習いたかったっていうか。
小学生で。
マイケルジャクソンを見たときに、もうこういうのやりたいなと思ったけど、やっぱ私の時代ではそういう教室は今はね、あちこちある、ほとんどそっちの方しかない感じですけど、子ども向けだと。
そういう田舎だったし、そんなの全然わかんなくて、まあ踊りだからなと思ってやってたけど、やっぱ結局そういう西洋のダンスちょっと習いに行っても、なんか違うって言われたり、
アフリカのダンスとかも最近やってるんだけど、なんか傘の持ち方がとか、なんかいちいちこうなんか品作っちゃうようなところが、癖が抜けないみたいで、人から見たらちょっとなんか変って言われるね。
品を作るってどういう所在なの?
なんですかね。
しなるってことですか?
姫ポーズみたいなのが、日本舞踊の独特のなんていうのかな、ちょっと首をかしげてしまったり、なんか手の動かし方かなりうるさかったんで、手のひらとか甲の見せ方とかがどうしても和風になってしまうので。
あと指の伸ばし方とかも。
伸ばし方とかね。
だからそんなに反らせませんとか、反らないようになんかなっちゃって。
日本もね、今知ったら秋田の方とかめちゃくちゃこう反らして踊る、日本舞踊っていうかね、盆踊りの踊りなんかもあるので、やっぱりそればっかりが別に正しくないのに、やっぱり視界が狭いっちゃ狭いっていうか、先生が言う通りまず覚えなきゃいけないから。
そういう方の中でやって、子供だったから別にほんとちょろっとやっただけなのに、こんなにずっと影響が長引くっていうか、まさか盆踊りも大人になってもやると思ってなかったし、まさかそれで自分が歌うとも思ってなかったんで、なんだかどうしてこういうことになったんだろうって、ほんと不思議なんですよね。
自分でも不思議な感じなんですかね。
じゃあ、その小学校の頃はちょっと複雑な思いを感じたっていう感じですか。
そうですね、あんまりかっこいい習い事ではなかったし、お友達の間では誘っても誰も来るような人いなかったし、なんかおばあちゃんばっかりだったし、まあなんだったのかなと思いますけど。
民謡との再会と江州音頭への挑戦
で、そっからどんな感じで。
そっから、もうずっと何年も別に民謡とかには関わってなくて、まあ小学校、中学でも完全に辞めちゃって、大学入る時に東京に来て、もうその時には全然民謡は関係なく過ごしていて。
日本舞踊ももう辞めてたんですか。
もう全然やってないです。何にもやってない。盆踊り大会やってても耳を塞ぐようにして足掻いて駆け抜けるって感じで。
うるせえと思ってましたよ。家の近くで単行節とかが聞こえてくると、もうなんかうるせえとか言って叫んじゃうような感じでした。
そういえば福岡の方ってやっぱ単行節がかなりメインなんですか。
いやメインでもないですね。もう盆踊りはそんなに盛んではないっていうか地域の踊りはなかったです。私が育ったところなんかは。
だからでも東京音頭とかは踊ったことないけど、ドラえもん音頭とか、あられちゃんとか、ああいう漫画のやつと、何がかかってたんですかね。
なんかバハママママとかああいうジンギスカンとかなんかそういうのが多かったですね。洋楽ね。
今もそういうのはまだあるんだなぁと思って。
なんか水田寺清子とかああいう人たち演歌歌手の人が歌ってるなんとか音頭みたいなのを一生懸命練習してたのは覚えてますけど、
あんまり何の歌だったか覚えてないんですけど。
あんまり単行節が、うちの方はちょっと遠い山の反対側だから単行の街でもないから、別に地域の歌っていうことはあんまり思ったこともないかったですね。
で大学生になって上京したと。
はい。
もう本当に何にもやってなかったんだけど、シャミセンをね、そうだ中西レモンさんにシャミセンを習うことになって。
きっかけが何なんですかね。
きっかけがですね。
急になんか入った。
そうなんだったんだろうあれ。
本当急な話だったっていうか、知り合いが一人間にいて、その人がなんかお米を育てていてね。
でその米ができたもんで、ご飯をその米を食べながらなんか宴会をしようと思って。
それでシャミセン弾きながら歌う中西レモンさんっていう人を呼んでいるから、
なんかご飯食べて飲みに来てよって言われて、その宴会に参加してレモンさんに初めて会ったんですよね。
それがいつだったのかな。10年くらい経っちゃったかな。
それくらいからですね、民謡的なものにもう一回触れることになってしまったのは。
今から10年くらい前ってことですか。
そうですね。
それで出会った。
レモンさんにシャミセン習うっていうよりはレモンさんは教えることはできないとかなんとか言って逃げながら。
シャミセンのサークルっていうのかな。みんなで教えあいこするっていう感じで。
でもそれは経験者の人は教えあいこできるんだけど、私全く触ったこともない状態で入ったんで。
なんだか本当飲みに行っておしゃべりして帰ってくるぐらいの感じで全然教室は進まないままに走行してるうちにコロナの騒ぎになってしまって。
結構長ないですか、ただ飲みに行ってた期間。
4、5年行ってたってことですか、それで。
3年ぐらいですかね。
まあ月に一遍ぐらいですから、それでも。
ああ、なるほど。
ただ単に。
20年ですかね、あれは。
20年からが、そうです。
そのコロナになる1年前ぐらいに結局玲音さんがゴーシュオンドっていうのをやってて、民謡のレパートリーの一つとしてやってみますかみたいな感じになったんだけど、
これは私生版化ではできないなってなんか思ったんですよね。
マスターできないっていうか。
結構時間を費やさないとこれはできないんじゃないかなっていう予感があって、1年ぐらい迷ったんですよね、それをちゃんとやるかどうか。
別に何がどうとかじゃないんだけど、やるならちゃんとやりたい感じがしたんで。
そうですね、なんか中途半端だと無理っぽいですよね。
なんかそういう予感があって、普通の民謡1曲覚えるのとはちょっと違うなっていう気がしてて、その予感は当たっていたんですが。
はい、それで入るまでにもかなり迷って、うだうだその三味線会に行きながらどうしようかなーって言いながら、初心者向けのゴーシュオンドの会っていうのも月に1回やっていて、それには参加していたんです。
それは東京でですか。
はい、そうです。
あるんですね、そういうの。
そういうのがあったんだけど、結局コロナで全部中止になってしまって、そこの会場で借りていたお店もちょっとそういう影響もあって、閉められたりしても借りる場所がちょっとすぐ見つからなくなったまま、今も別に辞めるとも言ってないけど、それっきりなんかなっちゃってますね。
三陸での経験と芸能への新たな視点
はい。
で、ゴーシュオンド始めたはいいんだけど、東京ではやるとこは特にないですよっていうか、
生歌やるってなったらPAもちゃんとセッティングしないといけないけど、その環境があって、そういうのがあって、
そういうのはないし、何のことやらっていう感じなんですよ。もうなんか、ぼんどりでなんで歌を歌うわけみたいな感じで、見たことないっていう感じなんですよね。
私もそうだったし、そういうぼんどりがあるって知らなかったので。
で、やるとこないって言われたまんま、コロナでみんなとも会えないし、どうしたもんかなと思って、いろいろ考えて、
最初、この道で行こうと思ったのは、三陸の国際芸術祭っていうのがありまして、
アーティスト募集みたいな、地域の芸能を習いたい人を募集みたいになってて、
そこに町に滞在して、踊り習ったり歌習ったり、その地域の暮らし方を全部見せてもらえるっていう機会を得まして、
それで、2週間行って、その習ったことを発表してくださいみたいになって、
で、その行ったのは陸前高田だったんですけど、だから津波でほとんど建物全部なくなったとか、
あと身内で亡くなった方がいない人はいないっていうぐらいの、もうかなり被害の大きいところに行ったもんですから、
まあ、踊りとかを継続していくような、もうそれどこじゃないっていう意見の人が半分、
でもこういう時だからこそやった方がいいって人が半分、半分だけどやりたいけどもう道具もないし、
やる人も半分になってるとか、もう高齢化してるとかで、まあできないとかいろんな理由で、
かなり難しくなっているところに、アーティストという人が来るらしいみたいになって、
でも私アーティストとかで応募したけど別に、何の実績も実はないっていうか、
名乗ってしまったけど、どっちかっていうとそういう調べたりとかはすごい好きだったので、
行ってお話を伺ったりしたいなと思って行っちゃったっていうのかな。
それが最初で、なんか向こうは何の芸を見せてくれるんだいって感じなんだけど、
そういうのが変わってきた時期だったのかな。アーティストインレジデンスって言って地域に入って、
芸術家が何かを発表してそれを皆さんが見るみたいなのから、
だんだん地域の人たちから何かを学んで、そこの人たちと何かを作ってみるとか、
そういうふうにアートプロジェクトの方も変わってきていて、
そうなんでその辺を行ってみてから結構向こうの人も、
じゃあネギのあれを畑の方も手伝ってもらおうかねみたいな、そういう感じで、
本当に生活の中まるごとに入るっていうのが当たり前っていうか、
その暮らしの中に踊りの練習会があったりするっていうのが、
その地域の人はそれで食ってるわけじゃないから、
でも片手間っていうほどでもなくかなり力入れてるっていうか、
めちゃくちゃ踊りも歌も上手だし、
もうこれは本当に本気でやってんだなっていうか、やらされてるのかもしれないけど、
なんかその辺は、ちょっとこれは私の方が芸能ができますみたいな顔はとてもできないっていうか、
孔子音頭はそれなりに勉強してたけど、
もう彼らは生まれた時からその地域で、
そういう踊り歌の中で過ごされてきてる人なんで、
ものすごい手だれというか、
だから、私も孔子音頭っていうのはよそ者で入っているから、
よそ者でも飛び込めたのは、孔子音頭っていうのがちょっと、
反プロ化しているから入りやすかったっていうのかな。
地域と関係なく、渡り歩いて芸をやるっていうような部類の歌なので、
入りやすかったんです、私にとっては。
だけど、これってもしかしたら、今住んでるとこの太鼓とかのグループに入ったら、
自分がこういうふうに、毎週のように集まって練習とかできるだろうかって思ったら、
ほんとすごい人たちだなと思ってめちゃくちゃびっくりして、
なんか漁業とかね、体使う仕事はほんと疲れると思うんで、
でも休みの日に踊りの稽古とかしてらっしゃるからすげえなと思って、
なんかもう打ちのめされて帰ってきて、
それがいつ頃の話なの?
2020年か、コロナのね、ほんと直前にそれがいけてて、
次の年、20年に成果発表を半年ぐらい準備して、やっとできるぞっていう時に、
もうみんなお家にいなさいみたいな、何でしたっけ?
緊急事態宣言とか。
それが初めて出た時がちょうど発表会と重なってしまって、
それで宮古市って言ったことでやる予定だったんだけど、
宮古市、大船渡市、陸前高田市でやる予定の発表会がもうできないまま、
結局6年経ってしまって、
去年ね、宮古市からまたご招待いただいて、
宮古市でやっと、その時とはまた違う形で、
芸能の情報交換会っていうのか、勉強会をさせていただいて、
本当に嬉しかったんだけど。
だから合宿運動を専門でやるっていうよりは、それ以降は、
芸能、いろんな地域の暮らしをもっと勉強するっていう方に興味がいっていて、
24:13
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