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親鸞のこと
2026-04-08 21:51

親鸞のこと

比叡山の静けさから、越後の泥へ。

正しさを求めて歩いた先で見えてきたのは、「どうしようもない自分」と向き合う時間でした。

親鸞と賢治、すれ違いながらもどこかで触れ合う、その静かなまなざしの行方をたどります。

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サマリー

このエピソードでは、親鸞の生涯と思想を、ひび割れた水がめの寓話を通して探求します。親鸞は比叡山での厳しい修行の後、自身の「どうしようもない自分」と向き合い、越後での流刑生活で民衆の暮らしに触れる中で、すべての人々への救いの道を模索しました。また、詩人・宮沢賢治との対比を通して、時代や立場は違えど、生きる厳しさと向き合い、他者に寄り添う姿勢に共通点を見出します。二人の歩みは、自分自身を見つめながらも、他者の隣に静かに座るという、深い共鳴を示しています。

ひび割れた水がめの寓話と親鸞の心の在り方
こんばんは、ひとりごとの時間です。 今夜は親鸞について話そうと思います。
確かあの20年ぐらい前だったと思うんですけど、 その頃あのあちこちでその物語を見かけた記憶があります。
インターネットやテレビ、ラジオ、 あとあの本屋さんなんかでもよく目にしてました。
気がつけば、あの身の回りに当たり前のようにあった、 そんな感じでした。
インドに伝わる一つの偶は、 ひび割れた水がめのお話です。
水を運ぶ一人の男がいて、 2つの水がめを電瓶棒に下げて毎日川へと通っていました。
一つは立派な水がめで、いつも水をたっぷりと運べます。 けれどもう一つの水がめにはひびが入っていました。
長い道のりを歩いて家に着く頃には、 そのひびから水がこぼれ半分ほどになってしまうのです。
立派な水がめは自分の役目にどこか誇らしさのようなものを感じていました。
一方でひび割れた水がめはずっと申し訳なさを抱えていました。
自分のせいで水をこぼしてしまうことがずっと気がかりだったのです。
ある日ひび割れた水がめは男に言います。
ごめんなさいと、 自分のひびのせいで水をこぼしてしまっているのだと、
うまく役目を果たせていないことが申し訳なくつらいのだと。
その言葉を聞いた男は少しだけ足を止めます。 そして優しくこう言います。
帰り道を思い出してごらん。 君が通る川だけに花が咲いていたのに気づかなかったかいと、
あの花は君からこぼれた水で育ったのだと。
よく知られているこの話なんですが、 かけているところにも意味があるだとか、そのままでもいいんだとか、
物事を違う角度から見てみようといったような、 そんな受け取られ方をすることが多いように思います。
それはそれであの柔らかくてほっとする話なんですが、 でもあの最近少しだけ別のことを思うようになったんです。
この話にはもう一つ大事なところがあるんじゃないかなと。 ひび割れた水が目にとって男のかけた言葉が救いになったのは、
自分の不甲斐なさに戸惑いながらも、 その気持ちをそのまま抱えていたからではないのかなと。
うまく言いつくろったり、見ないふりをしたりせずに、 自分の中に生まれてくる申し訳なさをそのまま真摯に受け止めていたからではないのかなと、
そんなふうに思えるんですよね。 日々があることや花が咲いたことそのものよりも、
それを受け取る側の心の在り方の方に、 あのこの話の要があったのかもしれないです。
もしこの水溜めが自分の日々を気にもせずいたとしたら、 あるいはあの開き直るような気持ちで踏んぞり返っていたとしたら、
男に同じ言葉をかけられても、 それはのどこか遠くに聞こえてしまったんではないでしょうか。
日々があるのもいいのだと、無理にあの思い直す必要はないのかもしれません。 花が咲くから意味があったと、外からの理由を探すこともどこか違う気がします。
たとえ花が咲いていなかったとしても、 あの水溜めの心は主人への打ち分けによって少しだけ解けたのではないか、そんなふうに思えるんです。
自分の弱さに気づき、それをそのまま受け止めていること、 そこから生まれる気持ちにそっと目を向けていること、
大事なのは、その在り方そのものなのかもしれません。 そんなことを考えていると、あの一人のお坊さんの姿がふと思い浮かぶんです。
新蘭です。 どこかのこの水溜めの話と重なるところがあるようにも思えてくるんですよね。
比叡山での修行と越後への流刑
新蘭がまだ半年と呼ばれていた頃のことです。 若い彼は20年という長い年月を義永山での修行に充てていました。
そこは厳しい戒律を守り、経典を読み解き、整った在り方を求めて、 多くの人が身を置く場所でもありました。
けれど、その中で彼が見ていたものは、穏やかなものばかりではなかったように思えます。
眠る時間を削り、食をつづしみ、山を駆け抜ける体力のあるもの。 難しい教えを理解できるだけの知性を持つもの。
そして、日々の暮らしから離れて修行に専念できる余裕のあるもの。
そうした人たちだけが先へ進めるような空気も、どこかにあったように見えます。
そう考えていくと、ふとこんな問いが浮かびます。 日々の暮らしに追われ、泥にまみれ、文字に触れることもなく、祈る時間すら持てない人たち。
彼らはどこへ向かえばいいのだろうかと。 正しさを求めていくほどに、かえって手の届かないものが増えていく。
そんな感覚がどこかに残っていたのかもしれません。 長く続いた修行の中で抱えた違和感は、少しずつ見過ごせないものになっていったのでしょう。
このままここに続けては、自分の問いに触れることができない。 そんな思いが静かに形を持ち始めて、やがて山を降りるという選択に繋がっていったように見えます。
山を降りた後、彼は法念と出会い、念仏という教えに触れることになります。
それは、それまで積み重ねてきたものを否定するというよりも、どこかの見ている景色が少し変わるような感覚だったのかもしれません。
外側にある形や積み重ねていくものではなく、自分の内側にあるものにそのまま目を向けていくこと。
うまく整えるというよりも、そこにあるものをそのまま引き受けていくこと。
山で抱え続けていた問いが、少し違った光の中で見え始めたのは、その頃だったようにも思えます。
やがてその教えは広がりを見せ、そのことがきっかけとなって、彼は越後の知恵と流されることになります。
そうしてあの身を置くことになった越後には、比叡山の物差しでは測れない人々の暮らしがありました。
魚を捕り、獣を仕留め、土に触れながら生きていく人たち。
日々を繋いでいくことで精一杯で、修行に向き合う余裕などほとんどなかったのかもしれません。
けれど、そうした人たちの中に、どこか見過ごせないものがあったように思えます。
生きていくことそのものに伴う、言葉にならない追い目のようなもの。
自分の在り方を誤魔化さずに抱えている、静かな正直さのようなもの。
そうしたものに触れた時に、それまでの見方が少しずつ解けていったのかもしれません。
そうして、やがて罪の実を解かれた後も、彼は元の場所へは戻ろうとしませんでした。
向かった先で彼が選んだのは、僧侶として仰がれる道ではなく、泥にまみれて生きる人たちと同じ目線で、ただ一人の人としてあることだったように思えます。
当時の仏教の世界では、僧侶が肉を口にすることや妻を持つことは、救いから遠ざかるものとして受け取られたことも多かったようです。
けれど、彼は妻を持ち、肉を口にしました。
それは何かに抗うためでも、流されてしまった結果でもなく、自然な選び方としてそこにあったように見えます。
肉を口にするということ一つをとっても、そこには命をいただかずに生きていけないという、どうしても避けられない現実があります。
そのことをごまかさず、どこかに申し訳なさを抱えながら生きていくこと。
また、あの人を想い、関わりの中で揺れる自分の心とそのまま向き合っていくこと。
そうした日々の中に、自分のままならなさを見つめる時間が静かに流れていたのかもしれません。
彼は僧侶という立場に留まるのではなく、ただ一人の人として、その内側にあるものを引き受けて生きていこうとしていたように見えます。
宮沢賢治との対比:教えと生き方の違い
そうして、自分をどこか特別なところに置くことをやめた彼は、自分の元に集まる人たちを決して弟子とは呼びませんでした。
同じ道を歩く者として、同じ地面に腰を下ろしていたように見えます。
そんな彼が、ただ一言、念仏を唱えるだけでいいと語り続けていたこと。
この言葉は、近道を示すものというよりも、これまで寄りどころにしてきたものを一旦脇に置いて、
自分の中にある思いに改めて目を向けていくための一つの在り方だったのかもしれません。
唱えるだけでいい、その言葉の奥には、自分を大きく見せようとしなくてもいいということと同時に、
自分の中にある静かな声に、もう一度耳を澄ませていくような気配も含まれているように思えるんです。
強くあろうとすることや、何かに達したように見せることよりも、
うまくいかない心のままに、その言葉を口にしてみること。
それは、自分を飾ることから少し離れて、今の自分のままで、そこにいるための、
ささやかな寄りどころのようなものだったのかもしれません。
彼は生涯各地を歩きながら、人と出会い続けていたようです。
教えを広めるというよりも、一人一人の隣に腰を下ろしながら、
同じ場所にいることを確かめていくような、そんな時間の重なりだったようにも思えます。
それではここで一曲、「日だまり」
何かしなくちゃと急ぐ足も
時にはそっと休ませて日向で深呼吸
役に立つことや、正しさばかり
胸いっぱいに詰め込みすぎると
心が少し痩せてしまうね
お腹の虫もぐすっと笑う
優しく満ちていく
隙間の何にも決めない時間
道端の石をただ見つめるだけで
心がふんわり温かくなる
役に立たない落書きも
意味のない花歌も
あなたの毎日を柔らかく解く
大切な
そっとおやすみまたした
こうした辛乱の歩みや、その眼差しを辿ってみると、
時代も制御もまるで異なる、ある一人の人物の姿が、
ふと重なって見えてくることがあります。
農業に生き言葉を紡ぎ続けた詩人、宮沢賢治です。
鎌倉を生きたお坊さんと、大正から昭和を駆け抜けた作家に、
直接の接点は見えにくいかもしれません。 けれどあの心の根っこにある
地べたの視線や、生きることに伴う追い目に向き合う姿というのは、
どこかで静かに響き合っているようにも感じられます。 ただここには一つ不思議な巡り合わせがあります。
賢治は若い頃から実家の信仰に対して強く違和感を持ち、父と何度もぶつかり続けていました。
その実家の宗派こそが他でもない、 信乱の教えを組む浄土神宗でした。
そして賢治が心を寄せていったのは、 かつて同じく比叡山を離れた日蓮の教えでした。
ただその山を降りるという出来事の意味合いは、 法念や信乱の場合とは全く異なるものだったと伝えられています。
法念や信乱が目指したのは、 救いの入り口をできるだけ広く開いていくことでした。
厳しい修行ができる人だけではなく、日々を生きることで精一杯の人たちにも、 同じように手が届く形を探し続けていたように見えます。
その時の念仏は、何かを成し遂げた証というよりも、 泥にまみれたままでも立ち止まることのできる、 一つの拠り所のようなものだったのかもしれません。
それに対して日蓮が向き合おうとしていたものは、 当時の仏教の中で混ざり合っていた考え方を改めて見つめ直し排除することでした。
その中で念仏という在り方に対しては、距離を取るというよりも、 見後に近い思いを抱いていたようにも見えます。
それでもなお、彼がそこへ向かっていったことには、 どこかの見過ごせないようなものがあるように思えてならないんです。
その背景には、教えの違いだけでは言い切れない、 時代の厳しさのようなものがあったのかもしれません。
賢治が生きた岩手の地では、例外による教策が繰り返され、 日々の暮らしそのものが揺らぎ続けていました。
稲は実らず、人は植え、家のものも手放していく。
そうしたあの現実のただ中にいた時、 新蘭の示した間口の広さというのは、
どこか静かすぎるものとして映っていたのかもしれません。 ただ受け入れることで救われる。
この感覚が、その場に立ち続けようとする自分の足を少しだけ鈍らせてしまう。
念仏によって心を落ち着けるということが、 苦しむ人たちの側から離れてしまうことのように感じられたのかもしれません。
だからこそ彼は、自分の手や体を使って、 目の前の現実に関わり続けようとしたのかもしれないです。
彼にとっての誠実さは、受け入れることだけではなく、 変えていこうとすることの中にもあったように思えます。
自分を厳しく立しながら、何かを少しでも動かそうとすること。 そのための拠り所として、
彼は日蓮の教えに惹かれていくことになったのではないでしょうか。
賢治が新蘭から距離を取った背景には、 自分の中にある揺らぎや甘さのようなものを、
そのままにしておくことへのためらいもあったのかもしれません。 世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない。
この賢治の残した言葉にある、個人とは他の誰でもなく、 賢治自身に向けられたものであったような気がします。
周囲の人たちが厳しい状況に置かれている中に、身を任せじっとしているそのことが、 彼はどこかで受け入れきれなかったのではないでしょうか。
自分には厳しくあろうとするその姿は、 まるで自分自身を見つめ続ける眼差しのようにも感じられます。
けれど、その眼差しは他の誰かに向けられるとき、少し違った温度を帯びてきます。
教え子や農民、あるいは名もない草花に向けられたとき、 そこにはあのどこか柔らかなものが宿っているように見えるんです。
ラス知人教会で、農民と共に土に触れ、 肥料の工夫を重ね、子供たちに物語を語る。
そこにあったのは、何かに挑んだ眼差しというよりも、 側に座るような距離感だったのかもしれません。
自分自身には厳しくありながら、 他の誰かに対してはどこまでも静かに寄り添っていく。
その在り方は、どこかで新蘭の姿とも重なって見えてきます。 賢治は教えとして新蘭を選んだわけではなかったのかもしれません。
けれど、あの自分を見つめ続けるその歩みの中で、 結果として誰かの側に寄り添う在り方へと辿り着いていたようにも見えます。
賢治は新蘭の道とすれ違うように見えながらも、 思いは根っこの奥底で共鳴していたような気がします。
二人の歩みを重ねてみると、そんな風に思えてきます。
二人の歩みと静かな共鳴
今夜は新蘭について話しました。 それではまた次回。
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