00:00
こんばんは、ひとりごとの時間です。 今夜は、あじさいについて話そうと思います。
先日、公園のベンチに腰掛けていますと、 あじさいの枝に新しい葉が覗いているのが目に入りまして、
ああもう春なんだなぁなんて思いながら、 しばらくあのそのみずみずしい芽吹きを眺めていたんですけど、
あじさいといえば、かたつむりと並んで思い浮かぶことが多い気がするんですよね。
けど、あじさいの葉っぱには毒があるとも言われてますよね。 そう聞くと、かたつむりは大丈夫なんだろうかと、少し心配に思えてきます。
ただ、実際のところ、かたつむりにとって、あじさいの葉っぱというのは、 食べるためのものではないようでして、
葉っぱの陰に実を寄せて雨をしのいだり、実を隠したりする場所として使っているみたいです。 絵や写真なんかでよく一緒に描かれたりするのは、
雨の中での風景として、僕たちの中で自然に結びついているからなんでしょうね。
ゆっくりと動いている印象のあるかたつむりなんですが、 その暮らしは思っているよりもずっとたくましいものなんですよ。
殻を保つためにコンクリートを少しずつ削って食べたり、 雨の気配に合わせて動き出したり、
乾きを避けて場所を変えたりしながら、せわしなく生きています。 3月4月のあじさいにはまだ花はありません。
それでも、葉っぱの陰では今年もそんな気配がもう始まっているのかもしれないです。
そういえば、以前、あじさいの咲く山道で年配のご夫婦と並んで歩くことがありまして、
その時、おじいさんがあじさいの花を指しながら、 この大きく色づいた部分は花びらではないんだよ。
本当の花は真ん中の小さなところなんだよと教えてくれたことがありました。 僕たちが花びらのように思って見ている部分は、
実は額が変わったものだと言われていて、 どちらかというと葉っぱに近い性質を持ちながら、
花を引き立てる役目をしているようです。 ばっと見の華やかさはここがになっているんですけど、
よく見てみると、大きな飾りの真ん中に小さな白い粒のようなものが集まっているんです。
これがおしべやめしべを持つ本来のあじさいの花なんだそうです。 普段はあまり目立たない控えめな存在です。
03:07
あじさいの花はとっても小さいために、 そのままでは虫たちに気づいてもらいにくく、
周りの部分を大きく見せて、色鮮やかに見せて、 遠くからでも見つけてもらえるようにしているとも言われています。
小さな花を奥にたたえながら、手前にそっと立つ看板娘のようです。 役目を終えた後、その看板娘は、
色が薄くなったり、少しうつむくように形を変えたりします。 もう十分に役目を果たしましたよと静かに伝えているようにも思えます。
そうした変化も自然な流れの一つなんですが、 こうして見ていくと、あじさいはただ綺麗に咲いているだけではなく、
目立たないところで工夫を重ねているんだなと思います。 山道で出会ったあのご夫婦も、そんな姿を静かに味わっていたのかもしれません。
雨の日に眺めるあじさいは、いつも通り柔らかな色をたたえています。 その奥にある仕組みを思い出すと、同じ景色が少しだけ違って見えてくるような、そんな気がします。
それではここで一曲、雨模様。
雨模様
雨模様
雨模様
06:16
雨模様
雨模様
雨模様
雨模様
さて、古くは万葉集の歌を見てみると、あじさいを読んだものはほんのわずかしか見つからないんですよね。
当時の人々の心を惹きつけていたのは、桜や梅のような華やかな花で、雨の季節には花勝負が親しまれていました。
当時のあじさいは、今のように丸く膨らんだ姿ではなく、控えめというよりも、どこか素朴な額あじさいが中心だったと考えられているんです。
そのため、どこか静かで目立たない花として受け止められていたのかもしれません。
江戸の時代に入ると、あじさいは七変芸と呼ばれるようになったそうです。
咲きながら少しずつ色を変えていくその様子が、人の目に留まるようになっていったんだと思います。
ただ、その移ろいやすさは、武士の間ではあまり良く思われなかったようです。
心変わりを思わせるとして、裏切りのようなものに結びつけ受け取られ、忌み嫌われることもあったようなんです。
一方で、町の人々はというと、その変化を面白がり、暮らしの中で親しんできました。
09:08
今、私たちが見ているまんまるく咲くあじさいは、もともとは日本から海を渡ったものなんだそうです。
それが西洋で育てられるうちに、少しずつ姿を変えて、また日本に戻ってきたと言われているんです。
その背景にはシーボルトという一人の石がいたとされています。
シーボルトは日本を離れることになった折に、あじさいを海の向こうへと持ち帰りました。
そして、あの妻の名を呼ぶ時の柔らかな響きそのままに、オタクサという呼び名を花に与え、遠く離れた土地で静かに育てていたと言われています。
今は正式な学名ではないんですけど、その呼び名には遠く離れた人を思う気持ちが静かに残っている気がします。
こうしてあの姿を変えたあじさいは、やがて日本にも広まって、雨の季節になると自然と思い浮かぶ花となっていったようです。
差式で増やしやすいあじさいは、知らず知らずのうちに人から人へと受け継がれながら、あちこちに広がっていったようです。
雨に濡れると、一層色が深まるその姿が、どこかの静かな祈りのようでもあり、寺や神社の境内にも根付いていきます。
例えば鎌倉の明月院では、今見られるあじさいの風景も、もともとは杭の代わりに植えられたものから始まったんだと言われています。
千葉の本土寺でも、花を広げたいという思いから植えられたものがきっかけだったんだそうです。
こういう話を聞くと、あじさいの景色って誰かがきれいに作ったものというよりは、暮らしの中で自然にできてきたものなんだなって思うんですよね。
山の中に行くと、いくつもの山あじさいが森の空気に混ざり合うように咲いていたりして、色とりどりというより静かな気配がそこに重なっていくような、そんな感じがします。
僕の住んでいるところから、少し離れた隣町にもそうした場所があると聞いたんですよ。
境内の森の中に様々な種類のあじさいがてんてんと咲いていて、あじさいの森とも呼ばれているそうです。
雨の日は外に出るのをためらうこともあります。
それでも、濡れることで一番美しく見える花があると思うと、景色の見え方が少し変わってくるように思えます。
12:00
今年の梅雨時には少し足を伸ばしてみようかなとふと思いました。
あじさいは、季節が移りゆく間も静かに暮らしのそばで色を重ねてくれているように思えます。
今夜は、あじさいについて話しました。
それではまた、次回。