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ゴミ捨てとお地蔵さんのこと
2026-04-25 08:41

ゴミ捨てとお地蔵さんのこと

山の中へ流しそうめんを食べに行った帰り道、立て札とお地蔵さんが並ぶ場所に出会う。よくある風景のようで、どこか少しだけ違って見える。どうにかしようとした気配と、言葉にならなかったものが、そのまま残っている。うまくいくことと、すこし引っかかること。そのあいだにあるものを、静かにたどっていく。

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00:01
こんばんは、ひとりごとの時間です。今夜は、ゴミ捨てとお地蔵さんについて話そうと思います。
何年か前に、流しそうめんを食べに行こうと思って、山道を歩いていた時のことなんですけど、
夏の真っ盛りで、日差しは強かったんですが、山に入ると、少しだけ涼しかった記憶があります。
道の脇には水の音がしていて、ところどころに濡れた土の匂いなんかも残っていました。
その途中で、ゴミ捨て禁止のたてふだとお地蔵さんとが並んでいるのを見かけたんですよ。
どちらも同じ方向を向いていて、なんとなく見張っているようだなぁなんて思ってました。
それで、近くで掃き掃除をしていたおばあさんがいたので、「こんにちは。」と声をかけると、
おばあさんは、「こんにちは。」と返してくれた後、「ここは前からゴミを捨てていく人が多くてね。」と教えてくれました。
たてふだだけでは足りなかったから、後から行政の手でお地蔵さんが置かれたのだと言います。
少し間を置いて、おばあさんは、「やり方が違うと思うのよね。」とぽつりと言いました。
それ以上、何も言わなかったんですけど、その時はそういうものかなと思って、そのまま
そうめん流しの方へと向かったんですけど、後になって、並び方のことが気になってきたんですよね。
確かに、あそこにお地蔵さんがあることで、ゴミを置く手が止まる人もいるんだと思います。
手を合わせるようなものの前では、なんとなく気が引ける、そういう気持ちは誰にでも少しはあると思います。
だから、やり方としてはうまくいってるのかもしれません。
けれど、そのうまくいき方が少しだけ気にかかります。
かといって、他にどうすればいいのかと考えると、簡単には思いつかないんですよね。
何度片付けても、ゴミが捨てられる場所に立っている人たちからすれば、綺麗事では済まないのだとも思います。
看板だけでは足りない、言葉だけでは届かない、そういう積み重ねがあっての、あの並び方なんだと思います。
そう考えると、ただそれを否定することも何か違うような気がしてきます。
それではここで一曲、渚。
03:47
そんなことを思いながら、流しそうめんを楽しんでいたんですが、それでもやっぱりちょっと引っかかりが残るんですよね。
06:27
一つはお地蔵さんのことだと思うんです。
そこにある意味が少しだけ変わってしまっているように見えます。
祈るためにあったはずのものが、止めるためのものになっている。
そうなると、お地蔵さんもゴミを捨てさせないための道具の一つとして置かれているように見えてしまうんですよ。
もう一つは、やめる側のことです。
ゴミを置く手が止まるとき、その理由が怒られるからだとか、なんとなく後ろめたいからだとか、
そういう自分よがりなところに寄ってしまっている気がするんですよね。
ただ、それで止まるのなら、それでもいいのかもしれないと思うところもあります。
けれど、本当は、ここにゴミが置かれたときに困る人のことや、
この場所のことを少し想像するところから、止める理由が生まれてほしい気もするんですよね。
その辺りが、少しだけ飛ばされているように見えるんです。
それでも、実際にはあの場所のゴミは減っているのかもしれません。
だから、うまくいっていると言ってしまえば、それまででもあります。
そのことも含めて、やっぱり引っかかりが残るんだと思います。
あのおばあさんが言っていた、「やり方が違うと思うのよ。」という言葉は、
その辺りのことだったのかもしれないと、後から思えてきました。
うまくいくかどうかだけでは、測れないものが確かにあります。
帰り道、山道を下りながら、もう一度あの場所を振り返ったとき、
お地蔵さんは変わらずそこにありました。
ただ、見え方だけが少し変わっていた気がします。
今夜はゴミ捨てとお地蔵さんについて話しました。
それではまた次回。
08:41

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