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こんばんは、ひとりごとの時間です。 今夜は、鶴木岳について話そうと思います。
山を登る人たちの間で、憧れの山としてよく名前が上がるのが、鶴木岳です。
北アルプスにそびえるこの山は、国内でも屈指の険しさで、 挑むにはそれなりの準備と覚悟がいるのだと聞きます。
特にあの登山家たちが気を配るのが、天気の読みなんだそうです。 日本海に近いこともあって、変化が激しく、ひとたび雨に降られると、
岩場は石鹸のように滑りやすくなるのだそうです。 また、絶壁に張り巡らされた長い鎖も、雷がなれば、逃げ場のない飛来神のようになってしまうんだと言われています。
こうしたことから、今の登山家たちは、いくつもの天気予報を見比べながら、風の強さや雲の動き、
それらを時間ごとに確かめ、さらにはあの念入りな装備を持ってして山に向かうんだそうです。
装備を整え、天候を読み、時には引き返す判断も必要となる。
その一つ一つが揃って初めて、この岩の伝導は人を受け入れてくれるのだと、そんなふうに思えます。
そんな剣だけに、さかのぼること明治の頃、 測量のために登った人たちがいたそうです。
今の登山家たちが万全の装備を整え、空の様子を念入りに確かめながら、ようやく向かうようなその山に、
彼らは帽子をかぶり厚手のコートに身を包み、足元はわらじという姿で、重たい測量器具を背に追いながら、あの岩壁へと向かっていったのだそうです。
さらにその先には、すげ傘に身のをまとった山案内の者がいて、道を探るように一歩ずつ岩を越えていったと言います。
今のようにあの詳しい天気予報もなければ、鎖も整えられていなかった時代です。
それでもあの、引き返さずに進んでいった。 その気持ちの強さと静かな勇気のようなものがあって、
初めてあの頂きは、人の記録に残ったのかもしれません。 そんな風にしてあの、全人未踏とも思えるようなことを成し遂げた彼らですが、
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その山頂に立った時、 信じがたいものを目にしたと言われています。
それではここで一曲、「彼方」
泳いで駆けた秋千 ぬかる海にはまった雨の日
ちょっとだけ戻った別れ道 どれも大事な日の光
一歩ずつ一歩ずつ 土を踏みしめて行く
たどり着いた誇らしい明日の魔法 一歩ずつ一歩ずつ土を
さあまた歩き出そう あなたまでさようなら
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ようやくたどり着いた誰もいないはずの頂きで見つけたものは、 古びた銅の杖の頭と、
古い鉄の剣でした。 それは千年以上も前の平安時代の頃に、すでにこの険しい頂きに、
足を運んでいた人がいたことを静かに伝えていたのだそうです。 この先人とは、主源者、
いわゆる山を修行の場としていた山節たちではないかと言われています。
明治の側僚体が、国家の維新をかけてようやくたどり着いたはずの道。 その足元には、はるか昔、
信仰という名の意思だけを杖に、この岩壁を越えていった人たちの気配が、すでに残っていました。
にわかには信じられないような話なのですが、 この話を耳にしたとき、一つの建築のことが頭をよぎりました。
山陰の深い山の中で、山節たちの修行の場でもあったとされる、鳥取県の三仏寺投入堂です。
垂直に切り立った断崖のくぼみに、すいつくようにして建てられたあのお堂。 道とも呼べない場所をどうやって進み、あれだけの資材をどうやって運び上げ、
あの場所で組み上げたのか、 今の技術で考えてみても、どうしてあんなところに、どうやって、
とつい立ち止まってしまうような不思議さがそこにはあります。 私たちはいつも自分たちなりのやり方で、できるところまで来ようとしてきました。
新しい装備を整え、空の様子を読みながら、少しずつ少しずつ自然との距離を測っていく。
そして時を遡ってみても、その営みは形を変えながら、各々の時代に見えてきます。
やり方は違っても、それぞれの時代にそれぞれの届き方があったのだと思います。
明治の側領隊が国家の威信をかけて、ようやくたどり着いた道。 その足元には遥か昔、信仰という名の石を頼りに、
この岩壁を越えていった山節たちの気配が静かに重なっていたのだと思います。 時を越えて同じ岩肌に触れた彼らの手には、
単なる任務を越えた、ある種の祈りに似た感覚があったのかもしれません。
今夜は剣竹について話しました。 それではまた次回。