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2026-03-01 13:27

宮沢賢治のこと

小さな頃に出会った一枚のプリントからはじまった、宮沢賢治という存在。

ことばの奥に流れる、静かな祈りのようなもの。


ほんとうの幸いとは何か。

その問いを胸に抱え続けたひとりの作家の影を、そっとたどります。


今夜は、心の奥にやわらかな灯りがともるような時間です。

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こんばんは、ひとりごとの時間です。 今夜は、宮沢賢治について話そうと思います。
好きな作家は誰ですか? そう聞かれた時に、僕にはずっと変わらず名前を挙げている一人の作家がいるんです。
作家であり、詩人の宮沢賢治です。 僕が、宮沢賢治の作品に初めて出会ったのは、小学2年生の時でした。
それは、書き写し用に配られた1枚のプリントでして、原稿用紙とセットになっていて、山梨の一節が印刷されていたんです。
当時は、内容がどうこうというよりも、それを読んでいるとその世界に吸い込まれるような、
ぷかぷかと漂っているような、ただただ不思議な感覚を味わえる気がしていました。
今になって思えば、本を読んで何かを知るのではなく、世界観そのものに引き込まれた、初めての体験だったんじゃないかなと思います。
言葉のリズムと響きがとにかく好きで、気がつけば暗唱できるほどになっていたんです。
その山梨の書き写しなんですけど、実は今でも実家の引き出しにひっそりとしまってあります。
実はこの頃は、それが山梨という作品だということも、宮沢賢治という詩人の作品だということも知らなかったんですよね。
ずいぶん後になってから、その事実は知ることとなりました。
彼の多くの作品の端々には、本当の幸いとは何かという問いが散りばめられています。
例えば、どんぐりと山猫では、どちらが上か下かといったような、ちっぽけな序列のこだわりを脱ぎ捨ててしまう。
そんな無意味な競争から降りた先にある、心の平穏が描かれていたり、
よだかの星のように理不尽に居場所を奪われそうになる一匹の鳥が、
ふと自分もまた虫を殺して生きている事実に絶望し、最後は自らを燃やして誰かを照らす光になろうとする。
そんな悲しみの果てに見つけた一つの、本当の幸いの形が描かれることもあります。
そして、銀河鉄道の夜では、誰かのために自分にできる精一杯を捧げること、
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それが心を一番温かく照らしてくれるのだと、どこまでもみんなの本当の幸いを探し続ける決意をします。
さらには、グスコウブドリの電気のように、誰かの日常を守るために自分の命さえそっと差し出す。
そんな見返りを求めない一途な真心の中に、本当の幸いを見出すこともあります。
他にも様々な作品の端々に、この本当の幸い探しの祈りが静かに息づいているんですけど、
こうした物語の中に込められた祈りは、彼が30歳の時に記した、
あの有名な言葉とも深く響き合っています。 それが、自ら開いた私塾での先生文に記した、
世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はありえない、という決意です。
さて、あの、ケンジが病床で手帳に書いたとされる、
雨にも負けずという一つの詩。 これは、誰かに見せるための詩として書かれたものではなく、
彼が自分自身に言い聞かせるように記した、祈りのようなものでした。
雨にも負けず。 風にも負けず。
雪にも、夏の暑さにも負けぬ。 丈夫な体を持ち、
欲はなく、決して怒らず、いつも静かに笑っている。
一日に玄米4合と、味噌と、少しの野菜を食べ、
腹ゆることを、自分を感情に入れずに、
よく見聞きし、わかり、そして忘れず。
野原の松の林の陰の、小さなかやぶきの小屋にいて、
東に病気の子供あれば、行って看病してやり、
西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を追い、
南に死にそうな人あれば、行って怖がらなくてもいいといい。
北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろといい。
日出りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
みんなにデクノボウと呼ばれ、褒められもせず、
苦にもされず、そういうものに私はなりたい。
この詩の最後にある一文、
日出りの時は涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、
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から始まるこの部分なんですけど、
彼がたどってきた幸せ探しの奇跡であり、
物語とは別の現実の世界という場所で、
彼なりに出した一つの答え、
あるいは折り合いだったのではないかと思えるんですよね。
なぜあの、そう思ったのか。
その話の前にちょっと一曲、
雨宿り。
雨の向こう夕焼けが
キラキラ笑ってる
狐の嫁入りだねと
誰かに言いたくなった
ポツリ
心を預けたら
切ない気持ちも
少しだけ軽くなる
水溜りに映る
オレンジの世界
雨が上がればまた
歩き出せる気がする
ポツリポツリ
切ない気持ちも
少しだけ軽くなる
明日は晴れるかな
静かに
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さて、ケンジの人生を覗いてみると、
幼い頃からの実家の七夜という家業に対する強い葛藤がありました。
彼にとって家が裕福であることは誇りではなく、
むしろあの心にある和高まりだったのです。
苦しむ農民を背に家が潤うという仕組みそのものに、ケンジは絶えがたい嫌悪感を抱いていました。
長男である彼は当然店を継ぐことが期待されていたんですけど、
そこにはあの、家業を継ぎたくないという切実な願いがあったんです。
その後、農学校へと進学して非常に優秀な成績で卒業し、
将来を職業される研究生として過ごします。
しかしあの、やはり農民たちが苦しむ中で自分だけがという思いが抜け切らず、
自らの信じる道として、
おけきょうと童話執筆の道を選び、東京へと飛び出します。
東京で過ごす中、一番の理解者であった妹としの病状悪化により、
故郷へと帰り、その後はあの農学校の先生として過ごすんですけど、
やがてあの、その安定した職も捨て、
ラス知人協会という私塾を開きます。
農民たちとともに苦を乗り越え、歩んでいく道を選んだのです。
詩の中にあった寒さの夏というのは、東北に吹く扁桃風山瀬による例外のことです。
今の感覚では、夏が涼しいのは過ごしやすいとも感じられるかもしれませんけど、
当時の農村にとってはまさに死活問題だったんです。
この詩が書かれた年は、それはそれはものすごくひどい状況でして、
村ではあの、結色児童や娘売りなんて言葉が出るほどに人々が追い詰められていました。
農民たちとともに歩むことを選んだものの、
自分が培ってきた知識やアドバイスも、自然という大きな力の前には無力で、
賢治はただ、オロオロと歩くより他ありませんでした。
彼があの、詩の中に綴ったオロオロ歩きという姿、
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それは決して他人事として同情しているわけではなく、
苦しむ農民と同じ場所で、同じ痛みを感じながら右往左往するという、
彼のあの自己犠牲的な献身の姿勢なのだと思います。
たとえ自分の培ってきた知識やアドバイスが役に立つこともなく、
誰からも褒められることがなかったとしても、
自分もその苦しみの中に入って、一緒に歩んでみんなの幸せを願っている。
これこそが彼の心の拠り所だったんだと、勝手ながらもそう思えるんですよね。
やはりあの、彼の幸せの根っこには、あの思いがあったんだと思います。
世界が全体幸福にならないうちは、個人の幸福はあり得ない。
今夜は宮沢賢治について話しました。
それではまた次回。
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