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今日も1日ありがとうございました。この放送はWeb3にハマった建築設計者が、仮想通貨やトークン、メタバースなどのWeb3の話と、時々建築の話をする放送です。よろしくお願いします。
シンポジウムの開催
今日は、能登半島地震から1年間を振り返るというシンポジウムに参加した感想を述べたいと思います。よろしくお願いします。
能登半島地震というのは、去年2024年の1月1日に起きた地震でして、そこから大体1年2ヶ月ぐらい経つわけなんですけども、それを振り返るようなシンポジウムが日本建築学会主催でありました。
なので、建築学会の主催のシンポジウムになります。それではいろいろ大学の先生とか、あとはNPOの人とか、設計事務所の設計者さんとかが登壇して、
各々の知見というか、これまで1年間やってきたことを被害調査とか、あとは復興のためにこういうことをしましたとか、そういったことをお話しする会が行われました。
それを私も聴講、興味があったので聴講したので、ちょっとその感想についてお話ししたいと思います。今日はゴリゴリ建築の話です。
ちょっと本題に入る前に一つ大事なことをお話ししたいんですけども、今日は3月12日です。
昨日が3月11日なので何の日かというと、東日本大震災があった日です。2011年の3月11日、ちょうど14年前に東日本大震災がありました。
ちょっとそのお話を前段に話して、ちょっと後半は本題というような感じでいきたいと思います。
地震があったときは、当時私は学生で大学院にいたときですね。
その時間、午後の2時ぐらいだったと思うんですけど、自宅にいました、東京の自宅にいました。
当時というか東京23区ぐらい、私がいたときは5強かな、震度5強で結構強い揺れを感じました。
本当に家の中に一人でいたので、学生で一人でいたので、すごい大きい揺れで家具とかがギシギシになって本棚とかがガタンガタンいって、
何か花瓶か何かの水がもうチャプチャプいって溢れてこぼれまくってるし、本棚も普通だと倒れちゃうんですけど、
何落ち迷ったか、私はこの本棚を手で抑えて倒れないようにしていましたね。
自分の身が危ないとは思わずに本棚を倒れないように手で支えて、結構やっぱり1分間ぐらい揺れが続いたので本当に怖くて、
お願いだから揺れを止んでくれみたいな感じで思って本棚を支えて、だから1分耐えしのんだみたいな記憶がありますね。
そんなのが私の3.11の記憶なんですけども、その当時のどんな被害だったか、東北地方がどんな被害だったかっていうのは皆さんだいたいご存知の通りかなと思います。
津波で家が流されたりとか、あとは地震による被害もありましたし、東京とかでも地震で天井が落下して、
天井が落下したものにあたって人が亡くなるみたいなことも起きました。
そのぐらいの大きな地震、広範囲にわたる大きな地震がありました。
そこで私の建築に携わる者として、設計者としての人生の転機というか転機まではいかないんですけど、
ひとつやっぱり教訓に残ったことがあって、それがその起きた後にですね、結構いろんな書籍とか、あとは建築学会の雑誌とか、
設計者の倫理みたいな、そんな文章がいろいろな形で出されました。
要は法律を守ってるだけじゃダメで、より安全かつ合理的かつ人々のためになるようなものを追求していかなきゃならないと、設計者というような旨の文章が書かれていました。
いろんなところから出てました。私は耐震とか地震に強いとか、そういった分野の設計をしているので、
要は地震に強くするためにはこういう心構えが必要でとか、それは法律に則っている数式を満足するだけじゃなくて、こういった配慮も必要だねとか、
こういう心を持ちで設計すべきだとか、あとは今回は地震だけじゃなくて津波っていうものに対しても建物が壊れるっていう現象が起きたので、
そういった地震だけではないあらゆる自然災害に対しても、そういった安全の観点から目を光らせなければいけないとか、
そういったことの文章が震災直後からいろんなところで見られるようになりました。結構私はそういうのを読んでて、
あとその年末ぐらいから就職活動が始まるっていうので、やっぱりそういうのを読むっていうのと会社を選ぶという時期が同時に来たっていうのが、
やっぱり設計者として自分がどう生きていくべきか、今後一生涯かけてどうやって立ちふるまっていくべきなのかっていうのを考えさせるような
1年間になったのかなと思ってます。2021年とか22年とからへん就活の時期はそんな思いがありますので、
私の設計者としての人生の転機とまではいかないですけども、1つのポイントになっているようなものがその3.11の日になります。
もう1個付け加えておきたいのが、やっぱり私の建築の道を歩み始めた原点っていうのは、
単的に言うと自身から建物を守っている、自身に対して安全な建物を建てる技術っていうのが、物理とか数学の自然の原理に基づいた理論から発展して、
そういった建物を自身から守るような技術へと発展している、そこの魅力っていうのが強かったので、やっぱり建物を自身から守るっていうのが私の原点なんですよね。
そういった設計をする、そういった活動をする、それが私の原点でもあるので、それが高校生の時だから、どうぐらいですか、2005年ぐらい。
3.11からすると5年ぐらい前、さらに5年ぐらい前の話なんですけども、5年ぶりにそういった意識を思い出させてくれる機会となったのも、その3.11になります。
という感じで、ここからは本題に戻るんですけども、会社に入ってからもやっぱり地震による被害とか、地震によってなぜ建物が倒れるのかっていうのをずっと考える日々を送っていました。
復興の課題
そんな中で先日聴講した、野党半島地震の1年間を振り返るというシンポジウムなんですけども、ここでは1年間を振り返るっていう題なので、
要はなぜあんな被害があったのかみたいな原因分析とかそういった着眼点ではなくて、1年間で避難生活とか復興がどのように起こってきたかっていうのを振り返る、そんな着眼点だったんですよね。
その話を聞いて、私が思ったメイントピックが被災地に戻ることの難しさっていうのをひしひしと感じました。
要は被災地で地震を受けて被害を受けて、当然建物が倒れたりとかしたら、自分の家が倒れたりとかしたらそこに住めなくなるわけですよね。
そうすると引っ越したりして、自分の住んでた地域以外のところに一時的に避難すると。
そういった動きは普通にあるかなと思うんですけども、そこから住んでる地域が戻ったら自分たちも移り住んだところからまたUターンしてそっちに地元に戻っていくのか。
そこの難しさが結構あるなっていうふうに、今日見て思いました。
先に言って断っておくと、まだ1年なので戻ってないですみたいな、そんなデータは取っておられてないんですけども、
今の状況を見る限り戻るのがすごい難しい状況にあるんじゃないかなっていうのを個人的に感じました。
これは本当に個人的な意見です。
大きくそれの説明というか事例が2つありまして、全ては当然有料の建築学会を主催する有料のセミナーなので全ての内容は言えないんですけども、
2点、戻るのが難しいっていうのに対する2つの事例、説明をちょっとお話しして放送としたいと思います。
まず1つ目がこのノートハント自身の特徴として、避難所ってあるじゃないですか、避難所。
本当に一番の原始的な避難所といったら体育館の避難所、体育館とかそういったところ、広い屋内ですね。
広い屋内の避難所が挙げられると思いますし、あとは仮設住宅とかも避難所の一種ですよね。
避難所というワードが適切かどうかわからないですけど、そういうのがあると思います。
避難所が地域、被災地ですね、被災地ど真ん中の避難所っていうのが少なくて、
被災地から少し市町村レベルで外に出た避難所っていうのに入る方が非常に多かったっていうのがデータとしてありました。
要は、本当の野戸半島の和島市でしたっけ、和島市とか鈴市っていった市が本当に震源地ど真ん中なんですけども、一番被害が多かったところなんですけども、
そういったところでは避難所っていうのは本当に初期の初期の避難所は当然できるんですけども、
そこから少し落ち着いた生活を営むような避難所、仮設住宅とかになると、和島市とか鈴市を出て、そこから外に出て、隣の市とか金沢市とかね、
そういったところに移り住む人が多いっていうデータが得られました。
この原因っていうのは明らかで、和島市とか鈴市の被災地ど真ん中のところにそういった避難所を作るだけの物資が届けられなかったっていう、届けにくかったっていうのが
一つ要因として挙げられるかなと思います。
当然そこに避難所を作るって言ったら、その作るための資材、例えば仮設住宅だったらプレハブの材料とかありますよね。
そういったものを当然運ばなきゃいけないですし、そこに避難所を作ったらそこで人が生活するわけなので、
そこに例えば食べ物とか食料、食べ物とか衣類とかそういったものを外から送らなきゃいけないですよね。
そういったことができる状態になかったと、その被災地ど真ん中はっていうのが今回の審査の特徴だったと思っています。
なので、例えば代表的なところで言うと、ちょっと隣で非常に大きい県庁所在地でもある金沢市の仮設住宅とか避難所っていうのが非常に多く建てられて、
そこに入居する人が多かったっていうのがあります。
こうなったら、今1年ですけど、1年経ってそこにまだ住んでたとしても、この2、3年経って自分が住んでいた被災地が復興して
めちゃめちゃ住めるような状態になったとして、そこに戻るかっていうとちょっと戻りづらさが出てくるなっていうふうに私は思いました。
なので、もともと住んでる地域で避難生活をして、そこで仮設住宅があって、そこで住んで、
じゃあ自分の家ができる目処が立ったから自分の家に戻ろうみたいな、そういった動きっていうのはやりやすいと思うんですけども、
一旦自分が住んでいる市町村ですね、そこから外に出てしまったときに、じゃあ人はそっちに戻れるのかっていうと、
ちょっと難しい面もあるのかなというふうに思っています。
ちょっとこれがトピックというか事例の一つ目です。
デカ山の復活プロジェクト
もう一つは、こっちはさっきは割とネガティブな話題だったんですけども、
こっちはちょっと割とニッチな話なんですけども、非常にポジティブな話題になります。
具体的な市町村名は忘れちゃったんですけども、ある被災した町だったかな、何とか町って言ってたから町ですね、町単位で、
古くから伝わるデカ山っていう出しがあるそうです。
出しってあれですね、昆布出しとかの出しではなくて、引くやつです。
お祭りとかででっかい、何て言うんですかね、車ですね、車、山車って書いて出しですね、山車、そうですね、山車、出しですね、出しがある。
そのデカ山っていうのは日本最大級に数えられるぐらいの大きい出しらしいです。
それを引くっていうお祭りがあるんですけども、それが当然震災の影響でできなくなってしまったと。
当然道路とかも出しが通るための道路とかも整備されて、まだ整備されてないですし、できなくなってしまったと。
でもある建築設計事務所を地元でやられている方を、その人が主催かどうかわからないですけども、その人も含めてある組織が建てられて、
デカ山は無理だけど、ちびデカ山を作ろうといったプロジェクトが立ち上がりました。
これは当然そんなにデカいものは無理なので、それを何分の1かのスケールにしたもの、小さい出しを作ってそれを引くと。
当然それを引くのは町の人たちですよね、子どもたちとかが引くと。
それで去年かな、去年確かそれが実際に行われて、デカ山は無理だけどちびデカ山をやろうといってやったというのがあるそうです。
それは当然地元の人たちも盛り上がってやったことですし、その話の続きとしては、今年はホンちゃんのデカ山ですね。
ホンちゃんのデカ山をやるそうです、やることが決まったそうです。
そこで1個特徴的だったのが、やることが決まったらそのデカ山が通る道は本当に優先して復興というか、
例えばアスファルト敷いたりとか復旧しようという動きがあるそうですね。
なのでこれをもうちょっと抽象的に捉えると、地元に根付いた文化みたいなのがあって、今回で言わればデカ山ですけども、
その文化を守るために復興しようと、街を作ろうと、街を復興させようという動きが見られたという、これはちょっとスモールな動き、
とある小さい地域の小さい動きかもしれないですけども、そういった動きが見られるというのは非常に私の中では印象的でした。
貴族意識の重要性
要は先ほどの一つ目の例でも申し上げたようににも通じるんですけども、一度住むところを離れてしまったと、地元から離れてしまったと、
じゃあ2、3年後、そこに戻るんですかって言ったときに戻る動機として、例えばデカ山の話だったら、
デカ山見たいから戻ろうっていうモチベーションっていうのは結構生まれるなというふうに思っています。
要はその地元に根付いた文化とかにそういった愛着があったり、その文化的なものだけではなくても、地元の自然とか、
地元の食べ物とか、あとはご近所さんとか、そういったような感じで地元への愛着とか、
そのシンポジウムでは何て言ったっけな、貴族精神か貴族精神、貴族意識っていうのが常日頃あれば、
一つ目の説明でもお話しした、一時的に離れてしまうといった状況に陥っても、貴族意識があれば戻って来やすくなると思うんですよね。
それの二つ目の話で説明したように、それの一例がデカ山という祭り的な文化であったわけです。
それによって戻るという意識も生まれますし、デカ山の道を優先的に報酬しようみたいな、
そういった動きみたいな感じで文化を守るために復興を急ごう、復興を頑張ろうっていうモチベーションにもつながると。
そういったことは非常に復興という観点で、復興のさらに一つの要素として、
人が戻るのか戻らないのか、戻ってこれるのか被災地にっていう問題、課題というのにも向き合うための一つの着眼点になるような気がしていました。
そんなことを感じたシンポジウムでした。
そのカメラのカメラで見ると、このカメラ自体が本当に昔のメタリックなものですし、
リリースされたものと変わっていったんですけど、你有名だったものっていうのもあるんです。
先ほど前にも話したように、シンポジウムを取り上げると、
シンポジウムっていうのは、いろんなインテリア的な場所であるという感じがします。
復興するためには 先ほど言ったように その町とかその建物とかへの貴族意識が非常に重要で
その文化への愛着とか それを総称して貴族意識って呼んでますけど
そういったものを持たれる建物とか町に どうすれば どう設計すればなるのかっていうのを考えながら
設計するのがめちゃめちゃ重要なんだなというふうに思いました
ということで 今日はそんな話で締めたいと思います
今日は前半は3.11東日本大震災に関する 私の思い出というかをお話しして
後半は先日聴講した 野党半島地震に関するシンポジウム
建築学会のシンポジウムの感想を お話しさせていただきました
ということで 今日はおしまいにしたいと思います またね バイバーイ