1. 30代男性B型ラジオ
  2. ケンタッキーのビスケットはパ..
2026-03-01 12:01

ケンタッキーのビスケットはパン#76

30代男性B型はケンタッキーへの心持ちを考える

サマリー

本エピソードでは、日本人がケンタッキーフライドチキン(KFC)のビスケットやクリスピーチキンなどを「持て余している」という視点から、現代社会における「オーバースペック」な物事の魅力と贅沢さについて考察する。一見無駄に見えるものの中に、新たな楽しみやロマンを見出す視点を提案している。

ケンタッキーと「持て余し」の感覚
日本人はケンタッキーを使いあぐねている。 本の一節にそんなことが書かれていました。
確かに僕らって、ケンタッキーを利用した際に、なんかちょっとした戸惑いみたいなものを覚えませんか。
その正体って、多分、主食が存在していないことから来ていると思うんです。
ご飯とかパンとかもしくは麺類、食事ってまあだいたい主食があって初めて成立するわけじゃないですか。
しかし、ケンタッキーにはそれがなくて、バーレルいっぱいに入ったフライドチキンをまるでおやつのように食べる。
これって満足感のある体験ですけども、本当に食事っていう分類なのかと、ちょっと考えたいんですね。
今日はこのケンタッキーの扱いから見過ごされてきたモテ余しについて話していきたいと思います。
ケンタッキーって僕たち日本人はモテ余しているんですよ。 フライドチキンはもちろんですが、メニューすべて見てみても僕たちはモテ余しています。
例えばね、クリスピー。
何ですか?クリスピー。クリスピー、どう考えてもオリジナルチキンの方が美味しくないですか。
衣がねサクサクしていて食べやすい感じが美味しいのはわかるんですが、
これ、クリスピーが一番好きだって豪語する人間に僕出会ったことなくて、
でも僕たちってオリジナルチキンだとちょっと味気ない感じがするから、なんとなくクリスピーと骨なしチキンをね、2本ずつ追加してしまうんですよ。
これモテ余していますよね。扱い切れていないんですね。
今言ってたケンタッキーに主食がないっていう話を聞いて、ハンバーガーがあるじゃないかと、そう思った方もいると思います。
しかし、あれも主食を食べているっていう感覚があんまり湧いてこないんですよね、僕はね。
パンがチキンに対する拒んざめみたいになっているだけで、あれを主食と呼ぶのはどうなのか。
もうほんとパンがトッピングされたチキンでしかないんじゃないか、そう思っちゃうんですよ。
他にもね、この主食の話になった時は、これビスケットの話題に大体なるんですよ。
ね、ビスケット、なんですかあれは。皆さん、まずビスケットじゃないですよね、あれ。パン、パンじゃないですか。
絶対にビスケットじゃないんですよ。みんな騙されてますけど。
あのパン、確かにね、美味しいんですけども、チキンを食べた後のデザートとして食べるには重すぎるし。
どうなんですか、そのケンタッキーフライドチキンは何を持ってあのビスケットを配置しているのか。
全てが中ハグで何かを持て余している感じがする。KFCのCは持て余しのCなんですよ。
持て余しは人生の贅沢
まあ持て余し。僕たちの人生って足りていないようで、実は何か持て余しているんじゃないかなって思うんです。
飛び出た何かに合わせてコーンフロスティーの栄養チャートのように綺麗な五角形を作ろう作ろうとしてしまったが故に足りないなーって感じてしまうのではないかと。
例えばね、さっきのケンタッキーに関連したところで言うと、ホームパーティーって持て余しますよね。
特にね、最初の一家族目が来た時、食事を始めることもできず、二家族目の駐車場所が気がかりで、何か会話もそろそろというか。
招待された側の家族もソファに座っていいものか、ケッチンを手伝うべきなのかと、うろうろうろうろ。
僕たちはね、パーティーを持て余してしまっています。
そしてそこへほどなくして開け放たれるチキンバーレル。
持て余しパーティーに持て余しケンタッキーをあげてどうするというのですか。
冷めたクリスピーは一体誰が食べるんですかと。
ねえ、食べ終わった後のね、コーヒーとかも、ケンタッキーを全部一度片付けてからの方がいいのか。
そもそもケンタッキーの食後にコーヒーって飲みたくなるものなのか。
もうこうなるとね、コーヒーという存在すら持て余しているのではないかと。
日本っていう国は、持て余し、持て余しの国なのではないでしょうか。
あと僕の経験で、特に持て余したなーって感じたものが、フードコートのベル。
皆さんも一度その手で握ったことがあると思いますけども、あれも持て余しますよね。
トイレに行くわけにもいかず、常にいつあれが震えるかっていうことにのみ、神経を集中させてしまう感じ。
まるでね、手にしているのは自分の心臓で、その最迫動を待つような、そんな緊張感があります。
もうここまで来てしまうと、この世のすべてが持て余しているように見えてきます。
ご飯に味噌汁に豆に鮭、日本の伝統的な朝ごはんですけども、これも持て余してはいませんか。
鮭の存在感が強すぎる気がするんですよ。
これを保管するために、物を増やして、ほうれん草のお浸しとか、ひじきと豆の和物とかを並べてみて、
でなると、今度はお浸しと和物と味噌汁っていう、なんか水分量が多くなってきて、食事としてビシャビシャしてくる。
このままでは、僕たちってすべての物をどんどんどんどん持て余してしまうのかもしれません。
この一大事どうにかしなければならないと。
持て余しを贅沢として捉える
そこで考えたいのが、持て余しって本当に悪いことなのだろうかっていうことですね。
考えてみれば、ケンタッキーには特別感あるじゃないですか。
これは僕たちがコントロールしきれない、持て余しているっていう部分に不思議な贅沢を覚えるからなのではないでしょうか。
ホームパーティーも一緒で、こう持て余してるって戸惑いを覚えると同時に楽しいものなんじゃないかと。
KFCのCは私服のCなのかもしれませんよね。
であれば、楽しいことを見つける際の補助線として徹底的に持て余すっていう、その方向で考えるのも新しいアイディアを生むためのやり方なんじゃないかなって思ったんです。
例えばね、いつもの旅行だとまんねりする、そんな状況の時、ここに持て余しをプラスするんです。
移動手段を船にしてみるとかね。船はね、持て余しますよ。まず電波がないし、出港してお風呂に入って小さなゲームセンターと売店を見たら10時間以上もやることはありません。
しかしだからこそ贅沢である、思い出になるとも言えるんです。僕たちの体っていうのは持て余しを求めているんです。
休日に楽しいことしたいなーって思っている方、ドローンをね、ぜひ買ってもらえればと思います。
持て余しこそ贅沢。外で飛ばすのはね、だいたい違法になるんで、自宅で飛ばすことにもなるかと思うんですが、それも音が迷惑にならない日中に限ると。
これは持て余しますよ。
でもね、棚に置かれているその持て余しているドローン、これも贅沢の象徴?見ているだけで心がワクワクしますよね。
持て余しはオーバースペック
ここまで持て余し持て余しと言ってきましたけども、なんかこう持て余すっていう言葉自体が漠然とした印象を受ける言葉じゃないですか。
だから結論で持て余しがどうのこうのって言っても、ちょっと決まらないなと思って。
だからこれ詰まるところ何なのか、バチッと決まる、はまる言葉を探したんですね。
そしたら…
どうですかね、聞こえてきましたか。
そう、オーバースペック。
今日はオーバースペック探検隊の皆さんにも来ていただきました。
オーバースペック探検隊の皆さんはどこからともなくやってきて、オーバースペックなものに対してオーバースペックと言いながら近づいて探検する人たちなんですね。
だから今、持て余しのものを話していましたけど、それはつまりオーバースペックのものの話だったんで、近くをオーバースペック探検隊が探検してきたわけです。
つまりはオーバースペックと、詰まるところオーバースペック。
オーバースペックには魅力ロマンがありますよね。
街中を走るSUV。
これはね、オーバースペックですよ。
凹むことのないであろうバンパー、走波性の高い車高と大きなタイヤで平坦な道を走る。
でもだからこそかっこいい。
オーバースペックって贅沢で素敵なんですよね。
その他で言えば焼きそばパン。
もうこれはね、コーンフロスティーもびっくりのオーバースペック。
炭水化物に炭水化物をのせるという異常な食べ物。
しかしだからこそ美味しい。魅力的。
皆さんもね、これはモテ余してるなぁとか、これはオーバースペックだなぁっていうものを無駄とか宝の持ち腐れみたいにせず、
これを素敵な贅沢のチャンスだとしてね、解釈してみるのも一つありなのかなと思うので、いかがでしょうか。
今日も変な話でした。ご静聴ありがとうございました。
12:01

コメント

スクロール