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#9 禁じられた装丁 皮膚でつくられた本の歴史と倫理
2026-05-03 35:01

#9 禁じられた装丁 皮膚でつくられた本の歴史と倫理

この番組は、書籍編集者が読んで良かったノンフィクション書籍について語るPodcastです。

隔週での更新を予定しています。


⭐今回紹介した本

禁じられた装丁 皮膚でつくられた本の歴史と倫理

http://www.harashobo.co.jp/book/b672477.html


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サマリー

このエピソードでは、書籍編集者が「禁じられた装丁 皮膚でつくられた本の歴史と倫理」という本を紹介します。この本は、人間の皮膚で装丁された本の歴史と倫理を探求するもので、著者のミーガン・ローゼンブルーム氏が世界中の博物館や図書館を巡り、科学的検査や文献調査を通じて、これらの本の真偽や背景を明らかにしていきます。番組では、皮膚装丁本の多くが18世紀のものであること、医師が関わることが多かったこと、そして偽物が多い実態が語られます。また、この調査の過程で、医学の歴史、遺体の扱い、医療倫理、さらには人種差別といった現代社会にも通じる深いテーマが浮き彫りになることが強調されます。特に、遺体の入手方法や解剖の歴史、そして現代の医療倫理がどのように形成されてきたかについての考察は興味深いです。 後半では、生成AIの普及に伴う「書く」「読む」という行為の変化について、リスナーからの便りを元に議論が展開されます。AIが人間以上に正確な文章を作成できる現状や、読書体験がAIによる要約に代替される可能性について触れられます。AI時代においても、人間が主体的に「読む」ことの身体性や、細部に感動を見出すことの重要性が語られ、テクノロジーとの付き合い方について自覚的であることの必要性が説かれます。最終的に、AIに任せるべき作業と、人間が自ら深く読み込むべき対象との線引きの重要性が示唆されます。

「禁じられた装丁」の紹介と調査の始まり
こんにちは、こんばんは。shikadaと申します。このチャンネルでは、男女通用書を作っている編集者が、 読んでよかったノンフィクションを紹介していきます。
ノンフィクションの隣で第9回です。 今回ご紹介する本は、ニーガン・ローゼンブルームさんの
禁じられた装丁、皮膚でつくられた本の歴史と倫理、です。 原書坊さんですね。翻訳は安倍政宏さんです。
この本はどういう本かというと、本当にタイトルの通り、 人間の皮膚で装丁、カバーだったり、そういうものを作られた本について色々調べた本ですね。
僕は出版社で本を作っていて、これまで本を使った時に、結構一般的な紙しか使ったことがなかったので、
こういうイレギュラーなもので本を作るってどういうことなのかとか、なんでそういうことが起こるんだとか、
そもそもそれってダメじゃないみたいな、ごくごくありきたりなツッコミもありつつ、 すごく気になって読み始めたという感じですね。
タイトルだけ言うと、結構グロい内容なのかなっていうのを想像される方も多いかと思うんですけど、
グロテスクな話とか残酷な話ってのはほとんどなくてですね、 本の中身のほとんどは、
この著者のミーガン・ローゼンブルームさん、この方は図書館の師匠さんなんですけど、 この方が、
人間の皮膚が使われた本、だいたいもう18世紀のものなので、 数百年前に作られたものがほとんどなんですけど、
あっちこっちの博物館に行ったり、図書館に行ったりして、 人間の皮膚が使われてるってされてる本を調べて、
その本が本当に人間の皮膚使われてるのかとか、科学的な検査に出したり、 あとはその本の来歴、どんな人が作って、どんな人が持っていてっていう歴史を調べて、
なぜどんな風にその本が作られたのかっていうのを調べて回る。 本当にあっちこっち行くんですけど、
その師匠さんが、今回はこっちに行きます、今回はあそこの博物館に行きます、 今回はこっちの図書館に行きますって言って、
あれこれ調べて、 調べ物の結果をわかったその本の歴史だったり、
医学であったり、遺体の扱いっていうものの歴史を紹介しているっていうのがメインの本ですね。
なので、グロテスクな話が苦手だっていう方でも問題なく読める本かなと思います。
本の内容的には、冒頭、この著者の方、図書館師匠って言ったんですけど、
当時、医学系の出版社に勤めながら図書館師匠の勉強をしてた、この著者の方が、
とある博物館で、 人間の皮膚が使われた本を見つけたっていうところから始まるんですね。
で、その人間の皮膚で作られた本を見て、非常に衝撃を受けると。
なんだこれはと。
で、やっぱり、師匠さん、その本に関して知識があるということもあって、
どういう経緯で、どういう素材で作られているんだろうというのを調べ始めるんですけれども、
ほとんど情報がない。
インターネット上とかにも、全く、
まあ、都市伝説みたいなものはあったけれども、きちんと調べた情報っていうのはほとんどない。
じゃあもう自分で調べようというところが、この本の始まりですね。
で、この本に出てくる、その人間の皮膚が使われている本っていうのは、
ほとんどが18世紀、数百年前に作られたっていうこともあって、
当然インターネットとかはない時代なので、
まずその本を直接博物館に見に行って、
どんなことが書かれているかとか、誰が持っていたのか、
持っていたその人はどんな仕事をしていて、どんな経緯でその本を作ったのかとか、
そういうのを一つ一つ調べていくと。
で、今こういう、これは本にないことで僕は思ったことなんですけど、
インターネット上にない、現場で現物を見ないとわからない、
一時的な情報の価値って今どんどん上がっているなと思って、
っていうのも、やっぱりAIが今何でもかんでも調べて、
それなりのある程度まとまったレポートをポンと出してくれるようになっているので、
インターネット上にあって簡単にアクセスできるっていうのはもちろん素晴らしいことなんですけど、
それを調べる能力っていうのはすごい下がっているので、
それに比べるとまさにこの本でやっているような現地にいて、
本当に海外に行ったり、結構壁地にあるような博物館に行ったりもしてるんですけど、
現物を見て、あとは博物館の学芸員さんと話して、
いろんな情報を得たりとか、その人にしか話せないことを聞いたりとか、
そういう情報を探ることって、少なくともまだAIには難しい、
フィジカルな体を持っていて、人間と信頼関係を築ける人間じゃないとできない仕事のうちの一つなんじゃないかなと思いましたね。
それにノンフィクションの面白さっていうのを担保しているのも、こういう現地現物、
ネットで検索してみて分かりましたっていうのに留まらないで、
その場に行って、そのものを見て調べて、
この方の場合は化学検査までやってるんですけれど、
人間の皮膚が使われていると言われているものの一部を許可をもらって、
検査に使わせてもらって、人間の皮膚がどうか判明するとか判定するとか、
そういうこともやってるんですけど、そういう地道な作業の繰り返し積み重ねて、
かなり分かってくる歴史があったりだとか、
この本だと、単なる本の歴史ということに加えて、後で話すんですけど、
医学の歴史であったり、倫理的な話にも深入りすることができていて、
そこができているのは、やっぱりベースになる、
この人の皮膚が作られている本っていうテーマを徹底的に現地で調べた、現物で調べたっていうところからできてるんじゃないかなと思うんですよね。
肝心の人間の皮膚が使われた本っていうのは、じゃあどんなものが一体あるんだっていう話に入っていくんですけれど、
皮膚装丁本の詳細と偽物の実態
まず、本のカバーっていう言い方をさっき私がしたので、
本を丸ごと皮膚で覆ってあるようなものをイメージさせてしまったかもしれないんですけれど、
結構多いのは、皮膚の小さな欠片、数センチ四方ぐらいのものをイメージしてもらえばいいんですけれど、
それを本に後付けしたようなパターンで、その多くは大体医師、お医者さんがやったというものが多いんだそうなんですね。
というのも、人間の皮膚をどうできるっていうのは、基本的に医師の専売特許であって、普通の人間にはできないわけですよね。
人間の皮膚を切り取ったり、それを薬品で保存したりとか、そういうことができるのは基本的に医師、お医者さんだけだったので、
大体そういう人がその本を作ることに関わっていたと。
かつ、この人間の皮膚が使われている本は偽物が非常に多いと。
偽物っていうのは、例えば本に、この本は誰それの〜人の皮膚を作って表紙を作ったっていうふうなメモ書きが入っていたりして、
本当かと、著者の人が科学的な検査をすると、実際、動物の皮でしたとか、うさぎの皮でしたとか、そういうパターンが非常に多いんですね。
これは2つの側面があって、偽物が作られる一つは、そういうふうに歌うと、
結構他の本にはない希少価値がその本に生まれる、一部の数が少ないレアな本を収集しているようなコレクターに高く買ってもらえるとか、
博物館に収めることができるとか、そういう希少性が生まれるので、嘘をついてでも、この本は人間の皮を使ってますというような定義にする場合があるというのが一つ。
もう一つは、その何かしら血なまぐさい時代であったり、残酷な話が生まれやすい土壌をもった歴史において、
そういうこの本は人間の皮膚で作られたというような言説が生まれることが多いということなんですね。
例えばですけど、フランス革命の時代に作られた本で、人間の皮膚で作られたと歌われているけれども、
実際に検査をしてみたら、全然人間の皮膚で使われてなかったという本がものすごく多いというか、
今検査したものの中では人間の皮膚を使ってもまだ見つかってないという例が出てくるんですけれど、
これの例が言えることは、
たくさん人間の血が流れた革命の途中で、処刑された人とか亡くなった人がたくさんいて、
その人間の皮膚をなめして本が作られたというストーリー、
実際は都市伝説みたいなものだったと思うんですけど、
こういうストーリー性、一見繋がっていそうなストーリーがあるものっていうのは、
すごく、
ああそういうこともあったかもしれないって受け入れやすいし、
浸透しやすそうだなって思ったんですよね。
何かしらの物語、ストーリー、
血生臭い出来事があって、そこでたくさんの人が亡くなって、
じゃあその遺体はどうなったのかとか、
そういうある程度の繋がりを持っていそうな物語性があるものだと、
人間信じやすくなるんだなっていうような共感がありますよね。
その意味で、そこをきちんと調べて、
人間の皮膚で作られてもらわなかったっていうのを調べたこの著者の方の仕事は、
ある種のジャーナリズムだなと思いますね。
医学の歴史と医療倫理の発展
この本を読んでいくと、
さっきお医者さんの話があったんですけれど、
医療の歴史がかなりわかるようになっていて、
歴史を全て解説するわけではないんですけれど、
人間の皮膚の扱いっていう一つの側面から、
医療の歴史を覗けるような内容になっています。
例えば、今だったら、お医者さんって必ず医師免許が必要で、
免許を持っていない人が、他の人に薬をあげたり、
手術をしたりっていうことを仕事としてやったら、
罰せられるっていうのがあると思うんですけど、
この本を読むと、昔その医師免許なんてものがちゃんとなかったり、
お医者さんが身分として確立していなかったりっていう時代があったこともわかるんですね。
その辺の経緯を読んでいくと、今ある医師免許っていうのは、
素人が何か難しい外科手術をやったりして、
人を傷つけたり、歩めたりしてしまったりとか、
間違った治療法をやって、変な薬を出して、
周りに影響を与えたりとか、
そういうことを未然に防ぐためにできた制度なんだなっていうことがわかりますよね。
少なくとも今の日本でお医者さんになる人って、
非常に典型的な例を言うと、
学校で一番勉強できるやつが浪人とかして、
めちゃくちゃ勉強して医学部に入って、
その医学部でも6年間めちゃくちゃ勉強して、
医師免許を取って、
出た後も研修員という形で研修を受け続けて、
医師免許を取るときにも、
そのテストが普通のテストではなくて、
これを間違ったやつは医者にしちゃいけないみたいな、
近畿医者みたいなものがあって、
そういう非常に厳しいテストをくぐり抜けて、
人間の体について詳しくなって、
人間の体を傷つけずに治療できるという状態になって、
ようやくお医者さんになれるわけですよね。
それでようやく医療行為の安全性が担保されるんだなと思って、
今それが当たり前だと思ってたんですけど、
そうじゃない時代があったんだなというのが、
この本を読んで初めて知ったことですね。
この本で人間の皮膚を切り取るエピソードが出てくるときに、
必ず絡んでくるのが人体の解剖の話ですね。
医療の発展する初期の時期って、
人間の体の内部のことがよくわかってない時代があって、
その時に亡くなった方の人間の体を切り開いて、
内臓の仕組みがどうなっているのかとか、
そういうのを調べたという話が出てくるんですけれども、
死体の入手方法っていうのが、
グレーなというか真っ黒なパターンが多くてですね、
医療が発展していた初期の頃、
お医者さんたちはどんどん解剖をして、
いろんな人の体の内側を見たいという需要がものすごくあったと。
そうすると、とにかく遺体をたくさん、数が欲しいということが発生して、
事故で亡くなった方の死体を不正なルートで、
本来遺族の手に渡って埋葬されるところを、
ちょっとお金を使って買い取っていたりとか、
時代によっては、新聞に広告を出して、
医学の実験用に奴隷を買いたいというCMを売っていたりして、
これはだいぶ時代を感じるんですけれど、
これもただ昔の話だよね、レッスンの話ではなくて、
解剖に関わらず、
梅毒の実験とか解剖とか、
医学研究の主体として、
黒人の方の遺体が使われていた時代があって、
この歴史があったので、
黒人の方の医療に対する信頼感というのがすごい低いみたいな統計も、
この本の中で出てきて、
本当にひどい症状にならないと、なかなかお医者さんにかかろうとしない傾向があるとか、
そういう話が出てくるんですよね。
この本は、人間の皮膚の扱いという切り口から入っていって、
医療の進化、解剖みたいな話題、
それから医療倫理の発達、
人間の遺体ってこう扱っちゃダメだよねとか、
そういう今考えると当たり前のような、
現代なら当たり前のような基準とか、
それがどうなりだったのかみたいな話、
そういう人種差別とか、
そういう医療の歴史っていうのを、
かなり色濃く映し出している本ですね。
で、読んでると、
人間の遺体をどう扱うかみたいなところの法律とかも、
結構つい最近になってようやく整ってきたんだなっていうのが、
わかりますね。
まあその遺体を粗末に扱ってはいけないっていう規範、
遺体の扱いと自己の身体の寄付
今結構前提にあると思うんですけれど、
昔はそうじゃなかったんだっていうのが、
この本の中で、
人間の遺体を好き勝手扱っているお医者さんのエピソードを読むと思いますね。
この辺読んでて思い出したのが、
もっと昔の話ですけど、
豊臣秀吉が朝鮮政法で、
現地で殺した人間の首を持ち帰るの大変だから、
耳を持ち帰ってこいとか、
鼻を持ち帰ってこいとか、
いって、日本国内に耳塚とか、
そういうのが作られてるっていうのがありますけど、
その手の倫理的な物差しって、
本当に時代によって変わるんだなっていう、
至極好き並みなことを思いましたね。
当時はもう人間の首を、
どれだけたくさん、たくさんというか、
まあその対象首だったり、
そういうものを持って帰ってくること、
首実験とかして、
そういうのが大事だとされてた時代もあったわけで、
当時が野蛮で今は洗練されてるとか、
一概に言うのは難しいんですけど、
この手の物差しって、
本当に数十年数百年で、
簡単に変わっちゃう、
あんまり不変的でもないことなのかなと思ったりもしましたね。
ちょっと横道に逸れましたね。
本の話に戻るんですけど、
結構その亡くなった遺体の話が、
本の中では結構取り上げられていて、
歴史的に見ても、
違法なルート、
例えば盗まれた遺体であったり、
そういうのではなくて、
ちゃんと本人が同意して、
寄付された遺体を利用する、
遺動に利用するのが一般的だったのは、
ごく最近だっていう話もあって、
これも初めて知りましたね。
この著者の方は、
その遺体がどう扱われるか、
その遺体の皮膚がどう扱われるかから、
より深く掘っていって、
遺体がどう扱われているかっていうのを、
すごくたくさん調べていって、
最終的には、
医学の発展のために、
自分自身が死んだ時に、
自分の体をどうするか、
例えば検体、
解剖とかに使ってくださいって検体を出すとか、
そういうことを調べ始めるんですね。
実際にその検体が、
医学部の学生とかに、
解剖される現場も見に行ったりして、
結果的に色々調べた結果、
検体の前に、
まず臓器提供をしようと。
臓器移植ができずに、
病気になくなる方もいるので、
検体で解剖してしまうと、
臓器提供っていうのはできなくなってしまうので、
まず臓器提供だと。
臓器提供が、
もし授業でできないような状況で、
自分が亡くなったら、
解剖の検体に回そうと。
それもダメなら、
普通に仮想にしてもらおうという結論に、
至っていたりするんですけど、
この辺を読んで結構検体への興味が、
強まりましたね。
この本の中では、
散々違法なルートで死体を取り扱って、
死体を手に入れて取り扱っていた、
死体者な話が出てくるんですけど、
それはともかくとして、
人間の死体解剖というものがあるから、
現代の医学部生とかも、
きちんと人間の体の作りを知って、
実際の人間の体はこうなんだっていうのを知って、
ちゃんとした治療ができるようになっていくわけですし、
そういう意義があるものなんだなっていうのは、
思いましたね。
しばらく経てば、
技術が発展して、
3Dプリンターとかで、
人間の体のようにかなり実物に近い体の見本が、
作れるようになってそうですけどね。
そうは言っても、
個人ごとの体の作りの違いとかありますし、
検体自体はなくならないんだろうなと思いますけどね。
昔読んだ手塚治虫のブラックジャックっていう漫画に、
内臓の左右が普通の人間と正反対、
心臓が普通の人は左にあるけど、その人は右にあるとか、
内臓逆位というんでしたっけね。
そういうのが出てきたりしましたけど、
個人ごとの体の作りとの違いはあるので、
その意味で検体の意義は失われないのかなと思ったりもしましたね。
だいぶ医療の歴史の話の方に振ってしまいましたけど、
多様な皮膚装丁本の事例と本書の推薦
この本はメインのテーマとしてはやはり、
人間の皮膚で作られた本を扱っていて、
結構いろんな事例が出てきますね。
極めてサイコパスな猟奇殺人犯、
死刑になった猟奇殺人犯を解剖して、晒して、
その裁判の記録にその殺人犯の皮膚を使ったとか、
犯罪者はこうなるんだよっていうメッセージですよね、これは。
あとは、自分の皮膚にすごく見事なタトゥーを貼っていて、
このタトゥーが貼られた自分の皮膚はもうアートだから、
この皮膚を残したいと、この皮膚を使ってくれと、
本のカバーにしてくれって頼んで死んだ人とか、
結構そういういろんなエピソードが出てきて、
その辺も極めて多様なエピソードがあって読み応えがあるので、
ぜひ読んでいただければなと思います。
医療の歴史の話が長くなりすぎた嫌いはありますが、
この辺でまとめていくと、
この本はシンプルに本作り、本のカバーとか、
どういう素材を使っているのかとか、
そういうのに興味が強い人にお勧めできるかなと思います。
あとはそれを通して、今回散々喋ってしまった部分ですけれど、
医療の歴史であったりとか、
そういうものを知りたいという人も読んだら面白いと思います。
あとはシンプルにタブーですね。
これをやっちゃダメだよねみたいなことをやってしまったエピソード、
そういうのが気になる人、
実際のところっていうのを本当に詳しく調べているので、
そういうタブー、都市伝説、都市伝説というのは語弊があるかな。
そういうのに興味がある方も楽しく読めるんじゃないかなと思います。
おすすめです。
生成AIと「書く」「読む」行為の変化
では本の紹介はこれぐらいにして、
前回お便りをいただいたので、そちらを読んでいきたいと思います。
ラジオネーム特命希望さんからありがとうございます。
石原さんこんばんは。毎回興味深く配置をしております。
シャープ8の書くことのメディアシーの回を聞きました。
長いお便りになりますがご了承ください。
私も生成AIが出始めた頃は、
AIを利用した創作に対して怪異的ではありましたが、
今ではもうある意味一般化しすぎて驚きのようなものはありませんし、
文章も人間のものと遜色なく、
というよりその辺の一般人よりきちんとした文章を書くという印象があります。
確かに。
書くという行為における進退性とでも言うんでしょうか。
書きながら性質指向を整理していくということはとてもよくわかります。
しかし現在ではその進退性はオミットされ、
極端な言い方ですが、
紙や画面に文字を並べることをイコール書くこと
という認識になっているような気がします。
それだけなら人間がやれより、
AIを使った方が格段に早く、適切な文章になるのは確かだと思います。
話が変わりますが、
作家の平野圭一郎氏がこのようなポストをしていました。
少し長いですが引用します。
どうしてみんな文学に関して、
作者がAIにとって変わられることばかり心配して、
読書がAIにとって変わられることを懸念しないのか。
現在呆然と進んでいるのは、
むしろ読むという行為をAIが代替して、
人間が自分で読まずに要約を受け取るような状況。
影響力の規模的にはこちらの方がおそらく深刻だろう。
本好きはもちろん、自分で読み続けるだろうが、
魔の山とか、一番読んでいるのは今や人間ではなくAIではないか。
読むことにも書くことと同じく身体性があり、
読んでいる最中にふと自分の思考に気が付くことも多々あります。
中には要約されるような本質と関係のない、
取るに足らない細かな場面に感動する人もいるでしょう。
新技術が広がるとそれ以前には戻れないように、
書く、読むといった人間による非合理的な行為は、
AIによってひたすらに簡略化、
非合化されてしまうのはもうどうにもならないとは思います。
その便利さにも頼りつつ、
全てを代替せずにここだけは譲れない、
みたいな線引きを個々人でやっていくのしかないのかなと思ったりします。
さらに発展するであろうAI技術に対し、
今後社会が人間が残された身体性、非合理性を良しとするのかどうか、
とても示唆に富む回でした。
ということで、ありがとうございます。
まとまった感想をいただけるのはすごく嬉しいですし、
途中の平野さんのポストもすごく今考えるべきテーマな気がしますね。
まずAIが人間より、その辺の一般人よりきちんとした文章を書く、
適切な文章を書くということですが、
これはその通りですね。
文法とかも正しくて、
ボジラス人もない文章を早く書いてくれますし、
普通の大学生はみんなレポートにAIを扱う。
それは自分より早く適切な文章を書いてくれるかなということだと思うんですけど、
そういうようになっていますね。
ちょっと話はそれるんですけど、
このAI的な文章って偏りがあるなと最近思っていて、
それっていうのは、今のAIって
ウェブ上にある膨大なテキストを学習しているんですけれど、
インターネット以前の作家の作品を読むと、
めちゃくちゃAIが使うような言葉がない、
バンバン出てきて面白いなって最近思うことがあったんですよね。
具体的なしわり太郎の
海道を行くっていう本なんですけど、
この本を読むと、
最近僕はお仕事でAIが吐き出した文章を読む機会がすごい多いんですが、
AIが全く使わないような語彙がバンバン出てきて、
すごいそのこと自体が刺激的だったんですよね。
多分時代的なものもあって、
大昔の著作権が切れた文豪とかだと、
インターネット上の青空文庫とかにテキストがあって、
それはAIが学習できてるんですけれど、
それよりもう少し最近、
著作権が切れてない、
4,5,70年経っていないような作家、
しわり太郎もそこに入るんですけど、
そういう人のボキャブラリーとか文体って、
まだあんまりAIが学習していなくて、
今読むとすごくその意味で新鮮な感じがするんですよね。
そこでしわり太郎を評価するのかっていう話はあるんですけど、
AIの吐き出した文章に晒されまくってる自分としては、
そういう感想をいただきました。
一方でそのAI側の企業はその辺を埋めようとして、
今、書籍をたくさん裁断して、
OCRしてAIに壊したりしてるらしいんですけど、
それで訴訟が起こったりしてるらしいんですけど、
それはそれとして、
そういうハズレ値的なものを除いて、
本当にこのお便りいただいたように、
ごくごく一般的な、
特にその作家の特徴みたいなものが、
特に出ない文章でいいんであれば、
AIの方が早く正確な文章を、
そこそこのものをすぐ吐き出せるっていうのは、
その通りだと思いますね。
AI時代における読書とテクノロジーとの向き合い方
それから平野圭一郎さんのポストの話。
読み手が取って変わられるのではないか。
こちらもこれは、
すでに進んでいるような気がしますね。
さっきの話にも出てきましたけど、
青空文庫とか、
そういう、いわゆる古典と言われるようなもの。
真野山、平野圭一郎さんが例に挙げてるものもそうですけど、
長い古典を読む文章を、
文章を読める体力がある人間って、
おそらく僕わずかで、
AIを読むスピードも非常に速いので、
AIが読むな、人間が読むなとは若干違う、
営みなんですけれど、
言葉を理解しているわけではなくて、
数値に変換して、
どの言葉とどの言葉の、
関わりが強いかみたいなことをやっていく作業なので、
同じ読むことをやっているかというと、
ちょっと微妙に違ったりするんですけど、
ただ読んでそのあらすじを理解するとか、
予約するっていうことができているので、
ある程度人間の読むと、
領域が重なっている読むをやっているとは思います。
本を読むっていうことは、
特殊技能になっていくんじゃないかなという気もしていて、
まずトレーニングする場所が少ないですよね。
学校の国語の教科書を読むとかはもちろんあるんですけど、
そこを超えて自発的に文章を読むということは、
一部の物好きしかしない、というかできない。
本の値段もどんどん上がっているし、
それよりもお手軽にドーパミンを入れられる、
娯楽が非常にたくさん世の中に出回っているということもあって、
僕自身もそういうドーパミンを今摂取していることが多いので、
あまり偉そうなことは言えないんですけれど、
本を読むによってある程度筋力みたいなものが必要だと思うんですけど、
ごくごく限られた筋トレマニアみたいな人じゃないと、
本を読めないっていう状態が、
広まっていくんじゃないかなというふうに思いますね。
ただお便りにも新しい技術が広がると戻れないっていうことを書いていただいてますけど、
この通りで、
辞書とかがそうですよね。
僕は電子辞書を受験勉強でめちゃくちゃ使ってたんですけど、
当時学校の先生には紙の辞書を使いなさいって言われたんですが、
普通に便利だったので電子辞書を使ってました。
あれも身体的な辞書をめくるとかいうことをなくして利便性を取った一つの例だと思うんですけど、
そういうふうにどんどん便利なほうにいっていくのは、
時代の流れであり技術の流れであり、
当然の進み方ではあるので、
その上でテクノロジーに自覚的であることが必要なのかなと思いますね。
先生AIがやっていることがどういうことなのかとか、
本の要約を読むときに要約が切り捨てているものは何なのかとか、
あとは本全体を通して読むのと要約を読むのはどう違うのかとか、
その辺を知った上で、これは要約でいいやとか、
ここはちょっと自分で全部読みたいなとか、
そういう線引きをお便りいただいたような、本当にその部分ですよね。
その部分をやっていくのが大事なのかなと思いますね。
AIにやらせたほうが便利だし、
これは人間がやる仕事じゃないよねみたいなこともたくさんあるんでね。
今のお仕事だと1000ページぐらいあるPDFのカタログとか、
これ自分が全部やるんだったら何時間かかるんだみたいなものを
AIに読んでもらうとか、そういうのは全然いいかなと思うんですけど、
1から全部読むことが面白いもの、
このポッドキャストで紹介しているノンフィクションとかはまさにそうなんですけど、
それはディティールの部分、細かい、
これはこうだった、これはいつ誰がどうしてこうなったとか、
その部分を読むのが面白いと感じているものに関しては、
僕は変わらず要約とかではなくて、自分で読むだろうなと思いますね。
むしろ要約でそぎ落とされる部分に主な面白さが詰まっていると思うので。
ちょっと長くなっちゃったな。
お知らせと番組の締め
AIの話は今非常にホットでもあるし、
自分自身の生活にかなり食い込んでくるところでもあるので、
また別の本をきっかけにいろいろ喋りたいところはありますね。
お便りありがとうございました。とても嬉しいです。
最後、お知らせです。
5月4日の東京ビッグサイトで行われる文学リマ東京に出展する予定です。
読書会主催者の頭の中という、
読書会の主催の方に何で読書会を始めたんですかとか、
どんな工夫をしていますかっていうことをインタビューしてまとめた本を出します。
それから、ミーツ・ザ・金原ひとみという、
金原ひとみの本をずっと読んでいる長年のファンの方に、
金原ひとみ本を読み始めたきっかけから、
最近の本の感想までいろいろな話した本、
その2冊を出す予定です。
詳細をPodcastの概要欄に貼っておこうと思うので、
興味がある方はぜひ見ていただければと思います。
それでは今回はこの辺で終わりたいと思います。
番組やの感想やお便り、その他質問・雑談などお待ちしてますので、
概要欄のホームからお送りいただければと思います。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
35:01

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