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#8 書くことのメディア史 AIは人間の言語能力に何をもたらすのか
2026-04-19 26:54

#8 書くことのメディア史 AIは人間の言語能力に何をもたらすのか

この番組は、書籍編集者が読んで良かったノンフィクション書籍について語るPodcastです。

隔週での更新を予定しています。


⭐今回紹介した本

書くことのメディア史 AIは人間の言語能力に何をもたらすのか

https://www.akishobo.com/book/detail.html?id=1197&ct=41


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サマリー

このエピソードでは、書籍編集者がナオミ・エスバロン著「書くことのメディア史 AIは人間の言語能力に何をもたらすのか」を紹介しています。本書は、言語学者である著者が、AI、特に生成AIが人間の言語能力や「書く」という行為にどのような影響を与えるかを、過去の技術発展の歴史と比較しながら考察しています。ギリシャ語の誕生や文字の発明が人間の記憶や思考に与えた影響、キーボードや予測変換といった現代技術が書く行為をどう変えてきたかが語られます。また、人間が「書く」理由として、自己発見の重要性が多くの作家の言葉を引用して説明されます。さらに、AIが生成するコンテンツの創造性や、人間がAI生成物に対して抱く抵抗感についても掘り下げられ、ボーカロイドの例を挙げながら、時間と共に技術やその受容のあり方が変化していく可能性が示唆されています。AIと人間の創造性の関係性や、技術の進化と人間の営みのバランスについて深く考えさせられる一冊です。

紹介する書籍とその背景
こんにちは、こんばんは、shikadaと申します。 このチャンネルでは、普段実用書を作っている編集者が読んでよかったノンフィクションを紹介していきます。
ノンフィクションの隣で第8回です。 今回ご紹介する本は、ナオミ・エスバロンさんの書くことのメディア史
AIは人間の言語能力に何をもたらすのか、です。 出版社は、キッショボーさんですね。
この書者の方は、アメリカの言語学者の方で、 言語についてこれまでずっと研究していて、そこで今いわゆる生成AI、
文章をガンガン作れるAIというものが出てきて、 それが一体人間の読むこととか書くこと、書くは文章を書く、ライティングの書くですね。
それにどういう影響が出てきたのかというのを、いろんな調査だったり、論文だったりというのを見て調べていて、 それをまとめた一冊という形になります。
タイトルが、書くことのメディア史 AIは人間の言語能力に何をもたらすのか、
というタイトルなんですけれど、 英語の原タイトルを見てみると、
Who wrote this?
直訳すると、AIと効率化の誘惑が脅かす、 人間の書く力を脅かすというようなタイトルで、
結構そのAIの力を警戒しているようなニュアンスですね。
日本語のタイトルだと、人間の言語能力に何をもたらすのかなので、 結構フラットな感じのタイトルで、
この辺に結構日本と欧米の AIに対する温度感が出ているような感じがしますね。
これはちょっと聞きかじっただけですけれど、 結構日本に比べて欧米はAIに対する規制が強かったりだとか、
抵抗感が強かったりだとかというところがあるので、 その辺を反映した翻訳の違いなのかもしれないなと思います。
技術発展と「書く」行為の変化
自分自身が編集を担当している本のテーマとして AIがすごく多い。
AIを使って読む効率化しようとか、 文章をキャッチコピーだとか、
書類の文章を少し書かせてみようとか、 また機材を作ろうとか、
そういうことをやっているので、 結構自分自身すごく興味が強いトピックですね。
あとは最近でも何かの調査で、
すでにインターネット上だと、 AIが作ったテキストの量が、
人間が作ったテキストの総量が上回ったとか、 そんな調査も出ているところで、
今非常にホットな領域なのかなと思っています。
本の内容にいくと、 いろんなことが書いてあるんですけれど、
いくつか印象に残ったところをピックアップすると、
まず一つは、AIに限らず技術が発展することによって、
人間が何か文章を書く、 それから書くことについて考えるとか、
書くことで物事を記憶しておくとか、
そういう営みが技術によって 結構どんどん変わってきたんだなということですね。
具体的にはこの本の中に出てくる例で、
大昔、ギリシャ語が生まれたことで、 過去と現在の区別がつくようになった、
言葉には真過去形とか現在形とか、 そういう文法があったりするので、
もちろんそれまで曖昧に把握していたものもあったんだけれども、
言葉が生まれたことで、 過去と現在、区別がつくようになったとか、
あとは文化的な伝統を批判的に検討したりとか、
新しい主張ができるようになったとか、 そういうことができるようになったというような、
本当に言語の誕生みたいな話も出てくるんですけど、
言語もある一種の技術だと言えなくもないかなとは思うんですけど、
ここで文字というもの、言語というものが、 技術の人として扱われていて、
プラトンのファイドロスという本で、
おそらく文字が生まれた当初のことだったのかと思うんですけど、
文字を学ぶと、記憶力の訓練が重なりになるので、
人間に忘れっぽい性質が植え付けられるだろう という意味の文章があるんだそうなんですね。
これはちょっと驚きというか、
そうか、文字が生まれたところには そんなインパクトがあったのかと感じましたね。
文字が生まれる以前は、文字で何かを記録して、
書き残しておいて微暴力にするとか、 そういうことができなかったので、
もう全部覚えておくしかなかった。
記憶しておくのが当たり前だったんだなと思って。
一方で文字を使うようになった、文字が発明されたことで、
何でもかんでも記憶しておく必要がなくて、
書いてその場に何かしら紙とか本とかに残しておくことで、
記憶をある意味人間の外部に移すことができるようになった。
これは一つの発明だったんだなと思いますね。
もう一つ直近の例を挙げると、技術が進んだ例として、
キーボードとか、あと予測変換というものがあると思うんですけれど、
キーボードとか予測変換があるおかげで、
難しい漢字、特に日本語だと、
苛がなカタカナはともかく漢字って結構難しいものがあると思うんですけど、
キーボードとか予測変換があるおかげで、
難しい漢字もさらさらと簡単に入力できてしまう。
予測変換がなかったら、自分で手書きで書けって言われたら書けないような、
難しい漢字でも書けてしまう。
これはある意味で、キーボード、それから予測変換という技術が
人間の書く行為を少し変えた一つの例なのかなと思います。
それから結構今日常使ってますけど、
メモアプリとか、カレンダーアプリとか、タスク関連アプリとか、
そういうものも何かしらを書いておいて、
何月何日にこれをするとか、
書いておいて人間の記憶を拡張するようなものだなと思っていて、
どんどん技術が便利になっていくにつれて、
人間が技術への依存度を高めてきているなというような印象を持ちましたね。
自分自身もスマホのカレンダーとタスク関連アプリがなかったら、
ちょっと生活が厳しいなというレベルに依存しているので、
そこはかなり強く思いましたね。
人間が「書く」理由と創造性
それからこの本の中では、
そもそも人が何で書くという行為をやるのか、
人はなぜ書くのかというところも結構深く掘っていて、
結構いくつも出てくるんですけど、
人が書く理由として、例えば、
日常の連絡、何々してくださいとか、
これからそっちに行きますよとか、そういうもの。
あとは宿題とか会社の書類、
あとは作家さん、ライターとか、
研究者の職業的な執筆、
それから知識の共有、
これは本とか論文とかエッセイとかですね。
それから特に印象に残っているのが、
自己発見、自分を見つけるために書くっていうところで、
ここで結構たくさんの作家さんの言葉が引用されているんですね。
例えば、バーナード・ショーという作家が、
書くまでは自分が何を考えているのかわからない。
それから、フラナリ・ヨコナーという作家が、
私が書くのは、その文章を読むまで、
自分が何を考えているのかわからないからだ。
こういうふうに、作家さんが自分自身が書く理由を語っているのを見て、
これはかなり納得感があったんですよね。
自分自身も何か文章を書いていたり、
それから今みたいにポッドキャストを撮っている最中に、
そういえばあれって自分はこういうふうに思っているなっていう、
そういう考えとか話題がふっと降ってくることがあって、
それは本当にさっき話があったように、
文章を書くまで、もしくは何かを喋るまで、
自分が何を考えているかわからないからだと思うんですね。
もう少し細かく言うと、
喋っていく、もしくは書いていくことで、
ちょっとこの文章が違うなとか、
この単語よりこの単語の方が伝わりやすいだろうなとか、
どういう文章が一番いいのか、
どういう喋りが一番いいのかみたいなことを、
自分の頭の中で多分考えながら喋っていて、
そのプロセスで考えであったり、
文章であったりが整理されるようなところがあるんじゃないかなと思います。
それに関連して、
書くことのスピードの話も出てくるんですね。
例えば、手書きとタイピングを比べたら、
ほとんどの場合手書きよりもタイピングの方が書くスピードが速いわけですよね。
なんですけれど、
手書きとタイピングの文章をそれぞれを比較して、
アーケード調査をとってみると、
手書きの方が時間はかかるけれど、
内容はよく考えていないようなものになって、
自分らしい真実に近い文章を書けるという声が多い。
これをタイピングをAIに置き換えても、
似た傾向になるという話があって、
これは自分自身、
仕事で使う文章のたたき代を、
AIに書かせたりすることがあるので、
よくわかるんですけれど、
速いことはビジネス的には、資本主義的には良いことだと、
されるんですけれど、
自分自身で、
いろんなことを一生選択しながら書いた文章の方が、
当たり前ですけれども、
よく考えられているし、
自分らしいものになりますよね。
そうは言っても、
このための便利な技術って、
一度普及するとそれがなかった頃には戻れないので、
今からキーボードを廃止しますと言われても、
できないのと同じようなことで、
必ず普及して、
誰もが使うようになるとは思うんですけれど、
それを使うことでめちゃくちゃ速くなったとして、
速くなったことで擦り落とされるのは何になるかってのは、
考えないといけないなと思いますね。
「速さ」と「遅さ」の価値
1個思い出したんですけれど、
この本とは関係ないんですが、
僕が尊敬する翻訳家の金原みずひとさんという方が、
僕語で小説を読むとき、
また日本語で書かれた小説を読むときより、
海外の言葉、
翻訳が必要な言葉を、
言葉で書かれた海外小説を読むときの方が、
基本的には、
日本語ほどアスラアスラ読めないので、
数倍の時間をかけてゆっくり読むことになると。
ゆっくり読んだときの方が、
基本的に物語の素晴らしさが、
より伝わってくる。
一つの言葉の意味とかを調べたりとか、
この文献訳で使われる、
簡易翼ならこういう意味だろうっていうのを、
一つ一つ精査しながら読むから、
より物語の奥に入っていって、
世界観とか情景とかもわかんで、
細く読む方が文学作品の素晴らしさが、
わかりやすいっていうようなことをお話されていて、
早いことが推移とされる多い作品ですけれど、
細さの高揚っていうのもあるんだなと、
思いますね。
現に今、自分自身がポッドキャストで、
それこそAIに任せれば、
一瞬で作ってくれるであろうぐらいの分量の言葉を、
ああでもない、こうでもないって言いながら、
何十分とか四十分とか喋ってるのも、
ある種遅い営みだなと思うんですけれど、
早いこと、遅いこと、
ツールの使い分け、
その辺は今本当に過渡期で、
何をどう使うのかみたいなのが、
定まったものがない部分だと思うので、
引き続き考えていきたい部分だなと思いますね。
AIと創造性の定義
それから、人間の創造性ってなんだって、
創造性、クリエイティビティですね。
創造性ってなんだみたいな話が、
すごい深堀りされてますね。
AIが何かしら文章を書いたとか、
小説を書いたとか、
詩、ポエムを書いたとか、
そういう場合に、果たしてそれは創造的なのか、
それは創造的じゃないんじゃないかっていう、
議論が出てきたとして、
じゃあそもそも創造性って何なんだろうね、
みたいな話になるんだけれど、
この本の中では、この著者が考える、
創造性って何かっていう話が出てくるんですね。
いくつかその例が出てくるんですけれど、
創造性を生み出す要素として、
まず、人を驚かせる確信性とか、
新しさというもの、
確かにこんなものは今までになかったよねとか、
極めて斬新なアイデアだとか、
そういうものですよね。
それから、価値のある発想とか行動、
それまでなかったけれど、
既存の情報として断片的にはあったけど、
それを一覧にまとめて体系化して、
役に立つようにしたものとか、
そういうものなのかなと思いますね。
それから一時性、
一時と書いて一時性ですけれど、
これはある時点で、
ある種の人々から支持できる、
役に立つ、見事だと受け入れられる、
ということが一時性。
これも想像性の要素の一つだというふうに、
著者の方が言っているんですけれど、
これはある時点でというのが多分肝で、
車輪のサージ発明みたいな言葉がありますけど、
現代で既にありきたりなものを作っても、
全く想像的ではないわけですよね。
全く想像的じゃないというのは言い過ぎですけれど、
すごく想像的だねという、
想像性があるねと言われることはないと思うんですよね。
ここからは僕の考えになるんですけれど、
AIが何か文章を書いて、
想像性があるかどうかという議論のところだと、
これが5年前とかだと、
多分話が違ったんですね。
今JAT GPTだと、
GPT-4とかGPT-5とか、
そういうバージョンになってるんですけど、
結構もう前、
4,5年前とかなのかな、
GPT-2とかの時代には、
AIがある程度意味のある文章を書いたっていうだけで、
すごくそれは想像性が、
想像性の目みたいなものが生まれたなっていう話があったんですよね。
想像性の目みたいなものが生まれたなっていう話があったんですよね。
2022年頃だったかな、
AIがハリーポッターのサイドストーリーを書きましたみたいな、
めちゃくちゃ尻滅裂な内容だったんですけど、
文章とかは意味が通っていて、
人間じゃない人工知能が書いたっていうことは、
これはすごいことなんじゃないかみたいな話があったんですよね。
それは2022年当時では、
さっき少し話した一時性、
その時点で何かしらすごいことだと、
受け入れられることを満たしていたのかなと思いますね。
受け入れられることを満たしていたのかなと思いますね。
自然な文章とか、
まとまりのあるストーリーみたいなものを書けるようになってきているので、
もはや、
AIが書いたというだけでは、
すごいねっていう話にはならない段階に入ってきているのかなと思いますね。
これは結構今、いろんなところで
同じことを感じるんですよね。
ちょっと前に、
AIマーケットっていう、AIで作った文章だったり、画像だったり、動画だったり、もしくは立体的なフィギュアだったり、いろんなものを出している展示会みたいなところに行ったことがあったんですね。
その時にも、単にAIに簡単な指示を打ち込んで、AIがポンと出しただけのイラストとか、結構確立的なものもあったんですけれど、
それを僕は結構古く感じてしまって、古いなと感じてしまって、っていうのも素人とかAIを使い始めた人が試しにそれを出してみましたっていうのはもちろんいいと思うんですけれど、
そこでは、ある程度商品として出していたり、アート作品として出していたりするので、商品とかアートとしては新しさとか、誰でも出せるようなものを出してもしょうがないんじゃないかみたいなことを思ったんですよね。
これは僕自身がそういうクリエイターではないので、前言から石を投げているような発言なんですけれど、そのマーケットの会場の脇でAIのアートグランプリっていうのを別に開催されてて、
いろんな人がAIで、ああでもない、こうでもないっていろんな工夫をしたり、自分で手を入れたりして、毎一枚の絵を描いてきて、それをいろんな人が審査するっていうものなんですけど、そこだと絵にプラスして、
それを今作る人とか、どんな工夫をしたかとか、AIを使ってやる意義は何かみたいなのをプレゼンしてて、例えば、自分は手に障害があって筆を持って絵を描くことができなかったから、AIの手を借りて絵を作りましたみたいな人がいたりとか、
あとは今、アートの歴史がこういう風にあって、その中で新しい遊戯を模索してこういうことをしましたみたいな話をしていたりとか、ちょっとだいぶ脱線しちゃったんですけど、
この想像性、想像的なものを作るっていう時には、AIを使ったかどうかはおそらくあまり本質的な部分ではないというか、そこだけで想像性があるなしをチャッチされるものではなくて、
AIを使って何をしたか、さっき想像性のところで書者が言っていた新しさがあるかとか、価値があるかとか、その時、その作った時点で誰かに支持されるか、そういう要素があるかっていう、そこの部分は変わらないんじゃないかなと思いましたね。
真正性(オーセンティシティ)とプロセスの重要性
それから、書籍の中では、人間が絵や書いた文章に対する抵抗感がある。それはなぜかっていう話が出てきて、ここも面白かったんですけれど、人間は結構、文章が真正であること、誠で正しいの真正ですね、authenticity、本物であるかどうかっていうのを異常に気にするっていう話があって、
例えば昔の偉人、ワシントンとかの本物の署名にはすごい価値があるんですけれど、偽物の署名とか、その辺のおっさんの署名には何ら価値がない、これはやっぱり人間がそのものが本物であるかどうか、本物であれば価値があるっていう風に考えているからだという話があって、
この本物かどうかっていう話も少し抽象的なところに入っていくんですけど、その本物かどうかを構成する一つの要素にプロセスというものがあるという話を著者がしていて、
人間って数十年の間生きて死んで、その間に何があって、どんなことをして、どんな作品を出して、どんな風に死んだというプロセスがあるんですけれど、人間はその作品自体の素晴らしさもそうなんですけれど、
それを生み出されるまでのプロセスも非常に見ていて、そこで先ほどあったそれが本物かどうかっていうのを判断する基準にしているっていう話があって、そこで言うとAIがポンと出した作品にはプロセスがないよねっていう議論をしているんですね。
これに関しては僕はその通りだなと思いつつも、時間が経っていったら結構みんなの見方も変わっていくのかなと思って、ちょっと違う例を出してしまうんですけれど、
ボーカロイドっていう機械、コンピューターのプログラムに歌を歌わせるようなソフトウェアがあるんですけれど、それって初期の頃めちゃくちゃ批判されていたり、こんな機械が出した歌声は全然汚いし聞くに耐えないよねみたいな。
それって今思うと、歌声をリアルなものにできるかっていう技術的なものももちろんあったと思うんですけど、さっきの著者の議論であったそれが本物かどうかとか、そこにプロセスがあるかどうかみたいなところが当時あまりなかったからなんじゃないかなと思って、
今やボーカロイドは誕生20周年とか言われて、初期の頃に比べて市民権を得たなという印象を受けてるんですね。
それはボーカロイドのプログラムそのものの進化ももちろんあるんですけれど、そこにすごいいろんなクリエイターが関わってニコニコ動画っていうプラットフォームでいろんな曲を出したり、その曲を人間の人が歌ってみたり、
違う楽器で演奏してみたり、ダンスの振り付けをつけてみたり、いろんな物語、いろんな人と関わったプロセスが生まれて、その結果ある程度受け入れられているように少なくとも今の自分には見えますね。
なので、それこそ20年後、30年後にはAIもそういう歴史を積み重ねて、キャラクター性みたいなものがついていたりして、多くの人が関わっていろんなクリエイターがいろんな作り方をしたりして、
ということをしていった暁には、今されているようなAIにはそのプロセスがないよね、本物らしさがないよねっていう議論も少し見直されているのかなと思いましたね。
今のこの普及がスピードよりと20年後と言わず、5年後、10年後にはもうそうなってるかもしれないですけれどね。
書籍の推薦と今後の展望
というところでばーっと喋ってきたのですが、僕の興味関心に近いということもあって非常に面白い本でした。
いっぱいメモを取りましたね。
結構お勧めできる人としては、AIとよく会話をしている人とか、あとAIの文章能力。
結構今のAIって文章うまいと僕は思ってるんですけど、AIの文章能力がどこまで上がるのかとか、人間にどういう影響を及ぼすのかっていうのに興味がある人。
あとは何かしら書くっていう手並みをしていて、書くってそういえばどんなことなんだっけとか、クリエイティビティってなんだっけみたいな。
そういうことを見直してみたい人、そういう人にはお勧めできる一冊かなと思います。
では今回はこんなもので、最後にお知らせがあります。
来月5月2日に東京ビッグサイトで行われる文学フィマ東京に出展する予定です。
新しい本を2冊作っていて、1冊は読書会主催者の頭の中という本で、読書会をやっている4人の方に、
なんで読書会を始めたんですかとか、どんな工夫をしていますかとか、どうやって人を集めていますかとか、いろいろインタビューをした本で、
これが1冊と、もう1冊は三菱金原ひとみという、金原ひとみをずっと読んでいるファンのお友達の好きなさんという方にお話をさせてもらって、
金原ひとみ作品にどうやって出会ったかとか、どう読んできたかとか、長らく読んでいる方なので、
結構作風の変遷に対して考えたこととか、いろいろお聞きした本ですね。
この2冊に関しては概要欄にお知らせのノートを貼っておくので、試し読みとかもそこからできるので、見ていただけると嬉しいです。
では今回はこの辺で終わろうかなと思います。
番組への感想やお便り、その他の質問や雑談などお待ちしていますので、概要欄のホームからお送りいただけると嬉しいです。
それではまた次回の放送でお会いしましょう。
ここまで聞いていただきありがとうございました。
26:54

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