こんにちは、こんばんは、shikadaと申します。 このチャンネルでは、普段実用書を作っている編集者が、読んでよかったノンフィクションを紹介していきます。
ノンフィクションの隣で第7回です。 今回ご紹介する本は、
金原瑞人さんの 英米文学のわからない言葉
左右者さんですね。 この本どういう本かというと、
この著者の金原瑞人さんは、英米文学の翻訳を長らく40年ぐらいやられた方で、
延べ650冊ぐらい、すごい数の文学作品の翻訳をされている方なんですけれども、
翻訳をたくさんやっていく中で、わからない言葉というのがたくさん出てくると。
その度に、この言葉は一体何だろうとか、どういう文脈で使われてるんだろうとか、
そういうことを調べていったと。 そのわからない言葉に関するエッセイ、翻訳エッセイとでも言うんですかね。
そういった本になっています。 冒頭で、
金原さんが書かれているんですけれど、翻訳という仕事の半分とまでは言わないが、4分の1ぐらいは調べ物だと言っていい。
知らない単語や意味が曖昧な熟語を調べるのは言うまでもないが、それ以外にも調べ物は山ほどある。
異色情について、日本であまり目にしない、耳にしない、口にしない、手にしないものは調べる。
じゃあ、具体的にわからない言葉ってなんだっていう話なんですけれど、
ちょっといくつかご紹介していきますね。 まず、あだ名ですね。
例えば、ロバートっていう男の子がいて、ずっとロバートロバートって翻訳してきたところに、
いきなり友達がロブってちょっとダサくない?って言われたとする。
これをこのまま訳すと、ロブとロバートが同一人物なのか別の人なのかが、ちょっとわからなかったりする。
言葉を防具にしている英語圏の人たちなら、ロバートってのはロバートがロブって呼ばれてるんだなっていうのがすぐわかると思うんですけれども、
日本人とそうじゃなかったりする。
これがわからない言葉の一つの例ですね。
じゃあどう訳すのかっていう話で、そこは翻訳家の中でもやり方が置かれるそうなんですけれど、
これは読者もわかるだろうということで、そのままロバート、ロブっていうふうにそのまま訳す人もいれば、
ロブかっこロバートの別称とか、こう注意書きを入れるっていう人もいるし、
もしくはもうややこしいのでどちらかに統一してしまうという人もいるっていうことなんですね。
逆に日本語の文学を英語に訳すときとかも同じ種類の苦労があるそうで、
例えばふみこさんっていう人、文章の文に子供の子でふみこさん、
これがふみだったりふみちゃんであったら伝わるだろうっていうことはわかるんですけど、
最初の文章の文を取ってぶんちゃんっていう読み方をしていたりすると、
ぶんちゃんとふみこさんが果たして同一人物なのか、海外の人にはちょっと謎なんじゃないかっていうことを金原さんがおっしゃっていて、
なるほどと思いましたね。
働ってるのは結構その裏側にどう略すかとか、どういう言葉をくっつけるか、
何々さん何々ちゃんとかももちろんそうですけど、
そういうベースがあるので、そこの感覚がないとなかなか難しいのかもしれないなって思いましたね。
この金原さんが英語で別の例を出していて、
エリザベスっていう人がいたときに、その人につくアンダーだなって結構いろんなパターンがあって、
そのぐらいバリエーションがあるらしくて、
これはなかなかわからないなと確かに思いましたね。
それから別の例で、アブサン。
アブサンってイントネーションがあっているのかわからないんですけれど、
アブサンっていうものが小説に登場することがあって、
何かっていうとお酒なんだそうなんですね。
文学作品に登場するときは、貧乏人が安く酔っ払うために作られたお酒で、
アブサンなんて飲んでるの?みたいなニュアンスで登場することが多いそうなんですけれど、
これもなかなかわからないなと思いました。
お酒が出てくると、お酒の飲み方もちょっとわからない、調べないといけないっていうものが出てきたりするんだそうなんですね。
例えばこのアブサンっていうお酒でいうと、
小説の中で、ヘミングウェアの小説で、
アブサンの飲み方、バーのウェイターがフラッペになさいますか、
それともドリップでできるシーンがあるんですけれど、
これもどちらも僕はわかんないですね。
おそらくロックにするかストレートにするかみたいなお酒の飲み方だと思うんですけれど、
金原さんの解説でいうと、
フラッペっていうのは細かく砕いた氷にアブサンを注いで飲むっていうやり方。
ドリップでっていうと、アブサンを入れたグラスの上に穴の開いた小さなソーサーを置いて、
その上に砕いた氷を乗せて、その上から少しずつ水を注ぐと。
こういうやり方なんだそうで、
お酒がわかんないし、飲み方もわかんないっていうので、
一つ一つこれも調べないといけない、まさにわからない言葉ですよね。
それから、もういくつか紹介するんですけど、単位ですね。
特にアメリカの小説だと、マイルっていう距離が出てきたり、
ガロンっていう単位が出てきたりして、
日本人からするとあんまりピンとこないということで、
例えば、この自動車はガソリン1ガロンで50マイル走るって言われても、
燃費がいいのか悪いのか、なかなか日本人にはピンとこないっていう話があるんですね。
これは確かにそうだなって思って、
海外の小説を読むときに、その知らない単位が出てくると、
これってどのくらいなんだろうって思うんですよね。
あとは普通に小説ではないビジネス書とかを読んでいても、
他の国の通貨が出てくると、何円くらいなのか結構ピンとこないことが多いですね。
もちろんドルとか、ある程度メジャーな通貨なら、
大体そのどのくらいかなってわかるんですけど、
そうじゃないものだと、すぐ感覚的に高いのか安いのか掴むことが難しかったりしますね。
そうはいっても、何ドルっていうのを何円っていうのに訳してしまって、
それを本に印刷するとなると、
ちょうど今のように印刷がめちゃくちゃ進んだりしたときに、
ちょっと内容がずれてしまうっていうこともあると思うので、
そのあたりは翻訳家の方の悩みどころなのかなと思ったりしますね。
それからお菓子の例ですね。
ターキッシュデライトっていうものが例に出てきます。
ターキッシュデライトって言われてピンとくる方いますかね?
この中では例として、
ナルニア国物語で出てくるお菓子のシーンが出てくるんですけど、
これ僕も食べたことがない、
すごく雑に言うとめちゃくちゃ甘いゼリーみたいなものらしいんですけれど、
このターキッシュデライト、
昔の翻訳だと、翻訳家の方の判断で、
ターキッシュデライトではなくて、
単純にプリンと訳されていたそうなんですね。
ターキッシュデライトって言っても何のことやら、
ちんぷんかんぷんだろうという判断だったのかもしれないんですけれど、
それが最近になってくると、
普通にターキッシュデライトと訳されるようになったということで、
これは金原さんよく国際的な交流も増えてきたし、
他の国の文化を検索してすぐ調べられるようになったり、
いろんな国の料理を日本で食べられるようになったりしてきているので、
ある程度読者を信用するというか、
読者が分かってくれるだろうと思って、
翻訳したんじゃないかという話が出てきますね。
逆の例も出てきて、これが面白かったですね。
昔の翻訳もので、
今よりカタカナ語が一般的じゃなかったり、
海外の文化が日本に入ってきていなかったりして、
これは通じないだろうと思って、
訳された言葉がいくつか例が出てくるんですけれど、
庵野娘リラっていう文学作品で、
軽焼きまんじゅうって訳されたお菓子があるんですね。
軽く焼かれたまんじゅうで軽焼きまんじゅう。
これ今読むと何のこっちゃって思うんですけれど、
軽焼きまんじゅうはシュークリームのことらしいんですね。
シュークリームなんですけれど、
シュークリームとそのまま訳すと伝わりにくいかということで、
同時軽焼きまんじゅうって訳された。
ほんまかいなって思うんですけど。
それから別の例で、
今日は誕生日だから料理は焼き鳥よっていう訳があるんですけれど、
原文を見てみると、
焼き鳥っていうのがローストチキンだっていうことがわかるんですね。
これもローストチキンが当時伝わらない、
もしくは伝わりにくそうだからっていう判断で、
日本人にとって想像がしやすい焼き鳥っていうふうに
訳したんだろうっていう話なんですけれど、
結構翻訳家の方は、
その言葉をダイレクトに訳すのがいいのか悪いのか、
その読者に通じるものなのかっていうのを
結構その時代時代であったりとか、
読者の知識レベル、大人向けの本と
児童文学だとまた違ってくると思うんですけれど、
そういうのを頭の中で考えながら、
どれが一番通じやすいかつ、
原文のニュアンスを損なわないかなっていうのを
考えながら訳されてるんだなって思いましたね。