年末は少し練習量をちょっと下げてですね。
23の日に一応最後の練習をして、年末は少し体づくりに充てさせるという感じに考えています。
あとは勉強の方もですね、学習の方もちょっとさせたいと思っていますので、年末年始はそこにちょっと充てます。
そしてね、ソックスを見ると4本線ですかね、ユニフォームの。
そうですね。
意味があるんですよね。
そうですね。
仙台一高として夏の大会に甲子園出場3回ということと、あとは実は戦争中にですね、文科省主催の全国大会に出場しているということで、
4回全国大会に出ているというその回数がLINEの数になっております。
幻の甲子園と。
そうです。
LINEの学校としては刻んでいると。
初めて知りました。
選手たちは5回目の甲子園を目指しながら、同時に地域貢献活動にも積極的に取り組んでいます。
さて具体的にどんなことをしているのでしょうか。
未来へつながる防災減災活動です。
このグランドガール荒浜の地区は震災に、津波に被害もあった土地ということで、
そういった震災の復興の活動もされているということなんですよね。
どのような活動をしていますか。
海岸防災林の育児活動というものなんですけれども、
本校SSH、スーパーサイエンスハイスクールというところに指定されていまして、
そこで災害研究をしているんですけれども、
その時に減災効果の認められる植樹活動が、
今後の仙台市の災害の少しでも最小限に被害をとどめるというきっかけになるのかなという思いで、
我々もそれに賛同して参加しているという感じですね。
じゃあ苗を植えたり。
あとは雑草を取ったりとか、少しでも木が伸びるようにということで、
植えるだけじゃなくて、そういう雑務も併せてやっています。
本人たちも記憶が4歳、5歳くらいの時だったので、
なかなか残っている子は少ないので、
実際にそういう災害が受けている場所に連れていくということも、
実は風化させない意味では大事なことなのかなと感じています。
2011年の東日本大震災からもう13年、当時4歳だった選手が今、高校生になりました。
この育児活動は風化させないためにも続けていきたいと話しています。
積み重ねることの大切さ、野球も復興も同じだなと思いました。
自分の武器を本人たちが理解している、理解させないといけないのですが、
それを公式戦でおくせず出してくれているのが、最近の結果につながっているのかなと思っています。
先輩たちが実績を1年ずつ積み重ねてきて、メンタル面であったりとか、
心の成熟度というのは、上級生がしっかり下級生に教えていくというのが、
ここ数年上手くいっているかなという感じで、
メンタル面もよく卒業した子たちですけれども、
彼らのおかげでどんどん積み重ねが上手くいっているなという感じがします。
今日のお母さんたちもみんなここに入れたいという目をしていたので、
文部、領土でいいんですかね。
そうですね。100%の文部、領土ですね。半分にならないように。
50-50じゃなくて、勉強も100%、野球も100%で、どっちも取り組んでもらおうかなと思っています。
はい、最初に千葉監督のお話でした。
文部、領土は勉強100%、野球も100%。
参加した小学生たちもこんなかっこいい高校生になりたいなと思ったはずです。
さて、続いてお話を伺ったのは、安倍昭都部長です。
この名前を覚えている方も多いかもしれません。
選手時代は大谷昭平選手と同じ東北大会、
そして選抜大会に出場した29歳の体育の先生です。
石巻工業高校の選手先生を覚えている方多いんじゃないでしょうかね。
まずは練習の様子からお話しくださいました。
1球にかける集中力の高さを安倍先生も感心しています。
なんか優しい選手ですよね。
そうですね。
思いやりがありますか?
あると思います。
試合ではなぜ勝てたんですか?
一人一人自立して、状況状況で色んな選択肢があるくらい大人な部分もあると思うので、
それが試合に役立ったのかなと思います。
3位決定戦では東京に勝つということで、
私学にもひるまない戦力が備わってきて、
どんな練習をいつもこだわってやっているんですか?
常にレベルの高いピッチャーを想定しながら打撃練習をしていたりしていて、
あと実戦の中でも1球を逃さないというところで、
当時は野球に明け暮れる高校給仕だったわけですけれども、
甲子園にも出場し夢を一つ叶えた結果になりました。
そんな甲子園の話やご自身の選手先生のお話も選手たちに聞かれてよくお話をするそうです。
そんな選手たちに安倍先生は甲子園の話もすることはありますか?
はい。よく聞かれます。
どんなふうに聞かれますか?
どういう場所なんですかとか、先生が県域の時代はどういう実績というか、
どういうふうに大会を戦っていったんですかというのは聞かれたりしました。
なんて答えるんですか?
僕らの時はこういうところに負けて、こういうところに勝って、特大会はここでやったんだよと。
2012年の選抜で選手先生をした安倍先生ですけれども、
あの時の先生を振り返ると、どんな思い出として残っていますか?
私が出場したのは震災の1年後という背景もありましたし、
当時の被災地の思いであったりとか、甲子園に出れたという目標を達成できたというところの思いもしっかり生成できたのかなと思うので、
あれが本当に私の全てというか。
毎年選抜になるとプレイバックでHKさんで流れますよね。
その度に連絡とか来るんじゃないですか?
来ますね。皆さんやっぱり当時のあのイメージが強いみたいで。
私はちょっと恥ずかしいんですけど。
ご自身の夏はどうだったんですか?
私は2回戦、3回戦だね。東北高校にゴールド負けでした。
やりきれましたか?
今考えるともっとできたかなっていうところはあるんですけど。
でももっと正直勝ちたかったなって思いますね。
最後指導方針というか、どういうことを野球を通じて教えたいかというのをお聞きしたいんですけども。
苦しいことから逃げずに、自分自身をちゃんとしつけできるようにして、
自分自身を成長させていけるような、
そういう選手というか人間を育てたいなっていうのは野球を通して思います。
苦しいことから逃げずに、自分自身をしつけできるようにして、
苦しいことから逃げずに、自分を立することができる人間を作りたい。
震災で生きることの尊さを知り、本当の苦しさを味わった安倍先生だからこそ言える言葉なのではないでしょうか。
高校給仕の顔から先生の顔に変わってね、優しい表情で話してくださいました。
さていかがだったでしょうか。
千葉監督安倍部長、今の時代の指導者は近くで見守りながら選手に自分で考えさせる、行動させる、課題を見つけさせる、
そんな考えで指導している指導者の方がとても増えています。
そして時代は分部両道で甲子園を目指す時代へ。
昨年107年ぶりに夏の甲子園で慶応義塾が優勝しましたけれども、
慶応義塾のように勉強も頑張りながらチームで結果を出す、そんなチームが増えています。
この日、仙台一高の選手と一緒に野球を楽しんだ小学生たちが、千葉先生がおっしゃっていた通り、
勉強100%、野球100%、これを実践できる高校生になりたいな、
そう思ったのなら、高校野球の未来はもっと明るく輝いて続いていけると思います。
はい、以上拙い配信ではありましたが、スポーツライター樫本が仙台一高を取材し、
音声にてレポートをさせていただきました。
変わりつつある高校野球の現場を知っていただけたら幸いです。
最後までご視聴くださり、本当にありがとうございました。