やはり観光でいらっしゃる際は、短い服装はしないでくださいとか、
あと女性はね、頭を覆うスカーフを必ずしてください。
してから入ってくださいというふうに指定はされていたんですけど、
スカーフも入り口で貸してくださるし、
短い服を着てきた人が肌を覆うための貸し出し用のコートもかけられていて、
見学自由にしていいよというウェルカムな空気はありましたね。
建物が外観も大理石を基調としている真っ白な建物で、
明らかに日本の建築とは建築様式が全然違うから、
これは外国の建物なんだろうなみたいなのがすぐわかるんですけど、
礼拝堂に入っても内装がすごくて、
幾何学模様とか色とりどりの装飾がなされていたり、
壁画っていうのかな、幾何学模様なんですよ。
それをよく見ると、なんか文字っぽいんですよね。
いろいろ調べてみると、どうやら本当にアラビア文字を組み合わせてあったり、
カリグラフィーを置いてあったり、
経典とかの大事なフレーズをあしらっていたり、
というのが装飾として使われていて、
その内装を黙ってじっと見ている時間が一番長かったかもしれない。
彫刻としても、一つの大理石を掘り出して柱を作るとか、
空間を作る、飾りを作るという技術もすごいなと思ったんですけど、
天井に描かれている模様とかデザインが、
これはどういうことなのかな、どういう規則性を持って並べられているのかなとか、
どんなモチーフなんだろうとか、そういうことを考えながら、
わかんないんですけど、わからないなりに見つめ続けるという時間がすごく良かったですね。
天井に描かれている幾何学模様の脇とかにもアラビア文字があしらってあるし、
上から吊るされているシャンデリアがあったんですけど、
そのシャンデリアも、明かりは電球がいろいろ下に向いて付けられている状態なんですけど、
その電球、明かりを支えているデザインが文字なんじゃないかなという状況で、
いろいろ調べてみたら、たぶんアラビア文字のカリグラフィーを立体にして、
くるっとシャンデリア状に丸くデザインされていたのかな、
不思議な形でしたね。でもたぶん文字だったんだろうな。
あともう一つ、ステンドグラスも、よく私たちがキリスト教の教会などで見るようなステンドグラスにたっと見似てるんです。
小さいものも大きいものもあって、光が入るととっても綺麗なんですけど、
よくよく見ると、全部その細かい模様の一つ一つの枠がこちら側に立体的に出てきてるんですね。
縁があるというか、全部の模様の縁があるというか、外側だけじゃなくて内側も。
よく私たちがイメージするステンドグラスって、触ってみると別にデコボコはそこまではっきりしてないはずなんですよね。
でも東京ジャーミーで見学したステンドグラスは、斜めから見るとね、全部その細かい模様の一つ一つの線が浮き上がっている状態。
お花があるとしまして、丸書いて花びら5枚ぐらいって簡単に書きますよね。
丸書いて花びら5枚、1、2、3、4、5って書いたその線が全部浮き上がってきている。立体としてこちらに競り上がっているというか、奥行きがある状態だったんです。
これ不思議だなと思って、しばらくも冒頭その場で調べることはしなかったんですけど、ただただ受け止めるので精一杯で見てたんですけど、
かえってちょっと調べてみると、それもオスマン建築の一環らしくレウゼンという装飾技法として紹介されているサイトがありました。
石膏の窓枠に色がついたガラスをはめ込んで模様を描くものなんだそうで、その境目の作り方そのものが違ったんですね。
境目が太いし、こちらに競り上がっているというのを初めて見たので、すごく新鮮でじーっと見てました。
だから枠の中に色が埋まっている感じがする。一つずつはめ込まれている感じが余計したんですよね。それでね、興味深かったです。
で、一通り見学して、2階の女性専用バルコニーみたいな、女性専用ゾーンも見せてもらって、そこからだと上のドームの部分がより近くに見えてポカンと見てしまったんですけど、
眺めるだけでもいい時間だった。
礼拝の時間ではなかったんですけど、実際そのトルコご出身、もしくはイスラム教の方々かなとお墓式、皆さんが家族でとか友達ととか来て、
お祈りされている人もいれば、スマホをね、隅っこの方でポチポチしてくつろいでいる方もいたりとかしてて、思い思いの過ごし方をされていて、
なんかこう日常に溶け込んでいるんだなぁ。私から見ると、自分の普段の文化圏とは違う建築だったり、装飾だったり、礼拝の風景だったりっていう見るもの、聞こえるもの全部そうだったけど、
この場を日常の続きにしていらっしゃる方もきっとたくさんいるんだよな。それがご自身の文化であり、自分の暮らしであるという方も東京に住んでるんだよなというのは当たり前のことではあるんですけど。
そういう感じで帰ってきました。そこで考えるわけです。じゃあ自分は普段東京の文化とか土地の感じをどれぐらい感じてるんだっけと思うんです。
ここからは私の話なんですけど、鹿児島で生まれましたとか、富山で就職して仕事を始めましたとか、点々としてきた中で、この場所だからこの暮らしとか、この場所にいるとこういう風習があってとか、そんなお祭りとか大きなものばかりじゃなくて、
それこそ祈りであるとか、もっと手前の生活であるとか、土地ごとの暮らしとか文化を結構面白がってきて、自分の中にもいろいろ落とし込みつつ、そこにいる人たちに話を聞いてきたっていう暮らし方をしてきたはずなんですね。どちらかというとね。
なんだけど、もうすぐ5年になるんですけど、東京での暮らし、あんまりその感覚を拾えてない気もしていて、東京にそれがないわけじゃないと思うんです。
例えば、今私練馬区に住んでますけれども、練馬区も大きくてね、昔特攻隊が出ていた飛行場があった場所に、今大きな公園ができてとか、アメリカに接種されてそれが返還されてみたいな歴史があって、公園として整備されたみたいな話も知識としても分かっているし、この街の成り立ちみたいなものにも興味はある方だと思うんですけど、
自分の暮らしに接続されてないというか、もちろん歴史はそうだった。そんな地域に今遊びに出かけたり、いくつかある自分の今の自宅の近辺の生活の拠点のうちの一つはそういう歴史を持っているとか、そういうのを興味深く知ることはあるんだけど、それが自分の異色獣につながっている感覚はないなと思ったの。
まあ、でもな、これはね、東京だけじゃないと思うし、例えば福岡でも福岡だからこれみたいなことが全部が全部あるとは思わないし、そのある程度標準化された暮らしがどこの日本各地どこでも送れるような状況にはなっているじゃないですか。
なんなら奄美大島でさえもコンビニもあるし、ファーストフードもないのもあるけどあるのもあるし、みたいな形でね。
だからそうですね、なんかそういうことを久しぶりに思い出して。
あと単純に私が東京、ローカルとしての東京に触れる機会がそんなにないよなって思っている。
江戸の文化を感じる場所にいることだけが東京で暮らすことじゃないよなとは私は思っていて。
ステレオタイプなカッコ書きの東京みたいな。
あとは練馬だったら特撮の聖地があるとか、アニメーションのスタジオがいっぱいあってとか、そういう文化の歴史も知ってはいるし、そんな街で暮らせて楽しいなみたいな気持ちもあるけど、
一触中とくっついてないわけじゃないんですけど、もうちょっと暮らしに寄った土地の匂いみたいなものがこれまではあったよなって思っちゃったの。
ここにはそれがないっていう嘆きではなくて、私が拾えてないんだよなって話ですね。
そんなことを考えていた折、また違う友人から連絡があって、どこどこの街に大島町というところがあって、ここはリトル天見沖縄らしいね、島から歴史ですけど、軍事工場に借り出される島地の皆さんが移住する形になって、生活の拠点として集落ができて、
島の文化もここに残ってて、大島紡ぎも終わられてて、みたいな話を聞いて、ちょっと盛り上がったんですよ。そうそう、これこれ、みたいな気持ちになったんです。
こういうのを掘るの楽しいよねっていう感覚を共有できることが私はとても嬉しいんですけど、
土地と人の履歴というか、街の成り立ちであるとか、そういうところに今の自分の暮らしがあんまり接続されている感覚が薄いんだろうなっていうことかな。
自分の中に回路ができてないというか通ってないというか、そういう話なんだと思います。まとまらない。
でもそうなんですよね。だから行ったジャーミーも異国情緒で素敵とは決して言えないし、いや素敵なんですよ。建物すごいんですけど、
でもやっぱり同じ東京の中に別の文化圏や信仰に基づく生活がちゃんと存在してるんだなというのを改めて気づかされたという、そっちの方が大きくて。
逆に自分が普段いるこの自分の身の回りの暮らしって、だからといって意識的にその土地を掘りに行くっていうのも、それはもう興味に任せるしかないというか。
その生活が消費にまみれてしまうというのはある程度仕方のないことではあるんだけど、みたいなことをうだうだ最近考えております。
全然まとまらないまま時間が来てしまいました。東京に文化がない話でもないし、練馬に文化がないっていう話でも全然ないんです。
ただこう信仰であるとか産業であるとかっていうものが、その土地にあるものと自分の接続のうちさなのかな。