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#2-125 「個人の変化」が社会の構造を変える。キャリアとライフのトレードオフを終わらせる“波及効果”の作り方|ゲスト:XTalent株式会社代表 上原達也
2026-04-27 55:17

#2-125 「個人の変化」が社会の構造を変える。キャリアとライフのトレードオフを終わらせる“波及効果”の作り方|ゲスト:XTalent株式会社代表 上原達也

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「自分一人くらい、我慢すればいい」


その諦めが、社会の構造を維持させてしまう。


今回のゲスト、XTalent代表 上原達也さんは、個人の働き方が変わることは、単なる「私生活の充実」に留まらないと言い切ります。


一人が一歩踏み出し、組織の中で「新しい当たり前」を体現する。


その姿が同僚をエンパワーし、企業の文化を変え、やがて次世代が絶望しない社会へと繋がっていく。


上原さんがどん底の時期に見た「支援した方々のその後の幸せ」が、いかにして確信へと変わったのか。


こんな方におすすめです

✔ 「社会は変わらない」と諦めを感じている

✔ 自分の働き方の変化が、周りに迷惑だと感じる

✔ 子供たちに「働くことは楽しい」と思える背中を見せたい


個人の勇気が「社会構造」を溶かす。あなたの変化が、誰かの希望になる理由を紐解きます。


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サマリー

本エピソードでは、XTalent株式会社代表の上原達也氏をゲストに迎え、個人の変化が社会構造に与える影響について深掘りします。上原氏は、自身のキャリアを通じて、特に育児と仕事の両立におけるトレードオフを解消する「withwork」というサービスを立ち上げるまでの道のりを語ります。黎明期のITベンチャーでの激務、結婚・出産といったライフイベントとキャリアの葛藤、そしてジャパンタクシーでの経験を経て、彼は「キャリアとライフをトレードオフしない働き方」を実現するサービス開発に至りました。コロナ禍での苦境を乗り越え、withworkが多くのワーキングペアレントに希望を与え、社会構造の変化を促す可能性について熱く語られています。個人の勇気ある一歩が、次世代に希望を残す社会へと繋がるというメッセージが込められています。

上原氏のキャリアの始まりと初期の経験
こんにちは、夫婦関係学ラジオのアツです。このポッドキャストでは、夫婦の葛藤をサバイブするためのナレッジをお伝えしていきます。
今回は前回に引き続き、ワーキングペアレンズ向けのハイクラス転職サービスウィーズワークを運営するクロスタレント株式会社代表取締役の上原達也さんを招きしています。よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
ちょっとさっきの雑談でいろいろ話しちゃったんで、ちょっと全部それ話してもらいたいんですけど、上原さんの初めて働いた会社って何だったんですか?最初のITベンチャーでしたっけ?
そうですね、ITベンチャーのスピーという会社に新卒で入りまして、2010年の新卒だったんですけど、リーマンショック直後だったので、
今思うと結構転職活動、大変な新卒だったんですよ。就職活動落ちまくりましたもん。
いや、向かないですよね、あの時期だったら。
めちゃくちゃ落ちて、ベンチャーへの興味は確かにあったんですけど、大手企業と両方受けようっていろいろ見てたんですけど、めちゃくちゃ落ちて、最後の最後この当時スピーという会社が受けに行った時は設立2年目ぐらい。
ほんと、じゃあ始まったばっかりだったんですね。
はい、当時の代表の方も僕の2個上とかだったので、すごい若い会社だったんですけど、でもすごく思想においては成熟しているものだったりとか、やってる事業は別に花話しいものとかではなかったなと当時感じたんですけど、
でもこの考え方で、こういう意図を持ってこの事業をやってるんだ、この会社はすごく面白いなと思って入るのを決めた。
どういう2年だったんですか、その会社って。
ミッションは当時からいろいろ変わったりとかもしていたんですけど、やっていた事業はモバイル柄系に特化したSEOという事業をしていて、ニッチかけるニッチみたいな感じなんですよ。
柄系でしかもSEOで。
でもそこが当時、その後にスマホシフトというものが来ましたけど、やっぱり柄系シフトの最中で、さらにSEOというウェブマーケティングの中の1つの領域なんだけど、その中ですごく大きな変化が起きていて、
ここに参入することによってその次その次こういうステップがあり得るんだっていうことを見越していたという戦略性だったり、先見性というものを感じて、
かつそれを語っている経営層がめちゃくちゃ優秀だなと思ったんですよ。
いろんなその、例えば外資系の会社とかいろんなベンチャーとかの人の話は聞かせてもらってましたけど、
この人たちが自分の2個とか3つ上なのって、すごい感動して、この人たちとこの組織で、なんかやってることちょっと分かんないけどやってみようみたいな。
話聞いたらなんかワクワクするものが。
すごいワクワクしましたね。
そこで働き出して、さっき結構ブラックっていうか、大変だったって言ってたけど、どんな感じだったんですか、働く人だって。
働くにはめっちゃ働きました。
結局7年ぐらいいたんですけど、一番会社が伸びた時期だったと思うんですよね。
当然伸びる時期っていうのはすごく右翼曲折もあったので、すごい大変な時期とかもあったりとかする中で、
一番伸びているSEO事業の顧客向き合いの部分をミドルバックのような部分をやっていたので、
当然仕事量とか対応するクライアントの数とかがめちゃくちゃ膨大にあったので、
これはもう僕が辞める頃ぐらいにはだいぶ整理されて、今でもしっかり上場している企業なので、
今は問題ないですっていう前提で語るんですけど、めっちゃ働いてましたよね。
さっきなんか結構遅くまで働いてたっていうね。
たぶん、労働時間でいくとたぶん全社で僕がたぶん一番働いてたんじゃないかっていうぐらい働いてて、
もう本当に日付がだいぶ過ぎてから自分がオフィスを施錠してから会社から出て、会社から一息のところに住んでいたので、
めちゃくちゃ近いですね。
もうそのために近くに住んでいたので、歩いて帰って、朝起きて自分がオフィスの鍵を開ける、
みたいな生活が割とデフォルトになる時期がしばらくありますね。
一番遅くまで働いて、一番早く来てやってたんですね。
めちゃくちゃやってました。
なんでそこまで働いてたんですか?
やっぱり自分が一番担当しているクライアントの数も多くて、やらざるを得なかったというか、やらないと終わらなかったですね。
先輩とかいるわけですよね。彼らもいろいろクライアント抱えてるわけですよね。
その中で一番若いというか、入った若いの村田さんがそこまでやられてたのかなと思って。
若い会社だったんで。
みんな同じぐらいか。
中途の人とかもいましたけど、自分の部署は自分が一番古いぐらいには気がついたらなってなって、
やるしかないなと思いながら、先輩がリーダーになってたりしてたので、現場としては一番自分が稼働するとかにはなってたので、
何か理念があったんですか?その時にこれを成し遂げたいみたいな気持ちがあったりしたんですか?
この会社の成長を見ていくとか作っていくっていうのはすごくワクワクしていたので、別に嫌だとか辛いとかあんまなかったんですよね。やるしかないなみたいな。
楽しかったですか?その当時。
楽しくはありましたね。
その会社でどうなったか見てみたいっていうのは、ガラケーからスマホに変わっていって、世の中が変わっていく中で、
この会社がどういうふうな役割を果たしていくのかなとか、大きな役割を果たすんじゃないかなみたいな、そういうのがあったんですか?楽しみだなみたいな。
もっとシンプルに、この会社は絶対世の中にすごいものを生み出していくから、それに自分もチャレンジしていきたいんだっていう。
若さとベンチャーに入った時のマインドみたいなものの掛け合わせだと思うんですけど、
それをやっぱりピアーに信じてやってましたね。
確かにピアーですね。
絶対楽しいですよね、そういう時って。
夢中になれるものがあって、全コミットできて、もうプライベートも何もないですもんね。
そう、プライベートはなかったですね。
ないですよね。
会社終わって飲みに行くとかもなかったですね。
それすらないですね。もう仕事全コミット、でも楽しさがあって。
そうですね。
めちゃくちゃそれはわかります。すごい楽しい時期ですよね。
いい経験できたなとは思っているので、後悔はないですね。
そこで何年間働いたんですか?
7年働いていて、時期によって結構いろんな役割任させてもらったので、時期によってだいぶ違ったんですけど、
最初3年くらいは現場の仕事をやって、その後人事として新卒採用をやったんですよね。
そこでやってたんですか?
そこで新卒の方を採用するために、いろんな地方の大学も含めて回ったりとかリクルーティング活動をやって、
その後に社長室というところで経営直下の特命案件を受けたりとか、
新しい事業の海外展開になっていくとかをやらせてもらっていて、そんな形で大きく3部署くらいをやっていました。
一番忙しかったのは最初の現場の時期でしたね。
激務とライフイベントの葛藤
その現場の時期、新卒採用の始まる前くらいに結婚して、結婚した時期一番忙しかったので、
本当に妻が寝てる間に家を出て寝てる間に帰るみたいな、平日会ってないみたいな。
時期もありましたし、子供生まれた時は新しい事業の立ち上げの時期だったりだったので、その時期も結構カオスでしたね。
その後結構夫婦関係ぐちゃぐちゃになりますけど、普通の人だったら、どんな感じだったんですか?大丈夫だったんですか?
あんまりぐちゃぐちゃにはならなかったんですけど、
ただ子供が生まれた時期はなかなか、里帰り出産でカバーできたところもあったんですけど、
やっぱり戻ってからは大変でしたね。
子供戻ってきての育休期間と、その後の保育園が始まってからの妻の復職、この辺りはすっごい大変でしたね。
奥さんはいろいろ言ったりしなかったんですか?あんたもうちょっとなんとかなんないの?みたいな。
むしろそこはならなくて、やっぱり自分も悩んで、
ここも整理していくと、当時妻が働いていた会社で、育休から復帰して働くっていう人が全然なかったんですよ。
やっぱりその時のそっちの会社側でもなかなか理解が進んでいなかったり。
復帰するやつなんかいなかったぞっていう。やめるだろ普通はみたいな。
時短勤務で復帰しようっていう話を会社とした時に、
いやなんか時短勤務で復職だと正社員じゃないんじゃない?みたいな。
会社が時短でどう?って言ってたんですか?
会社に時短勤務で復職したいっていう話をしたら、それってなんかパートとかなんじゃない?
そうなんですね。今だったら時短ね、お帰りいいみたいな感じだけど、パートでいいじゃんみたいな、そういうノリがあったんですか?
非常に問題発言だと思います。
めちゃくちゃ問題発言ですよね。
多い話なんですけど。
で、そのぐらい前例もなく理解も及んでいなかったという中だったので、
それいちいち争うというか抗議するというよりも、
尺だなっていうので、じゃあフルタイムで復職するよっていうのを選んだんですけど。
初めて会ったんです。
でも会社への通勤1時間以上かかってましたし、
それフルタイムでやるって保育園の向かいいつ行くのって話じゃないですか。
お子さん何歳ですかその時。
当時1歳ですね。1歳の4月で保育園預けたので。
だから本当に預かり時間ギリギリに迎えに行って、
もう子供1人うちの子しか残っていなくて、
で、ワンオペで家事いくつやって、
で、僕は夜中に帰ったら、
もう家の中は荒れてて、
それを食器とか洗いながら、
僕は夜中に寝るっていう生活だったので、
まあお互いにやっぱりかなり限界だったんですよね。
自分もそこは何とかするべきじゃないかと、
週に1回でも保育園のお迎えをするか、
とかは話したんですけど、
逆にやっぱり妻からすると、
自分がそこを、
自分のキャリアを犠牲にして、
それをやるっていうのは望んでないということだったので。
私は頑張るっていう。
でも逆に言ってほしかったなって。
言ってほしかった。
やってよって言ってほしかったなっていう気持ちもあるんですよ、僕からすると。
それはある意味はお互いのジェンダーバイアスでもあるなと思うんですよね。
たしかにね。
夫のキャリアを潰すとダメだみたいな。
実際どうだったですか?
実際そのお迎えとか、
行こうと思えば行けた感じあったんですか?上原さんは。
ギリギリめっちゃ頑張れば週1は行けたかなぐらいの感じですね。
まあでもフレックスとかはなかったので、
大変ではあったんですけどね。
まあギリギリまで預けていくかどうかっていう感じでした。
そっか。
じゃあ奥さんがメインで子供のケアをして、
で、
しかもあれですよね、フルタイムで働きながらそれやったんですね。
すごいですね。
大変でしたね。
完全ワンオペですもんね。
そう、完全ワンオペで。
お互い地方出身だったので、
でも何かの時に僕が定時で帰った瞬間があったんですよね。
その時に長寿がめっちゃ嬉しそうに僕にかけ寄ってきて、
嬉しいっすね。
嬉しいという気持ちと、
俺は何をやってるんだ。
今まで何やってたんだみたいな。
この瞬間を犠牲にして仕事してんのかっていうのは、
なんかすごい心が動いたんですよね。
あの感覚はやっぱりすっごい覚えてます。
その生活はその後どういうふうになってったんですか。
働き方を変えたいというわけ、
ジャパンタクシーへの転職と新たな視点
起点ではなかったんですけど、
転職しようっていう自分の中のタイミングがあったんですよね。
何で転職したんですか。
その時は自分がやってたプロジェクトとかが、
いろいろひと段落したタイミングでもあって、
その先に当時の会社で自分がやりたいことが、
もしかしたらあんまりないかも。
もしかしたらこれは外を見るタイミングかもしれないなって思って、
転職活動をしてみたんですよね。
そこで自分の中で、
少し憧れ的に感じていた会社と、
縁があってお話聞いてみた会社、
それぞれお歯をもらって、
その後入ったジャパンタクシーという会社を選んだんですけど、
憧れの方ではなかったんですけど。
縁があった方ですね。
何でそっちを選んだんですか。
もう一個の憧れって感じていた会社の方は、
すっごい急成長した会社だったんですよ。
でも急成長していたんだけど、
その会社が、
経営者が子供が生まれたから育休を取るとか、
従業員の不妊治療とかライフイベントに対して、
しっかり福利厚生を打ち出してるってことをやっていて、
憧れの会社が。
信じられないなと思ったんですよ。
結構当時珍しいですよね。
当時の世の中としても非常に先進的でしたし、
僕が当時いた環境からすると、
会社がそんなことをするなんて考えられないって。
考えられない。
こういうふうに打ち出す会社に優秀な人材が集まっていくって、
そんな世の中になるのかなって思ったんですね。
上原さん自身も憧れたわけですもんね、この会社に。
すごくそれは自分の中で心に残ったのと、
あとは自分のキャリア上も、
こういう人になりたいなって思う人がいて、
その人の部下としてポジションがあったので、
めちゃくちゃ行きたいとこあったんですね。
めちゃくちゃ行きたかったんですよね。
なんですけど、いろいろ話していくうちに、
ちょっと待てよ、タクシーってすごい面白いぞって。
これからの自動運転とかテクノロジーが発展する世の中において、
IT業界にいると、むしろライルシェアっていうものの方が
スポットライトが当たりがちだったところに対して、
あえてレガシー産業に行くって、面白そうだなって。
なんで行ったんですか?
なかなかだってもうタクシーとか終わりでしょみたいな感じになって、
当時わかんないですけど、なんであえて行ったんですか、レガシーに。
みんながそう思っている中に隠れた真実があるなと思っていて、
シリコンバレーとか見ると、ライルシェアというものが正義であるというような捉え方がされていたものの、
日本のスタートアップでもタクシーというものはむしろ既得権益であるという見方もあったものの、
でもジャパンタクシーという会社の話を聞いたときに、
いや日本だと違う動きが実は正解になるかもしれないなって自分の中でも感じたのと、
その逆張りに張ってみる方が面白いんじゃないかって思えたことと。
あとは入ってみて思ったことでもあるんですけど、
その会社の社訓的なものの中に家族を大切にしようという言葉があって、
これがあるのもすごいいいなっていうのは思ったんですよね。
移動とかモビリティってやっぱり自分たちの子供が当然将来使うものにもなっていくし、
そこがより安心安全なものになっていくとか便利なものになっていくっていうのは、
子供の未来につながる仕事でもあるよなということも考えて、
一見するとこっちじゃないように思うんだけど、
なんかこっち行った方が面白いことありそうだなって思って決めたみたいな判断でしたね。
その会社が今すごいね、たれましてゴーンになっていくって言ってましたよね、会社アプリも。
CMとかですごい有名になりましたね。
よく使ってますもん、僕も。
嬉しいです、それは。
withworkの誕生とコロナ禍の試練
なるほど、そこ転職した後は家庭のライフの方ってどうだったんですか?
でもすごいやりやすくなったんですよ。
一個は当時の上司がワーキングマザーだったんですよね。
そうなんですね。
めちゃくちゃパワフルな、今もよく飲みに行ったりとかする尊敬する人なんですけど、
週の半分ぐらいは、
4時ぐらいまで働き会社を出て保育園を迎えに行くっていうスタイルをとっている人だったんですけど、
非常に共通言語があるというか、
なんかめちゃくちゃやりやすいなって思いましたし、
一回僕がすっごいハードなプロジェクトやってた時に、
次女の出産タイミングだったんですよ。
すごい大変ですね。
しかも長女の時もそうだったんですけど、節拍操さんだったんで、
毎日僕が保育園の送り迎えをやるっていう時期が1ヶ月ぐらい続いて、
お迎えも行きながらだったので、すごい大変だったんですよね。
そうですよね。
保育園をお迎えに行って、連れて帰って風呂とかまでやった後に、
ちょっとここからファミリースイッツ行って仕事するわって言って、
バトンタッチするとかはやってたんですけど、
でもなんかそんな辛いとかあんまり思わなくて、
それも上司も理解してくれてましたし、
自分の中でもこれはどっちも頑張るしかないなって思ってたので、
逆にどっちも大事にできてたので、
自分の中ではすごいやりがいがあったんですよね。
なるほど。
そういう意味ではすごく大変な仕事の中で成長することもできたし、
でも家庭に対して早く帰るっていうこともできていたし、
この次女の出産っていうすごく大事なタイミングに、
ちゃんと向き合うこともできたので、それはすごい良かったですね。
そうですね。
そのどっちもちゃんと頑張れたっていうのは、
何なんですかね、それは上原さんのマインド的なものがあるんですか。
絶対どっちもちゃんと頑張ろうみたいな強い気持ちができたみたいな感じなんですか。
まずやらざるを得なかったという。
環境的にやらざるを得ない。
プロジェクトとして時期が決まっていたのと、
次女の時も妻が切迫相残で、
家から出られなかったということもあったので、
これは両方やるしかないなって思ったのと、
ただそれをやることが別に誰かに対しての心苦しさとか、
罪悪感とかを持つことなく両方やれたので、
なんとかやれたなっていう達成感の方が大きかったんですよね。
なるほど。
人のお子さんも生まれて、
頂き出して、ご夫婦であまり揉めることはあまりなかった感じだったんですか、その頃とか。
その頃はあんまりなかったですね。
もちろんこれまでの中でちょいちょい大変だった時期とかはありましたけど、
次女生まれてからってあんまりなかったですね。
長女生まれてから、子供生まれてからあんまり
すっごい腑中に悩むことがなかったかもしれないですね。
それはその奥さんが、あなたのキャリアを潰したくないっていうのもあったし、
多分それだけじゃないですよね。
すごい家庭にやるべきときはコミットしてますよね、上山さん。
そうですね、ちょいちょいの時も、
平日は仕事でできないことはすごく多かったんですけど、
保育園探しとかめちゃくちゃコミットしましたね。
そこそこ激戦区のエリアだったので、どうやったら入れるんだろうっていうのを、
周りの人に聞いたりとか、
区役者に聞き込みに行って、
どの保育園だったら入れる角度がありそうかっていうのを、
めちゃくちゃヒアリングして、
分かった、この順番でいったら多分いけるから、これで出そうって言って。
確かに。
結構子育てについては、
割と試行錯誤はすごい頑張りましたね。
なんかそういう脳裏的な頭脳を使いながらやるタスクが得意だったんですか。
それとも体使う系の子育てとかもしっかりやってる感じだったんですか。
土日に一緒に遊んで。
子供と遊んだりとかもやっぱりやり、
そこは多分普通にやったぐらいだと思うんですけど、
妻と一緒にそこはやりましたね。
当時土日に仕事するとかはなかったですし、
土日はもう家族の時間にすることはできて。
1社目の時、お子さん生まれたら2社目になったと思いますけど、
すごいハードな中で疲れてる中で、
どうやって土日に家族と接するためのパワー、
どうやって演出というか作ってたんですか。
疲れちゃって、どうやら寝かしたよみたいな人もいるわけじゃないですか。
俺も昨日遅く寝てたから、
無理だよ、お前ちょっと子供ごめんやってくれよみたいな、
もうちょっと昼前寝てるわみたいな人もいる。
気持ちの問題はあると思うんですけど、
体力的なところとかどうやって調整されてたのかなとか、
気持ちが大きいんですかね、どうなんだろう。
そうですね。
妻はどっちかっていうと体強くないんですよ。
だからやっぱりむしろ妻の方が疲れてたので、
自分がやるしかないなっていうのでやってた気もするのと、
全然余裕でしたかっていうよりは、
必死に大変だなと思いながらやってたことの方が多かったとは思います。
でもそこは妻も大変だなと思いながら何度も頑張ってた感じかもしれないですね。
体調管理とか気を付けないだとかしてました、当時って。
そうでもないですかね。
比較的生まれるのが早かったので、
若さゆえの耐えりがあったのかもしれないなと思うのと、
幸いなことに体は多分頑丈な方なんですよね。
だからあんまり熱出したり、自分が体調崩したりすることってあんまりないので、
それは何とか頑張れた要因かもしれないですね。
そこでJavaのタクシーで働かれて、
そのアプリが生まれたのもそのタイミング。
アプリは僕が入るよりもだいぶ前にできていたんですよ。
それがもっと広がっていき、
外部からの資金調達も受けて一気に成長していくというタイミングだったので、
結構僕がいた2年間とかすごい激動だったんですよね。
新しいサービスもめちゃくちゃ生まれましたし、
僕もいろんな仕込みをやって、
それを全部やり切るというよりは、
ある程度仕込みまでいったタイミングで次のことをやりたいなっていうのがあって。
なんでそれはやめたんですか?
次そこでやり切ったみたいな感じだったんですか?
会社の中でフェーズが変わったなっていう感じのこともあって、
自分の中でめちゃくちゃ面白いなっていう瞬間が終わったタイミングがあったんですよね。
それはもうこの先広がるだけだなみたいな感じとかですか?
そうですね。
一番大変な時期はもう終わったなみたいな、そういう感じ?
これちょっと言語化が難しいんですけど、
むしろちょっとその時は今の自分にはつまらなくなるなって感じたところもあって。
自分が好きなタイミングじゃなくなるなみたいな。
ウェアさんが好きなのが、
なんかすげー大変な時ばっかり選んでるように見えるんですけど、
なんかそうすげー急成長していく、
めっちゃ仕込みまくるぜみたいな時期がやっぱ好きなんですか?
好きでしたね。
特にスタートアップっぽさもありつつ、
いろんな巨大資本の間の中にいる会社でも当時あったので、
そうなるとやっぱり大企業の論理の中でどう生き抜くかを作っていくことになるっていうのが、
あまり自分としては本質的な価値を追求しているようには見えないところもあって、
ちょっと自分じゃない人がやった方がいいのかなっていう気持ちもあって、
次のテーマを自分は探していってもいいのかなっていうのは思いましたね。
そこで探す中でその後取った選択って何だったんですか?
その後に今のクロスサレントという会社を作ったのは、
完全に自分がゼロから自己資本で立ち上げたというよりは、
あるスタートアップスタジオに入り、その中で子会社として立ち上げたっていう経緯があったんですね。
そこは今またより自分のオーナーシップの中でやっているんですけど、
そこで自分の中でやりたい事業にチャレンジしようと考えた時に、
じゃあやりたい事業とか今やるべき事業って何だろうなっていうのは、
結構左脳ですごい考えた部分もありましたし、
一方で右脳で自分にとってすぐにしっくりくるとか、
10年やろうと思えるような事業って何だろうって思った時に、
子育てとキャリアっていうテーマが自分にとってはずっとあったら大きなテーマだなと。
子育てとキャリア。
はい。
それはその一生懸命の経験とかからあったとはですか?
ずっとその事業を作ってきて、事業を通じて何かの課題を解決するとか、
社会の姿を変えるっていうことをやりたいなと思っていた中で。
社会を変えていきたいなって思いは結構あったんですね。
そうですね。
昔からあった感じですかね、その辺は。
やっぱり事業を作るってそういう社会に対してインパクトを与えることだなって、
それが自分が良しと思う、自分はこうしたいんだ、こうありたいんだと思うものを
実現できるっていうものが、やっぱりゼロからビジネスを作る。
その醍醐味だなと思ったので、そのテーマが自分にとって何なのかっていうのは、
それこそ新卒の頃は明確ではなかったんですけど、
だんだんそれが自分の中でやっぱり原体験として持つようになってきて、
あ、子育てだなって。
子育てとキャリアというテーマだなって思って、
このwithWorkっていうサービスの発想になったんですよね。
なるほど。
クロスタレントっていう会社自体は小会社、今でも小会社なんですか?
今はちょっとそこは変わってきてるところもあるので、
基本的には自分のオーナーシップでやってる会社にはよくなってます。
クロスタレントって会社はwithWork作るために作った会社なんですか?
そうですね。もうwithWorkを創業事業として始めています。
なるほどなるほど。
それを始められたのが何年、2000何年ですか?
2019年。
2019年。
サービス開始したのがその10月でした。
なるほど。
最初はワーキングマザー向け、働くマザー向けに始めたんですよね。
そこにじゃあwithWork繋がってくるんですね。
そうですね。
創業した時も結構忙しかったんじゃないですか、始めたばっかりの時とか。
そうですね。地上はその時1歳だったかな。
最初は忙しかったですね。
奥さんはずっとフルタイムで働いていた?
そうですね。フルタイムで復職して、一時時短に変えたりとかはしていたのと、
ただ基本的にはそれぞれ友働きでやっていて、
最初は立ち上げ時忙しかったんですけど、
立ち上げてすぐにコロナ禍になったので、
そこからフルリモートで切り替えてというので、
またそこでガラッと変わりましたね。
何が変わったんですか?
出社して、オフィスで仕事して、
なんとかこれ立ち上げるぞってやっていたところから、
リモートでやろうってなった時に、
自分の生活のスタイルとか、時間の使い方っていうのはやっぱりすごい変わりましたね。
どういう風に変わりました?
やっぱり朝の送りをやるとかは変わらなかったんですけど、
その後家で仕事して、夜家庭の時間がある。
みんなでご飯作って食事してっていうのを、
ジャパンタクシーの時も日によっては早く帰って、
子供をお風呂に入れるとかやるようにはしていたんですけど、
ずっといるっていうのは初めてです。
あれ?これ全部できるじゃん。
迎えに行って、自分でご飯作って風呂入れてとか、
できるぞって。
そこからもう完全にそのスタイルになって、
食事もじゃあこれだったら自分がやるわってなって、
生活が本当に変わりましたね。
キャリアとライフはトレードオフしない生活が実現した感じですね。
こんなやり方があったのかって感覚になりますね。
なるほど。
創業したばっかり、ニーズワーク始めたばっかりの工程どうでした?
順調だったんですか?授業って。
いやー、なかなかずっと大変ですね。
特に当時はまだリモートワークとかもなかったので、
やっぱり時短勤務で働くということがほぼ前提になってましたし、
そうなるとエージェントという仕事って、
転職した方の年収の30%とか35%をいただくようなモデルで始めていたんですけど、
いわゆる単価というのはすごく低くなる構造にどうしてもあるので、
ただ求人の開拓もすっごい難しいし、
求人の開拓?
企業を営業してその企業の求人を預かる。
いや、そうですよね。
すごい難しい。
絶対しか働かないんですよって言ったら、いやいやってなりそうですもんね。
そこも限定されて、ただ実際求人を紹介する際でも、
家がめちゃくちゃ遠いと難しいじゃないですか。
そうですよね。働く先が遠いですよね。
通勤時間を皆さん短くしたいと思うので、
めちゃくちゃ難しいんですよね。だから紹介が。
確かに。
全然売上が成り立たなくてね。
マッチしなそうですね、確かに。
難易度がすっごい高かったですね。
どうやってそこをうまくマッチしていったんですか?
どうやって乗り越えてたんですか?そこまで。
うまいやり方も全然なくて、
気合と物量で頑張るしか本当にないようなところから。
企業さん開拓しまくって、
相談者の方、家が近いところで探してみたいな。
いっぱいそういう金を探してきてみたいな。
そうですね。それをどう頑張るかっていうのを
何とかやるぞってやっていたんですけど、
これなかなか厳しいなって思っていたところに
コロナ禍になって、
その時は緊急事態宣言で、
ほとんどの企業は採用を凍結するんですよね。
やばいですね。
本当に死ぬかと思いました。
採用凍結とか、収入ゼロみたいな感じですもんね。
そうなんですよね。
閉める日の扉がブチョっと閉められて。
求人全然ないぞってなりますし、
採用している会社も非常にハードルを高く見ていて、
一方で登録に来る方は本当に困っている。
復職しよう、育休から復職しようにも戻れなくなってしまったとか、
今の会社から契約切られてしまったとか、
そういう悲痛な声もすごかった。
本当に何もできなかったですね。
その時期は一番顧客への向き合いという意味でも、
社内の経営という意味でも非常に苦しい時期でしたね。
コロナの間は1年2年とかは結構大変だった?
だんだんそれが、
でもあの頃ってリモートで働けるんだってなっていって、
もっとリモートで働きたいみたいな人が
そういう会社に定職したりとかって流れもあったんですか?
ちょっと落ち着いた後にその流れが始まった。
少し採用が冬の時代があった後に、
ただその流れだからこそのDXというトレンドが生まれて、
その領域における企業の採用ニーズは高まり、
そして働き方もリモートワークになっていく。
そうすると登録されている方からも、
今まで時短勤務で働くという風に思っていた方が、
あれ?これだったらフルタイムで働けるじゃん。
フルタイムだとやっぱり年収も下がらないし、
やっぱり時短だからといって仕事を任されないという状況から脱却できる
という方々がむしろ相談いただけるようになっていって、
企業とのマッチングもできるようになってきた。
そこがまたウィズワークとしての新しい可能性が見えてきた瞬間でもあったんですよね。
本当に社会の流れが変わっていく。
ちょいちょい見事に鎖打ち込んでますよね。
そうですね。あの時は本当にすごく大きな変化で。
ちなみにまだその時は男性の登録はそんなに多くなかったですね。
女性の登録はまだまだほとんどでした。
苦境からの再起と事業の可能性
それはわがまま向けって歌っているからじゃなくて?
いや、その頃ワーキング・ペアレンズとはしていたんですけど、
男性の登録はあれでしたね。
なんでなんですかね。
あれまで働けるかな?困ってなかった?
ちょっと価値観の変化にタイムラグがあったのかなという気はするんですよね。
一回それを体験した後に、会社によってはその働き方ができないとか、
出社に戻るとかという中で、あれ?って違和感を感じるようになる。
そんなタイミングがあったのだろうなとは思いますね。
でもやっぱり一回本当に谷の底を見て、新しい兆しが見えるという時期ではあったんですけど、
当時のチームとしては非常に会社として苦しかったとか、
その中で方向性もいろいろ議論して折り合わないところも出てきたっていうので、
チームは実質一旦解散ぐらいになったんですよね。
ウィズワークのチーム?そうなんですか。
その時のメンバーはもう誰も残っていない。
完全に生まれ変わりみたいな。
自分一人の状態にほぼなりました。
でもそれはコロナになって休業ストップして大変で、
っていうだけじゃなくて、方針の食い違いとかはあったんですか?
そうです。会社の中で経営が難しいという中で離れざるを得なかったというメンバーもいましたし、
残ったメンバーの中でもこの会社でどう未来を作っていくのか議論した時に、
ウィズワークじゃない、もっと違う事業を作った方がいいんじゃないかっていう声もあったのと、
そこに対して強く反論もできず、そうかもしれないね。
でも自分はウィズワークをやるねってなっていった中で、非常にカットもあったんですよね。
でもやっぱりウィズワークで新しい兆しが見えていく中で、
やっぱりこの事業をちゃんと大きくする必要があるし、
この事業が他の事業よりも劣後するような存在になるっていうのは、
この会社この事業をやっている意味が自分にとってないなって思って、
やっぱりこのクロスサレントという会社はウィズワークにもう一回フルコミットした方がいいんじゃないかって、
いろんな可能性も全部なくしてウィズワークに集中しようっていうことを決めたんですけど、
その時にやっぱり離れたメンバーもいたんで、
実質一人でやり直すっていう。
どうやって一人から今まで頑張ってきたんですか?
大変すぎません?一人でやるって、そのサービス。
そういう時にありがたいことに助けてくれる人が出てきたりとか、
その時は完全一人になったというよりは、まだその時に残ってくれていたメンバーも一人いて、
そこから業務委託で関わってくれる人がいたりとか、
長い付き合いの人材紹介、ベテランの方がサポートしてくれるように、
なんて今もずっと支えてもらっていたりとか、
そろそろ採用してみようかと思って、
当時Xで採用しますって出したら、
今も働いているメンバーを応募してくれたりとかっていうことがあって、
すごい良い人がその時期に少しずつ来てくれるようになっていって、
そうするとまたメンバーも増えてできることも広がって、
で、ちょっとずつ仲間が増えたり。
その時にもまたうまくいったと思ったら、
またガクッと凹むみたいなことも起きて、
何度もやっぱり開始上の苦しい時期はあったんですけど、
でもそのために良いメンバーに恵まれてやってこれてるなっていうのは思いますね。
そのどん底の時に誰もいなくなっちゃって、一人っきりの時に、
クロストレートとしてやるのはウィーズワークだなって、
キャリアとライフをトレードオフしない、
それに育てたキャリアがあって、
そこまで強く思えたのは何であったんですかね、そこまで。
実際に転職支援していた方の変化を見ていたからだと思うんですよね。
ウィーズワークに登録に来た時には、
もう本当に自分はキャリア諦めるしかないんだろうとか、
もう自分には市場価値ってないんですかねっていう方が、
でもやっぱりちょっとした出会いとか、
その本人の変化によって良い会社と巡り合えて、
当時支援した方々が、
その時いた会社でしっかりキャリアを作り直して、
また別の会社で転職したり、新しいキャリア作れたりっていうことが、
今も関係性ある方すごい多くいて、
そんな姿を当時も見ていたので、
この事業絶対なくなったらダメだろうって。
この事業がやっぱり大きくなるっていうことが、
世の中にとっての大きなインパクトに繋がっていくって思うと、
これは自分一人になってもやっぱり頑張るべきだろうし、
頑張りたいなって思ったから、
踏みとどまれたっていうのがあったと思いますね。
でも一番自分の中でも辛かったのはあの時期ですね。
一人きりですもんね。
あそこからは今も大変なことがいっぱいあるんですけど、
あの頃に比べたらまあやれるかなって。
そこを見たから。
相談に来てくれた方たちのその後の幸せを見てるから、
これ絶対必要だよなっていうのが気持ちとして奥にあったんですかね。
なくなったらダメなサービスなんだろうなっていうのはすごく。
なくなったらダメなサービス。
このサービスがあったからこの人たちのこの変化が生まれたのであって、
もしその時にウィズワークがなかったら、
この人たちはもっと自己高齢感や自己肯定感を失っていたかもしれない。
キャリアをトレードフにしていたかもしれない。
でもこの人たちがトレードフにしなかったっていうことが、
またその人が活躍している組織の中で次の変化を生み出して、
次の採用に繋がるとか、
同じチームの人たちがエンパワーメントされていくとか、
つながっていってるんだろうなと思うと、
この連鎖を止めてはいけないなって。
むしろ加速させないといけないなって思えた。
その当時ご支援させていただいた人たちにはすごい感謝の気持ちがありますね。
現体験ですね、本当に。
その時支援した方たちが家庭も仕事も大事にして、
自分らしい生活、理想の生活を手に入れて、
それを見てた子どもたちも、
あ、できるんだって思いますよね。
我慢して、我慢して、我慢して、
我慢するのが人生だ、みたいなもんじゃないんだな、みたいな。
いい循環が生まれますよね、きっと。
親の姿って子どもにとってすごく重要なんだろうと思うんですよね。
これは親と子どもの過ごす時間の長さとかっていう話ではなく、
やっぱりどんな顔でどんなことを語ってくれたか、
みたいな話なのかなと思うんですよね。
それがよく共働きで子育てするのは確かに大変なんですけど、
でも、だからこそ見せられる親の姿っていうものがすごいあるなと思って、
それがどんどんポジティブなものになっていってほしいし、
なっていくことで世の中変わるものはやっぱりあると思うんですよね。
そうですよね。
蕾原さん個人は、
お子さんにどんな姿見せたいなとかってあります?
こんな姿見せたいな、みたいな。
それこそやっぱりワーキングパレンツという言葉を使っているのもあり、
あまり固定観念に囚われない姿を見てくれるといいかなとは思うんですよね。
別に経営者になれとか、
そんな大それたことはあんまり思っていなくて、
基本的に子どもには好きに生きてくれと僕は思ってるんですけど、
個人の変化が社会構造を変える
ただその中で、
女の子だからこうしないといけない、
みたいなことを思わなくていいんだよって思ってるので、
僕は料理をすると。
家の中で料理担当なんですよね。
別に母親が料理しないといけないとかじゃないからねって。
経営者もやりながら料理もして、
お子さんにそういう姿を見せてっていう生活を今送られてるんですね。
固定観念を持たなくていいような姿にはしたいですね。
そうですね。
それ結構大きくないですか、蕾原さんの中で。
固定観念を持たないようになってほしい、バイアスを持たないでほしいみたいな。
そうですね。
逆に言ってもそのぐらいしかないですね。
なるほど。
なるほどですね。
そっか。
結構もう48編も聞いた。
でも現体験をお聞きできてよかったです。
その時の、
それを乗ってた方たちのその後の幸せな姿を見たりとか、
あと、
蕾原さん個人が一社目、二社目で、
一体の中でもがいてたというか頑張ってたっていう体験が結構多かったですね。
そうですね。
でも構造を変えるっていうことを僕はすごく大事だなと思って。
構造を変える。
一人の人が変わるだけで終わるんじゃなくて、
一人の変化が、
例えば組織の中とか、
社会の中における、
こういうものが当たり前とされていたっていう構造が変わっていくっていうことだと思うんですよね。
構造としては、
男性と女性で役割が分かれて、
女性はこういうふうにしていく、
男性はこうあるっていうのが、
それまでの構造としてあったとして、
それって大体やっぱり再生産されていってしまう。
そうですね。次の代に引き継がれますよね。
組織の中においても、
やっぱり出産するとこうなるんだ、
みたいなものをやっぱり女性は見て、
絶望してしまい、
組織を離れるのか、
自分のキャリアを諦めてしまうのか、
なりがちなところに対して、
やっぱりそうじゃない事例がどんどん生まれていくとか、
それが特別なものじゃなくて、
普通なものになっていくことによって、
次の人たちの意思決定が変わっていく、
そういう構造の変化があるよなって僕はすごく思うんですよね。
これはもう男性も女性も関わらず、
変えてきるものだなと思うので、
ウィズワークで起こす変化っていうのも、
個人の変化だけじゃなくて、
個人の変化を通じて世の中の構造を変えていく、
ことができるものだと思っているので、
これがすごく意義があるというか、
必要なものだなっていうのは捉えていますね。
確かに確かに。
僕の話なんですけど、
僕、夫婦関係悩んでいる男性向けに、
思いやりな心を育むトレーニングっていうのをやってるんですよ。
それも近しいとかあるなと思ってて、
彼らが妻に対して共感できないとか、
思いやりある言葉をかけられないとか、
モロハナフキハラチックなことをやっちゃうとか、
っていうのはもちろん身体自身の特性の問題とかもあるんだけど、
代々引き継がれてきた負の遺産はそこにあるなって思ってて、
それが全部ではないけど、
その要素は大きいなと思ってるんですよ。
だけど自分の代でそれを変えることができて、
他者に対して思いやりを持てる人間になって、
もしくは自分に対して自己批判とか、
自己嫌悪とか恥とかに陥らずに、
自分のことをちゃんと大事にできて、
他者も大事にできてっていう人間に変われたら、
次の代の子供たちってめちゃくちゃダイレクトに変わってくるじゃないですか。
そのお父さんから手に懐かれて愛されてなったら、
次の代にもちゃんと愛をペイントフォードじゃないですけど、
循環していくなと思ってて。
お話聞いててそこ本当にまさにそうだなって感じましたね。
社会自体が変わって、個人が変われば社会が変わってきますもんね。
それが回り回ったように。
そうなんですよね。
いかに自分たちの代で変えていけるかっていうことかなと思うと、
やっぱりここはやらなきゃいけないなって思いますよね。
今なんかこう、そのために次はこれをやろうみたいな、
そういうなんかあるんですか。
野望じゃないけど、これからこれを力入れようみたいな。
そうですね。
もしくは今のサービスをどんどん広げていこうなのか。
どっちもあって、まだまだwithWorkっていうサービスが提供できている価値って、
エリア限定みたいな感覚なんですよ。
まだこのエリアでしか価値を提供できてない。
それIT系だけみたいなそういう話?
そうですね。
地域で見てもまだまだ東京の企業中心のお付き合いですし、
ご紹介する求人の業界で見ても、まだ特定のところしかできていない。
でもここから始めないとまだ成功体験作れないなとも思ってますし、
それやっぱり一個一個広げていくっていうことが必要なので、
それがやっぱりいかに早く進めていけるかっていうことはやっぱりやりないことですね。
トレードフにしない働き方が東京のIT業界だからできるんだよね、
で終わらせてはいけないなと思うので、
別にどこのエリアでもどんな産業でもできるようにしていかないといけない。
そこへの道のりがまだすぐではないなとは感じるんですけど、
やっぱりそれを早めていきたいなっていうのは思います。
それをするためにもしかしたらビジネスモデルの拡張も必要だなとも思いますし、
ワーキングペアレンスが活躍していくためのアプローチで、
仕事だけではないところに課題がいっぱいあるので、
家庭の家事育児の中にもあればパートナーシップの中にもいろんなところにあるんですよね。
仕事選びの課題も解決するんだけど、
そこだけではない課題も早く手を取っていくようにしていきたいなっていうのは、
やりたいことはまだまだたくさんあるなっていう感覚ですね。
そうなると人材紹介は手段であって、目的達成するための手段は他にもあって、
そこをやっていこうみたいな、頑張っていこうみたいな。
そうですね。人材紹介はやっぱり僕は手段だなと思っているんですけど、
でもインパクトが大きくかつ非常に仕事としてもめちゃくちゃ面白い手段だなって思っています。
なるほどですね。そっか。
でも寝かしたい企業を変えていくって結構難しそうな感じもありますけど。
メッセージと今後の展望
難しいですね。
僕らが変えようと思ってすぐに変わるっていう話だけではないと思うんですよ。
でもそれがもう変わらないともう持続可能性はないよねっていうところまで来てると思うんで、
それがいろんなアプローチによって変わっていけると思うんですよね。
前このラジオにもコテンラジオさんの名前とか出てましたけど、
コテンさんもジェンダーインクルーシブに対するコンテンツを出されていて、
やっぱりそこをいろんなアプローチから変えていこうっていう動きが多分どんどん迫っていくようなものですよね。
あれ確か植原さんがXでジェンダーインクルーシブの聞いたみたいなのを聞いたよって言ってたよ。
僕がそれ反応して僕も聞きましたみたいな。
あれで確か繋がったんですよね。
そういう繋がりってなんかそういった繋がりもあるんだろうなって気がして、
僕らがこうやって出会ったのもそのジェンダーインクルーシブって音源を元にして僕らが出会ったわけですけど、
そういう自分がこう思ってる理念がこうだって発信する中でいろんな組織が繋がっていく感覚がなんかあるような気がしますよね。
そうですね。本当にみんなで変えていくものだと思うんですよね。
そうですよね。なるほど。分かりました。
じゃあちょっとねこれもうね多分2時間ぐらい僕は聞きたいんだけど終わらなくなっちゃうからこの辺かなそうですね。
あと最後に今そのキャリアとライフでこう狭間で苦しんでいる男性女性に何かメッセージを送るとしたら何を伝えたいなあって思いますか。
そうですね。
どっちも両立したいなあって。だけどうまくいかないなあって。どうしようかなあみたいな。どうしたらいいんだろうなあみたいな。
まあウィズマイクを着てくださいってなるかもしれないけど、何かメッセージを送るとしたらマインド的なところでは見ないし。
そうですね。皆さんやっぱり大変な中にいると思うんですよ。
置かれている状況によってどういうトレードフォーを感じてしまいそうになっているかって人によって全然違うと思うんですけど、
いかにそれをそれぞれ自分自身だったり自分の過程の中でありたい姿を描いてどう近づけていくかっていうことが必要だなと思っていて、
それをみんなで一緒に考えていけたらいいなと思うんですよね。
その変えるための手段が転職になる人もいれば、転職じゃない手段があるっていう人もいるんだと思うんですよね。
これは実際ウィズワークをやっていてもすごい感じるところで。
それはもっとみんなで、一人一人やっぱり孤独になっちゃうと思うんですよ。
孤独にならずにみんなで考えていけるかっていうことがやれるといいなと思っています。
一旦悩んだらウィズワーク相談いただければなと思いますし、
僕らもポッドキャストでキャラトラというポッドキャストもやっているので、
そこでいろんな話もしているのでぜひ聞いてほしいですし、
いろんな情報を触れながらみんなで頑張っていきたいですね。
頑張っていきましょう。
一緒にちょっと飲み込んでいきたいですね。
孤独になるのが一番まずいですもんね。
一人抱え込んじゃうのがね。
分かりました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
ウィズワークのサービス詳細ですね。
概要欄に貼っておきますのでぜひチェックしてください。
今日の話が少しでも良かったなと思った方は、
番組のフォローと五つ星評価ですね。
スポティファイの点々と押すと評価できるようになっていますので、
ぜひ評価お願いします。
皆さんの評価がこの番組を続ける大きな力になっています。
番組のご感想を取り上げてほしいといえば、
概要欄のお便りフォームからぜひお送りください。
ウィズワークさんありがとうございました。
ありがとうございました。
お疲れ様でした。
ありがとうございました。
55:17

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