1. アツの夫婦関係学ラジオ
  2. #388 妻がなにを考えているか..
2022-06-16 25:15

#388 妻がなにを考えているか分からないあなたへ

妻がなにを考えているのかわからない。

勝手な思い込みばかりが頭の中を走りまわり、妻に勝手なレッテルを貼ってしまい、イライラがさらに加速していく。

そんな経験はないでしょうか?


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妻が何を考えているのかわからない。勝手な思い込みばかりが頭の中を走り回り、妻に自分勝手なデッテルを張り、さらにイライラが加速していく。
そんな経験はないでしょうか。今日は妻が何を考えているのかわからないあなたへということで、
なぜ僕ら男性は妻が考えていることがわからないのか、そしてどうすればわかるようになるのかってことについて話をしていこうと思います。
今日の話は大きく分けて3つありまして、分からない夫側の視点の話と、言わない妻側の視点の話、
そしてその上でどうすればいいのかってことについて話をしていこうと思います。
今日の放送を聞いていただくと、なんで妻は思っていることを言ってくれないのかとか、
何を考えているのかさっぱりわからないんだけどといった悩みが少しは晴れるかなと思っています。
はい、ちょっと話をしていこうと思います。まずですね、分からない夫側の視点、妻が何を考えているのかわからない夫の視点について話をしようと思うんですが、
本当に分からないのか、それとも分かろうとしないのかって2つあるのかなと思うんですね。
僕個人の感覚では、本当に分からないということはなくて、分かろうとしないことが原因なんじゃないのかなって僕は思うことが多いんですね。
分かろうとしないっていうのはどういうことかというと、これ結構僕もそうなんですけど、男性側、男性の思考の癖の一つで、
女性もあると思いますけど、男性よく多いなと僕は思うのは、自分の物差しの範囲でしか人を理解できない、理解しようとしない傾向があるなって思うんですよ。
自分の中にあるフレームワークってあるじゃないですか。誰かと話をしていて、この人はこういう人なのかなとか、こういうことを考えているのかなとかって当てはめていくときって、
自分の中にあった経験とか知識とかそういったものを使って、ある種のフレームワークに落とし込んでいくんですよね。
この人は周りからきっとこういうふうに好かれるタイプなんだろうなとか、この人はどこでもこういうこと言っちゃうんだろうなとか、
この人は今こういうことを考えているんだろうなみたいなふうに、自分の経験、体験、知識を元に自分の中にあるフレームワークを使ってその人を判断しようとするんですよね。
自分の物差しで相手を測ろうとする傾向が男性は多いなっていうのを僕はすごい感じてるんですね。
これは、昔僕は古服屋で働いていて着物の販売員をやっていたんですけど、お客さんはほとんど女性なんですよ。99.99%女性。
もう1回だけ男性のお客様を見たことがあるんですけど、ほぼ全員と言っているお客さんは女性なんですね。
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そして販売員の半分ぐらいが男性で半分ぐらいが女性かな。
そういった女性をメインとしてコミュニケーションを取る仕事をしていたんですけど、その後に商社で働いたんですよね。
専門商社だった小さな会社だったんですけど、完全に男の社会なんですよね。
社員のほとんどは男性。営業も男性しかいない。そしてお客さんも全員が男性。
しかもおじさんばっかり。3,40代、4,50代以上のおじさんばっかりっていう環境にガラッと変わったんですよ。
その時にすごい感じたんですよね。なんかすごい当てはめてくるなって。
俺のことをすごい勝手な解釈して勝手なフレームワークに落とし込んで、こういうことを考えてるよねとかこういうことをしようとしてるよねみたいなふうに当てはめてくるなっていうのをすごい感じたんですよ。
それって五福屋の時の男性社員同期とか同僚とか先輩たちとかと全然違くて、自分の物差しで僕のことを測ってくるんですよね。
で、こうだろ、ああだろっていうふうに落とし込んでくるんですよ。
合ってる部分もあるっちゃあるけど、それだけじゃないよ俺っていう人間はっていうふうな反発がすごい当時感じてて、ここなんだろうなって僕は思うんですよ。
この男性社会で働いてきた人とか男性社会の中で暮らしてる方の多くは自分の物差しで相手を測ろうとする。
自分の中にあるフレームワークでしか相手が理解できない、そういった傾向があるんじゃないのかなって思うんですよ。
自分の理解が及ばないところは理解しようとしない、そういった傾向があるんじゃないのかなって僕は思うんですね。
そしてこいつ何なんだ、どういうこと全然わかんないっていうふうに自分の中にある知識とか経験とかから外れたところにある思考とかっていうのは落とし込めないんですよね。
だから理解できないと判断して理解しようとしないんですよ。放棄するんですよね。考えることを放棄する癖が強いなって。
ひどい人はそれを分かったふりをして自分の中にあるフレームワークに間違ってるのに勝手に落とし込んじゃうことがあるんですよ。
これすごい説明が難しいんだけど、本当はそういう人じゃないのに自分の中にある勝手なフレームワークに落とし込んで、
いやこういう人だよねって、お前はこういうこと考えてるんだよねというふうに勝手に決めてかかってくるっていう傾向が結構あるんですよね。
本人も間違ってると思って言ってるのか、無理矢理通そうとしてるのか、自分の中にあるその線が一本綺麗に通らないもんだから、
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気持ちを落ち着かせるために、自分の精神状態を落ち着かせるために、その人の脳が自分にとって都合がいいように勝手に解釈しようとするんですよね。
フレームワークがないことは理解できない、そして言語化できないことも理解できない傾向が男性は強いなって僕はすごい感じてるんです。
これが男女の分断を生んでいくんじゃないのかなって思っておりましてます。
この話はまたちょっと後で詳しく話すとして、言わない妻側の視点についてまずちょっと話をしようと思うんですけど、
なぜ妻が考えていることを言わないのか、何を考えているかというと、例えば夫への不満であったりとか、家事・育児への不満であったりとか、
仕事に対する不満、仕事をしたいんだけどできないといった、自分のアイデンティティに関わることに関する不満であったりとか、
そういったことを女性はなかなか言わないという傾向が強いと僕は感じてるんですね。
これは言わないのには理由があるなって僕は思っていて、それは3つに集約されると思うんですね。
1つは恐怖、2つ目は恥、3つ目は呪縛。この恐怖と恥と呪縛の3つがとても強いなと思っていて、
例えば恐怖というのは、こんなことを言ったら怒られるんじゃないのかなって、こんなことを言ったら夫に怒られるんじゃないのかなって、
本当は言いたいんだけど、めっちゃ言いたいんだけど、すごく言いたいし、別に間違ってないと思うんだけど、
だけど夫に言ったら怒られるんだろうな、あの人分かってくれないし、っていうのが恐怖なんですよね。
で、恥というのは、こんなことを思っちゃいけないよなって、こんなことを思ってる自分はなんてダメなんだって、
自分はなんてダメな人間なんだって、自分の自尊心がダタ下がりするっていうことがあるんですよね。
自分が考えていることがとても悪いことであると思ってしまう。こんなことを考えていると自分が恥ずかしいと思ってしまう。
これが恥。この恥という感情があるからこそ、言わないといった選択を無意識に選んでるんじゃないのかなって思う時があります。
3つ目は呪縛ということで、これは前回の夫婦配信でも話をしたんですけど、
何々しなければいけないといった呪いにかかっている。これは文句を言わずに家事育児をしなければいけないとか、
収入が少ない方は家事育児を多めにしなければいけないとか、妻だから、女性だからより多くの家事を負担しなければいけないといったように、
自分自身で自分を縛りつけている、呪いにかけているといったことがあるんじゃないのかなって僕は思ってるんですね。
これはですね、何の本だったか忘れたんですけど、何かの本で読んだんですけど、人の人の人間性を形作るものは遺伝が50%、外部換気は50%と言われてるらしいんですよね。
橘明さんの本だったかな。あと、子育てに関する海外の本でも書いてあった。それが確か元ネタになってて、
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スラム街に住んでいたある黒人の少年がいたんですよね。そこは犯罪率がすごく高くて、
このままだとその子は落ちぶれて犯罪者になる運命だろうと思われていた。多分そうなってたんですよね。
彼がですね、ある日転校したんですね。転校したらすごい好成して人生が大きく変わったらしいんですよ。
その変わったところ、その引っ越した先、転校した時では、確かバスケットボールがすごく上手でスーパーヒーローみたいになったらしいんですよね。
お前すごいなみたいな、お前もううちのチームの最強の選手だよみたいな感じで、英雄になって自尊心が爆上げして人生が大きく変わったといった事例が書いてあったんですね。
こうやって外部環境の要因がその人の人生に大きく作用するということですよね。
これがね、この呪縛どう関係するのかというと、家族の影響とか文化といったものによって、
こういった呪いとか呪縛というのがかかっているんじゃないのかなって思うんですよ。
自分が今まで見てきたテレビアニメの英曲であったりとか、自分が育ってきた家庭環境、自分の親、母親、父親、祖父母がどういった関係性を持っていたのかによって、
自分自身の夫婦に対する考え方って多分大きく影響されていると思うんですよね。
あと自分が付き合ってきた友人たちとか、地元のコミュニティとか、そういった部分で大きな影響を与えられている。
無意識のうちに影響を受けていることがすごく多いと思うんですよ。
こういった影響によって、ないないしなければいけないといった呪縛に自らが絡み取られているということがあるんじゃないのかなと僕は思っています。
恐怖と恥と呪縛ですね。
女性が不満を言わないのにはこの3つの理由があるんじゃないのかなって僕は思っています。
その上でどうすればいいのかといったことなんですけど、僕がすごく大事だと思っていることは、両方の視点を持つっていうのがすごく大事だと思ってるんですね。
分からない夫側の視点、そして言わない妻側の視点。
僕はさっきお話をした、自分の者たちで相手を図ろうとする。
自分の理解の範囲で妻を理解しようとする。
そして自分の理解の範囲に及んでいない妻の考えとか感情が自分の理解の外にある場合には、理解できないものとして排除しようとする。
そういったことを考えることすら放棄しようとする。
そういった傾向が、これは僕も含めてですけど、男性にはあるということをまずは自らが理解すること。
そして女性というのは、なかなか言わない。
不満があっても言わない。夫への不満、家族への不満、自分自身の仕事とかアイデンティティに関する不満があったとしても、言えない。
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言えないんだということ、これを理解すること。
恐怖、恥、受惑、これらに絡めとらえて言いたいことがなかなか言えないんだといった女性側の視点を手に入れることが大事かなと僕は思うんですね。
2つの視点を持つことによって、両方を行き来することができるんですよね。
女性にとっても同じだと思うんですけど、自分自身がどういった考え方を持っているのか、どういった視点を持っているのかを理解して、
その上で、男性ってこういうふうな思考の癖があるよねとか、こういった視点を持っているんだなというふうに、
相手の眼鏡を借りて世界を見るような、お互いが見ている世界を同時に見るんですよね。
あっちに行ったり、こっちに行ったり、お互いの視点を行き来すると、そういうことなのかと、自分がなぜできないのか、なぜやっちゃうのか、
そしてなぜ夫は私のことを理解してくれないのか、なぜ妻は僕のことを理解してくれないのかといったことがだんだん見えてくるんですよね、両方の視点を行き来することによって。
もう一つ僕が大事だと思うのは、福屋の時の経験がすごく僕は生きているんですけど、
その時の感覚がすごく強いんですが、言語化できないふわっとしたものってあるんですよね。
ついね、妻が何を考えているのか知りたいと思った時って、こうなんじゃないかな、なんなんじゃないのかなって言語化して落とし込もうとしますよね。
僕もですけど、そうやって落とし込もうとする。じゃないと落ち着かないんでね。
分かんないものを分かんないものを放っておくって気持ち悪いんで、こういうことだろうって、ああいうことだろうって、
いやこっちかな、いやこれに決まってるっていう風に、どうしても落とし込みたくなるんですよ、気持ちが悪いから分かんない状態って。
だけど、言語化できないふわっとしたものの存在を認めるっていうことが僕はすごく大事だと思うんですね。
フレームワークとか知っている言葉とか、そういったところに落とし込まない。
妻が考えていること、妻の思考、妻の感情、気持ち、それを上手く自分が名前を付けられない時、
その妻のふわっとした感情、掴みどころがありようでないような、その感情を上手く言語で捉えられない時には、
そのふわっとしたものの存在をそのまま認める。
ふわっとしたものの食感とか臭いとか、そういった動物的な感覚で捉えることが大事だと思うんですね。
理性で捉えないってことなんです。
そして、べき論でも考えない。こうするべき、ああするべきといったべき論でも考えない。
考えずに感じる、ブルースリーも言ってましたけど、考えない、感じる、理性で捉えないことが大事で、
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あるんですよ、そういうものが。上手く言えないんだけど、上手く言えないんだけど、なんかこういう感じだよね、
なんかこうふわっとしてるけど、自分の中にある言葉では上手く言語化できないんだけど、
だけど頑張って言おうとすると、すごく遠くに浮かんでいる、その雲のような、ふわっとしたような、そういった存在ってあるんですよ。
それを、分かんねえよこれ、何言ってんだよ、全然分かんねえ、もうはっきり言ってくれないっていうふうに、
スパーンと切るんじゃなくて、その分かんないふわっとしたものをそのまま受け止めるんですよね。
自分の中にそのまま受け入れるんですよ。
それが何なのかを考えるのは、受け入れてからでいいんですよ。
受け入れる前にスパーンと切るんじゃなくて、一回自分の中でふわっとしたまま受け入れて、
その上で、これはどういうことなんだろう、一体これは何を指してるんだろうとか、
妻にどういうことなんだろう、なぜこういったように妻はこういうふうな態度をとるんだろうとか、
そういった態度をとっている時の妻の体から出ている感情というか気持ちというか、
ふわっとした名前をつけられないけど、ちょっとドス黒いような、赤黒いような、だけどちょっと青いような、
この感覚は一体何なんだろうということを一回受け止めた後に考えるんですよね。
それを何なんだろうと考えていく、感じていく。
そうすると、もしかしたらこういうことなのかな、ああいうことなのかなっていろいろと考え出すんですよ、自分で。
そしてその考えていく、その繰り返しの中でふわっとしたものを受け止めて、
それについて自分の中で思考を深めていく、その繰り返しの中で新しいフレームワークとか視点が自分の中に芽生えていくんだと思うんですね。
そしてこの芽生えていった新しい視点、フレームワーク、
これが相手の立場に立つことであったりとか、当事者意識につながっていくんじゃないのかなって僕は思うんです。
すごいふわっとした話をしていると思うんですけど、だけどふわっとしたものなんですよ、これって。
その人の感情とか気持ちって、自分の中にないんですよね、自分の中でそれを言語化できないんですよ。
妻が考えていることを感じていることがわからない、わからない、自分とは違う人間が考えていることを感じていることがわからない、育ってきた環境も違うからわからない。
だけどわからないけど、そこにふわっとした何かがそこにある、この食感とか匂いっていうのをすごい大事にした方がいいと思うんですね。
それを受け止めて自分の中で咀嚼していく、ゆっくりと。それが大事なんじゃないのかな。
それが相手の立場に立つ、妻の考えがわかるようになっていく大事な条件になっていくんじゃないのかなって思っています。
今日の話っていうのは、男女の分断の話でもあると思うんですよ。
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ナイフシェフト2っていう本があるんですけど、その中に書かれていたんですが、分断が互いへの共感を阻害するっていうことが書かれているんですね。
この本は若者と高齢者の分断の話とか、そういった話の時に使われていたんですが、僕は男女の分断においても同じことだなって思うんですよ。
男女の分断が互いへの共感を阻害しているってことかなと思うんです。
分からないと言って断ち切るんではなくて、分かりたい、分かろうと願って行動することで分断は消えていって、男女の間にあった壁は単なる幻想であったことを知るんだと思うんですね。
僕らはお互いに理解し合いないではなくて、理解しようとしないだけであって、自分が収まっている小さな殻から抜け出すことを怖がっているだけなのかもしれないと僕は思っています。
こないだ書いたノートで、ストレスマックスの回転寿司屋で妻に寄り添ってほしかった話っていう記事を書いたんですね。
2022年6月13日の記事なんですけど、この話の裏話的なことをしたいなと思って、家族は日曜日にイオンに行ったんですよ。
イオンに夕方行って回転寿司屋に行ったんですよね。
そしたらすごい混んでて、混んでるだけだったらいいんですけど、頼んだものが何だか来ないんですよね。
子供がうち3人いて、7歳、7歳、3歳なんですけど、納豆巻きが好きなので最初に納豆巻きを頼んだんですけど、20分経っても来ないんですよね。
もっと早く呼べばよかったんですけど、来ないんだけどって話をして、タッチパネルで店員を呼ぶってボタンがあるんで、それを押して、
押しても何か来てくれないんですけど、来てこないんですけど確認してくださいって言ったら出てきたんですよね。
出てくるも出てこないものがあって、出てこないんですよ、本当に出てこないんですよね。
子供用にラーメンの取り皿とかタッチパネルで頼んでくださいってあるんで頼んだらこれも来なくて、
結局僕が店の中にあるものを勝手に借りてきたんですけど、そんな感じで子供たちも喧嘩とかするんですよ、待ってらんないからね、納豆巻き来ないし。
僕はご飯が来ないって言ってね、お腹空いたのでイライラしてて、双子なんで喧嘩しやすいんですけど、喧嘩したり机の下に隠れたりとか、
三男には動画で見せとこうかなと思ったら、ネットが繋がらないっていう、最悪っていう事態になって、
すごい僕イライラしちゃったんですよね。すごいイライラしてるのが妻には伝わって、せっかくだから楽しもうよって妻が言ったんですよ。
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だけど僕はそんな気になれなくて、わかったやつって下打ちをついしちゃったんですよ。
多分めちゃくちゃイライラしてたんだと思いますよね。ストレスがマックスで、音がすごいうるさかったんですよね。
50何番様座席の用意ができましたとか、150何番ホニャホニャホニャみたいな感じで、
すっごいスピーカーがうるさいし、狭いしね、4人掛けのテーブル5人座ってるのもあるけど、そもそもテーブル狭い椅子が狭いっていうのもあって、
狭い場所と大きな音が苦手なんで、すごいストレスマックスだったんですよ。
ストレス感じるものがすべてそこにあって、そんな感じで、最後の方に妻が、
ちょっとその部屋にブラブラしてきなって言ってくれたんですよね。
で僕が外に出て、店の外に出て、ソファーにしばらく座って目を閉じてたんですね。
そしたら気持ちは落ち着いて戻ったんですけど、その店から出た後は仲直りしたんですけど、
これ何だったんだろうなって僕は思ってて、このことを記事に書いたんですが、
僕は妻に寄り添って欲しかったんですよね。
そうだよね、大変だよね、嫌だよね、この店みたいな感じで寄り添って欲しかった。
だけど妻は、せっかくだから楽しもうよ、気持ち切り替えようよっていう風な感じだったんですね。
別にそれが悪いって僕は思ってないし、それでもいいと思うんですけど、
だけどそうはできなかった、頑張っても僕はできなかったんです、その時は。
その時の気持ちよく寄り添って欲しかったんだけど、僕は言わねが吐けなかったんですよね、その時妻に。
もう嫌だよ、もうこことかもうすぐスタジオ来ないし、みたいな、
言わねが吐けなかったんです。ちゃんとしなきゃなって思ってたんですよね。
子供にも納豆巻きが来なくても、店のオペレーションがめちゃくちゃになっていても、
ちゃんとしなきゃなって楽しむんだけどダメなのかなっていう風に、
なになにしなきゃなっていう風に自分で自分を縛りつけていったんですよね。
そして何か言わねを吐いたりとか文句を言ったら、妻が僕を否定するんじゃないかって思ったんですよ。
そんなこと言ってないでしょ、もう言ったらしょうがないじゃんみたいな風に、否定するんじゃないのかなって僕は怖かったんですよね。
だけど家に帰って寝るときに妻に言ったんですよ。寄り添ってほしかったんだって。
そしたら妻はもっと早く言ってくれればよかったのにって、寄り添ってあげたのにっていうことを言ってくれたんですよ。
妻は僕を否定なんかしなかったんですよね。その時に言ってもよかったのかもしれない。
僕の頭の中では妻が僕を否定していたんだけど、そうじゃなかったんですよね。
僕自身が僕のことを否定していたんだと思うんですよ。
もっと素直になればよかったなって思ったんですよね、その時に。
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それはできなかった、素直になれなかった理由は妻のことを恐れていた。
妻から否定されることが怖かった。
自分の言い方次第では否定されないというか、寄り添ってくれることも多分あったんだと思うんです。
そこを怖がらずに妻に寄り添ってほしいなってことをスッと言われかけるように、もうちょっと頑張っていきたいなって思ったという話でした。
そんな話をですね、記事の中ではちょっと今の話とはまた書き方が違うと思うんですけど、
書いているので、妻に弱音を吐けないとか、そういった悩みがある方には何かしら得るものがあるかもしれないなって思っています。
22年6月13日のストレスマックスの回転寿司屋で妻に寄り添ってほしかった話ということで書いていますので、ノートの記事を書いています。
気になる方はぜひ読んでいただけると嬉しいです。
はい、ということで今回も最後までありがとうございました。また次回お会いしましょう。さようなら。
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