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店の前を通る小学生と毎日お喋りするワケ
2026-06-10 24:52

店の前を通る小学生と毎日お喋りするワケ

Laughter西陣店の前は通学路になっていて、小学生が歩いていきます。そんな小学生と毎日お喋りをしているんですが、そこには僕なりに伝えたい想いがあります。

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サマリー

コーヒーショップ「ラフター西陣」の店主である三輪浩朔さんが、店の前を通る小学生や中学生と毎日お喋りする理由について語るエピソード。三輪さんは、自身が育った環境では地域との交流が少なかった経験から、子どもたちに学校や家庭以外の「第三の場所」での交流の楽しさを知ってほしいと願っている。また、自身の高校時代の馴染めない経験や、アメリカでの高校生外交官プロジェクトでの新たなコミュニティとの出会いが、その後の人生に与えた良い影響についても触れ、子どもたちにも一歩外の世界へ踏み出す勇気を持ってほしいという思いを伝えている。

自己紹介と番組の趣旨説明
初めましての方も、いつもの方も、こんばんは。コーヒーショップラフターの三輪浩朔です。 三輪浩朔のあとがきラジオ。この番組は、日本一各コーヒー屋を目指し、日々ブログ投稿サービス、ノートに記事を投稿している私、三輪浩朔が、記事の中で書ききれなかった思いやエピソードを語る、あとがきのような番組です。
さあ今日はですね、今年4月7日に投稿した、僕が毎日店の前を通る小学生とお喋りするワケという記事を、あとがきとして深く掘りしていきたいと思います。
小学生との交流の始まりと日常
僕が普段いるラフター西陣というお店、来ていただいたことある方はわかるかもしれませんけど、店の前は一斜線の一方通行の狭い道となっています。
ここが通学路になっていて、毎日小学生中学生たちが元気に陶芸講をしていきます。
ここは県立小学校という小学校と、科学中学校という中学校の通学路になっていまして、
県立小学校の子は基本的に科学中学に行くことになるので、県立小学校の子だと9年間、うちの店の前を通って陶芸講をしていくことになります。
なんで僕が今年で店構えて6年目になるので、僕らが店を出した頃に1年生だった子はもう6年生になっているのかな。5年生6年生になっている、まあそんぐらいの感じなんですけど、
ある時からこの店の前を通る小学生や中学生たちとお話を、おしゃべりをするようになりまして、きっかけは忘れましたけど、
何かの表紙に喋るようになって、毎日たわいのないことを喋ったりしています。
時より店の中まで入ってきて、今日あったことを話してくれたりとか、教科書を見せてくれたりとか、一緒に宿題を解いたりとか、そんなこともしています。
みんな自然に入ってくるので、お客さんにお子さんですか?というふうに間違われたりとか、いつも喋っている子どもたちの親御さんがお仕事の邪魔になっていませんか?という感じで声をかけてくださることもあるんですけど、
もう全然そんな仕事の邪魔とかそんなことはなくてですね、小学生や中学生の子たちとおしゃべりをする時間は、僕にとってもすごくかけがえのない時間になっていて、
純粋に楽しいというのがまずは一つで、仕事柄、他の同世代の、今これから30になっていく世代ですけど、
他の同世代のみんなと比べると、こういうお仕事なので、年齢も職業もとってもバラエティーに富んだ方々と日々お話をしているなと思いますけど、
そんな中でも現役小学生、中学生とほぼ毎日話している、この29歳、30歳というのはなかなかいないんじゃないかなと思います。
僕が今年30歳になる年で、一回り以上離れている子たちなので、逆にお互い気を使う感じもなく、いいよみたいな感じで話をしているので、
純粋にこちらも気を使うこともないし、向こうも年が離れすぎて変に気を使われることもないので、
最近の小中学生の流行りを聞いたりとか、学校の事情を聞いたりとか、給食の話を聞いたり、ごく普通のお話をしているというのがまず一つ。
これは本当に楽しいし、子どもたちもそれを楽しみながら来てくれているので、それがまず第一というのと、
交流の第一の理由:純粋な楽しさと世代を超えたコミュニケーション
もう一つこれは僕の中で思っているというか、勝手に思っていることなんですけど、
学校でも家庭でもない交流の楽しさをぜひ知ってほしいなという思いでお話をしているんですよね。
自身の幼少期と地域交流の欠如
僕は名古屋市内で育ちまして、結構大きい学校でした。
40人1クラス4クラスで、1学年が160人くらいいて、全校生と1年生から6年生まで足すと、
僕が5,6年生の時にちょうど1000人超えたぐらいだったと思います。
うちの小学校の裏手がものすごい高層マンションがちょうどその時にバンバン建っているところで、
もうそのマンションに1個大きい10階建て20階建てのマンションができたら、もうそこに住んでいる子全員僕の小学校に来るので、
マンションが1個できるたんびにもう何十人と一気に生徒数が増えていって、
僕が6年生の時に確か全校生徒が1000人を超えるというような学校でした。
そんな学校で育ってますし、地域のコミュニティとか交流っていうのが正直そんなになかったところだったので、
通学路の道中でも地域の人と会ったりとか、今のうちみたいな地域のお店っていうのはありましたけど、
そういう人たちとしゃべるってことは全くなかったですし、むしろ知らない大人とは話しちゃいけないとか、
寄り道道草しちゃいけないとか、そういうことは口すっぱく先生方からも言われてて、
むしろ地域の大人から声をかけられたら防犯部山を鳴らしなさいというふうに教わった。
そんな感じで育っていましたので、正直今県立小学校っていう僕の一番近い小学校、毎日しゃべる子どもたちの小学校は、
現代の小学校の縦の交流と自身の経験との比較
今人学年が少ないところだと10人いないそうなんですよね。
なので6年間クラス替えなしでずっと持ち上がっていくっていうことになるので、ものすごい縦の交流がまずあるんですよ。
1年生と5年生がタメ口で話してたりとか、2年生と4年生が仲いいとか、通学路で道中一緒だと一緒にしゃべりながら帰っているので、
そんな光景を見ていると、僕が2年生3年生の時に6年生なんて名前も顔も知らなかったですし、そんな交流することもなかったし、
僕に限らず犬の散歩をしているおじいちゃんおばあちゃんに話しかけたりとか、顔見知りの親御さんとお話ししながら帰っている光景を見ていると、
僕が過ごしていた小学生時代というか、僕が過ごした6年間とはある種全く違う6年間をこの子たちは過ごしているなと思いながらいつも見ているんですけど、
そんなこんなで、僕は言ったら地域のコミュニティに入っていくとか、そういうことはほとんど経験がありませんでした。
学校と家庭に限定された学生時代の限界
そんな環境で育っていったので、僕にとって小学校中学校高校生ぐらいまでの人生を形作るものは学校か家庭しか正直なかったんですよね。
家にいて家族と過ごすか、学校に行って友達と過ごすかしか正直ない人生でした。
僕はものすごく恵まれた人生を暮らしてもらったなというのは、もちろんうちの母親もおばあちゃんもですね、
時に厳しく時に温かく育ててもらえました。家庭には全く何の不満もなかったし、学校もものすごくクラスメイトとか先生ですね。
僕は本当に先生に恵まれたなというふうに思っていて、学校にも家庭にも何の不満もなく育って、小学校中学校9年間、特に中学校3年生が本当に恵まれていまして、先生も未だにお世話になったなと思い出すし、
クラスメイトの子たちも、学校のクラス開けてよく仲がいい奴はあえて話すみたいな違うクラスにするみたいなことって言われたりするんですけど、
僕の3年生の時は仲いいからこそ俺らを集められたのかっていうぐらい部活が一緒とか元から仲いい子がギュッと同じクラスに集まって、
担任の先生もすごい優しい方で、クラスをものすごく明るく引っ張ってくださって、中学校3年生最高の形で終えて、高校に入るときに、
要は中学から近いところにみんな行きますよね、自転車とか歩いて通えるようなところに、基本的には多くの子たちが通うようになりますけど、
僕はあの中学が楽しすぎて、一旦こう、ある種こうリセットしたいというか、中学校楽しかったからこそ、自分の中学から誰も行かないような高校に行って、またゼロから、
中学が楽しかったゆえに高校でまたゼロからスタートしたいということで、スタートしたんですけど、この高校がね、僕はあの、
なんか馴染めなくて、別にいじめられたとか、教師から何か辛いこと言われたとか、そういうことは全くないかったんですけども、なんとなくその学校の、
その学年の子たちがかも知らず雰囲気というか、キャラクターにですね馴染めずに、もう全然、
学校が楽しくなくて、そうなると、僕を形作っているのは、学校が家しかないんで、まあ言ったら、まあ家はね、楽しいというかね、親と一緒にいますけど、
まあ学校がね、人生の大半を占めるわけですよ。ってことは学校が楽しくないってことは人生が楽しくないっていうことで、もうお先真っ暗みたいな。
高校時代の転機:高校生外交官プロジェクト
で、誰も通ってない中学に、中学から高校、誰も行ってない高校に行きたいって言ったんで、めっちゃ遠いとこを選んだんですよ。
電車で40分ぐらい乗って、そっからさらに、萌え嶺駅からも20分ぐらい歩かなきゃいけないんで、結局1時間ぐらい、
僕高校生の時、通学に時間かけてたんで、もうこの1時間、1日往復2時間がめちゃくちゃ苦痛で、
うーん、まあでもね、親の心配させるわけにいかない。学校辞められないですけど、どうしたもんかいなと思ってた時に、
学校の掲示板で1枚のチラシがポンって貼られて、高校生外交官プロジェクト参加者募集っていうのが貼ってあったんですよ。
で、そこには全国の高校生が男女20人ずつ40人選抜されて、高校生外交官っていうまあ肩書をもらってね、
3週間アメリカに行くというプログラムだったんですよ。で、ホームステイしたりとか、
バディをつけてもらってね、向こうのアメリカ人の子とバディをつけて10日間交換留学をしたりとか、
ホームステイしたり、それこそニューヨークのタイムズスクエアとか自由の女神とかを巡る観光したりみたいな、
まあそういう3週間のプロジェクトが、プログラムがあって、
で、
学校に一足が張られましたと。で、僕英語全く喋れなかったんですよ、当時。まあ今もそうですけど。
で、5教科、9教科の中で何が一番嫌いって言われたらもう英語ですって答えるぐらい英語には苦手意識があったんですけど、
とにかくこの僕を入れて40人、この全国から集まる高校生たちに会いたいと思って、
しかも参加費無料だったんですよね。
アメリカに3週間行く、その交通費とか渡航費とか滞在費全部無料というプログラムで、これだったら親にこう負担をかけなくとも何か自分の中で人生変えるきっかけが生まれるかもしれないと思って、
右も左も分かるまま応募したら、なんとそのプログラム選抜していただいて、
3週間高校生外交換プロジェクト、プログラムでアメリカに行ってきました。
プロジェクトでの気づき:新たなコミュニティの重要性
で、もちろんこうホームステイとか、交換留学とか、アメリカの道中で観光で見たものとか、アメリカ人のバディーを組んだこと、喋ったこととかいろんな思い出が蘇りましたけど、
特に僕の中ではその40人の高校生に、全国の高校生に会っていろんな話をしたいし、いろんな刺激を受けたいっていうところが大きな僕にとっての要素の一つでしたけど、
まあ本当かけがえのない時間を過ごして、最初2,3日東京でプレイキャンプみたいなね、メンタルセットみたいなキャンプを2,3日こう宿泊施設でこう泊まり込みでね、
いろんなこうなんでアメリカに行きたいのかとかそういうことを話してからアメリカに行ってプログラムを過ごして、
でまた最後帰ってきて1日2日一緒に振り返りをして終わるっていうプログラムだったんですけど、
最初の出発のその時に車座になってね、みんなで喋るんです、エインを作って喋った時にその話をしたんですよね、
まあどうしてもこう言ってる高校が今馴染めなくてつまんなくて、人生を変えるきっかけというか、なんか刺激を得るきっかけとして今回参加したんですみたいな話をして、
スタートをして、最後帰ってきて、まあみんなに会えて本当に良かったみたいな話をしたんですよ。
で最後持って行ってたノートにみんな寄せ書きをしてもらったんですけど、そこにはその
結構みんな僕は初日の段階で要は今の高校生活がつまんなくてみたいな話をしたことを覚えてくれてて、
3週間で僕らは一つのクラスになれたねとか、高校は違うけれども同じクラスになれたような3週間だったみたいな話をすごく
バーッと書いてくれて、同時に学校がつまんないとか、今置かれている住んでいる場所、環境がつまんないから人生もつまらないと思ってた自分にとっては、
今いる、今通っている場所とか、今通っている学校、これに絶望するだけじゃなくて、一歩外に踏み出したら
何か楽しいこととか、今見えてない景色があるんだなっていうことをすごく気づかされたんですよね。
学校の一歩外に出てみて、全国のいろんなところから来ている高校生たちと話していると、
自分は今通っている学校だけしか見えてなかったけど、同世代でもいろんなモヤモヤ、同じようなモヤモヤを抱えている人もいれば、
高校は違うけれども、楽しい時間をというか、熱い思いを共有できる仲間がいてということにすごく気づかされて、
今置かれている自分の環境のちょっとでも、ちょっとだけでも一歩外に踏み出したら、こうやって楽しいこととか、
もうすごく広い世界が広がっているんだなということに気づかされたんですよね。
大学でのコミュニティ形成と積極的な飛び込み
そこが僕はもうすごくきっかけになって、やっぱり高校卒業したら地元を離れて大学に行きたいなって思うようになったのもそうだし、
大学に入った時も、大学の学部、同じ大学の同じ学部に来る人って結構いろんな似た要素を持っているわけですよね。
要は、入学時の学力も近いものがあるし、学部が同じということは、興味を持っている学術領域も似ているところがあるし、
将来的なプランとか、将来になりたい職業とか、将来像みたいなのも結構近いものがあるっていうところを感じていたので、
特に僕らがいた留国大学政策学部っていうのは、学生数も一学年で240〜450人ぐらいでしたし、
もうそこ学部の中でする活動が活発で、十数人単位の学生でグループを作って何か一つのことをやったりとかっていうことを、
ものすごい学部の中でもする経験が多かったので、
政策学部の中で友達とか気が合う人っていうのを、ものすごく作りやすい環境を整えてもらってたんですよね。
それが今、僕は政策学部の時に同じゼミだった相方と起業して、6年、7年、8年間こうやって会社をやっているっていうことも一つ大きいと思うんですけど、
そうじゃなくて、大学入った時も同じ学部の人と仲良くするというか、楽しくやるっていうのはもちろんなんだけど、
それよりもさらにもう一歩外の世界を見てみたいということで、いろんな大学が来るところのサークルに入りたいなっていうので、
京都学生祭典というインカレサークルに入って、
京大から同社から同社女子から京都女子大学からノートルダムから琉大から仏教大学、大谷大学、いろんな大学の人が集まるところに入っていって、
同じ学部の人同士であうんの呼吸があるのも気持ちいいんですけど、
大学の女子大の子もいたし、男子高出身の子もいたし、沖縄出身の子もいたし、北海道出身の子もいたしっていう、
そういういろんなバックグラウンドを持っている人と話すという経験も僕にとってはすごくいい思い出にもなっているし、
高校生の時にアメリカに飛び立てたからこそ、大学生になっても社会人になっても新しいコミュニティに飛び込むっていうのが苦痛じゃなくなった。
逆に言うと、新しいコミュニティにどんどん飛び込んでいきたいというかね、
一歩外にどんどんどんどん今自分が持っている世界の半歩でも外に出てみようっていうところの気持ちになれたところがすごく大きかったので、
小学生への願い:第三の場所での交流体験
なので今お店の前を通ってくれている小学生とか中学生の子たちにも、
もちろん彼らは学校や家庭にいろんな思いを持ちながら日々を生きていると思いますけど、
今の学校が楽しいなと思っている子も、ちょっと苦しいなと思っている子でも、
今それぞれの子がどういう状況に置かれているのかっていうのは一旦置いといたとしても、
学校でも家庭でもないけど、何か楽しいなって思える場所とか人を見つけてほしいなっていうのは僕自身の経験からすごく思うし、
言ったら僕としゃべるっていうことが、学校でも家庭でもない第三の地域の大人としゃべるっていうことだと思うんですけど、
そういう学校や家庭に縛られない人とのコミュニケーションを取る経験とかっていうことの中でそれが面白いとか、
成功体験みたいなのを積んでいってくれると、彼らも大人になっていく過程の中で、
自分が今いるコミュニティとか、 置かれている環境の中の一歩外に出る楽しみみたいなところに気づいてくれたら嬉しいなと思って、
日々お話をさせてもらっています。
自身の経験が人生の支えになっていること
そういう、ちょっともうどれぐらいの影響というかもうわかりませんけど、
僕なりの人生経験というか、僕自身のその学校、家庭だけではない第三のコミュニティというか、
そういったところの楽しさに僕は高校生の時に気づかされて、
大学生になっても社会人になっても、そのメンタリティというかっていうところがある種、
救いにもなっているし、僕は特に高校を卒業してから地元を離れて、
事業というかお店をやっているので、 ちょっと言い方はあれ難しいですけど、
要はもうほんまにゼロから人間関係をまた形成することに、
構築していくことになるわけです。大学生入った時に。
言ってもまだ京都で10年ぐらいしか生活してないという中で、またお店を作るという時にはまだゼロから、
もちろん知り合いの人も京都で築いてきたコミュニティもありましたけど、
またゼロからスタートっていう中で、そういう時にまた明るくスタートできたというか、
不安な気持ちももちろんありましたけど、よっしゃまたやったろっか、みたいな感じで新しいコミュニティに飛び込んでいける、
というかね、飛び込んでいけた気がしたので、そういう楽しさというか経験を子どもたちにも、
僕との会話で、いろんな人と喋ってみると面白いなと思ってもらえたら、
子どもたちへの期待と自身の思い
嬉しいなといつも思っております。まあ単純にね、やっぱ楽しいし、ほっと安らぐ時間でもあるし、
かっこいい大人でありたいなとも思ってますので、
はい、あの唯一ね、まだ29歳なんですけど、もうすでにあのおじさんって覚えてることだけが、
僕は不満なんですけども、いつか彼らは、どうでしょうか、30歳40歳ぐらいになって、高校大学進んで、
実家に久しぶりに帰ってきた時にフラッと立ち寄ってくれて、僕の年齢をなんとなく察して、
あの時、自分よりも自分と同じ年齢の人というかね、20代の人をおじさんって呼んでたんだなぁと思ってくれたら嬉しいななんて思いながら、
お兄さんだぞと思いながら、喋っておりますが、
お昼過ぎから夕方頃ですね、平日のもし西陣天に来ていただけたら、
あ、こんな感じなんや、小学生が前を通るって言ってたけど、こういうことなんやと思っていただけるのかなと思いますので、
ぜひちょっとね、タイミング合うよっていう方はですね、そんなタイミングで来ていただいても面白いんじゃないかなと思います。
ということで、本日のあとがきラジオ、以上でございます。
24:52

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