まずは、すみれ子がぶっ刺さったお便りから読ませていただきたいと思います。
アテシカネーム、信号待ちの間の人さん。
チームアテシカの皆さん、こんばんは。
いつも木曜日の行き帰りに聞いています。
最近、多様性という言葉を耳にするたび、なんとなく胸の奥がザワッとすることがあります。
反対とかじゃなくて、むしろ大事なことだと思っているのに、
日常の中であれ?って思う瞬間が増えてきたんです。
例えば、会社のアンケートで、あなたの性別を選んでくださいっていう欄がありまして、
選択肢が男、女、その他の3つだった時。
その他ってなんだか急に大きな箱に放り込まれたような気がして、
選んだ瞬間に自分が説明の必要な存在になった気がしました。
友達と話していても、多様性って大事だよね、みたいな話になると、
その後に続く空気が、でもあなたはどのタイプなの?と探られているように感じることがあります。
僕自身は、自分がどこに分類されているのがよくわからないまま生きてきました。
性格も、性別も、価値観も、国籍も、育ちも、どれも、これ!と一つに決められない。
でも日常のあちこちで分類を求められるたびに、自分の形が少しだけ歪むような気がします。
その歪みによって、無理やりはめ込んできた気がします。
多様性って、本当はもっと緩いものだと思うんです。
いろんな人がいるよね、くらいの曖昧で柔らかい感じ。
でも現実は、多様性を尊重するために、あなたの属性を教えてください、みたいな、ちょっと逆説的な場面が多い気がします。
僕にとっての障壁は、「あなたはどれですか?」と聞かれるその一瞬です。
どれにも完全に当てはまらない自分が、正しいコテを探さなければいけない気がしてしまう。
チームアテシカの皆さんは、こういう日常の小さな違和感をどう受け止めていますか?
番組を聞いていると、「そのままでいいよ。」と肩を軽く叩かれているような気がして、少しだけ呼吸が楽になっています。
これからも、いろんな形の人が混ざれる場所でいてください。
信号待ちの間の人より
信号待ちの間の人さん、お便りありがとうございます。
あなたの言葉を読んでね、胸の奥に静かに波紋が広がるような感じというか、ずっと投げられた石の起こした波紋を考えていたというか、
日常の中で、ふと立ち止まった時だけに気づくざらつきみたいなものがですね、
それを丁寧に言葉に紡いでくれたことが大切なんだろうなって感じました。
今日はそのざらつきに関してと、
最近考えていたスミレコの本当に大好きな推しのXGのコクナについてのことが脳内でリンクしてしまいまして、
これがもうね、なんだろうな、自分の中でシンクロしちゃったんですよね。
セカンドワールドツアー直前のXGのコクナに捧ぐ回でもあるというか、
今までちゃんと言語化したことなかったこの気持ちを、コクナの言葉を重ねて、
本当に至極僭越ながら、ファンとして、ポッドキャスターとして発信できる、自分なりに分析させていただいた気持ちをですね、
深く、細かく、丁寧にお話ししたいと思っておりますので、何卒ご容赦くださいませ。
まずね、今回のコクナの発表を知らない人のために簡単に説明させてください。
XGのメンバーであるコクナさんは、世界的にですね、注目されるアーティストでありながら、
先日、自分の20歳の誕生日にですね、自分の性自認について率直に語りました。
内容としては、1、自分は女性というカテゴリーに完全に当てはまらない。
2、女性として扱われることに強い違和感があった。
3、自分の体を自分のものとして取り戻したかったというもの。
つまり、女性でも男性でもない、ノンバイナリーとしての自分を受け入れたという宣言でした。
これはただの芸能ニュースではありません。
世界中にファンを持つアーティストが、自分の違和感を隠さずに、いわば枠の外側にいる自分を公にしたという、
とてもとても大きな出来事だと感じています。
ここからは、あえて愛を込めてコクナと呼ばせていただきますが、
コクナの発言の中でですね、特に象徴的だなぁと思ったのが、先ほどの3つでした。
ただ、この3つは、ただの告白とかではなくて、
違和感を言語化するための、翻訳した言葉なのかなという感じがありました。
違和感って、最初は形がないじゃないですか。
痛みなのか、息苦しさなのか、何なのか説明できないけど、確かにそこにある、自分の中にある。
それをコクナは、掴めないものを世界に向けて、はっきりした輪郭にしてみせたっていうのが、
スミレコにとっては、私はこうですって宣言したっていうよりも、
あなたが感じている違和感も、きっとあなたの中に同じ場所にあるよっていう、
今までのコクナの発してきた言葉を積み上げて考えてみたら、
これは同じように、悩んだり、心を痛めている誰かに手を差し伸べた行為なんじゃないかなって、スミレコは感じました。
まず①、女性として扱われることに違和感があった。
この言葉は、女性であることが嫌だったっていう意味ではないんですよ。もっと深い。
コクナは、AFAB、トランスマスキュリン、ノンバイナリーっていう自分を表現したんですけど、
これって、出生時に女性として割り当てられたっていう事実を指す言葉なんですよ。割り当てられた事実なんです。
トランスマスキュリンっていうのは、男性的なあり方に近いアイデンティティーがある人の総称。
トランス男性っていうのは、男性になった、男性として生きたくて男性になった人。
トランスマスキュリンっていうのは、男性的な方向に、やや男性的な方向に自分があるということ。
ノンバイナリーの人も含まれる。完全に男性という箱に入るわけではないけれども、
女性という箱からは明確に離れている、その中間の広いグラデーションを指す言葉です。
ノンバイナリーっていうのは、自分の性自認が男性か女性のどちらにも完全に当てはまらないっていう人のことなんですよ。
なので、女性であることが嫌だったっていう意味ではなく、
まず、社会がね、女性という言葉に張り付けてきた、期待とか役割、振る舞い、見られ方、評価のされ方、
それの全部に対して、それは私の形じゃないっていう否定なんだと、スミレカは受け取りました。
これは女性っていう枠そのものを否定したのではなくて、社会が勝手に決めた女性像に当てはめられるっていうことの違和感だと思います。
信号待ちの間の人さんが感じた、あなたはどれですかって分類を迫られた瞬間の息苦しさと同じ構造なんじゃないかなって感じました。
そして2番、自分の体を自分のものとして取り戻したかった。
この言葉はもっともっと深い痛みみたいなものを含んでいるように感じました。
体って本来は自分のものなのに、社会はそこにラベルを張るんですよね。
女性の体だからこうあるべき、男性の体だからこう振る舞うべき。
この体ならこの役割を期待する。
女性は産んでこそ一人前みたいな。
ココナーはそのラベルを剥がしたかったんじゃないかなって勝手に思っています。
体を取り戻すっていうのは、社会とか世界とかに奪われていた自己決定権みたいなものを取り返すっていう意味なのかなって。
これは性別の問題っていうよりは、自分の人生のハンドルを自分で握るっていう宣言に感じました。
信号待ちの間の人さんが感じている、自分の体の形、自分の形が少し歪むような感覚っていうのが、
まさにこの体の所有権の問題とつながっているような気がして、またそこでもリンクしたっていうことなんですけど。
リンクしたっていう気がしてます。
3番。
自分の中にあるものはダメなものじゃない。
この言葉はココナーの発言の中でも最も優しくて、最も強いものだと思います。
違和感を抱える人は、自分の中にある説明できないものを間違ってるんじゃないかとか、欠けてるんじゃないかとか、人と違うんじゃないかとか、疑ってしまう。
でも、ココナーは、それはダメじゃないって言ったんですよ。
これは自分を肯定する言葉であると同時に、あなたを肯定する言葉でもあるなって。
スミレコを肯定する言葉でもあるなって思いました。
信号待ちの間の人さんの曖昧さとか、いらぎとかっていう感じもダメじゃない。
むしろそれがあなたなんじゃないっていう、そこもリンクしました。
1個1個リンクしたんです、スミレコの中で、ココナーと信号待ちの間の人さんが。
スミレコはね、ずっと曖昧さとか、ゆらぎとか、そういうものを抱えている人が好きなんですよね。
なぜかというと、そういう人ってすごく人間として、未完成で、不完全で、魅力的な気がしていて、
あとね、曖昧さって、世界がまだ名前をつけられていないあなたの形だと思うんですよ。
スミレコも曖昧な部分を持っていて、それも自分の形だって思っているんだけど、
ココナーが今回示したのは、まさにその曖昧な自分の未来の形だと感じたので、
世界中の皆さんの違和感や、曖昧な形も、まだ世界が追いついていない未来の形なのかもしれないなって思うんですよね。
忘れてたんですけど、ここで改めて、障壁の話に戻ります。
ちゃんと障壁の話しないとなと思いまして、
スミレコが思う障壁って、いろんな場面があると思うんですけど、
科学系の女性に対しての障壁もそうかもしれないんですけど、
障壁って、あなたが乗り越えるべき、あなたが乗り越えられることではない場合もあるっていうことが、スミレコは言いたいです。
今回のお便りからインスパイアされたこと、ココナーのこともだけど、
世界や社会の側がまだ変わりきれていない部分のことなんじゃないかなって、ちょっと言語化したんですよ。
誰かが感じているその息苦しさとか、ぶつかり具合とかって、もしかしたらそれはあなたの問題じゃなくて、社会とか世界の遅れって発生している場合もある気がしてます。
だから、ココナーの宣言は、多くの人が勇気づけられたりしたと思うんですけど、それは彼女や彼や彼らが障壁を壊したとかじゃなくて、
障壁はあなたのせいじゃないよって示してくれたからでもあるんじゃないかなって言語化しました。やっと言語化しました。
信号待ちの間の人さん、あなたが感じた違和感っていうのは、社会や世界がまだ変わりきれてないサインであり、
同時に未来へのヒントみたいなものでもあるんじゃないかなと、スミリコは感じています。
あなたの曖昧さとか揺らぎとかっていうのは、決してその説明が必要な欠片なんかじゃなくて、
世界を広げるためのパーツそのものなんじゃないかと思っています。
綺麗にまとめると、そのココナーが示したように、自分の形を自分で選ぶっていうことは、
誰かの勇気を奪うことなく、むしろ誰かの呼吸を楽にするっていう行為でもあると思う。
でも、あなたの存在もまた誰かの壁を薄くする力を持っていると思う。
だからまず、自分自身にそのままでいいよって言ってあげてほしいなって思います。
いつか、あなたがそのままの自分でいいじゃん、最高じゃんって思えるようになったらいいなって、スミリコは思ってます。
それと最後に、もしかしたら、あなたが身近な誰かに自分の曖昧さや揺らぎなことを話した時に、
思っている以上に周りは、そうなんだ、そう思ってたんだ、でも何も変わらないよ、あなたのことが変わらず好きだよってなるかもしれないよ、本当に。
とんでもなくハードルが高いことだし、大変なことだと思うし、しなくてもいいと思う。
でも、無責任に言うと、意外と周りは変わらないかもよっていうことを伝えたい。
今回のココナの宣言は、ファンである我らはですね、多くの人が、あ、そうだったんだっていうこととか、
それよりも、今までずっとそのことで悩んだり、心を痛めたりしてきたんだろうなっていうことの方が、そっちに心を痛めたファンの方が多かった気がします。
X字を知らない、ココナを知らない人たちは、心ない言葉でやゆしたりとか、
もっとひどいことで言うと、ジェンダーの問題で売ろうとしてるって言ったりとか、本当に同じ人間かって思うぐらいひどいことを言う人も見かけました。
もちろんスミレコだって、表に出てる情報でしかココナを知らないけれども、
でも、ココナが言ってたのは、このことをね、みんなに伝えるのは、私にとって本当に大きな出来事でした。
何度も自分に問いかけた。これは良いことなのかな?本当にこれは私の一部なんだろうか?っていうことを問いかけた。
でも話してみたら、みんなが、ココナ、それでも私たちは大好きだよっていうことを言ってくれて、私の話を真剣に聞いてくれたと。
こういうことを口にするのは、言葉にするのは本当に難しい。
でも、その時初めて私がしていることは間違いじゃないって思えたって言ってたんです。
彼はもう10代のうちにずっと悩んで、心を痛めて考えてきたわけでさ、
もうこの言葉を発するだけで、ちょっと涙が出そうになるぐらい思いを馳せると、ギュッてなる。
だってさ、自分に当てはめてみてよ。ずっと10代のうちにそんな苦しいことを考えてきて、
手術もして、一歩踏み出した人にさ、ひどいことを言えるって、本当人じゃないと思うんだよね。
だから自分に当てはめたら、自分の家族に当てはめたら、とんでもないことを乗り越えた先の宣言だったわけでさ、
その想像をしたら、XGのことを知らなくても、否定的なことなんて言えるはずがないし、
言える人の気が知れないと未だに思っています。
まだまだ、ココナに対しての思いは、もう本当に推しだからっていうわけじゃなくて、
一大人として、20歳のココナが一生懸命考えたことを、もっともっとポッドキャストで配信している人だからこそ、
もっと発していってあげたいって、それで応援したいって思う気持ちはあるんですけど、
永遠に語れそうなのでこの辺にしまして。
最後に、信号待ちの間の人さん。
あなたのそのままの形で、これからもあてしかに寄りかかってくれたら嬉しいです。