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全く知らない景色だった〜子供と過ごした日々と自分の子供時代と
2026-09-10 24:59

全く知らない景色だった〜子供と過ごした日々と自分の子供時代と

親子関係への不思議な感覚/毎日公園/五里霧中での子育て/24時間密着する生活への驚き/記憶のなさ/遊びの記憶/祖父との時間/専業主婦の育児と核家族の実感/理屈/10代になった娘と日常の雑談/雑談した記憶がない/期待しない/未知の世界への感覚/マインクラフトのイメージ/過去の踏襲ではなく試行錯誤による人間関係/母親へのドライな受容/子育てを通じた人生のやり直しや往復感/日常の場面における自身だけの驚きと忘れ得ぬ体験
#47

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こんにちはめい、またの名をかっきんと申します 独り言Podcast

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サマリー

本エピソードでは、語り手が自身の育児経験を通して、親子の関係性や自身の子供時代について深く考察する様子が描かれます。初めての子育てでは、毎日公園に連れて行くことや24時間子供と密着することに強い驚きを感じ、自身の育児経験の欠如に直面します。成長した娘との雑談を通して、母親との関係性を振り返り、期待せずに試行錯誤しながら築く人間関係の重要性を語ります。子育ては自分自身を育て直すようなものであり、人生を往復するような経験だと締めくくっています。

育児における「知らない」という驚き
あたまの中庭
こんにちは、めい・かっきんです。 このポッドキャストは、東京生まれ商店街育ちの私が日々ふと思ったことや、
頭の中でグルグルしていることを、 生理がつかないままポンポン置いていく、そんな番組です。
話が脱線したり、ちょっと迷子になったりするかもしれませんが、 のんびり聞いてもらえたら嬉しいです。
そこにちょっと腰掛けて、一休みしていってください。
たまになんか、あの、よそ様のね、親子関係とか、 それを見るたびになんか、
よそ様の様子を見て、 ちょっと不思議な気持ちになるっていうか、
新鮮というか、
自分に置き換えてみると、こういうこと、 自分には起こってないなぁとか思うことがよくあって、
で、なんかちょっと今日は、 そんなことを考えてみたんで、
少しお話をしようかなと思ったんですけど、
私にはあの、子供がいるんですけれども、
で、もう結構今大きいんですが、
子供が小さかった頃にね、 まだ2、3歳ぐらいだったと思うんですけど、
毎日子供をね、公園に連れてっては遊び、 帰ってきて、風呂入れて、ご飯でとか、
本当にバタバタする毎日を送ってたわけですよ。
保育園とか幼稚園とか入る前の、 ほんの数年の日々だったんですけど、歩き始めてからね。
本当に毎日毎日そうやって過ごしていて、 たたと気がついて、気がついてっていうか、
ふとね、あれ私なんで、 こう、毎日子供と公園に行ってるんだろうと思って、
え、なんで?って、私知らないと思って、
子育てってこういうものなのかしら、 と思いまして、
なんか何も知らないままなんか、 がむしゃらになんとなく、
こう、ごり夢中というか、 子供の世話をしているうちに、
だんだん流れ流れてそういう状況になってたんですけど、
えっと、これってこういうものなんだっけ?って、
すごい、なんていうんだろう、 自分の中の空白に気がついてしまって、
えっと、え、私これ知らないんだけど、 ってすごい思っちゃって、
なんかこれは正しいんだっけ?
えっと、子育ての方法、私何にも知らないで、
なんか、今ここにいるけれども、 こうやって毎日公園に行って、
そんなこと親って毎日するんだっけ?って、 すごい急に今日疲れたような感じになっちゃって、
で、なんか、子供がね、まだ赤ちゃんのうちっていうのは、
あの、赤ちゃんのお世話の仕方指南みたいなやつを、
なんか教えてくれるような、ね、なんか、
参院で、あの、なんていうの、ご指導いただいたりとか、
区の市町村って言うんですか?
そういうのの、なんていうんだろう、 お母さん教室みたいなのに行ってみたりとか、
まあ雑誌とかでも、子育ての情報とか、 赤ちゃんに関してはすごくいっぱいあるんだけれども、
その後の情報、ちょっと私は何も所得してなくて、
で、なんかもう本当にね、赤ちゃん生まれてからしばらくっていうのは、
なんかもう夢中になって、あの、赤ちゃん本当にか弱すぎて、
ね、なんかこの命守んなきゃみたいな、本当に大げさじゃなくて、
親が世話しないと本当にね、ダメじゃないですか、赤ちゃんって。
なのでもう本当に夢中っていうか、ね、もがくように子育てをしてきたんですけれども、
まあ子供もね、あの2歳とか3歳になってくると、
まあ本当に自分で立って歩いて走って遊んでとか、
まあまあ自立、だんだん自立してくるっていうか、
まあちょっとね、おぼつかないところもありはするものの、
で、なんかその時点で急に太晴れに帰っちゃったんですよね。
で、なんか本当に、なんかこう毎日子供と朝から晩まで24時間ずっとべったり一緒にいるっていう状況に対して、
すごいびっくりしちゃって、私こんな24時間ずっと子供と一緒にいるけれども、
これ知らないってすごい強烈にビシーって思った瞬間があったんですけど、
子供時代の記憶と祖父との関係
思えば、まあその時は何でびっくりしてるのか自分でもよくわからなかったんですけど、
後々思うと、私自分自身がですね、そんな風に親から接してもらってた記憶があまなくてですね、
赤ちゃんの頃っていうのはやっぱりもうさすがに全く記憶ないんですけど、
2,3,3歳とかになってくると、まあおぼろげな記憶とかはあるんですよね。
でもその頃っていうのは、なんかね、もう親にべったりずっと一緒にいてもらうっていうことなくって、
なんか割と家の中でほっぽらかしにされてるっていうか、
家と親の仕事場が一体化しているような環境だったので、近くに親っていうか大人がいるような環境ではあったんですけど、
まあでも近くにいるとはいえずっとほっとかれてるっていうか、
まあ一人遊びしてたり、後は祖父にね、ずっと面倒を見てもらってたり、
ほぼね、ほぼ祖父の記憶ですね。一緒に遊んでもらってるっていう、大人に面倒を見てもらってるっていうか、
一緒に遊んでもらってるっていう状況はですね、もうほぼ祖父なんですよ。
まあ母親とか父親が何もしてないってわけじゃないんですけど、
遊んでもらうっていう記憶がね、ほぼ祖父しかないんですよね、普段。
たまにね、1回2回海連れて行ってもらったりとか、遊園地に行ったりとかは、
父親と母親と行ったり、兄弟と行ったりとか、家族旅行みたいな感じでそういうのはあったんですけど、
普段の日常的なこうね、ちょっと遊んでらっしゃいよみたいな、散歩行ってらっしゃいよとかいうのはね、
全部祖父だったんですよね。
まあ、なんて言うんでしょうね。
成長した娘との雑談と母親との関係
だからなんか急に自分がこうね、ずっと、まあ環境が違うっていうのもそうなんですけど、
娘の面倒見てる時はもう全然、私仕事場にも行かないし、
ずっとうちで専業主婦みたいな感じで子供の世話してたんで、
全然環境が違うんで、各家族ってこういうことなのかってすごい思ったんですけど、
まあそんなもんかと思って、
まあまあこっからね、
まあちょっとなんか、そこでびっくりしては見たものの、
まあまあそこそこ間違ったことはしてないよなと思って、
いろいろとあの自分のね、今までの子育ての経験を返り見てっていうか、
あれやってこれやってっていうのを考えて、
全然完璧ではないけれども、毎日24時間一緒にいるのも、
毎日自分が公園に連れて行くのも間違ってないよなっていうのを、
作能で理解するっていうか、
あの理屈で考えて、まあまあ大丈夫だよなって思いながら、
自分を納得させて前に進んでいったっていうか、
まあでもそれもね、幼稚園に行ったりとか小学校に行ったりとかしてね、
だんだん本当に親の手を離れていく時間もあって、
まあまあその驚きっていうのはだんだん解消されていったわけなんですけど、
で、もう一回その、親子ってこういう形なんだっけってびっくりするようなことが、
人生においてもう一回訪れるんですけど、
ある日なんか、まあうちの子供大きくなってきて、
10代、ティーネイジャーっていう感じになってきて、
だんだんいろいろこう話す内容とかも、
割と同じ目線で話ができたりとかしてきたんですね。
で、なんか本当に好きな漫画の話一緒にしたりとか、
それで盛り上がったりとかね、
あの服どうしようとかね、
お料理どうしましょうとかね、
そういう雑談系の話をね、
まあテレビ見てアダコーダ言ったりとか、
割と娘とは気が合うので、
いろいろ話をしてね、楽しく笑ったりするわけですよ日常的に。
で、そこでまたある日ふと割に帰って、
あれ?って思って、
え、なんか、
親と子で楽しく雑談しているぞって、
その雑談しているのは私だと思って、
私が親と子で楽しく雑談しているって一体なんだろう、
知らないってまたなっちゃって、
いやなんかね、
まあそういう長い親子が世の中にたくさんいるっていうのは知ってたし、
理解もできるんですけど、
それを自分がしているっていうことにある日びっくりしちゃって、
またそれもなんでだろうってちょっとしばらくして考えたら、
私、母親と全然雑談して楽しいお話をした記憶がないんですよね。
なんか要求を、命令系というか、
こうしなさい、ああしなさいみたいなね、
親が子供にいろいろああしたほうがいいよ、こうしたほうがいいよとかね、
あるじゃないですか、アドバイスとか。
私は親とはね、
家業のお店を手伝っていた関係もあり、
ずっと一緒に仕事はしてはいたんですよ、最近まで。
ずっと本当にしょっちゅう顔を合わせている割には、
月曜から土曜までずっと仕事場に通っていた割には、
雑談というものをほぼ、ほぼっていうか全然ないんですね。
まあなんか機嫌よさそうに何か話しかけられても、
ああそうなんだ、ああそうですかっていう、
なんか聞き流すだけっていうか、
割とね、なんでそうなっちゃったかっていうと、
私が何か返してもあんまり向こうから反応がないっていうか、
こっちから投げ返しても、
なんかいい反応もらえないなっていう感じが結構あったんで、
もうなんかこっちもそれに慣れてしまって、
最初から何も期待はしないような感じになっちゃってたのかな、別に。
仲悪いとかそういうんじゃないんですよね。
別にいがみ合ってるとか喧嘩するとかそういうの全然ないんですけど、
まあなんかイラッとすることはすごい多いんですけど、
私、母に対してねイラッと結構してたんですけど、
まあまあなんて言うんだろう、仕事のことでね、
なんかお話しすることはあっても、
なんか本当にプライベートのたわいのない会話とかを全然しなかったんですよね。
それは何でなんだろうってちょっとよくわかんないんですけど、
まあ話しても面白くなかったんでしょうね、私がね。
別にね、母親がどうのってわけではないんですけど、
イエスマンみたいな人が多分欲しくて問いをしてきてくれてたんだと思うんですけど、
まあ母親が気に入るような返答を私がいつもしないので、
向こうもイラッとしていたのかも、そんな可能性もありますが、
まあ私も私なりに一生懸命考えて返答をしていたのですが、
あまり受け止めてもらえずみたいな、そんなのが積み重なってそうなって言っちゃったのかな。
まあともかくあんまりね、雑談のできる関係ではなかったんですよ。
まあでも本当に仲悪いとかじゃないですよ。
お互い面白いことがあって笑い合うとかね、そんなことがもうほぼなくというところで、
そんな自分が母と自分の関係があった上で、自分がね、私の娘とすごい楽しく話をして笑い合ったりとかするのがね、
すごい新鮮で、こんなふうに楽しくお話できるんだなっていうのに気がついたときはね、
本当に新しい扉が開いたというか、また知らない未知の世界に私は来てしまってるんだなっていう、そんな感じがしましたね。
子育ては人生のやり直し
本当に自分が知ってた道をたどってないっていうか、子育てを始めてから、
子供と自分と対峙して、一つ一つ経験というか、創意工夫というか、そんなものを一個一個置いていって、
マインクラフトみたいにね、ブロックがいっぱい重なって、気がついたらなんかすごい風景ができてて、
それがもう全然自分の見知らぬ風景だったみたいなね、そんなイメージがあるんですよね。
別にどんな形にしようとか、計画もなく、本当に子供と自分と一対一で対峙して、
対峙してって、愛対してね、こうしたらいいんじゃないか、ああしたらいいんじゃないかって、
その場その場で置いていったブロックでできた景色っていうんでしょうかね。
それがなんか本当に、2、3歳の頃に見た景色もびっくりだったんですけど、
ある日子供と同じ目線でね、雑談してなんかもう本当にそんな楽しい会話ができている自分にも、すごいびっくりだったんですよね。
もう本当、両方とも同じような驚きで。
なんて言うだろうな、環境がね、全然違うのでね、
私は本当に商店でお家とお店とが一体化しているような環境で、
本当にずっと仕事している親の傍らでぼーっと育ってたような環境だったのに対し、
娘の方は別にそういうわけじゃないんでね、これからもね、
なんて言うんだろう、自分がたどってきた道をなぞるんじゃなくて、
その人と自分っていうのをね、その場その場で考えながら、
こうしたらいいんじゃないか、したらいいんじゃないかっていう創意工夫というんでしょうかね、
いい感じに人間関係作っていけたらいいなぁなんていうふうに思っているんですよ。
私は母はもう亡くなっちゃったんでね、今さらどうこうっていうのもないんですけどね、
ああしたらよかった、こうしたらよかったっていうのも特にないんですよね。
本当にね、母に対しては本当に私びっくりするぐらいドライなんですよね。
よかったんじゃないのっていうふうに、それはそれで思っています。
子育てをするってことは、自分育てをするなんていう言葉をどっかで昔聞いたんですけど、
本当に子育てして、自分の人生をなぞるっていうか、やり直すっていうかね、
そんな経験をしているような気はしていますね。
子育てしてて、その年代の子供を見てて、あの時の親ってああだったんだっていうのにね、
肌と気がつくことは本当に何回もあってね、今思い出せないですけど、
本当にそういうの何回もあったなぁと思って。
自分のね、過去の自分の経験っていうのは、
まあそれはそれで、今に生かしていく下敷きにできて、面白いなあっていう、
何て言うんだろうな、赤ちゃんから、自分が赤ちゃんから大人になって、
まあ一回大人になるまでを経験して、
子供ができて、また人生を往復しているような、なぞり直すっていうんでしょうかね。
一回ゴールまで行ったんだけど、赤ちゃんでまたスタート地点に戻って、またゴール目指してっていう感じで。
またきっと子供が本当に親もと離れて行っちゃったら、
また3回目のスタート地点にでも行くのかなあなんていうふうには思いますね。
でもその頃はちょっと体がね、もうきっとあんまり元気じゃないから、
今までとは違う自分の体調とかね、あるんだろうなあと思うんですけど、
まあ人生にはいろいろね、なんか驚きがあるっていうことですけど、
私は本当に何にもない地味なところに、誰も驚かないようなところで、
あの私自分一人で驚いてるっていうね、ただ子供育ててるっていうね、
子供と公園に行ってるだけでこんだけびっくりしたっていうのもね、
なかなか忘れ得ぬ経験ではあったっていうので、ちょっとお話ししてみました。
今日はそんな感じですね。
終わり。
というわけで今回はこの辺で、
思考の迷子の中庭に少しだけ付き合ってくださってありがとうございました。
番組への感想お便りは、Xでハッシュタグ、
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ここまでのお相手はメイ・カッキンでした。
聞いてくださってありがとうございます。
またお会いできたら嬉しいです。
24:59

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