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#28 ゲスト松永希 パート2 小笠原古謡 
2026-03-26 39:37

#28 ゲスト松永希 パート2 小笠原古謡 

こんにちはめい、またの名をかっきんと申します 独り言Podcast

めいのXのアカウント


今回のお題

#28 ゲスト 松永希 パート2


小笠原古謡と松永希


小笠原を訪れたきっかけと出会い

苦手を求めて小笠原へ

  • 25時間の船旅と1週間帰れない不自由さを楽しむ決意
  • 無目的が生んだ現地の人々との最高の出会い

小笠原古謡との出会いと音楽活動

  • 友人から譲り受けたカセットテープで知る独特の音楽文化
  • 多国籍なルーツと言葉が混ざり合う「小笠原古謡」の魅力
  • 1999年のアルバム制作から現在まで続くライフワーク

伝説の歌い手と島に刻まれた歴史

  • 103歳まで生きた伝説の歌い手・大平京子さんとの交流
  • 戦時中の記憶や、漁師が繋いだ本土との「声の便り」
  • 18年のブランクを経て、石田長生さんとの縁で再び島へ
  • ビーデビーデという花
  • 小笠原Dayという竹芝桟橋のイベント 


BONINの島

RINGRINKS「小笠原古謡」

今回はここまで。次回第3回が最終回です


#あたまの中庭 でコメントくださるとうれしいです

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アイコン:イッシュウ

イッシュウさんのポッドキャスト番組

「完全人間ランドの目安箱」

BGM : 鳥取生まれギターポップ育ちのケージくん

ケージ君のポッドキャスト番組

⁠「make friends 実験Radio Space Volcano」



感想

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サマリー

今回のエピソードでは、ゲストの松永希さんが、自身の音楽活動のルーツである小笠原諸島との出会いと、そこで生まれた「小笠原古謡」について語ります。岡山出身の松永さんが、苦手なことを求めて25時間の船旅で小笠原を訪れたことが、島での素晴らしい出会いと音楽活動の始まりとなりました。友人から譲り受けたカセットテープで知った小笠原古謡は、多国籍なルーツと独特の言葉が混ざり合う魅力的な音楽でした。1999年のアルバム制作を皮切りに、103歳まで生きた伝説の歌い手・大平京子さんとの交流などを経て、この音楽は松永さんのライフワークとなっています。 小笠原古謡は、単なる民謡ではなく、様々な文化が混ざり合った独特のサウンドを持っています。ピジン日本語のような言葉遣いや、軍歌、南洋風のリズムが融合したその歌は、島の人々にも新たな発見をもたらしました。松永さんは、島に伝わる歌の数々を発掘し、演奏することで、その魅力を広めています。また、フラダンスとの共演や、石田長生さんとの楽曲制作など、小笠原との繋がりは深まり続けています。このエピソードは、松永さんの小笠原への深い愛情と、音楽を通じて文化を繋いでいく情熱を感じさせる内容となっています。

00:06
あたまの中庭
こんにちは、めい・かっきんです。
このポッドキャストは、東京生まれ、商店街育ちの私が、日々ふと思ったことや、
頭の中でグルグルしていることを、整理がつかないままポンポン置いていく、そんな番組です。
話が脱線したり、ちょっと迷子になったりするかもしれませんが、のびり聞いてもらえたら嬉しいです。
そこにちょっと腰掛けて、一休みしていってください。
小笠原への旅立ちと偶然の出会い
はい、というわけで、今回は松永臨さんとお話をする第2回になります。
第2回はですね、メインの小笠原の話へと話が深まってまいります。
岡山出身の臨みちゃんが、どうして今小笠原の歌を歌っているのかな、なんていうきっかけとか、
経緯をお話ししてもらっているので、どうぞお楽しみに。
これで臨みちゃん、結構私のことをカッキンって呼んでいるんですけど、
昔からのお友達は、私のことをカッキンって呼んでくれているんですよね。
で、ポッドキャストを始めるときに、メイっていう名前に、なんか気まぐれでしてみたんですけど、
やっぱりなんか私は私だなっていう感じで、最近は2つを統合して、メイカッキンっていう名前にしてます。
そんなこんなで、松永臨さんとのお話、第2回小笠原編、どうぞ。
はい、えーとでは、臨みちゃん、松永臨さんの第2回始まり。
ありがとう。
第2回はですね、小笠原の話を。
小笠原、私岡山出身なんですけど、歌を歌い始めて、最初のアルバムを作った頃だから、
本当に25になる年だったんですけど、その時にやっぱりやりつけないことをやり始めたから、
なんかちょっとやっぱり、全然違うことをしてみたいなっていうかね。
なんか、全然知らないことをしてみよう。一番苦手なことをね。
苦手なこと。
と思って、私は南の島っていうのはほとんど興味がなかった。
なかった?
うん、全然なかった。リゾートとかそういう旅行に興味がないというかね。
あと海もね、あんま泳げないから、ちょっと結構苦手。
で、だいたい船が泳ぐからダメ。
で、っていうのがあって、船の旅っていうのをしてみようかなとまず思ったのね。
なるほど。
で、そのバイト先の人がみんなサーファーだったの。私全員。
そう。
全員サーファーだった。で、東京の人だからみんな。
うん。
伊豆七島とか、小笠原も諸島とか、みんな結構身近なんだよね、東京の人って。
大島とか行ったりしてサーフィンしたりとかさ、なんか小笠原もサーフィンで行ったことがある人って2人ぐらいいたの。
珍しいと思うんだけど。
それは結構でも。
たまたま。で、一緒にバイトしてるサーファーじゃない友達も行ったことがあったのね、小笠原に。
行ったらどうだったって聞いたら、なんか結構寂しかったみたいな感じだったの、感想が。
で、サーファーはもうサーフィンしかしてないから、サーフィンのことしか言わないし。
全然わかんなかったんだよね、小笠原がどういうとこか。
で、これはいいなと思って。
で、調べたら、当時は今24時間で行けるんだけど、その時はね25時間だったの。
船がまだ前の船でね。
で、25時間かけて片道だよ。
で、結構値段もするしね。
で、もう船嫌いでしょ。
遠いでしょ。
あとその1席しかないんで、もう行ったら1週間は最低でも帰れない。
6日間なんだけど。
これだと思った。もうこれしかないと思った。
そうなんだ、もう苦手の詰め合わせ。
もう詰め合わせ、パック。
で、あんまり、私はその時はネットとかもそんなになかったんだよね。
メールとかもできないし。
だから、ガイドブックみたいなのもあんまりなかったし。
で、私も調べるのも苦手だから、ほとんど何にも調べないで。
とにかく船に乗ったっていう。
そうなんだ、もう。
じゃあもう偶然も偶然っていうか。
全然何にも目的もなく。
それがね、だから本当に初めて行った時、1人で。
1人旅の人も、でも当時、今も多いと思うけど、当時も結構いた。
9月くらいだったから、私くらいの世代の大学生とか。
なんかツテとかはあったの?
ツテ全然なかったんだけど、当時やってたバンドの人が、昔行ったことあったんだよね。
それも知らなかったんだけど、私が岡沢に行くことにしたんだって言ったら、
あ、知り合いがいるって言われて。
で、そういうのも本当はいらなかったっていうか。
だからいいって言ったんだけど、知ってることってみんなこれやってあげたくなるじゃない?
だから一応連絡はしといてくれて、その人全然知らない人だったんだけど、
私はのぞみですけど、その人はのぞのさんっていう人だよね。
で、行ったら、なんか迷惑そうな顔してた。
でも結局はその人との出会いが、私の島での島ライフを最高のものにしてくれたっていうか、
ほんと今でも一番仲良し、最初の友達。
で、いっぱい友達ができて、寝る間も惜しいんで、みんなと遊んで。
え、もう行ったその日から?
もうその日からずっとお店でみんな飲み屋。
その頃、今はね、結構ね、小笠原も乳島便利になったけど、
当時はやっぱりもう特に何もなかったから、
本当に飲んだり泳いだりって感じだよね。
ほとんど私もお金もなかったし、みんなと一緒に飲んだり。
イルカも一応乗ったり、イルカの船に乗ったりもしたけど。
え、何イルカの船って?
イルカが来る。
イルカクルーズみたいな?
そうそうそう。船に乗って行ったらイルカがもういっぱい来るの。
で、そこに飛び込んで。
え、飛び込むの?
飛び込んでっていう、そういう一番メジャーなイベントだよね。
そうなんだ。
一応そういう観光客的なこともやったんだけど、
ほとんどみんなと遊んで飲んで、みたいな感じ。
ミュージシャンも多くてね。
今でも一緒にやってもらったりしてるけど、
みんな特技を披露してくれないとか。
本当にね、苦手を詰め込んで行ったんだけど、本当に会ってた。
楽しかった。
奇跡だね。すごいね。
岡沢はその時に本当に初めて何にも知らないで行ったんだけど、
めっちゃくちゃ楽しかったよね。
水があったんだ。
うん。本当に水があったと。今でもあってると。
小笠原古謡との出会いと音楽活動の始まり
それをきっかけにしてね、
最初はただ旅行だから、
でも私も最初のアルバムをちょうど撮り終えたところっていう感じで、
島のミュージシャンのみんなも私のお別れ会みたいなのね、
浜辺でやろうって。
素敵〜。
そういうとこなんだよ、本当に。今でもやってるんじゃない?みんな。
集まっていろんな新しくできた友達とかね、
みんな帰る日に初めて会うような人を見たんだけど、
そういう時にみんなが本当に一芸披露みたいな感じで、
私も自分の歌を歌ったの。
前回になるのかな?
春のようなっていう曲。
みんながすごくその歌を好きになってくれて、
そこから始まるんだよね。
小笠原でライブっていうのは。
じゃあのぞみ次、またイベントあるときに、
バンドでね、来れるようにみんなで呼ぼうみたいな感じで。
それでその後、バンドが解散するまでは何回か、
母島にも行ったし、
小笠原って日本に返還されて何十周年みたいな、
節目節目でイベントがあるんで、
そういう時に呼んでもらったり、
島の人の寄付でね、呼んでもらったりとか。
へ〜、すご。
そういう体験の中で、
最初行った時は知らなかったんだけど、
小笠原にも歌がある。
最初知らなかったんだ。
全然知らなかったの。
最初の旅行の時に。
歌を別に調べに行ったわけでもないから。
ただ帰りがけに、
のぞみちゃん歌手なんだからって。
小笠原小代と呼ばれる、
何曲か入ってる島の、
ちょっと説明するの難しいんだけど、
要は欧米系の島民の人とか、
もちろん日本人の人もいるんだけど、
おじいさんおばあさんが読書をしてる、
伴奏とかないんだよね。
アカペラで歌ってる、
記録として残すテープみたいなのが、
島民の人が持ってて、
それをダビングしてくれたのを、
お土産にくれたの。
その時に仲良くなった友達が、
帰りにくれて、
帰ってから聴いたの。
すごい変わった歌で、
聴いたこともない。
だけど、日本語の歌もあって、
恋の歌っていうかね、
アカペラでおばあさんとかおじいさんが歌ってるから、
なんとなく最初わかりにくかったんだけど、
よく聴くと、
メロディーも南洋風だなとかね、
リズムは軍歌っぽいのかなとかね、
いろんなミックスされた、
聴いたことない歌。
それでまた島に呼んでもらうことになった時に、
やっぱり島の人に喜んでほしいから、
じゃあレパートリーに入れて、
何曲か聴いてもらいましょうみたいな。
ので、バンドでやったんだよね。
ライブでやった時に、
すごく島の人が、
演奏がついた歌って、
あんまり島の人も聴いたことなかったんだよね。
独唱するものだから。
あんまり島の人もやってなかったし、
私たちがリングリンクして、
バンドで、
別に曲自体はアレンジしてないんだけど、
楽器を付けたり演奏を付けたりすることで、
だいぶイメージが変わるじゃない。
そういうのを島の人がすごく喜んでくれたんだよね。
それで、
じゃあ2枚目は小笠原紅葉集ってアルバムにしよう、
ということになって、
1999年に小笠原紅葉集っていうのを、
私たちの当時のバンドの2枚目のアルバムとして、
発売した。
それがだからすごく島の人が、
島の人も協力してもらってね。
それが、
今もずっと歌わせてもらっているというか、
そういうのの始まりかな。
別に小笠原で生まれ育ったわけではないけれども、
人生の途中で出会い。
本当に旅のね、
ただの旅人っていう感じで、
別に調査に行ったとかいうわけでもない。
でもすごくいいなと思ったし、
自分でも自分の声にも合ってるかなっていう感じもしたんだよね。
なんとも勝手にね。
いい曲だし、
あんまり誰も知らないから、
もっと知ってほしいなっていう、
そういう気持ちで最初始めて、
バンド解散した後も、
やっぱり小笠原がすごく好きだし、
いい曲だから聴いてほしいなっていう、
本当にそんな感じで、
ソロになってからもずっと、
今も歌っていく。
ライフワークみたいな感じだよね。
本当に好きだからね。
小笠原古謡の魅力と歴史的背景
私としては、もちろん小笠原雇用を、
いろんな人に聴いてほしいというのもあるんだけど、
カバーという感じもあるの。
カバー曲っていうかね。
いろんな人のカバーもしてるし、実際。
だから民謡を歌ってるというよりも、
いい曲をカバーさせてもらってるっていう。
民謡っぽさもあんまないもんね。
またぜひ聴いてほしいんですけど、
どっちかっていうと南洋風だし、
ミクロニシアの人たちの踊りがついて、
現地の言葉を聞き捨てして、
残ったような意味不明の言葉。
で、まま残ってる歌っていうのもあるから、
そういう面白さっていうかね。
ちょっと独特じゃないかな。
場所的にも独特だし、
そもそも無人島だったっていうね。
そうだよね。小笠原の島の歴史自体がちょっと、
特異な。
本当に珍しい。
捕鯨船が来て寄って行ってたところに、
最初はアメリカの人なのかな、
グアムの人とかそういう人が移り住んで、
初めて有人島になるっていう。
そういう、でその子孫の方々が、
第二次世界戦争が終わったと戻って、
その時に集めた歌っていうのもあるしね。
近隣に船で行って、
パラオで教えてもらった歌。
だからそういう日本統治の時代もあるから、
日本語でもあるし、
源氏の言葉でもあるし、
あとなんか片言みたいな日本語みたいなところもあって。
なんだろうね、不思議ななんていうんだろう。
なんかよくピジンイングリッシュってさ、
植民地になったね、南の島の人たちが、
自分たちの言葉と英語と混じっちゃう。
独特の言葉作るんだけど、
ピジン日本語みたいな感じにもなってる。
歌になってる時点で、
ある程度正確にはなってるのかもしれないんだけど、
でも本当に細かく聞くとね、
ちょっと変なところもあるというかね。
でもそれがまた可愛らしくて、
全体に恋の歌なんだよね。
そこもいいなっていう感じ。
やっぱり南の島の歌なんじゃないかな。
元のがあるものもあるだろうしね。
流行ってきたものが人づてに流れてきて、
元が何だったか分かんないけど、
替え歌みたいなね。
そういう感じも多分あるんだと思います。
ね。だって本当にね、
なんていうんだろう。
本当に日本語で聞いて意味分かるやつもあれば、
本当にカタカナの羅列を聞いてるようにしか
捉えられないようなやつとか。
カタカナなんだよね。
元は多分、
なんか意味があった。
現地の言葉だったね。
歌い伝えてる人たちも意味が、
それは捉えちゃって。
もう分かんないの。
多分最初にね、
誰が持ってきたかってことも分かってるんだけど、
でもその人が多分耳で覚えて、
どっちかっていうと踊りをみんなで踊ろうみたいな感じで、
踊りを覚えて変えて、
やっぱりほら、
伝言ゲームみたいに変わっていくし、
そもそも多分意味を知ろうっていう感じでも
あんまなかったのかもしれないね。
意味はあんまり…
サウンドとして。
意味はなさい。
遊び歌みたいな感じ。
そういう遊び歌みたいなのが他にもね、
最近また新しく、
古いんだけど実際は。
また私がいろんな歌を歌うのが好きだから、
島の人に結構教えてくれてね、
またそういうカタカナでしか表せない歌とかもね、
また見つかってね。
早速やってます。
発掘しがいが。
そう。
で、みんな知らない…
知ってても歌うって感じはないんだと思うんだよね。
だけど歌ってみたら結構面白いよって言うんで。
じゃあ、
小笠原の中に結構そういうなんか埋もれて、
忘れ去られていっちゃう危険性を含んだ曲っていうのがいっぱいある。
あのね、だから一応ね、
私なんかもこう…
何かしら資料がないと知る余地もないというか、
だから一応なんかね、
節目節目で、
そういうちゃんとね、
島の人でもね、
集めて記録しとこうみたいな人もいるんだよね。
そういう人がやっぱり市役所とか村役場に残してたりとかね、
そういう難易踊りって踊りがあって、
そういう保存会の人たちがそういうのをちゃんと記録として持ってるんだけど、
そんな深掘りしてない場合もあるじゃない。
だから私が何か面白いのないかなとか言ってると、
教えてくれて、
これはあそこのおばあさんがね、
歌えるよとか言うと、
聴きに行って、
歌聴かせてもらったりとか、
して、
また本当に最初にやってたことみたいに、
自分のバンドでまたやってみる。
ずっとやってみるとか。
で、こういう風にやったらいいんじゃないかって島の人に言って、
島の人もじゃあ気に入ってくれたら、
そういう雰囲気でやるとかね。
フィードバックがあるんだ。
今はもうだから昔はメールとかもできなかったけど、
今はLINEですぐ何でも送れるから、
お互いに音源を送ったり、
そういうのができて本当に楽しい。
話が早くなってきた。
そう、もうすぐ送ってくれるからね。
こっちもこういう風にやったよってすぐ送れるし、
これ使って、
フラダンスもすごい流行ってるからね、昔から。
フラダンス。
いいんだよ。
小笠原雇用にフラダンスを、
フラの振付付けてるのがすごくいい。
私の親友のね、島の親友の一人でもあるんだけど、
マナミさんっていうのが、
もともとハワイでフラも習ってて。
ハワイの大学行っててね。
ちゃんと先生に習ってて、
本格的なフラだね。
でも、彼女の振付ってのがすごくよくて、
その小笠原雇用から小笠原でできた歌とか、
そういうのにもいっぱい付いてるんだけど、
それは本当に独特の魅力でね。
今はフラダンスと一緒に共演したりすることもすごく多いイベントとかでね。
あんもんね。
もともと曲の存在感がそっち系っていう感じ。
ああいう場所だからね。
場所もだってグアムとかね、
そういう感じのミクロネシアとかに近い。
日本の方が遠いような感じじゃないかな。
八丈島からももう500キロ離れてるからね。
わあ、そうだよね。
だから、いろんな国の人が集まって、
もともと暮らしてた場所っていうのもあるかもしれない。
そういう、今はもちろん日本の人が多いんだけど、
でも、そもそものエネルギーっていうかね。
そういうのってどうしたってなくならないよね。
そういうものを私は小笠原の歌から感じるなっていう。
結構日本人の移民の人っていうのも戦後、わーっといっぱい。
もともと日本人の人が住んでた人は、戦争の時は欧米圏の人しか帰れなかったんだよね。
日本に返還された時に帰った人もいるし、帰れなかった人もいると思うんだよね。
なんだけど、今は新島民と呼ばれる移住した人。
それとは関係なく。
もともといたとかじゃなくて、本当に移住した人いっぱいいるよ。子どももいっぱいいる。
すごく活気のある。
わりとそういうウェルカムな土地柄って感じ。
そうなんじゃないかな。住むところとかも少ないからね。
伝説の歌い手・大平京子さんと島に刻まれた記憶
あとお仕事とかそういうのも移住にはいろいろハードルはあるんだと思うんだけど、
でも、何年か住んでまた戻る人もいるし、気がついたら何十年みたいな人もいるし、
やっぱり子どもとか多いよ。すごくいっぱいいる子どもが。
えーいいね。
だから育てやすいんじゃない。ここで育てたいとか思う人もいるんじゃない。
そっかー。
あとは、村役場関係の人っていうのは転勤の人もいるからね。
転勤で何年かいて帰る学校の先生とかね。
やっぱり東京都の職員っていう。
そう。だからいろんな島に派遣される人もいるんじゃない。希望してるのかわかんないけど。
そうなんだ。
あと自衛隊の人とかね。
そう。
いろんな人がいるんだけど、やっぱり新島民の人、あとは元々の欧米家の人。
私が歌を教えてもらったのは、欧米家の島民の人に教えてもらった。
大平さん。
そう、えーとね、大平京子さん。
大平京子さん。
イーデス・ワシントンさんっていうね。本来は。
日本名にしたときに大平京子さんって名前があって、ワシントンさんだね。
大平京子さんは歌ってた人だったよね。
要は担ぎ出されて、なんかのときにいつも歌を、じゃあ大平さん、イーデスさん歌ってよっていう感じで。
私が最初に聴いたカセットテープも半分ぐらいは大平京子さんだったね。
半分はその歌をパラオから持ってきたエーブルさんっていう、セブリー・エーブルさんっていう人の。
二人ともやっぱり歌がすごく好きで、うまいしね。
なんとも言えない味わいの歌で。
それを、だから私も最初それを聴いたんで、エーブルさんとか大平さんにアルバム作るときに教えてもらった。
それで紹介してもらって、また別の人に色々聞いたり、教会の牧師さんに話聞かせてもらったりね。
そういう感じですごくお世話になったよね。
ただ皆さんちょっともう、今もう亡くなりになっちゃって。
大平さんすごい長生きして。
だからね、今ちゃんと調べてきたけど、2023年の12月にね、でも103歳だったの。
103歳すごいね。
大王女、大王女だし、本当に最後まで歌が好きでね。
すごく私も間ブランコもあったんだけど、交流ずっと続けて、いつも仲間のように迎えてくれて、本当に感謝してる。
のぞみちゃんのフェイスブックとかでさ、小笠原行ったときのライブ風景とか、みんな大平さんいらっしゃったりするよね。
絶対歌ってくれるのね。行って誘うじゃないですか。
みんな大平さん歌ってるのを見たいじゃない、島の人も。
でもこれだし、決まってれば出てくれる、ちゃんとやるときもあるんだけど、そんな言われなければ出てくる人はないから。
だけど私がライブすると、野外とかライブハウスみたいなとこでもね、やるときは声かけて来てくださいって言って一緒に歌いましょうよって言ったら、絶対一回も断られたことないの。
絶対私より声大きいんだ。声すごい大きいの。
だって、最初だったのは70代くらいだけど、本当だって100歳とかのときでも歌ってくれたよ。
やっぱりそれ、楽しいんだなと思ってね。
私も歌うのが好きなんだなっていう感じ。自分も好きだし、そういうとこで一番共通点かな。
うん、いい話。
すごく尊敬してる。人柄も本当に素晴らしい方で。
憧れの、歌手じゃないけど、別に歌いついたりするものじゃないから、小笠原声ってのは誰が歌ってもいい。
そういう魅力もあると思うんだよね。
島の歌手と言えば大平恭子さんだなっていうのはあったから、だからやっぱり一緒に歌えて。
実際本当にいろいろ教えてもらったしね。
すごくお話も好きな人でね。楽しかったなって。
いろんなエピソードとか。
大平さん、本当にこのポッドキャストじゃないけど、行くと近郷喋ったりね。本当そんな感じなのね。
大平さん、私はいろんなのがあるけど、戦争の時に、大平さんは強制疎開して本土にいたんだけど、
その時に自分の家が、要は兵隊が使う場所になるわよね、建物は。
どれもそうなっちゃう。
その時に写真みたいなのが残ってたらしいんだよね。倉庫みたいになってたらしくて。
日本の兵隊さんの写真、小さいね。
初見写真でも残って、誰だか分かんないんだけど、
でも本当に何回目か遊びに行った時に、こんな写真あるのよって見せてくれて、
どうですか?って言ったら、いやここに残ってたんだって。
もしかしてね、いつかね、取りに来るかもしれないから、取ってあげようって。
そうか。
全然、さらっと言うわけ。
でも結構胸を打たれちゃってね。
返還する前、大米圏の人だけが帰れたら、アメリカ時代の小笠原にいた時は、
本当にもう日本と連絡も取れなくて、
友達と手紙とかもできない。
本当に、だからどういうことでそうなるのか、今は考えられないじゃない?
手紙とか別にいいんじゃないかって気もするけど、当時本当にダメで。
たまに、別に船壊れてるわけだけど、
漂着する船があるよね、漁船とか。日本の。
そういう人に預けるわけ。手紙を。
そしたら、届くんだよね、不思議な。
かつての同級生。日本にいる。本土にいるね。
そしたらその友達たちから、そのシートに声を入れた。
友達の声が入ってんの?そのシートに。
送られてきた。送られてきたんじゃない?漁師が持ってきた。
漁師に尽くして。
でもね、それってね、漁師に小笠原の辺に行くかもしれない、
もしかしたら寄るかもしれない、可能性のある船に渡すわけじゃない?
その本土の友達を。
で、それを一回のその船が行けるとは限んないじゃない?
だって本来は日本の船入れないからね。
なんだけど、ということはその漁師がまた、
行くかもしれない漁師に渡してるか、ずっと持ってるかじゃなければ、
絶対たどり着かなくなっちゃう。
うわー、ちょっと。
それ嬉しかったー、とか言って。
だからやっぱり、大江系の皆さんも時代によって、
いろんな、同じ感情ではないと思うんだけど、
でも小笠原さんの場合は、本当にそうやって日本人の友達と一緒に
日本語教育を受けて学生生活してたから、
だからやっぱり同級生と会いたかった。
どうしてるか心配だった。
だからそういう話をね、本当にギラギラ笑いながら。
そうなんだよ。
もういっぱいあるんだけど、すごくそういう人なんだなって。
それこそね、電話もできない、手紙も届かないようなところに、
そのシートにみんなが歌った歌が入ってた。
学校とかで習った歌だと思うんだけど。
それ嬉しかった、とか言ってね。
そういう遠いところにいて、でもそういう思いで生きてきて、
みんなで歌った歌を懐かしく歌ったりね。
そんな感じが、私のイメージとしては、
小笠原の声もそういうイメージも入っちゃってね。
小平さんの思い出だと思って。
なんか、いいな、歌ってそういうもんだよなって。
いいね。
なんかわかる?
わかってないけど。
なんて言うんだろうね、胸が熱くなるっていうか。
熱くなるでしょ。
その漁師さんのね。
そう、それで何回もやり取りしてるって言うんだよ。
で、どっちもどっちにいいよね。
すごいね。
そういうね、なんて言ったらいいんだろうね、
そういう心が美しいって。
そういうものを学んだ部分もあるかな。
18年ぶりの再会と石田長生さんとの繋がり
なんかとちらかっちゃうんだけどね。
歌とかいろんな思いがあるから。
でも本当にね、私だけど結局バンド解散してから
18年くらい行ってなかったの。
交流はしてたんだけど、手紙したり電話したりとかしたのはあったんだけど。
なんかもう、なかなか行かなくなっちゃったら
音楽活動自体もちょっとあんまりやってなかったっていうのもあったり
途中で夫が亡くなったりとか、そういうのでまた行かなくね。
すごくブランコ開いちゃって。
もう二度と行くことないかなって思ってたんだけど。
それがだからね、今日ちゃんと数えてきたんだけどね。
えっとね、2018年かな。
石田おさむさんっていうのがいらっしゃる。
生きたりしそうな。
石田さんがね、私が行ってない十何年くらいの間に何回も行ってて。
そういう入れ替わりって感じだったの?
本当に入れ替わりだけど、間行ってて。
で、私は東京で音楽ボソボソとやってたから
石田おさむさんがあるとき訪ねてきてね。
のどみちゃん、一緒にやろうよって。
その小笠原声を聞いて、自分も小笠原のことすごい大好きな奴だったから
一緒にやろうって。
リングリンクスのCDかな?
そう、それを島の人に教えてもらって聞いたんじゃないかな。
で、石田さんそれ気に入って。
で、私がバイトしてるらかになって来てくれて
一緒にやろうって。
で、二人でちょっとやったりもしてたの。
Bで兄弟っていう。
で、石田さんが毎年やってるお店があってね。
今私とすごく仲良しのお店、南国酒場コモっていうお店があって
そこの何周年?15周年とか。
15周年に石田さんを呼びたかったんだけど
石田さん亡くなっちゃったから
で、私知らなかった。
私が行ってない間にできたお店だったから。
だけど来てくれないかっていうのがあって
それで久しぶりに、18年ぶりに島に行くことになって
そっから結構割と何回もね、また今に至るって感じで。
その時に石田さんが作ったね
ボニーの島っていう曲があって
ボニーってボニーアイランドっていう
小笠原は英語で言うとボニーアイランドなんだけど
そのボニーの島のボニーなんだけど
その歌はすごくいい歌なのね。
いい歌ですね。
その歌を、石田さんがギター弾いて私が歌を歌ったっていうのが
島民だけに配られるCDっていうのに入ってる。
石田さんギターで、私ボーカルで
録音して、変換何十周年みたいな記念アルバムみたいな
島民の人に無料で配るやつね。
っていうのに入ってて
それを島の人が聴いてくれてね、久しぶりにね
知ってる人が。
それをぜひ歌ってほしいってことで
そこに呼ばれて行ったのが久しぶりに行ったから
結構ボニーの島に打って歌にね
また呼んでもらったなっていうのも一つあって
大事な曲では。
カバー曲。今となってはカバー曲なんだけど
そういう歌で結局繋がってきたなっていう
ビーデ兄弟のビーデってどういう意味?
ビーデビーデの花と小笠原のイベント
そうだね、こういうのもご存知で言っちゃってね
みんな全然知らないもんね
ビーデはね、ビーデビーデっていう花があるの
赤い花なんだけど
赤い南国らしい大きい花なんだけど
それちょっと沖縄風だよね、ビーデビー
2回言うっていうかね
ビーデビーデっていうけど
ビーデって言ったのかな
ビーデビーデってみんな言ってるけど
春先に咲くのね
だから桜みたいな花じゃん
時期的に
真っ赤な花で結構咲くから木に
そういう島の人にとっては春の花というか
年から年中暑いからね
そういう象徴的な花なのね
ビーデっていう綺麗な花があって
昔の昭和、北原博集のビーデビーデっていう曲もあるんだよ
北原博集も言ったことあるんだよ
大沢に?
すっごい時間かかってると思う
そうだね
25時間どころじゃないでしょ
保線じゃないあのほう
保線?
多分本当に
風まかせだ
風まかせだと思う
ちょっとそれはでも未確認情報だけど
それもまたよかったよね、五人の島
ご縁があるんだね
それどこで聞けんの?
それはね、私が歌ってるやつは遠見のすずにしか聞けないんだけど
石田さんが五人の島っていうアルバムも出してるんで
石田さんが歌ってるやつは聞けるのと
あとなんか私のSNSとかで
ライブの情報、ライブの切り取りみたいな感じで
動画が出てます
一曲ずつのね
大笠原のやつは皆さん知って欲しいんでね
結構上げてますので
この間だって、なんだっけ
大笠原デイっていうね
メイさんがね、雪の日に来てくれて
雪ちょっと降ってたんだよね
一度
あの凍え、みんな凍えて
あの抗議を聞いたっていうね
あのライブ会場が
もうね、シンまで冷えたっていうね
雪の日だけど外でやって
半外みたいな
屋根はついてるけど
でもあれはもう波止場だからね
そうだよね
海風が
海風が粉雪をまとって
マイクに手が張り付くかと思うぐらい
そういう大笠原好きが集まってね
やる大笠原
それは大笠原デイというイベントだったんだけど
年に一回ぐらいあるのかな
で、あとシマジマンとかね
そういうイベントもあるのでね
そういう時にね
ブッサンなんかも面白いんだよね
みなさんぜひ
ブッサンね
そういうの興味ある方は
伊豆七島のブッサンも面白いですよ
あ、まあ伊豆七島の方が割となじみが
楽曲の紹介と番組の締めくくり
あるんだよね
東京の地形としては
そう、だから
草屋持って帰ってきたよ
うわー
近所で焼いてんなーみたいな
というわけで今回はこの辺で
松永臨美さんを迎えして
第2回でした
いろんなお話を聞くことができて
とってもいいお話を聞けたなと思いました
これで母人の島という
曲のお話が出てきたんですが
それですね
YouTubeで検索していただくと
母人って
B-O-N-I-N
母人はそのアルファベットで
のっていうのがひらわなので
島は漢字で島
母人の島
で検索してもらえると
のぞみちゃんが
ギタリストのチャーさんと
デュオで歌っている映像とか
あと小笠原でね
フラを踊ってらっしゃる方
たくさんと一緒に
歌っている映像が出てきてね
どっちもとっても素敵なんで
どうぞご覧になってください
あとリングリンクスっていうね
のぞみちゃんの所属してた
バンドなんですか
そちらのアルバムで
小笠原雇用主っていうね
小笠原の曲を集めた
アルバムがあるんですけど
それが音楽配信サービス
いろんな所で聞けると思いますので
あのリンク貼っておきますので
それどうぞお聞きになってください
本当に私は彼女の歌の大ファンで
本当に大好きなんですよね
本当にいいと思いませんか
じゃあまあまあ今回はこんな感じで
次回に続きます
第3回次がラスト最終回です
それでは
というわけで今回はこの辺で
思考の迷子の中庭に
少しだけ付き合ってくださって
ありがとうございました
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ここまでのお会い
お相手はメイカキンでした
聞いてくださってありがとうございます
またお会いできたら
嬉しいですというか
次回最終回も聞いてください
それでは
39:37

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