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  2. #73 「空」って何だ??①
2023-10-20 10:25

#73 「空」って何だ??①

ビジネスシーンを生き抜くための仏教思考         著者:松波龍源さん、編集:野村高文さん

の書籍を読んで、改めて仏教の学びを深めております。学びを深めるためのアウトプットとして、”今ここ”ラジオでしゃべります。今回は「空」についての1/3回目です。

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サマリー

しゅらの今ここラジオの振り返り回では、ビジネスシーンで生き抜くための仏教の本を読んでいるという内容です。その本には、「空」というテーマについて学び、独立性や絶対性の教え、因縁正義について解説されています。

ビジネスシーンを生き抜くための仏教の教え
こんにちは、しゅらです。
今回のしゅらの今ここラジオは、今勉強していることの振り返りの回として活用させていただければと思っています。
私が学んでいることをアウトプットとして、セルフフィードバックをする場として活用したいと思っております。
今、ビジネスシーンを生き抜くための仏教という本を読んでおりまして、著者は松並隆元さん、編集は野村隆美さんという方が出した本なんですけれども、
それに関して空という概念について、学んだことをアウトプットとして整理する場にしていきたいと思っています。
私が学んだことをアウトプットする場なので、これが正しいというような解説では話ではないので、
間違っていることがあっても、ちょっとお目をつむっていただいて、目をつむるというか、こういうことなんじゃないですか、感想などいただけるとありがたいと思っていますので、よろしくお願いします。
早速皆さんにプレゼンするようなイメージでやっていきたいなと思っています。
早速さっきも言ったけど、今回のタイトルに関しては空についてということなんですけれども、空って漢字で空っぽとか空かな空とか空き缶の空いてるという空とかね、あと虚しいとかでも使うかな。
なので、空って言うと何もないっていうことだと思っていませんかね、皆さん。
私もそういった形で捉えていたことがあったんですけど、何もない、つまり無ですね。
無と空は一緒なのかなって思っていた時期があったんですが、実はそれは違うというような教えがありました。
じゃあ何が違うかというと、無というのは文字通りですね、何もないという意味なんですけど、空というのは言ってしまえばないものがない、すべての可能性があるということを空と呼んでいるそうです。
この話をされてもいきなりされても無という形だと思うので、何もわからないと思うので、ちょっと解説をしていくと。
ゆきさん本の中で前提としてですね、空という仏教の教えは中眼、中眼の中は中央の中ですね。
眼は見る、観、観撃とかの観かな、中眼、あと有意識、ただ一つのただに知識の識ですね。
有意識という考え方がある大乗仏教の教えということを言っています。
中眼と空というのはまとめると、独立性、絶対性、延々性というのを認めないという教えになります。
独立性というのはそれが単独で存在するということが全くないということですね。
あとは絶対性は他に関係がなく、完全かつ不動ということが、そういうことを認めないということですね。
あと延々性というのは時間に関係なく不変だということになります。
それを認めないというようなことですね。
空の教えと縁の作用
後で詳しくは解説していくんですけど、独立性と絶対性というのは、
例えば右という概念が独立的に絶対的に存在するかというと、それはないですよね。
右は左という概念があるからこそ存在していて、右のみで右というのを存在させるのは無理ですよね。
それを言えば例えば暑い、冷たいとかですね、高い、低いとかですね。
そういったものも低いということがあるから高いというものがあって、高いというものがあるからこそ低いというものがあって、
何事も独立性、絶対性というのがないんだよという教えだと思っています。
その独立性、絶対性、延々性というのを認めないというのが、まず中間における空という思想があります。
あともう一つ解説しておきたいのが、因縁正義という考え方があります。
因縁は結構日常生活でも使われている言葉だと思うんですけど、原因の因、因果関係の因に縁ですね、誤縁の縁。
正義というのは生きる、生まれるに起きるですね。四字熟語で因縁正義というものがあります。
仏教用語ですね。これについては、あらゆる物事というのは因果関係によって繋がって存在しているという教えです。
因果を離れて単独であるということはありえない。独立性があるということはありえない。
例えば、原因のない結果というのはありえない。結果があれば必ず原因があるし、原因があれば結果があるということですね。
それが因縁正義という教えになります。
ちょっと離れるんですけど、因果関係が必ずあると。原因のない結果があれば原因があるということを言ってたんですけど、
でも、原因はあっても結果に結びつかないことがたくさんあるよというツッコミが出てくるかと思うんですけど、
その場合、なぜ結果として出ないのかというと、原因と結果の間に先ほど言った縁という作用が働いているという考えをしています。
例えば植物の種であるならば、種が地面に落ちてそのまま問題なければ芽が出るわけですけども、結果として芽が出たり花が咲くわけですけども、
縁という作用で、例えば水のやり方が悪かったり、種が撒かれた場所が良くなかったり、
種が鳥に食べられた場所になったり、そもそも種がビニール袋に包まれていて土の中に入らなかったり、という作用を縁と呼んでいるそうです。
なので、空の解説を進めていくと、絶えず空というのは全ての可能性があるというような、先ほどちょっと話をしたと思うんですけど、
あらゆる可能性があるので、原因と結果が固定されて一生変わらないということはないので、
縁だったり原因の因の部分を調整すれば、また結果が必ず変わってくるよというような。
次回に続きます。
10:25

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