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イギリス海岸 宮沢賢治
夏休みの15日の農場実習の間に、私どもがイギリス海岸とあだ名をつけて、
2日か3日ごと仕事がひとっきりつくたびに、よく遊びに行ったところがありました。
それは本当は海岸ではなくて、いかにも海岸の風をした川の岸です。
北上川の西岸でした。東の仙人峠から東農通り、土沢を過ぎ、
北上山地を横切ってくる冷たい猿石川の北上川への落合から、少し下流の西岸でした。
イギリス海岸には青白い機械室のデー岸が川に沿ってずいぶん広く露出し、
その南の端に立ちますと、北の外れにいる人は小指の先よりもっと小さく見えました。
ことにそのデー岸層は川の水のマスタンビ、きれいに洗われるものですから、何とも言えず青白くさっぱりしていました。
ところどころには水増しの時できた小さな壺穴の跡や、またそれがいくつも続いた浅い溝、
それからアタンのかけらだの、枯れた足切れだのが一列に並んでいて、前の水増しの時にどこまで水が上がったかもわかるのでした。
日が強くてる時は岩は乾いて真っ白に見え、縦横に走ったひび割れもあり、
大きな帽子をかむってその上を俯いて歩くなら、影帽子は黒く落ちましたし、
全くもミキティス辺りの白雅の海岸を歩いているような気がするのでした。
町の小学校でも石巻の近くの海岸に15日も生徒を連れて行きましたし、隣の女学校でも臨海学校を始めていました。
けれども私たちの学校ではそれはできなかったのです。
ですから、生まれるから北上の河国の上流の方にばかりいた私たちにとっては、どうしてもその白い礼岸層をイギリス海岸と呼びたかったのです。
それに実際、そこを海岸と呼ぶことは無法なことではなかったのです。
なぜならそこは第三世紀と呼ばれる地質時代の終わり頃、確かに度々海の渚だったからでした。
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その証拠には、第一にその礼岸は東の北上山地の減りから西の中央分水嶺のふもとまで一枚の板のようになってずっと広がっていました。
ただその大部分がその上に積もった鉱石の赤砂利やローム、それから鋳石の砂や粘土や何かに覆われて見えないだけの話でした。
それはあちこちの川の岸や崖の足にはきっとこの礼岸が顔を出しているのでも分かりましたし、
また所々で掘り抜き井戸を穿ったりしますと、じきこの礼岸層にぶつかるのでも知れました。
第二に、この礼岸は粘土と火山灰と混じったもので、しかもその大部分は静かな水の中で沈んだものなことは明らかでした。
例えばその岩には沈んでできた島のあること、木の枝や木の欠片の埋もれていること、
所々にいろいろな沼地に生える植物がもうよほど淡化して挟まっていること、
また山の近くには細かい砂利のあること、
ことに北上山地の減りには所々この礼岸層の間に砂丘の跡らしいものが挟まっていることなどでした。
そうしてみると、今北上の平原になっているところは一度は細長い幅3里ばかりの大きな溜まり水だったのです。
ところが第三にその溜まり水が塩辛かった証拠もあったのです。
それはやはり北上山地の減りの赤砂利から柿や何か半乾のところに出なければ済まない貝殻の化石が出ました。
そうしてみますと、第三期の終わり頃、それはあるいは今から5、60万年あるいは100万年を数えるかもしれません。
その頃今の北上の平原にあたるところは細長い入海か湖で、その水は割合やさく何万年の長い間には、
ここ、水面から花王を出したり、また引っ込んだり、火山灰や粘土が上に積もったり、またそれが削られたりしていたのです。
その粘土は西と東の山地から川が運んで流し込んだのでした。
その火山灰は西の二列か三列の石英素面岸の火山がやっと静まったところでありましたが、
やっぱり時々噴火をやったり爆発をしたりしていましたので、そこから降ってきたのでした。
その頃世界には人はまだいなかったのです。ことに日本はごくごくこの間、3、4千年前までは全く人がいなかったと言いますから、もちろん誰もそれを見てはいなかったでしょう。
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その誰も見ていない昔の空がやっぱり繰り返し繰り返し、曇ったりまた晴れたり、
海のひととこがだんだん浅くなってとうとう水の上に顔を出し、そこに草や木が茂り、ことにもくるみの木が葉をひらひらさせ、木の木や市が真っ黒に茂り、
茂ったかと思うと、たちまち西の方の火山が赤黒い舌を吐き、軽石の火山歴は空も真っ黒になるほど降ってきて、木は押しつぶされ、埋められ、まもなくまた水がかぶさって、粘土がその上に積もり、全く真っ暗なところに埋められたのでしょう。
考えても変な気がします。そんなこと、本当だろうかとしか思われません。
ところがどうも仕方ないことは、わたくしたちのイギリス海岸では、川の水からよほど離れたところに半分石灰に変わった大きな木の根下部が、その根を礼岸の中に張り、その幹と枝を、軽石の火山歴層に押しつぶされて、ぞろっと並んでいました。
もっともそれは、まもなく日光にあたってぼろぼろに裂け、たびたびのいで水に次から次と削られてはいきましたが、新しいものもまた出てきました。
そしてその根下部の周りから、あるとき私は四十近くの半分単化したくるみの実を拾いました。
それは長さが二寸くらい、幅が一寸くらい、非常に細長く尖った形でしたので、
はじめは私どもは上の重い地層に押しつぶされたのだろうとも思いましたが、縦に埋まっているものもありましたし、やっぱりはじめからそんな形だとしか思われませんでした。
それから半の木の実も見つかりました。小さな草の実もたくさん出てきました。
この百万年昔の海の渚に、今日は北上川が流れています。
昔、大きな波を上げたり、じっと静まったり、誰も誰も見ていないところでいろいろに変わったその大きな冠水の継承者は、
今日は波にちらちら火を点じ、ぴたぴた昔の渚を打ちながら、夜中南へ流れるのです。
ここを海岸と名を付けたってどうしていけないと言われましょうか。
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それにも一つここを海岸と考えていいわけはごくわずかですけれども、川の水がちょうど大きな湖の岸のように寄せたり引いたりしたのです。
それは向こう側から入ってくる猿返しとこちらの水がぶつかるためにできるのか、
それとも少し上流がかなり険しいせになって、それがこのデー岸層の岸にぶつかって戻るためにできるのか、
それとも全く他の原因によるのでしょうか。
とにかく日によって水が湖のように差し引きする時があるのです。
そうです、ちょうど一学期の試験が済んでその祭典も終わり、あとは31日に成績を発表して通信簿を渡すだけ。
私の方から言えばまあそうです。農場の仕事だってその日の午前で麦の運搬も終わり、まあ一段落というその昼過ぎでした。
私たちは今度3度目イギリス海岸へ行きました。
瀬川の鉄橋を渡り、ごぼうやキャベツが青じろい葉の裏をひるがえす畑の間の細い道を通りました。
道にはスズメのカタビラが頬を出していっぱいにかぶさっていました。
私たちはそこから鉄板所の校内に入りました。
鉄板所の校内だということは、もくもくした新しいおがくずが敷かれ、のこぎりの音が気まぐれにそこを飛んでいたのでわかりました。
おがくずには日が照ってちょうど砂のようでした。
砂の向こうの青い水と救助区域の赤い旗と向こうのブリキ色の雲とを見たとき、
いきなり私どもはスウェーデンの共和にでも来たような気がしてドキッとしました。
確かにみんなそういう気持ちらしかったのです。
正反の小屋の中は藍色の影になり、白く光る丸のこが四五丁壁に並べられ、
その一丁は軸に取り付けられて幽霊のように回っていました。
私たちはその横を通って川崎市まで行ったのです。
草の生えた石垣の下、さっきの救助区域の赤い旗の下にはイカダもちょうど来ていました。
工場や花巻の生徒がたくさん泳いでおりました。
けれども、元来私たちどもはイギリス海岸に行こうと思ったのでしたから黙ってそこを通り過ぎました。
そしてそこはもうイギリス海岸の南の端なのでした。
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私たちでなくたってせっかく川の岸までやってきながらその気持ちのいいところに行かない人はありません。
町の雑貨商店や金物店の息子たち、夏休みで帰ったあちこちの中等学校の生徒、
それから昼休みの正反の人たちなどがあるいは裸になって二人三人ずつその真っ白な岩に座ったり、
また編みシャツや緩い青の半ズボンを履いたり、青白い大きな麦わら帽をかぶったりして歩いているのを見ていくのは本当にいい気持ちでした。
そしてその人たちがみんな私どもの方を見て少し笑っているのです。
ことに一番いいことは最上等の外国犬が向こうから黒い影帽子と一緒に一目散に走ってきたことでした。
実にそれはロバートでも名のつきそうなもじゃもじゃした大きな犬でした。
ああ、いいなあ、私どもは一度に叫びました。
誰だって夏海岸へ遊びに行きたいと思わない人があるでしょうか。
ことにも行けたら、そしてさらわれて宝石工場などで売られてあんまりひどい目に合わないなら、
フランスかイギリスかそういう遠いところへ行きたいと誰も思うのです。
私たちは忙しく靴やズボンを脱ぎ、その冷たい少し濁った水へ次から次へと飛び込みました。
まったくその水の濁りを解きたら素敵に高尚なもんでした。
その水へ半分顔を浸して泳ぎながら横目で海岸の方を見ますと、
冷岸の向こうのハズレは高い草の崖になって木も揺れ雲も真っ白に光りました。
それから私たちは冷岸の出張ったところに取り付いてだんだん登りました。
一人の生徒はスイミングワルツの口笛を吹きました。
私たちの中では本当のオーケストラを見たものも聞いたことのあるものも少なかったのですから、
もちろんそれは町の用品店の蓄音機から来たのですけれども、
ちょうどそのように冷たい水は流れたのです。
私たちは伝岸草の上をあちこち歩きました。
ところどころにツボ穴の跡があって、その中には小さな丸い砂利が入っていました。
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この砂利がこのツボ穴を掘るのです。
水がこの上を流れるでしょう。
石が水の底でザラザラ動くでしょう。
回ったりもするでしょう。
だんだん岩が削れていくのです。
赤い酸化鉄の沈んだ岩の裂け目に沿って草がずっと溝になってくぼんだところもありました。
それはたくさんのツボ穴を連結してちょうど氷炭をつないだように見えました。
こういう溝は水の出るたんびにだんだん深くなるばかりです。
なぜなら流されていく砂利はあまりこの高いところを通りません。
溝の中ばかり転んでいきます。
溝は深くなる一方でしょう。
水の中をご覧なさい。
岩がたくさん縦の棒のようになっています。
みんなこれです。
ああ、気平だ、気平だ。
誰かが南を向いて叫びました。
下流の真っ青の水の上に朝日橋がくっきり黒く一列浮かび、
その欄間の間を白い上着を着た騎兵たちがぞろっと並んでいきました。
馬の足並みがかげろうのようにちらちらちらちら光りました。
それは一中退ぐらいで鉄橋の上を行く汽車よりはもっとゆるく、
小学校の遠足の列よりは少し早く、
多分は中隊長らしい人を先頭にだんだん橋を渡っていきました。
どこさ行くのだべ。水場演習でしょう。
白い上着を着ているし、きっとラバだろう。
こっちさ来るのいいな。
来るよきっと。
大抵向こう岸のあの草の中から出てきます。
兵隊だって誰だって気持ちのいいところへは来たいんだ。
騎兵はだんだん橋を渡り、最後の一人がぽろっと光って、
それからみんな見えなくなりました。
と思うとまたこっちの田元から一人が抱くでかけていきました。
私たちは黙ってそれを見送りました。
けれども全く見えなくなると、そのこともだんだん忘れるものです。
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私たちはまた冷たい水に飛び込んで、
小さな輪になったところを泳ぎ回ったり、岩の上を走ったりしました。
誰かが岩の中に埋もれた小さな植物の根の周りに
水産化鉄の茶色な輪が何重もめぐっているのを見つけました。
それははじめからあちこちたくさんあったのです。
どうしてこの輪できたのす?
このでき方は難しいのです。
光室体のことをもう少し詳しくやってからでなければ分かりません。
けれどもとにかくこれは電気の作用です。
この輪はリーゼ岩具の輪といいます。
実験室でもこさえられます。
あとで土壌の方でも説明します。
腐植室絆創というものも似たようなわけでできるのですから、
私は毎日の実習で疲れていましたので、
長い説明がめんどくさくてこう答えました。
しばらくたって、ふと私は川の向こう岸を見ました。
背の高い二本の伝心柱が互いに寄りかかるようにして
一本の腕着でつらねてありました。
そのすぐ下の青い草の崖の上に
まさしく一人のカーキ色の長甲と大きな茶色の馬の頭とか出てきました。
来た来た、とうとうやってきた!
みんなは高く叫びました。
水場演習だ!向こう側へ行こう!
こう言いながらその真っ白なイギリス海岸を上流に登り、
そこから向こう側へ泳いでいく人もたくさんありました。
兵隊は一列になって崖を斜めに下り、
中には先に黒いカギのついた長い竿を持った人もありました。
まもなくみんなは向こう側の草の生えた河原に降り、
六列ばかりどこに並んで馬から降り、
昇降の訓示を聞いていました。
それがなかなか長かったので、
こっち側にいる私たちは実際飽きてしまいました。
いつになったら兵隊たちがみんな馬の縦髪に取り付いて
泳いでこっちへ来るのやらすっかり待ちあぐねてしまいました。
さっき川を越えて見に行った人たちも
浅瀬に立って昇降の訓示を聞いていましたが、
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それもどうも面白くて聞いているようにも見え、
またつまらなそうにも見えるのでした。
潤んだ夏の雲の下です。
とうとう二隻の船が川下からやってきて
川の真ん中に止まりました。
兵隊たちは一番端の列から馬を引いて
だんだん川へ入りました。
馬のひずめの底の砂利を踏む音と
水のバチャバチャ跳ねる音とが
遠くの遠くの夢の中からでも来るように
こっち岸の水の音を越えてやってきました。
私たちは今にだんだん深いところへさえ来れば
兵隊たちは縦紙に取り付いて泳ぎ出すだろうと思って
待っていました。
ところが先頭の兵隊さんは船のところまでやってくると
ぐるっと回ってまた向こうへ戻りました。
みんなもそれに続きましたので
列は一つの輪になりました。
なんだ、今日はただ馬を水にならすためだ。
私たちはなんだかつまらないようにも思いましたが
またあんな浅いところまでしか馬を入れさせず
それに船を2隻も用意したのを見て
どこか大変力強い感じもしました。
それから私たちは養産の用もありましたので
急いで学校に帰りました。
その次には私たちはただ5人で行きました。
はじめはこの前の輪のところだけ泳いでいましたが
そのうちだんだん川にも慣れてきて
ずーっと上流の波の荒い背のところから
海岸の一番南のイカダのある辺りまでも行きました。
そして疲れておまけに少し寒くなりましたので
海岸の西の境のあの古い根下部や
その上に積もった軽石の火山歴層のところに行きました。
その日私たちは完全なくるみの実も2つ見つけたのです。
火山歴の層の上には前の水増しの時の水が
沼のようになってところどころ溜まっていました。
私たちはその溜まり水から石をこしらえて滝にしたり
発電所の真似事をこしらえたり
ここはオーバーフローダの南の長い子と遊びました。
その時あの下流の赤い旗の立っているところに
いつも腕に赤いキレを巻きつけて
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裸にハンテンだけ1枚着てみんなの泳ぐどんを見ている
30ばかりの男が
一丁の金手粉を持って下流の方からさかのぼってくるのを見ました。
その人は町から水泳で子どもらの溺れるのを助けるために
雇われてきているのでしたが
何分暇に見えたのです。
今日だって実際暇なもんだから
ああやってようもない金手粉なんか担いで
動かさなくてもいい途方もない大きな石を
動かそうとしてみたり
ちょうど私どもが遊びにしている発電所の真似などを
金手粉まで使って本当にごつごつ岩を掘って
浮石の層の溜まり水を干そうとしたりいるのだと思うと
私どもは実は少しおかしくなったのでした。
ですからわざと真面目な顔をして
ここの水少し干した方がいいな
金手粉を貸しませんか
というものもありました。
するとその男は金手粉でトントンあちこちついてみてから
ここら岩もやわいようだなと言いながら
素直に私たちに貸し
自分はまた上流の波の荒いところに集まっている子供らの方へ行きました。
すると子供らはその荒いブリ黄色の波のこっち側で
手を挙げたり足を車屋さんのようにしたり
みんなちりじりに逃げるのでした。
私どもは
ははは、あの男はやっぱりどこか足りないな
だから子供らが鬼のように怖がっているんだと思って
遠くから笑ってみていました。
さて、その次の日も私たちはイギリス海岸に行きました。
その日はもう私たちはすっかり川の心持ちに慣れたつもりで
どんどん上流の線の荒いところから飛び込み
すっかり疲れるまで下流の方へ泳ぎました。
下流で上がってはまた野蛮人のようにその白い岩の上を走ってきて
上流の背に飛び込みました。
それでもすっかり疲れてしまうと
また昨日の軽い思想の溜り水のところに行きました。
救助係はその日はもうちゃんとそこに来ていたのです。
腕には赤いキレを巻き、奏でコムを持っていました。
おはつーござんす。
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私が挨拶しましたら、その人は少し気まぎばるそうに笑って
何、お家の生徒さんぐらいの大きな方なら危ないこともないんですが
ちょっと来てみたところです。
というのでした。
なるほど、私たちの中で確かに泳げるものは本当に少なかったのです。
もちろん何かの張り合いで誰かが溺れそうになったとき
間違いなくそれを救えるというぐらいのものは一人もありませんでした。
だんだん話してみるとこの人は随分よく私たちを考えていてくれたのです。
救助区域はずーっと下流のいかだのところなのですが
私たちがこの気持ちよいイギリス海岸に来るのを止めるわけにもいかず
時々別の用のあるふりをして来て見ていてくれたのです。
もっと話しているうちに私はすっかり決まり悪くなってしまいました。
なぜなら誰でも自分だけは賢く人のしていることは馬鹿げて見えるものですが
その日そのイギリス海岸で私はつくづくそんな考えのいけないことを感じました。
体を刺されるようにさえ思いました。
裸になって生徒と一緒に白い岩の上に立っていましたが
まるで太陽の白い光に責められるように思いました。
全くこの人は救助区域があんまり下流の方で
とてもこのイギリス海岸まで手が及ばず
それにもかかわらず私たちをはじめみんなこっちへも来るし
ことに小さな子供らまでが何遍叱られてもあの危ない背のところに行っていて
この人の形を遠くから見ると逃げて土手の影や沢の半の木の後ろに隠れるものですから
この人は町へ行ってもう一人人を雇おうか
そうでなかったら救助の部位を浮かべてもらいたいと話しているというのです。
そうしてみると昨日あの大きな石を用もないのに動かそうとしたのも
その部位の重りに使う心組からだったのです。
おまけにあの背のところでは早くにも溺れた人もあり
下流の救助区域でさえ今年になってから二人も救ったというのです。
いくら昨日までよく泳げる人でも
今日の体加減ではいつ水の中で泳げないようになるかわからないというのです。
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何気なく笑ってその人と話してはいましたが
私は一人で激しく激しく私の警察を責めました。
実は私はその日まで
もし溺れる生徒ができたらこっちはとても助けることもできないし
ただ飛び込んで行って一緒に溺れてやろう
死ぬことの向こう側まで一緒について行ってやろうと思っていただけでした。
全く私たちにはそのイギリス海岸の夏の一刻がそんなにまで楽しかったのです。
そして私はそれが悪いことだとは決して思いませんでした。
さてその人と私らは別れましたけれども
今度はもう用心してあの十軒ばかりの湾の中でしか泳ぎませんでした。
その時海岸の一番北の端まで遡って行った一人が
まっすぐに私たちの方へ走って戻ってきました。
先生岩に何かの足跡あらんす
私はすぐにツボ穴の小さいのだろうと思いました。
第三期のデーガンでどうせ昔の沼の岸ですから
何か哺乳類の足跡のあることもいかにもありそうなことだけれども
教室でだって週中の足跡の図まで黒板に書いたのだし
どうせそれが頭にあるからツボ穴までそんな具合に見えたんだと思いながら
あんまり気乗りもせずにそっちを行っていました。
ところが私はぎっくりとして突っ立ってしまいました。
みんなも顔色を変えて叫んだのです。
白い火山海藻の一ところが平らに水で剥がされて
浅い幅の広い谷のようになっていましたが
その底に二つずつ歪めの跡のある大きさ五寸ばかりの足跡が
いくつか続いたりぐるっと回ったり
大きいのや小さいのや実にめちゃくちゃについているではありませんか。
その中には薄く酸化鉄が沈殿したあたりの岩から実にはっきりしていました。
確かに足跡が泥につくじゃいなや火山灰がやってきてそれをそのまま保存したのです。
私は初めは粘土でその型を取ろうと思いました。
33:02
一人がその青い粘土を持ってきたのでしたが
歪めの跡があんまり深すぎるのでどうもうまくいきませんでした。
私は明日石膏を用意してこようとも言いました。
けれどもそれより一番いいことはやっぱりその足跡を切り取って
そのまま学校へ持って行って標本にすることでした。
どうせまた水が出れば火山灰の層が剥げて新しい足跡も出るのは確かでしたし
今のは構わないでおいてもすぐ壊れることが明らかでしたから
次の朝早く私は実習を掲示する黒板にこう書いておきました。
8月8日農場実習 午前8時半より正午まで
除草・水肥 第1・7組
かぶらはしゅ 第3・4組
観覧中耕 第5・6組
養産実習 第2組
午後 イギリス海岸において
第3期偶定類の即席標本を採取すべきにより
希望者は参加すべし
そこで正直を申しますとこの小さなイギリス海岸の原稿は
8月6日 あの足跡を見つける前の日の晩
宿直室で半分書いたのです。
私はあの救助係の大きな石をかなてこで動かすあたりから
あとは勝手に私の空想を書いていこうかと思っていたのです。
ところが次の日救助係がまるで違った人になってしまい
デーガンの中からは空想よりももっと変な足跡などが出てきたのです。
その半分書いた文だけを実習が済んでから教室でみんなに読みました。
それを読んでしまうかしまわないうち
私たちはいっぺんに飛び出してイギリス海岸へ出かけたのです。
ちょうどこの日は校長も出張から帰ってきて学校に出ていました。
黒板を見て笑っていました。
それからマギを売るのが済んだら自分も行こうというのでした。
私たちは新しい鉄工の3本具は1本と物差しや新聞紙などを持って出ていきました。
海岸の入り口に来てみますと水はひどく濁っていましたし雨も少し降りそうでした。
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雲が大変険しかったのです。
救助係に私は今日は少しのお礼をしようと思ってその支度も来たのでしたが
その人はいつものところに見えませんでした。
私たちはまっすぐにそのイギリス海岸を昨日のところに行きました。
それから丁寧にあの怪しい化石を掘り始めました。
気がついてみるとみんなは大抵ポケットに助走窯を持ってきているのでした。
岩が大変柔らかでしたから大丈夫それで削れる見当がついていたのでした。
もうあちこちで掘り出されました。
私はせわしくそれを止めて2つの足跡の間隔を測ったりスケッチを取ったりしなければなりませんでした。
足跡を2つ続けて取ろうとしている人もありましたしもう少しのところで壊した人もありました。
まだ上流の方にまた別のがあると1人の生徒が言って走ってきました。
私は暑いのですっかり裸になって泳ぐ時のような形をしていましたがすぐその白い岩を走って行ってみました。
その足跡は今までのとはまるで形も違いよほど小さかったのです。
あるものは水の中にありました。水がもっと引いたらまだたくさん出るだろうと思われました。
私はその上流の方から南のイギリス海岸の真ん中でみんなの一生懸命掘り取っているのを見ますと
今度はそこはイギリスではなくイタリアのポンペの火山灰のように思われるのでした。
ことに4,5人の女たちがケバケバしい色の着物を着て向こうを歩いていましたし
おまけに雲がだんだん薄くなって日が真っ白に照ってきたからでした。
いつか校長も黄色の実習服を着てきていました。
そして足跡はもう4つまで完全に取られたのです。
私たちはそれを渚まで持って行って洗い、それからそっと新聞紙に包みました。
大きなのは3巻目もあったでしょう。
掘り取るのが済んであの荒い背のところから飛び込んで行くものもありました。
けれども私はその溺れることを心配しませんでした。
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なぜなら生徒よりも前にもう校長が飛び込んでいて、ごくゆっくり泳いで行くのでしたから
しばらくたって私たちはみんなでそれを持って学校へ帰りました。
そしてさっきも申しましたように、これは昨日のことです。
今日は実習の9日目です。朝から雨が降っていますので外の仕事はできません。
家の中で図を引いたりして遊ぼうと思うのです。
これから私たちにはまだ麦粉なしの仕事が残っています。
天気が悪くてよく乾かないで困ります。
麦粉なしはのぎがエラエラ体に入って大変つらい仕事です。
百姓の仕事の中では一番嫌だとみんなが言います。
このあたりではこの仕事を夏の病気とさえ言います。
けれども全くそんな風に考えては済みません。
私たちはどうにかしてできるだけ面白くそれをやろうと思うのです。
1923年8月9日