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トラウマ治療の効果が成されない人びとは、どのように癒されるのか?ルワンダ民族の死生感に学ぶ
2026-09-26 53:30

トラウマ治療の効果が成されない人びとは、どのように癒されるのか?ルワンダ民族の死生感に学ぶ

トラウマ治療の前提は直線的時間に生きていることで、過去の記憶に働きかけることで現在に及ぼす影響を緩和する

しかし円環的時間に生きる人は未来と過去が重なっていて、トラウマ治療が効果をなさない。ではどのようにして癒やされていったのか?

「生きることでなぜ、たましいの傷が癒やされるのか??-紛争地ルワンダに暮らす人びとの民族誌-」大竹裕子著/白水社

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サマリー

アスは、大竹裕子著『生きることでなぜ、たましいの傷が癒されるのか?』をもとに、ルワンダのジェノサイドとアバチェンゲジ紛争、その後も被害を語れない人々の苦しみを紹介する。ムサンゼでは、悲しみや喜びを分かち合う共同体、共同貯金、教会での祈りや訪問を通じて、未来をともに作り絆を再生することが回復につながると説明される。一方で、重い精神症状や共同体の規範からの逸脱、被害を語れる人と語れない人の格差によって、助け合いからこぼれる人もいる。西洋的なトラウマ治療は直線的な時間、個人主義、言語中心主義を前提とするが、ムサンゼの円環的な時間観では過去と未来が重なり、未来を生きることが過去の世代の人生を生き直すことになる。アスはこの考え方を、戦争や災害の傷は一世代や個人だけで解決せず、何世代もの共同体の営みの中で癒されるという理解につなげ、文化に応じて複数の回復方法が必要だと語る。

ルワンダ虐殺と本の紹介
アスチャンネルのアスです。 今日は、トラウマという概念がない国の人たちがどうやってトラウマを克服するのかということを話したいと思います。
私は、自分の経験から極限状態をどう乗り越えたのかとか、そういう真理を説明しているような本を読むのがすごく好きで、
その代表として、多分有名な本が、「夜と霧」というヴィクトル・イ・フランクルという人が書いている本だと思います。
ラッチス収容所に収容されていた心理学者が、自分の心理がどう変化していくかということをこと細かに記録している本なんですが、
そういった観点から書かれている本を久しぶりに最近読んで、それがすごく面白かったので、話しておきたいなと思いました。
タイトルが、「生きることでなぜ魂の傷が癒されるのか?」というタイトルで、副題が、「紛争地ルワンダに暮らす人々の民俗史」となっています。
大竹裕子さんという心理学者の方が書いた本で、白水社から出ています。
タイトル通りルワンダの民俗史になるんですけれども、私はこの本を読むまで、ルワンダであった虐殺の事件、ジェノサイドについては全然知らなくて、中高生の頃にテレビでニュースを見ていた程度です。
この心理学の本を読むにあたって、その歴史を知っていないと、多分全然なんでそうなるのかが理解できないなと思ったんですけど、
この本はその歴史のことも細かく追ってあって、すごくわかりやすく書かれていたので、いろんな分野について勉強になったなと思っています。
ジェノサイドとアバチェンゲジ紛争の被害
なので、それをちょっとまず本当に手短にお伝えするんですが、この虐殺事件が起こった経緯なんですけど、1990年代に起こったんですが、
そのずっとずっと前に、そもそも植民地時代に遡ると、その頃のルワンダっていうのは、特に民族間の争いっていうのはなかったし、ヒエラルキーも存在しなかったらしいんですけど、
ベルギーが植民地とした時に、ベルギー人の見た目に近い、背が高くて細身で鼻が高いっていう、自分たちに似た身体的特徴を持つ土族っていうのを王族とかエリート民族というふうに位置づけて優遇政策を取ったっていうところから、
それに該当しない仏族を下に位置づけるようなことを政策として取ったんだそうです。
そもそもルワンダ人の人口の15%が土族で、85%が仏族ということで、少数派の土族が優遇された状態で、
1924年に明確な民族アイデンティティというのが確立させられたみたいな、社会的なヒエラルキーが形作られてしまって、そこからいろんないざこざが起こったように理解しました。
この土族に抑圧され続けた仏族が、1959年に革命を起こして、仏族エリートを地固定にしたルワンダ共和国っていうのを建国したそうです。
それでベルギーから独立しました。
この時、土族は迫害を受けて難民になったんだそうです。
それが今度1990年になって、ルワンダ愛国戦線というのを設立しました。
この土族が設立した団体をRPFというふうに略称して、RPF vs 仏族みたいな大きなイメージがおそらくあるのかなと思います。
1994年に有名な事件だと思うんですが、仏族大統領が乗った飛行機が墜落したので亡くなったんですけれども、この事件を発端に、
土族を主なターゲットにした虐殺事件、ジェノサイドって呼ばれる事件が起きました。
3ヶ月で80万人亡くなったものすごく大規模な虐殺事件だった。
被害を受けたのは土族主なターゲットになっていて、あとは恩犬派の仏族だったそうです。
加害者はほとんどが仏族だったそうですが、よく蓋を開けてみると仏族成人男性の大体14%から17%の男性だけだったそうで、
他の7割8割の仏族成人男性については、父族をかくまったり助けたりとか、あとは傍観していたということで、
みんながみんなそれに加担したわけではないということです。
一緒に生活をしていたり、近所だったりということがあって、みんながみんな敵視し合っていたというわけではなかったということがこの本には書かれていて、
それゆえにその後の生活がかなり混乱をきたしたというか、
昨日まで仲間だった人に家族を殺されたり、自分が命の危機に晒されたりということがトラウマとして残って、
それをどう乗り越えたかということがこれには書いてあるわけです。
この心理学者の方がしばらくルワンダで現地調査をしていたんですけれども、
あるとき日本から学生がやってきて、そのジェノサイドについて勉強したいということで、
現地の人のところに一緒に行ってインタビューを行ったことをきっかけにこの本を書くということになったそうです。
というのも、このジェノサイドを1994年に起こった事件のことを聞きに行ったつもりだったんですけれども、
インタビューを受けてくれた現地の人が話をしてくれるにあたって、
部屋に招き入れて、扉もカーテンもすべてきっちり閉めた上で、こんなことを話してくれましたということです。
それは、もちろん1994年にあったジェノサイドでもたくさんの人が亡くなったんだけれども、
実はそれよりかは、96年から98年にあったアバチェンゲジ紛争というものの方が被害が多かったんだということでした。
これはカーテンを閉め切って話したように、あまり大きい声では言えない事実だったそうで、
だから学生もこの筆者の大竹さんもそのことを語ってくれたことに驚いたということです。
知らなかったということですね。
インタビューを受けてくれた場所は、ルワンダの北の方にあるムサンゼという地域の住民の話です。
ムサンゼという地域は、ルワンダとコンゴという国の北京あたりにあります。
ここに住んでいる被害者、その時アバチェンゲジ紛争で亡くなった多くの被害者の多くは仏族であったために、
ジェノサイドの報復で亡くなったんだというふうに見られがちなんですけれども、
それを政府は認めていないということでした。
このアバチェンゲジ紛争の被害を主張する者は、
政府から盗獄されたり暗殺されたりということで政治的抑圧を受けていて、
住民たちはだんだん被害を語ることができなくなって沈黙していったという経緯があったそうです。
そういった事件を発発しようとした人や、新聞とかニュースにしようとした記者も
盗獄されたりということが実際にあったんだそうです。
タイトルになっているアバチェンゲジというのは、侵入者たちという役になります。
この侵入者というのは、1994年にジェノサイドが起こった時に、
今後の方に逃げていった民族と、それからRPFの国軍とが、
ちょうど戦いの場になった位置にあったムサンゼを舞台として起こった戦いになるんですけど、
それにムサンゼの住民が巻き込まれた形になったようでした。
そこの住民が語るには、いろいろなどちらかの集団がやってきて、
お前はなんで生きてるんだって、生きてるんだってことは敵なんだなっていうふうに見なされると。
例えば、今後側から逃げてきた人たちからすると、RPFの味方なんだなって言われるし、
RPF側が尋ねてくると、お前ら生きてるってことは今後側から逃げてきた奴らの味方なんだなっていうふうに見なされて、
どっちにしろ殺されるっていう状況にあったそうです。
ただそこで仲良く暮らしていただけだった立場だったんだけれども、
ある日そこから追われる立場になったと。
言われもない理由を突きつけられて、子供も大人も関係なく虐殺にあったそうです。
そのエピソードがいくつか載ってるんですけれども、
中にはまだ子供だった少年が親族からも行き別れになってしまって、
山の中を何週間も何ヶ月も一人で彷徨って、なんとか生き延びたっていうような話も載っていました。
それからたくさんの親族が殺されて、とりあえず家の前の穴に埋めたんですけれども、
それを掘り起こして葬儀をするっていうことも政府からは認められていなくて、
それをすることで盗獄されてしまう可能性があるから、
ずっと家の前の玄関のところの下に親族が埋まっている状態で暮らしていて、
心の病が深くなってしまったっていうそういうエピソードもありました。
歴史についてはこんなもんになるんですけど、
この被害を語れない状態っていうのが心の病を深刻化していくことになるんですよ。
それがちょっと特徴的な文章があったので読み上げます。
っていうふうに書いてあって、
愛国軍側の被害者を語る人たちは口々にこんな虐殺体験をしましたっていうことを表明して口にしていく一方で、
仏族は立場がどんどん弱くなっていって、
それを語ることが許されなくなっていったっていうような雰囲気があったんだそうです。
それがだんだん世界的にも国際支援の面でも空様になっていってしまって、
父へは国際支援が大きく行われて、父が社会的に優位な立場を占めるようになっていったそうです。
例えばこのジェノサイドの被害者を受けた子どもたちは、
小学金を受けて学校に行けたりとか住居が提供されたりっていうこともあったんだそうです。
もう一つ読み上げます。
それについて語ること自体が政府批判と受け取られ、
投獄される可能性が高いからであるので、
ムサンゼの住民にとっては1990年代の10年間が暗黒の10年というふうに認識されています。
世界的には飛行機墜落事件を発端とした1994年のジェノサイドが語られるんですけれども、
ムサンゼの人々にとってはそっちよりも後に起こったアバチェンゲージ紛争の被害の方がよっぽど大きくたくさんの人が亡くなった。
被害者1人当たり5人の親族が亡くなったという統計も評価載ってたんですけれども、
そういう大きな被害を受けていたんだけれども、
それについては語ってはいけないという雰囲気があったんだ。
そのまんま今に至っていて、今も大きくは語られていないということになります。
イビコメレと語れない喪失
もともとこのムサンゼの住民というのは、物事を人々と分け合って生きるというような考え方があって、
何かあった時に楽しみも悲しみも喜びも辛いことも、
人々は分け合って生きてきたんだけれども、分け合おうとするとその相手がいないということで喪失感を味わうということになる。
この分け合うこと、分かち合われた命の喪失が心の傷を呼び起こすというような流れになっていて、
この心の傷をウワンダの言葉でイビコメレと呼ぶそうです。
イビコメレが来るとか、イビコメレがやってくるとかというふうに表現をするんだそうですが、
何かあった時に、かつてはいた仲間の存在を思い出す時にイビコメレが起こって、
気持ちが沈む、悲しい、落ち込む、不安というような心の流れになっていくんだそうです。
本来であれば、何で自分が生き残ったんだろう、何でこんなことがあってみんなが死んだんだろう、
それからどうして加害者は、彼らは殺したんだろうという、
何で生き残ったのか、何で死んだのか、何で殺したのかという問い合いの答えを求めて、
あるいは儀式を行うことでこの問いに答えを出していくというようなことがあると思います。
例えば死者を弔ったり、遺体を埋葬したりとか、
それから無参勢の地域では、
諍いが起こった時に相手に謝る時間を与えるというような考えがあって、
謝りに来たら被害者はそれを受け入れて一緒にお酒、バナナのお酒を飲み交わして和解するというような儀式があるんだそうなんですけれども、
加害者がどっちなのかが分からない国のRPF軍なのか、今後からやってきた側の民族なのか、
誰だったのかが分からない混乱の下に親族が亡くなっていっていて、
もしかすると昨日は仲間だった人かもしれない、加害者が仲間だった可能性すらある。
なので、このどうして、なんでという問いの答えを見つけ出せない。
和解も求められないし、口に出して考えることもできないという状態にあったんです。
そうした状況にある大きな紛争の後に社会的な組織が介入して、
回復を手助けするというようなことがあるんだそうなんですけれども、
心理学者たちの立場からこういった紛争体験のトラウマの回復を手助けする団体がいるそうで、
この本の筆者の尾竹さんもその組織の王になっている人なのですが、
必ずしもこの西洋医療としてのPTSD、トラウマ治療というのが効力を発揮しないということがどうやら分かっていて、
これはこのルワンダの人たちに限らないんですけれども、
一部の民族ではトラウマ治療というものが効果を発揮しないことがあるんだそうなんです。
そういった人たちはどうやってそれを乗り越えていくのかということが、
この本の7割ぐらいを占めた大きなテーマになっています。
生きることでなぜ魂の傷が癒されるのかというタイトルにもある通り、
結論を言うと生きることで癒されるんだということになるんですけど、
これがそうなのかって最後に読み終わって表紙に戻ると、
なるほどって思うけど、読む前だと、
いや、生きることが辛いから癒されたいんだよなって思うんだけど、
読み終わった後だと、あ、そういうことか。
なるほど、それは生きることで癒されるんだなっていうふうに納得ができたので、
この本はとても面白いなと思いました。
それで、ただ分厚いですし、なかなかじゃあ読もうっていうふうにもならないかなと思って、
興味を持った人がこれを聞き流しして、
ちょっとでも頭に入ったらそういう考え方もあるのかってなるし、
私自身もまとめることで自分の中でもう一度組み直して理解が深まるので、
話しておきたいなと思って、
ここから後半になりますけども、
どういうふうに癒される経緯になっているのかっていうのを話していきたいと思います。
共同体・未来・絆による回復
第一に共同体への参加で癒される。
第二に未来を見ることで癒される。
第三に絆の再生をしていくことに癒されるっていうふうに、
三つのパートで説明されていました。
共同体の参加っていうのは、
誰かと交流することで未来が生み出されていくっていうような仕組みが出来上がっていたそうです。
それは面白いなと思ったのが、
共同貯金っていうのがあって、
それはみんなでやってるわけじゃなくて、
その地域地域で少数人数でやっているようなんですけども、
例えば10人が集まって、
週に1回集まってきて、
1000円ずつ出し合うようです。
10人いたら1万円になるんですけど、
それを10人のうちの1人が順番にもらっていくそうです。
その1万円を使って事業投資をするそうです。
例えば畑をやっているなら、畑を耕すための器具を買うとか、
簡単に言うとそういうことなんですけど、
そうやって自分の生活をより良いものにしていくための共同貯金をして、
投資をしていくんだそうです。
しっかりそれが投資されているのかっていう、
例えばお酒買うのに使ってないかとかっていうのも、
監視の意味でも毎週会うし、
そのお金を使った結果何か困っていることがないかとか、
もっとうまくやる方法ってないかなっていうのを相談するためにも、
毎週集まるっていう、
そういう意味で共同貯金集団っていうのが作られて、
そこにみんな参加している。
それから共同体の例でもう一つ、
教会に集まることもあるそうで、
このジェノサイド以前は、
教会に行く人っていうのはせいぜい洗礼を受けたい人か、
教会リーダーの知人とか本当に少数人数だったんだそうです。
そもそも地元にある宗教、
昔からの宗教とキリスト教とが混在していて、
虐殺事件以前はそんなにキリスト教の団体は大きくなかったんだそうです。
事件以降はみんなが祈らなければっていう意識になって、
教会の集まりが復活したっていうふうに書かれていました。
その一つには夫と私別した人、家婦と言うんですが、
この家婦とか個人が精神的に支える場が教会であったっていうことにあるそうです。
お金がある人だったらこの共同貯金集団に混ざれるんだけれども、
そういった余裕がない人たちは教会にやってきて、
みんなで祈りましょうっていうことをやっていたと。
この共同貯金の参加、どちらかに参加することがまず一つ、
心を再生することに役立ったということです。
次にこの未来を見る、2番の未来を見るっていうことは、
この共同貯金の参加を通じて未来を見ることになるっていう仕組みになっていた
というふうに書かれていました。
ムサンゼの地域ではそもそも時計とかカレンダーっていうのがないそうです。
スマートフォンは持ってるけど時計を見るためにあるんじゃなくて、
あくまで通信ツール、電話というふうに使っていたそうで、
時間概念が何時にどこにとか何日に何曜日にっていうことはなくて、
このさっき言ったコミュニティの活動に参加することによって、
このコミュニティのミーティングの何日後が何の日だなっていう風な数え方をするそうです。
例えば教会に行った3日後に畑でみんなで仕事する日だみたいなように
数えていくことになるそうで、
そういうスケジュールの仕方なんだそうなんですけど、
そういうふうに未来をスケジュールしていくっていうことを
繋げていくことで未来を見ているっていうことですね。
3つ目の絆の再生っていうのは、
このコミュニティに参加して、
今日こんな不安なことがあったんですっていうことを口にすることで、
みんなで祈りましょうとか、賛美歌を合唱しましょうとか、
聖書を読むとかそういったことをしたり、
それから家族を亡くして家に引きこもっている人の
お家を訪ねるっていうこと。
それからその訪ねた場であるとか、
教会に来てくれた人たちの話を聞いたり、
自分自身も話すこと。
それをすることで自分だけが
辛い思いをしているんではないんだっていうことに気づいて、
他の人たちと一緒に未来に向かって歩もうっていう意識が
生まれるっていうことが書いてありました。
ただし必ずしも話すことで楽になるとは限らなくて、
中には沈黙を守るっていう人もいたそうです。
ムサンゼの死生観と共同体の限界
無三世の人たちの死生観っていうのも
トラウマ回復の過程の中で書かれていました。
すごくわかりやすいなというか、
自分がいろんな心理学の本を読んで書かれていることにも
繋がっているなというふうに思ったんですが、
この地域の人たちは体と魂が一つに統合された状態を
生きているっていうふうに言うんだそうです。
死が近づくと魂が体から少しずつ離れていくっていうふうに考えていて、
離れていった末に完全に分離するとそれを死んだというふうに
命を失ったというふうに考えているんだそうです。
死んだ後は名前が引き継がれて、
その子供の未来に自分が繋がっていく。
子供は親の代わりになっていくっていうふうに考えられています。
子は未来の象徴。
子孫は死後に自分の命を受け継ぐ存在。
生きているうちにたくさんのいいことをすれば、
困った時に明日の孫だよって、
もし私がすごくいいことを生涯にわたってし続けていると、
その子孫が明日の孫なんですって言えば、
明日のお世話になった人がその孫を助けてくれるっていうふうに考えている。
体と魂が一つに統合された状態を生きているっていうふうに考えるっていうのは、
よく言われる西洋医療の心と体の一致っていうのにも近いなと思っていて、
過去に心が持っていかれるときは、
深呼吸をして体が地面に設置している部分に意識を向けましょうっていうことをよく言います。
今を感じましょうっていうことなんですが、
頭で考えるので不安になるので、
それを一旦やめて今に集中しますと、
過去はもう過ぎたことだし、未来はまだ来ていないことなので、
不安が沈まるっていうような考え方になるんですけれども、
それをこの無三世の人たちは、
人とのコミュニティに参加することで、
共に生きて未来を数える、そして繋いでいくっていうことで、
少しずつ不安とか悲しかったこととかっていうのを、
未来に目を向けていって、
和らげるっていう考え方なのかなっていうふうに思いました。
だけども、日本にしか私は生きてこなかったので、
日本のことしかわかんないんですが、
コミュニティに属するっていうことは、
嫌なこともあるじゃないですか。
誰もが誰もがみんないい人ではないっていうのがあって、
中には助け合いたいのにずるをする人とか、
助けてあげたくないなって感じる人もいますよね。
そういったことってどういうふうに解消してるんだろうって思っていたら、
コミュニティが助け合いを放棄するケースっていうのもしっかり書かれていました。
コミュニティは属している人には、
本当に困った人をみんなで助けようっていう考え方があって、
例えば、病気を患っている高齢の女性で、
家族も紛争で亡くしてしまって孤独であったりすると、
その人の畑仕事を集まったみんなで日にちを決めて、
手伝いに行ったりということをするそうです。
だからコミュニティに参加さえしていれば、
みんなに助けてもらえるし、
助けてもらった側は帰ってきたみんなのために、
食事を作って待っていたりとかっていうふうに、
日々の暮らしが助け合いで成り立っているというようなところがあるようなんですけども、
このコミュニティが助け合いを放棄するケースっていうのは、
例えば重い精神の病を患っているっていうケースがあるそうです。
先ほど心の傷っていう悲しいとか落ち込むとか不安とかっていう症状を
いびこめれっていうふうに言うっていう話をしたんですが、
このいびこめれっていう心の傷の状態は、
段階を経て10秒であればあるほど、
このコミュニティから放棄されるっていうことになるんですが、
わかりやすく言うとそういうことになってしまうんですけど、
いびこめれからいふんがばな、
いふんがばなからいははむか、
いははむかからたるわらむむつえっていうふうに進行していきます。
このいふんがばなといははむかっていうのが引きこもる状態になっていて、
いびこめれが深くなるともう家から出なくなったり、
暴力とか破壊的な行動に出るような状況になるそうです。
これはどこの国もそうなんだろうなと思います。
これを経て今度このたるわらむむつえっていうのになると、
白昼夢を見続けていたり走り回ったりとかって、
さくらんする状態になるそうで、
この状態になるともうコミュニティの中ではどうしようもないっていうふうになって、
病院に連れて行かれるっていうことになるそうです。
この病院も難しいところがあって、
西洋医療治療をする病院っていうのがあるんですけども、
それのほかに自術的な、
昔からこの地域にある信仰をもとにある宗教病院みたいな、
おまじないとかで治そうとするような考え方もまだ残っていて、
本人がそっちを希望したりすることもあると。
そうすると難しい。
自由術ではどうしようもなかったりするので、
住民たちは西洋医療のほうに何とか連れて行こうとするんだけども、
その狭間でなかなかうまくいかないっていうようなケースも実例として書かれていて、
なるほどというふうに感じました。
あとコミュニティが助けを放棄するケースほかにもあって、
総合法助の規範を守らず受けた恩恵の変法を怠った場合とありました。
例えば少額ずつの募金を募って、誰かが困ったときに助けましょう、
使いましょうっていうようなルールとか、
そうするために週に1回ここに集まりましょうとかっていうルールがあって、
それをみんなやるわけなんだけれども、
それをしないで欲しいものだけはもらっていくようなタイプの人ですね。
これもどこの国にもいるんだなと思ったんですけれども、
例えば畑仕事には出かけていくのに教会にはやってこないとか、
そういう人を除外していくっていうことが書いてありました。
けどこれも面白くて、この例に挙げられていた、
コミュニティから除外されてしまったある高齢女性のケースでは、
どうして教会に来ないのかっていうことも実はこういう理由があってっていう、
この女性の背景っていうのも語られていて、
ただのわがままでそうしないわけじゃないっていう内情も実はあったりするっていうのが、
じゃあこういう人はほっといていいよねっていうふうにも思いづらいところがあって、
難しいなと思いましたし、
このコミュニティからは除外されるんだけども、
しかし近所に住む裏の人とか隣の人っていうのは細やかに助けるっていうことをしていて、
そういう人には素直に話すこの女性のことも書いてあって、
誰からも放棄されるっていうことはないんだなっていうのが、
この地域独特の様子だよなっていうふうに感じました。
あとはコミュニティが助け合いを放棄するケース、
最後に紛争体験が分かち合えないっていうケースです。
これは同じ被害を受けたんだけど優遇を受けている立場の人ですね。
富手族と土地族で違いがありすぎて、
方や被害を公にできて優遇が取られて政府からお受けを受けて、
楽な暮らしをしていいお家に住んでいる人もいれば、
その被害を語れずに貧しい生活をしている人もいたりして、
それらが同じ地域に住んでたりするんですけども、
そうなるとどんなに隣に住んでいようが、
農機具を貸してくださいって言っても貸してもらえないとか、
そういう微妙な心の距離っていうのも取られているようで、
無産児に暮らす人たちが必ずしも共同体に参加して
共に未来を見て絆を深めていって、
心を癒し合おうっていうことに成功しているかっていうと、
そうではないっていうことも書かれていました。
直線的時間と円環的時間
私がこのトラウマ治療というか過去の体験を乗り越えるのに、
リベーガル理論っていうのを知ってからだいぶ楽になった
というような体験があったんですけども、
ここに生きる人たちっていうのは、
この治療を多分効果を成しません。
時間的概念とか文化背景っていうのが違うと成り立たないということで、
トラウマ治療っていうのは、
そもそも時間が直線的じゃないと効果が発揮されないそうです。
直線的っていうのは過去があって今があって、
その先に未来があるっていうそういう意味なんですが、
時間の概念がまっすぐ直線的であると。
それから個人主義、私たちはみんな個人主義で生きていて、
それから言語中心主義っていうそうなんですけども、
言葉を中心として話すことが回復の重要な要素になるっていう考え方のもとに生きている。
こういう条件がないとトラウマ治療は効果をなさないっていうことです。
西洋とか今の現代の日本では、
個人内過程を治療の対象とするというふうに書いてありまして、
自己とは相互に独立した存在であって、他者との間に明確な境界線がある。
個人は社会から自由になっていて独立していて、
社会とのつながりっていうのはあんまり考慮されないもとに治療がされていくんですが、
非西洋、無産性に生きる人たちっていうのは、
自己が相互につながりあった存在になっていて、
境界線はとっても曖昧な状態で生きていて、
個人は集団の利益のために存在するっていうふうに考えられています。
社会とか自然とか、あと霊性って書いてあったんですけど、
霊は霊的な、スピリチュアル的な霊性を含む全体性の中に自分が統合されていくので、
他者を助けることが治療的意味を持つというような概念があって、
この人たちにはトライアンマ治療が意味をなさないというふうに書いてありました。
この考え方の根本にあるのが、時間の概念の違いだと思って、
本当に最後の最後の方の数ページに円環的姿勢感っていうのが語られていて、
これがとっても面白いと思いました。
渦巻きみたいな図が書いてありまして、
私たちが見ている時間は直線的ですが、
ここに住む人たちは和のように、円のように時間を捉えていて、
今を生きることで未来に向かっていくんですけど、
その未来は過去に重なるように考えられていると。
死んだ後、その死んだ人の命は名前とかその人にまつわる逸話として、
世代を超えて語り継がれていくというふうに考えられていて、
私たちが考えている過去から未来に向かっていく時間概念とは全然違うんです。
過去の記憶を修復すれば今の症状が改善できますよっていうトラウマ治療、
過去の原因から今の結果が生じているんですよっていう原因の考え方が全然違う。
円環的時間の概念に生きる人たちの中では過去と未来が重なっているので、
未来を変えることで過去も変えられるっていうふうに意識しているんだそうです。
時間を円環的に認識して体験している人にとっては、
現在から未来に向かって生きていくことが過去をもう一回やり直すことになるというふうに書かれていました。
心の傷っていうのは個人の所有じゃなくて、
それが故に回復するとか成長するっていうことは、
一世代で個人でなされるものではないっていうことです。
これすごく面白いなと思いました。
世代を超えて傷を癒す
実は私たち日本人も直線的時間を前提した因果性を信じつつ、
しかし実は円環的な時間の中を生きてもいるんじゃないかなっていうふうに思いました。
というのは、ここまでいろいろ勉強してきた中に、
トラウマっていうことでみんな目の前が見えなくなって、
ご乱心というか、本来ではそういう性格ではなかったのに
暴力的になってしまう人っていうのは、何らかのトラウマを抱えて生きてるんじゃないかって思ったものですから、
過去を調べていって、私は戦争トラウマっていうのが
根底にあったんじゃないかっていうふうに推測したんですけれども、
これも円環的時間っていうのに捉えて考えると合致するというか、
大きな紛争とか大きな災害で体験した心の傷っていうのは、
とてもじゃないけども、個人が一世代で解決できることではなくて、
その次その次っていうふうに、何十年何百年もかけて癒されていくものなんだろうなというふうに思ったんです。
そういうふうに思っていたら、この筆者の大竹さんもそういうようなことを最後の最後に書かれていて、
とても納得しながら読んだので、ここも読み上げておきます。
過去は我々の後ろにあるのではない、前にあるのだ。
我々は先を行く者たちの手からこぼれ落ちたものを拾い上げる。
そして我々の子孫が我々の手からこぼれ落ちるものを拾い上げていく。
自分が未来へ向かって生きることで、過去の世代が生きられなかった人生を生き、
亡くなった人が生きられなかった命を生きる。
自分が生きることもできなかった人生は、未来の世代が自分に代わって生きていってくれる。
というふうに書いてあって、そういうことだよなと思いました。
私は自分のことだけを、自分の苦しみだけをずっと集中して見てきていたんですけれども、
実はみんなが一緒で繋がっていて、全体でそれをなんとかしようとして、
より良い暮らしをしようってみんなが思っているはずだということを言いたいんですが、
伝わりますでしょうか。
これについても、私が言語化するよりも筆者の方が上手に書かれていたので、そこも読んでおきます。
戦争を起こすのもまた人であって、最初に戦争があったわけではない。
人があって、人が戦争を終わらせてきた。
人々は何度も戦争を終わらせ生き残ってきた。
未来には、最後の戦争が終わった後の世界を作っていく人々がいるはずである。
今私たちが享受するこの豊かさが、先人たちの積み重ねてきた、
より良い未来を作り出そうとする試みの上に成り立っているように。
これちょっと私がまとめてしまったので厳文ままではないんですけれども、
誰しも未来に生きる人たちが不幸であるようにって願っているわけではなくて、
より良くなるようにと思って生きているはずです。
結果がそうじゃなくなってしまったとしても、
できるだけ良いものを先に残そうとするっていう本能が私たちにはあるような気がします。
私自身も子どもがいないですし、子どものためにとかっていうことを考えたことはないんですが、
とはいえ、自分よりも後に生まれてきた子どもたちが不幸になりますようにとか思ったこともないですし、
できればニコニコしててもらった方が自分が気持ちがいいので、
この後に生まれてくる人たちが暮らしやすくなればいいのになっていう考え方は実際にあります。
だからこそ、こういう風に音声を残していて、
いつか誰かが自分と似たような苦しい思いをしたり、
それをどうにか乗り越えようとしたりってした時に、
自分が経った時間より短くその人なりの答えを掴むのに
私のこの言葉が役に立てばいいかなと思って残しているんです。
ノートもそうですね。
何かしらのキーワードから探して読みに来た人が、
自分の考えた言葉をヒントに、その人なりの答えを見つけることに
短い時間で到達できたらいいなと思うからそうしています。
それは自分がここまで来るのに長い長い時間をかけたなっていう風に自覚があるからで、
できればこれから暮らしていく人は、
もう少し早くそこに到達できたらよりいいのになと思うからであります。
それだから学校ってあるよなっていう風に思っていて、
勉強するっていうことは、私たちが生きることがよりよくなるように勉強するのであって、
そうじゃなかったら学校なんか存在しなくていいと思うんですよ。
ただ何となくずっと同じことを繰り返して、
生産性とか何も考えずに野良暮らしていればいいんだけども、
そうじゃないからこそ学校が存在してみんないろんなことを考えて、
もう少し簡単にとかもう少し効率よくとか研究を進めて、
そうやって生きていくわけだから、
誰もがより良い世界を作ろうとして生きているはずなんですけど、
そう思うと私たちも実際過去に生きた誰かのそういう思いのおかげで、
この状況を享受しているっていう風にも考えられるわけです。
残念ながら戦争っていうのは何度も起こって、
何度も何度も終結してきているけれど、
その中で大きな被害に遭ったりして、
その傷がずっと癒えずにいる人もたくさんいて、
自分もまたその中の影響を受けている一人であるはず、
それは間違いないんですけれども、
それはより良くしようとした結果起こってしまった過ちなだけで、
そうさせようとして、
先に生きる人が私が不幸になればいいと思って、
そうしたわけじゃなくって、
そうなってしまっただけだっていう風に考えると、
こうぐるぐる回っているんだなという風に、
螺旋みたいになっているのがイメージできるんです。
うまく話せたかわからないんですけれども、
この生きることでなぜ魂の傷が癒されるのか、
このタイトルの通りで、
共に生きて未来を考えていくことで、
自分自身の魂も癒されるし、
過去に生きた人の傷も癒されるし、
多分その先に暮らす子孫の人たちの魂も癒されることになるんだろうなっていう、
そういう姿勢感と、
時間を縁で考えるというか、
時間がそもそもないっていうか、
でもこの今を生きることが、
命の円環という風に、
この筆者の方が見つけた考え方というのが、
とても納得できたというか、
なるほどなという風に感じて、
読み終わった時に、とても感動しました。
災害復興と多様な癒やし
何世代もの命が生き続けること自体が、
深い苦しみとか傷つきを超えて、
魂が癒されていくことになるっていうことです。
紛争による傷は深いと思います。
自分が死んでいくまでには癒されないことだと思います。
それでも癒されなかったっていう過去は、
自分の後ろにずっと続いていって、
それがこの自分の後に生まれてくる無数の命によって受け継がれていって、
何度でも何度でも生き直されていって、
癒されていくと。
戦争トラウマについてもそうで、
この戦争トラウマによる連鎖は、
そう考えると当然のことだな、
同じことだなと思います。
一世代のこととか、
ましてや個人でどうにか解決できることではなくて当たり前と、
全体で考え直して癒して受け継がれていくということです。
最近日本でも大きな災害が多いですが、
その災害後の復興においても、
よりよく助け合って生きるっていうことが
活かされているんじゃないかと、
筆者の尾竹さんはまとめていました。
共同体への回帰とか、
自然への回帰とか、
伝統への回帰っていうのは、
災害後の復興地域によく見られる行動なんだそうです。
どうして自分が生き残ったんだろうとか、
どうして活かされているんだろうっていうことを、
大きな時空間の中に位置づけようというふうに、
試みるっていう行為だというふうに見ていました。
その行為が、
心を癒す一つの方法になっているというふうに書いていました。
そういうふうに思うと、
ルワンダに生きる人たちは、
相当かなりはしょってしまったんですけれども、
政府に抑圧されて、
言いたいことも言えない、悲しむことも許されない。
けれど、そこの限られた地域の中では、
沈黙をもって癒し合うというか、
分かり合うというか、
この語れない苦しみを、
共に生活を続けていくことで癒そうとするっていう姿勢で、
解決方法を示していると。
個人で考えようとすると、
苦しくなっていくんですけど、
みんなで、あるいは、
そういう姿勢感で持って、
受け入れていこうという姿勢を持つと、
西洋医療とかトライマ治療とか、
私たちの考え方とはまた違う方面からのアプローチで、
癒される形もあるんだなということが分かって、
なんだかとても励まされるというか、
気持ちが楽になりました。
この気持ちをちょっと残しておきたくて、
長々とお話ししましたが、
もし、興味があったら読んでみてください。
とっても面白いです。
心の形っていうのは正解がないし、
概念も色々だから、
国とか文化の背景によって全然違うと思うし、
同じ事件があっても、
それがトラウマになる人とならない人っていうのが、
もちろんあって、
さまざまなんだと思うんですよ。
そしたら、一つのやり方だけじゃなくて、
色んなアプローチの方法があって、当然で、
自分に合うものを探しながら生きていけば、
それでいいなっていう風に思っていて、
私はこの本を読んだら、
すごく自分に合っている考え方というか、
気が楽になる考え方で、
この縁というか、
循環するっていう考え方も、
私すごく天文が好きなので、
天文台でよく見る螺旋の図と、
この本に載っていた螺旋の図が似ていて、
時間概念が宇宙天文学っぽいことが書いてあって、
そこに通じてて面白いなっていう風に思った。
ちょっと上手く表現できませんでしたが、
こんなに長々と聞いていただいて、
とても嬉しいです。ありがとうございます。
あと何回か前の回で聞いてくれてる人がいたら、
星の評価、お評価を付けてくださいって言ったら、
何人かの人が本当に付けてくださって、
最後まで本当に聞いてくれてるんだと、
とっても感動しました。
ありがとうございます。嬉しいです。
これからも聞いてくれたらなと思います。
今日はありがとうございました。
53:30

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