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アスチャンネルのアスです。続きを話していきます。
で、えっと、 オリズムタワーで感じたことがプラネテスや
銀河鉄道の夜で感じたことに似ているなって思った っていうことを話したんですけれども
何て言えばいいんだ? オリズムタワーで感じたのは、なんかこのみんなの前でこう主張することに意味がないなって思ったんですよ。
そんなことしなくたっていいっていうふうに感じたんです。 なんかそうじゃないところにいる時こそ時ほど
あるいは そうしないと
わかってもらえない人に対してこそ 無駄に口を開いて自分はこうだよっていうのを語りたくなるみたいなことってあるなって思いました。
だけど ラジオ番組を一緒に聞いているリスナーさんたちは
付き合いが長いし、くだらないお便りを送ってそれが読まれてもみんなが面白がってやいのやいのしてくれたり
あと明日チャンネルを聞いても聞くこともなく受け入れてくれたり ノートも結構暗いこと書いてるけれどもちゃんと読んでくれてる人が
普通にいらっしゃって感想を言ってくれたり時々泣いちゃいましたって言ってくれる人もいたり
教えてくれたりすると みんながみんなじゃなくてもその中の何人かは理解してくれたり共感してくれたりする人が
いるんだっていうことをすごく安心感というか そしたらそんなに
大声出す必要ないやみたいな気持ちになったんです だからその場では私以外の人はどう思っていたかに関わらず私は少なくともその時間をすごく心地よく感じたんですよ
それがそのひとまとまりの空間がすごく
いいなって思ったんですが なんかそもそも
そういったことを いろんな
ドラマや映画や本が言ってると思うんですよ だからそのプラネティスとか銀河鉄道の夜とかで言ってるのもありきたりなことなんだろうかとは思うんですが
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恋愛ソングとかもそうだし恋愛ドラマとかもそうだと思うんですけど どちらかというと私はそういうのに共感ができないまま
そうじゃない切り口の sf とかを好んで
見たり聞いたりしてきたんです そういう
中で えっと進化論とか本も読んだりとかして
なんかそっちの方でちょっと今パッとどの本か 思い出せないんですけどこの部屋のどっかにあるはずのその本の中に
そもそも種の存続が校の 個体の意味はなくて全体が存続することを目的にしているから
この成し遂げたことにはさほど 重要性はないようなことが書いてあってその一節を読んだ時になんかすごくホッとした
というようなところもあります 話がずれるかもしれないんですけど
一人の成し遂げることとか成し遂げたこととかっていうのに意味がなくて どちらかと言えば大多数の人たちの失敗してしまったこととか
何もなら形にならなかったこととかっていうこと自体が 可能性を高めていくようなことっていうのがあると思うんですよ
なんかこれはアスチャンネルで アテルイっていうスーパーコンピューターを見に行った時にも話したような気はするんですけど
岩手にある国立天文台の 研究員の本間先生っていう方が講義で話されていた内容なんですけど
宇宙を研究している人たちってロマンを追いかけているっていうようなことを 講義の中で言っていました
100人研究員がいたら99人ぐらいはそうじゃなかったっていう 言ってしまえば失敗を
生涯かけて見つけて終えていくっていうようなところがあるそうで 必ずしもみんなが何か結果を出したり何かを見つけたりして
栄光を称えるわけではないっていうようなことを言っていたんですが その失敗とか
なんかこれは違ったっていう仮説の間違いがわかることが 一番大切であってそうすることで
例えば100ある可能性のうち1つ可能性が潰されれば次は99になる それが98になるっていうことを
何十年もかけて可能性を潰していくことに意義があって それでやっと答えがわかるのがいつか答えがわかるバトンをつないでいくのが
天文学と宇宙を研究している人たちの目的なんだというようなことを話していました
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アニメの地っていう地動説のことを話している話もまさにそんな話だったので そうなんだろうなっていうふうに思いましたし
銀河鉄道の夜に出てくる博士も似たようなことを言っていて その時代時代にこうだろうって思ってた
思われていることは別の時代になれば別のものに書き換えられて その時代時代の人はそれが当たり前としか思うことができない
けれども時代が変わればそれは間違ったことになってしまうっていうようなことを その時々にできることしか人はできない
けどその可能性を一つ一つ潰していくことでより良い方向に向かっていくんだろうっていうことを言ってるんだと思うんですけど
なんかそういうことを考えたんです
大勢の人の失敗とか研究とかの過程が糧になって より良い世界を求めていくものなのかなみたいなことですね
もちろん自分の老いたちとか苦しいこととか悩みとかっていうのは 自分でことして抱えざるを得ないんですけど
それだけじゃなくて それを誰かに繋いでいくとその次の人は少し次の階段のところから行けて
その次の人はさらにもう一段上のところから行けてっていうふうに少しずつ より良い方向になっていくのかなって思ったり
その広島にたまたまいたからこれも なんかこじつけで思ったのかもしれないんですけど
原爆ドームがライトアップされてて綺麗だったけど 綺麗って思っていいんだか悪いんだかよくわかんなくなりましたが
そういった人類の大失態というか してはいけなかったことが
一つの反省として人類の反省として もう二度と同じ過ちを起こさないようにしようっていう意識が多くの人の中に
当然にあると思うんですけど こうなる前はそういう考えがなかったはずだからそうなってしまったはずで
だけど今は過ちを起こさないようにしようっていう意識が多くなっていると思うんですけど
そういうふうに全体の意識が 大まかに良い方向に行ってるようなものなのかな
などと考えました でなんか話が飛ぶかもしれないんですけど
週に1回天文台に行くのが趣味で 相変わらず行ってるんですけど
この間そのプラネタリウムが七夕がテーマだったんですけど
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その七夕のテーマの中で 自分が住んでいるところが仙台にあって
伊達正宗が出てきました 仙台といえば仙台七夕っていうお祭りが8月にありまして
伊達正宗はその七夕にまつわる和歌を8首読んでいるそうです
例えば
泣き越し人の別れに喰らうれば 星の千切れを羨まれぬる
これは人の別れてしまわなきゃいけないことって 必ず訪れると思うんですけど
それを泣き悲しんで暮らしていると 星と星が年に1回は会えるっていうのが
羨ましく思うみたいな意味だと思うんですけど
そんなこととか
あとは
七夕は年にひとたび会うと聞く 去りて帰らん人の行く末
七夕は年に1回会うって聞くけど
が去って二度と戻らない人たちの行く末を思うと 切なくなるみたいな意味だと思うんですが
当時は戦だとか病だとかで
あと1回会ったらそれっきりになる人が多かったりして
今みたいに便利に
メールとか電話とかで
関係をつなげていくっていうことが どうしてもできなかったから
余計に星を羨むほどまた会えるっていうことを
羨ましく思ったり
別れを悲しんだりすることってあると思うんですか
でも
でもっていうのも変かもしれないんですけど
同じ空間を過ごす
時間っていうのは今も昔も
その時間は限られてて
平等なんじゃないかなっていう風に思いました
メールとか電話とか
Xとかチャットとか
そういうので
関係をつなげるのと
実際に空間でその時一緒に
同じものを見ながら
感覚を一緒に感じるっていうこと自体は
別物のように私は感じていて
その空間を一緒にする時間を
過ごすことの方に
意義があるように思っています
だけど
自分はシェアハウスの話をした時にも
お話ししたんですけど
よかったら安く借りれるようにするから
住んでみてはと提案されたんですけど
人と同じ空間に住むことが怖くて
一人で暮らしているので
お断りさせていただいたっていうのがあったんですが
そういう風に
空間を一緒に過ごすことを
大切だと思う一方で
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それが怖いっていう感覚があるんですよ
だから難しいなと思うんですけど
怖いからこそ貴重に感じるのかもしれません
それで今心地いいなって感じた時の印象を
強く残る方の人間なのかもしれないですね
今まで今この空間が心地いいなって思ったのが
数えるほどしかなくて
今思いつくのだと
一つは青春18切符を買って
千葉の方にフラット遊びに行って
乗り換えの電車待ちで1時間ぐらい
無人駅にただいた時があったんですけど
あの時間はすごく心地がいいなと思いました
みんな電車をただ待ってる
暑くて蝉が鳴いてて扇風機が回ってて
っていうただそこの空間に
いただけだったんですけど
そこのこととか
空港なんかもよくそういう風に感じることがあります
やっぱり空港もみんな目的地があって
そこに行くまでの間
一時的にそこにいざるを得ないからいるんだけど
そこに自分も混ざってていいよっていう風に
許されたような感覚になって
なんとなく何時間でも入れるような感じがして
実際その広島から帰ってくる時
無駄に早く空港に行って
3時間ぐらいずっとぼーっとしてたんですけど
すごくよかったです
あと学生の時の仲間と
よく集まっているんですけど
一時期市民会館か何か借りて
音楽会みたいなのやろうとか言って
ピアノが置いてある教室を借りて
そこにみんな好きな音楽を一曲披露しようみたいなことで
子供も含め十数人集まったことがあったんですよ
私は昔からピアノを弾いてたので
ピアノの曲を何曲か披露させてもらったんですけど
リコーダー持ってきて吹く人とか
カスタネット叩く人とか
あとお子さんはあなゆきが当時腹減ったから
あなゆきの曲をドレス着て歌ってくれたりとか
あと鍵盤ハーモニカ持ってきた人とかもいたかな
折り紙で輪っかを作って飾るのが
よくお誕生日会とかにあると思うんですけど
あれを作ってきた人がいて
教室中にそれを貼って
音楽発表会とか
折り紙の工作で可愛く飾ってくれる人が現れたりとか
あと謎にケーキを大量に買ってきて
急にケーキパーティーになったりとか
発表をする合間合間に
関係ない話によく脱線しては
そっちの話に飛んだりとかして
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みんな本当に好きに過ごしていたんですけど
その時間もものすごく心地が良くて
自由で日が出なくていいなとかって思ったり
その中の居心地が良かった空間の中に
水玉の時間があって
そういう時間を増やしていけたらいいなっていう風に
感じたんですよ
まさかこんな3回にわたると思ってなかったんですよ
単純にこのアスチャンネル2のテーマを話したかっただけだったんですけど
長くなりましたが
最初のアスチャンネルは
理不尽の先を話したいっていう風にテーマを決めて
その理不尽の先が分かってしまったから終わったんですけど
今度のテーマは
大人の私と子供の私っていう風にしようかなと思いました
この給食中にずっと考えてるのが
考えてみれば私は大人の私で生きてるなと思いました
子供の私がずっと閉じ込められてて
それが給食して直後に行った
コトーレットへの旅行中に
子供の自分がバンって出てきてしまって
それから結構大変だったというか
戸惑い落ち着くまで数ヶ月みたいな感じで
やっと今落ち着いてきたんですけど
どちらかといえば大人の自分っていうのは
答えをずっと探してる生き物で
私がずっとやってきてることだと思います
子供の自分っていうのは何かを感じることの自分なんですが
空気があったかいとか風が気持ちいいとか
なんかの匂いがするとか
遠くで鳥が鳴いてるとか
お腹すいたとかですね
そういうのをずっと無視してきたみたいで
それがコトーレットに行った時に
いや いるんですけど
感じられる自分がここにいるんですけど
っていうふうにバーンって出てきて
あ いたんですね
すいませんでしたみたいになってしまって
そこからずっと消えていかないので
感じる自分と考える自分がずっと対立してるというか
どっちに重心を置いたらいいのかよく分かんない感じで
生活をしてるんですけど
圧倒的に感じてたほうが楽しいし
そっちに感じる自分のほうに重心を置いたおかげで
カメラを買ったとか
シェアハウスを手伝いに行こうっていう気持ちになったりとか
したなっていうふうに思うんですよ
でも一方で
SA講座に参加したことで
答えを探す自分も
強制的にやらなきゃいけなかったことが
逆に良かったなと思ってて
ずっと感じるだけだと
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それは社会で生きていけなくなってしまうというか
好きなことだけするっていうのは無理だから
ちょっと一旦立ち止まって
考える時間もやっぱり必要だったから
バランスよくいろんなことが
繋いできてると思うんだけれども
SA講座が終わりますので
そうすると自分に勝さないと
何もやらなくなるから
アスチャンネルで考えたことを話していこう
っていうふうに思うんです
だから始めたっていう感じで
だからこのアスチャンネルの方で
考えたことを相変わらず話していこう
っていうふうに思っています
というわけでさよなら