00:23
アスチャンネルのアスです。続きを話していきます。 幻想の未来という筒井康隆さんという方が書いた本の話をしていきたいと思います。
この本に出てくるのが、戦争で世界が終わりに近づいた状況の地球上の生命体たちの話なんですが、
人間らしき人間は最初にしか出てこなくて、この人間が最後の人間らしきものを生み落として死んでいくところから始まります。
生まれてきたのは、もう人間には難しくないものが生まれてきてしまうんですけど、その人間の子供が
生んだ母親を食べて、世界に歩いていくところで1章が終わって、2章3章と全部で7章までいくんですけれども、
この作品の面白いのが、そこに出てくる生命体の思考が粒子になって大気中に分散しているっていう描写がたくさん出てくるんです。
私はこれを中学生の時に読んだので、ずっとこの考え方が頭の中にあって、その前提で生きているところがあるんです。
だから多分、人と空間を共有するとして心地がいいっていうような感覚も、これを読んでてそういう考えがあるから心地いいと感じたんじゃないかっていうふうに思いました。
この篤井康隆さんがこういう考えを書いているっていうことは、多くの人がもともと感じていることではあって、実際になくもないんじゃないかなっていうふうにも思います。
以前NHKで植物についてのテーマの番組を見たときに、植物は分子を飛ばしてそれを受け取った別の個体の植物にメッセージを送っているっていう研究が
されて明らかになっていることが話されていました。虫に食べられているときに、私は今虫に食べられているっていうメッセージを込めた分子を飛ばすそうです。
それを受け取った近くの個体の葉っぱは、虫がお腹を壊す毒素を出せっていうふうに指令を出します。
そうすると、その虫が葉っぱを食べたら、この葉っぱはおいしくないぞって言って、その葉っぱの周りから虫がいなくなるっていうふうになっているそうです。
03:09
植物同士は会話をしているっていうことになるんですけど、それが人間の目には見えない方法で、待機中に何かを飛ばしてそれを受け取ってっていう形で会話をしているっていうことになるので、
この1971年に書かれた本で言われていることは、なくもないんだろうなというふうに思わざるを得ないです。
例えばなんですけど、お祭りに行ったりとかライブハウスとかに行ってもそれを感じるんです。
若い頃からそう思っていたんですけど、そういった賑やかな場所に行くと、そこの雰囲気の空気から何か大量のエネルギーを受け取るなというふうに感じています。
嫌がおうでもその場に行けばワクワクするしウキウキするし、興奮せざるを得ない状況になると思うんですよ。
太鼓の音とかライブハウスだと低いベースとかドラムの音とかの振動がそうさせるのかもしれないんですけれど、
そうでなくてもそこの雰囲気とか空気、待機中に何かが充満しているような感じがします。
逆に病院なんですけど、20代から30代にかけて大学病院に通っていたことがあるんです。
大学病院の会計待ちの大きなフロアがあるんですけど、毎回私はそこに足を踏み入れると何かを感じるというか、
重苦しい何かがそこに充満していて、それを受け取るような感覚がしていました。
待機中に人間の思考の粒子が飛び交っていて、それでメッセージを受け取れるみたいなことはなくもないんじゃないかなということを
本の中で物語として読みつつありそうというふうなイメージを持ったまま今に至っているというところがあります。
この本の中にバリバリっていう知的生命体が出てきます。
すごく好きなんですよ。このバリバリは思考する反抗物質の生命体です。
反抗物質は半分鉱物でできた生命体っていうふうに書かれていて、
外見は卵型をした表面の滑らかな石灰、石の塊なんだそうです。
五感はなくて、あるのは精神感能力ということで、痛いとか寒いとかはないんだけど、精神は存在している生命体なんですよね。
このバリバリは、さっき最後に生み落とされた生命体がいたと思うんですけど、
06:00
それは1章の話なんですけど、バリバリが出てくるのは4章になります。
だいぶ人間が絶滅した後の何億年も経った時に、バリバリという反抗物質の生命体が宇宙船に乗って地球にやってきます。
そして、かつていた生き物たちの記憶の断片がその粒子となって空中に浮遊しているのを感知して興味を持ちます。
何だろうこれは面白いなって興味を持って、もう少しこれらを観察したいから僕だけ置いていってくれって言って、他の乗組員は先に行かせるんです。
で、そのまま5章6章という風に話が続いていくんですが、バリバリが出てくるのはこの4章きり、しばらく出てこないまま6章になって出てくるんです。
この6章に出てくる生き物は最終生命体の兄弟という風に描かれています。
人間がいなくなってからいろんな生命体が生まれては淘汰されていくんですけど、怪物みたいなのとか半分植物みたいなのとか、あと獣みたいなのとか出てくるんですけど、
この6章の最後の生命体として描かれているのは、これもやっぱり半分は動物で半分は植物になった生き物です。
で、お兄ちゃんと妹っていうような兄弟がもう疲れ切っていて、食べるものもないし繁殖もできないっていうことがわかっていて、もうこの先生きても意味がないっていう風に絶望していて、
兄はでももう少しでこの砂漠を抜けれるかもしれないから頑張ろうって声をかけるんですけど、妹はもう力尽きてしまって、もうここに置いていってくれっていう風に懇願して倒れ込みます。
そして腕だけを地表の上に出して、あとは風に任せて体が砂の中に埋もれていくんです。
兄はしばらく悲しんでその場に留まるんですけど、徐々に生き物としての思考が滞っていくのを感じて、だんだん植物になっていくことを理解します。
悲しいけれども妹ではなくなってしまったっていうことを悟ると、先を急いでその砂漠を抜けていってしまう。
妹はそこに手だけを出した状態で、その手から歯を出して根を張って1000年の間一人でずっと考えているんです。
そこの描写をちょっと読み上げます。
14億年以前にこの星に発生した生命とその進化について、
そして宇宙における個体進化の一つの極限としての自分の姿をやや理解できかけていた。
09:05
ものすごいこの時間の流れと、なんで自分が生きて生まれるんだろうっていうことと、
地球単位でこの地球の意味ってなんだろうっていうことを植物になった状態で、手の葉っぱだけになった腕の葉っぱだけになった生き物は考え続けているんです。
で、私はこの地球の最後の生物の個体になるんだろうっていうことを考えています。
宇宙の全体としてはきっと何にも痛くも痒くもないことなんだろうなと。
で、またちょっと一文読み上げます。
ただ自分の死が、いや自分の死などどうでもいい。
地球の生物の発生と滅亡がごく小さなことではあるけれど、
全宇宙にとって何らかの役割を果たしたのではないかという確信があった。
死ぬまでに何とかして知りたかったというふうにあります。
何のために自分が生まれてきたのかっていうのをやっぱり最終的には考えて死んでいきたいっていうふうに願っています。
そこにバリバリがやってくるんです。
で、バリバリは久しぶりに個体に会ったって言って喜んで話しかけてきます。
僕は3000万年前に地球に探査に来た生き物です。
最後に個体に会ったのは600年ぐらい前だっていうふうに話しています。
で、この腕の葉の妹はその600年前に会った個体は兄なのかもしれないなっていうふうに空想します。
そして、1000年も一人で考え続けていたので久しぶりに個体と会話ができることを喜んで、
このまんま一人で死んでいくこと、何の意味があったんだろうっていうことをすごく悲しんでるっていうことをこのバリバリに伝えるんですが、
バリバリがこんなふうに言うんです。
悲しまなくていいよ。確かに最後の有機生命体だけど、この星は単一意識惑星群っていうのにこれから散化するんだって。
地球はまだまだ若い惑星なんだよ。このバリバリが生きていた星では有機生命体なんて当の5億年ぐらい前に絶滅しているよと。
そしてこんなふうに言います。
大宇宙の発展に関し、宇宙内で起こった出来事に意味のないことなんて何一つありゃしませんでしたよ。
で、バリバリはもうそろそろ行かなきゃいけないんだって言います。
かつてその乗組員に置いて行ってくれって頼んだわけなんですが、それの迎えが来るのがもうすぐだったので、もうここを離れなければいけない。
そして腕の葉はそのまま一人っきりになるんだけれど、300年ほど生きて死んでいきます。
12:05
その残りの300年はもう孤独ではなかった。
全ての死が、宇宙の知性ある惑星群に散化するために役立つんだっていうことを分かったからです。
そしてこの死ぬ間際なんですけど、自分の周囲にある大きな意識の海の中に自分が溶け込んでいくような感じを覚えたっていうふうに表現があります。
で、こんなふうに書いてあるんですけど、
それは自分自身としての自覚はなくなり、さらに大きな意識に飲まれ、ついには単一の完璧な意識が地球上を覆う。
っていうふうに書いてあって、これ私がリズルタワーで感じた感覚に同じじゃんって思ったんです。
で、それと同時に、そっかここで読んでたから、自分で自発的に感じたというよりは、そういうこともあるんだろうなっていうふうに空想していたから、結びつけたんだなっていうふうにも感じました。
久しぶりにこの幻想の未来を読み返したんですけれども、
何回も何回も読んでるから、自分の中に空気中に粒子となって思考が分散しているっていう幻想がずっとあって、
それって素敵だなっていうふうに思っているから、素敵なところでもあるんだけれども、悪意のある人の意識を受け取っているっていうようなこともあったりして、
嫌な雰囲気をキャッチしてしまうっていうふうに感じることがあったり、逆にふんわりした雰囲気、
アシャに意識を向けていない人の雰囲気っていうのは心地よく感じたりするなっていうふうに思うことが多くて、
それは自分の本来の感覚、本能とかで感じていることかもしれないんですけど、
もしかすると、読んで頭の中にある意識として、知識として、そういうものかもしれないっていう前提があって、
それで考えているっていうところもあるのかもしれないな、両方かもしれないなっていうふうに思って、面白いなっていうふうに改めて思いました。
で、これ最後7章になりますとどうなるかというと、全ての生命体が死に絶えてしまったんで、
その後のことになるんですけど、突然2つの意識が存在している描写があって、
その一つと一つがお互いを認識するっていうところから最後の章が始まります。
お前は誰だ、お前こそ誰だっていうふうに突然恐れ驚いて、他者の存在を認知するっていうところから始まるんです。
今までもそばにいたみたいだったけど、今お前を初めて気づいたよ。
こっちこそ言われてみればずっとそばにいたみたいだったのに、今気づいたよっていうふうに、お前誰なんだ、一体誰なんだと。
15:02
で、片方の意識の方は、実は今自分の中で何かが分裂しようとしているのを感じていて、そっちも恐れ驚いているんだってことを打ち明けます。
ごくごく小さな弱い存在なんだけれども、分裂しようとしてるんだよって。
何それ何それ、怖い怖いって2人で怖がってるんですけど、
あ、分かった、お前は陸だ、私は海だっていうふうに理解し合います。
そうだそうだ、私は海だ、私は陸だっていうふうになって、どうやら地球が意識を持つ、地球自体が生命体になる。
っていうような最終章です。
そして、何かが分裂しようとしているっていうのは、海の中に生まれた何らかの生物なんですけれども、
それが分裂した直後に意識がなくなっていったと。
分裂したんだけれども、生命が絶えていったっていうことを海は気づいて、こんなふうに話します。
意識がなくなる直前にこんなくだらないことを考えていたよ。
何のために生きていたんだろう、だってさ。
だけど個体意識の強いやつにしてみれば、そう考えても不思議はないよなって。
2人でそういうふうに分裂した何かのことを言っています。
個体意識の強いやつにしてみれば、そう考えても不思議はないな。
これはすっごく面白いなと思います。
自分っていう存在に何か意味があるっていうふうに思いたい、個体意識の強いやつにしてみれば、
何のために生きていたんだろうって。
分裂した瞬間に死んでしまうなんて、何のために生まれてきたんだろうって思ってしまうんだってさ。
っていうような、それもわからんでもないよなって海と陸が話しているんです。
そして、
この章はどういうふうに終わるかというと、
とはいえ、この海と陸はすごく感動をしているんです。
何でかっていうと、この個体が海の中で分裂しようとしていたことをきっかけで、
お互いの存在に認識し合えたからです。
この何かが動いて、動き始めたことで、
ふとそばにいる別のものの存在に意識が向いて、
あ、お前は誰だ、今まではそばにいたのに気がつかなかった、
っていうふうに気がついて、会話の相手ができたっていうこと、
いい話し相手ができたっていうことを、お互い感動している。
それは、何のために生まれてきたんだかわかんないけど、個体意識の強い何者か
が生まれてすぐ死んでいったおかげで、知り合えたっていうことで、
海と陸が感動していたのであったっていうことで、
この幻想の未来は幕を閉じる。
こういう本なんですが、とっても面白くって、
18:03
多分、ゲド戦記も好きなんですけど、
ゲド戦記と幻想の未来が私の人生の中で、本当にしつこく読み返していて、
けれど、自分の周りでこの幻想の未来好きですっていう人に出会えたことがなくて、
それでXのプロフィールのとこに書いてたら、
この本読むんですね、自分も好きですって言ってくれる人が現れるんじゃないかと思って、
15年ほどずっとあふれていたんですけど、
誰も反応がなかったんで、
この本のことを別の方法で発信してみたいなと思って、
今回こんなに時間を割いて話してみました。
あ、20分以上経ってびっくりした。
もし興味があったら読んでみてください。
そうそう、この幻想の未来の中の描写で、私が個人的に好きな一説があって、
相手を食べることで興奮を得るみたいな生命体が出てくるんです。
食べられる本も食べられることで、
献身的であるというか、愛情を示すみたいな描写があって、
この生命体は食べられること、食べることを食べられることで満たされるようなんですけど、
それがすごい面白くて、
そんなこともありそうっていうふうに中学生の私は思ってしまったわけです。
でもよく、食べちゃいたいほどかわいいとか、そういう表現があると思うんですけど、
実際にその人間を食べてみたいとかいう願望があるわけじゃないんですが、もちろん。
私ですし、食べられたいとかって思ったこともないですけど、痛そうですし、かなり黒いと思うので。
ですけど、
そういう狂おしいほどに、
愛情表現として、
食べたい食べたい食べたいみたいな描写があるんですけど、そこの部分はめちゃくちゃ面白いなと思っていて、
その中二病、まさに中二病の意識から、
私は好きな猫を猫が食べたいみたいな表現をよくしていて、
猫かわいいって思うときに、うわぁ猫食いてみたいな、猫食べたいみたいなことをしばしば使っているんですけれども、
これ、人によってはドン引きする人もいて面白いなと思っていて、
えっと、スレッツの方で何回かしつこくそれを言っていたら、
猫は食べてはいけませんよって真面目に教えてくださる方とかがいて、
面白いなって思いました。
突然押しましたが、
今日は幻想の未来について聞いていただいてありがとうございます。私の欲望がかなり満たされました。
じゃ、また。