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久しぶりに録音をして喋りたいと思います。
この間、聞いてくださった方がわざわざ感想のお便りをくださいまして、すごく嬉しかったんです。
後半の方で結構悲しいお話ばっかりをしてしまったので、聞いてる人によっては嫌だったりしたかなとか、
あと前半の方、プンプンして仕事の悪口とか、自分の働く考え方、女性としてのあり方みたいな思想みたいなのも強く語ってしまったので、
嫌な人にとってはいるのかなと思ったんですけれど、
そういう悪い面ばっかりを怯えていたけれど、温かく聞いてくれてる人もいるんだなっていうことを知って、ものすごく嬉しくなりました。
可哀想があっても欲しいとか、どういうことが具体的にあってこんなに大変だったんだよとかっていうことを話したいわけではなくて、
自分としてはこういうことがあったんだって、もう乗り越えたんだよっていうことを話して、どうだったんだって聞いてほしかった。
まさにそれをしてくれたっていうような内容のお手紙で、
金管を持って大変だったんだねっていう風に感じて聞いていましたよっていうような内容だったので、
自分が求めていたような感想をまさにくださった人がいると思って大変感激をしました。
世の中悪い人ばっかりじゃないなっていうか、大げさかもしれないんですけれども、本当に嬉しかったです。
もしかしたら聞いてくれてるかもしれないからありがとうございました。
思っているよりも自分が自分が思っているよりもちゃんとしてない人が多いって言ったらおかしいんですけれど、
自分が生きてきてこれこういう風にした方が周りが円滑に進むようなと思ってやっていることを全然考えないでやっている人とか、
むしろ自分の利己的なことだけを考えて暮らしている人が自分の想像以上に多いのかなって最近思うようになりました。
それに気づかないで私は結構いろんな人に誰にでも平等にクソ真面目に優しく優しくしていたところがありまして、
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そうすると利己的な人っていうのはそこにさらにどんどん付け込んでくるっていうところがあるんだなっていうことも気がつかないで、
どんどんどんどん付け込まれていくようなところがあったりして、
それゆえに嫌な人ばっかりだなっていう風に感じて生きていたんだけれど、
考えてみるとそういう人もいるんだなっていうことに気がつけなかった。
こっちの方が甘い考え方をしていたというか、よく見ていなかったというか、
見定めて細やかなきくらばりを向けてそれを返してくれる人にだったらどんどん向けていいんだけれど、
それをしないでむしろもっともっとって求めてくるような人にはそれなりの対応でよかったのに、
全員に全員に細やかなきくばりをして勝手に自分が疲弊していくっていうのは、
なんか自分が悪いっていうか自分がバカっていうか、
考えてそれなりの対応をそれぞれにとればいいだけのことを気がつけてなかったよ、最近思うようになります。
利己的に考えてしまう人っていうのは程度の差があれ、誰にでも利己的には考えるんだけれども、
多色思考というか、とりあえず自分に火はなくて、
全部相手が悪いっていう風な考え方っていうのは決して非難することはできなくて、
それはその人の生き方で考え方であるところであるので、それでいいと思うんですが、
無視したりとか相手の迷惑も考えずにそれをしてしまうっていうことの原因には、
一部、脳の機能の障害であるとか発達の遅れとかもあって、
一概にあいつがバカだからだみたいな軽々しい判断っていうのはできなくて、
どうしてもそういうふうにはできない人も中にはいて、
事情があってそうなってしまうっていう、思いやれないからそうなっちゃうっていう人も世の中にはいると思うから、
そこを自分が気がついて、そういう人にはこういう対応を、
そしてできるだけ近づかないように、
憎しんであるとそれも難しいかもしれないんですけれども、
憎しんであってもできるだけうまい距離を取るように、
憎しんでなければ本当に距離を取るようにっていうふうに、
自分を守る生き方をしていけば、
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お互い生きやすいよねっていうふうに思います。
思うようになりました。
最近の私の心の変化の話なんですが、
そう思うようになったのに先日、
私の大好きなポッドキャスト5点ラジオやバー5点などをやってらっしゃったバジャーさんっていう方がいらっしゃるんですけれども、
その方の有料ノート会員なんですけれども、
その会員特典としてバジャーさんと一対一でズームでお話ができるっていうのがあったので、
喜んでそれに参加させていただいて、先日消えるラジオっていうのを一緒に収録させていただいて、
あと2日ぐらいで消えちゃうんですけれども、
その中でも本当の自分のことを認められないで起こる人はいるっていう話をされてて、
私も常々それを感じていたので、バジャーさんと同じ考えだなっていうふうに思いまして、
深くそれをそうだよねっていうふうに改めて考えることがありました。
正論を私は言いがちで、
特に上司に私は厳しく当たってしまう性格なんです。
というのは自分の中に年上であればとか目上であれば自分よりできて当然だろうっていう、
これまた良くない思い込みがあって、
そういうこともないんだけれども、
自分の中ではそういうふうなルールがあってしまっていて、
直そうとしてるけど直んないままこの歳になってしまい、
故に上司であるのにこんなこともできないのかって思ってしまうと、
本人に面と向かってそれを言ってしまうっていうような我慢ができない、
大目に見れない、大人になれないっていうようなところがあって、
そうすると本当によくできた人だったり、
私を幼いなっていうふうに手のひらで転がしてくれるような器の大きな人とか、
本当に傷ついてもそれを本当の大人だったら見せずに、
こいつは分かんないやつなんだなと思って、
多分私を勇めてくれてた人とかもいたと思うんですけれど、
そうじゃない人だとその痛いところを疲れた時に激怒するんですよ。
そうすると私はさらに強く強く攻めていくみたいなところが正確的にありました。
多分もうやらないけど、やらない理由は、
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相手の力量がそこだったんだなっていうのがだんだん分かってきたからです。
っていうのは人には年上であろうが上司であろうが、
できることできないことがあるっていうのが分かってきたからで、
自分もそうだっていうことがやっと分かってきたからで、
私は生きる以上は、社会にいる以上は責任があって、
それを全部全うしなければいけないっていうふうに考えていたから、
できないこともできるはずだ、やらなければいけないって思っていたから、
他人にも厳しく当たってしまうっていうところがあったと思うんですけれど、
だんだんと人にはできないこともあるっていうことが分かってくると、
そりゃあそのできないところを疲れると怒るよなっていうのはあるんですよ。
怒るのは認められないからですね。
そこは私はできるはずだから、お前に指摘されるべきことじゃないというふうで、
認めたくないから怒るんであって、
器の大きい人だとはそういうとこも俺にあるよねって言って、
ごめんごめんって言って、
次からちゃんとするねとかついついとかって言って、
そうすると私も本当ですよ、ちゃんとしてくださいよっていうふうに、
冗談みたいにできるんだけども、
それは相手が大人の対応だからそういうふうにできて、
私はそういう人ばっかりを本当にいい人っていうふうに見てたけれども、
いい悪いっていうのはそこで測れなくて、できない人に対して、
のんちゃん雲に乗るっていう本の話をしたんですけれども、
まさにのんちゃんみたいにひれ伏す心っていうのをまだ分からない、
子供だったら分からなくて当然だけど、私は大人なのにそれも分からないで、
やるべきだっていうふうにつっかかっていっては、
それを認められないでいる立場の人に対して厳しく当たっていたなっていうところを考えたりとかして、
そうだよなって、そういうふうに認められないから、
認められないでいる人のことをそういうふうな考え方になってしまうよねっていうのも、
理解して接していかないといけないなって思ったり、
私もだんだんそういうふうにできるんじゃないかなっていうふうに、
自分の器を小さく見るのではなくて、可能性を見れるようになったというか、
それは自分を大きく見せようとしているんじゃなくて逆で、
自分の皿ってこんなにおちょこみたいな感じだけど、
もうちょっと広げようと思えばできる力量が自分にもあるかもしれないみたいなふうに考えるように、
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広く見れるようになったというか、
それこそが肯定するっていうことになるのかなと思って、
自分の自己肯定っていうのはこういうことなのかなって、
少しわかったような気がするんです。
なんでそう考えるようになれたかっていうのに、
毎日好きなことばっかりをできるだけするようにしていて、
夕日を見るとか、散歩するとか、花を見るとか、バイクに乗るとかして、
ああ楽しいとか、ああ綺麗とか、空気が気持ちいいとか、草の匂いがするなとか、鳥が鳴いてるなとかって、風が気持ちいいなみたいなことをしていくと、
自分が満足してほっとするんですけど、その時間を増やせば増やすほど、
人が何かして、それが私にとっての不利益になるみたいな考えを、
少しずつ減らしていけるような気がするんです。
それまでは全ての周りの行動が全部私を非難しているように捉えていて、
何かあると全部それによって私は不利益をこむるから、
こむる前に私が先制してやらなければいけないみたいに考えてたんです。
脅迫的な心持ちだったと思います。
これは若い頃はそれに立ち向かえるパワーがあったから、
その心持ちについていける体力があったから、
それによって仕事ができたっていうことで、いいことでもあったんですけれども、
おかげさまで年をとるにつれ、それが追いつかなくなってきたおかげで、
だんだんとあれ私にもできないことがあるぞっていうことに気がつけたことによって、
肩の力がだんだん抜けてきたっていうところがあって、
もはや定年されたお客様が言うんですけど、
日々の小さな幸せをしみじみと一つ一つ大切にすることの方が人生は大切なんだよ、
みたいなことを教えてくれるんですけれど、
私もそういうふうにここ数年思い始めていて、
今目の前に夕日が広がっているんですけれども、
こんな穏やかな時間を過ごせていること自体が幸せで、
ありがとうだ、こうだっていうことに注視して、
何万人も人がいるのに目の前の人にイライラとかしているのってすごくもったいないなって思ったりして、
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こんなに綺麗なのに、みたいな。
職場に行くとまたイライラは出るは出るんですけれど、
イライラの度は本当に小さくなってきていて、
前とは変わってきたなっていうふうに自分ですごく思います。
多分これからも好きなことをしている時間を増やしていくと、
人が何かしていてそれに対してどうか思うみたいなことってどんどん減っていくのかなと思って、
それで小さな楽しいなとか嬉しいなみたいなことの方が大きくなっていったら、
それが生きていることの意味みたいなことになるかなと思っていて、
それが前の回で話したソウルフルワールドっていうディズニーの映画で見て感じたことになるから、
やっぱりそれこそが生きる意味になるんじゃないかなっていうふうに思ってるんです。
私はこれ今話しててすごく上手に話せたなって思ってるんですけど、
聞いてる人って意味わかるかな?わかってくれてるのかな?
わかってくれてる人だけわかってくれたらそれでいいんだけれど、
そういうふうにまた考えることがあったらお話ししようと思います。
じゃあ今日はこれでさよなら。