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運転しながら、今、ザ・オーに登っています。 下は晴れてるんだけど、上は曇ってる可能性があるんだけど、とりあえず、そのくねくねの道を走るのが好きなので、来ました。
ライフイズビューティフルっていう映画の話をしたいんですけど、これは20年くらい前に映画館で見ました。
内容は、アイ・シュビッツの収容所での話なので、面白いものではないんですけれども、友達と見に行って、ストーリー的には親子愛を美しく描いたものと感動ストーリーみたいにまとめられてるんですけど、
自分はあるシーンがものすごくショックで怖くなってしまって、見返したことがないです。怖すぎて。
どこが怖かったかっていうのを話したいと思うんですが、
海で感動ストーリーになってるかっていうユダヤ人の親子が主人公で話が進んでいくんですが、手を受けながらも子供がその迫害を受けてるっていうふうに気づかないように父親が明るく振る舞って、
収容所での生活をこれはゲームだから、かくれんぼなんだからっていうふうに教えて、楽しく過ごせるように図るっていう話なんですよ。
父親の死に際までもおどけてみせて、お父さんがふざけてるっていうふうに見せかけて、その直後に銃殺されるんですけど、子供はそれにも気づかずにクスクス笑いながら父親が死んだ瞬間を気がつかないで過ごして、生き残るっていうラストなんです。
そこだけ見れば綺麗にまとめた映画だなっていうところなんですが、
いろいろなシーンはもちろんショッキングなシーンは多いんですけど、私がショッキングだったのは、最初幸せだった生活も描かれてるんですが、その中で主人公のユダヤ人と仲良しだったお医者さんが出てくるんですよ。
お医者さんとどういうふうに仲良しかったかっていうと、謎々を出して、それをそのユダヤ人が賢く答えるっていうようなエピソードが最初に描かれていたんです。
アシュビッツに収容された後にある程度疲弊してボロボロになった状態になった時に、そのお医者さんが健康診断にそこの収容所に来るっていう一節があるんですよね。
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で、めくばせをしてくれたので、休止をするように、その健康診断が終わった後にかな、ちょっとうろ覚えなんですが、食事会が開かれることになって、それの休止をしろというふうに命令をしてくれて、時間を取ろうとしてくれたんですよ、話があるっていうふうに。
なので、ユダヤ人の主人公の側は、これはどうにか助けてくれようとして時間を取ってくれる、そういう働いなんだっていうふうに期待をして、その食事会の休止に臨むんです。
で、いざその時間になって休止をしている最中に、やはりめくばせをして、ちょっと裏に連れて行ってくれて会話をするんですけど、そこで行われた会話が謎々だったんですよ。
で、この謎々が解けなくて、毎日眠れないんだ、君なら賢いから答えがわかるだろう、教えてくれっていうふうに真面目に懇願するんです。
で、ユダヤ人はショックを受けて、助けてくれるんじゃなかったんだっていうことにショックを受けて、その時間を終えて、自分の収容所に戻る、寝蔵に戻る途中で、たまたま仲間の遺体が積み上げられているところに間違って行ってしまって、
その死体の山をもけげきして、さらに打ちひしがれて絶望して帰るっていう、そこは無言で何のセリフもないんですけれども、そこのシーンで私はものすごいショックを受けて、もうそこから先があんまり頭に入ってこなくなったんですね。
で、友達と見終わって、面白かったねっていう話したけど、全然面白くないっていうか、なんだこの映画めちゃくちゃショックすぎてもう二度と見たくないっていうふうで、記憶に残ったままいます。
で、なんでショックだったのかっていう時がすごくあったんです。そういうような時っていうのは、行ってくれるのかなと思いきや、全く汲み取ってないみたいなシーンっていう意味なんですけど、それでショックを受けた。
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腰のヘルニアでねっていう話をしてきたんですよ。全く関係がないじゃないですか、私の嫁の話と母が若かった頃にヘルニアでいたかったよっていう話は全然違くて、心配をして落ち込んでの腰の辛さを話してくるっていうのは寄り添いじゃないと。
でも本人は、それによって傷つけてやろうっていう悪意で話してるわけではないんですよね。多分映画の中のお医者さんも、この謎々をしてショックを受けさせてやろうとか、さらに心理的に追い詰めてやろうっていう意図はなくて、本当に眠れないから謎々の答えをどうか教えてくれっていうことで、瀕死でめくばせをして休止にさせて、時間をとって会話したっていうだけで、
本人が今にも死にそうな環境に置かれているっていう想像ができてないんですよ。うちの母も多分そういう人だったんですね。そんなことあるって思うかもしれないんですけど、そういう人もいるんだなっていうことに、私は大人になってから理解したんですけど、子供の時は全く理解ができなくて、
そういう生活をずっとして育っているから、人に心を開くとショックを受けるというか傷つけられるっていう印象しかなくて、恐ろしくて心を閉じて生きるしかなかった。大人になってから、例えば風邪ひいたりして仕事休んで次の日仕事に行くと、大丈夫?って声をかけてくれるじゃないですか、皆さん当たり前に。
でも私はそれが全然心動かされないっていうか、はい大丈夫ですって答えるとありがとうっていうふうにはならなくて、その言葉の裏に寄り添ってくれてるっていうのが理解できなかったんです。
あとから本を読んだり映画をする中で、そういう時には優しさを感じ取るものなんだっていうのを学んでから、心配かけてごめんねとかっていうふうに言えるようになったんだけど、心が動いて出る言葉ではなくて、生活上ではこういう返しをするものであるっていうふうに学んだからしてたっていうような感じですね。
で、やっとこの年になって少しずつみんながみんな無意識に傷つけてくるわけじゃないっていうのを理解を深めていく中で、少しずつ人の優しさみたいなものがわかってきたかなって思います。
そういう時にじんわりと優しい人だなとか本当に思って言ってくれてるんだっていうのがわかった時にすごくタイムラグがあってから、あれは優しさで言ってくれたんだとかそういう行動なんだっていうのを理解できるようになりました。
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多くの人がこれを子供の頃に赤ちゃんの頃から当たり前にそういう接し方をされて学んで大人になってるんだと思うんですよ。
で、自分はそうじゃなかったんだけど、なんか私以外にもそういう人っていうのはいるんだろうなって思ってるんです。だからノートに書いたりこうやって喋ったりしています。
別に傷を舐め合いたくて言ってるわけじゃないんですけど、あと解決方法が私がわかっているわけでもないんですけど、なんかそういう人っているよねっていうのがわかっただけでも私は心が楽になったからつないでいけたらいいかなと思って喋ってるんです。
Life is Beautifulっていう映画は親子愛、子供を思う気持ちの素晴らしさみたいな、親の愛みたいなのを描いた映画ではあったんですけど、違う部分でショックを受ける見方をしている人もいるよっていうのが知ってもらえたらいいなと思って。
すごかったです。今日5時半に目が覚めて起きるといつも大野山頂にあるライブカメラを見ることが多いんですけど、大体早朝って山頂は曇ってるんですよ。霧ってるっていうか燃やってるっていうか。
でも地上が久しぶりに晴れてて、ここのところずっと雨続きだったから久しぶりに晴れてて、もしかしてこれ今曇ってるけどもう少ししたら晴れるんじゃないかなっていう望みの下にとりあえず出発したんですよ。
8時半くらいに着いたんですけど、やっぱり真っ暗で日がないみたいな、今にも雨降りそうみたいな天候だったんですけど、10分くらいぼやーって何にもない雲を見てたらさーって一瞬で晴れて、
たまたまワンチャン来た似たような旅行客みたいな人たちが私も一緒にわーとかって行って、一緒に深まが綺麗に見える瞬間、でまたあのさーって雲が来てまた真っ暗みたいになっちゃうんですけど、何回か繰り返したのち私が帰ろうかなって思った頃にはおおむね晴れてて、
ちょうどそのくらいに9時くらいになったから観光バスとかもバーって来てみんな賑やかに見てらっしゃいました。いいタイミングに行ったなと思います。なんかずっと晴れてるももちろん綺麗なんですけど、わーって陰ったり晴れたりするのって地球の醍醐味みたいな感じがしていいですよね。