1. アスチャンネル2
  2. 自責選手権NO.1の自意識〜集え..
自責選手権NO.1の自意識〜集え自責フリーク‼︎
2026-09-13 35:47

自責選手権NO.1の自意識〜集え自責フリーク‼︎

自責プロフェッショナルとして自責が起こる心理と対策について語ります。面白がってるんですけど辛いんで早く脱したいです😂

note「ノンちゃん雲に乗るを読んで、惨めでいいやと思う」はこちら

https://x.gd/w50e8

上記記事を朗読したアスチャンネル「エセラジが始まったので」はこちら

https://x.gd/xzR22



桃太郎電鉄×JAタウンのキャンペーンに当選/による自責/ノンちゃん雲に乗るから読み解く自発的な意識の深掘り/鰐淵晴子さんのこと

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、自称「自責選手権NO.1」である語り手が、自身の「自責」の心理と、そこから抜け出すための葛藤について深く掘り下げています。語り手は、感情をうまく認識できず、胸が締め付けられるような身体感覚に悩まされてきました。その感覚に名前を付けようとすると、「こんなことで悲しむなんて情けない」といった自己否定が始まり、さらに苦しくなるという悪循環に陥ります。この状況を乗り越えるために、身体感覚に意識を向けたり、瞑想のように思考を流したりする方法が提案されますが、語り手にとっては非常に難しいと感じています。 具体的な例として、ゲーム「桃太郎電鉄」のキャンペーンに当選し、特産品が大量に届くことになった際の葛藤が語られます。当選したこと自体への罪悪感や、それをSNSで報告することへの「見られる側の気持ち」への配慮から自己否定が始まり、苦しみます。しかし、フォロワーからの温かい反応に救われる場面もあります。この自責の根底には、「正しく、有能で、人に迷惑をかけない人間であるべき」という理想や、自身の弱さやずるさへの嫌悪感、他者からの拒絶を恐れる自己防衛の心理が隠されていることが、「ノンちゃん雲に乗る」という児童文学の分析を通して明らかにされます。 物語の主人公であるノンちゃんが「自分が嫌なんだ」と気づく過程と自身の経験を重ね合わせ、語り手は、万能ではない自分や、弱さ、ずるさを受け入れることの重要性を説きます。頭で理解することと心で実践することの難しさを痛感しつつも、自分自身を許すための体験を重ねていくことの必要性を語り、この経験が誰かのヒントになればと願っています。最後に、映画「ノンちゃん雲に乗る」の紹介も交え、作品の美しさや当時の時代背景についても触れています。

自責のプロフェッショナルとしての自己紹介と感情の認識
アスチャンネルのアスです。今日は、自責選手権があったら、多分NO.1になるんじゃないかという、自称自責選手権NO.1の私として、自責のプロフェッショナルとしてのお話をしたいと思います。
自責って、自分を責めるの自責です。 そもそも私、
自分の感情がさっとわからないっていうところがありまして、 ただ、体の感覚として、胸のあたりがグーッと苦しくなるっていうのはよくあるんです。
ただ、そのグーッてこうなっているのが、何なのかわからないんです。 なんなら、ずっとその感覚があるのが当たり前で生きてきていて、
ある時に、それは感情を抑えているから起こる身体症状だっていうのを教わって、 あ、そうなんだっていうふうに自覚をしたくらい、年がら年中胸がグーッと抑えているような感覚を持って暮らしていました。
例えば、その胸がグーッとなっている時に、 これは何だろう、何かの感情があるとしたら何だろうって考えてみるんですけど、
例えばじゃあこれは悲しいんじゃないかっていうふうに名前を付けるとしますね。
そうすると、こんなことぐらいで悲しんでるなんて情けない、だとか悲しんではいけない、だとかいう自分責めが始まるんです。
そうすると、またグーッと胸が締め付けられるような感覚になります。
この状況をよくある対処法としましては、 身体があることに意識を向けましょうって言われます。
例えば、足の裏が地面についていることを感じましょうとか、背中が壁についているのを感じましょうとか、あと深呼吸をしましょうっていうこともよく言われると思います。
そうすることで、今に戻ってこれると楽になるっていうことなんだそうなんですが、
私の場合はその感覚を受け入れて楽になる前に、 感覚が発生した時に自分を責めるっていうことをやめないと、
エンドレスで苦しくなるんだなっていうのは自覚していて、 ただ悲しいなら悲しいんだなっていう風に眺めるだけっていうのをやるといいのかなっていう風に考えています。
これって多分瞑想でやっていることだと思います。 自発的に思い浮かんだことを流していくみたいな感じなんでしょうか。
これがただ難しいんですよ。とっても難しいです。
桃太郎電鉄キャンペーン当選と自責の葛藤
ところで、自責のプロフェッショナルとしてどんなに自分を責めてるかっていうことを、 こんなことでも責めてるよっていう実例を挙げてみたいと思います。
私、昨年末に桃太郎伝説っていうゲームをスイッチのゲームを買いました。
これは子供の頃から好きだったゲームで、 桃鉄って呼ばれるものなんですけれども、
これが最近2000万本を突破したそうで、 記念にキャンペーンをやっていたんです。
どんなキャンペーンかっていうと、桃鉄を遊んだ感想をXでポストすると、
J.J.タウンさんが販売している全国の特産品47都道府県分が送られてくるっていうキャンペーンでした。
これを一緒に桃鉄で遊んだことのあるフォロワーさんがポストされてたので、
面白いねって言って私も同じように感想ポストをしてみました。
そしたらなんとそれが当選してしまいまして、
8月から半年間にわたって47都道府県の特産品が送られてくることになりました。
これ計算してみたら、3日に1回何か届くんです。
大変なことになってしまったなと思って、 宅配屋さんに悪いなと思ったんですよ。
配送する方が3日に1回来なきゃいけないなんて。
置き配指定ができなくて、全部受け取らなきゃいけないんですよ。
なので、週に1回に指定を変更して、その日にできるだけまとめて受け取るように変更しました。
それからせめて物をお礼にというか、ものすごい莫大な額だと思うんですよ、キャンペーンとはいえ。
その恩返しに送られてきたものを実際に食べて、感想をポストしようと思ってやっています。
それは食べ物の写真を撮る練習にもなるなって思っていたり、
普段しない料理のきっかけにもなったりして、すごくいいなって思っています。
例えば、人参ジュースがたくさんいただいたんですが、
これは炊飯器でご飯と炊くと人参ピュラフになるっていうレシピを見てやってみたら、とっても美味しかったです。
それから桃が届いたら食べきれないなっていう時は、
たまたまその時、友人からナッツのハチミツ漬けっていうのをいただいてて、
それも普段どういう風に食べたらいいかわからないなって思っていて、
ふと気づいて、この桃にヨーグルトをかけて、ナッツのハチミツ漬けもかけたらどうかってやってみたら、
これがべらごうに美味しくて、パフェで売ってるスイーツじゃんっていう感じで、かなり消費しました。
とっても美味しかったです。
普段こんなのわざわざ桃買ってきて、ヨーグルト買ってきて、ナッツのハチミツ漬け買ってきてなんて、
普段やらないからいい機会だったなって思ったり、
あとお漬物がたくさんいただいたんですが、それも普段あんまり漬物をわざわざ買わないのでどうしたことかと思っていたら、
フォロワーさんが刻んでチャーハンとかおにぎりにしたりするのもいいよって教えてくださって、
やってみたらとっても美味しかったです。
例えば生姜のお漬物だったんですが、丸ごと大きな生姜があったのをできるだけ細かく刻んで、
卵とおネギと炒めてみたら、素晴らしく美味しいチャーハンになりました。
そういう普段しない味の料理を挑戦してみるっていうことを、
毎日自炊してるとやらなくなっていたので、いい機会だったなっていうふうに思っています。
そもそも私この桃太郎電鉄すごく好きで、
一人で数十時間、100時間以上やってると思うんですけど、
そもそもこの桃鉄って何かっていうと、
全国の実際にある駅、電車の駅をサイコロを振って回っていくゲームなんですけども、
その駅に実際にあるお店なんかが紹介されてる雑誌を買いまして、
そこに載っているお店に直接行ってみようかなっていう桃鉄旅を計画したりしていました。
その後すぐ給食してしまって、実現できないままになっていました。
給食してしまったゆえにいつもよりも収入が減っていたので、
食費も抑えなきゃいけないななんて思っていたんです。
そうしたところにこの物産品が届くっていうキャンペーンに当たったことは、
願ったり叶ったりで出かけなくても特産品が自分の家に届くっていうことと、
それによってお米とかお肉とか届くのでだいぶ食費が抑えられるっていうことで、
自分はこの桃鉄にすごく助けられてるなって思ったんです。
ゲームを買ってからオンラインで人と遊んだりすることもできて、
それまでできなかった人との交流っていうのも最初はものすごく緊張したんですけど、
だんだん慣れてくると楽しくて、そういうきっかけをくれたのが桃鉄だったので、
すごくありがたいなって思っています。
自責のパターンと「ノンちゃん雲に乗る」からの考察
なのにだんだんこの桃鉄のキャンペーンに当たったこの写真のポストをすることに、
罪悪感が芽生えてきているんです。
これが得意の自責のパターンだと思います。
当選したこと自体を責めているんです。
ものすごくブルーな気持ちになっていて、
届くたんびに胸のあたりがグーッと締め付けられるような感覚になっています。
なぜかっていうのを説明すると、
私なんかが当選するなんておこがましいとか、贅沢だとか、許されないことだとか、
あと、これを良かれと思ってポストする行為自体が見る人によっては嫌なんじゃないかとか、
しつこいと思われているのではないかとか、自慢に取られてしまうんじゃないか、
なんていうことで自分をどんどん責めていくんです。
最初に当選してありがたいと思って、
この責めてものお礼にポストしようっていう気持ちと、
当たったこと自体は罪であるっていうこの気持ちが矛盾しているんですけど、共存している状態です。
これがすごい苦しいんですよ。
しかし、そんな私のポストに対して、
嬉しいことを返してくださるフォロワーさんがいらっしゃって、
いくつか実際にいただいた言葉を挙げていくと、
いろんな県の特産品が何なのか色々見れて楽しみって言ってくださる人や、
写真が美味しそうでいつも楽しみにしてるって言ってくださるフォロワーさんや、
当たってくれてありがとうってまで言ってくださる方も、これ昨日いらっしゃいました。
これとっても嬉しいです。
しかもほっとします。
自分は自分で責めているので、
良かったそういうんじゃない人もいるんだって、
前向きに捉えてくれている人もいるっていうふうに安心するんです。
しかし、これを自分自身が認めていないので、
やけに死に水というか、ちょっとするとまた同じように戻ってしまって、
私なんかが統制してしまったっていうふうに自責が始まるわけです。
これがですね、自責プロフェッショナルの状況ということで、
なかなか自責プロフェッショナルでない人にとっては、
何それって思うかもしれません。
この自発的な自責が起こるとき、
自分で自分を責めることが起こるときに、
いつも思い出す本があります。
のんちゃん雲に乗るという本です。
これは以前もアスチャンネルで紹介していて、
エセラジが始まったのでっていう回で感想を朗読しています。
感想はノートに書いたものを朗読しました。
ノートのタイトルは、のんちゃん雲に乗るを読んで、
惨めでいいやと思うっていうタイトルのノートなんですけれど、
なんと私200記事以上書いている中で、
この記事がトップのページビュー数になっていて、
一番読まれているんです。
多分なんですけど、学校の課題図書とかになっているのかなと思います。
感想文を書くにあたって検索してヒットしているとか、
なのかなって思うんです。
この本は1947年に書かれている本で、
書いたのは熊野プーさんの翻訳で有名な石井孟子さんという方です。
かなり古い本なので、世代渡って読み継がれていると思います。
私はこれ小学生の時に買ってもらって、
この時に読んだ印象と大人になってから読んだ印象が全然変わりました。
そのことをこのノートの記事で書いたわけなんですけれども、
どういう概要かというと、
優等生の女の子が、小学校1年生の女の子が泣きながら木に登っていて、
池に落ちて生死をさまよう話です。
池に落ちる直前に池に反射していた雲が気持ちよさそうだなって想像をしていたのってだからなのか、
落ちた直後意識を失うと雲の向こうにおじいさんが乗っていて、
雲の上に引き上げてくれるんです。
そして優しく泣いていた理由なんかを聞いてくれるんです。
泣いていたのは、お母さんとお兄ちゃんが自分に嘘をついて黙って2人だけで東京に遊びに行ってしまったからだ、
というふうに話すんです。
その他にもいろんな家族のこととか、
このノンちゃんって女の子の自身の話とかをたくさん聞いてくれて慰めてくれるんですけれども、
帰りたいっていうふうにノンちゃんが言ったときにこのおじいさんが、
じゃあ帰るには試験が必要だから嘘をつく試験をしてみようって言うんです。
ノンちゃんはとっても優等生なので嘘なんかつけないっていうふうに頑張って最後まで嘘がつけないんです。
で帰れないってなっちゃうんですけども、
どうしてそんなに嘘がつけないのかっていうおじいさんの問いに対して
誰かが言っちゃいけないのかって言ってるのか先生に言われたのかお父さんに言われたのか
はたまたお母さんに言われたのかって聞いて
ノンちゃんは誰も言いやしない自分が嫌なんだっていうことを認めます。
そうするとおじいさんが家に帰してくれるっていうそういう話なんです。
この自分が嫌なんだっていうふうに自分が決めている自発的な考えの癖っていうのに
ノンちゃんは自分で気がついた。ここが話の主題だと思います。
嘘がつけないのは優等生でやらなければいけないっていうふうに自分で決めているからなんだと思います。
さて私の話になるんですけど、私は自発的に自分で自分の存在を責め続けています。
なんでなのかっていうのを掘っていくと、人から拒絶されることが怖いから
自己防衛的に先回りして自分を責めているっていう仕組みなんです。
ノンちゃんの場合を考えてみますと、
ノンちゃんは小さい頃からセキリという当時は怖い病気だった病気を患っていて
周りの大人たちもお兄ちゃんもみんな心配をして大切に育てられた子供だったんです。
それもあってか大人しくて良い子であらなければいけないっていうことを自分で決めたのだと思います。
優等生であることで愛されようとしたっていうことです。
上がいくつしか他者評価とかお母さんからの承認要求を得たいっていうことに利用することになってしまって
不誠実っていうことを許せなくなっていったんじゃないかなと思います。
不誠実っていうのが嘘をつくことなんですけれども、
おじいさんにいろいろ自分のことを話すときに
友達がこんな嘘をついたとか、お兄ちゃんはこんなに嘘をつくとかっていうことをお話しするんです。
それに引き換え自分はこんなに良い子なんですよっていうことをおじいさんに言うんですけど
おじいさんはそれをちっとも褒めてくれないんです。
むしろ良くないことだなっていうふうに話すんです。
ノンちゃんはその時は全然わかんないんだけれども
人が不誠実なのが嫌なのは
自分が自分自身に嘘をつくことを禁じているからだっていうことに気がついたから
おじいさんは家に返してくれるっていう流れなんだと思います。
私の場合のこの自分を自分で責めることによって
自責が強い人の心理:理想、嫌悪感、先回り、万能感
何が守っているかっていうと
傷つくことから逃れようとしているのだと思います。
ここでじゃあノンちゃん雲に乗るに見る
自責が強い人の心理っていうのを分解してみていこうと思います。
いくつかポイントがあると思ってまとめてみました。
なぜこんなに自分を責めるかっていうこと。
一番目としては正しくて有能で人に迷惑をかけない人間であるべきだっていう
高い理想があります。
自分がちょっとでも失敗してしまったり
何か人に不快な思いをさせてしまったりしたときに
しょうがなかったなっていうふうに自分を受け流すことができないです。
自分で自分をとことんさばいていくところがあります。
次にずるさや弱さへの嫌悪感があります。
人のせいにしたりとか
サボって楽をしたりすることをものすごく嫌悪するんです。
そういったずるさや弱さを認めるぐらいだったら
自分が悪いっていうことにした方が楽だっていう考えがあります。
潔癖な感じが強いと思います。
精神的な潔癖感みたいな感じです。
次、先回りして自分を責める感覚。
自己防衛ってさっき言ったことになるんですけど
私はこれがものすごくあるかなって思っていて
雲の上にいたおじいさんみたいに
他人から自分の汚い部分とか落ち度を
見透かされてるとか攻撃されるっていうことを
過剰に恐れるっていうことがあると思います。
他人に責められるのは
とにかくプライドがズタズタになるほどつらい苦しいって感じるので
他人に責められる前に
自分で自分を徹底的に責めておくことをすることによって
自分で自分を罰している最中は
人からの追求を一時的に逃れることができます。
あるいはかわいそうな被害者側でいるっていうことが
できるんだと思います。
最後に万能感の裏返し。
これは自分がもっとうまくやっていることで
この状況を防げたんじゃないか。
防げたはずだっていう風な心理です。
自分の力ではどうにもならなかったっていう風に
自分の無力さを認めるのが怖いので
自分が悪かったことにしたいっていう感じです。
こういう風に自分を責める
自責の気持ちの裏側には
案外自分のエゴが強く出てるっていうことがあるんだと思います。
そしてその責めること自体は
行き過ぎると何にも生まなくって
ただただ苦しいだけっていうのも分かっているんです。
私の場合は自分を責めることで
人から責められることの怖さを
徹底的に排除しているっていうところがあるんだと思います。
のんちゃんは自分が嘘を嫌いだからだ。
自分自身が嘘をつくのが嫌だからだっていうことを
自分で認めたことによって
自分の弱さとかエゴを受け入れて
おじいさんから救われました。
私の場合は多分
自分が万能じゃないこととか
本当はずるくて弱いところもあるっていうことを
自分で許すことによって
救われるんだと思います。
さっきの猛説の話に戻るんですけれども
当選してしまったことが怖いとか
責めてしまうことの裏側に
何があるかっていうのを見ていくと
今良い思いをしたら後で罰があるんじゃないか
とか因果応報っていうのがあるんじゃないかっていう風に
強い思い込みがあると思います。
おてんと様が見てるみたいな
昔の日本道徳みたいなのが
私結構強いと思うんです。
だからあんまりずるができないし
嘘もつけないし
苦手な方なんじゃないかなって思います。
それからずるい人になりたくないっていう気持ちがあります。
努力せずにもらった幸運っていうのは
人の分を横取りしたみたいなずるい感じがあるからです。
それからおじいさんみたいな
おじいさんの視点みたいなのが怖いっていうことですね。
世間の視点って言ってもいいのかもしれないんですけど
周りの視線を過剰に気にしていて
先回りして自分を低く見積もることで
身を守っているっていう感じです。
こうやって並べてみると
やっぱり自分を守るために自分を責めている
っていうことがよくわかるなって思います。
こんな風に自分の心の動きの仕組みを知ることって
すごく楽しいんです。
本を読んだり人の話を聞いたりして
なるほどって納得するのって面白いですよね。
だけど実はこの頭で理解することと
心で納得して実践することって全然違うと思うんですよ。
実践することっていうのは
自発的に実績するんじゃなくて
自発的に自分を許そうと心がけることなんですけど
これはなかなか簡単にはできないことだと思います。
自己受容への道のりと「ノンちゃん雲に乗る」の教訓
心がける必要があるし
そもそも自発的に自分を責めてるなって
気づくこと自体が難しいことだと思うんです。
だからこの6歳ののんちゃんが
あの場所で自分が嫌なんだって気づけたっていうのは
本当にすごいことなんだと思います。
こんな風に仕組みを知ったり理解を深めるっていうのは
自分の自己分析の初期には
すごく有効なことなんだろうなって思うんだけれども
いつまでもそれをしてても
頭でっかちになるばっかりで
いつかは自分を受け入れるっていうことを
する必要があるなって思っています。
で、そのためにはまず
自分がなんでこう胸がグーってなってんのかっていうことに
注目する必要があるんだけれども
なんか私の場合はそれを注目して
感情を感じた時にまた自責が始まるので
二重禁止令みたいな
感情禁止令をまず解いて
その後に自責を解くっていうのをしないといけなくて
なかなか難しいなっていうふうに自覚しています。
のんちゃん雲に呪い呼んで
惨めでいいやと思うっていうノートを書いたのは
2年前のことです。
で、そのノートを書いた時の時点で
自分ではわかっていたことがあって
それが自分がこう
亡くなってしまうような感覚があるから
傷ついてはならないっていう考え方がありました。
でも傷ついたら自分がこの場から消えてしまうんじゃないか
みたいな感覚があったんです。
なので傷ついてはならない。
傷つく前に自分を責めるっていう心理が働いていたんですが
そもそも傷ついても自分は亡くなることはない。
ここにいていいんだっていうことを
自分で納得していくっていう体験を
何回も何回も重ねなきゃいけないんだろうなって思っていて
それをコツコツやっているんですけれども
記事を書いたのが2年前だって言った通り
簡単にできることじゃないよっていうのが
この年数に現れているなっていうふうに思います。
そんなに人から責められるのが怖いっていうのは
もう散々責められてきた経験があって
もうこれ以上責められたくない
それによって見捨てられるのも怖い
安全な場所にいたいっていう気持ちがあるんだと思うんですけれども
そもそも自分が悪いっていうことにしなくても
ここにいていいっていうふうに思えるように
自分でコツコツそういう体験を
重ねていくしかないんだろうなって思っているんですけど
これがですね、こういうふうに
二路整然と言っているようでいて
めちゃくちゃ怖いんです。
多分わかってくれる人もいらっしゃるんじゃないかなって思うんですけど
なかなか表現できない恐怖感があります。
だからこそ
実績プロフェッションになっちゃうぐらい
自己防衛が完璧なんですよね。
この感情を感じることが禁止されているっていうのも
すごいなと思っていて
徹底的にちょっとでも感じると
全否定されるっていうふうな感覚があって
危険だみたいな感覚があるんですよ。
だから普段は封印しているけれど
でも実際あるから
封印しているだけでないわけじゃないから
だからこれが湧いてきそうになると
一生懸命自分を責めて封印するんだろうな
っていうふうに思っています。
面白いですね。
面白いですねっていうか
面白いなって思うんですよね。
こうやって楽しんでいないで
受け入れていかなきゃいけないんですけどね。
映画「ノンちゃん雲に乗る」の紹介と感想
最後にちょっと余談を話しておきたいんですけれども
こののんちゃん雲に乗るっていう映画が
1955年に作られているんですけど
これが某動画サイトで今公開されていて
7ヶ月くらい前に公開されているのを発見して
とっても素晴らしい映画なので
ぜひ見てみてほしいなと思って触れておきます。
主演ののんちゃん役が
ワニイブチハルコさんっていう方で
当時10歳だったようです。
今81歳でご存命です。
ものすごい子供なのに
可愛いというよりは美人っていう
出立ちの方で
スタイルがすごい良くて
立ち姿がとっても美しいです。
歩き方なんかを見て
バレエやってたんじゃないかなっていうぐらい
スラッと足が伸びていて
姿勢が良かったら
最後のシーンでバレエを踊りだしたので
やっぱりって思いました。
ミキピディアを見ると
天才ヴァイオリニストとして有名だった
子役だったようで
お父様がヴァイオリニストだったそうです。
お母さんは
ハプスブルグ家の末裔の一人の
オーストラリア人だったということで
すごいと思って
着てる服が
すごい可愛いです。
その当時
1950年代とか60年代の服って
きちっと仕立てられて
ますよね。
一着一着手縫いなのかな。
服の線がすごい
体のラインにぴったり沿ってて
腕と身頃がスラッと決まっていて
襟がちゃんとあるワンピース。
男の子も
襟がちゃんとある服装を着て
岩崎千尋さんっていう画家さんが
描く子供のお洋服に
すごく似ているというか
時代が同じだと思うんです。
ちょうど1950年ぐらいに
描かれてたと思うので
その頃のお洋服って
すごいいいなって思って
それを見てるだけでも楽しかったです。
最後のシーンで
やっぱりバイオリニスト
ということで
ショパンの別れの曲を
小野野ちゃん役の和倫淵さんが
演奏するシーンがあったんですけど
そこもとっても素敵でした。
へーと思って
熱心に見てしまいました。
お父さん役の方の
お話するイントネーションが
ジブリのお父さん役風だったんですよ。
何て言うんでしょう。
独特な
鉛とも違う
棒読みみたいな感じの
話し方をされていて
良かったし
わざと独特とした
雰囲気でジブリは
演じられてるのかな
と思ったんですけど
こうやって映画でも
当時の
お父さん像っていうのが
描かれているとすると
このイントネーションって
当時としては正しい日本語の
話し方だったのかな
っていう風に思いました。
あんまりこの
1950年代の映画っていうのを
見たことがなかったので
へーと思って面白いなと思って
見ていました。
こうするシーンで
お父さんとかが寝てたりする
シーンがあったりして
本当にって思ったんですが
当時って
そういう絵本に出てきそうな風景が
本当にあったんだ
っていう風になのか
わかんないですけど
感じました。
本の方が1947年に
書かれてて
映画の方が
1955年に
発表されているんですけれども
実際その本の
戦前のことを
描かれているので
戦前の日本っていうのは
そういう風に豊かで
のんびりしたような
雰囲気だったのかもしれません。
途中に出てくる車なんかが
かなりレトロというか
当時の車のデザインだったり
子供たちは洋服着てるけど
両親はみんな和服だったりして
お家の中の家具なんかも
すごく
お金がかかってそうな
今だったらヴィンテージになるんだろうな
っていうものが
いくつか見えて
すごい素敵だなっていう風に
そういったところにも
目が行くような映画でした。
すごく面白いので
ぜひ皆さん見てみてください。
まとまったかな。
自責との向き合い方とリスナーへのメッセージ
まとまったかわかんないですけど
とにかく
自責プロフェッショナル
多分国内ナンバーワン
自責プロみたいな
自意識があって
半分私はそれを
面白がってるんですけれども
実際本当に苦しいから
早く出したいなって思っていて
ただこういうのが自分だよな
っていう風にも
認めてる部分があるから
ちょっとこうやって話してみました。
話してみることによって
ループするところから
抜けれるっていうことも
わかってたから
自分のために話した
っていうところが
一番大きいんですけど
誰かの何かのヒントになったりしたら
嬉しいなと思って
お話ししてみました。
今日もここまで聞いてくださって
ありがとうございます。
本当に最後まで
聞いてくださる方が多くて
アナリティクスっていうところで
見れるんですけど
最後まで聞いてくれてる人が
多いのが
すごく感動しています。
いつもありがとうございます。
一人で広告に向かって
喋ってると実感が全然なかったので
こないだ
ポッドキャスト再開して
よかったなってポストしたら
何人かの方が聞いてるよ
っていう風に
答えを返してくださったのも
とっても嬉しかったです。
もしXを押していらっしゃらない方でも
聞いてる方がいらっしゃったら
いいねとか押してもらえると
すごく嬉しいです。
いいねじゃなくて
星を5つ付けてくださると
嬉しいです。
聞いてる人いるんだっていうのが
さらに
アナリティクスで見ながらも
形で見れると
嬉しいなって思っています。
もしよかったらぜひよろしくお願いします。
じゃあ今日も聞いてくださって
ありがとうございました。
じゃあまた。
35:47

コメント

スクロール