ところで、自責のプロフェッショナルとしてどんなに自分を責めてるかっていうことを、 こんなことでも責めてるよっていう実例を挙げてみたいと思います。
私、昨年末に桃太郎伝説っていうゲームをスイッチのゲームを買いました。
これは子供の頃から好きだったゲームで、 桃鉄って呼ばれるものなんですけれども、
これが最近2000万本を突破したそうで、 記念にキャンペーンをやっていたんです。
どんなキャンペーンかっていうと、桃鉄を遊んだ感想をXでポストすると、
J.J.タウンさんが販売している全国の特産品47都道府県分が送られてくるっていうキャンペーンでした。
これを一緒に桃鉄で遊んだことのあるフォロワーさんがポストされてたので、
面白いねって言って私も同じように感想ポストをしてみました。
そしたらなんとそれが当選してしまいまして、
8月から半年間にわたって47都道府県の特産品が送られてくることになりました。
これ計算してみたら、3日に1回何か届くんです。
大変なことになってしまったなと思って、 宅配屋さんに悪いなと思ったんですよ。
配送する方が3日に1回来なきゃいけないなんて。
置き配指定ができなくて、全部受け取らなきゃいけないんですよ。
なので、週に1回に指定を変更して、その日にできるだけまとめて受け取るように変更しました。
それからせめて物をお礼にというか、ものすごい莫大な額だと思うんですよ、キャンペーンとはいえ。
その恩返しに送られてきたものを実際に食べて、感想をポストしようと思ってやっています。
それは食べ物の写真を撮る練習にもなるなって思っていたり、
普段しない料理のきっかけにもなったりして、すごくいいなって思っています。
例えば、人参ジュースがたくさんいただいたんですが、
これは炊飯器でご飯と炊くと人参ピュラフになるっていうレシピを見てやってみたら、とっても美味しかったです。
それから桃が届いたら食べきれないなっていう時は、
たまたまその時、友人からナッツのハチミツ漬けっていうのをいただいてて、
それも普段どういう風に食べたらいいかわからないなって思っていて、
ふと気づいて、この桃にヨーグルトをかけて、ナッツのハチミツ漬けもかけたらどうかってやってみたら、
これがべらごうに美味しくて、パフェで売ってるスイーツじゃんっていう感じで、かなり消費しました。
とっても美味しかったです。
普段こんなのわざわざ桃買ってきて、ヨーグルト買ってきて、ナッツのハチミツ漬け買ってきてなんて、
普段やらないからいい機会だったなって思ったり、
あとお漬物がたくさんいただいたんですが、それも普段あんまり漬物をわざわざ買わないのでどうしたことかと思っていたら、
フォロワーさんが刻んでチャーハンとかおにぎりにしたりするのもいいよって教えてくださって、
やってみたらとっても美味しかったです。
例えば生姜のお漬物だったんですが、丸ごと大きな生姜があったのをできるだけ細かく刻んで、
卵とおネギと炒めてみたら、素晴らしく美味しいチャーハンになりました。
そういう普段しない味の料理を挑戦してみるっていうことを、
毎日自炊してるとやらなくなっていたので、いい機会だったなっていうふうに思っています。
そもそも私この桃太郎電鉄すごく好きで、
一人で数十時間、100時間以上やってると思うんですけど、
そもそもこの桃鉄って何かっていうと、
全国の実際にある駅、電車の駅をサイコロを振って回っていくゲームなんですけども、
その駅に実際にあるお店なんかが紹介されてる雑誌を買いまして、
そこに載っているお店に直接行ってみようかなっていう桃鉄旅を計画したりしていました。
その後すぐ給食してしまって、実現できないままになっていました。
給食してしまったゆえにいつもよりも収入が減っていたので、
食費も抑えなきゃいけないななんて思っていたんです。
そうしたところにこの物産品が届くっていうキャンペーンに当たったことは、
願ったり叶ったりで出かけなくても特産品が自分の家に届くっていうことと、
それによってお米とかお肉とか届くのでだいぶ食費が抑えられるっていうことで、
自分はこの桃鉄にすごく助けられてるなって思ったんです。
ゲームを買ってからオンラインで人と遊んだりすることもできて、
それまでできなかった人との交流っていうのも最初はものすごく緊張したんですけど、
だんだん慣れてくると楽しくて、そういうきっかけをくれたのが桃鉄だったので、
すごくありがたいなって思っています。
なのにだんだんこの桃鉄のキャンペーンに当たったこの写真のポストをすることに、
罪悪感が芽生えてきているんです。
これが得意の自責のパターンだと思います。
当選したこと自体を責めているんです。
ものすごくブルーな気持ちになっていて、
届くたんびに胸のあたりがグーッと締め付けられるような感覚になっています。
なぜかっていうのを説明すると、
私なんかが当選するなんておこがましいとか、贅沢だとか、許されないことだとか、
あと、これを良かれと思ってポストする行為自体が見る人によっては嫌なんじゃないかとか、
しつこいと思われているのではないかとか、自慢に取られてしまうんじゃないか、
なんていうことで自分をどんどん責めていくんです。
最初に当選してありがたいと思って、
この責めてものお礼にポストしようっていう気持ちと、
当たったこと自体は罪であるっていうこの気持ちが矛盾しているんですけど、共存している状態です。
これがすごい苦しいんですよ。
しかし、そんな私のポストに対して、
嬉しいことを返してくださるフォロワーさんがいらっしゃって、
いくつか実際にいただいた言葉を挙げていくと、
いろんな県の特産品が何なのか色々見れて楽しみって言ってくださる人や、
写真が美味しそうでいつも楽しみにしてるって言ってくださるフォロワーさんや、
当たってくれてありがとうってまで言ってくださる方も、これ昨日いらっしゃいました。
これとっても嬉しいです。
しかもほっとします。
自分は自分で責めているので、
良かったそういうんじゃない人もいるんだって、
前向きに捉えてくれている人もいるっていうふうに安心するんです。
しかし、これを自分自身が認めていないので、
やけに死に水というか、ちょっとするとまた同じように戻ってしまって、
私なんかが統制してしまったっていうふうに自責が始まるわけです。
これがですね、自責プロフェッショナルの状況ということで、
なかなか自責プロフェッショナルでない人にとっては、
何それって思うかもしれません。
この自発的な自責が起こるとき、
自分で自分を責めることが起こるときに、
いつも思い出す本があります。
のんちゃん雲に乗るという本です。
これは以前もアスチャンネルで紹介していて、
エセラジが始まったのでっていう回で感想を朗読しています。
感想はノートに書いたものを朗読しました。
ノートのタイトルは、のんちゃん雲に乗るを読んで、
惨めでいいやと思うっていうタイトルのノートなんですけれど、
なんと私200記事以上書いている中で、
この記事がトップのページビュー数になっていて、
一番読まれているんです。
多分なんですけど、学校の課題図書とかになっているのかなと思います。
感想文を書くにあたって検索してヒットしているとか、
なのかなって思うんです。
この本は1947年に書かれている本で、
書いたのは熊野プーさんの翻訳で有名な石井孟子さんという方です。
かなり古い本なので、世代渡って読み継がれていると思います。
私はこれ小学生の時に買ってもらって、
この時に読んだ印象と大人になってから読んだ印象が全然変わりました。
そのことをこのノートの記事で書いたわけなんですけれども、
どういう概要かというと、
優等生の女の子が、小学校1年生の女の子が泣きながら木に登っていて、
池に落ちて生死をさまよう話です。
池に落ちる直前に池に反射していた雲が気持ちよさそうだなって想像をしていたのってだからなのか、
落ちた直後意識を失うと雲の向こうにおじいさんが乗っていて、
雲の上に引き上げてくれるんです。
そして優しく泣いていた理由なんかを聞いてくれるんです。
泣いていたのは、お母さんとお兄ちゃんが自分に嘘をついて黙って2人だけで東京に遊びに行ってしまったからだ、
というふうに話すんです。
その他にもいろんな家族のこととか、
このノンちゃんって女の子の自身の話とかをたくさん聞いてくれて慰めてくれるんですけれども、
帰りたいっていうふうにノンちゃんが言ったときにこのおじいさんが、
じゃあ帰るには試験が必要だから嘘をつく試験をしてみようって言うんです。
ノンちゃんはとっても優等生なので嘘なんかつけないっていうふうに頑張って最後まで嘘がつけないんです。
で帰れないってなっちゃうんですけども、
どうしてそんなに嘘がつけないのかっていうおじいさんの問いに対して
誰かが言っちゃいけないのかって言ってるのか先生に言われたのかお父さんに言われたのか
はたまたお母さんに言われたのかって聞いて
ノンちゃんは誰も言いやしない自分が嫌なんだっていうことを認めます。
そうするとおじいさんが家に帰してくれるっていうそういう話なんです。
この自分が嫌なんだっていうふうに自分が決めている自発的な考えの癖っていうのに
ノンちゃんは自分で気がついた。ここが話の主題だと思います。
嘘がつけないのは優等生でやらなければいけないっていうふうに自分で決めているからなんだと思います。
さて私の話になるんですけど、私は自発的に自分で自分の存在を責め続けています。
なんでなのかっていうのを掘っていくと、人から拒絶されることが怖いから
自己防衛的に先回りして自分を責めているっていう仕組みなんです。
ノンちゃんの場合を考えてみますと、
ノンちゃんは小さい頃からセキリという当時は怖い病気だった病気を患っていて
周りの大人たちもお兄ちゃんもみんな心配をして大切に育てられた子供だったんです。
それもあってか大人しくて良い子であらなければいけないっていうことを自分で決めたのだと思います。
優等生であることで愛されようとしたっていうことです。
上がいくつしか他者評価とかお母さんからの承認要求を得たいっていうことに利用することになってしまって
不誠実っていうことを許せなくなっていったんじゃないかなと思います。
不誠実っていうのが嘘をつくことなんですけれども、
おじいさんにいろいろ自分のことを話すときに
友達がこんな嘘をついたとか、お兄ちゃんはこんなに嘘をつくとかっていうことをお話しするんです。
それに引き換え自分はこんなに良い子なんですよっていうことをおじいさんに言うんですけど
おじいさんはそれをちっとも褒めてくれないんです。
むしろ良くないことだなっていうふうに話すんです。
ノンちゃんはその時は全然わかんないんだけれども
人が不誠実なのが嫌なのは
自分が自分自身に嘘をつくことを禁じているからだっていうことに気がついたから
おじいさんは家に返してくれるっていう流れなんだと思います。
私の場合のこの自分を自分で責めることによって