アスチャンネルのアスです。 今日は、不穏言いながら、ちいかわの話をします。
ちいかわ?ちいかわ? イントネーションがわからないんですけど。
ちいかわにしますね。 ちいかわの話と、
あと、休職することになった前日のことっていうのを話したいと思います。
私は、今、仕事を休職して半年ほどになります。
ちゃんとその経緯は話していなかったですが、きっかけは、職場で仕事中に、
唐突に暴言を吐かれたっていうことでした。 それで、
びっくりしてしまって、その日は、
仕事終わりに間近な時間だったので、そのまま帰るんですけど、
その翌日、定休日だったので、
人と会っていて、そこでこんなことがあったっていうことを、その人にお話ししました。
いろいろ聞いてくださって、言い返せばよかったのにとか、
パンハラで訴えたら勝てるレベルだとかっていう話もされて、
私もしみじみそう思ったんですけれど、 それまでも直接的な暴言とかはなかったんですけど、
ひどい対応とかは、その人に限らず職場ではしばしば会っていて、
私はもう20年以上そういうことに耐えていたというか、しょうがないのかなと思ってやり返さずにいたんです。
どうしてかっていうと、どうしてもそうするときの、その人のプレッシャーとか状況を想像してしまうからなんです。
5年前ぐらいに、激しく部長に厚当たりされていた時がありまして、
その時、部長の上の常務が厳しく当たった後に、連鎖的に私に厚当たりが来るっていうのを、仕組みを分かっていました。
それで、直接常務に、部長に厳しくされると、その後私にしわ寄せが来て、
業務が滞るので、少し控えていただけませんか?っていうお願いをしたことがあります。
すごく非効率だと思ったからなんです。そうすることによって、私がいる現場に直接来て騒いだりするので、
その時間がもったいないし、それで怯える部下たちも萎縮して、
業務が滞るし、覇気も下がるし、自分も仕事がストップされちゃったりするので、あんまり良くないなと思って、
そういうふうにお願いをしたんですが、常務に言われたのは、俺は彼の将来のために厳しくしていて、彼もそれを望んでいるんだということを言われたんです。
だから、喰らいついているんだと、部長も必死に喰らいついて、俺に答えようとしているんだということを話されまして、
こういうふうにすることが、僕らの生きる道だから、働くこととして必要なことだから、しょうがないんだよっていうふうに言われたんです。
私はそうする結果、こっちの仕事が滞るのはすごく非効率だと思うし、
経営人ともあろう人たちが、崇高な人たちが、こんなまどろっこしいというか遠回りというか、非効率な方法で働くんだということがすごくびっくりすると同時に、
そうせざるを得ない何かあるんだなというふうに考えたわけです。
それは後々いろいろ本を読んだり、人の話を聞いたりして、だんだん理解をしてきたんですけど、
男性同士の中に、私にはわからない上下関係とか、それにしがみついてないと生き恥だみたいな強い観念が存在して、
みんなそれに必死に食らいついて生きている、仕事をしているっていう面があるのかなって思いました。
それは自分の職場に限らなくて、社会的にそういう風潮があるんだろうなって感じたんですが、
私が働く職場は特にそれが強いのかもしれないです。
トップからの指示が絶対だっていうような感じは確かにあって、
どんなに夜中だろうと早朝だろうと声がかかったらいかなきゃいけないし、
休日なんてあってないようなものでっていうような働き方をみんなしていて、
そこに自分は浮いていたような感じがありました。
そんなやり方しなくてもっていうふうに思ってしまって、
なんとなくチューブラリンでその場にいたような感覚で働いていたので不思議に感じたんです。
非効率だなっていうふうに。
けれどそれを私が変えるっていうことは難しいし、
それをするどころじゃなく現場が忙しかったので、
何にもできずにそのまま働いていたんでした。
そういうふうにストレスを人に当てるしかないっていう会社の構造上仕方がないような行動で、
どうしても人は人にストレスをぶつけるんだなっていうふうに思ってしまうと、
その人を責めてもしょうがないなっていうふうに思ってしまうんです。
私が求職するきっかけになった方言を吐いた方も、
管理職になるまではすごく優しい人であったことを見ていましたし、
管理職になった後もすごく弱音を私に吐いてきてくれたりっていうことがあって、
自分も管理職経験があったので分かるなって思って聞いていました。
そういうのもあったから、話を聞いてくださった方が、
こういうふうに言い返せばいいよっていういくつかパターンを教えてくれたのを、
家に帰ってから練習してみたりとかしたんですけど、
全然それを現実に言ってみようとか言えるかなっていう気が全くしませんでした。
それで翌日、病院に行きまして、
こういうことがあって眠れないので睡眠導入剤が欲しいですっていう相談をしました。
実はその4年ほど前に部長からの強いバーハラを受けていた時も、
この病院には初めてかかりまして、
そういうことがあるから眠れないから、
睡眠導入剤だけ欲しいっていうような話をしたんですけど、
その時すでに相当ひどい状態にあるから休んだらっていうふうに医師に言われたんですが、
休んでられないです。これぐらいで休むつもりはないです。
仕事に支障があるのも困るので、
本当に弱い睡眠に導入できるだけでいいから、
寝つきが良くなる薬だけもらえればそれでいいんですって言って、
医師の休んだらっていう提案を断って、
そのまま4年ほど睡眠導入剤が足りなくなったら行くみたいな感じで、
半年に1回とかかよっていた病院だったんですけども、
そこに駆け込んで、こんなことがあって、
つらいのでまた薬くださいっていうふうに相談したら、
休んだらいいんじゃないですか、診断書書きますよっていうふうにすぐにおっしゃっていただいて、
こんなことぐらいで休んでいいんでしょうかって私は返したんです。
なんなら暴言が吐かれたっていうのは、
自分の気のせいで空耳だったんじゃないかみたいにまで思ってしまって、
もしかしたら勘違いかもしれないのに、こんなことぐらいで休んでいいんでしょうかっていうことも言いました。
そしたら先生が、あなた次第です、どうしたいですかっていうふうに担当直入に言われて、
私はそこで休みたいですって一言言いました。
それで給食するに至ったんですが、
正直その時、解放されたっていう気持ちと同時に負けたっていう気持ちがありました。
どんなにつらいことがあっても、その4年前のこととかその前からあった20年間のいろんなことがあっても、
何くそっていう感じでこんなことぐらいで働いてきたのに、
こんなたったさっさいなことで挫けるんだみたいな。
負けたっていう気持ちと、
前日いろいろ話を聞いてもらって、相談に乗ってもらって、
こういうふうに言い返したらいいよとか言ってくれた人がいたのに、
その人にも申し訳ないっていうふうに思ったんです。
自分はつくづく社会不適合な人間だなって思いました。
自分を守るべきときに自分に強くなれないというか、
自分の気持ちを守れないというか、弱いっていうふうに思ったんです。
で、ちい川の話なんですけど、
ちい川の映画を先日見に行ったんです。
そしたらそういうふうに自分は社会不適合だって思ってた気持ちが、
そんなことないわっていうふうにすごい肯定されたんです。
すごく意外でびっくりしてしまいました。
人に言い返したり相手を責めることをしなくても、
自分を守る方法があるんだなっていうふうに思わされたんです。
それから5日ほど経ったんですけど、
こんなにハマるかっていうぐらいハマっていて、
何度も映画の内容を思い返していまして、
それなので今日私、ちい川の話になるんですけど、
見に行ったきっかけなんですが、
私が大好きなポッドキャストの番組で、
ザ・ラジオっていうのがありまして、
ポッドキャスターのバジャさんっていう方が、
お話しされてる番組なんですけど、
バジャさんがすごく稀にXのスペースを開くタイミングがありまして、
私はできるだけそれを気づいたら行くようにしてるんですけども、
先日そのスペースの中でお話しさせていただいてた時に、
唐突にちい川の映画見に行って、
感想をノートに書いてくださいっていうふうにおっしゃってくださったんです。
ちい川の映画がすごく人気だっていうのは、
ニュースでよく見かけていたので、
私も気になっていて、
前々からちい川という存在ももちろん知っていたんですけど、
そこまで興味があるわけではなかったんですけど、
さすがにこんなに人気なんだっていうのを見せられていたら、
何がそんなに面白いんだろうっていう興味があったので、
ぜひ見に行こうって思いました。
すぐその後見に行ったんですが、
内容があまりにも、
ブラック企業のことを書いてるように重ねてしまって、
自分がそういうふうなことを普段日頃考えているからなのか、
この作品がもともとそういうところがあって、
書かれているからなのかわからないですが、
イラストが可愛くて本和化して、
そういう雰囲気で描かれているけれども、
節々にこういうことってあるよねって、
職場でのこととか社会としてのこととかを、
思い返すことがすごく多かったんですよ。
見ているうちにあるシーンで号泣してしまいまして、
本当にガン泣きしました。
ティッシュを一袋使い切るくらい泣いて、
なんでこの映画でこんなに泣いてるんだっていうふうに思ったんですが、
自分がすごく肯定されて涙が出たっていう感じです。
チーカはとある責めるべき対象の2人が、
問いただそうとしてそばに行った時に、
2人組が手をギュッと握り合うのを見て瞬中したんです。
で、手を握り合ってみて、
たぶんチーカは何かを想像したんだと思うんですね。
で、想像した結果問い詰めるのはやめようっていうことで、
キビスを返して立ち去るっていうところがあったんです。
その想像力っていうのが、
何にも言葉では語られないでいたんですけれど、
チーカが見ていない回想シーンで、
実はこんなことがありましたっていうのも、
言葉をなしに表現をされているんですけれども、
そのことも知らないチーカが何かを想像して、
もうこれ以上このことを起こるのはやめようっていうふうに
決断をするわけなんですけど、
そうすることによって、
逆に本当だったら責めることによって、
自分の気持ちがスカッとするだとか、
周りの人も助かる部分があるとか、
そういうことがあって人を責めると思うんですけど、
それをしなかったんです。
自分が楽になるっていうことよりも、
相手の自由を取ったのかなというふうに捉えたんですけど、
結果それはこれ以上ここに関係することをやめて、
境界線を引くっていう行為にも見えました。
私もどちらかというと、
何かしらと想像力を働かせすぎて、
考えすぎって言われることがすごく多いんです。
けれども、
想像せずに何か行動へ移したとき、
やられた相手もまた瞬発的に
行動へ移すっていうことがあると思うんです。
大声を出せる人っていうのは、
その場では強く見えるっていうふうに思います。
自分が働いてた職場は特にそういう場所だったなって
今思います。
だけどそれをやった後ずっとそれをやり合い続けることになる
っていうふうにも見えていました。
私はそれを非効率だなって感じていたんです。
有効的な方が円滑だと思っていたし、
ストレスも負担が減るし、
無駄なことが減るのに、
どうしてそういうふうになっちゃうのかなって
思ってみていて、
ただそれは人によっては難しかったり、
そうすることで威厳が保たれなくなってしまうから
絶対できないっていうふうに考えてる人も多いのかな
っていうふうに思いました。
ちょっと話がそれるかもしれないんですが、
地域化を見に行く前に、ちょっと前に
中年男性をすがれっていうタイトルのノートを書きました。
これも見る人によっては嫌なタイトルだと思うんです。
というのはすがるっていうことがあんまりできないというか
惨めというか、やれないって思ってる人って多いと思うんですよ。
男性はそういうもんだろって言われたら
そういうもんなのかなって思うんですけど、
極端にそういう部分があるのかなっていうふうに
感じることが多かったんです、働いている時なんですけど。
特に一番弱みが出せないって思ってる相手に
出したらいいのにって思っていました。
それは家族、あと同性の友達に話せたらいいんだろうな
なんていうふうにも思っていたんですけど、
そういうふうにすることで男女とかが関係なく
対等になれるんじゃないかなっていうふうに思っていたんです。
変な肩肘を張ることがなくなるからなんですけど、
そうすると能力が発揮しやすくなるし、
効率よく働けるんじゃんっていつも思っていました。
だから概念的に話してしまっているので
伝わらないかもしれないんですけど、
部長とか社長とか上部とかの話を聞いていると
こういうふうにした方が円滑じゃないですかって提案しても
それはできないとか、それをしたら格好がつかないとか
部下が言うことを聞かないんだとか
っていうふうに言われることが何回かあったので
変なのって思ったりしていたんですけど
そういうもんなんだなっていうふうにも理解はしていて
でもそうした方が効率いいのになっていうふうに
見ていたんですっていうことを言いたかったんですけど
女性もまた一人で立てるのに立てないふりをしたほうがいい
っていうふうにアドバイスしてくる先輩女性っていうのが
若い頃からたくさん周りにいました
おばとかそうなんですけど
できないふりをして男性を容赦する
的なことをするもんなんだよ、女は
みたいなふうに解いてくる人って多くいて
けど長くそれをしていた人が嫌になって
旦那様のことを悪く言うっていうのもよく見ていたんですね
ほとほと嫌になっちゃってとかっていうふうですね
だから弱いふりをしたり強いふりをしたりとかを
双方しなければいいのではっていうふうに思っていました
私はその両方を理解できなくていたから
馴染めないっていうふうに思っていて
社会に馴染めないな、生きづらいなって思っていたんですけど
お互いがその対等で何かに劣等感を刺激されない
関係でいられるんであれば
弱い立場の人とか言いやすい人がターゲットにされる
っていうことも減るんじゃないかなって思っていたんです
脱線してしまいましたが
次回の話に戻りますと
攻めるべき対象の2人が目の前にいたんだけれども
何か訳があるのかなっていうことに気がついて
友達にも何も打ち明けないで
その場を立ち去るっていう決断をしました
そして帰りの船の上で
帰ったら何食べよっかって話しかけられて
えっとって未来のことを考えて
目をキラキラさせているっていうところのシーンがあったんですが
強いなっていうふうに思ったんです
今まで自分を守るためには
言い返したりやり返したりとか
自分を主張するっていうことが必要で
それができないんだったら
弱いままでやられていくしかない
我慢するしかないっていうふうに
思っていたんですけれど
あえてその場から降りるっていう方法だって
あるんだなっていうふうに感じたんです
結果その映画の中では
チーカが何をしなくても
その後攻められるべき2人組は
どうやら罪を償うことになるっていうような
ワンシーンが描かれて終わるんですが
実際にその後どうなったかまでは
描かれていなかったけれど
多分そういうことなんだろうなっていうふうになっていて
チーカが何をしなくても
裁かれる人はいずれ裁かれるみたいな
終わり方をしていました
だけどそういうふうになるに至った
っていうのは
その人の行いから来る結果であって
私には関係ないっていうふうにも
捉えることができます
やり返したり言い返したりすると
まだその人と関係することになるんだけれども
あえて自分がその場ですっきりする方法っていうのを
取らずに
一歩線を引いて下がるっていうことをするだけで
境界線を引いて
関わらないっていう
選択肢を取るっていうことも
できるようなっていうふうに思ったんです