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みなさんこんにちは。ちょっと変わった造形教室あそびやさんをやっています。 ばばさくらです。
と言っても今ね、あそびやさんはリニューアル中ということで、4月からお休みになっているんですけれど、このリニューアルはあそびやさんのリニューアルではあるんですけども、
実際のところは私自身の大大大リニューアル中って感じになっています。 ということで今日は
近況報告を兼ねて、 最近私が思っていることをお話ししてみようかなと思います。
ということで、 えっとそうですね、なんであそびやさんをお休みにしようと思ったかっていうところから行きたいと思うんですけども、
簡単に言うと、やりたいテーマをやり尽くしたっていうことが大きいかなと思います。 もうネタギレ、もうやり切った
っていう感じで、さあこっから何やろう、同じことをまた繰り返していくのか、 新しいことをやっていくのか、
全然また違うことをするのか、
ちょっと立ち止まって考えようっていうところで1回お休みにしました。
あそびやさんはいろんなことをやってきましたけども、 基本的には毎回違うテーマを思ってやってきました。
中には、例えば、お申し込みが多くてできないお子さんがいたからもう1回やろっかとか、
あとリクエスト、もう1回あれやりたいとかいうリクエストがあったら、 スナ絵なんかもね、その一つで何回もやりましたけど、
そういうことで何回もやったテーマももちろんあるんですけども、 基本的には毎回違うものをって思ってやってきました。
余談になるんですけども、このあそびやさんでやってきたテーマの中の多くは、
私自身が小学生ぐらいの時に、子供だった時に、
家でやってもらって、もう本当に楽しかった工作、
記憶に残る楽しい時間だった工作っていうものが結構含まれているんですよね。
キャンドルに色をつけて作るやつとか、あと何だろう、
砂鉄もそうだし、絵を描くのもそうだったり切り紙だったり、
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色々ありますけども、自分がやってもらって楽しかったことっていうのがすごく入っているんです。
だから、スタートの時に思ってたのは、家でもできること?
そんな特別なことじゃなくて、家でもできることなんだけども、
でも実際に準備してそれを家でやろうと思うとちょっと大変で、
つい後回しにしてしまうような、そんな工作、
そういうものたちっていうのが私のイメージとしてあってスタートしているんですよね。
話が戻りますけれども、そういう工作たちがネタ切れになって、
どうしようかなって振り返った時に、
私がこの遊び屋さんでやりたかったことは何だったっけなーって振り返った時に、
ホームページにも最初から書いてましたけど、
自由な時間っていうのがあって、子どもたちにアートのものづくりの世界においては、
みんな完全に自由なんだよっていうことをずっと言いたかったし、
そういう自由をプレゼントしたかったっていうのはすごくあって、
で、これってみんなが欲しているもの、子どもたちがみんな欲しいものだと信じてたんですよね。
当たり前だろうなって思ってたんですよね。
だけど今回振り返る中で、あれ待てよと思って、
自分の小学生時代を振り返った時に、
私は結構習い事もいっぱいしてたし、忙しい小学生だったんですよね。
だから友達と自由に遊ぶ時間もあんまりなかったと思ってるし、
あと自分で何かを考える余白みたいなものもあんまりなかったんじゃないかなと思っていて、
そういう中でその工作の時間っていうのがものすごく自由で解き放たれる瞬間というか、
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自分らしくいられて誰にも何も言われずに集中できる時間みたいな、
没頭できる時間みたいなことだったので、
だからすごく大事だったし、
してもらって嬉しかったことだったから、
だから今この年になっても目の前にいる小学生とか子どもたちを見ると、
そういう自分の思い込み、小学生は自由じゃない、自由が欲しいじゃないかっていう、
自分のフィルターを通して子どもたちを見ている部分があるから、
だからそういうものをプレゼントしたいって思ってきたんだと思うんですよね。
そういうことをやってきた。
だけどよくと思ったのは、
それってみんなが欲しいもの、当たり前に欲しいものっていうよりは、
私の個人的な経験、小学生時代の経験から生まれた私の中の個人的な思い込みであって、
もちろん同じことを思っている子どもたちもいると思うけども、
でもあくまでもそれは私の経験から来ているものだっていうことに気づいたんですよね。
そう思って改めてその自分の中にあるフィルターを外して子どもたちを見たときに、
あ、あれ、子どもたちそもそも自由じゃないって、自由を持ってるよね、持ってるわって思ったんですよね。
そしたら気づいたのは、
あ、自由って与えたりもらったり、あげたりもらったりするものじゃなかったなって、
そんなこと知ってたはずだったのに、
あ、なんかすごく大事なこと忘れてたなっていうふうに思って思ったんですよね。
自分、その自由っていうのはその人の中にあるもの、私の自由は私の中にあるものってすごく思いました。
例えば、遊び屋さんをやるときに、私は子どもたちに自由でいてほしいから、
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遊び屋さんが来なくちゃいけない場所だったら嫌だから、
1回1回の申し込みにしてみたりとか、
あとは、今日は鉛筆でデッサンするよっていう日にお子さんが来て、
やっぱり違うことがいいって言ったときに、
うちに材料があるものであれば別に脱線して他のものを作ったって全然いいと思ったし、
そういう形的な自由っていうものを最初考えてスタートしたと思うんですけども、
だけど気づいたのは自由ってそういうものじゃなくて、
例えば今日はこの目の前にある1個のリンゴを鉛筆で書くよって形的にはすごい制限されていたとしても、
その子がこのリンゴをどう書いてもいいんだねって、
こんな風に書いてみようみたいに思えたならばその子は自由だし、
もし私がどんなことをやってもいいよって言ったとしても、
その子があれをやっちゃまずいかな、これをやっちゃまずいかなって思っていたら、
それは自由じゃないし、その自由っていうのは本当にその人の中にあるものなんだなって思いました。
だから例えばその、じゃあ今日は鉛筆でリンゴを書こうって言ったときに、
前の私だったら、来たお子さんがリンゴって言ったら、
これもあるよ、バナナもあるよ、コップもあるよ、どれ書いてもいいよ、みたいな対応をしてただろうし、
鉛筆が嫌だったら色鉛筆にするとか、そういうやり方をしてたと思うんですけども、
でも、本当はそこじゃない。
今の私だったら、リンゴって言われても、自分の中が自由だったら、
この一個のリンゴをね、こんな書き方もある、こんな書き方もある、こんな書き方もあるって、
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できるのかなって思って、
前の私だったら、このリンゴで嫌だったらどうしよう、みたいな感じで、
じゃああれも用意しとこう、これも用意しとこう、みたいにやってたけど、
でもそれはリンゴで楽しめないかもしれないっていう自分の中に枠があるから、そうなるわけであって、
もし私自身が本当にこの一個のリンゴでもこんなに自由なんだよっていうものが私の中にちゃんとあったならば、
子供が来た子が、え、リンゴって言っても、とりあえず全然どうじないっていうか、
うん、なんて言うんだろう、
自分が自由を知ってるから、ここでもこんなにいろんなことができるっていうのをちゃんとわかっていたら、
それを伝えられる、それが本当の自由を伝えるっていうことなのかなーって思いました。
ということで、なんか他にもいろいろ思ったことはあったんですけども、
今日はとりあえずここまでにします。
最後まで聞いてくださってありがとうございました。
バイバイ。