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みなさんこんにちは、あそびやさんのばばさくらです。
今日はですね、このところずっとずっとずっと答えが出ないな、答えがわかんないなって思っていることがあって、それについて話してみようかなって思います。
こうやって言葉にして話すことで、自分で気づくことがあったりとかするので、今日は言葉にしてみようかなって思うんですけども、
その答えがわからないと思っているのは、祈りについてです。
祈りって何だろう、祈りってどういうことなんだろう、祈るってどういうことなんだろうっていうことに関してです。
今、大事な友人が病気になってしまって、体調が悪くて大変なんですけども、
その彼女に対して、
彼女の病気が治りますように、治るといいな、元気になりますようにって、健康な状態に戻りますようにって、
祈り続けてきたけども、でもその祈りって何だったんだろうって、自分の中でちょっと思い始めていて、
なんかすごく当たり前に思ってきたけど、その中身を掘り下げてみると、本当にわからなくなっちゃって、祈りって何だろうっていうものが。
その時に、不登校に関することでもいろんな祈りっていうものが自分の中にあったなと思うんだけども、それがすごい重なってきて、
子供が不登校だった時の自分の祈りっていうものを振り返ってみると、
何だろう、例えば学校に行けなくなった時に、学校に行けますようにって祈る、その祈りって、子供が学校に復帰したいなって思っているとしたら、その祈りはありかもしれないけども、
ほとほと嫌になって、学校という世界が嫌になっちゃって、そういう世界は結構ですって子供が思っているとしたら、その気持ちを無視して、親である私が学校に行けますようにって祈るとしたら、
それってどういう祈りなんだろうって思って、今だったら、学校がとても居心地のいい空間になりますようにみんなの意識が変わって、
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全ての子供たち、先生たちが理解しあえて楽しい空間でありますように、みんなが学校に行きたくなるような場でありますように、
そして自分の子供も楽しく学校で過ごせますように、みんなが愛情でつながって気持ちよく過ごせますようにっていう祈りまで、今だったらするかもしれないけど、
だけど、あの頃は、いやー、学校休んだらお昼ご飯も作らなきゃならなくなっちゃうし、子供の状態が不安定だったら置いて仕事に行けないから仕事も休まなきゃならなくなっちゃうし、学校とも面談しなきゃならなくなっちゃうし、
そんなのもう大変だからお願い学校行ってみたいな、そういう祈りがあったと思うんですよね。
だとしたら、その祈りは、子供が幸せに過ごせるようにっていうところまでは全然到達してなくて、自分の生活に、私自身の生活に支障がありませんようにっていう祈り、
そういうレベルの祈りだったなって思うんですよね。
だから、その祈りは叶ったとしても、子供の幸せな毎日までは到達しない。子供が毎日幸せに過ごせるようにっていうところまでは願われてなくて、私の日常を守るっていうところまでが願い。
そう考えると、当時あまり深く考えてなかったっていうか、悪気も本当になかったんだけど、ひどい祈りだったなって思うんですよね。
そうすると、祈りってなんだろうってわかんなくなっちゃう。
こういうことが、極端に言うと、病気の友人に対して祈るときも、同じことが起こっているんじゃないかってわからなくなって、今答えを探しているっていうところなんですけども。
最初、その人が体調を崩していったときには、やっぱり同じように彼女の気持ちを深く聞いたりすることはできなくて、
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それで良くなりますようにって、学校に行けますようにじゃないけど、良くなりますようにってそれだけを思って、
その当時、私が良いと思っていたアファメーション、私の体は健康です、私の細胞は健康でピカピカですっていう宣言みたいなものを毎日私の中で繰り返したりして、
そういう言葉のエネルギーが現実になるって思って、そういうことを繰り返していた。
これって、不登校の時の祈りと同じことをやってたんじゃないかなって思って、
祈りって、こうなってほしいっていうことなのかな、私にとってこうなってほしいっていうこと、
それが必ずしも相手のこうなってほしいっていうのと一緒かどうかはわからなくて、私にとって学校に行った方がいいと思うから、
学校に行けますようにっていう祈りになるけども、でも本人が行きたくないって思ってたら、それは本人にとっては別にありがたくもなんともない祈りであって、
そういうことが例えば病気においても、病気なんてもちろん治りたいに決まってるし、健康な方がいいに決まっているんだけども、
でもそれでもやっぱり本人の思いっていうものを聞かずに、知らずに私の思い込みでそうやって祈るっていうのは、なんだろう、ちょっと違うのかなって思うようになったんですよね。
だったらじゃあなんだろうっていうところを今探しているところです。
私自身若い頃を振り返ると、生理痛が本当にひどくて、もちろん痛いし、痛すぎて吐くし、食べれないし、水も飲めなくなっちゃうし、
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その痛みが途切れないというか、4日も5日もその状態が続く。そうするともう体力も限界になって、何もできないし、
もうなんか辛すぎて、ぐったりしながらのた打ち回るみたいな感じで、でも本当に辛くなってくると、もう無理無理無理みたいな気持ち。
そうなってくると、良くなりますようになんて、そんなことを願う余裕もなくて、もう無理無理無理みたいな。
このまま体から魂が抜けたら楽になるだろうなとか、もうそこまで思ったんですよね。
すごい覚えてます。もうその他のことは考えられなくなるっていうか、もうとにかく楽にしてっていう風に思って、
救急車にお世話になったりしたこともあったんですけど、そんな肌から見ればね、成立、たかが成立ですらそういう風に思って、
成立なんてね、もう何日かすれば終わるってわかっているけど、それでももう無理だなって思った。
気持ちが持たないっていうか、気持ちも落ち込むし、嫌になっちゃうっていうか、そういう記憶がすごくあるんですけども。
病気の彼女を思うときに、彼女はもう何年も調子悪くて、そういう中で頑張っている。
成立みたいにのた打ち回ってるとか、そういうこととは違うかもしれないけども、その胸の内がね、どんなかわかるなんて、もう本当に言えない。
もっとはっきり言うなら、想像もできない。
っていう中で、また私が治りますようにって祈ることでいいのかな。
でも、いいのかもって今ちょっと思えてきたな。
いいのかも。いいんだね。いいんだな、今思った。
よかった、このスタイフ今やってよかったなって思いました。
私の中で、なんか彼女がつらい思いをしているのに、そこをちゃんとわかっていないのに、頑張れ頑張れって言っちゃいけないのかなって思ってたんだけども。
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だから、なんて祈ったらいいんだろうってわかんなかったけども、今、いいんだって思いました。
なんか、いいって思ったら、それは当たり前のことだったって今気づいたけど、でも、そんなことすらちょっとわかんなくなってたなって思いました。
自分がつらい時に、頑張れ頑張れって言われるのが多分嫌だったから、そういう風に思ったのかもしれないけども。
でも、なんかそういうことを話しながら、今、自分の中にあった、なんかインナーチャイルド、こだわり、思い込みみたいなものが一つ外れたような気がしました。
今の私だったら、大変な時に頑張れ頑張れって言われて嫌じゃないかもしれないって思いました。
それは、今、なんでそう思ったかっていうと、うんと、そうだ、わかった。
過去の私は、頑張りたくない時に頑張れ頑張れって言われると、コントロールされてるって思ったんだ。
コントロールされて、なんか自分の意思じゃなくて、頑張れって言われたら頑張らなきゃいけない、頑張れって言われたから頑張らなきゃいけないっていう思考パターンがあったから、
多分、頑張れ頑張れって言われるのが嫌だったんだと思うけども、今の私はもうそこは乗り越えているってことに今気づいた。
今の私だったら、頑張れ頑張れって言われた時に、自分がそれは決めていいってわかってる。
自分が頑張りたいって思えば頑張ればいいし、そうじゃなければ受け取らなくていいってことを知っているから、
だから単純にその応援の言葉を自分の純粋に自分の力にできるっていう風にもうなっていることに気づいた。
あーすごい。
だからひどい祈りなんてないってことだ。
自分の日常のために祈ってもいい。
うん、いいんだ。問題はそこじゃないってことに今気づきました。
うん。
それぞれ自分が選んでいい。
どんなことを願われたとしても、選ぶのは自分であっていい。決めるのは自分であっていいっていうこと。
そして誰かに、誰かのために祈ったときに、
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それは自分の思い通りにしたいっていうことじゃなくて、
決めるのは相手であっていいっていうことを自分が知ってるってこと。
そこが一番大事であって、
決めるのは本人、選択するのは本人っていうことを知った上で、
どんな願い、祈りをしてもいいんじゃないかなって今思いました。
自分のために祈っちゃいけないなんてことはない。
うん。
って思いました。
いやーすごい音声配信してみてよかったです。
ちょっと聞いてる方には申し訳ないくらい尻滅裂の配信になってしまいましたけども、
ちょっと私にとっては大事な瞬間だったので、
自分の記録としてこの配信を残したいと思います。
自分のためにもう一回まとめると、
私はその病気の友人がもうただでさえ頑張ってるのに、
もうすごい頑張ってるのに、
それ以上頑張れ頑張れとか言っちゃいけないんじゃないかっていう
罪悪感みたいなものを持ってたみたいだけども、
でもポイントはそこじゃなくて、
私は私の思いを願ってよくて、
だけどそれを受け取るか受け取らないかっていうのは
相手の決めることであって、
だから私はそういう祈りをする自分のためにも祈っていいし、
人のためにも祈っていいし、
だけど受け取るか受け取らないかは相手の自由だっていう、
どう受け取るかは相手の領域だっていうことを
忘れないことを、
そして自分も頑張れって言われたときに、
頑張れって言われたから頑張らなきゃいけないっていう
受け止め方を前はしてたけども、
今は受け取ってもいいし受け取らなくてもいいってことを
自分は気づいているっていうことに、
今日気づいたから、
だから自分も頑張れ頑張れ言われても
大丈夫な状態になってたんだなって気づいた。
私成長してるじゃないってちょっと思いました。
そしてもう一つ、
信じるって何だろうっていうのも私の中で答えが出ずにいたんですけども、
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この信じるっていうことも、
今日気づいたことと同じことなのかなって思いました。
今日はここまでにしたいと思います。
最後まで聞いてくださって本当に本当に本当にありがとうございました。
じゃあねバイバイ。