1. FM八ヶ岳 アートカフェ・ブルーテラス
  2. 2026/06/24 アートカフェ・ブ..
2026/06/24 アートカフェ・ブルーテラス 
2026-06-27 29:10

2026/06/24 アートカフェ・ブルーテラス 

上野の文化施設を歩く―建築が語る150年の文化史-

感想

まだ感想はありません。最初の1件を書きましょう!

サマリー

このエピソードでは、上野の文化施設を建築の歴史的視点から辿ります。まず、日本で最も古い博物館である東京国立博物館が1872年に設立され、その後1882年に上野に移転した経緯が語られます。初代本館はイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが設計しましたが、関東大震災などで失われ、現在の建物は渡辺仁が設計したものです。また、ドームのある表慶館は1908年に大正天皇のご成婚を記念して建てられました。 次に、1926年に設立された日本初の公立美術館、東京都美術館が紹介されます。佐藤慶太郎の寄付により建てられましたが、現在の建物は1975年に建て替えられたものです。さらに、ル・コルビュジエが設計し、2016年に世界文化遺産に登録された国立西洋美術館についても触れられます。この美術館は、松方コレクションを収蔵するために建設された経緯があり、その建築思想は多くの日本の建築家に影響を与えています。 最後に、国立西洋美術館の隣に位置する、コルビュジエの影響を受けた前川國男設計の東京文化会館や、民間の上野の森美術館についても言及されます。これらの建築を通して、上野が150年にわたる文化史を建築と共に歩んできたことが語られ、建物自体もアートとして鑑賞する視点が提示されます。

上野の文化史と建築の始まり
ここは、八ヶ岳三陸のアートカフェ・ブルーテラス。
今日も、マスターフーフとゲストの皆さんが、アートと音楽に包まれ、何やらわいわい楽しそうに盛り上がっていますよ。
この番組は、大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード、株式会社小沢建築工房の提供でお送りします。
皆さんこんにちは。ブルーテラスマスターの伊藤です。
今週も美術の話で一時を共にお過ごしください。
皆様いかがお過ごしでしょうか。
本日も常年のあやちゃん、松浦さんに来られていただいています。
それからフロアさん、よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
さあ、6月はですね、なんとずっと上野の話をしています。
上野。
上野ですね。
もうそろそろ終わるのかなと皆さん思っているかもしれませんが、
しつこく今日最後の締めの話をしたいなと思っています。
いろいろとこんなふうにことがあって、いろいろなエピソードとかですね、
お話をしてきましたけど、実は今の上野の話をしていないんですよ。
言われてみればそうですね。
どうもね、この話をしないことには、この回は終わらないなということで、
とうとう6月は4回とも上野の話になります。
上野。
ということで、楽しんでいただければと思います。
なんかちょっと弱気のね。
いやいやいや、上野いいですよ。
いやいや、でもね、考えれば考えればとか、調べれば調べれば面白いんですよ。
さあ、それでですね、ちょっと年代順にね、建物なんかを追いかけていきたいなと思います。
建物なんですね。
そうです。
中はね、いろいろなこんな作品があったとか、こういうことがあったっていう話もこれからも出てくると思うんですけど、
なかなかね、建物を語る機会はないんですよ。
言われてみればあれですね、中に入って絵とかは見るけど、外の建物とかね、あんまり意識してなかったような気がしますけど、
言われてみれば趣ある建物がいっぱいありますよね。
たくさんありますね。
建物だけでもね、歴史に残るような内容のものが建築としてもね、ありますからね。
ちょっとそんなことも意識して、これから上野が歩けるのかなと、そんなところにつながればいいかなと思ってるんですが、
まず最初はですね、同じ一番古いものっていうと、東京国立博物館になるわけです。
噴水の広場の正面に。
そうですね。
これですね、非常に。
なかなか美術館にはいくんですけど、博物館には私あんまり行かないもんですが、いつも横目で見る仕事しかなくてですね。
確かに、こう行って右に曲がって。
あるなあってね、向こうにあるなという感じなんですけども。
一番古いんですね。
そうなんですね。
いつ頃できたんですか?
これはね、最初に作られたのが1872年、明治5年です。
そんな古い?
実はですね、というのは、これはこの時はですね、
湯島の大聖堂のところに博物館ができたんですね。
そしてそれが上野に移転していきます。
それが1882年、明治15年ということなんです。
なるほど。
湯島にあったんですか。
そうなんですよ。
ですからそこで博覧会のようなことをしたという記録があります。
そこでそのままそれが博物館になったということなんですね。
ですから国立博物館の最初はそこから始まっている。
建物として上野にできたのが1882年にできたわけなんですね。
その最初に本館を作ったのはですね、
イギリス人の建築家、ジョサイア・コンドルという建築家です。
コンドルさん。
アイドルさん。
東大なんかで建築なんかも教えて、
日本人の弟子がたくさんいるという方なんですけれども、
煉瓦造りの洋風の建物でしたということなんです。
今の建物とは違うんですか。
そうなんですよね。
だからそれ、あと関東大震災があったりとか、
さまざまなことが。
壊れちゃったんですね。
そうなんですよね。
だから作り直したというようなこともある。
今は和風のような、ちょっと洋風のようなという感じですもんね。
そうですね。
そうなんです。
それがね、あともう一つドームがある建物がね、あるんですよ。
この博物館のちょうど横ですね。
横にですね、青いドームのある建物がありました。
これもしかして、博覧会?万博の時に屋根ありましたよね。
あった。
丸いね、今日。
丸いね。
でもそれをもとにして1908年、
片山遠熊さんという、これはコンドルさんの弟子です。
が設計したという。
それはできた当時のまま今あるんですか?
そうですね。
多分いろんなことで回収場してると思いますけど、できた当時のまま。
大正天皇の御成功を記念して建設された。
当時は皇太子だったわけですけども、
国民からの寄付によって建設された、
日本を代表する明治洋風建築ということだそうです。
寄付でできた?
そうなんですよ。
この表景館っていうのも展示スペース?
みたいですね、これはね。
これも国立博物館の展示スペース。
もう建物そのものが博物館。
素敵ですね。
そうなんだよね。
なかなかそうやってみるとそうなんだと思って、
調べてみて初めて見えるなっていう感じはするんですよ。
本館は1838年、渡辺陣という建築家が設計したものです。
1923年の関東大震災で被害を受けて旧本館に代わって建設された。
定館様式と呼ばれる日本河原を乗せた和洋節中の代表的な建物です。
河原なんですか?
そうなんですよ。
ちょっと和風だけどなんとなく洋風な感じがしますもんね。
ちょっと表景館の方が洋風ですよね。
そうですよね。
洋風度が強い。
こっちは和風だ、確かに。
そうなんですよ。
遠熊さんは芸品館なんかも設計している。
明治の時代の本当に代表的な建築家ということなんです。
こんな建物があるんですけど、もう一つは東洋館という建物もあるということで。
本当にあるということでという話をしながらちょっとイメージがつかめないんだけど。
裏に建物いくつもありますもんね。
東洋館は1968年ですけどね、戦後に建てられた建物です。
設計者が谷口義郷さん。
もう一つあるのが法隆寺宝物館。
これ1999年ですね。
そしてこれがやはりこの義郷さんの長男の谷口義郷さん。親子でこれを作っているんですよね。
そうなんだ。
なかなかすごい建築家の血筋なんだなって。
言われてみれば似てるかなと思って。
でもなんで京都の法隆寺の宝物館がここにあるんですかね。
多分京都にも国立博物館がありますから、そういう流れの中でこちらにも保存するようなことなのか。
ちょっとその辺を調べてみるとね。今さりげなく私行ってしまったんだけど、そう言われるとそうだよねという疑問がまた出てきます。
ちょっと調べてみるとまたそのきっかけというのがね。
1999年だからそんなに昔じゃないですよね。
こんな内容で国立博物館というのが存在しています。
そうしたらですね。
博物館。
今先ほど言ったように私は横目でしか見てないんですけど、大体じゃあどこへ行くかというと、東京都美術館なんですね。
東京都美術館と国立西洋美術館の歴史
1926年に東京都美術館ができました。
日本初の公立美術館。
石炭王と呼ばれた佐藤圭太郎という九州の方ですけれども、当時のお金を全部出したと言いますか、寄付をして建てられたそうです。
東京に遊びに来たら建てたいんだけどお金がないんだという話を聞いて、じゃあお金出すよと言って
100万円出したそうです。
当時の100万円?
現在の70億円。
今の建物ではないんですよね。
ちょっと今カフェでは写真を出してるんだけど、石造りの神殿風のね。
それが昔の?
そうです。
それでね、実はね、私ね、この美術館の時に3回ほど作品を展示してもらってたんです。
わーすごい!
そうなんですか?
東京都美術館というと、高校生ぐらいの私の記憶ではこの建物だったんです。
で、大学生になって行ったら変わってたという。
なんか大階段があって。
そうなんです。
なんかすごいですね、映画のロケとかに使いそう。
これ何、建て替えしたんですか?それとも。
建て替えをしたということですね。
でもこれがきっかけでね、それで前川邦夫という設計師が1975年に建て替えをして。
で、2012年に耐震だとかバリアフリーだとかというような様々な現代的な要請というか要求がありますので、
それに対して改善をして今の形になっているということなんです。
地下から入るって変わっている美術館ですよね。
そうですよね。
なるほどね。建物は耐震とかいろいろバリアフリーとかあるからやっぱり思うように作れない規制が入るんですね。
基本的な建物を外観を残しながら構造をもう一度耐震構造にして中を生活しやすいという、そんなような感じでしょうか。
美術館って入ると外が見えなくてぐるぐるぐるぐる回って不思議なところに出てきたりしますもんね。
そうだね、いろいろ。
中なんて見てないですよね。絵と足元だけ。
そういう点ではね、ぐるぐる回っているんだけど足、壁ずっと見てるから直線のような移動でね。
最初に行った時は本当ここでいいんだろうかと思わなかった。
あっ、そうです。地下に入っていて。
なんか違うとこ来ちゃったの?
そうですね。そんなことで、代表的な美術館。もう一つ代表的な美術館がありますけど、それについては後半に進めていきたいと思います。
それではフロールさん、今日の音楽お願いします。
はい、本日の曲は三階さんのラメールです。
風に光る空に染み入れて風指先が詰め合い別れ振り返す
刻んでひとりだす風に空に包まれて
で、そう笑う
ただいまの曲は三階さんのラメールでした。
東京国立博物館と東京都立美術館ということで話をしてきましたけども、もう一つ美術館というとありますね。
ありますね。
国立西洋美術館です。これは1959年の開館です。
西洋美術館の建物についてはね、マスターに教えていただきましたよ。
そうですか。よく覚えてる。先日上野に行ったんですけど、その学んだことを頭の中で。
もちろんですか。もちろんです。
いずれそれレポートを書いてもらいますよ。
それとも逆ですね。
実はね、今日美術館がね、西洋美術館少し回収されたんですよ。
それで、どこが回収されたのかなと思ってね、いたんですけども。
美術館の庭には考える人ですね、ロダンのね。
それからやっぱりロダンの地獄のモンスター、それから華麗の市民、これが展示されてるんですよ。
見てきました。
ところがね、最初はね、これなんです。
ここのロダンのですね、写真を3枚大きいのがありましたけど、緑はなかったんですよ。
植栽がなかったの。
こういう周りのですか?
一時はね、ちょっと待ってください、これです。これが最初の姿なんです。
これがって、今ラジオ聞いてる方は見えませんけども、全く周りには、華麗の市民の周りには芝生があったんですね。
コンクリートの芝生。
コンクリートなんです。コンクリートっていうか、まあこれはね、そんな感じだったんですけども、実は一時期こんな風にですね、植栽が増えあったんです。
植栽っていうか、なんか。
一時期、これが過去?
そう、ちょっと昔。
で、今はさっきの。
つるんとしてる。
華麗の市民ですか、あれ。
ちょっと上に上がってますよね。
そうですね。
なんか植栽っていうか、家庭栽培みたいな。
家庭栽培?
こっち側の、右側の畑っぽくない?
まあ何しろこんな風に変わってしまったんだけども、それをもう一度元に、もっと景観に戻そうといったのが、今のがこれです。
見やすくなってます。
やっぱりあれイマイチだと思った。
最初は何もなく、その後緑を増やし、そしてまた元に戻したってことなんですね。
これがこうなったということで。
見やすくなりました。
ですから、頭の中ではあんまり緑のイメージなかったんだけど、改めてあ、そうだったんだという、そんなところなんです。
で、あとは防水の耐震であるとかですね、いろいろな改良を加えて、バリアフリー化をするというようなことです。
あとは面積をですね、中の展示スペースを広げたという、そんな工夫もあったようですね。
で、もうこれはね、有名な建築家ですよね。
ル・コルビジェ。
そうです。
これはフランスの方。
フランスの方ですね。
そうですね。松片コレクションがベースになってますから、当時フランスに松片コレクションがたくさんあったわけですね。
戦前、戦中に造船王である松片さんが指揮されて買い占めて、買っておいて日本の美術館を作るんだということで買っておいたのが、それは戦争でフランス政府に抑えられた。
それを返してくれという交渉の中で、返すことはいいけども、それをちゃんと入れる器を作ってくれと。
その条件で作られたのが、この国立西洋美術館。
でもよくなくなりませんでしたね。ヒトラーとか取られなかった。
うん、そうそう、それもあるかもしれないね。
フランス政府のサイトに。
だいぶ取られちゃったみたいですね。
中には田舎のね、ナイアのようなところに置いてね。
モネがダメになっちゃったとか。
あれなんかも、崩れた画の再生するというのを見捨てましたね。
モネ、スイレンですね。
でもこれ、その絵で、その時の設計者がフランス人のコルビジアと。
なるほどね、つまり絵を返してもいいけど、ちゃんと管理できるかっていう。
そうなんです。
でもそうやって言ってくださったおかげで、今私たちがね。
そういうことですからね。
美術館で絵を鑑賞することができて。
でもそういう交渉するっていうのは、なんか一つね。
ある種意気だなって感じはするんだよね。
ちゃんと返すよ、でもちゃんと器作ってねっていう。
ちゃんと大事にできるんだったら。
返してあげてもいいよって。
返してあげるけど。
でもね、当時やっぱ日本は空襲で火上げ物になってたわけだから。
なんかね、ほったたくみたいなところに置いて、カビとか入っちゃったら。
そうなんですよね。
いろんなこともいろいろ心配したと思います。
で、コルビジアなんだけど、もう一つ日本人のね、建築家も一緒にこの設計に携わったんですけど。
その中で代表的なのがね、前川邦夫という建築家。
で、この人はね、戦前にコルビジアの元で最初の弟子になった。
日本人としては最初の弟子になった人なんですよ。
ですから当然コルビジアの考え方を持って帰国して仕事をしていて、そこに戦後コルビジアが来て。
ですから当然一緒に仕事をされた。
なるほどね。
コルビジアの設計した建物って他にも日本にあるんですか?
はい。えっとですね、これ日本唯一の作品なんです。
ただし弟子がたくさんいたので、その弟子がそのコルビジアの思想を持っていろんな建物を作っていったということですから。
そのDNAは日本にはいっぱい植え付けられてるんじゃないかと思いますね。
で、2016年に世界文化遺産に登録されました。
なりましたね。
そういうこともあって元に戻したのかなとか、いろいろな意味もあるかなと思うんですよね。
どんどん変えちゃうと、元のものが変わってしまうと世界遺産にならないということですね。
例えば自体が一つのものだからあんまり手を加えない方がいいという。
そういうことですね。
でも今のほうは彫刻も見やすいですよね。
コルビュジエの影響と上野の文化施設
見やすいですよね。
さあ、そのDNAということで考えると、そのまさしくDNAがその反対側にある東京文化会館。
ここはお昼によくお世話になります。
西洋系が入ってるところ。
そこしか知らない。
音楽ですね。あそこは美術じゃなくて音楽。
ホールですね。
非常にいい音がするという。
そうなんですね。
歌ったことありますよ、あそこで。
そうですか。
やっぱり歌うと響きがいいというか。
いいですし、控室なんかすごく立派で、やっぱり昔の建物みたいですね。
ここは1961年に先ほどちょっと出ました前川邦夫ですね、弟子の前川邦夫さんが設計したということなんです。
建物そのものも本当にモダニスト建築でコルビジョンの影響を強く受けてますから。
なんか昭和って感じ。
そうそう。
コパクリーの打ちっぱなしの建物って結構あったんですよ。
そうですね。
中の内装も昭和。
西洋美術館と文化会館の間に立って右左見ると比較ができると。
正面に海の動物園が見えて。
そうですね。
それから最後にもう一つ実は美術館があります。
上野の森美術館。
はい。
これは民間の美術館なんですよ。
そうなんですね。
今までは公立だったんですけどね。
日本美術協会による計画にもとに作られたということですから。
そうなんですかね。
ちょっとこじんまりした美術館ですね。
そうですね。
そんなことでね。
上野公園唯一なんですけども。
モネテンとかフェルメルテンとかなども行って。
じゃあホヤホヤ行ってまいりました。
大変な人混みだったんですけどね。
見れました。
見れましたけど通り過ぎました。
止まっちゃダメなんですね。
止まっちゃダメ。
そうそうね。
やっぱりカフェだから歩いていかなくちゃ。
そうですね。
そんなところですけども。
これだけ文化施設というか美術館、そして音楽を楽しんで。
その周りには美を育てる、生み出すための大学がある。
緑も豊富ですね。
なるほどね。
確かに言われてみれば建物のことは意識していなかったですけど、建物もいいですね。
そうなんですよね。
ですからもう少し調べながら見るといろんな発見があるんじゃないかと。
そんなふうに思います。
さあこれで上野全て話し終えたなと。
語り尽くしましたか。
やっと6月がこれで終われそうな。
ビア・ミルストの心の中にあるマスターの伊藤でした。
この番組は大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード株式会社小沢建築工房の提供でお送りしました。
29:10

コメント

スクロール