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2026/03/25 アートカフェ・ブルーテラス
2026-03-28 29:10

2026/03/25 アートカフェ・ブルーテラス

 田中一村記念美術館その2(奄美大島)

感想

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サマリー

このエピソードでは、田中一村記念美術館(奄美大島)の訪問について、マスターの伊藤さんがゲストと共に深く掘り下げて語ります。特に、奄美大島で描かれた「アダンの浜辺」に焦点を当て、その鮮やかな黄色が作品全体に与えるインパクトや、一村が日常の風景をいかに魅力的に描き出したかについて考察します。アダンの実が奄美大島を象徴するモチーフとして描かれている点や、海と空の境目の黄色が光を表現している可能性についても触れられています。また、一村の幼少期からの才能や、絵を描くことへの情熱、そしてそのために私生活を犠牲にした精神力についても語られ、彼の作品に込められた強い意志や優しさが感動を呼びます。さらに、鳥や花、そして「理想郷」や「牛」といった他の作品についても言及され、一村の多様な表現と、それらが鑑賞者に与える深い感動について語られています。

田中一村記念美術館訪問の続き:アダンの浜辺の魅力
ここは、八ヶ岳三陸のアートカフェ・ブルーテラス。
今日も、マスター夫婦とゲストの皆さんが、
アートと音楽に包まれ、何やらワイワイ楽しそうに盛り上がっていますよ。
この番組は、大きな暮らしができる小さな家。
小沢スタンダード株式会社小沢建築工房の提供でお送りします。
皆さん、こんにちは。ブルーテラスマスターの伊藤です。
いかがお過ごしでしょうか。
今週も、美術の話でともに一時をお過ごしください。
さあ、先週はですね、田中一村、記念美術館に行ってきたということで、
まず前半はですね、天見大島の魅力をですね、ずいぶん話をさせていただきました。
それから、田中一村の、多分こうだったんじゃないかということで、
千葉時代に描いた秋晴れという作品に触れて、
そして、その秋晴れの中に使われている金箔が、
これは天見大島の作品の中に描かれている黄色につながっているのではないか、
というような私の推測をですね、語ったところで終わったわけですけれども、
今週はその続きをですね、話をさせていただければと思います。
そうすると、やはり黄色となるとアダンの実ですね。
アダンも浜辺って言うんですね。浜辺ですね。
そこに描かれているアダンの実の色。
それから、その背景にありますね、海と空のちょうど境目のところにね、
やっぱり黄色が入っているんですよ。
黄色と言ってもね、少し色が、白が入っている。
光をイメージするのに、黄色というか金色というかを使っているのかなっていうのは。
そうですね。当然その中には単に黄色ではなくてオレンジがあったりとかしますけど。
そうですね。ただこのアダンの浜辺は、この田中一村美術館にはないんですよね。
これは個人像のものなので、私たちは東京で見た。
はい。あとはこちらの方の美術館でレプリカをちょっと小さいものなんですけれども、
購入させていただいたということなんですが。
そうですよね。ちょうど61歳、昭和44年に描かれた作品ですね。
一村が閻魔大王へのお土産と称したということで、
そういう作品があるんだけど、それと対になる作品ということなんですよ。
それでもこの作品、アダンの実が本当に主役としてね、
描かれているわけですけど、なんか太陽のような感じもするのね。
いやでもこれ本当に、こちらに来てこのアダンの木を見ると、
この実をここで黄色に入れて差し色にしたっていうのは、
すごくこれが入ることによってすごく作品が引き立たされているというか、
張って目を引くのと、この実自体はそんなに大した実なんですけど、
魅力的に見えるものではないんですが。
一村に描かれることによって、
こんなに魅力的になるんだってこの構図というか、描き方っていうんですか。
本当に普通の日常のある風景が、この一村に描かれることによって、
なんて魅力的なものなんだって、改めて感じさせられるというか。
そうですよね。
これはね、多分田中一村が今までいろいろなものを描いてきましたよね。
ザクロを描いたりとか。
だけど唯一、奄美大島に来て、そこを象徴するような木の実として描かれている。
存在だよね。奄美大島、存在のような、そんなようなシンボルとして描かれるんじゃないかなって感じもする。
でもこれ自体は海辺にたくさん植生してますし。
でも、多くの人は奄美大島とかこちらに来ないことは見ることができないわけだから。
できないですね。珍しいですよね。
そういう点では、田中一村にとっても非常に珍しい。
でも、そこに視点を移すというのは、ヤシの木とか花とか、いっぱい描くものってたくさんあるのに、
たまたまこの絵がすごく素晴らしいということもあってなのかもしれないんですけど。
なんていうんですかね。他の作品見ても、前にもアンディ・ルーソンに似てるよねっていう話が出たと思うんですけど、
本当に不思議な植物であり、風景であり。
だから、そういう意味では、荘鉄であったりとか、南の島の植物もあるんだけど、
それの一つの実として、結実したものとしての存在としては、私はすごく大きなものなのかなって気がするのね。
それをあえて、このアダンの浜辺においては黄色で、他のものは青いですよね。
ここだけがですよね。でも本当にこの実がたぶん、熟すということは硬いものみたいなので、
熟すという言葉が出はまるかどうかわかんないんですけれども、
それが緑から黄色に変わって、そこに陽の光が当たって、
それでそれがこの絵の中で、グリーンとグレーとブルーだけの世界に、
しかもブルーもブルーブルーではなく、グレーブルーのような中にこの黄色が入ることによって、
すごく明るい目を引く、はっとさせられる作品になっているっていう。
それからこれを浜辺に目を移すと、一瞬ね、浜辺の、これ先週もちょっと触れたんですけど、
サンゴとかね、そういうものがいっぱい堆積しているって話したんだけど、
そのサンゴということではないんだけど、ものすごく細かな描写なんですよ。
この海の描き方が本当に天海の宇宙海ですよね、これ。
そうなんですよね。そしてずっと水平線の方に行くと、今度は色の流れとして、さーっと空に向かって行くっていう。
陽の光が当たっているっていうのがわかりますね。
そうなんですよね。ですから、アナンの墓の流れ、そして海があって、
非常に細かいものが下にありながら、上にスーッと流れていくという大きな、大気の動きみたいなものを感じるっていう。
やはりこれはフローラさん、とても惹かれた作品ですよね。
そうですね。田中一村の作品で何か一つとあったら、やっぱり私はこのアダンの浜辺が、
海辺?海辺ですね。アダンの海辺がすごく大好きで、これいいですね。レプリカでも欲しいと思いました。
今回は入手できました。
ちっちゃいですけど。
いやいや、本物が来るとですね、我が家にはとても飾れませんので、ちょうどいいサイズだと思うんですが、それはともかく。
一村の視点:奄美の自然と動物、そして幼少期からの才能
あと、描かれている天海大島の花とか鳥、これに対してもね、すごく繊細にかつ愛情深く描いているなって気がする。
こうですよじゃなくて、本当にこういうものがいてね。
なんかそれぞれがね、鳥なんかはある意識を持ってね。
いろんな表情を描いていましたね。
そこらへんのところもね、田中一尊っていう画家のものを捉える視点、ある種の優しさみたいなもの。
特に花の描き方はやはり得意だったんでしょうね。
そうですね。
すごくリアルに描かれていて、色といい。
そうですよね。そういう点ではね、千葉の時代から天海の時代につながる非常に共通なものと、この花ですよね。
あと、この美術館では若い頃の作品もありましたよね。
17歳、16歳。
そうですね。
本当に勢いのある、世界は今から自分のために広がっていくんだみたいな。
描くことがすごく楽しくて、とにかく描きたいっていう。
そうですね。線なんか見ると、本当に筆を動かしているのが楽しいなというような線がいっぱい描かれているんですよ。
思いっきり描いているっていう。
それでもう少しそれを遡ると、7歳の頃に描いた作品なんかも。
そうですよね。
これが?
梅の。
もうちょっと驚きですよね。
そうですね。色んな梅の木が描いてあったんですけど、あ、梅っていいなって思わせてくれる作品ばかりでした。
小学生だよねっていうね。だからここはね、やっぱり才能なんだろうなと。
あと難点も、難点っていいなって。
そのぐらいね、唸らせるっていう、そういう描写が幼少期からできたっていうことなの。
ですよね。
これはね、やはり基本な才能を持っているんだよね。
そうですよね。やっぱり澄んだ芽は。
そうですね。今、澄んだ芽っていうのは、奄美に来てから亡くなる最後の作品っていうかその写真がありましたよね。
それが自分で撮ったポートレートみたいなのがあるんだけど、男子の芽がすごい透明感があるというか。
とても素敵な方で。
何をしたいかという意志をしっかりと持って迷いないような、そんなね、あの写真がありましたから。
多分そういう思いを幼少期からずっと持ってきた。
そしてそこに、そのことによって描かれた作品が美術館にはあったと。
そうですね、でも本当に描きたくて、描きたくて、描き切ったっていうような。
そう。
なんか一つの物事にこれだけ自分の好きなことに対して、
本当に食べることも何もかも忘れて打ち込めるっていうのってすごい精神力と意志ですよね。
もういろんなものに気が散っちゃいますからね。
どうしても、それではなくて本当にこれやるんだっていう。
そのためには一時期絵を描くことをやめても、それは次へ繋がるために。
次の絵を描くために、今ここを我慢する。
自分を現実のこの世界に置いて、食べるため絵の具の画材を買わなきゃならないために、今ここで我慢してとりあえず働く。
だけど、お金が貯まったらば、食べることもせずに、本当にもうボロボロな家に住んで、
身にまとうものもそんなにまとわずに、ただただ絵だけに集中して描いたっていう。
そうなんですよ。ですから、あるもあるな、これもあるなって気が散るんじゃなくてね。
そういう点では集中して描くっていう、この精神力の強さっていうのは、これは尋常ではないなっていうこともね。
そういうことをやり切るって幸せなんでしょうね。
それがあって、それが自分の使命なんだ。
でもそれ故に、多分自分の命を縮めてしまったっていうようなこともあると思うんですけど、
でもそれでも描きたかったのかなっていう風に思わせてくれる作品が本当にたくさんあって、
だからこそ、すごく私たちに感動というか、何か心打つものを与えてくれる。
そういう気持ちがありますよね。
一途にそれに向かって進んでいくっていうことね。
これがとても重要な、それを強く感じる作品にたくさん出会いました。
それでは、今日の音楽をお願いします。
はい、本日の曲はミシナ・サチさんの道国です。
叶わないと言っても
繋がることと知ってても
言うことない気持ちがあるね
諦めてくれさえ選ぶように
思い通しさせずにいただけ
これほどまでに
深い愛としたりしない道国を
今の曲はミシナ・サチさんの道国でした。
鳥と花:一村作品におけるモチーフの変遷と象徴
はい、いろいろ語っている中で、
やはり千葉の時代から、それ以前からですけど、
共通しているモチーフがあるんですけど、
鳥なんですよね。
そうですね。
非常に作品展に出品して評価が高かった作品の中にも鳥が描かれていました。
そして、天海大島に来てからも鳥が描かれていますけど、
その中で、フローラさんは特に好きな鳥が。
こちらの方は、今回、田中一村美術館で作品を目にすることができたんですけれども、
初夏の海に赤翔瓶。
本当に海辺の花と、何ですかね、
何かの墓穴の中に岩の上に赤翔瓶が一匹とまっている作品なんですけれども、
とてもこれも可愛くて素敵で目にとまりました。
鳥の目つき。
植物だから色々な動きがあるにしても目を持っていないでしょ。
動物だとか人間って目があるから目がある表情を出すんだけど、
そういう意味では赤翔瓶、すごく意思を表しているような。
またこれすごく赤い色の綺麗な鳥なんですよね。
美術館の職員の方がお話ししてくださって、
初夏に渡り鳥でこの奄美大島にやってくる鳥だということで、
とても鳴き声も可愛いんですよ。
鳥自体も可愛いし、鳴き声も可愛いんですよって言ってて、
この鳥の本物を見てみたいと思いました。
あれ白成だったんですかね。
白成はありましたね。
もう20年前だから色が落ちちゃいましたね。
でも可愛い目はそのまま再現されていて。
そうですよね。
このくちばしと目の方向が非常に植物にはない、
ある強さというか方向性を持っていて、
一種の表れのような感じがするんですよ。
この部分っていうのが、
田中一村の思いのここに象徴されている、
込められているような気がしましたね。
そうですよね。
本当に何か一つ差し色を入れることで、
この作品もグッて私たちを引きつけるものがあるなって。
奥は緑の植物ですから葉があって、
そしてちょっとその間に薄い黄色がいるんだけど、
そこに赤植物の赤が入って、
本当にここに光が当たっているというか、
見る人の目をそこに持っていくっていうね。
そしてその奥にこの甘みの、
なんとも綺麗な海が描かれているっていう。
そして足元、この赤植物の足がね、
ちゃんと立っているぞっていう。
描かれてますよね、岩の上に。
そうなんです。本当に詩の表れ、
そして体全体のある強い思いっていうのがね、
赤植物の中に込められている感じがするんですよね。
あとね、赤植物の中で私はね、
えーっと思ったのは、白い花と赤賞品という。
はい。これはこの作品集の中に描かれている画品ですね。
そうですね。これは美術館で見てなかったんですけど、
作品集見てましたらね、
この白い花っていうのは、
田中一聖にとってはとても重要な意味があるんですね。
そうですよね。
これがですね、昭和22年ですね。
39才的に描いた白い花っていう作品なんですよ。
これは賞を取ったんですよね。
非常に評価が高くて、期待されたという。
これは田中一聖にとってはとても大きな意味のある作品なんですけど。
こちらの作品もありましたね、美術館には。
またこれも東京で私たちも拝見しました。
美容部の作品ですよね。
これも鳥が丁寧に飼われているんですけど、
それが今度は昭和に来て、
同じようなテーマ、白い花。
そこに赤賞品があるっていう。
鳥がいるっていう。
なんか静かな植物を描いている中に、
動物が生えることで、鳥が生えることで、
すごく動きが出てきて。
そうなんですね。
そこら辺のところが魅力的な。
ここにも何かね、自分が描いてきたものに対して、
新たなこの作品を描くことで、
今の自分というのを表していこうとしている。
場所は変わって、モチーフも違うんですけれども、
テーマ性って一緒ってことですよね。
だからそこのところがね、
過去を塗り替えていくっていう。
否定するわけじゃなくて、
その上にまた新たな自分を描いていくっていう。
場所は違うんだけれども、
やっぱり興味のあるものとかモチーフとか、
構図ってやっぱ、
もともと持っていらっしゃるものが出てくるんでしょうね。
昭和42年ですから、約20年後の作品なんですよ。
59歳ですよね。
そんなね、そういった20年経って新たな
この作品を作っていくと。
それから赤賞品でいうと、もう一つ印象的だったのが、
岩の上に立つ赤賞品。
これなんかもね、昭和48年ですから、
時間的なものでは、それから6年後なんですよ。
65歳ということですよね。
でもこれ来るとね、
かっこたるしっかりとした岩の上に立って、
自分はこう描くんだっていう。
なんかこの赤賞品が、
その先を見つめているその姿がいいですね。
そうなんですよね。
最初の白い花の中の鳥は、
花の中のある何か虫なのか何かを見てるんだけども、
そうではなくて、
花とかというものを見るのではなくて、
ある方向をしっかりと見据えているという。
なんかそこがね、田中一聖の思いを
いろいろここに込めて描いているのかなって。
なんかそこに自分を投影しているんですよね。
そうですよね。
それをね、強く感じる。
いろいろな作品、
まだまだね、
奄美で描いた作品、
魅力的な作品がありますので、
これもね、いろんな機会にですね、
見ていきたいなと思うんですけど、
牛の絵と作品への投影:鑑賞者の心に響く表現
そういう中でもう一つあるのが、
理想郷という作品。
これは今回の作品展ではなくて、
スロットから見ているんですけども、
やはりこれには蝶が描かれているんですよ。
蝶も描かれている作品、結構ありましたね。
ありましたよね。
でも奄美の中にいる蝶で、
そしてそれがものすごく繊細な作品で、
この作品もですね、やっぱり40年代に描いた作品です。
非常に透明感があるということで、
やはり新たな、いろいろな思いが、
夢破れてというか、
この雑誌の中で千葉から奄美に来て、
そしてそこでいろいろな作品に出会って、
向き合って描いていくという、
そんなところがですね、
この作品にも描かれているなという感じがします。
さあ、フロアさんどうですか?
まだまだ語りたい作品というのはあるのではないかなと思いますか?
あと、あの、奄美の時代じゃないかもしれないけど、
牛の絵がありましたね。
ありました。
黒い牛、墨絵で描かれた。
ありましたね。
あのシーンもね、すごかったですね。
インパクトが強かったです。
ですから、どっちかと言ったら、
エッソンの繊細な描写じゃなくて、
牛の体が本当に強い筆の勢いで描かれていて、
そして、それを見る。
牛の目が。
そうなんです、目が。
その牛の目だけは非常にリアルに描かれたんですね。
そして、それを絵を見る。
だから、牛を見ている人に向かって、
ちゃんと見ろよ。
牛が見ている。
牛が牛を見ている。
牛が見られているっていうね、
そんなことを強く感じる作品がありました。
まあ、いろいろな思いをですね、
作品の中に投影しながら、
これからもですね、ぜひ見ていきたいなと思います。
美は見る人の心の中にあるマスターの伊藤でした。
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