常識の考察
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、常識は作ればいい、という話をしていきます。
はい、常識は作ればいい、ですね。
コミュニケーションにおける常識というのは何でしょうかと。
さらには、その常識というものは、果たしてあなた自身の常識にしなければいけないものなんでしょうか、というような常識シリーズといいますか。
何回か常識については話をしているかと思うんですけれども、
これもその一環ということで、コミュニケーションにおける常識を考えてみましょう、というようなところですね。
コミュニケーションに限らずですけれども、
この常識というものは、どこかの誰かが作ったものであったり、
その時々の時代の流れに沿って育まれてきたものであったり、
その社会が作り上げてきたものであったり、
あなたの両親も祖父母も、さらにその先も、
祖先脈々と受け継がれてきた考え方、
誰しも生まれてから最初に接する親族というものがあると思います。
親族というか、血縁ですかね。
血縁ではない人に育ててもらうというようなケースもあるかと思いますが、
いずれにせよ、大人と接しながら年を重ねていくと、成長していくというような場合がほとんどですよね。
その過程で周囲の人間が身につけている常識が、
あなた自身の常識になっていくと、
それは大人になってからもその常識にとらわれる必要はないということですよね。
自分で考えることができるわけですよ、大人というものは。
そしてあなたもその大人の一人ですから、
今何かしらの常識があると、それはもちろん結構なんですけれども、
時にはその常識の鷹を外して物音を考えてみるというのも、
現状何かに勇気詰まっているようであれば必要であると。
さらにはその常識の鷹を外すとは言っても、
まずは基本を知らなければというようなことは当然あります。
シュファー・リンにもあるように、
基本を知り、それを踏襲して独自性を出すことにつなげていくと。
コミュニケーションにおいてもそれは同じことが言えるわけですね。
ですから常識は作ればいいというようなことではありますが、
そのためにはまず何が常識となっているのかというような、
大きな括りでいいですけれども、
社会一般的に言われる常識というものは何なのかなと。
それは常識となっていることですから、聞けば当たり前だと思いますが、
例えばあまり親しくない人には敬語を使う。
例えば敬っていなくとも敬語を使って、
です、ます、語尾で話すとか。
集団で活動する中ではその流れを目指さないように、
自分の常識を作る
周囲に合わせて同じような行動をとるだとか。
もっと社会人的なことを言うと、
目上目下があって下座上座があって、
必要に応じて使い分けるだとか、
相手との立場を考えて先に座らないとか、
名刺交換をしたら名刺ケースの上に置いて机に置いておくとか。
こういう社会人的なことを言い出すと、
より基本のマナーというやつですかね、
キリがないぐらいたくさんあると思うんですよ。
その全てを知っている必要はないと思いますし、
当然私も全ては知らないですし、
そういっても重心が活動している範囲の中のコミュニケーションをとる上での、
言語のやりとりだけじゃないですからね、
その動きだとか視覚的なものもコミュニケーションの一部ですから、
そうした基本があると。
漢字などこのあなた自身の身の回りの基本的なもの、
これを知った上でもしくはやった上で、
合わないと思ったら、
自分にはそれは合わないかなというようなことを思ったら、
自分で常識を作ってもいいわけですよ。
他の人がこうしているから、
それに合わせて自分も同じ行動をとると。
それで合っているなと思えばそれは世間と同じ、
より多くの人が今常識としているものと同じものを常識として扱っていけばいいですし、
それが合わないのであれば、
自分は人と違うんだということではなくて、
人と同じようなコミュニケーションの取り方ができない、
異質なものなんだというようなことを思うのではなくて、
そういう社会の常識があることは分かりましたと。
実際やってみたけど、合いませんでした。
じゃあ、自分の常識を作ろうというような発想をすればいいんですね。
何も他の人と違うから、
ダメだと、でき損ないだと、
そんなことは全く思う必要はなくて、
それぞれの常識があって、
さらには自分自身の常識がないので、
当てはまる常識がないのであれば、
自分で作ればいいんですよ。
今日からこれが自分の常識だというようなことを
あなた一人が思っていてもいいわけです。
これまで見聞きしてきた、体験してきた、
いわゆる常識と呼ばれているもの、
世間の人がそういうもの、
育ててくれた大人がそういうもの、
それらは自分の常識には何だか当てはまらないみたいだと。
じゃあ別のことを常識として活動していこうというようなことですね。
決めてしまえばいい。
思い悩む必要がなくなるわけです。
他の人と違うからと。
自分で常識を作れるということがわかれば、
もうそれに対して内省をする必要はなくなるわけですね。
ですからまずはこの発想、
人と違うから異質だ、ではなくて、
あなたの常識はないのであれば、
あなたが作ればいいと。
新たな一歩はここから始まるというようなことですね。
仮にコミュニケーションの常識というもので、
患わされている場合、
誰かに常識を知らんのかというようなことをお叱りを受けたりとか、
諸々あると思いますけれども、
それはそれで構わないわけですよ。
知らずに破ることはできないですよね。
知らなかったら破っているということですらないわけですから、
まずはその基本を知ることは当然必要です。
何がいわゆる常識と呼ばれているものなのかと、
それがわかれば自分で作ればいいというようなことになります。
つまり何が言いたいのかというと、
常識は作ればいい。
これはコミュニケーションにも常識がありますよね。
世間で言われている諸々。
それらに、むし仮に該当をしない場合は、
輪から外れている、世間から隔絶された存在であると、
そんな小説家みたいな言い方はしないかもしれないですけれども、
つまりところ、その常識というものも、
いつからか、どこからか、
作られてきたものであって、
あなた自身の常識というものも、
今から自分で作ればいいというようなこと。
そのためには基本を知って、
踏襲して独自性を出していく。
こういうステップをたどっていけば、
他の常識と言われたとしても、
ああ、そうなんですね、というように、
深く悩む必要がなくなるというようなことですかね。
常識というものには、苦悩しても合わないものは合わないですから、
自分で作っていきましょう。
ということで、以上となります。
ありがとうございました。