2025-02-03 08:04

寝言は起きてても言う

なんでも言っていいです。どう思うかは受け取る人が決めることです。と思えば口ごもることがなくなりますよという話です。


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サマリー

今回のエピソードでは、「寝言は起きてても言う」というテーマを通じて、思ったことを素直に表現する重要性について話されています。コミュニケーションにおいて自分の意見を伝えることがもたらす利点や、人間関係の選択についても考えられています。

寝言の考え方
はい、どうも。丸山のコミュニケーションです。
まずは、おめでとうございます。
ということで、今回は、寝言は起きてても言う、という話をしていきます。
はい、寝言は起きてても言う、ですね。
寝言は寝て言え、というようなことがありますよね。
どういう時に寝言と捉えられるのか、もしくは自分でそう思うのか。
こんなことを言ったら、何かくだらないと思われるんじゃないかとか、しょうもないことというんですかね。
仮にあなたが、このようなことを人に話をする際に、自分が言うことは、もしかしたら寝言なのかもしれないな、というようなことがあるとするならば、
それはこうした、寝言は起きてても言う、というような考え方をしてみてはいかがでしょうか、というようなことですね。
なぜそんな考え方をしてみるのかというと、
端的に言えば、取り繕わずに思ったことを話す。
そうした習性を獲得していくと、身につけていくと言う、一つのベースになるもの。
うまく言葉が出てこない、続かないとか、
これを言ったら、相手からくだらない、しょうもないと思われるんじゃなかろうか、というような、
そうした考え方が習慣になっていると、
コミュニケーションをいざ取るとなった時にでも、積極的に話をしないというのはもちろんのこと、
消極的にすらコミュニケーションを取ろうとしない、何も言わないと、
ねくらな引っ込み事案というようなことに繋がっていくと。
きちんとそれがダメって言ってるわけじゃないですよ。
そういう時期も私にもありましたから、
自分自身でくだらないと、こんなこと寝言だろうと言うように、
自分が思うことを自分で言葉にすると、相手から何か非難をされるんじゃないかとか、
そうしたある種の恐怖というもの、本来はないんですけれどね、そういう恐怖というものは。
勝手に自分が生み出しているだけであって、
相手の考えていることなんていうのはわかりようがないですから、
勝手に自分で恐怖のラインを決めているだけなんですけれども、
そういう場合に、この寝言は起きてても言ってもいいんだと、
それは相手からどう思われるのか、
そんなことは相手次第であるというようなことを割り切って、
言うためにもこうした考え方があるといいんじゃないかというようなことですね。
仮に思ったことを話す、何か取り繕わずに、
自分の中ではすごくしょうもないことを言っているなと、
こんなことを言ったら、相手からすると、
そんな寝言は寝ていいえと言われるぐらいのことなのかなというように思ったとしても、
仮にそれで受け入れられなかったら、
それはそれで別にいいじゃないですか。
あなたが思ったことを話す、あなたが取り繕わずに話す、
本来の今のあなたという存在を相手にぶつけて思ったことを話して、
それでどう思われようとも、まずいいと。
かつ、それで相手が、あなたはもうしょうもないから寝言は寝ていってくださいと、
そのぐらいもわからないんですかと言うんですね。
仮に非難をされたとするならば、この人とは合わないんだなと。
受け入れられなかったら、それでも別にいいと。
そういうふうに割り切っていくというのも、
誰とでも良好な人間関係を築く必要はなくて、
立ち切るべき関係というものは当然ありますから、
もしくは意図して立ち切らずとも、切れたら切れたで、そういう運命であったと。
運命というと、ちょっとスピリチュアル感が出ちゃうんですけど、
結果は必然であるということですね。
あなたが今の状態のあなたの本来のままを言う。
毎日ごろ、そういう寝言はどうたらというように、
仮に自分が思っていたとしても、それを相手に言ったとして、
その相手から受け入れられなかったら、それはそれで。
今の自分とは、この人とは相入れないんだと。
離れるのであれば離れた方がお互いのためになるし。
本来のあなたを言ったとして、思ったことを話して、取り繕わずに話をして、
それで相手が嫌がるのであれば、相手からしてもあなたと離れた方がいいわけですよね。
あなたからしても、自分を受け入れてくれないような相手とは離れた方がいいわけです。
というようなこうした考え方、
世間一般に発泡美人とか、誰とでも仲良くした方がいいよとか、
自分を表現すること
そういうことは一旦脇に置いておいて、
そうでなくてもいいですよと。
そういう考え方も取り入れてみると、その心が軽くなる。
そういう選択肢もあるんだなと、自分で選べる選択肢があるんだなということがわかると。
そもそもこうした考え方をしてこなかった。
自分の周囲にいる人とは常に顔色を伺って、
仲良くしていないといけないんじゃないかということを仮に思っていたと。
それ以外のことは考えてこなかったというようであれば、
こうした自分で人間関係を断ち切るためにというようなことも一つありますから、
寝言は起きてても言うというようなことで、
それは取り繕わずに思ったことを話す。
それで受け入れられなかったら、それはそれとして、
起こるべくして起こった人間関係であるというようなことを
納得して受け入れていくと。
常にこれ一辺倒だと、
現代の特に日本だとちょっと生きにくいかなというようになると思うので、
こればっかりではないんですけれども、
一つの考え方としてそういう側面も
あなたの中に持ち合わせておくといいんじゃないかなというようなことですね。
つまり何が言いたいのかというと、
寝言は起きてても言う。
これはよく寝言は寝ていいえというような言葉がありますけれども、
さらにはそれを実際に投げかけられたことももしかしたらあるかもしれないですけれども、
これは起きてても言いましょうと。
それは思ったことを話す。取り繕わない。
それでいて相手から受け入れられなかったら、それはそれでいいですと。
そういう相手とはいずれ結果として離れた方が、
あなたのためにも、さらには相手のためにもなる。
どちらもそれでハッピーと。離れたらそれでそれはいいですよと。
そういう考え方も一つ取り入れてみると、
心が軽くなるというような場面もあるかと思います。
ただこればっかりだと偏ってしまうので、
こうした考え方も一側面として知っておく、取り入れてみる。
必要な場面になったら引き出して発動させると。
そういう使い方をしてみてもいいんじゃないでしょうかということですね。
ということで以上となります。ありがとうございました。
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