こんばんは、むぎほです。 りょうこです。
ポッドキャスト、あのさは、日常の些細なことから社会のこと、自分自身や人との関係性にまつわることなど、
結論も解決策もないけど、そんなグレーな話もそのままに語っていこうという番組です。
はい、始まりました。
今日は早速テーマ入る感じで。
今日のテーマは、タイトルが、まあタイトルというか、メインの大きめのテーマが断捨離できない理由っていうのであげてて、
なんかめっちゃ超個人的なことなんだけど、なんか昨日普通に日曜日家の片付けをしていて、
で、なんかすごい片付けしてて、なんかめっちゃもの増えたなみたいなのを、こういろいろクローゼットとかの中を整理しながら思って、
まあいろいろいらないものとか寄付するものみたいなので、こう袋に分けたりしてて、で、なんかそれをやってる時に、
あーなんかこう、ものを例えばキープする、手放す基準とか、あとはまあそのお互いどういう、
何?ものに対しての傾向とか、なんかどういう風な感じで、ものっていうものと向き合っているかとか、まあそういうことざっくり話せたら面白いだろうなーと思って、
提案してみたんだけど、まあどこから話すっていう、あの別に特にこれって言った着地点のある話ではないから、ざっくり雑に話していこうと思うんだけど。
でもなんかめっちゃ気づいたらもの増えてるの超わかる。なんか引っ越しのタイミングとかですごい思うもん。
ねー、気づかないうちにっていうのがなんか怖い。自分で、だってそのものをさ、まあ例えば買うなり、こう自分の空間に入れる時は、
自分なりに結構多分、なんていうのかな、考えたりとかさ、これ必要かなとか、こういうふうに使いたいとか、こういうものが欲しいみたいな思いを持って、それをこう向かい入れているのに、
なんかその理由とか背景とか、なんかそのきっかけみたいなのがすべて忘れてしまい、なんか本当にものだけがものとして、気づかないうちにこんなにこのものたちが集まっていたみたいな感じになるのが不思議だなーっていうのはすごいあって、
本当それこそ定期的に家の掃除とか、そういう整理するだけでも、なんかめっちゃもの増えたし、なんかどっからこれやってきたんだみたいなの、なんかそのものと向き合った時には、ああなんか思い出す、じゃあ思い出す時もあるんだけど、
なんかそのそれを見るまでには、なんかあんまりそこにこう意識とか、なんかこれを持っていますみたいなのを特別に思うこともなく、ただものがある、増えていくみたいな現象が謎すぎるみたいなのを今なりに思うけど。
なんか今思い出したんだけどさ、なんかうちの家って本棚がないんだけど、ないっていうか、もともと今借りてる部屋の壁が、こう棚というか、備え付けの棚みたいになってて、そうそうそう、壁じゃなくて、なんかそこが収納できるスペースみたいになってて、だからそれまで持ってた本棚は一旦処分して、
で、その備え付けの棚に今まで持ってた本、プラス新しい本を入れてるんだけど、もともとその本棚として付けられたわけじゃないから、奥行きがすごいあるのね、でもなんか壁がないというか、全部収納みたいになっちゃってるから、逆に何もない壁があんまりなくて、だからその新たに棚を付けるっていうのもまたちょっと場所取るなぁと思って、
そうそうそう、だからその今ある場所にとりあえず置いてってるんだけど、ただなんかその奥行きを無駄にするのももったいないなぁと思って、だからなんかあんまり本の管理的には良くないんだけど、
その一つのボックスというか、スペースに対して、奥と手前、上下の4段式で一つのスペースを埋めてるのね、本を、で、なんか一応その本を入れるときに、奥にあるのはもう読んだ本とか、すぐには読まないだろうみたいな、読み返さないだろうみたいな本を入れてて、
手前はまだ未読の本とか、頻繁に手に取る本とかを置いてるんだけど、なんかそれもこう完全に管理してるわけではない、各ボックスに何が入ってるかとか把握してないから、やっぱり裏に入ってるものとか見えない場所に入っちゃってるものって、なんかだんだん自分の記憶からなくなってってるらしくて、
だから今まで、なんか私自分が買った本をもう一度買うっていうことは多分なかったと思うんだけど、この間とうとうそれをやらかしてちゃって、なんか読んだ気がする、読んだ気がするというか途中まで読んだ気がするけど、なんかそれは図書館で借りたんだろうなっていうふうに自分の中で記憶が改ざんされていて、
だから実際には家にあった本を途中まで読んで、多分積んどくみたいになっちゃって、もう一回本棚に戻したっていう本なんだけど、なんか自分ではそれを借りて、もう返却期限があるから返しちゃって読めなかったんだって思って、だから手元にあったらゆっくり読めると思って買って、
で、ほんとついこの間買って、まだ収納しないで積んであった本たちがあって、それを収納しようと思って、いろいろ入れ替えしてたら奥からその買った本と同じ本が出てきて、あーと思って、なんか自分のそれこそ本もものだからさ、自分のものなのに自分が買った記憶も消えているし、自分の家にあるっていう記憶も消えてて、
また新しく買って、こうしてものが増えていくんだなっていうのを実感したんだよね。
あーでも私もそれやったことあるからわかる。なんかそのすっかり記憶にはあるんだよ。なんかそのそれこそ、多分私も同じような、誰かに借りたみたいな感じで、その本と関わった記憶はうっすらとあったから、
なんか例えばどっかで立ち読みしたとか、なんか誰かから借りた、でも今ないからもう一度それを読みたいと思った時に読めないから買うみたいな感じであったら、まさかの私もなんか小説あったと思うんだけど、なんかあの幼少のペーパーバッグみたいので、でもなんかその違う出版社から出てる、だからなんかその表紙がだいぶ違って、
その絵柄とか、なんかその表紙とかデザインとかも結構違ったから、なんかそれもあって、なんかそれが同じ本だっていうのにあんまり気づかなくて、でなんかなんとなく、あーなんかそうもう一回あのちゃんと読みたいみたいな感じで買って、でなんかその私は多分しばらくその2冊持っていることに気づかず、
でなんか多分引っ越しのきっかけかなんかで、その本を整理する、売るみたいな感じのプロセスになった時に、あれなんか同じ作者ごとにこうまとめてたら、あれなんか同じタイトルの本が2つあると思って、でまさかのそう2冊持ちだったっていうのあるけど、でもまあ表紙がちょっと違ったから気づかなかったみたいなのあって、そうやってね。
まあ本だけに限らずいろいろなものがこう増えてくのって多分そういうふうにこうなんとなく、例えばなんか多分その買った時とかは、なんか何かしらのこうあるんだよ、それをこう例えばこう使うため、このケーキを作るためにこの型を買うとか、なんかそういうゴールがあってそのものを手に取って、まあ多分1回なり何なり使うんだけど、
でもその後に、まあケーキとか、もう私の、私もこれ何回かやってて、その型を何回か同じ、同じ型、なになに、大きさのものを買ってしまうみたいなのを何回かやってて、
っていうのもなんかその、なんかそのケーキを普段いつも作るとかではないから、なんかその時のためにこう1回のために買って、まあ作って、でまあなんかその後多分数回とかは使うんだけど、でもなんかそれをこうずっとやってるわけではないから、まあそれでこうちょっとしばらく買わない時間があって、
でまたなんかその、まあわかんないけど、あの誕生日とかなんかで作ろうと思った時に、あれなんか今度見つからないみたいな感じになって、それでだから、ああじゃあ多分なんか売ったのかなとか、なんか本当に見つからないみたいな感じになって結局買うんだけど、
でそれでまたしばらくすると、あれなんかこう片付け、まあ私が定期的にやるみたいな片付けで、あれなんか待ってなんか同じ型が3つぐらいあるみたいな感じになって、結局多分なんかその同じようなサイクルを何度かこうやってる、やってて、なんていうのかな、なんかそのいつも普段使わないけど必要なものがあって、結構生活の中にあるなっていうのはすごいあって、
でなんか本とかもまたちょっと違うかもしれないけど、なんか本以外のものって、なんか必要なんだけど、いつも必要じゃないもの、でなんかやっぱりそれをこうかわざる、この消費社会の中でさ、割とこう買えば解決するみたいな感じの傾向はすごいあって、
まあそのものも多分そんなにこうたくさんのものが結構手頃な価格で手に入るようになった今、なんかそういうのをするのがやっぱり割と一番簡単だし、当たり前のこう道になりつつあって、なんかそれも私的にはあんまり良くないなと思いつつ、なんか同じものを買うみたいなことを何度も何度もこうしてて、
なんか最近ちょっと反省、いろいろ自分のものの向き合い方、ものとの向き合い方っていうのをちょっと考え直していきたいみたいなのはすごい考え、思ったりしてるんだけど、
ある?じゃあ、同じものなんか、今さっきのは本だったけど、ものとかでなんか同じもの買っちゃうとかある?
同じものと言えば同じものだけど、なんかそれこそなんかその成果の材料とかってさ、なんか頻繁にお菓子作るわけじゃないけど、時々無償に作りたくなって作るっていう時に、なんかしかも一人暮らしだから自分以外使わないわけじゃん。
だからその1回買っても、あの、消費期限とか、なんかベーキングパウダーとかさ、買って置いとくんだけど、使ってその次使うまでに期間が空くと、もう期限切れてたりして、だからなんかこれだけのためにお金使ったの後々考えるともったいないなって思って、でもかといってお菓子作り今したいじゃんみたいな自分。
お菓子の気持ちもあって、それを実現するためには今これを買わなきゃいけない。でも買ったとて全部は絶対使い切れないみたいなのになって、そういう意味では何度も買ってるっていうのはある。
だからそれこそさっき言ってたみたいに、常に必要なわけじゃないけど、必要な時は絶対必要みたいなものは、なんか割と何度も買っちゃったりとか来るかもしれない。
そう、だからなんか、物を、私結構好きな物とかはたくさんあって、文房具とかもすごい好きだし、それこそこの間前も話したけど、マグカップとかもすごい好きだし、
そういう好きって思う物を結構バンバンとか欲しいと思ったら買いたい。欲しいと思って買える範囲であれば買いたいと思って買ってしまうけど、
あんまり自分が今持ってるストックとか、こういうのがまだ家にあるから、みたいな感じで考えない物も結構あって、だからそういう物は割とたまっちゃう。
うん、だからなんかそれこそ文房具で言えばノートとかが結構たまってて、なんかこの間整理したんだけど、なんかこんなに前に買ったのがまだ残ってるみたいなのとかもありまして、持ってるのがいい、なんか好きみたいな。
なんかその文房具も使う、もちろんそのノートとかで普段使ってるのはあるんだけど、なんかその自分が使うスピード以上にはまってる物があるみたいなのが、そう最近ちょっと掃除とか整理してて反省、反省っていうか、なんかもうちょいこう必要になったら買うとか、
もうちょいこう物をあんまりこう、自分が何を持ってるかわからないぐらいのストックとか、その物のあり方みたいなのは嫌だな、みたいに思って。
なんかそれも最近はあんまりこう、自分で本当に必要かみたいなのをなるべくこう、一回止まって考えてから買うようには意識はしてるっていうのはあるけど。
え、むーちゃんはさ、多分私よりもめちゃくちゃ移動というか、引っ越しの回数が多いじゃんか。なんかその引っ越しがやっぱ多いと、なんか私のイメージ的には物がどんどん少なくなりそうっていうか、どうしてもなんかその移動のお金がかかるから、なんか物を減らしていく生活になりそうっていうイメージがあるけど、意外とそういうわけでもなかった?
いや、でもあの、引っ越ししてた時期っていうか、まあそれこそ家にいた18ぐらいまでの時は、やっぱり割と物は本当に必要最低限の物しか持ってなかった。
多分なんかその、自分でこう一人で暮らすようになって、自分で住む場所を決めるとか、自分で稼いだお金で物を買うみたいな感じのことが自由にできるようになってから、割と物が増えたかなみたいな。
なんかそれも感動なのかわかんないけど、まあなんかそれこそ、別になんかその買ってもらえなくて悲しかったとか、そういう感じではなくて、なんか本当にとにかくそのさっきリオチン言ったみたいに、なんか引っ越すのにお金かかるし、お金かかるからやっぱりその必要最低限の物しか持たないみたいなのは、
割と自分の生活とかそういう人生の中で当たり前だったから、なんかそこまで必要としていなかった。
なんか別にそんなに物なくても、あんまあんま気になんないし、唯一我が家で物といえばやっぱり本だけは、割と母がすごい読書家だから、その好きな本を割と好きなだけ読ませてくれて、
でもなんか捨てられないみたいな感じで置いてあったのがあったんだけど、でもなんかそのそれこそ実家を出るタイミングで、もちろんその自分が持っていけるものにも限りがあるし、なんかあの実家に置いとくとしてももう日常的に使わない部屋だから、なんか整理してってって言われて、
でなんかそのタイミングでだと思うけど、なんかもともとうちの母が結構、なんだろう常に整理整頓するっていうタイプではないんだけど、なんかこうスイッチが入るとすごい一気に整理しだしたいっていうのが来たね。
それでなんかものとかも、今使うの?使わないの?みたいな二択で聞かれて、いや今は使わないかなーってなると、じゃあ捨てなってなるタイプだったから、本当にバンバン捨てるし、だからそれでなんかその10代の頃のなんだろう、例えば学校で使ったものとかもそうだし、ノート類とか教科書もそうだし、なんかその使わずにとってある1ページだけ使ったノートとかさ、
なんかそういうもので、でもこれ今使うのかって言って、なんか使わないってなったら、じゃあもうゴミ箱行きみたいな感じで、バンバンバンバン整理整頓をした時期があって、それでもう部屋がすっからかんになって、
でなんかその後とかも定期的に規制するたんびに、なんかあそこまだものあるから整理してってっていう風に言われて整理してってみたいな、だから本当にないの10代の頃のものとかが。
えー、意外。
で、なんか自分もなんとなくその多分母の感性を若干受け継ぎつつ、なんか20代もなんか結構やっぱ実用的なものは買うけど、なんかその実用性のないもの、ただ置いておくだけの置物とか、なんかその部屋に彩りがあるだけの役割のものとか、
なんかそういうものは基本買わないし、なぜなら使えるものじゃないからみたいな、なんか理由が自分の中には割と明確にあって、だから結構自分の好きなエンタメ関連のグッズとか、あのライブ行った時のグッズとか、なんかそういうものも一切買わなかったの。
なんか買うっていう選択肢さえ思い浮かばないぐらいに、なんかだって買ったってどうするんだよみたいな気持ちがあって、全然買わなかったので、なんかその10代の頃に大切にしてたものとかもなければ、その現在進行形のこう時間の中でも自分が大切にしたいものみたいなものがそんなになかったりとか、
あるものといえば実用性のあるものだけみたいな感じで、別にそれに不便を感じてたわけじゃないけど、なんかある時点から割とそういうものがないっていうことに、なんかちょっと寂しさを感じるようになり、
だから割とその今まで自分の整理整頓とかも、いらなかったらもう捨てる、でまた必要になったらその時に買えばいいみたいな思考があったから、なんか全然そのもったいなくて捨てられないっていうのはそんなになかったんだけど、
なんか今ももったいなくて捨てられないとか、まあ使えるならとっとくけど、使わなそうならとっとかないみたいなのはまあ今もあるんだけど、でもなんかその置物とか別に実用性のないものを割とこの本当に2年ぐらいになって、ちょっとずつ買うようになって、
だからそんな意味で私は最近物が増えているけど、なんか今まではその物が増えすぎて自分のそれこそ手に負えないみたいな数あること自体にちょっと不快感じゃないけど、なんかそういうものがあったんだけど、なんか最近はまあそうやって本をダブって買っちゃったりもあったけど、
でもなんかその自分の部屋に自分が好きだなと思えるものがただあるみたいなものになんかちょっと気持ちが励まされるみたいな瞬間もあったりして、なんか物があるとか物が多いってまあなんか一概に言えないけど別に悪いことでもないのかみたいな風にだんだん自分の感覚もこう変わってきているっていうのが最近かな。
なんかその実用性のないもの、でりおちゃんが最近買ったものとかってなんかある?
アクスタ。
アクリルスタンド?
今ちょうどあるわ、こないだ買ったばっかり。
それ、なんか光が反射してるの。
なんかまだ組み立ててないんだけどさ、なんかこっち側に今こうなんていうの?
こう立つの?
そうそうそう、こう下にこれが吹く台座みたいになってて、この穴にこっちをプスッと刺すみたいな。
で立ってる。
えーいいね。
2つ?
そうセットで買った。
そんなのあるんだ、初めて見た。
そう、しかもなんかうちに結構何種類かちっちゃいものからこのぐらいの中ぐらいのサイズまでいくつかあって、なんかそういうの今までの自分だったら絶対に買わなかっただろうなと思ったから。
えーそれ本棚とかに飾るの?本棚っていうかの棚、うちの棚。
あーそうそうそう、空いてるスペースに飾ったりしてる。
えーめっちゃいいね。
全然これは実用性っていうかただ見るためのものだからさ、なんか使えるものではないけど、いい。
いいよね、なんか楽しいとか嬉しいとか見てるので心地いいとか、なんかそういうので物を買うのとかいいよね。
私も本当に実用性ないものを買わないみたいな、あれだったからめっちゃ思った。
なんかそう生活する中で使えるものだったら買うけど、なんか見てるだけとか対して使うかもわからないみたいなものだったら、なんかお金が無駄って思っちゃって全然買わなかったんだけど、いいねって思ってる最近は。
いいよね、私もなんか最近は絵とかアート結構集めてて、なんかそれこそ。
そうだよね、ジンフェスでさ、なんか飾るやつ買ってたじゃん。
あーそう入れたんだよ、なんかイッケアで買ってきて学校に入れたんだけど、そなんとか無事持ち帰り。
家の中いろいろこう、やっぱり壁とかに下げられるから、なんかやっぱり自分がいいなーって思った作品とかを、今はなんか本当それこそ実用性もなんもないけど、
なんかこういいなーと思った作家さんから買って、でなんかそう自分で学に入れて飾るみたいなのが。
結構ほんとそれも私もここ2、3年ぐらいやってるけど、ほんと今までは。
そう、実用性のないものを買ってどうするみたいな。
そうなの。
だから、そうじゃないものが全て無駄なものにしか見えないみたいな。
そう。
家の中に無駄なものがあるみたいな。
気持ち的にもあんまりいい、なんかポジティブな気持ちではなかったけど、今はすごいなんかそれこそその色々なアーティストの人たちが作ってるみたいな、
なんかそういう、それこそ制作のそういう過程とか、その人のアーティスト性がそういう作品として形にあるみたいなものに多分すごい結構惹かれていて、
なんかその、絵だけじゃなくてなんかもっと違う置物とかさっきリョウちゃん言ってたけど、みたいなそういう形でも、なんかいろんな作家さんのもの見たいなっていうのは最近思うし。
何なんだろうこの、なんかここ数年の変化なんだけど、なんかどういうきっかけでとかっていうわけでも私はないと思う。
その実用性で埋め尽くされた部屋にいることのなんか悲しさみたいなのがあったのかもしれない。
味気ないみたいな。
そう、全部使えるけど、使えるだけみたいな。
なんか不思議、だからなんか、ものって言ってもいろんな形があるし、なんかそのそれこそ、なんか自分のそういう育った環境とかさ、
まあそういう周りにいた人たちの影響によってもその向き合い方みたいなのって結構変わってくるなって思ったし。
なんかリョウちゃんの意外だった。
ほんと?
逆になんかその、なんか人によってはさ、私もなんかそのすごい周りにいた、すごい私が印象的だったのは、
なんか近所にいた子で、なんか団地に住んでたんだけど、
遊びに行ったら、そのお母さんがすごくものを、何ていうのかな、キープするのが、なんか保存するのが好き。
なんかその、それこそリョウちゃん言ってたみたいな、その幼稚園の頃の、なんかそういう思い出のグッズとか、
なんかそれこそ幼稚園の時にもらった賞状とかメダルとか、
そういうのが、まあその多分、私がその時会ったのは多分中学とかだった。
中学とか、小学校、高学年とかだったけど、
まあでもそれでもだいぶ前、なんか幼稚園とかってだいぶ前の話だよなって思うんだけど、
なんかそういうものが全部こう保存、なんか家の中にこう飾ってあったりとか、なんかそのこうしまってあったりとか、
ものすごい量のものだったの。
で、私は今までそういう空間に見終えたことがなかったから、すごいびっくりして、
なんかその子もなんか、そうなんか何でもこうあれ、なんかこう取っとくんだよねみたいな言ってて、
なんかその子のこう人生、なんかそういうまあそのいろいろな思い出、
なんか小学校の時のこれとかっていうのも、なんか全部残ってて、
なんかそういう人もいるんだっていうのは、私はそうじゃなかったから、すごいびっくりしたし、
自分が例えばわかんない、30になって、なんか今こう自分があの時こういうことしてたんだみたいなのを見られる形で残ってるっていうのは、
なんかすごい興味深いなっていうのは思うし、なんかそれがないなっていうのはなんかちょっと寂しいことでもあるみたいなのは最近ちょっと感じていて、
そう、だからなんか保存の仕方みたいなのもさ、なんかそれこそ今はすごくこうスマホとかあるから、
なんかその例えばフィジカルに物を撮っとかなかったとしても、スマホでこう例えば写真撮って、あの後で見返すとかできるけど、
多分あの頃は多分そんなスマホとかもなかったしさ、保存するといえばその物を保存する以外にそんなにその保存の仕方、アーカイブの仕方みたいなのがなかったから、
なんかそういう面からも、なんか例えば私が引っ越しが多かったっていうだけの理由ではなく、なんかそのやっぱりそのアーカイブの仕方のなんか方法の少なさとか手軽さみたいなのの違いによっても、
それがまだ今あるかないかっていうのが結構変わってくるんだなぁみたいのはそう思って、だから例えば今の、例えば幼稚園とか行ってたとして、なんかそういうのをもらってきたとしたら、なんかそうデジタルな形でスキャンするとかっていうので保存することができるし、
そういうものって結構割といつでも見返したりとかできるなぁ、いいなぁっていうのはそう思ったりもしてる。
確かに、なんかこれこそ、なんか私のメイが今ちょっと幼稚園生で、なんか幼稚園で作ってきたものとか、そういうのもなんか保存はどうしてるのかよくわかんないけど、でもなんかその家族というかまあ親族間で見れるなんかアプリで、なんかそこ、なんかうちの親とかもそのメイに頻繁に会えるわけじゃないから、
なんかそのアプリに親2人が写真とか動画とかあげて、それをこっちでもアプリに入れば見れるみたいなのがあって、だからSNSと違ってオープンじゃなくて本当にクローズと限られた人だけが見れるものなんだけど、
なんか写真とか動画とかも別にそんな上手に撮れた渾身の1枚とか渾身の1本とかじゃなくても、なんか別に物理的に持ってるわけじゃないし、自分のiPhoneの容量が消えちゃうとかでもないから、そのアプリにどんどんどんどん入れるだけだから、なんかすごい手軽。
なんてことないこの写真の意図は何だろうとか、この動画をなぜ撮ったんだろうみたいなものまで入ってるんだけど、そういうものまでなんか手軽に残しておけるみたいなのはやっぱ時代の差が結構あるよなとか思う。
ねえ、いいね、そういうの。たぶん私たちの時代は。え、まだフィルム、デジカメとか幼稚園とか、いやまだデジカメとかきりあった?
あるけど、なんかこんな今ほど普及してないっていうか、本当に限られた人だけが持ってるみたいな感じだったから、写真とかもやっぱりそのそれこそ渾身の1枚じゃん。記念で撮るぞみたいな感じで。
なんか私小さい頃から写真撮られるの苦手で、なんかそのいくぞみたいな感じが。構えがすごい。こっちも伝わってくるからちょっと引きつっちゃうみたいなんとか、あんま撮らないでほしいって思ってたんだけど、
逆になんかそのメイとかはたぶん日常的にいろんな本当にどうでもいいシーンから撮られてるから、なんか撮られ慣れてて、なんかすごいカメラ向けられるのを喜んでるらしくて。
なんか別にまあそれは性格の差とかもあるけど、なんかやっぱりその人の距離感みたいなものが、なんか圧倒的に自分たちの世代と違うんだと思って。
すごい、未来だね。あの時の私たちからしたらたぶん今すごい未来だよ。
なんかカメラっていうか、iPhoneとか構えただけでカメラ目線くれるらしくて。
すごいレベルが高い。
そうだよだって今なんか子供用のカメラとかもあるもん。
あ、そうなんだ。
おもちゃみたいな、私最初なんか見た時おもちゃなのかと思ったら、本当にちゃんとした写真が撮れる。
でも子供用みたいな感じ。だから操作とかがすごい簡単。
ボタンを押すだけみたいな感じの携帯になって。
でもたぶんアプリなのかSDカードなのかわかんないけど、何らかの形でその写真のデータを普通にこうデジタルだから見ることができて。
だからその子供視点の写真みたいな感じで。
そう誰かがなんか持ち歩いてるの見たけど、なんか時代すごいねって思ったし。
そうなるとまたその過去の思い出との向き合い方みたいなものもさ、自分たちの世代とはだいぶ違いそうっていうかさ、
それこそ物理的に物としてあるものしか残ってない世代じゃん。
なんか捨てちゃったら終わりっていうかさ。
私もそれで18で出る時にバンバン捨てちゃったから、
なんかその自分の記憶が、何回も言ってるけど、自分の中での10代は割と暗黒的な感じだったから。
でも全部が全部、もう1から10まで全部暗かったとかじゃないわけだから、
そういう自分の記憶、いい意味で記憶違いみたいな部分も物が残ってれば、
なんか新たに発見するとかあったかもしれないけど、
それをきっかけに記憶が蘇るとかあったかもしれないけど、
なんかもう捨てちゃったら終わりだからさ。
なんかもうないと思い出しようがなくて、
なんか自分の今の自分から思い出せる範囲での思い出とその解釈にしかならないなって思って、
なんかそれがちょっと寂しいかもって思う。
物がなくなってしまって。
そうだね。
自分の例えばなんか、すごい昔に生活する幼稚園の頃こういうものを作ったみたいなうっすらとした記憶はあるけど、
なんかもうそれが物として残っているわけでもないから、
それこそ自分でなんとなく覚えてて、
その記憶を自分なりに埋めて記憶として作り上げてるのか、
なんかどの辺までが本当なのかっていうのもあんまりその線がわからなくて、
なんかそれもあってかわからないけど、
私は本当に全然幼い頃の記憶とかが思い出せないし、
割と薄いかなっていうのもあるし、
なんかそういうののきっかけになるのもやっぱりその、
例えばそういう思い出のものがあるかないかとか関わってるのかなとかも。
確かに。
時代がこんなに変わるものなのかっていう感じだけど、
多分私たちが前も話したけど、割と境目的な感じは、
そのすごくデジタルになってきた時代とそうじゃない時代の狭間で。
それによってはね、例えばそういう親がそういう危機とかに興味のある人とかだったら、
割とその時代ぐらいから結構デジタルみたいな形で、
いろいろ残してる人もいるんだろうなって思うけど、
そうだね。
親はそこまでそういう感じではなかったから。
うちもそうそう。
だからなんか自分よりちょっと上の、
ちょっと上っていうか本当に数歳違いみたいな人とかだと、
なんか大体同じだなとか思うけど、
なんかうちらよりちょっと下の世代とかと話したりすると、
意外と違うみたいなこととか、
割と起きやすい気がして、
だから本当になんかギリギリの境目世代だったのかもって思う。
1年とか2年とかしか違わないのに、こんなに違うもんなのかみたいなのは結構ある。
私たちのこの間に生きる過去と未来の間みたいな感じがする。
私たちの生まれた世代が、
物ってなんか別に実用性なくてもキープしてていいんだなみたいなのは、
なんかその重要さみたいなのも最近結構実感している。
わかる。
ある。
歳だからなんかわかんないけど。
ね、そうそう。
なんかそういう歳なのかとかって思ったりするけど。
なんなんだろう。
でもね、スペースとか移動の問題さえなければ、
なんかそういうもの、
まあ多すぎても困るかもしれないけど、
なんか少ないわ、ビスタに比べたらあったほうが良くないって思っちゃう。
ないものどうしようもないじゃん。
ね、そうそうそう。
あったらどうにかしようがあるけどさ。
そうそうそう。
ないものをないところから何とかするってなかなか難しいしできないから、
特にそういう1回限りのものに関しては。
だからそうね、
どういう形で物を保存できるか、
なんかそれこそ移動とかに支障のない、
移動とか空間の制限に支障のない形で保存できるかなみたいなのを考えてて。
なんかそれこそ今私がさ、実用性ないけどいいなって思って買ってるものとかもさ、
なんか数年先とかまた引っ越しのタイミングとか、
どっか大規模に移動する必要が生じたとかなった時に、
なんかやっぱりその荷物を減らしたいじゃん、引っ越しの時はね。
なんかそういう時にどうやってこの実用性のないものと向き合えばいいんだろうみたいなのを買いながら考えてはいる。
そうだよね。
写真撮るとか。
でもなんかやっぱ物体としてあるってでかくない?
確かに。
記憶として残るものも大事だけど、なんか物体としてそれがここにあるみたいなものって、
確かに。
なんか意外と大事だから、でかい家に引っ越すかみたいな感じしか解決策がないけど。
お金を稼がなきゃ無理だけど。
まあ物はね、
なんかあるとないとではあった方がいい。
りおちゃんさっき言った。
あったら、
本当に必要なくなったらその時にどうにかできるからね。
なんかそれまでは極限までは持っていたい。
ギリギリのとこまで持ってて。
そうだね。
じゃあ大きい家を目指して。
大きい家を目指す。
それで解決っていうことで。
解決策があるわけでもないんだけどね。
物持ってたいねっていう話でした。
結論持ってたいねだよね。
なんか散々しなくった結果。
確かに。
断捨離しないが結論。
そう。
全部持ってたかったんだっていうところに。
なんかもうでも一周回って帰ってきたみたいな感じかも。
もういろいろ捨てて捨てまくって後悔してやっぱり持ってた方がいいになったっていう。
そうねっていう感じで今から全部キープしていく。
私はでかい家を目指して。