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2025-08-19 07:15

#285 作品の表現の幅


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サマリー

AIアートにおける作品の表現の幅は、作者の経験や創造力に大きく依存しています。特に、さまざまな表現を試みるコンペに参加することで、作品の幅が広がることが強調されています。

作品の表現の幅
はいどうもアメショのユキです。
ティーマやニンジャダオで、AIアートクリエイターとして活動しております。
はい、よろしくお願いいたします。
はい、よろしくお願いします。
あ、噛みましたけど。
いやー、暑いですね。
1回涼しくなったんですけどね、また猛暑が戻ってきましたね。
昨日も、昼間はね、仕事してぶったりになるような感じになってたでしたけども。
はい、今日もちょっとね、今日も今日とて暑くなりそうな感じですけども、
皆さんもね、気をつけてお過ごしください、ということなんですけども。
今日はですね、うーん、
何の話しようかなと思ったんですけど、
作品の表現の幅って、どうなの?っていうことについてね、
ちょっと思うところを話してみようと思うんですけど、
作品って何の作品っていうと、
私がやってるAIアートのね、作品の話なんですけども、
AIアートに関わらず、作品というものを作り出すときに、
その表現の幅っていうのは、やっぱりその人の経験と見たもの、
見てきたものっていうものに、やっぱり縛られると思うんですね。
まあ当然なんですけども。
うん、で、
で、AIアートを形にしていくときにですね、
まあ今、ちょうど私が取り組んでる笹金選挙の、
笹金の、オイラの笹金姉さんの表現もそうなんですけども、
ただオイラをね、形にする、形にするというか、
絵にするだけだったら別に誰でもまあできると思うんですね。
言うて、どんな方法でも撮れるんですけども、
そうじゃなくて、
その、例えば笹金っていうそのオイランの忍者ですね、
忍者のオイランの、
しかも根の国っていう悪者の国のっていうキャラがいたときに、
どんなことを、場面が育てできるのかっていうことを、
いろんなことが考えられると思うんですよね。
うん、そう。
で、それを絵にしていくのか、
まあ何かと組み合わせて、
あの、場の設定という形でやっていくのかっていうのは、
まあそれはやり方はそれぞれだと思うんですけども、
まあ、この場合、えっと、
絵として表現をしていくときにですね、
どんなその場面、その格好をさせるのか、
もしくはその、ね、活動しているところを切り取ったような形で
絵にしていくのかっていうことを思いつくことができるかっていうのは、
その作者の人の経験と見てきたものと、
まあまあ発想力ですね、発想力に縛られると思うんですね。
で、エアーアートって、
まあその、絵にしてしまうことそのものはプロンプトが固まってしまえばですね、
できるので、
そのプロンプトを組むときに、
自分がどういう思いを、とかどんなものを見てきて、
どういう風なアウトプットをイメージをして、
プロンプトをどう組むかっていうことに、
で、絵の形っていうのは決まっていくと。
で、そのときに人物だけポンって出して、
終わりにするのか、
それともその何かのこうやっているようなところを、
そう雰囲気を出すような形で、
その光の当たり方であるとか、
周りのその部屋の様子であるとか、
持っているものであるとか、
その一緒にいる、他に一緒にいるのが誰であるかとか、
そういったことを組み合わせることによって、
考えることによって、
作品の深さというか、
味わいというのは変わってくるのかなというふうに思いますね。
そうそうそうそう。
その辺が、
まあ作者の人の捉え方によって、
とりあえずそのキャラを出して、
貼り付けばOKというように考えている人との違いなのかなというふうに思いますね。
この辺はやっぱり手描き勢との大きな違いはやっぱりそうなのかなと思っていて、
手描き勢の人は自分で手で動かすから、
自分の頭で思い浮かべたようなことを、
そのまま片手で描かないと形にはならないので、
こういう狙いを持って、
こういう構図で描きますというのははっきりしていると思うんですね。
でも、AIアートを作る人というのは、
作品を出すことそのものはポンと出てきてしまうので、
その辺のこういう姿をしたいということが、
明確にイメージをしていないまま作り始めると、
どうしても、
作品としてはぼやけたものというか、
人物は確かに、
例えば極端な話、元をキャプチャリングして出してしまえば、
それは出てきてしまうので、
それをしてやったところで、
それは何の意味もないと思うんですけども、
それは作者の人が、
それでも別にそれっぽいやつが出てくればいいと思っていれば、
当然それでも形としては出てくるんでしょうけども、
作品の深さとか幅という意味でいうと、
それではどうなんだろうなというふうに、
やっぱり思わざるを得ないなと思っていますね。
この辺はやっぱりこだわり、
そのAIアートクリエイターでやっている人のこだわりとか、
経験とかその辺の幅にもよると思うんですね。
特にコンペとかにたくさん作品の方をエントリーしている人というのは、
当然いろんな表現の幅を試さざるを得ない経験をしているので、
その辺はいろいろ考えると思うんですけども、
それがなければ、
コンペの重要性
ポートを出してそれでアピールできればいいなというふうになっちゃうと思うんですね。
その辺の差というのは、
経験の差というのが大きいのかなというふうに思います。
この辺はコンペとかでやっていないと、
そこまでははっきり思わないよというふうなところなんでしょうけどもね。
だから作者のこだわりの部分が詰まったところが大きいのかなというふうには思います。
今、佐々金選挙だけじゃないですよね。
普段AIアートを作っていて思うのは、
その辺がどうなんだろうなと、
コンペとかに出していろいろなところを見たり、
いろんな作品を見てそこで落ちて悔しい思いをして、
悩んで作品を練っていくという技術を上げていくときに、
こういうふうなアウトプットもある、
こういうふうなアウトプットもある、
こういう構図もあるんだというふうにして、
自分の作品の幅を広げていくことができるのかというのは、
一にその辺の経験とか見方とかアウトプットの表現の幅の深さによるのかなというふうに思いましたので、
今日はちょっとその話をしてみました。
やってない方にとってみれば、何のこっちゃっていう回だったんですけども、
本日についてはそんな感じでございます。
今日は公式の回なんですけども、
今日はちょっと残念ながら、
今日から一泊二日で出張に行ってまいりますので、
今日はユーリコーフーさんが代理で公式の方をやっていただきますので、
そちらの方もぜひお楽しみください。
ティーマーには唯一の規定が出ます。
エンターテインドノットオンリーはセルフパッドエヴェルワン。
己だけでなく皆も楽しませる一日にしてまいりましょう。
それでは飯伸之でした。
ほなまた。
07:15

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