1. パリで学んだ「ブレない自分の作り方」
  2. Vol.150「和牛をヨーロッパに..
2019-02-07 37:30

Vol.150「和牛をヨーロッパに広めたい!パッションの秘密」

レストランÔYA Parisのオーナー大矢健治さんのインタビュー第2回目です。
ドイツからパリにレストランを開くことになった経緯や、和牛をヨーロッパに広めたいというパッションの原点などについてお話を伺っています。

オープニングでは、フランス人と日本人の「姿勢」についてお話しています。

オフィシャルサイトは、http://projectsparis.com/


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こんにちは、あきです。今日もパリで学んだ「ブレない自分の作り方」の時間がやってまいりました。
今日もさやみさん、どうぞよろしくお願いいたします。
お願いいたします。
実はですね、先月なんですけども、たまたま日本から禅呼吸の先生がいらっしゃって、そこでアトリオをやるっていうことで、
はい。禅呼吸、そう、禅の、あ、禅の呼吸ですね。
禅僧の呼吸ね、禅のお坊さんの呼吸をやってて、その方が言うには、呼吸が一番シンプルで簡単な健康法だっていうことで、
たまたまオーガナイザーの方が、日本で講座を受けた時にいいから、フランスでもぜひやってみたいっていうことで、
フランス人向けにやるっていう1時間のアトリエに、私も日本人なんだけど、潜入させてもらって体験させてもらったんですよ。
で、なぜかという、実はその先生は、私Facebookでつながってたんですね。
で、オーガナイザーの方からその名前を聞いた時に、あ、ゾンジ上げてますって言って、あ、じゃあっていう感じでお誘いいただいたんですけども、
で、まあその彼女がやっぱりもともとすごい病気持ちで、もう20個ぐらい病気、まあその細かい症状から大きな症状、
だから例えばもう頭が、いつも頭が痛いとか、どこの調子が悪いとか、もういっぱいあったんだけれども、原因が全くわからなくて、
で、まあ最終的にはその全呼吸やってからどんどん若返って、健康の異常も一個も今ないっていうとこからスタートしたんですね。
で、まあそのアトリエでは基本的にはフランス語で訳してもらってやるんですけども、
その中で彼女が一番最初に、私昨日パリに着いたんですよねって言って、パリに着いてとにかくびっくりしたことが、フランス人の姿勢がみんないいことだと。
で、例えば聞いてる時のアトリエのクラスのね、聞いてる20人ぐらいいたのかなクラスも、やっぱりこういう時に姿勢がいいなと思うのは日本では100人1人ぐらいだと。
そんなもんですか。
だけどフランスではもう全然割合が高いとか、なんかいろんなところで結構びっくりされたっていう話を聞いてて、
確かに姿勢に関しては、姿勢とかウォーキングとかそういうのをやってる人が、みんなパリに来るとパリの人はみんな姿勢がいいって言うんですよね。
確かに私も日本に帰ると姿勢悪い人多いなと思うくらいなので、多分その辺はちょっと意識が違うのかなっていうところを感じたんですよね。
そうですね、私すごい思うのが、フランスでね、背骨の曲がったおばあさんとかあんまり見たことないんですよ。
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でも日本に帰るとね、一時帰国とかで帰ると、すごく背中がこんな曲がって、下を向いて歩いてる、下を向かざるを得なくなってる年寄りの方とかね、すごくたくさん見るんですよ。
ああいう方を私あんまりフランスで見たことがないので、おばあさん、80代とかでもみんなピシッとしてるんで、
普通に真っ直ぐで歩いてますもんね。
真っ直ぐなんですよ。どうしてああいう風に曲がってしまうんだろうっていうのはね、いつも不思議に思ってました。
なんでなんですかね、確かに日本の人と比べると、私も前、息子に言われて気づいたんだけど、
日本人はなんで下を向いて歩いてるのかって、たぶんポッドキャストで話したこともあるんですけど、
下に向いている、でもフランス人は前を向くっていうことを言ってるから、なんでなんですかね、やっぱり日本人って下向いちゃうのかな。
わかんないですけどね。
自然と頭から肩が落ちていくような姿勢が普通なのかな。
なんか堂々としてちゃいけないんですかね。
肩を後ろに引くとか胸を張るとかね、あんまりそういう姿勢を確かに見ない。
見ないんですよね。
だからそういう意味では、他の国は私わからないですけど、でもフランスに来るとみんなやっぱり言うので、
フランスの人は自然とそういう姿勢になっているっていうことが多いのかもしれないですよね。
ですね、おそらくね。
あと歩き方が腰を使って歩いてるなっていうのは思う。
日本の人って足先で歩く感じですよね。
特に膝から下だけ動いてるような感じがありますよね。
腰を使って歩いてるっていうのはすごく日本人よりもフランス人の方が感じるかなって言ってて、
だから多分彼女がおっしゃってたのはまず姿勢の話からしなきゃいけないんだけど、
フランスの人にはそこまで注意は必要ないみたいな感じでおっしゃってたので、
だから日本から来るとまた違いが全然あるのかなっていうのは感じましたね。
私すごく思うのが子供のバレエのレッスン、私もやりますけど、
バレエのレッスンを見ててすごく思うのが、
フランスの子供たちって腰からアンドウォールっていう、
足が外に向きやすいんですよ。
日本人ってなかなか向かないの。
聞いたことある、股関節のあれですかね。
向く人もいるんですよ、日本人でもそういう人もたくさんいるんですけど、
多分小さい頃からの訓練がない。
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こちらの子供は小さい頃に、誰でもバレエのレッスンって多分みんな受ける。
気軽にはやりますよね。
みんな受けてるんですよ。
そこでかなりトレーニング、小さいうちに結構するんじゃないかなっていう印象、
私は自分の子供を育ててるうちにそういう印象を受けました。
そういう訓練というか。
女の子は多いかも。
多分女の子ほとんどみんなやります、小さいとき。
小さいときダンスやるときに必ずバレエやりますもんね。
私の子供の学校なんてバレエが体育の授業であるんですよ。
男の子も女の子も全員バレエやってる。
幼稚園の間、3年間。
たぶんそういううちの子供の学校はたまたまそうだし、
そういう学校もおそらく他にもきっとたくさんあると思うんですよ。
そういう子供が多いので、なんとなくやっぱり小さいときからの体育とか訓練もすごくあるかなという気はします。
確かにそうかもしれない。
私のピラティスの先生が、ピラティスさんの骨格とか全部こっちでも勉強してて、
いろんな生徒さんを見てて思うのは、やっぱり骨格的にここが開きやすいと言ってました。
こっちの人もそう。
全然ね、外向いて行くんですよ。
たぶん日本人ってやっぱり開きにくいところの話なんですかね。
骨盤からその辺含めてだと思うんですよね。
骨盤から関節のあたりでしょうね。
がやっぱりもともとこっちのヨーロピアに比べて開きにくい骨格ではあるらしいので、
ただでさえ訓練しないとできにくいタイプというか体質というかなので、やらなかったらますます開くわけがないですよね。
だって私すごく思うのは、こちらの女性の方って歩いてる時も外股っていうか足が外に向いて歩いてますよね。
それはね、もうすごくバレエやってるっていうか、見ただけですぐわかる。
やってたか、昔やってたとかだろうなっていう癖がすぐにわかりますよね。
歩き方で出ますよね。
内股っていう人がいないんですよ。
確かにフランスはね。
骨盤とかね、その関節の作りというか、鍛えられてるかなっていう感じはしますよね。
だからまあベースがね、やっぱりもともとバレエとかもそんな習い事で日本はしないかもしれないけれども、
でもやっぱ姿勢を良くすることが、まず結果的にはコアを鍛えるとかそういうのをやる上でも姿勢がやっぱりベースだし、そこがベースになってるから、
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多分健康法も運動も全部そこがベースになると思うので、そこをやるだけでも全く違うかなって。
違いますよね。
足を外に向けると自然にお尻が、お尻が締まるんですよ。上に向くんです。
そうなると、それがみんな多分フランスとかでは当たり前なんで、やっぱりみんなお尻が上がってる感が、腰が高い感がありますよね。
あとほら内もも、内転筋とかの辺もすごく引っ張られますよね。
そうですね、内側の筋肉使わないとバランスが取れないんで、だからね、やっぱり小さい頃から、別に小さい頃やってなくても、いつでも大丈夫。
ちょっと鍛えると。
自然に姿勢が良くなるだけでも全く、その呼吸の先生もやっぱ姿勢は大事っておっしゃってたんで、
まず運動とかそんなことしなくても、姿勢を整えるだけでも全く違うからっていう。
気は致しました。
それでは本編スタートです。
レストランの大谷パリのオーナーである大谷賢治さんのインタビュー2回目です。
今回はパリに来た理由であるとか、和牛との関わり方とか、そのあたりを伺ってますので、ぜひ聞いてください。
そうやってドイツでずっと20何年間ずっと成功されてきて、なぜパリっていうのが出てきたんですか?
今から5年前になるんですけど、日本の和牛が、それまではヨーロッパ輸出禁止だったんですよね。
それが法律が変わって輸入できるようになったんですよね。
僕の親族が和牛の繁殖農家を宮崎でしてまして、今2世代なんですけど、もともと和牛っていうものに関してすごく身近だったんですよ。
もう一つ大きな要因としてあったのが、宮崎で肯定器っていう病気が起きて、畜産物が、
例えばですけど、牛が一頭肯定器にかかっている牛が見つかったら、無条件で半径2キロの牛を全部殺さなきゃいけない。
生きたまま。
っていう病気が広がってしまって、もちろん私の親族も、宮古の城っていう場所で肯定器の被害自体は水際で止められたんですけど、
ただ、ほとんど畜産農家の方たちが外に出れないぐらい、どこからその病原体が移るかわからないので、
もう1、2年は外に出れないような、もう本当に廃業される方も多くて、
っていうことが起きて、それまで僕も里帰りすると、
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野木崎で、宮古の城でバーベキューをみんなで食べたりとかしてたんですけど、
その期間っていうのは、本当にそういうこともできずにだったんですよ。
で、何とか復興支援が遠方からできないかっていう部分で、
ドイツの方から日本に戻って、地元の方でいろんなチャリティーをしたりとか、いろんなフェアをしたりとかっていうことをしていたんですよね。
で、その時の関係で和牛の、そういう状況でも一生懸命頑張ってらっしゃる畜産農家の方とか、
そういう方々との関係がぐっと近くなったんですよ、また。
で、もしもヨーロッパで和牛を紹介できるようなことが、その時はまだ法律で許されてなかったのであったら、
ぜひ、あなたみたいな人に紹介してもらいたいっていう風に言ってもらって、
で、僕も調子よく、任せてください。育ったら頑張りますよ、みたいな話をして戻ってたんですよね。
そしたら解禁されちゃったんですよ。連絡が来て、
あ、早速。
分かるよね。言ってたじゃんっていう感じで。
で、とはいえ、どういう感じで、その時ちょうどヨーロッパ、日本の和牛が来るんだっていうので色めきになってたところに、いろんな卸の方、畜産関係の。
そうですね。
話を聞きに行くと、大体の出口が金額なんですよ。和牛は高く売れるから。和牛は高く売れるからとおっしゃるんですよ。
でもそれって、僕がドイツに来た時に感じた、あの日本食は高級だからっていうのとすごくかぶったんですよ。
で、気持ちの中で違和感がもやもやと出てきてしまって。
なぜかというとやっぱり販食農家親族に持っていると、365日家の横で子牛と母牛を置いて、自分の子供みたいに育てていってるんですね。
その出口が高く売れるからっていうところだけで話されてるところだけだとすれば、
これはもしかすると、自分はもう一回あの時に立ち返って、チャレンジをした方がいいんじゃないかなっていう気持ちになっちゃったんですよ。
なるほどね。確かにかぶりますもんね。当時の話と。
で、自分で和牛の卸会社を作って。
それはもちろんドイツで。
和牛を輸入して、それもまたこだわりがあって。
例えばですけど、和牛って都道府県の名前に由来するのが多いんですよ。
例えば宮崎で育てたら宮崎牛。鹿児島で育てると鹿児島牛。
でも大きいじゃないですか。パイが。
となると作っている生産者の方もいろんな方いらっしゃるわけですよね。
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もちろん皆さん一生懸命作っていらっしゃるんですけど、でも人にはもちろん各々の生活リズムがあって。
やはり自分の良化に力を注ぐ方々もいらっしゃれば、そうじゃない方もいるんですよね。
って考えたら、押し延べて一つのブランドネームのものをその全てがいいですよとして販売することにも違和感があったんですよ。
なぜかというと現地の方たちがまだ、とはいえ僕はこの生産者の牛が好きですって言うほど研ぎ澄まされてないから。
分かってないですね。
分かっていらっしゃらないから。
それだったらまず入り口として僕が伝えるのは顔が見える生産者で、
そして伝わりやすい作り方でお客様にご提供しているものっていう風に思って。
それでその時にちょうど皇帝機の復興支援で縁がすごく深くなった尾崎さんという方がいらっしゃって。
その方は僕たち繁殖農家からしても本当に肥育農家としてしっかりと和牛を育ててくれている方だっていう提表は前から伺っていたので
お話をして、ヨーロッパの総代理店という形で中心的にそれを入れさせてもらえることになって。
今ご紹介するっていう形をこの5年ずっとヨーロッパ各国に自分で行って、直接そこのシェフと話をしたり。
僕自身が調理をするので実際調理をして食べてもらったり。
1年間で車で6万キロぐらい走って、飛行機にそれこそ150回ぐらい乗って。
ほとんどドイツだけじゃなくてもほとんどたちこちに。
もう全部行きましたよ。今ヨーロッパ12カ国ぐらいに確か取引があるんですけど。
いろんなところに行って、いろんな方々と話をして、食べてもらって、ディスカッションしてっていうのを繰り返しましたね。
それはだからいわゆる和食だけではなかった?
もちろんです。はい。むしろ和食の方のところにはいかなかったです。
たとえばフランスだったらフレンチとかそういう形で和牛を使ってくれそうなところを当たってたんですね。
でもそこもやっぱり料理をやっているので聞きに行くツボはわかるんですよ。
まずそこのお店の客単価がわかること、あとはお店の雰囲気。
例えばですけど、コースメニューとかって7品とか8品とか来るじゃないですか。
それを例えば100ユーロってお客様にご提供するとしても、結局一皿に組み合わせて考えたらもう10ユーロいかないんですよね。
その中で減価率というものが発生して考えたら、たとえば10ユーロのお皿でも減価率30%っていったらそれでも3ユーロですから、和牛で考えたらまず厳しい金額なんですよね。
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だって1キロ30ユーロの牛であればですけど、和牛だってどうしても80ユーロとか100ユーロとかってしますので、そうすると10%の減価率でもうってなるわけじゃないですか。
ですからそういう部分も十分に考えて、メインディッシュとしてお肉をお客様にご提供しているところであるとか、
あとはコースメニューとしてもコースメニューの仕立ての中でお肉がとても提供があって、そのお肉もたとえばある程度お皿のポーションとしてプラスアルファでお客様が食べていただけそうなご提供の仕方をされているところとか、もちろんいろんな方々の紹介とかもいただきましたし、っていう風にして一個一個一件一件いきました。
その中でレストランをオープンしようと思ったのはどういうきっかけだったんですか?
それを続けていくとやはり一番大きくぶつかる壁というのがですね、やっぱり和牛とかって日本からブロックの状態で届くんですよね。
内臓とか骨とかは輸入できないので、お肉だけが塊で来るんです。レストラン1店舗単位でその塊を購入して、2キロから10キロくらいの幅ですけど、それを全て使い切れるかって考えたら非常に難しいことがあるのと、
あともう一つは牛のパーツっていうのは細かく焼肉屋さんみたいな分け方じゃなく、大まかに分けても12,3部位分かれるんですよ。スネとか肩とかフレとかですね。
そうなるといろんな部位を試そうと思っても結局一個一個ブロックで購入したいといけないんで、現実問題不可能なんですよね。
そういう壁にぶち当たってた矢先にスペインとかフランスとかを巡っていると、向こうのシェフの方々って探求心と好奇心が非常に高いんですよ。
例えばサーロインだけじゃなくて、僕は牛のこの部位が出したいんだ。この部位はどういう風に手に入るのかとか、この部位とこの部位をちょっとだけ食べてみたいと。
要は食べなければイメージがわからないからご提供できないじゃないですか。だからそういう話をいただきながらも結局それをお客様にお渡しできない。
そのストレスがすごく高くなってきたんですよ。
もう一つは、僕今までずっと子供がお小遣いを握りしめてでも食べに来れるお店を当たり前で追求したいと思って作ってたじゃないですか。
でもこの和牛っていう分野に関して考えても、少しでもリーズナブルにいろんな部位がご提供できるようになって、またその部位をレストランだけじゃなくて一般家庭とかでも食べれるように。
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要は子供たちのお母さんの味がフランスでとかもしくは外国で和牛とかになったらそれはそれで意味があるかなっていうふうに思ったりした気持ちがだんだん大きくなって、
これ自分でメゾン作って、そこでいろんな部位が食べられて購入もできて、レストランでも実際ご提供できるような環境を作るしかないなっていうふうに思って、
どうせやるんだったら世界の食の発信基地、そしてヨーロッパを代表する食の聖地であるパリでやりたいなと思ったのが理由です。
そこでパリが出てきたわけですね。
それを決めたのはいつ頃だったんですか?
3年前です。
そこから準備をして、やっぱり準備とかそういう中でドイツで培った経験が活かされることもあれば、フランスだと全然ダメだなみたいな、違うなみたいなこともあったんじゃないかなと思うんですけど。
そうですね。ありましたね。ていうかありますね。
ありますよね。
間違いないです。
やっぱり苦労されたところもフランスだからこそっていうのもあるんじゃないですかね。
そうですよね。ドイツで一人で始めたので、その気持ちが強ければ、作りたいやりたいって気持ちが強ければ道は開けるんだって思う気持ちもあるんですけど、
やっぱりどうしてもこのパリでこのコンセプトで伝えていくにはやはり組織を作らなければいけないし、
でも自分のその昔のようなベクトルで、そのスタイルではやっぱりできない現実もたくさんあるし、
まだまだね、僕自身がフランスの文化であるとか、もちろん言語もそうですし、いろんな部分で赤ちゃんみたいな存在なので、
逆に今までの26、7年が重いですよね。
ドイツ語であれば何の苦労もないものがここではもうゼロからなので、
でもそれって何にも当たり前も本当シンプルに当たり前のことでみんなゼロから始めるから、
でも一つの言語っていう部分だけを切り離して考えたら、自分が今までやってきたことだらけなわけじゃないですか。
でもそれができない。だから接客してる時が一番楽しいですよね。
お客様と向き合って、お客様と話して、お客様に笑顔で帰っていただくっていうことだけが楽しいです。
あとはスタッフたちにも何か得るものを与えてあげるにも、僕はまだそれができるだけの力もないし、いろんな力不足のストレスは多いですね。
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スタートした時はどんな形であれそうなんでしょうね。
あとは二重生活なので、今1月だけドイツに戻って、営業中はパリに毎週毎週来てるんですけど、
それで時間軸が乱れてくるのは全然大丈夫なんですよ。
僕は本当にこの仕事大好きなので、ただ寂しい思いをさせている家族もいますし、向こうのスタッフたちももちろんいますし、
自分がやる中でいろんなわがままを自分の中で周りのみんなに目をつぶってもらいながらやっているから、
お客様がいらっしゃらなかったり、こうやってまだ駆け出しで住んでいる状況っていうのは申し訳ないなっていう気持ちと、やっぱり大きなストレスはありますかね。
なるほどね。確かに土日だけ向こうに戻られて、向こうにお店があるわけですもんね。
家族もいる中でこっちでもオープンさせているわけだから、見栄えやっているようなもんですよね。
和牛もありますからね。
それはやっぱりドイツを起点に来ていらっしゃるってことですね。
そうですね。自分で痛感していろんな国に仕分けなきゃいけないので、いろんな国のシェフとディスカッションしたりとかっていうのは非常に多いです。
メニューが変わる時期とかもそうだし。
いろんなそういう話に対応することはパリのお店とかドイツのお店には一切関係がないことだから、学びにもつながりますよね。
いろんなシェフたちの希望であるとか、もちろんその国に合う食材をそのシェフたちにこの食材はどうでしょうかとか、
この部位はこのぐらい寝かせるとこういう風にみたいな話とかっていうのができるっていうのはプラスアルファで自分の能力じゃないですけど、そこを引き上げてくれてはいるんじゃないかなっていうのは感じるから、そこは楽しいんですけどね。
体力と気力が半端じゃなくエネルギッシュじゃないとなかなか大変な。
そうですよ。全く違う時間軸が1日の中でいっぱいあるんですよ。
ですよね。
でもレストランの営業ってお客様にこちらの都合、ご都合を言えないので、やはり来ていただいてお帰りになるまではお客様が買ってくださった僕たちの時間なので、やっぱりそれはお客様のために使わなければいけないから、その間はできないじゃないですか。
ですよね。
だから、アフターかビフォアかなんですよ。
ほぼずっとおにぎり時代のように。
でも、あのおにぎりの厚さを考えたら、
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まだやっぱりあれには勝るものはない。
勝るものはないですよ。
湯気がもう本当にモンモンとしているときに突っ込まなきゃいけないっていう手を、燃えるような厚さを考えるとまだ全然大丈夫です。
そこに原点があるわけですね。
今後の、もちろんこのパリのお店を展開していくっていうのは前提だと思うんですけど、今後の特に和牛に関してとか、なんか展望ってあるんですか?
なんかいろいろ、和牛のレクチャーとか和牛の講義とかに関しては、
この前はサンセバスチャンの料理学校で講師の方をしたんですけど、
2月の頭はストラスブールでお話をいただいていたりとか、そういうこともやっていきながら、
あともう一つは、考えてみたら、27年前から今に至るまで、このぐらいの職務経験じゃないですけど、
いろんなことを見てくる機会もありましたし、
あとは日本からこちらに食材のこととかで来られる方たちも含めて、
ディスカッションをして、何か少しでも得るものを感じていただけるようなことがないかなっていうふうに思ったりもしてきてるんですよ。
いろんな方が質問に来られたりとかっていう機会も多いですし、
そういったことを少しでも、何のたちになるかわからないですけど、
経験を誰かに生かせてもらえるような生き方ができればなっていうのは思います。
伝えていくとかそういうのも含めてっていうことですか?
聞きたくない方の方が多いでしょうから、聞きたくない方たちに話してもしょうがないと思うんですけど、
ただその求める方たち、例えば今から海外で仕事をしたいって方は頑張ってくれればいいと思うんですよ、自分で。
ただ例えばよくあるのが、こういう商品をヨーロッパ向けに作ったんですっておっしゃって持って来られる方たちに、
これなんでヨーロッパ向けにって思われたんですかって言ったら、
いやこれが流行ると思ってっておっしゃるんですよ。
日本できっといろんなチームを組まれて一生懸命その時間をかけて予算をかけて考えられたと思うんですけど、
でも実際現地で見てきた、経験してきたことをベースにもしくは参考の一つとして考えたら、
もしかしたらそれは法的にとか引入できないものでもありますしね、
もしくはその国の人が好まない色であるとか形であるとか、あとは踏んじゃいけない因ってあるじゃないですか。
これをフランスではとかこれをドイツではってありますよね。
そういうものも事前に分かれば、その方たちが注いだ時間とかお金とかが少しでも無駄なく生かせれるんじゃないかって思うこともあるんですよ。
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だからそういうところの分野で考えたら、僕が今まで経験してきたことっていうのは少しお役に立ってもらえるのかなと思うこともあるので、
そういうので誰かの役に立てるような、誰かのためになれるようなことができればなっていうのがあります。
いやー素晴らしいですね。
でもそしたらまた時間がなくなっちゃうんじゃないかなっていう気持ちもあるんですけど、
でもやりたいんですよね。結局はさっきの日本食を始めた理由も和牛を始めた理由もそうなんですけど、
たまにものすごいお金を払われてそういうアイディアを買われたりとかされている方々もいるんですよ。
そのアイディアを販売される方々たちももちろんいろんな経験積んでこられたと思うんですけど、
それがこのヨーロッパのどこどことかっていうところにひも付いた経験ではなくて、
ただの海外経験であったりとか、そういう方々もいらっしゃらないわけではないので、
って考えるとやっぱりそこにひも付くんですよね。
それだったらどうせそういうお金を使うとかそういう時間を使われるのであれば無駄にさせたくないっていうのがあったりして。
なるほどね。もう好奇心旺盛でどんどんやりたいことが広がっていく。
いやもうこのぐらいでいいです。
僕の場合はもうはっきりとした意味があって、意味があるものを当たり前に追求したいんですよ。
だから例えば海外に何かを持っていきたい方がいらっしゃったら、
当たり前に何の淀みもなく本当に伝わる、少しでも最短の方法でそれをやってもらいたいし、
でなければそこから先の苦労はみんな一緒なんで、スタートラインは。
時間をかけていろんな方たちに会って話して熱意を伝えてっていうことは変わらないので、
できればその根っこだけは少しでも負担を減らさせたいって思ったりとか、
あと和牛ももちろんそうですし、そうなんです。
いろいろやることがあって素晴らしいですね。
でももうその大谷さんの熱意は本当に初めてお店に伺った時からすごいパッションを感じてたので、
それに基づいてきっと実現されていくんだろうなっていうのは。
そうなっていければいいですけど、
自分が今やっていることをすべてを残したまま継続はしていけないので、
ドイツもいろんな新しい方々も増えてきたし、
そうしたらもう僕自身に問われていた役割っていうのは、
ドイツの中では少し一旦置いて、
フランスとまた先ほどお話ししたようなことに意識を収集した方がいいかもしれないし、
やっぱりいろいろ考えてます。
これからはまたそれに応じて変わってくる可能性があるっていうことですよね。
新しい挑戦ができるように。
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今日はありがとうございました。
大谷さんの2回目のインタビューでした。
今回は、なぜパリにレストランを開いたのかとか、和牛をなぜ取り入れたのかっていう話だったんですけど、
宮崎で起こった肯定疫という牛の病気ね。
覚えてますよ、私。
近いですもんね。
私の実家の隣の県でそういうことがあったんだみたいな、半径2キロ以内?
結構大変だったみたいですよね。
その頃確か東さんが知事をやってた時代だったと思いますよ。
すごいよく覚えてる。
宮崎は特にそれでも有名になっちゃって、注目を集めちゃったみたいなところもありましたもんね。
そこからそれが落ち着いた頃に、ちょうど和牛もヨーロッパで解禁になったんですね。
確かにこっちでも話題になりましたもんね。和牛っていう名前が入ってくるよ。
お肉屋さんに行くとポスターとか貼ってましたよ。和牛とか。
和牛って書いてありますもんね。
だから和牛って言われても、どこか書いてないんだけども、和牛と書いてあるみたい。
日本なんだなぐらいの感覚ではいたと思うんですけど、
確かに今もそうだと思うんですけど、和牛ってやっぱ高いっていうイメージありますよね。
高かったですよ、その当時も。
もっと高かったと思います。
すぐそこのお肉屋さんでも和牛ってポスターが貼ってて、和牛買いに行こうって言ったんだけども、
フランスのお肉の2,3倍ぐらいしたと思いますよ。とても手が出なかった。
そういうイメージですよね。だから気軽にマルシェで買えるっていう感じではないんですよね。
それが彼の日本食は高いみたいな、当時ドイツに来たときの感覚とすごいかぶって、
和牛を気軽に食べれるような感じで、もっとチャレンジしていきたいみたいな感じで、
ヨーロッパでの販路を広げていったっていうところからスタートして、ヨーロッパを大移動してたっていうところでしょうね。
この辺も行動力の。
すごいお旅行というか、旅邸を組まれていろいろと決まってたっていうことですよね。
そこから氷とか食べれるっていうのを同時にできる場所を作りたい。
作るんだったらやっぱりパリでやろうっていう感じでパリでお店を開いたという。
彼の考え方ってのは結構常に貫かれてるというか、やっぱり原点が必ずあって、それに基づいていつもやってらっしゃるなっていう感じがしましたね。
和牛がここまで定着というかポピュラーになったのって、実はこういうお姉さんの裏方でいろいろやったからなのかなってちょっと思うとすごい感動ですよね。
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そういう感じでまたパリで和牛は気軽にもっと食べれるようになった。
食べれるようになったのはありがたいことですよね。
ありがたいことですよね。そうなんです。
なので是非良かったら、日本以外からでもパリにいらっしゃった方は是非フレンチスタイルの和牛を是非彼のレストランで召し上がっていただきたいなと思います。
また次回も素敵な方をお呼びする予定ですので楽しみにしていてください。
ありがとうございました。
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また次回もパリで学んだブレない自分の作り方をお楽しみに。
秋でした。
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