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#29「AI時代だからこそ、何が“人間の価値”として残るのか?」
2026-04-07 29:26

#29「AI時代だからこそ、何が“人間の価値”として残るのか?」

ここまで、AIやフィジカルAI、 そして未来の保育園について想像してきました。

テクノロジーは確実に広がっていきます。では、その先で人間の価値はどこに残るのでしょうか。

今回は、AI時代においても変わらない、あるいはむしろ強く問われる“人間の保育”を考えます。


▼ホスト

近藤敏矢(社会福祉法人みなみ福祉会理事長)

安藤武司(こども環境アドバイザー)


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サマリー

AI技術の急速な進化、特に画像生成や音楽生成AIの登場により、その能力は多岐にわたっています。かつては専門的なAIでしかできなかったことが、汎用的なAIでも可能になり、私たちの生活に深く浸透しています。このような時代において、「人間の価値」とは何か、AIと人間の違いは何かという問いは、哲学的な領域へと踏み込んでいきます。 人間が得意なこととして、曖昧さの中でも行動できる能力や、場の空気を読む力、そして他者に感動を与える力が挙げられます。AIは効率性や精度においては人間を凌駕する場面もありますが、感動を生み出す「アート性」においては、現時点では人間にアドバンテージがあると考えられています。これは、単なる技術的な成果ではなく、その過程にある人間の情熱やストーリー、個性といった要素が、人の心を動かす源泉となるからです。 保育の分野においても、この「アート性」の視点が重要視されるべきです。STEM教育がSTEAM教育へと進化するように、究極的にはアートを目指すことが人間の活動の本質であり、保育士と子どもの関係性におけるアート性は、AIには代替できない人間の価値として残るでしょう。AIがアートを生み出せるようになれば人間の優位性は失われますが、現時点では、人間が持つ独自の感性や経験から生まれる「感動のもと」こそが、AI時代における人間の本質的な価値と言えるのかもしれません。

AIの進化と人間の価値への問い
あなたは保育園にどんなイメージを持っていますか? 笑顔の先生、元気な子どもたち、でもその裏側には、球体依然とした経営と見えない苦労があります。
実は多くの保育園は30年前とほとんど変わっていません。 人手不足、紙と電話の業務、親の不安。
AIが保育園を変えるでは、元NTTエンジニアで30年の経営者である私、近藤が、子ども環境アドバイザーの安藤さんと一緒に、AIとDXで保育園をどう変えたかを語ります。
テクノロジーは温かさを奪うのではなく支えるもの。 未来の保育に本当に必要なこととは、保育園を変える。今こそその時です。
こんにちは。社会福祉法人南福祉会の近藤です。
こんにちは。子ども環境アドバイザーの安藤です。
よろしくお願いします。
今回はAI自体だからこそ、何が人間の価値として残るのか、とても深いテーマから、重いテーマ、広いテーマだなというふうに思いながらテーマを眺めております。
テクノロジーって言われますけど、哲学の世界ですよね。
最終的には哲学に入っていきますし、結論を一番最初に言っちゃうと、私の中での結論はアートだと思っています。
なるほど。
アートと哲学っていうのは、多分とても神話性が高いというか、似たような隣同士の領域なんじゃないのかな。
そことの関係性がどんな感じになるのかっていったあたりが、今回の人間の価値だったり、AIとは何かっていうところに関わってくるのかなと思っているんです。
なるほど。
テクノロジーっていうのは確実にどんどん広がって、私たちの身近にも入ってきますし、テクノロジー一つ一つがどんどん進化、進歩していってる。
ものすごい勢いで広がってるんですよね。
AIの能力拡大と人間との比較
私たちはGoogleワークスペースを使っているので、ジェミニをよく使うんですけど、ジェミニは画像生成、ナノバナナだけではなくて、音楽の生成もやり始めましたし。
そうですか。
音楽はやってないですね。
音楽が作れちゃうんです。
なので、ジェミニを開いて、プロンプトでいい感じの曲みたいな感じで音楽生成モードにすると、いい感じで音楽作れます。
なおかつ、生成AIが作ったものなので、著作権フリーです。
なるほどね。
今までだと、別の専門の専用のAIっていうのがあったんです。
ソラが動画だったかな。
音楽はまた別校のやつがあって、それを組み合わせてYouTubeに上げるみたいなセミナーをデモとしてやってる人たちがいて。
セミナーの途中でですよ。
セミナーでうわーといろんな話しながら、ついでにこんなことできますね、こんな動画作れます。
こんな音楽、ユーミみたいな曲できましたね。
つなげましょう、YouTubeにアップしました。
みんな見てね、いいねがつきましたね、みたいな。
短いセミナーのあちこちの話しの流れのほんのちょっとのところで、そこまでの操作ができるようになった。
それぞれの専門のAIがあったのに、今、汎用のジェミニでもオープンAI、チャットGPTでもある程度は動画ができたのかな。
動画できました、確か。
私の写真をチャットGPTに上げて、今あるじゃないですか、写真が急に笑い始めるとか、
例えば坂本龍馬がにっこり笑って誰かと談笑する、
あんな感じのものを作れないって言って上げたら、ぴったりのものはできなかったんですけど、
私がちょっと斜めを向いた写真が、もうまっすぐ前を向いた画像になってて、
いきなりペラペラと中国語を話し始めるという動画を作って、
私はそんな喋り方をするような指示を出してないと思いながら、
でもチャットGPTでもそういうことができるようになってますね。
そういうAIがどんどん広がっていく中で、
じゃあそこの中で人間が得意なこと、
AI vs 人間という役割対立ではなくて、
それぞれの価値得意なことっていうのは違ってきますよねっていうことで考えると、
人間っていうのはじゃあ一体どういう感じなんですかね、
AIとは何が違うんですかねっていうのは、
多分安藤さんが最初に言われた哲学に入っていくと思うんですよね。
人間って何なんだろうとか、知性って何だろう。
知、知恵の知って何だろうとか、
ひょっとすると自我に行くかもしれないですし、
もうそれの究極として存在とは何かっていうところも、
ひょっとすると出てくるのかもしれないですよね。
私は哲学を詳しいわけでは当然ないので、
素人でもかじりもできてないんですけど、
高校の時にやったような、古い知識をちょっと呼び起こせれるかな、
一番の存在のエレメントかプラトンかなんかがいたような、
エントロピーがどうのこうのだとかいう話があったかと思うんですけど、
人間が得意なことっていうとどんな感じになってくるんですかね。
曖昧でも動けちゃうとか、
例えばデジタルの世界でいくと、ある意味明確さがないと起動しないものが、
やっぱり人っていうのは曖昧の中でも動けてしまう。
特にまた日本人は、逆に言うと場を読むとかですね、
そういったところっていうのは得意な方だと思うので、
その感じる力によって、空気感なんていうのを読みながら、
何かの次のアクションに動かすことができるのが、
人のまだ強みなのかなって気がします。
なるほど、確かに例えばExcelの仕事をやってて、
なんかいい感じで計算やっといてって言って、Excelは全く動きませんし、
それはGoogleスプレッドシートに対しても、
ワードの文章を作成するのも、
なんかいい感じで文章を作ってって言っても一切動いてくれないんですけど、
人間はそういった指示で、まあまあいい感じにやってくれたりはしますよね。
ところがなんですよ、AIはそういうところが得意だったりするんですよね。
そこが難しいんですよね。
だから私最近AIに対して質問するのは、
どう思う?ぐらいな感じでずっと質問しますね。
なんかいい感じでうまいこと文章まとめてみたいなことで言うと、
ある一定レベルの品質を出してくるんですよね。
そうなんです。
そうなんですよ。
で出てきたものに対して、
いやここのところはもうちょっとこういう風でって指示をするとまたどんどんどんどん上がっていく、
質が上がっていく、出力の精度が高くなっていくっていうのは、
本当に人間との会話とあまり遜色がない感じがする。
そうなんですよ。
なんなら人間との会話よりもこっちへの気持ちの寄り添いだとか、
こっちの考えに合わせてくるパワーで言うと、
AIの方が上手だったりしますよね。
そうですね。いらんこと言わんですからね。
ご家庭で何かあったんですか。職場で何かあったんですかっていう。
そんな感じになっちゃう。
家庭に入って配偶者と話しするよりAIと話した方が心地いいなっていう話は、
世の中もう満ち溢れてますから。
それぐらい、だからAIがここまで進歩する前であれば、
共感力、シンパシーを伴うところに関しては、
人間の方が圧倒的に上だろうっていうふうにずっと言われてたと思うんですけど、
いや、今はAIの方が上なんじゃないっていう事例も散見されるようになりました。
そうですね、本当。
高校生、大学生あたりだと、
LINEアプリでの会話よりも、
先生AIとの会話をスマホで覗き見られる方が恥ずかしいっていうことを言ってるのも、
もう出てきてる時代ですから、そうすると人間が得意なことっていうのは、
さらにまた定義が難しくなってくるな、区別がどんどん難しくなってくるなと思うんですよね。
でもやっぱりどっかで、人間とAIっていうのは違うんだろうなと思うんです。
感動を生み出す人間の力:アート性
どういったところが違うのかなと思うと、何なんでしょうね。
一つは、例えば、
WBCは実はこの収録っていうのは終わった直後、まだ終わってないのか、また続いてるのか、
日本がとりあえず帰ってくるっていう状況なんですけど、
ああいう野球だとかスポーツだとか、
例えば100メートル走だとかっていうのでもいいんですけど、
スタートからゴールまでをいかに早く滑るかとか、
スキーでジャンプしてどこまで遠く、もしくは
飛んでる間にどれだけの複雑な技をできるかっていうことで言うと、
設計された機械の方が多分圧倒的に上なんですよね。
100メートルを10秒っていうものすごい話なんですけど、
私はそんなスピードで走れるわけないんですけど、
機械でいったら、私は車ででもスタートすぐは無理にしても、
スピードに乗ったところだったら100メートル10秒を切るなんていうのは別にできない話じゃないよな。
でもそこには車で100メートルを、
例えば5秒で走ったところには何の感動もないんですよね。
見ていて。
例えばスキーで、
冬のオリンピックって本当に不思議なスポーツがいっぱいあった。
私たちが馴染みのない、
普段の生活の中で見たことのない馴染みのない競技がいっぱいあって、
一つ一つでもそれぞれにとても面白くて、
フィギュアスケートにしてもこんなことができるんだっていうのだとか、
フィギュアなんてほとんど見たことがないけど、
あの人たち、あのコンビの滑りを見て感動して涙が出たって人たちはやっぱりたくさんいて、
そこの人に感動を与えるっていうところに関しては、
AIにはできないんじゃないのかな。
100メートルを走った結果の何秒っていうことではなくて、
その走ってる姿、走ってる姿勢、走りに向けたその人の取り組みだとか、
マインドだとかっていうそういう途中経過も全部含めた途中経過を
結果のストーリーにしちゃったところから生まれる、
人間の与える影響、感動、英語で言うとムーブになると思うんですけど、
そういったところがAIに作れるのかなというところが、
今の私のもっかの関心事です。
なるほど。
だからアートだと思うんですよね。
人間が得意なことっていうのは感動であり、
じゃあAIはアートが作れるのか。
そういう話になると今度AI論になってきて、
多分私の領域を圧倒的に超えてくると思うんですけど、
そこのところの現地点でのっていう言い方をすると、
AIは画像を作ったり音楽を作ったり、
何らかの人間が行っている活動と類似のものは結果として出せると思うんですけど、
その結果をもってして人間を感動させることは今はできないんじゃないのかなと思うんですよね。
その裏に表面的にAIが関わって生成の部分をちょっと手伝ったっていうことではなく、
全自動で何もかもAI任せで作られたものには、
そこの部分の抽象的な言い方で言うと魂が入ることができないっていう言い方になるのかもしれないし、
魂っていうのもとても抽象的な言い方なので、
分かったような分からないような言い方にしかならないんですけど、
人に伝えられるこのパッションっていうのか熱量っていうのか、
感動のもとっていうのかな、そういったものが作れないのかな。
将来にわたって作り得ないのかどうかっていうのは分からないです。
現時点ではそうなんじゃないのかなっていう気が私にはしているんですよね。
そのあたりはどう思われます?
今の言葉感動のもとというのはちょっといただこうかなと思ったんですよね。
どこかで使えるようになったら使ってください、どうぞ。
本当にその場にいることによって、もっと言うとその存在の価値みたいな。
そこを感じるのは人に対してはよく持つんだろうなと思うんですよね。
それが何か感動のもとなのかも分からない。
ただそれはひょっとしたらですけど、
その方のある意味ストーリーをある程度共有できている場であったりすると、
なぜか知らないけどそこに存在としてきちっと認めることができて、
何か発言しているとか行動していなくても何かそれを感じる、勝手に相手が感じるっていうことがあるんだろうと。
ただそういう意味でいくとフィジカルAIもそうかも分かりませんけど、
多分そこにはあまりストーリーがないはずなんですよね。
開発をした人のストーリーはあるかも分かりませんが、
そこはライデリックにつながらないので、
だからなかなか伝わらなかったりするのか感動のもとにはなれないのかなっていうのは今ちょっとイメージしてました。
車の開発をするところでもこうやって作っていったっていうところには多分ドラマができて感動が呼び起こされる。
それで私好きな番組って魔改造なんですよ。
なるほど。
魔改造ってご存知ですか?
NHKの。
NHKの。
あれ面白いですよね。
あれはくだらないんですよ。
そんなことができて何の役に立つんだみたいな、
太鼓を叩くクマさんが50メートルの難病で走るみたいなものだったり、
扇風機だけでどこまで行くかとか、
トースターのパンがどこまで高く飛べるかなんて、
どうでもいい。
どうだっていいんですけど、そこに真剣になって取り組む大人たちの最高レベルの人たちのあの姿っていうのはドラマなんですよね。
そうなんですよ。
そうなんですよね。
パンが5メートル飛んだ、いやそれを超えた7メートル飛んだっていうところに涙が出てくるし、
パンが飛べずに出なかったっていうところに悔しい涙が視聴者の方にも生まれてくる。
うわー残念っていうのが、あれが何かパッションのような感じがするんですよね。
それを何だろうな、
チャットGPDとジェミニットクラウドが設計をして、
それからの指示で3Dプリンターで出てきたもので競争って言って、
ぽんぽんぽん飛んだので飛ばなかったねっていうと、
じゃあクラウドが一番いいねっていう、
単に丸付けでおしまいになっちゃうような感じになるんじゃないのかな。
なんかそこは違うような気がするんですよね。
どうなんですかね。
いやわかんない、今でも聞いてて、
本当にアルマ解像大好きですし、
もう本当にドラマですよね。
同じようにNHKで言うと、
プロフェッショナルっていう、素晴らしい開発事業をしている人たちに光が当たるんですけど、
決して出来上がったものに対しての称賛ではなくて、
そこに向かおうとした人間ドラマっていうところ。
もう一つ今話を聞いてて思ったのが、
高校野球が大好きな人たちっているじゃないですか。
そこにちょっと近いのかなという気もして。
そうですよね。
技術として高いものがよりいいって言うんだったら、
メジャーリーグだけ見てればいいんですよ。
プロ野球だけ見てればいいんですよ。
1軍選手だけ見てればいいんですけど、
2軍選手の試合見に行って、
選手にヤジを飛ばす人もいますけど、
ヤジを飛ばすという形での交流も深めながら、
あいつ何か育ってきたよなっていうような見るところだとか、
高校野球の独特の雰囲気、
この1球でおしまいになってしまうかもしれないっていう、
あの空気感が好きな人っていうのはやっぱりありますよね。
あります。今そういえば思い出したんですけど、
先だって友人と喋っていて、
なぜ草野球はなくならないのかっていう話をしていて、
あの草野球ってやってる人じゃなくて、
たまたま例えば河原というか、
どっかの球場でやってるところがあった。
そこを歩いた人、歩いてる人で、
1人2人ぐらいは全く誰も知らない人なのに、
何かヤジじゃないけどあそこはこうするべきだっていう、
すごいコーチになったり監督になってる人がいると、
あの関係性があるから、
あの草野球はなくならないんじゃないかっていう友人がいたんですね。
なるほど。
そうですよね。絶対上手くないですもんね。
それそうですよね。
そうですよね。
子供のコンテストにしても、
のど自慢なんかも同じNHKさんですけど、
あれもやっぱり何かこう、
いろんな姿勢だとか歌ってる人のドラマだとかっていうのを、
感じさせるものがあるんでしょうね。
綺麗な歌だけ聴きたかったら、
紅白だけ見てればいいんですもんね。
プロの歌だけ聴いてればいいんだけど、
そうじゃないところに何かこう、
人の心が動かされるものがあるんでしょうね。
それはAIが作った曲、
AIはもう歌も歌えれるんです。
そうですよね。
歌詞を作るだけでなく歌わせることができるんです。
多分そこの歌の中に、
多分出てこないんでしょうね。
ような気がする。
だから僕はアートだと思ってるんですよ。
AIがアートを作れないの、
どうかどうかっていうのは分からないですけど、
人間が得意なところ、
現時点でAIに対して、
AIが今の時点での進展を進めていく中での、
人間のアドバンテージって言ったら、
アート性だと思ってるんですよね。
どれぐらい綺麗な絵を描くかっていうことじゃなくて、
汚い絵なら汚い絵なりの、
芸術性って言うんですかね。
その人の個性っていう言い方になるのかも分からないですけど、
見た人に何かを伝える力っていうのは、
なんかそういうのがいいのかな。
工業製品的な緻密な絵描かれると、
それはそれで上手なんですけど、
やっぱりなんかそこに不足感を感じるのは、
なんか機械っぽいからだったりするのかもしれないですよね。
今、アートっていう中でちょうど、
保育におけるアート性の重要性とAIの限界
ピカソのゲルニカっていう絵を思い出したんですけど、
また好調なところからいきますね。
教科書で習うじゃないですか。
なぜこの絵が評価されているのか正直分からなかったんですよ。
分からない。
なんですけど、
たまたま20年くらい前ですかね、東京に来た時に、
ちょうどピカソ展をやってて、
彼が我が子の青年の絵を描いたスケッチ。
本当にスケッチです。
それを見た時に、この人の愛っていうか、
そこに魂があるっていうのを、
ちょうどゲルニカとの対比の中ですごく感じたんですね。
そう思った時に、この人が描くゲルニカって絵は、
多分こういう願いがあるんじゃないか。
その言われた魂と繋がれた感じがしたんですよね。
そう、そんなところだと思うんですよ。
だから高度になればなるほど、
素人はついていけなくなるので、
なんか子供の絵と変わらないじゃんと思うんですけど、
だからこんな絵何が面白いの。
昔の絵見たら、
この人前は上手に描いてたのにっていう評価をする人もいるんですけど、
そうじゃなくてそれを超越していくと、
素人では見えない景色に入っていくんですよね。
そういう領域のところまで進化し続けるっていうのが、
人間の個性であり特徴であり、
やっぱり優越アドバンテージなところなのかなという思うんですよね。
そこからぐっと今回の話のテーマの保育っていうところに持ってくると、
僕は保育のアート性を定義していくべきなんじゃないのかなと思うんですよね。
要は今言ってる保育の質っていうところに、
アート性っていうもののカテゴリーをきちっと入れていかないといけないじゃないですか。
そうそう。
STEM教育がSTEAM教育になったじゃないですか。
理系の科目だったところに、
アートが入ったところが今の教育のやっぱり一番大事なところで、
ここだけ異質だねっていうふうに評価をする人がいるんですけど、
数学的なものの理系の究極のところってやっぱりアートなんですよね。
一番の昔の人の古代の哲学者は数学者であり、
音楽の一番最初は数学なんですよね。
だから文系がダメだとかいう低レベルの話をしてるわけではなくて、
やっぱり究極のところっていうのは、
アートを目指していくっていうのが人間の活動の究極なんだろうなと思うんですよね。
そこの割には保育を語る研修だとか保育の語り場のところで、
人間である保育士と子どもとの関係性についてのアート性っていう視点での語りって、
とても少ないんじゃないのかな。
アート自体の語りがとても抽象的で、とても難しいので、
なかなか入りづらいところはあるんですけど、
視点としてはアート性っていうのは多分とても大事なんじゃないのかなと思うんですよね。
保育における関係性が、子どもと保育士との関係性っていうのが、
AIで代替できるのかどうかっていうのは、
AI側がアートを持てれるかどうか。
逆にAIがアートを持てれた瞬間に、
もう人間の勝ち目は何もないっていうキーサイズ、私は知っているんですよね。
もうそこまでいったら哲学も何もかもAIに任せればいい。
もうAIの奴隷として、
細胞分裂を行うだけの生き物っていうところに落ちるような気がしているんですよ、なんとなく。
僕は今話を聞いて思ったのは、
今私たち人類が認知できているものっていうのは、まだまだほんとごくまだ一部だろうと。
AIもその中で作られているものだとするならば、
もう私たちが今見えてない世界がまだあるとするんであれば、
そこの部分ではひょっとしたらまだ勝てるのかなっていう感じがしましたね。
もしそういうものがあったとしたら、
その世界にたどり着くのはAIが先か人間が先かということになるかもしれないですね。
それが人知の今までの蓄積という階段を上らないといけないんだとしたら、
AIの方が先になっちゃいますね。
早いですね。
圧倒的に早いはずです。
そういうところで勝つではなくて、
芸術性だとか哲学みたいなところ、
要約する力っていうのに関してはAIがもう計算でできるようになった。
けれどそこのところから生み出される何か新たな価値観っていうものは、
やっぱり人間の方が価値が高まるんじゃないのかな。
だから最後に残る価値っていうのは、
そのアート性なんじゃないのかなっていう気がするんですよね。
大学で原子物理学をやって、原子力、原子物理学ってあるんですかね。
あると思います。
その彼がですね、超理系にしか見えない彼が、
どちらかというと哲学で宗教観であったりとか、
量子力学を学んでいるんだけど、
そこで語ってるものは生々しい人間の表現しづらいようなことを、
明確にならないことをずっと語ってるんですよね。
それは繋がってるって言うんですよ。
なんかそのこと今ふっと思い出しました。
でも本当に面白かったんですよ。
すごく何か期待がある話に聞こえて、
AI時代における人間の希望と未来
そのAI時代だからこそ、
ある程度明確性が出てきてしまってる時代だからこそ、
そこの世界を知れるような形っていうか、
そこの視点を持てるようになると、
また人っていうのは本当に希望が持てる、期待が持てるっていうような感じですかね。
今回テーマをいただいて、
私の中でやっぱり最後のゴールっていうのはアートだなと思いながら、
今日の収録に臨んでみました。
ありがとうございます。
ありがとうございます。
今回もいろんなところに話が広がり、
最終的に哲学アートという、
とても私たちでは手に負えないかもしれないところまで果敢に攻めてみました。
皆さんどのようにお聞きいただいたでしょうか。
また感想などをお聞かせいただけると幸いです。
この番組はAIとDXで保育がどのように変わっていくか、
これからの保育、未来の保育について語っていく番組です。
いろんな視点を踏まえながらお伝えできればいいかなと思っております。
各Podcastアプリで番組の評価、レビューをお待ちしております。
また番組へのご質問、ご感想もお願いします。
番組公式X、AIが保育園を変えるにダイレクトメールを送っていただく、
もしくはハッシュタグ、AI保育でご投稿ください。
AI保育はアルファベットのAI、それから漢字の保育にしていただけると、
私たちもそこを見ていこうかなと思っておりますので、
どうぞよろしくお願いします。
リスナーさんとのコミュニケーションも大切にしていきたいと思っております。
皆さまからのお声もぜひお聞かせください。
この番組は毎週火曜更新予定です。
以上、社会福祉法人南福祉会の近藤と、
子ども環境アドバイザーの安藤でした。
ありがとうございました。
29:26

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