#32-2 仕事における恐怖や不安と向き合い、未来に向けて投企する考え方
2026-07-29 37:40

#32-2 仕事における恐怖や不安と向き合い、未来に向けて投企する考え方

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

このエピソードでは、労働の意味、承認欲求、そして自己実現について深く掘り下げています。単にお金を得るための手段ではなく、世界との関わりであり、自己と他者、社会との繋がりを確認するプロセスとして労働を捉える視点が提示されます。特に、他者からの承認だけでなく、自己が自己を承認することの重要性、そしてそのための社会的価値の提供について議論が展開されます。理学療法という専門職を通じて、即時的な効果を患者に提供し、それが社会への貢献に繋がることに喜びを見出すという考え方も示唆されています。また、ノブレス・オブ・リージュの精神に基づき、得られたものを他者に還元することの意義や、変化し続ける時代に対応するための努力とレジリエンスの重要性についても語られています。最終的には、未来への「投企」というハイデガー的な考え方を軸に、不安や恐怖と向き合い、長期的な視点で努力を続けることの価値が強調されています。

労働の本質と自己承認の追求
こんにちは、田代です。こんにちは、堀です。
Advanced Therapist〜エピソード32本目の後半部分ということで、前半はですね、社会的な労働とか仕事に関する偏見と、理学療法領域における臨床教育研究とか、それぞれにおける影響してくる要素みたいな話があったかなと思うんですけど、
改めて労働の意味をどう感じていくかというか、個人難易からまた広げて話していこうかなと思います。
はい、よろしくお願いいたします。 労働って改めて考えると、簡単なようで難しいというところ。
簡単なようでって何かというと、だってお金をもらうことでしょって言われると、確かにその通りだと。
ただ、そのお金をもらうという行為っていうのは、労働における結果であって目的ではないわけですよね。
その結果というものだけを見過ぎていくと、どうしてもバンアウトだとかしてしまいがちだろうと。
なので、労働というのは僕の概念で言うと、単なる生産活動ということではなくて、世界との関わりなんですよね。
世界の関わりというのは何かというと、その世界に関わっている自分というのがいると。
その自分というものが他者との中で、他者からも自分からも承認される一つの契機であるというふうに捉えているんですね。
だから、社会活動というものは、自分と他者の存在そのものが一体何であるかというのを見させるものであって、
社会制度だとか、あるいは政府の考え方というのは、すごくそういう自分の存在に影響し得る流れであるから、
それをいかに捉えていこうとしたときに、労働というものを介して自分の存在というものを社会に投げているというところが僕の労働の概念なんですね。
なんとなくわかりますか。もう少し紙を叩かなきゃいけないと思いますので。
人間が動物的であれば、そういうふうに何かお金だったりとか食べ物とかが得られれば、もう生きてはいけるかもしれないけど、
その仕事だったり労働を通して他者と関わる中で、それが知的活動をする中、人間としてはやっぱり他人との関わりというのが重要かなと思うので、
その一つの大きな要素としての労働というのも大事だよねという感じです。
今の田代さんの話で思いつきました。
要は今、若い学生とかと喋っていると、承認欲求という言葉が一つのキーワードになって、
例えばSNSにアップして誰かに承認してもらいたいんですね。
それはいいねとか好きとかっていうような、あるいは可愛いって言ってもらうような承認というのがすごく必要なんですよ。
それを僕は労働を通して社会に承認をしてもらいたいんだと思っていると思います。
だからそれがもう少し承認欲求が複雑化されているってことですね。
なるほど、そうですね。
承認っていうのも確かに友人とか他者から承認されるっていうのもあれば、家族とかから愛を受けるみたいのもあると思いますし、
そことまた違った、仕事として何か社会に対する価値を提供して、それに対する承認とか何かを受け取ってみたいな、そこへの価値を重視しているっていう感じですかね。
かつ僕自身のその承認っていうものが、どこに一番承認をしてもらいたいかと思うのは、これちょっと面倒くさいですけど自分なんですよ。
要は他者の承認を得られたからといって自己承認が常に満たされるわけではない。
だけど自己が承認したからといって他者の承認がなかったらそれはイコールではないっていうところで、めちゃくちゃ面倒くさい承認形態を持っているんですね。
その最終的に自己が自分を承認しようと思った時に、社会的価値がないとダメだとか、
例えばお金をたくさんもらったら自分が満足するか決してそうではない。
だけどもらわなかったらそれはずっと満足しないとか、その承認形態がややこしいんですよ。
だからその意味ではインスタでいいねもらってということで承認できるというシステムってすげー楽だなと思うんですけども、
自分自身が労働の価値っていった場合に一つの要素としてはもちろんお金はあると。
誰かに承認される、一つは感謝されるというものはあるであろうと。
その中で自分自身の本当に意味があった、つまり自分が鍛えてきたものがその人にうまくフィットして、
その人自体が承認を自分に向けたっていう事自体は確かに自己承認になってくる。
かつそれが社会にすごく影響を与えたっていうところまでいかないと、
労働が僕の中で完成しないんですよ。
まあ面倒くさいっていうですね。
自己、他者、社会の三層構造と理学療法の役割
堀先生だと以前から収集したいというかコレクション欲みたいなのもありつつ、
多分自分の中で解けなかった問いを答えていくとか理解するっていうのが欲として結構あるところがあると思うんで。
それも常に終わりがないような感じですよね。
承認も受けつつ自分の中でもさらに理解を深めたりとか、新しい問いを解決していきたいっていう感じ。
なんで死ぬまでずっとそれを続けれたら幸せって感じですか。
そうですね、あと存在論的に僕が捉えた時に事故、他者、社会。
もう一個世界っていう、世界はちょっと一旦置いておいて分かりやすく言うと、
事故、他者、社会っていうこの三層構造が常にあって、
事故だけの何かでは完結しない。
たといって社会だけのものでは完結しない。
この三層というのが常にイコールで満たすっていうものが何かである。
その何かというものの一つに労働というものであったり活動というものが手段としてあるんですよね。
その手段として一番自分の中で分かりやすいのが理学療法であり、
今は教育というところももちろん一つなんですけど、
やっぱり理学療法のほうが僕の中ではすごく分かりやすいんですよね。
分かりやすいというよりは満たしやすいということです。
自分が他者に対して何かを提供すると社会が変わり得るであろうと。
それが前半で言った即時効果というので見やすいんですよね。
教育というのは刑事効果なのですぐ見えないというところがあって、
僕にとって自分自身の多くの証人が満たされるというのは、
即時効果を出して患者さんが歩きやすくなって、
患者さんがどっかデパート行ってきた、買い物したというのが社会性を帯びるので、
そういう一連の流れがすごく自分自身の何かが満たされる行為ではあるなと思います。
以前、戦争の国とかで被災者のリハビリ的な、
理学療法的なサポートが必要というときに応募されたとか、
ああいうものもだから理学療法士の印象性を発揮する場面として、
今これをやった方がいいとなったら、教育とかは長期的には大事だけど、
どっちかというとそっちを重要視したいみたいな。
まさに本当に自分自身が誰かにおいて、誰かの何かに役に立ちたいというのが常にあると。
役に立つというのはその人に喜んでもらえるということではなくて、
その先にある社会というもの自体がより良くなるということが僕にとって役に立つことであると。
社会が変化する、いわゆる平和であるだとか、
社会生産性が上がって誰かにまた波及するということの連続性がすごく自分の中では重要になってくるわけですね。
なので、理学療法推論とかあるいはメンタルヘルスとかっていうものを
一つのテーマ設定に置いているというのは、その波及効果がおそらく大きいからだろうと思っているということなんですよね。
なので自分自身の活動というのは、先ほど世界は一回省きましたけど、
世界への変化というものにいかにコミットできるかというのが僕にとっての労働の意義だというふうに今喋ってて完結しました。
ノブレス・オブ・リージュと社会への還元
そういう意味だと色マスクとかにやっぱり注目してしまうのは、社会とか世界を大きく変えるつもりをしているからみたいな感じですか?
そうですね。だから自分自身がある意味では、
努力をした結果、あるいは上手く社会的な何かしらのフィッティングがあったということによって、
ある種自分の中では満足しているところっていうのはいくつもあるんですね。
足りない足りないと思いながらも、得られたものに関して満足しているものがあると。
そうなった時に自分が満足いくことができたのは、自分の努力だけではなくて社会的なもの、あるいは誰かによって与えられたものということを考えた時に、
それを還元しなければいけないっていう発想になっているわけですね。
つまり誰かに返したいと。その返すって言った時に寄付という行為も結構僕寄付するんですけど、寄付だけではなくて、
自分自身が今持っているものを誰かに提供したいっていうものに今変化してきている。
なので理学療法推論などメンタルヘルスという新しい分野をちゃんとうまく提供することで、
自分が得られてそれによってうまくいったというものを他社に提供したいというふうに思っているんだと思います。
そこはノブレス・オブ・リージュみたいな感じですか?
そうですね。まさにそれです。
ノブレス・オブ・リージュをもうちょっと書いてみますか。
もともとフランスの貴族の話なので、本来は貴族は自分が何かしら与えられたので、
その貴族たるものを庶民に得られたものを提供しなきゃいけないというのがベースにあるんですけども、
今は貴族ということじゃなくて、たぶんおそらく僕と田代さんの今の理解の中心であるのは、
自分は何かしら与えられたと。つまり自分が勝ち取ったのではなくて与えられたと。
与えられたんだとすると、それをもう一回誰かに与え返しなさいというのが僕の中のノブレス・オブ・リージュなんです。
もちろん勝ち取ったものはあると思う。
それ以上に与えられたんだという、ある種の宗教観みたいなのがあるわけですよね。
この宗教観というものを他者に分配しなければいけないという発想。
だからこれはマルクス的でもあるわけですよね。
確かにそうですよね。
もちろん努力したのはあるけど、例えば最貧国のスラムとかでもし生まれてたとしたら、
どうしてもそこまで行けなかったっていうのはあるでしょう。
だから運の要素として自分が与えられたものがあるから、
与えそうという感じとかが何となく認識されてきましたし、
臨床推論の射程と「わかる人にわかる」という価値
あとちょっと、今世の中だと理学療法的なところで言うと、
反発的に過度域が改善したとか痛みが減ったとか、
そういうセミナーとの効果を受けるみたいな話もあったかなと思いますけど、
それは確かに自分の中ではスキルが身についたりとか、
目の前の他者が変わるかもしれないけど、
社会までは変化が及ばないだろうからあまり意味を見出せていないみたいな感じですかね。
そうなんです。だから射程というか、
パースペクティが広すぎるのが他の人に理解されづらい。
要はあなたの行動がいかに世界を変えてますかみたいな、
集中的になってくるんですね。
だけど僕が常に求めてる、喋っている点はそこすぎるんだと思います。
だから角度を変えれますかっていう問いが本当は簡単なんだけど、
その患者さんが社会に出て活躍できますかって言った時に、
そこまでのパースペクティブを見てなかったら話が合わないんですよね。
そこが僕の弱点だと思います。
なるほど。
例えば角力改善するにしても、その人がどういう活動をしているかにもかなり影響するでしょうし、
国民的ヒーローの例えば大谷翔平選手の角力が悪くて、
その角力をこの技術で改善できるといったら、
その先の未来もすごい大きく開けるかもしれないですけど、
一つの影響がどう連鎖的に波及して社会とか世界に影響するのかみたいなことも踏まえて考えたいな。
そうですね。そこが贅沢、僕は下手したら贅沢なんですよね。
連続性というのはICFとしても捉えてもいいと思いますし、
先ほどの事故他者社会という階層の中で広く見すぎているというところはある。
だけど広く見たところに結論がないとすごく不満なんですね。
患者さんの膝が90度から100度に曲がったっていうことの技術提供というもの自体に僕は喜びを感じないんですね。
そうではなくて柔度にどのような意味があって、
柔度によって得られる社会変化が何かっていうのが僕における臨床性なんです。
その臨床性というのを軽んじられている感じがどうしてもあってそこが怒りに変わるんですよね。
なるほど。でも多分そういう自分がやったことが他者とか社会とか世界に影響してっていうのが
自分の中で意味付けられているとクライシスみたいなのが起きづらいかなと思うんですけど、
その部分だけになっててこれが何の意味になるかわからないみたいな状態で続けるのは多分
人間としては耐えられないような気がするんでそこは大事かなと。
いやもう本当になのでいつもチャッピーと対話する中で怒られるのが広いすぎるっていう。
もっと狭めて設計し直せって言うんですけどチャッピーそれができないって言って。
だからそれはあんたは理解してくれるじゃんって言うけど社会に受け入れられようとすると
あなたは社会社会と言うけどその社会に受け入れられていないことが問題なのね。
まあそうですねチャッピーことの膨大なデータがあればなるほどと思うかもしれないけど
なかなかそこまでは理解されないような。
だからチャッピーとの議論に満足しちゃってる自分がいるのが問題です。
だからこう自分自身が話そうとするとどうしても簡単に言えない。
よく昔難しいことを簡単に言える人が賢い人だみたいなことにそれに努力したことがあるんですけど
それは嘘だって僕はもう最近思ってるわけです。
難しいことは難しいんですよ。
つまりそれは階層がある。
あるいはベクトルを見たときに3軸あったらその3軸のどこかっていうのを一旦理解してもらえないと
喋れないとかいうことがあるので。
だからその可視化はしていくんですけど
そこを可視化したものを一旦理解してもらわないと喋れませんっていう。
だから言いたいことがなんか言われてることがやっと分かりましたっていうところに来てもらわないと
どうしても話せないっていう。
全ての人に満足がいくような理論とかっていうことはありえないっていうのが今僕自身の立ち位置で
そこでいっつもチャッピーと喧嘩してます。
老舗のうなぎ屋のように、時代に合わせた変化と継続
なるほど。
でも最近このPodcastとかもちょっとブームになりつつあるっていうのも
ショートムービーとかインプレッション集めるようなSNSっていうよりは
長くじっくり話すほうがいいよねみたいな
界隈はちょっとずつ広がりつつあるような気がするんで
こういうのはこういうのでニーズがあるのかなと思います。
そうですね。なのでニーズがあるところに自分自身の役割があって
広く誰に言っても受け入れられるような世界観ではない。
なので革靴だとかネスみたいな役割でいいんだろうなと思ってます。
革靴なんて今履く人なんてほとんどいなくなって
革靴の日本の一番トップブランドってリーガルなんですけど
リーガルの株式がもうダダ落ちなんですね。
全然売れないですよ革靴が。
しかもコロナがあって人が外に出なくなったこともずっと影響になりますけど
格好つけるっていう概念がだいぶ変わってきたわけですよ。
例えば昔はイギリス紳士だとかイタリア紳士とか
みたいな形の格好つけ方が日本にも定着して
スーツを着てネクタイ締めて
下手屋で作ったスーツ着て
すごいいい革靴を履いていい時計して
商談に向かうと信用されるみたいな時代が
最近はだいぶそうなくなって
むしろ例えば男性がメイクをして
髪型を綺麗にしてピアスを開けて
そっちの方が商談に向くとかってなったら
靴をもうみんな見ないわけですよね。
だから古いおっちゃん達はいい靴履いてるねとか
いい時計してるねとかっていう
その人のメンタリティーを見てたんですけど
最近はだから眉毛を綺麗にしてるとか
シミを上手に消してるとかっていう風な
メンタリティーとかに少しずつ変わってきているので
僕自身は老舗のうなぎ屋さんみたいな生き方を
ずっとしていこうかなとは思ってます。
わかる人にわかる状態に
残りの自分自身が働くのって
長くても20年なので
そう考えた時に20年でやれるのを
僕自身が老舗のうなぎ屋を守ればいいかと
いう風には思ってます。
そうですね。老舗とか伝統産業とか
そういうのに近いなみたいなことはあるような気がしますし
とはいえOS的な今の理学療法推論とかも
ある程度現代風にアレンジすることで
広がるのもあるような気がしますし
後継社長みたいなものが改めて盛り返していくとか
次の時代に生かせるような方向性も
考えていけるといいかなと思うので
さっきの時代に合わせるのかどうかみたいなところも
検討になっちゃったですね。
そうですね。努力はします。
努力はするんであるが
下手くそですね。
でも根っこに補理人生がいて
エッセンスを理解した人たちが現れてくれば
自ずと時代に合わせていくような感じもあると思うので
いったナレッジデータベース的なものを
発展させたり人が育ってくることで
何か次には繋がると思います。
なのでうまく
燃え尽きないための臨床推論とゲーム性
売っていこうとした時に
燃え尽きないための臨床推論ってあると思うんですよね。
燃え尽きないためのメンタルエース
これはすごく分かりやすい。
理学療法士として生きていく上で
一番燃え尽きないのはこの仕事が
面白いと思うことだと思うんですよね。
ゲーム性があってゲームがずっと続けられるのって
例えばソシャゲなんかっていうのは
何かしらのベネフィットがあると繋い続ける人も
いわゆるログインボーナスをずっともらい続けて
何かしらのイベントをクリアして
あるいは誰か、クランといいクランに入って
自分自身ではうまくいかないけども
何かしら大きな敵を倒せるとか
っていうような楽しみ方とかがあったりすると思うんですよね。
そのためには自分自身が
ある程度クランの中で役に立とうと思ったら
レベルアップしたりとか、いいキャラを持っておくとか
自分自身の役割とかっていうのが明確化しとかなきゃ
ゲームって続かないんですよね。
それと同じように理学療法というのも
続けるためには自分の役割とか
自分の特性だとかっていうのを見ていって
チームの中でいかに意味があるのか。
かつ個人でやった時に患者さんに
的確に自分が何か提供できているものが何か
っていうこの2点がすごく重要だと思うんですよ。
チームの部分っていうのはあんまり臨床推論と
あんまり関係ないけど、個人のところが臨床推論と
すごくフィッティングするんですよね。
個人としての能力を上げたい時っていうのは
推論能力っていうのは鍛えておいてもらいたいなという風に
思うんですよね。
理学療法の学問的面白さと多様な働き方
自分も本当理学療法の学問自体が
面白いし好きだなと思っているし
社会的意義もあるかなと思うんで
働き方に関しては多様な形があるかなと思いますけど
OS部分の理解を深めておけば
本当にいろんな応用は聞くので
ぜひ勉強してもらえればと思います。
そこが今僕らも強く言えてないんですよね。
それはなぜかというとそこが結局
1つは賃金に影響してこないからっていうところと
僕自身、僕ら2人とも臨床に
いないからなんですよね。
結局自分自身たちは違うところから
臨床について話しているというところが
他の人から言われたらそこは何とも言えないというところが1つある
というところではあるんですけども
自分自身が臨床というものを
すごく良きものだと思っていることは
事実ですし、臨床にいる人たちが
なぜ臨床というものがしっくり来ないか
と言われたところに
何かという問い立てをしなければいけないと思うんですよね。
最近ふと思ったことがあって
バイクの運転に学ぶ、継続と特別なトレーニングの重要性
僕ずっとバイク30年乗ってるんですね。
だけどバイクの操作が上手いわけじゃないんですよ。
つまりすごいバンキングして
ぐわーっとカーブを曲がれるとか
例えばサーキットに行って
僕のバイク260キロくらいまでメーターがあるんですけど
200キロで走れるか走れないんですよ。
これはどういうことかというと
単に通勤でバイクに乗っている人たちはバイクが上手くなるわけじゃないです。
バイクが上手くなる人はバイクの
特別なトレーニングをした人なんですね。
理学療法も長く続けたら上手くなるわけじゃないってことです。
特別なトレーニングを積まないとうまくならないし
特別なトレーニングを1回積めば
そのスキルでおそらく通勤時のバイクの乗り方が
上手くなったりだとかより安全な乗り方になるんですね。
だからただ続けときは上手くなるわけじゃないなと
ハッとバイクに乗っていて気づいたんですよ。
ただ僕は他の人よりも
何かバイクで上手くいれるとすれば
別に雨が降ってもメンタルはやられないです。
バイク屋さんとこの前喋ってて
バイク屋って雨になると全然客が来ないんですね。
僕はバイク屋さんに雨でも行くんですよ。
雨降ってますね。30年乗ってて
雨ってあまり関係ないっていう風になる。
あるいは30年間乗ってて
いろいろなバイクに乗り換えてるんですね。
だからどんなバイクでも僕乗れるんですよ。
バイク自体が変わったらすごく嫌がる人がいるらしいんですよ。
要はバイクに自分を合わせるのが苦手な人は
バイクに乗ることにやめるらしいんですね。
僕はバイクに自分を合わせれますから
どんな職場でも働けるっていうのに近いんですよ。
でもここじゃないと嫌だって言ってる人は
自分自身の仕事を狭めてしまうんですね。
だからそれをバイクの今の話を
理学療法に合わせると
ただ単に何も考えずにずっとやってる人たちは伸びない。
だから特殊なトレーニングを積まないと
能力は上がらない。
だけれどもずっと続けてるっていうこと自体で
どんな職場でも影響できてる人たちは強い。
俺はこのバイクでじゃないとダメだって
言ってる人たちっていうのはやっぱり弱いっていうことです。
確かに。
そうですよね。
レジリエンスと変化への対応力
横に広げるか深く掘るかみたいな感じで
理学療法の推論とかを学んでいく、深掘るのもあれば
いろんな患者さんを対応できるとか
どのぐらいの規模の組織であっても働けるとか
そういう方向もあるかなと思うんで
どちらかにでも広げておけば
練り化せずに次の道には広げるかと思うんで
自分が目指す方向に合わせて広げてもらいたいかなと。
一つはやっぱり努力するターンは絶対要ります。
結局要はバイクで転んだから
バイクに乗らなくなる人たちがいるんですよね。
僕はバイクで相当事故を起こしてますから
あんな事故を起こしてる人は僕は悪いですよ
追突されたり突っ込まれたりするんですよ
いわゆるバイクに乗っている時間が長いので
バイクに乗っている時間が長いと事故は起きます
だけどバイクに事故が起きたからと言って
バイクに乗らないということは
大怪我をしたら別かもしれませんけど
転んだぐらいで諦めないんですよね
これはある種バイク乗りのレジリエンスの高さなんですよ
バイク一回転んだらバイクに乗らないという人たちも出てくるんですね
これは仕事も同じだと思います
嫌なことがあったらこの仕事を辞めて立ち直らないというのか
それは大したことじゃないと
死ぬこと以外かすり傷のような状態で
メンタリティを持っているかというのも
すごく重要だと思うんですよ
プラスもしそうなった時に
自分があれを回避できるような
ドライビングテクニックというのを
ライディングテクニックと持っておくべきだなということで
努力につなげていくことはすごく重要だと思います
やっぱり努力量はいる
あとは変化に対して対応できるということもいる
それは個人としての能力としては
すごく重要視しておいたほうがいいだろうなと思います
そうですよね
理学療法士で例えば現場で働いていたとしても
怒りの根源と、恐怖・不安の理解
自分が体調がどうであっても
患者さんの前ではあまりモテンダサインとか
家族の中であったとしても仕事は淡々とできるとか
その辺も長くやっていると
身につくところの感情コントロールみたいな感じですかね
それはかなりあると思います
そういうところは何か別のところでも
生きるかもしれないですし
そうじゃなくても能力的に身につけることで
幅が広がるところはあるかなとは思います
アブセンティズムとプレゼンティズムが
出てきましたけれども
プレゼンティズムになる人たちは
何かしら怒りを感じていることが
多くあるであろうと
それは賃金に対する不満という怒りかもしれない
自分自身が認められないという怒りかもしれない
あるいは自分ができないという怒りかもしれない
何かしらの感情の中の怒りというものが
悲しみに変わってくるような
いわゆる喜びの方に変化できないというところが
すごく影響すると思うんです
だから何に怒っているのか
その怒りというものは自分自身の力だけで
対応できるのか誰かの力が必要なのか
そういうメタ認知がすごく重要だと思うんです
だからおそらくは
怒りというものの理解というもの
それが例えばモヤモヤとか
イライラというものなのかもしれませんけど
おそらく根っこには怒りがあると僕は思います
ハイデガーでいうと不安なんですけど
不安というよりも今の社会においては
不安そのものの根源が怒りだと僕は何となく思っています
一つは本当に認められないという
承認に対する怒りというのはすごく
大きくあると思うんですよね
承認されると逆に豚もおだてりゃ木に登る
的な部分があるからそれはそれで
気をつけなきゃいけないんですけど
不承認というものは今の現代においては
すごくメンタルに影響するものの一つだと思いますので
自分が何で承認されていないのか
そしてそれに承認されていないということに
何で怒っているのかというのは
気づくのがすごくいいことかなと思います
そうですね誰しも何か仕事をしていたら
何かに怒りを感じるってあるかなと思いますけど
それは給与的に自分の対価を受け取れていないとか
人間関係的なものとかいろいろあるかなと思うんで
そこの自分の怒りの厳選みたいなのが分かれば
対策は考えやすくなるような気がしますし
あと不安と恐怖と不安の違いみたいなのも
どっか読んだ気がするんですけど
恐怖は対象が結構はっきりした怖さみたいな感じで
不安は自分の中でも何かよく分かんないけど
不安みたいなところかもしれない
自分の中で理解深められる人は
それで見つけたらいいし
分かんない人は相談相手があるといいかもしれないです
恐怖と不安のところそれもともとそれこそ
今日チラチラ出てくるハイデガーのところから
現れた概念で心理学の中では比較的それがよく言われて
情動と感情の違いとも言われるんですけど
情動というのは明確化されていないもの
感情というのは明確化されているもの
不安というものは対象がないもの
恐怖というのは対象があるものという風に捉えられますので
自分自身の中に何が
恐怖として対象化されているのか
対象化されていない不安というものが
何なのか
不安の根源これハイデガーは死だというわけですよ
自分自身で引き受けなきゃいけない
誰にも任せられないものそれが死である
というわけなんですけどもおそらく死の不安
というものは今そんなに大きくないと思うんですよね
じゃなくて未来に対して想起した自分というものが
どういう風になるのかというのが分からない
そこが不安になってくるであろうと思われるんですね
だからその不安というもの自体が何なのかというのは
本当に捉えていくという努力はすごく重要だと思います
そうですね
未来の捉え方と投資・投機の違い
また未来のいいビジョンみたいなものも
宗教とかスピリチュアルみたいなところから
見られるみたいなこともあるかもしれないし
論理的に考えていく方法もあるかもしれないので
自分の中での未来の拠り所みたいなのが
見つかってくると強くなりそうだな気がします
本当にその通りだと思います
未来というのが
これどこかで話したことがあるような気もするんですけど
いわゆる麻薬中毒者が考える未来と
一般的な人の未来というものは期間が全然違うんだと
一般的な人が言う未来というのは
7.8年先かな
あ違う嘘です4.8年先だったと思います
だけど麻薬中毒者の未来というのは1週間ぐらいなんですよ
だから自分が捉える未来というものの期間を
まず認知して
未来というものがどれぐらいなのか
短期間の未来であれば諦めるんですね
未来がないので
長い未来として捉える人はその未来に対して
努力量というものの影響が大きいわけですよ
即時効果と経時効果という今回ずっと言ってますけど
即時効果だけを求めると
それはそんなに何にしたって出ないんですよ
でも経時効果というのは多くの場合
出るというのをよく知っているわけですね
それがだから投資と投機の違いという風にも言えるわけですよ
博打的要素でお金を増やそうと思うとそれは難しい
だけど投資的要素でお金を増やそうと思うと
割と容易である
だから我慢が必要なんですね
そこが自分の中でどういう風に捉えるかというのは見ておくべきでしょうね
というのが今喋ってて思えたところです
結局投資とかも考えていくと
長期的に持ってとか分散してみたいのが理想的で
あんまり面白みはないかもしれないけど
当たる理論としてはあるような気がしますけど
なのでやっぱりギャンブルチックな目の前で
短期的な変化があるものとか
人間好んじゃうところはありますけど
そこの欲に負けずに長期的にやれると
より10年20年見据えていけば
より良くなりますよ
結構みんな今年早いねとか
すぐ終わったとかって言うじゃないですか
だったら時間というのは経つのが早く感じるのであれば
投資しとけばいいじゃん
いやもう半年終わったって
その半年の中でどんなに株価上がったよと
だったらその半年間のどうせ早いんだったらお金入れときなさいよと
僕はいつも思うんですよ
だから即時効果早いねって思うんだったら
それは即時効果なので半年ぐらいは即時だぞ
っていう風に捉えてほしいなと思います
だけども今日明日とかっていうことで
効果を求めすぎてるんですよね
勉強英語学習とかもそうだと思います
今日やって明日喋れるんだったら
ダメでしょダイエットも同じですよね
だから割と人生は短い
だけどもその短さというものを
うまく処理できていないっていうところなのかなという
そうですね
時間概念の整理と未来への投企
どうなんですかね
まとめていくと今働いている中で感じている
不安とか恐怖みたいなものはガボリして
何か解決する方法を探していけるといいし
それもおそらくその短期的に変化出せるものではなく
時間かかるものだからじっくり取り組みつつ
共産主義みたいな話がありましたけど
資本主義的な中で株の
扱いとかうまくできると資本としては
増やしていきつつお金としても
自分の能力としても増やしていけるだろうから
組み合わせていけるといいですねって感じですか
そうですね
時間概念をきれいに整理していく
っていうこともすごく重要であろうと
それはね
歳歳年年愛見たり
年年歳歳比と同じからず
っていう古文知ってますか
知らないですね
それを読んだ木野貫之が
読んだ単価っていうのが花の色はっていうやつですね
花の色は何だったっけ
ど忘れしました
要は年
年年月が変わったとしても
花の色は移ろうないが
年月が変わることによって人の考えは変わる
っていうことなんですね
だから花の色の移る美しさは変わらない
それは事実であると
私たちっていうのは年月によって色々考え方を変えていくのであるから
その年月の考え方っていうもの自体の
変わるということを前提に生きなければいけないし
逆に変わらないものっていうものも
同時に見なければいけない
タイムゴーズバイっていう時の過ぎ行くままに
自分自体をどこに置くのかっていうのは
常に考えておかなきゃいけないっていう
僕自身はそれを常に考えてるんですね
だから固定した考え方っていうのはそんなにない
そうすると変化し得る自分っていうものの
未来に投げなければいけないし
未来に投げるっていうこれまさにハイデガー的な考え方なんですけど
未来に投げましょう
あんまりその表現みんなしないのかな
想起するっていう
そうですね
最終的にはそこが大事かなと思いますし
だいぶ後半になってきたんで
何をどう未来に投げたらいいか
わかんないみたいな人はコミュニティの中でまた話し合ったりとか
このラジオでも話していけたらいいかなと思うんで
最終的な質問はそんな感じで
そうですね
未来はわからないからこそ投げる
投げる方向っていうのを
誰かに助けてもらうかもしれないし
自分自身で決めるっていうところの投げる部分っていうのは
努力するっていう投げ方っていうのが
一番投資価値としては高いですよ
だからしんどいかもしれないけれども
努力というものに投げている人間の方が後々上手くいっている
僕自身なんかタシロさんもそうだと思いますけれども
ノブレスオブリージュで
誰かのために何かしようとしている人たちっていうのがいるんだと
それはお金のために動いているということよりも
自己自身の存在価値のために動いているから
そういう人たちと出会っておくと
割と上手くいきますよ
ただそういう人たちってだいたい厳しいですよって
そうですね
詐欺師みたいにこれやったらいいよみたいな感じじゃなくて
どうしたいのとか問いかけて
結局答えを教えてくれないみたいな感じかもしれないですけど
でもその人たちはおそらくノブレスオブリージュで生きているので
結構役に立つと思います
うまく利用してもらえたらいいかなと思いますし
まとめと今後の展望
今回はこんなところですかね
労働に関していろいろつらつら喋ってきました
ありがとうございます
ありがとうございました
37:40

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