#33-1 徒手療法回帰の可能性と未来の働き方
2026-08-05 43:53

#33-1 徒手療法回帰の可能性と未来の働き方

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

本エピソードでは、理学療法における徒手療法の回帰の可能性と、それに伴う未来の働き方について議論されています。AIの発展により、誰でも同じような施術ができるようになる中で、個々のセラピストの能力がより明確に評価される時代が来ると予測されています。このような状況下で、徒手療法、すなわち「人の手」によるアプローチの重要性が再認識され、現代的な「達人」と呼ばれるような、エビデンスに基づいた高度な技術とデータ分析能力を兼ね備えたセラピストの出現が期待されています。 また、徒手療法が保険診療の中心から外れている現状に触れつつ、将来的に自由診療(自費診療)の拡大や、地域に根差した「この人なら」と頼られるような専門家の出現が予想されます。さらに、教育システムやデータ活用、そしてセラピストの働き方についても掘り下げられ、従来の保険診療に囚われず、データに基づいた収益モデルや、地域特性に応じたシェアリングエコノミー的なアプローチの可能性が探求されています。最終的には、個々のセラピストが自身の専門性を高め、多様な働き方を選択できる未来像が描かれています。

徒手療法の回帰とAI時代のセラピスト
こんにちは、田代です。こんにちは、田代です。 Advanced Therapistエピソード33本目ということで、最近結構メンタルヘルスとか働き方とか、またAIとかテクノロジー系の話が多かったんですけど、改めて徒手療法の回帰みたいなことも起きるんじゃないかみたいな話もありましたし、改めて人の手作業というか、人間の活動について、バラップちょっと深めて話していけたらいいかなと思っております。
よろしくお願いいたします。改めて理学療法とは何度やというところにも関わってくると思いますけれども、理学療法を日本の場面から遡っていくと、例えば神経、マッサージとかそういったところから結構流れがあったんだよっていう話をこれまでいくとかしてきたと思います。
ですので徒手療法との関連性というのは昔から広いし、いろんな理学療法が例えば裁量しますよという話をすると、生体移とかの裁量が多いぞってなってくると、やっぱり乳中性疾患だとか、運動不適患に対する徒手療法によって行うアプローチっていうのが、理学療法の中心点であるから間違いないであろうと。
ただ保健診療上はそこは今中心点ではない。保健診療イコール理学療法という唱え方ではなく、理学療法とは何かという視点から唱えると、診療法って本当は重要な地点にいるけれども、世界的に見てもだいぶ変わってきたなというのが今の印象です。
そうですよね。以前もハーシュパーグ法みたいな話もありましたし、簡単なエビデンスで言うと、都市っていうよりもパルカセルだけみたいな感じっていう流れもあったと思いますし、日本国内のこれまでの偏見とか世界的にも見ていけたらいいかなと思います。
ちょっと余談ですけど、今日家の近所で走ってたら古い整形外科の看板のやつに、理学診療って書いてありました。
それは面白い。理学診療って言われてた時代っていうのが古くからあると。
いつも出す2006年の時の疾患別リハビリテーションの中で、理学療法という言葉が保健診療から消えてリハビリテーションになったんです。
だから今は多分そこはリハビリテーション化って書き直す内容になるんですよね。
だから理学診療って言われると、もともとは物理療法を中心とした手術療法だとか電気だとかことたつ、プラスにマッサージ。
マッサージは物理療法にカテゴライズされるので、そういうところで理学診療と言われた時代っていうのはまさにそういうところの残りですよね。
最近都市の回帰が起こってくるだろうみたいなのは、改めてどういう流れからそう感じているという話でしたっけ?
これは都市の回帰が起こっているではないということですね。
もうちょっと違う言い方をしたら、半導体事業が出る前に半導体株をやっとけっていうことに近いんですよね。
もう半導体がいるから半導体の株を買ってたら遅いと。
そうではなくて、都市療法が来る可能性があるという兆しを僕らは見てますよっていうふうになるんですけども、
結局AIの発展に伴って、文学療法士の職業とかっていうのはだいぶトレースされるようになるんですよ。
誰がやっても同じっていうこと自体が技術の精密化が起きるんですよ。知識部分がトレースされていて。
そうなったときに、無満者と異なる人という差が明らかに今後出やすくなる。
そしてAIとかあるいはセンサーがよくなることによって、文学療法士とかうちもそうですけど、
自分の能力が評価される状態が来るということなんですよ。
例えば、本当にこの人が関節がよく曲げれるとか、この人の筋力トレーニングは適切な肥大量が設定されているし、回数も行えているとか、
非常に歩行回避がうまくって、後退その後で歩行のレベルが上げられているとか、
っていうのが、そういう今まで暗黙すぎたものがデータ化される時代になるっていう意味で、
結局、上手い人という人と下手な人がありありとさせられてしまう状態がしばらくしたら来ますよ。
なので、都市療法なんですよっていう予測をしています。
最近のAIからの影響もあるでしょうし、もうちょっと幅を広げていくと、理学療法士の資格ができて、
序盤だと特殊主義みたいなところも多かったかもしれないですけど、
科学的な考え方が普及していく中で、主義というよりはエビデンスに基づいた運動とか、
あまり人による差が出ないような形が広がってきたけど、
AIとか以前にそういう流れからの今の都市の回帰もつながっているという感じですかね。
徒手療法の歴史的背景と現代への影響
なかなかこの辺りは難しいところで、都市のニーズというのは一定通常とあるんですよね。
特に1900年代の理学療法士の1960年代からできて、2000年手前ぐらいまでは運動器が理学療法の主流だった。
運動器になると誰が治せるかというところにものすごくフォーカスが置かれたんですよね。
僕らが理学療法士になった時に、秘密語の理学療法は秘密語療法、法療法だから、
ノアビリテーションじゃないんだと言うようなドキュラーとか先輩たちもいて、
秘密の後に理学療法をやるのは無理だって言われてたよね。
だから結局それは秘密によっての効果であって、理学療法の効果じゃないんだから、
それをとにかく言うなというのをものすごく厳しく言われてたんですよ。
繰り返しますが、ノアビリテーションじゃなくて法療法だと。
法療法というのが馬鹿にされていた時代があったんですね。
だから僕はそのトラウマみたいなのもあって、
未だに秘密語療法というのが耳の中で詳しくいけないというのはあるんですけど、
そうすると、おたくびとか病中とかひざついてたっていうのを、
秘密を使わずに治してる人がベテランとして尊敬されてたんですね。
これがノアビリテーションでもなく実際にはマニュアルスラッピーなわけですけども、
このマニュアルスラッピーの技術である人たちとかっていうのが患者さんでも水が高かったし、
どこの現場に行っても戦えるという状態だったわけです。
名前はないが有名な美学療法師、
名前がないというのはその周辺ではすごく有名で全国的には名前がないみたいな
達人とかって言ったら結構いたんですよ。
達人って言われてたぶん誰も出てこないんですよね。
それは技術の均一化というものを目指してエビデンス化していった時期が、
均一性を増すのでどうしてもそこらへんになってくるんですけど、
それ自体が良いとか悪いとかっていうよりもそういう現象が起きているというところです。
そういう意味だと未来予測として都市会議が起こるかもしれないとなると、
今後またこの地域ではこの人がやっぱりいいよねみたいな達人とか、
何だろうな、この人みたいなのがもしかしたら出てくる可能性もあるという感じなのか。
そうですね。その鉄量編を書いてるところにないと可能性としてあるのが、
やはり重視医療が始まると思うんですよ。
医学療法の保険支援料からGP料というものがそこにまたいできたときに
関係が指名できるわけです。値段も変えるわけですから。
そうなるとそれは上手いところに行くじゃん。
押せるところに行くじゃん。
それが必ずしも上手くなくても有名だから行くとかということも同時にありますけども、
やはり上手い人ってくっつかめてくることがあるんですよね。
なので、例えば西宮市のあそこにいる人が上手いと、
きっと西宮市の人たちはみんな行く。
たまに神戸とか清水の人たちが来て治療を受けてるとかっていうような
昔の達人がまた出てくると僕は思ってるんですよね。
確かに。そういう意味ではこの土地といえばこの人っていうのもあるし、
幼稚園ならこの人とか、
いろんなカテゴリーの代表的な人が現れてきそうな感じがしますね。
あと同時にちょっと勘違いしてはいけないのが、
都市療法っていうのが、
昔ながらの達人のことを言っているんじゃなくて、
エビデンスベースの技術にリーズニングができる問題点を見出した上で、
都市で解決する人っていう意味で。
だからその何か触ったらわかって、
現代的な達人の出現とデータ活用
お、これ誰?ってかっていうドット判断ではなくて、
ちゃんと再現性を持って診断技術を持ってて、
そしてその人が診断技術をもとに、
例えば前回から言った超音波なんかを使って状態を確認してくると、
必ずしもそこを広いってことで、
治すか治らないかっていうのは特殊的な問題があるので、
なんとも言いませんけれども、
確実にやっぱりアプローチポイントっていうのが、
メーター性になって反応が出せる。
特に測字効果が確実に出せる。
そういうのに私が使う技術を学ぶ方法って並んでいる。
なので海外のダイレクトアクセスでいくような治療院とも近い感じというか、
本当にデータもちゃんと収集して分析できて、
それに基づいてしっかり手に触というか、
特殊な技術もあるような、
現代風の達人みたいな感じが出てくるといいよね。
まさにそうです。
たまに医学療法の状態とかでも、
なんか一回ちょっとでエキスとかで、
自分が治したっていう医学療法の方針が恥ずかしいみたいな方が、
すごく同意を得た時があるんですね。
あるいはゴッドファンドを探していますっていう、
ある例が起こった時に、
まだゴッドファンドを探している人がいるんだ恥ずかしい、
みたいな人たちが出てきたんですよね。
つまり都市技術だとか、
医学療法って人によっての知能力ということを、
自分が治せた治せてないっていうところの感覚というのが、
逆に規制的になっているっていう具体が、
なんか僕にとってはスタティックだったんですよね。
これが人が思うことなので、
良いとか悪いとかっていうことじゃなくて、
具体が変わったんだな、
逆に言うとまたその時代が戻ってくるっていうのが、
必ず指戻しがあるので、
必ずそれに反発があるっていうことが、
ある種のズボシをついているわけですよ。
その人たちがなりたい自分ということと、
なりたかったけど停止された自分みたいなのもあったりするので、
ボッドハンドがもう一回帰ってくると、
思っているんですよね。
なるほど。
徒手療法へのアレルギーとエビデンスの課題
なので過去であればもう、
あの人ボッドハンドだよねっていう話題がたくさん上がってたりとか、
そういう時代もあったかもしれないですし、
そもそもそういう話題が出たら無視されるみたいな、
データの編成もあったかもしれないけど、
今はそれがあえて批判されるというか、
っていうことは、
逆にまた話題になる可能性を秘めている。
そうですそうです。
みんな、
否定するっていうこと自体は、
そこに脅威があるってことですね。
よく言われたのが、
巨人のアンチの人が、
ハンセンのショーウェイよりも、
巨人の負けのことを知っているって感じですね。
そういう状況が結構起きてるんだろうな。
だから都市療法に対するアレルギーというのは、
あれはアレルギーというよりは、
アリスの憧れもあると思っているんですよね。
確かに。
自分はそこまで都市について学んできてないから、
みたいな感じとか、
科学的な話が増えてくると、
都市に頼るのは、
エビデンスとしては足りないよね、みたいな。
どういう立場においての批判なのか、
いろいろパターンがありそうですかね。
特に、
例えば、
がんの治療のガイドラインとか、
心臓への治療のガイドラインとかって言って、
医者のガイドラインと、
ものすごく整理をされているんですね。
ただ、
手術技術のガイドラインって言うんではないんですよ。
外科のガイドラインがもう。
外科のガイドライン、
公認ガイドラインに関しては、
こういう公害ガンを使いましょう。
どれぐらいのガン入りで、
実験データが揃っている。
エビデンスはあるんですよね。
だけど、
理学療法って、
基本的に、
手術技術、
それが間接誘導ではなくて、
方向誘導の手術技術になってきた時に、
ガイドラインが作りづらいんですよね。
だから、
エビデンスが作りづらいっていうのが、
今までの理学療法の特徴なので、
エビデンスがあるものを使いなさい。
エビデンスが少なすぎるっていうことが、
一つの問題なんですよね。
医者がガイドラインを使っているけど、
俺たちは使わなきゃダメなやつじゃないか。
みたいになると、
ちょっとね、
全体像としての理解が不十分じゃないかなと、
思ったりはします。
そうですね。
エビデンスが足りないとか、
少ないっていうのも、
本当にその領域が新しいから少ないのかと、
そもそもデータ化しづらいからこそ、
エビデンス作りようがないもの。
さっきの都市の細かい技術とかっていうのは。
菌質化して介入研究するのも難しいし、
そもそもできないものだから、
難しいのもありますけど、
単純にこういうEBMとかっていうので
作っちゃうと、
なんかエビデンスがないっていうのも、
いろんなパターンがあって、
そうですね。
判断がつかないのもあると思ったりしますね。
本当に。
なので、
もちろん臨床研究をやられている方、
臨床研究をやられている方、
本当に努力されている方、
結果を出したいという方がいっぱいいるんですけども、
その時点ではやっぱり、
多くのものが出しづらい状況。
そして、
今までの文学療法の精査量というものは、
標準化されていないっていうところが、
やっぱり、
美学療法の弱点なんですよね。
で、
教育システムと専門学校・大学の現状
美学療法の標準化っていうのは、
各学会が頑張ってやっているんですけれども、
これはあえて、
批判ではなくて、
批判的に言うと、
美学療法の学会連合は、
筋力検査をもう一回MMTでやろうとしているんですね。
美学療法がサイバーMMTというのを使って、
ダニエル・イズナのMMTの弱点を突出したMMTだって言うんですよ。
言わんとすることがわかりますよね。
そもそもそのMMTっていうので、
どのくらいの精度を出せるんですか?
その通りなんですよ。
未だに筋力をやり方を変える。
そもそもの考え方を変えるんではなくて、
やり方を変える。
それは研究としては正しいと思うんですよ。
やり方を変える。
だけど、
未だにその研究はまだ続けるんですか?
僕の中で言うと、
相対性理論が当たり前になっているのに、
未だに妙天理学のエーテル論を正しいか正しくないかっていうのを
語ってるくらい出てる中だけなんですよ。
もちろん、
スクリーニングテストとしては非常に有効であるというのは認めた上で、
ただ、今の理学療法状態も
相対性が弱点で
筋力を数値化してないといったことは
僕はずっと言ってきてるんですね。
積極的に理学療法の経済的効果で
筋力との関連がすごく多いわけです。
もちろんMATとかももちろんそうなんですけども、
毎回も筋力として評価したりするので、
現時点で筋力の経済的評価という数値を
今までにMATで扱うということ自体は
だって取ってるのが僕の評価なんですね。
そうですね、なので
今後の現代風の達人というか
この界隈ではこういう人っていうのは
ただテスト士の技術があるだけじゃなくて
データに関しても
一般的に今の理学療法界では使われてないような
ものであったとしても
本質的にはこれがいいよねっていうデータであれば
それを活用してやっていけると
独自性も出ると思いますし
そういう差別化もしていけると
いいのかなと思います。
例えば腰療法をやって
膝が痛くて歩けない
体重をすると痛くて歩けないです
力もベルティーンです
じゃあ今筋力を測定しましょうと言って
ハンドヘルドワーマンモーターとか使って
10キロしか出てませんねと
じゃあちょっと膝の治療をします
痛みが悪いです
じゃあ膝を押してみましょうと
30キロで上がりましたね
これだったら安全に歩けると思うので
これの感覚を忘れないでくださいねと
患者さんは力が上がったんだ
っていう感覚を数値として評価できるわけですよね
そういうのも大事だと思うんですよ
お腹減りましたねではなくて
なのでやっぱりハンドヘルドをもう一回
どうにか開発できないか
頑張っていきたいと思います
そうですね
実際のものづくりっていうと
本当にこうちょっと
開発コストかかるところではあるかもしれないですけど
安価にできる部分はできるかもしれないですし
データの集めて収集して整理するみたいなところは
AIの使いやすいところかなと思うんで
何かどこにコストかけるかというのは
これまでの薬療法の考え方とも
ちょっと違ってくるかもしれないですね
本当に数値を扱う
あとはもちろんノステレブックワークという形で
患者さんの気持ちというのも
適切に扱っていくという
いろんな医学療法というのは
割っていかなくてはいけないところでも
仕事という意味に応じては
どうしても応援するというのは重要だと思います
その患者さん自体の
病棲を呼び解くステップの支援という形であれば
ノステレブックワーク的な役割になってくると思うんです
だから区間と人間が入望していかなきゃいけないというのが
医療だろうし
これって他の企業でも同じように
よくトヨタの秋代社長
今は会長なのかな
がよく言うのは
車だけにはアイをつけますよねと
例えばパソコンにiパソコンとか
スマホにiPhoneはiPhoneか
ちょっとこれは違いますけど
車はアイシャーと呼ぶでしょう
だから結局アイシャーという言葉が
すごく人間特有である
それ自体に愛着を持つ
例えばそういう車を作らなきゃダメなんだ
というのをトヨタは大切にしていると言うんですよね
この車を持っているという
社員欲ではなくて
愛着を目指せる人が大事なんだと
それがまさにノステレブックなんですよね
未来の働き方:シェアリングエコノミーとデータ収益
早いとか遅いとか
そういった数値
あるいは乗り物とかっていうのは数値出している
本当にこれが愛せる
何かということで
水立てが仕事においてはすごく重要だと思います
無視というよりはこの数値
スマホに重なってくるし
この人のために直したい
だから自分のニーズを上げようというのが
ノステレブックになってくると思うんですよね
個人のセラピストとしては
人に寄り添うところは
検査していけるといいかなと思いますし
さっきの話でつなげていくと
一人で全部検査の機器とか
持つのも大変かなと思うので
今後自費で活動する人が増えるとしたら
検査機器とかはシェアできるサロンというか
現代風のコワーキングなのか
レンタルスペースなのか
あると個人のセラピストとしても
動きやすくなるのかなと思いました
理想としてはそれが一番ですけど
割とクリニックが一つのビルに入って
例えば1階にレント限定のアローを置いて
2階に検査行って
クリニックがいろんなところで
5階6階に入るというのは
あんまりうまくいってないんですよ
検査機器はシェアして
医者だけはシェアしない
ここに行けば全部解決するよという
クリニックモールみたいなのを
やろうとするんですけど
レンタルうまくいかない傾向では
都市部ではできるうまくいってるんですけど
だから物のシェアって
業業とかもそうなんですけど
一つの地域で幸運機だとか
太陽系をシェアしようとやってるけど
それもうまくいかないらしいんですよ
あれすごい面白い
うまくいってると思ってたんですね
そうしたら熊田とかヤンマーが
うまくレンタルして貸してるらしくて
地域シェアでやってるわけじゃないらしいんですよ
2年間無料で貸したら
その売り上げで3年目の時に買ってくれるとかですね
そういう売り方をするらしいですよ
なるほど
だからシェアよりも先に使ってもらって
よかったら買ってほしいみたいな形になる
ただ今田代さんの考えは基本的に
僕は第三者生だから
そういうシェア流でっていうのを
やったほうがいいよねと思ってますけど
同時にかくん込みも起きるんですよね
確かに
そのかくん込みの部分を徐々に新たに見て
うまく物を売ったらいいかもしれませんね
確かに
効率的に考えると
場所が一つあって物がシェアできて
っていうのが理想な気はしますけど
個人単位でいくと
自分の物って言って持ってる方が
自由に扱えるから
レンタル的な形の方がやりやすいのかな
って思いましたね
本当になのでレンタルをうまくさせていく
だから誰かがイニシャルコスト
そうですね
正確に言いたいのは
イニシャルコストをどうにかしてあげたら
ランニングコストは払いますよってことです
サブスクで人気があるのはそういうことですよね
前回か前々回か
マルクスとか
そういう共産主義的な話もあったかもしれないですけど
ああいうところでいくと
さっきの農業とかでも
どっちかというと道具もシェアするとか
そういう考えになるんですかね
いわゆるコルフォーズとかソフトフォーズってやつですよね
なのであれはもうシェアしてますよね
農学党の強かった時代
1960年50年から60年くらい
その
あ、お忘れしたな
国土強靭化みたいな政策を何という政策だったのかな
なんとかっていう小作の中で
原画の中にあるフライパンとか包丁とか
すべて作りに差し出すやつなんですよ
鉄がないから
その代わりに町に一つ食堂を作るから
毎日そこでただで食えってやってた時代があるんですよね
だからそういう何でもシェアするっていうのは
まさにその共産主義の時にはしっかりとやってましたし
そこでコミュニケーションが生まれる
そこで見解が生まれるんですよね
そういう意味では
原神的な共産党あるいは中国が初期にやった共産党というのは
もちろん後援兵の人たちというのは
暴力的になったっていうことが問題であったが
人々は幸せだったっていうんですよね
そこは格差社会がないし
ちゃんとみんなでコミュニケーションを取っていたっていうところを
マルクスが最初に求めたことだと
そこにやっぱり素材が出てきたりだとか
権利が出てくるっていう
違うところの画面になってくる感じがします
なるほど
その辺も例えば都心部であれば
ちょっと資本主義的なさっきの
レンタルして場所はシェアせずに
自分の場所を持ってみたいな感じでやりつつ
地方として場所も少なかったりとか
物も少なかったりしたらシェアしてやるとか
どっちによってもそういう
セラピスの活動とか
道具についても
ちょっと違う考えを入れる必要もあるのかなと
本当にその通りで
だから今日本はどうしても中央周辺化している状態を
同州制みたいにして
州の形について
例えば九州はこういうやり方
北海道はこういう呼び方っていうような
自由度が認められたときに
何か違う形が出てくるのかもしれませんし
良いものが生き残って悪いものが生き残らない
っていう状態を作るには
こういった国の感じではない
自由度っていうのは絶対につけるためだな
と思ったりします
ただその法律は
教育制度の課題と厚生労働省・文科省の動向
全体で決めるのではなくて
ベースはもちろん決めなきゃいけないけど
小さなポケットで
いろいろ管理できるようにして
しかもその
公正労働者が全部牛耳るとか
文部科学省が全部牛耳るとか
っていう形にしない方が
いいのかなと思ったりはしつつ
厚労省文科省っていうところで思い出したのが
これ今どれくらいの時間ですか?
いやその次
ちょっと長くなりそうなので
別に話したほうがいいのか
時間があれば
もうちょっと話してもいいかもしれない
だとすると
最近結構公正労働省とかが
いろんなデータを
出していく中で
専門学校の在り方っていうものを
ものすごく
考えているらしいんですね
要は専門学校をできるだけ
潰さないでいきたいっていうのが
公正労働省の考え方なんです
これは後ほどどういう形で
やるかちょっと調べてみますけど
財務省は学校を潰したいんですよ
例えば大学が
私立大学が六百何十あるっていううちの
20%
25%潰せって言っていると
財務的には大学が
お荷物で補助金もなくて
行きたい
文科省は
どうにか助けたい
専門学校は公正労働省
公正労働省は専門学校を
助けたい
財務省は大学専門学校を潰したい
そして文科省はどうにか大学を守らないといけない
水の燃えつけする
どこがどうなるかっていうのが
すごくやっぱり難しい
特に
医療専門職っていうエッセンシャルワークの
ところになってきたときは
文科省と公正労働省が
一緒に守らないといけないと言うけど
文科省はあんまりそこらへんは
手渡さないが
教育っていうところが
少し生かしてくると
なので専門学校をどうにか
助けるかって言った場合に
全中を専門学校って
1学年に対して
40人定員だったら2人の教員が
いたらいいんだよね
3年生だったら教員が6人いたらいいと
いうような状態
でこれが40人定員を
満たしてるところっていうのは
専門学校で定員を満たしてるところって
78%定員しか
満たされてない
満たせるところもあれば50%しか
満たされてないところもあって
100%満たされてるところは
全然教員数と問題ない
わけですよ
学生が足りないところは
教員を減らしたいけど減らせないんですよ
ルールで
だとすると2つ3つの専門学校は
共同して
教員をシェアしましょう
とか防具を
シェアしましょうということを
厚生労働省が
打ち出してくるんですよ
労働で授業するっていうこともあるし
例えば文書っていうのは
専門学校に1人置かなくて
その人が回って授業したらいい
聞こえはいいけど
めちゃくちゃ仕事増やしてるんですよ
20人の授業
1回で良かったのが
20人の学校の3回授業が
大きかった
だけど経営的には
1人の教員で良いから
教員を減らしたいと
だからそう言って
延命しましょうという
前に言ったらウェブ授業オンデマンドとか
どんどん活用させて
教員自体が
専門学校自体の
ランニングコストを減らせるように
成功するという案を
ついこの間も
出したんです
これも看護理学療法
書のあたりの
特に作業療法
そのところの専門学校の
店員割合が著しいということで
どうにかしなきゃいけないという案として
出してました
現場においても教育においても
量産主義的な職工のシェアの
考え方の限界を感じますね
ですね
これは
技術教育の変遷とボトムアップの可能性
特にまた
専門学校と大学というものを
改めて見直したときに
自分が大学にいるから
大学自体に対しての
優位性というのを考えたい
という立場であることは前提なんですけども
基本的に
専門学校の
教員というのは
現状今5年以上の経験がある
あとは
教育に対する
アダプトの関与を持っておくことが
望ましい。なかったら後で取ればいい
という形の制度なんです
だから
理学療法士であれば誰でもなれる
ということ自体が
一つの良さであり
結局そこに教育だとか
専門性というものが皆さんに繋がってくる
同時に
大学でも
専門学校でも
独自の理学療法士になれるじゃん
大学というのを挙げたいと
教育に対する
ルールだとか
教員に対する
選択ルールがめちゃくちゃ厳しい
わけですよね
だからどちらが
より良い教育を
本来はやるかというと大学ではずなんですよ
ただ
大学そのものというのが
研究を
やっているわけでもない
教育もやっているわけでもない
みたいなことをやってしまう悪い大学と
良い大学という風に
渡った時に悪い大学と
良い専門学校を比べた時には
良い専門学校が良いんじゃないか
みたいな形になってきている
専門学校を
見たいというのを
資生労働省が
手元として
大学へと行って
そのされようとしている
僕はどうしたらいいのかと思っています
そうですね
何でしょう
冒頭にあった
現代的な達人みたいな人を
例えば教育していこう
みたいな方向性であれば
専門学校大学
どちらとしても
やれる方向性はあるのかな
という気がしますし
教育システムみたいな
ものを
作ればどちらにでも
入っていけるのかなと思ったり
しました
教育システムというのが
実はないというところが
一番の問題なの
教育カリキュラムというものはあるのと
教育カリキュラムというものは
文科省や
国家試験を
搬送する
厚生労働省が
考えはするのですが
ラティカルな
変更はできないのです
基本的には
何かを増やしたら何かを減らさないといけない
という状態になって
抜本的に見直しましょうというのはできない
そうすると
教育自体を大きく変えるというのは
なかなか難しいのです
教育の
その難しいのが
教育を全数にやるシステムが
あるかと共通して
マイナリティのシステムというと
最近は臨床実習の
自動車教習会というシステムがやっと
あるぐらいでそれ以外のシステムがないのです
そこは
理学療法推論のほうで
何とかしていったのですか
できるのであれば
僕できそうですかと言ったらできると思うのですが
ただ
かといって
僕自身が全てを作り上げるのはもちろん
難しいですし
なのでこれは教育として変えるという
ことを
言うよりも
システムという形で
全体を変更させていくしかないなという
アプローチというものを
変えていかなきゃいけないなと
思っています
うちから教育をやり直すというのは無理かなと
そうですね
教育システムというと
トップダウン的に
教えるような感じかもしれないですけど
都市両方の海域みたいな形で
各地で
この領域だったら
この人だったらこの人という風に
出てくると
指定関係的にそこから少しずつ広がっていく
ボトムアップ的な形もあるような
気はするので
そっちの可能性もあるなとは思います
それはすべていいアイデアだし
やっぱり
各都道府県市会で
技術に対しての
ボトムアップをするための
構成サイト化というのを
本来はやっていくことが
難しいので
理学療法白書全体
AIに読み込ませて
トレースして
というやつだら
1990年
2005年ぐらいまでから
1980年から2005年ぐらいまでは
講習会以降
ほとんど技術講習会なんですよ
それがある時から
理論講習会が始まって
今はほとんど理論講習会なんですよね
例えば民定理学療法史の
講義に技術の講義は
別にいらないんですよ
あら理学療法って技術じゃないんだ
っていうような
という方向になっている
なぜかというと技術に教える人が
少ないというのと
技術自体というのはトレースして
するのが難しいから
教育の場合だったら
知識がトレースできて
教育できるけど
技術ってやっぱり教育が難しいというところで
やってないんだろうなと思っているやつなんですよ
なるほど
そうですね
改めて都道府県みたいな単位で
技術講習会をしていくか
本当にもっと小さい
寺小屋みたいな
手で教える
みたいな
もちろん武道とかに近いような
形かもしれないですけど
そういう傾向が
あってもいいのかもしれない
自由診療とデータ活用による収益モデル
人はだから武道とか
スポーツのように
時間をかけてやる
っていう方向に動かなきゃいけないけど
1日の講習会でどうにかなる
っていうことが望まれるんですよ
そこにやっぱり
全体的な思考の
変化がいるようなとは思います
そんな簡単じゃないのはみんな知ってるよね
だけど忙しいから
時間かけれないよねっていう
いろいろジレンマがありますね
そうですね
その辺で
慈悲みたいな形だと
ある程度ちゃんと
技術がついてくれば
クライアントもついていって
いう方向性になれば
メリットも感じやすいかもしれない
そういう意味でも
病院で働くというよりも
慈悲の方が技術を
教えていくみたいな形も
もしかしたら作りやすいかもしれない
保険診療の
全体にもついているので
リハビリテーションに
対しても
厚生労働省は
リハビリテーションでお金を使いすぎてる
ってことをずっと言ってる
悪いことは決してないんですよ
コスパは集計よりも
安いわけだから
医療手数の
つま先のときに
リハビリテーションは使いすぎてる
そこだけがクローズアップされてしまうんです
そうなったときに
リハビリテーションを抑えなきゃいけないね
そうすると最終的に
自分だけ稼ぎなさい
みたいな
方向になってくる可能性は
ある
そうですね
そういう方向性だとすると
ちゃんと都市の
技術も教えられて
慈悲で生活に必要な
収益も作ることができて
そういう人が増えることで
国の医療費も削減できて
予防効果も高まって
みたいなエビデンスも出していくような
感じができると理想的
それが僕にとっては
経済社会のエビデンスも
理想的なんですけど
医学療法数とか医療施策についても
簡単は
安定側につきたい
ということになるので
右って安定側じゃない
安定側である
上院理学療法と
樹木というものを通して
映像に答えておく
というような
実績の理学療法というのは
そっくり考えていかなきゃいけないので
療法は伸ばさなきゃいけない
都市療法の流れが来ますよ
というのは都市が絶対いいと
言ってるんじゃなくて
これまで知りたげられた世帯に
ちょっと光が射すかもよというような
話になっているところです
ちょっとまた
違ったというか
発想した考え方になるかもしれないですけど
今そういう
データベースというか
治療の効果だったりとか
理学療法推論のデータも必要みたいな
方向性もあるかもしれないですけど
慈悲で
しっかりクライアントの
情報も収集して
データベースを改善するのに
貢献した人は
データを
扱うところからも収益が
得られて
みたいな感じがあると
治療だけではない収益源も
得られたりするかもしれない
データを扱うところからも
生活に達しんできたら
いいかもしれないなと
ありそうです
僕らはそれが理解できるけれども
データがお金にあるという概念が
いまいち
分かりづらかったりすることが
ありますよね
結局そのデータというものは
ある種の人の
願望とか
欲望というものを
見出しているものであり
グーグルなんかというのが
データを売ってきているわけです
アンソロピックなんてアンソロピックじゃないや
アルファベットがグーグル
ネタがそうですよね
データを生みがくって
それで生きていると
うち早く
医療データをどうにか手に入れようとしている
一番大きな段階が
Appleなわけですよね
我々も
医療データ
新規データではなくて
ウィリアンデータというものを
しっかり手をとって
着席していくこと自体において
チャンスがあるというふうに
自分は考えています
そうですね
いまある医療データ
病院のデータもあったりとか
Appleだったりとか
ウェアラブルデバイスで取れるような
データもあるかもしれないですけど
セラピストみたいな人じゃないと取れないような
量的非正規どっちも
データはあるかなとは思うので
そのデータを価値を感じてくれるところと
うまく連携しつつ
やっていけば
そちらはそちらで動くような
気もするので
だとするともしかしたらGPのほうに
データを打ったほうがいいんですかね
病院はやっぱり
病院のデータをいろいろ扱うとかってなると
ステップがかなり大きいというか
例えば
リセスイロン
いろいろなものとかを作っていったときに
日比診療をやっている人たちの
データベースを
引っ張り出したほうが
そっちのほうが
商売になるかなとちょっと思ったりしました
商売観点もあるし
質の高いデータを
取ろうと思ったら
時間も必要だと思うんですけど
時比のほうが
あえて60分とか
90分とかっていう時間を
抑えたりとか
相手に合わせて調整しやすいかもしれないんで
そうですね
取る内容次第ですけど
時比でこそ取れるデータっていうのもあるかもしれないですね
あとは
症例自体の複雑性がないので
症状自体っていうのは
すごく
診断名がベースとしてつかないから
やりにくいかもしれませんけど
自治医療法の人たちにより
優秀なカルテを売るとかっていう
商売ができるかもしれませんね
そうですね
理学療法でいうと
循環器とかは
データに基づいてやりやすいっていうのは
一種のものを用いる
データを扱えるからっていう話も
あったような気がするんですけど
ことこ整形とかの分野でいくと
病院に蓄積されたデータも
限られたものとか
種類
質としてももしかしたら
低いものがあるかもしれないんで
あえて自費領域で
質の高いデータを集めていく
っていうのもあるなと思いましたね
これは僕の中では
逆転の発想でした
右のところにはそういうのは提供せずに
もっと複雑な医療データを
と思いましたけど
ベースは最初にそっちでやってたほうが
データが集まりやすくて
話が通りやすいなと思ったりしました
そうですね
それで価値のあるデータが
集まってきてスクリーンに
提言するっていうのもあれば
そういう企業とかが
欲しいデータとして提供するっていうのも
あるだろうし
そのデータ集めるのに貢献してくれた
慈悲のセラピストとかにも
一部還元されて
手術だけではちょっと安定しづらい
収入っていうのを
ベーシック一貫部的な多少の
安定はした上で
より良い治療を提供していくっていうのが
できると全体の
システム的には悪くないですかね
3歩をよしるっていうね
これは十分
すごく可能性を感じましたし
ちょっと
今まで考えていたものと
違うから色々準備は必要かもしれませんけど
先を見る上では
どうしても医学療法
保険診療というところに
こだわりすぎなくてもいいかなと
今自分の中での
パラダイナシステムが起きます
いいですね
理学療法の未来像とデータに基づくアプローチ
前半一旦ちょっと特集と
後半ちょっとデータの話
っていうのになりましたけど
改めてまた現代的な
自分としてはどういうのを身につけていくと
いいんだろうっていう
特集のところとデータを扱って
しっかり科学的に考えるっていうところも
あったと思うんで
その思考の部分とか
データの扱いとか
それぞれ話していけたらいいかなと思います
はい
前半はこの辺りで
ありがとうございました
43:53

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