2026-02-25 31:03

#22-2 美しさを意識することでメリトクラシーを乗り越えられるのか

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

本エピソードでは、メリトクラシー(能力主義)の息苦しさから解放されるために、「美しさ」や「美学」といった概念がどのように役立つかを探求します。プラトンやアリストテレスの時代から続く美の概念を紐解きながら、人が「美しいものに呼ばれる」という体験や、言語化できない感覚の重要性について考察します。また、メタ認知の概念を用いて、自己の感情や経験に「タグ付け」をすることで、自己理解を深め、他者との関係性を築く方法についても議論します。最終的には、個々の美意識を大切にし、それを共有できる安全なコミュニティの重要性が強調されます。

00:02
こんにちは、Tashiroです。 こんにちは、堀です。
美しさへの回帰:生きづらさからの解放
Advanced Therapistエピソード22の後半部分で、前半はメリトクラシーとか、ちょっと息づらさとか、そういう話もあって、それをどう乗り越えていくというか、扱っていくかみたいなところで、美しさとか美学みたいなところも大事だよね、みたいなところは最後に堀が言うときがあって、その辺からまた来てみました。
はい、あの前回の最後にちょっと美しさについて喋りますよという話をしました。この美しさというものがなんでその話に出たかというと、息づらさだとかがあったときにどういったものにすがっていくのが重要かっていうところだと思うんですね。
このすがるということ自体はいくつかの要素があると思うんです。例えば、宗教的な教義というものにすがるっていうこともありますし、ものすごく宗教っぽくなくてもいいけど、何かに祈るっていうことにすがることもあるわけですね。
これはよくスポーツの現場とかでも、別に日本人はおそらく多くの人がキリスト教徒ではないけれども、このシュート入ってくれみたいなときはみんな指組んで祈ってるんですよね。あれはいわゆるキリスト教的な祈りのスタイルなわけですよね。
そういう祈りっていうもの自体は、誰に具体的に祈ってるかは別としても、何かしら我々の価値観の中に埋め込まれるものでもありますし、あるいは愛と言われるものもそうだと思うんです。誰かに愛される、あるいは自分が誰かを愛されるというようなものもそうですし。
そしてその中で僕は重要としているのが美、美しさなんですよね。この美しさの部分っていうのをいかに自分の中で言語化していくかっていうところは、割と生きづらさの中から助けられていくものの一つだろうなと思ったりはしていますけど、田代さんはどんなものに美しさを感じますか。
美しさそうですね。美しい自然みたいなところは美しいなと思うこともあるし、生き方的なところだと譲れない部分というか、そういうのもあったりはするので、そこは自分の中の意識みたいなところに基づいて動いているところもあるかなとは思いますし。
アートみたいなところだと、この間でも話したんですけど、シュルレアリスム的なのは好きで、新しい組み合わせというか、特に岡本太郎とかそういう作品が好きなんですけど、その中の本の中で出てくる言葉とかは結構響く部分があったりはするなみたいなざっと印象ですね。
実際、美、美しきものというのは何かといった時に、哲学的な歴史観を捉えると、美そのものというのはかなり古いところで言われると、プラトンとかアリストテレスの時代から言われ始めたわけです。だから今から2500年前くらいに、輝くものとか、金星が取れたものを美しいものとしましょうというようなこと。
だからキラキラしたとか、整っているものというのは美しさであるだろうと。ただこれって解釈が人によっても変わってくるので、5世紀、6世紀くらいに偽物のということなんですけど、ディオニシュース・アリオパギテスという聖職者が出てきて、この人が美とは呼ぶものというふうに定義付けたんですね。美そのものの方が呼んでくるということです。
だから私がその美しいものを見出すんじゃなくて、美しいものの方から呼んでくるんだっていう、なんかめちゃくちゃな理論なんですけど、この呼ぶものというのはカレオというんですけど、カレオ理論がとっても好きなんですよ。
なんかね、ある日突然美しいものに呼ばれる感覚みたいなのってあったりするんですね。それが例えば自然の美しさでもそうだと思うんですけれども、ある時に例えば山の中に入ってて、突然開けた景色で大きく下界が見えた時。これは自分自身がいろいろ疲れているとか、いろんな条件の中でワッと美が呼んでくるんですよね。
あるいは美術館とかに行った時に、自分が好きな絵っていうものが仮にあったとしても、そこに行く途中になぜか知らないけど立ち止まってしまう絵があったりするわけですよ。これは自分がその絵が好きというよりは、その絵の方が呼んでいるんだっていうふうに捉えていくと。
このカレオ的な概念っていうのは、僕は割と美を解釈する時にはよく使っていきます。だから今ここ、この瞬間の自分の何かしらのものとそこが調和するんですよね。だからなぜ呼ぶものって言われる光り輝くものだとか整っているものっていうのが美ではないかというと、美というのは自分の中にある何かなんですよね。
だから美自体と自分の何かが合わせ合った時に美っていうものが存在してくると。ミスチルのシーソーゲームなんかにもあるわけですね。友人の評価はいまいちだけどシーソーキュートっていうところなんですけど。
だからそこにある種の真実があるというか、常に一定のものがあるわけではない。それは美しいものであってもそうなわけです。だから行きづらさがあった時に少なくとも自分にとって美は何か。そしてその理屈はわかんないんだけど、これにすごい呼ばれるんです。呼びかけられたんですっていうのでいいと思うんです。
そうすると呼びかけられたってことは相手側に責任が転換できるので。そこってすごく重要なんですね。なんで私はこれが美しいと考えたか説明しなさいって難しいんですよ。でもあれは俺を絶対呼びかけてくれるだけでいいと思います。そういうものがあるだけで行きづらさっていうのは結構楽になりますよっていうものの一つです。
確かに。今だと全部言語化したい方がいいというか、そういう風潮もあるような気がしますけど、やっぱり言語化できないことももちろんありますし、むしろ無意識的に呼びかけられちゃうというか、ほんのしちゃうみたいなところの方が自分の本来の姿では気にするんで。そういう話は今の言語化ブームみたいなところには逆に大事なのかなと思ったりします。
言語化の功罪と経験の受容
確かに意識高い系のコント単価をやるときに誰かがやってた子の子で、はい言語化してって言う子がすごいおかしくて、今の言語化してっていう。確かに言語化すること自体というのは大切であり、僕ら大学教員として言語化をすることを促しはするんだけれども、
言語化そのものにおいて何を目的としているかということを説明してくれる人の方が少ない気がするんですよね。言語化することによって何が起きるんですか。例えば自己認識が起きるっていうことかもしれないけど、必ずしも言語化自体が正しい自己認識になるとは限らなくて、無理やりにパーツを組み合わせた間違った解釈をし得ることもあるわけですね、言語っていうのは。
それによって間違った解釈に組み込まれることもありますので、言語化ということと経験自体を純粋に受け入れるということはおそらくちょっと違って、先日知り合いのバイオリニストに目の前でバイオリンを弾いてもらったんですね。それは言語化できないです。
あの感覚は言語化をする必要がないと思うんですよね。だからもう一回それに味わいたいと思うっていう。言語化できたら多分味わわなくていいので。
そうですよね。確かに。自分も性学科の人の知り合い紹介でオタク訪問する機会があって、発声法とか聞いたりとか、コンサートの様子とか見させてもらってましたけど、本当なんかああいうものって言語化しきれないんですけど、やっぱり心に響くものみたいなのがあるなと。そういうのは大事にしたいですね。
身体で受け止めて、その身体で感じて、言語っていうのはもちろんプログラミング的にものすごい長いプログラム言語を使えば説明できるかもしれないけれども、もう少しやっぱり時間的には一瞬を切り取られているものなので、必ずしも言語化しなくてもいいものは多分あると思うんですよね。
もちろんできるに越したことはないかもしれないけれども、言語化ブームの中に全てが言語化する。まさにそれがハイパーメリッドクラシーなので、言語化しなさい。あなたは言語化能力が低いわね、みたいな世界があって。
だったら私の今の状況がどうだと思いますか、あなたが言語化してみてくれって僕が言いたくなります。あなたこうこうこうでしょ、違いますって言います。
まあその辺またこう理学療法とかとつなげて言語化しきってないけど職人的な触れ方とか何か分かり方とかっていう暗黙値みたいな部分を言語化するっていうのも大事だと思うし、逆にこう今の科学的な研究の方だと、
数字とか言葉で説明をしっかりしようっていうところもあると思います。それで凄凄とされてる部分とか限界もある。
まあ何でしょうね、科学みたいな方だともうちょっと直感とかそういう身体値も大事にしていきつつ、暗黙値化されすぎてるところはもうちょっと言語にしていきつつみたいな方向によってもやることが違う。
まさにその通りだと思いますし、僕も言語化を否定してるわけじゃなくて、むしろ僕は言語化をし続けてる人間なので、言語化の行き着く先は言語にできないものに出会うっていう話をしたい感じなんですね。
だけど言語化できる限りのものはしなくてはいけないし、プロフェッショナルである限りにおいては、行為そのものはなかなか難しいかもしれませんけど知識は可能な限り言語化することが必要なんですね。
じゃあなんでその言語化が必要なのかっていうところにいった時に重要なのは再現性なんですよね。
要はプロセスが5プロセスぐらいあった時に言語化できないとどのプロセスを今やってるかがわからない。
どのプロセスを修正しなきゃいけないかわからないから言語において使うと。
ただその言語っていうのはすべて自由な文章言語ではなくてフレームワークがあるはずなんだと。
だからそのフレームワークの中に、そのフレームの中に何の言語を入れるかっていうタグ付けをしなきゃいけないわけですよね。
そういうプログラム的なことが必要なのであって、すべてを文章で説明しろっていうのが言語化ではないってことです。
メタ認知と感情のタグ付け
だから最近自分自身で気づいたのはメタ認知って何ですかっていうことをよく学生に聞かれるんですね。
メタ認知っていうのは自分の行動をタグ付けすることだって最近言ってるんですね。
例えば誰かに怒られて、その怒られた時っていう時に何で自分が嫌な思いをしたかっていうのは
過去のタグがポコッと出たりだとか、自分が恥ずかしいと思うタグが付いたりだとかするわけですね。
そのタグっていうのをたくさん集めた時には、私はここで怒られることが他の人に見られて恥ずかしいと思ったからこの怒られることが嫌なんだと。
だけどポジティブなところで言うと、自分自身がこれを乗り越えればきっといい人間になれるとかポジティブタグも張れるわけなんですよ。
だからそのタグっていうのをいかに張っていくかっていうのがメタ認知であり、
それを嫌な瞬間に自分でタグを張るために一歩引くっていうことができればおそらくそこの状況に飲み込まれないんですよね。
だからタグを張るために一歩引けっていうことをちょっと最近言うようにしてます。
なるほど。それができていない状態は本当にタグもなく浄土的に体の中に入れているとか、言葉にしたとしてもツラツラと。
そうです。ツラツラだし拡散しちゃうんですよね。
だからそのタグ自体はたくさんなくてもいいと思うんですよ。悲しいタグでもいいと思います。
今悲しいって。そう思えることが言語化だというふうに言いたいことです。
確かにそうですね。これもまだ勉強途中ですけど浄土と感情の違いみたいな。浄土みたいな言葉にまだなってないようで感情的な言葉ですね。
僕自身が浄土と感情をだいぶ前にいろいろな文献から定義したっていうのは、通常浄土っていうのはエモーションなので言語化できないもの。
言語化したらそれは感情になるっていうようなことで、これルクチョンピっていう人が言ってるんですけども、そのあたりをよく使った感じがするんですね。
だから浄土っていうものをいかに言語化するか、そしてそれを感情に変えていくっていうプロセスがメンタルヘルス的にはすごく重要なわけですね。
イライラをしてる状況っていうのは浄土であると。だけどそれは怒ってる状況になるっていうことは感情になるので、イライラしてるんだったら怒れってことです。
で、怒るというところまでいったらなんで自分が怒ってるかっていうのがそこからリフレクションできるっていうことがすごく重要なわけなんですよね。
浄土状態っていうのはリフレクトできないことがすごく多いし、水に流れてしまうことが多いんですね。忘れてしまったりすることね。
だから動物がそうですよね。彼らは言語を持たないので浄土的に動いているんだと。
だからイライラしたり急に怒ったり。ただ彼らは言語を持たないからそれは巻き戻されないんですよね。
もちろん映像的にフラッシュバックすることがあったとしても、言語的にフラッシュバックされることはないので。
なので浄土っていうことをエモーション、つまりエモいっていうのは言葉にならない状況だっていう風に僕は捉えてるわけですね。
なんかこれってエモいっすよねっていう。それは言葉にならないってことだねって僕が言うと大体ハテナは出されるんですけど。
美意識の共有と心理的安全性
でもそうですよね。そういう意味だと怒りとかイライラみたいな、そこの感情浄土みたいなところって結構人によって共通する部分ある気がするんですよね。
さっきの美しいとか美みたいなところも浄土的なところもありつつそこから言語化されているところがあるんですけど。
なんかあるんですかね。美しいものに触れたときの浄土的な感じってどんな。
おそらくこれをもし言語化しようとすると誰かと討論でしょうね。
例えば田代さんと二人で美術館に行ったと。僕この前学生とか卒業生と何人かで美術館に行って、大塚美術館に行ったんですけど。
大塚美術館だから本物は一個もないわけですね。だけども自分の中に多分語りかけてくる絵とか作家がいるはずだから。
それを全部見た後に最後飯食うときにジョイさんの絵を写真に撮っておいてプレゼンしろってことをやる。
そのプレゼンの中で一旦落ち着いて改めて見て、自分がなんでこれが良かったかっていうことをして、
そこで私もこれ本当に良かった選びたかったんだけどみたいなことを結構やったりするんですよ。
それは自分のエモさから感情、そして誰かにプレゼンするっていうこと自体は、
誰かにもしかしたら批判されるかもしれない怖さも含んでるっていう感情の揺れ動きが言語化にすごくいいと思ってます。
確かに。そうですね。そういう機会なんか増えるといいかなと思いましたし。
それが今だと例えばXとかでなんか人と会わないこと言ったら批判されるんじゃないかみたいな不安があるから
自分の内面みたいなことを出しづらいみたいなところも結構メンタルフィルスとかは通じてるんですか?
そうですね。なので小さなコミュニティでいわゆる心理的安全性が保たれているメンバーの中でそういったことを繰り返していって
ある種プラスの、例えば5人行って4人がこの絵いいよねって言ったことは
たぶんXで投稿して叩かれてもこいつ分かってないやつだなって済ませると思うんですよね。
だけど自分だけがいいと思って周りの人はそうでもないと言ったと。
それを出して叩かれたらやっぱり良くなかったんだっていう風に自分の彼を否定してしまうんですよ。
それは良くないと思います。自分の彼を自体はこれは事実としてあったわけだから
それはそれで大切にとっておかなきゃいけないと思うんですよね。
だから人の感覚と自分の感覚っていうものをつなぎ合わせるときに
安心材料を作るということと自分の独自性を作るということは別に持っておかなきゃいけないということです。
ですね。
本当に周り関係なく自分の内面見つめる時間と
少人数の信頼できるコミュニティみたいなのと
その中でも広い社会でも生きていかないといけないからっていうので
それぞれの場所に合わせた振る舞いとかもうまく切り替えつつやっていけるのが
メタ認知的な生き方というかそんな感じなんですかね。
セラピスト領域における美と価値観
と思います。なので美しきものを語るので
例えばこれが絵を語るとかっていうのはすごく良かったりするんですよね。
でも今例えば僕ら大学の教員が女性についてこうだとかっていう
あの学生は可愛いとか可愛くないっていうとこれはハラスメントになるんですよ。
すごくだから難しいっちゃ難しいんですよね。
ただでもそういったのは小さなコミュニティで
芸能人の誰々が可愛いよね俺こっちのがいいとかっていうのめちゃくちゃ盛り上がるんですよ。
だから本来的にそういうことを人っていうのは思ってるし
自分の中の美的感覚っていうものを言うので
例えばピカソが好きだとかシャガールが好きだとかっていうのはあんまり恥ずかしくないけど
このタイプの女性が好きだとかっていうと結構恥ずかしいんですよね。
その恥ずかしさを乗り越えた友人って結構長続きするんですよ。
だからお互いの恥ずかしさというものを出せるそこに対しては自分の美的感覚だとか
自分の好き嫌いというもの特に美的感覚ってすごく重要だと思うんですけど
その美的感覚をお互いに話し合える心理的安全性が保たれる
信頼ができるっていうものを持っておくっていうこと自体は
すごくその生きづらさを解消するのに役に立つと思います。
Aとかだけじゃなくて音楽とかそういうところでも分かりやすいところでは話しやすいと思いますし
そういういろんなテーマについてザック・バランに話せる場があるといいなと
本当に学生も慣れてすごく一対一で話したりとかすると
友達同士で言ってる時の好きな音楽とかと変わってくるんですよね。
最初友達同士ではすごいノリがいい音楽好きなんですとかって言ってたけど
一対一で話していくとあるバンドのバラード曲で自分は号泣したんだみたいな話をしてきて
その時にその人の重要な価値を見たりするんですよね。
そこに対して否定しちゃうと人間関係壊れる。
幸いなことに年老が離れているとその楽曲知らないんですよ。
そういうことがいいです。楽曲を知ってたら俺あんまり好きじゃねえわって言うかもしれないけど
楽曲を全く知らないから本当に人生変えるような良い曲なんだねって言えるんです。
だからそういうことを誰かに言ってもらえたりだとか言うのも結構重要だと思うんですね。
自分自身の存在を受け入れてもらえるっていうよりは
自分自身の価値を受け入れてもらえるっていう感覚ってすごく心の中における
安心感につながってくると。そこの安心感もおそらくタグ付けすりゃいいと思うんですね。
受け入れられたタグ付けだとかこの人に好かれたタグ付けだとかいろいろあると思うんですけど
そのタグ付けがある程度たまってくると自分の価値観っていうのがすごくわかってくるので。
美意識の探求と創造性
なるほどですね。そういう美意識みたいなとか美について考えていくと
序盤であったメリットクラシーの話とかで言うと、資格とか学位とか
そういうのって別に美しいと思うもんではないっていうか
もうちょっとこういう人の生き方とか
施術とかの中でも職人的に手さばきなのか振る舞いなのか
セラピストの中でもそういうわかりやすいそういう軸じゃないとこの基準で
目指す方向みたいなのが見つかってきたりするといいですかね。
本当に美を語る会っていうのはすごくいいと思います。
そのなんていうのかな。
リテラシーを問うような美っていうのはちょっと一旦置いといた方がいいと思うんですね。
これはこの時代にどうこうああだこうだじゃなくて
さっき大塚美術館でやったような
とにかく大量にある絵の中かで自分の彼を探す会っていう
それは多分5回それをやったら5回多分違う絵を選ぶ可能性もあるし
3枚選びなさいって言った場合に毎回選ぶ絵があると思うんですよね。
それで自分の好きとか自分の嫌いとかいうものを
ある種言語化していくっていうようなプロセスっていう
偶然という出会いもあれば
データベース化された美っていうのもあると思うんですよ。
そういうのをまたタグ付けしていくっていうプロセスを踏んでいくことによって
自分の意見とか自分の考えというのが明確になってくる。
それがハイパーメリットクラシーにおける創造性とかにつながってくると思うんですよね。
そういう自分の感覚をもう少し研ぎ澄ませていくっていうような
トレーニングっていうのは
今の若い子って言うと突然嘘くさくなりますけど
恥ずかしさの共有と自己受容
若い時にこそエネルギーがある時にこそやってほしいです。
そうですね。確かに。なかなか働いて時間もなくなってくると
そういうもう感覚を研ぎ澄ます以前に
考えられないことに追われたりすることもあるかもしれない。
時間がある時とか働いた後でも
もうここは一旦全てから離れて
その後からスマホを取り上げて
そういう自分に向き合う時間を作るとかは間違ってきそうな気がする。
だから自分自身が最初の方に祈りだとか愛だとか
Bとかっていうような話をしたと思いますけど
そのどれかでももちろんいいと思うんですけど
その時を誰かとやっぱり共有していくことってすごく重要だと思うんですよ。
例えばどういったものを愛しているとか
どういう時に祈りたくなるとかって
まあまあ恥ずかしいんですよ。
その恥ずかしいっていうのは自分の中で何かしら疑いを持っている
つまり問いを持っていることなので
その問いを共有するということ自体がすごくポイントになるから
恥ずかしさを共有していく
恥ずかしさっていうのを問い立てしていくっていうのは
まあそのちっちゃい子でもできる。
その学問メリトクラシー的なリテラシーがなくてもできることなんですよね。
確かに。
ずれから見出す自己と世界の関わり
そういう意味だと今うちの娘とかだとまだ保育園とかで
次小学校とかですけど
まあそのぐらいの年代ってまだあんまり恥ずかしさとかないですか。
もう自分の好きなものは好きでみたいな感じですけど
だんだんやっぱ小学校とか上になってくると
そういうちょっと周りの目も気にしだして
恥ずかしさっていうのもやっぱ他者の目を気にして
自分は好きだけど俺って他の人好きなんじゃないのかなみたいな
感じから生まれてくるような気がする。
やっぱこう10歳前後というか
まあ小学校とか中学校になると特に出てくるような感じ。
だからその恥ずかしさをものすごく
自分が信頼している人から否定されたりとかすると
多分トラウマになるんですよね。
それを受け入れられるとすごく心地よく
自分と世界の関わり方が変わってきたりもすると思いますし
だけど否定もされなきゃいけないんですよね。
それによって大きな問いが生まれるので。
そうですよね。全てが受け入れられたら
それはそれで世界が整った。
そうなんですよ。だから世界っていうものは
そういうずれの中から見出していくものだと僕は捉えているので
そのずれを起こした時に何でずれたのかっていう問い立てが
自分を救う一つのツールになると思うんですよ。
だからずれは多く経験した方がいい。
ただずれを経験するためには
自分自身というもののメタ認知をしておかないと
ずれはめちゃくちゃしんどいです。
確かにそうですよね。
自分の中ではこれが好きだとか美しいなと思っているものが
否定され続けたりするとしんどくなると思いますし
それでもやっぱり自分はこれだよねっていう
確信を持てれば守れるところもあるかなと思うんですけど。
本当にそうでよく学生に
何で先生はそんなに自信があるんですかって言われたことがあるんですね。
自分が自信があるなんて考えたこともなかったんですよ。
むしろ自信がない人間だと思ってたんですけど
学生からすると自信があるんだと。
それはメタ認知をして自分というものはこうだからというものの
タグ付けをたぶんたくさん持ってるだけなんですよね。
だから言語化する時にどのタグを使ってるとか
言語化する時にどの座標で喋ってるかっていうことが
他の人よりは多少明確であると。
だけどそこに対して自信ってなってきた時は
自分が必ず正しいことを言ってるとか
自分はあなたたちを間違いなく導くんだとか
っていうふうには思っていないわけですよね。
だけど学生からすると自分のことをある程度理解して
喋っていることが自信のように見えるんだと。
そうするとそういった自信をつけるためには
メタ認知が大切ですよっていうことをよく言います。
そういう意味では今の世の中だと
セラピストの美学とバイオメカニクス
自信がなさそうに見える人は多いかもしれないですね。
なのでここのコミュニティに入っていただいて
タグ付けの仕方を教えますよって
なぜタグ付けの仕方を教えますよっていうのができるかというと
クリフトストレングスの34の項目をタグ付けに使うっていうのが
一番実は楽だっていうことに最近気づきました。
これ共感性タグだとか原点思考タグだとかって言ったときに
自分の判断を強みと巻き込んでいくっていうのは
結構楽です。
自分の見つめ直したりとか自分のタグ付けを考え直す
みたいなことは役に立つと思いますし
以前も趣味部屋みたいなコミュニティであったら面白そうだな
好きなものを好きなように語って
いける場みたいなことは安心できるコミュニティできてもいいかな
コミュニティの中の活動もそういうのに生かしていけたらいい
ぜひアドバンスセラピストコミュニティに入っていただき
コミュニティだからこそ恥ずかしい話をしてもいいと思いますし
普通に恥ずかしい話をしたらアドバンスセラピストに
喋られるとかそんなことないと思いますので
なのでまたその辺のコミュニティのやり方を考えていったりとか
まだ人は少ない状態なので逆に開示しやすいとか
コンビニで話しやすいとかあるかもしれないので
よかったら見ていただければと思います
また具体的にもうちょっとセラピスト領域で
B.C.的なものとかどう養っていくのか
追い取り組みしてもいいかなみたいなのがまた
最後にセラピスト領域の美しさっていったときに
セラピスト領域の美しさっていうのは
アリストテレス的な金星が取れたものなんですよ
正しい歩行だとか正しい立ち上がりというのは
正常なものに非常に近いものを美しさとして捉えている傾向にあるんですね
だけどそれを例えば批判的に
歩けることそのものが美しいだろうと捉える人たちも
中には出てくるんですけども
セラピスト的にやっぱりバイオメカ的な
金星の取れた美しさっていうのを追い求めるということは
これは正しいと思うんですよ
だから自分の正しさっていうものを美と結びつけていくっていう活動は
認識においてすごく楽になると思いますので
なんでこんな金星取れた歩き方ばっかりやるんだって
美しいじゃんってそれでいいと思うんですよ
そういう自分の金星タグ美しさタグっていうのをセットにして
例えば女性の顔も金星が取れた人が好きかもしれないので
何か自分がどこにそういう美しさが埋め込まれているかっていうのを探すと
何ていうかな価値観の変化
あるいは価値観の言語化っていうのはやりやすくなると思います
そうですねまた歩き方一つ取っても
多分モデル的な歩き方なのか
年齢とかによっても全然違ってくるかなと思いますし
セラピストとして美しい歩き方みたいなのを
自分の中に持っていくのも一つ価値はあるかもしれないですけど
やっぱり人によって美しさの基準が違ったりすると思うので
押し付けすぎずに相手が美しいと思うものみたいなことにも
うまく反応しつつできたらいい方向になるのかなという気はしました
うんうんと思います
なるほど
今後の展望とコミュニティへの招待
まだいろいろ深掘れそうなテーマではあるのでまた取り上げていきましょう
そうですねまたノートとか反応があり次第
メリットクラシー系をもう少し掘り込んでいってもいいですね
もうちょっと具体的なメリットクラシーを掘り込んでいってもいいと思うんですよね
そうですね
はいまた今後も扱っていけたらなと思うテーマなので
また興味ある方聞いてもらえたらなと思います
はい
じゃあ今回は以上ですありがとうございます
ありがとうございました
31:03

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