番外編:オフ会音源
2026-04-01 1:04:01

番外編:オフ会音源

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堀 寛史

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田代雄斗

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サマリー

このエピソードでは、理学療法における「オントロジー」の概念とその重要性について深く掘り下げています。オントロジーとは、情報学における存在の可視化や、知識を構造化するための設計図のようなもので、理学療法における思考プロセスをコンピューターが理解できる形式で整理することを目指しています。これにより、理学療法士間の知識共有の曖昧さをなくし、より論理的で一貫性のあるアプローチを可能にすることが期待されます。 議論は、現在の理学療法現場における課題、特に評価の曖昧さや、それがもたらす問題点へと展開します。過去には「評価」という言葉が法律に盛り込まれなかったために、評価が適当になった経緯や、心疾患分野のように医療機器による客観的データが豊富な分野では発展が見られるものの、運動器分野などでは依然として課題が残っていることが指摘されます。この状況を改善するため、オントロジーを用いて理学療法プロセスを明確化し、教育支援や業務効率化に繋げるビジョンが語られます。 さらに、理学療法士の専門性や市場価値についても考察がなされます。特に、医療における運動療法の重要性が増す中で、そのデータ不足や人材不足が課題となっています。また、日本の医療システムにおける「株式会社」として機能しない構造や、価格設定の仕組みが、理学療法士の収入や専門性の発展を阻害している可能性が示唆されます。最終的には、AI時代を見据え、自然言語処理の活用や、より根本的な「人間存在を支える医療」としての理学療法のあり方、そして「日本一」を目指すスポーツチームにおける「強さ」とは何か、という哲学的な問いへと議論は広がっていきます。

オフ会音源の共有とコミュニティ案内
こんにちは、Tashiroです。Advanced Therapist〜セラピストの未来を拓く思考と実践〜です。
今回はですね、初めてオフ会というのが開催されて、一部そこで音源を取ったところがあるので、そちらを共有しようかなと思っています。
今後もですね、ちょっとリアルな交流会とか、オンラインで話す場とかも設けられたらいいかなと思っていますし、
こちらの案内は、説明欄のところにも書いてあるコミュニティの中で主に行っていこうかなと思いますので、
よかったらですね、今後も収録も聞いてもらいつつ、コミュニティで交流もしていけたらなと思いますので、よろしくお願いします。
では、音源の方どうぞ。
理学療法におけるオントロジーの概念と構築
今、理学療法・オントロジーといって、正確には理学療法・推論・オントロジーといって、
その理学療法史の思考というものが、どういう風なプロセスを踏んでいくかというのを可視化するためのものを作っていて、
話が合わない人たちといかに話が合わせるかということに頑張っているんですけど、
オントロジーができているのをお見せしたいんですが、
オントロジーというのは、そもそもどういうものですか?
オントロジーってもともと正確には哲学の中から出てきた存在論というものなんですけど、
これは情報学のところに飛び火して、存在を可視化させるための設計図みたいなものなんですね。
そのクラスとかエンティティとかルールとか規制とかっていうのを全部かけて、
要はちゃんと全部が行き来できるモップを作るっていうのがオントロジーで、
今それをちょっと個人的に作っているところです。
数字に価値をつけるってことですか?
いや、数字ではないんですよ。これは言葉。
最近送られてきたやつですよね。
もうだいぶ変わりましたよ。
どんどん変わっていく。
更新されていく。
この前、臨床理学療法推論学会っていうのをやって、年に1回。
最初に僕が去年話した内容を今回発表してくれる人がいろいろと持ってくれてるんですね。
僕全くその位置にもういないから、話が全く違うんですよ。
あれ、全然違いますよね。前は去年引用で堀がこう言ったと。
俺もうその位置にいないから、みんな困るっていう。
これが、理学療法の推論プロセスっていうのをどんどん今可視化していって、
中心命題が何か背景が何かとかっていうのを今一生懸命作って、
それをアプリ化すると、どういうふうにあなたは進んでくださいねとかっていうのをちゃんとアプリ化している中で、
そのアプリ化はいいや。まず理学療法士っていうのはいろいろな背景を持って考えてて、
縦にいくと中心命題っていうのは基本的に活動の問題だとか、どういう身体の問題があるとか、
そしてそれに対してどういうプログラムをやってますよっていう、この流れが強すぎると。
そうではなくて、もう少しちゃんと論理的な思考というものを、
その抽象データとか具体データとかっていうのをいかに扱うか。
そしてさらにそれを、これがどういう書き方にしたんだっけな。
西銀味噌と一般比較層。
そうですね。だめだ、老眼で見えない。自分で。
西銀味噌と一般比較層というので、いかにここをもう一回考えて、
横の流れと縦の流れの思考というものを合わせるときに初めて理学療法が成立するっていう
存在的な位置を今作ってるんですね。
なぜこれを作ってるかというと、我々の語りってものすごい暗黙地だとか、
人によって考えが変わりすぎると。コンピューターが読めないんですよ。
レイさんが言ってることとリーさんが言ってることが違うから。
じゃなくてコンピューターが読める土台をここで作って、
コンピューターシステムに入れ込むためのオントロジーを今作っている段階です。
これが絶対的なルールを一種しまえば、あとはいろいろな人が言ったとしても、
あなたが言ってるところはここですね。
あなたが言ってることはここですね。コンピューターが読んでくれるようになるので。
というのがどうにか今、ここを数週間で作ったってことです。
要因メカニズム論とプロセス論、理学療法の思考プロセス
最近、読んだ本の中でふんふんと思った話をちょっと思い出して、
要因メカニズムを合成するみたいなのがあって、
結構人はものを何かので、一番わかりやすい例で言うと、
機能法みたいな、AとBとCがあって結論、Xが見出されるみたいな、
あるいは売上が落ちているのはAとBとCの要因でできているみたいなことを、
要因メカニズム論とそれに対して、名前がちょっとおもいですけど、
要因プロセス論かな、プロセス論。
各メカニズムの要素がどう連携をしている結果、
どこかでは増強しあったり、相関しあったり、減衰させる、
みたいな作業を、基準を明らかにするような考え方がある。
結構、プロセスをきちんと明らかにしないと、原因がはっきりしない場合が往々にある。
一方で、説明をするときには要因メカニズム論を使うと、
売上が下がっているのはこれとこれと、これが原因だからこれをやろう、
みたいなシンプルなメッセージに仕上がるみたいな話があって、
なんでこんな話をしたかというと、機械は例えばこういう要素を入れたときに、
どういう関連性を持ってその原因を把握するのかなというのがちょっと興味はあるんですけど、
それは明示的に、これをそれぞれの関連性のプロセスとして理解をしてくださいというべきか、
これはもうある程度決まったフレームワークで、要因メカニズムとして把握をさせている。
だからそこにもともと人間の思考のプロセスを、要はフレームに全部分けて、
そしてそのフレームごとの橋渡しにルールを決めているという、それがオントロジーなんですけど、
それがないと人間は箱も変えるしルールも変えちゃうと思う、思考を。
ただ総合的に見ると三段論法とかだったら合ってるんですよね。
だけどその完全な三段論法で出来上がっていないにも関わらず、
無理やり三段論法に入れたがるんですよね。
原因と結果とかのような要因を。
そうではなくてそこに必ずプロセスがあるのに、プロセスは実は理学療法で明示化されていないんですよ。
そのプロセスを明示化して、かつそのプロセスの中にどういうフレームを置くかというのを決めて、
というのを僕が勝手に作っています。
理学療法の現状と評価の曖昧さ
コンセスで明示化されていない理学療法ってどんな…
むちゃくちゃ簡単に言うと、すごく低レベルな理学療法って、
肩が凝ってるから揉みましょうっていう論法なんですね。
でもこれって理学療法ですかっていうと、
理学療法師がいれば理学療法なんだけど、プロセスとしては理学療法ではないんですよ。
そこにちゃんとしたデータがあって、そのデータに基づいて問題点を導き出して、
それに的確なアプローチをやらなきゃいけない。
要は車が走りにくいです。
本来はエンジンの問題かもしれないのに、
タイヤの空気抜けてたから、タイヤの空気入れたら確かに良くなったと。
だけどエンジンのそのものは変わっていないということを理学療法師はよくやるんですよ。
そうではなくて、ちゃんと過程としてエンジンのどこが悪いっていうところに行かないと、
そこに確かに空気も抜けてて入れなければいけないけど、下の問題はこっちだよねっていうプロセスが本来はあると。
っていうのができていないっていうのが僕のクリティカルな指摘なんですよね。
特に今の現場がそうだし、
これはちょっと話が長くなって、根本的なところで言うと、
この前半田先生って元々の理学療法師協会の会長が言ってたのが面白かったのが、
理学療法士法ができるときに、
理学療法に評価という言葉を本当の法律の中に入れる予定だったんですね。
でも取られちゃうわけですよ。
それが入ったら何かというと、評価に医療点数が入るんです。
だから今、例えば医者は検査に医療点数が入らない。
だから検査をちゃんとやらなきゃいけないんです。
でも理学療法士それが入らなかったから評価がめちゃくちゃ適当になったんですよ。
それが暗黙値をたくさん生み続けてしまったがゆえに、
今の理学療法士が本当にバラバラな考え方をしてください。
これは国が決めてお金を払ってくれたら、
RMにいくら、筋力測定にいくらだったから、
ちゃんとした筋力測定をやらなきゃいけないんですよ。
例えばサイベックスにいくら入っていたら、みんなサイベックスでやっていたんですね。
だけど未だに手で押してバカみたいなことをやっているわけですよ。
だからそこは法律のところで負けてしまったものであると。
だから検査とか評価というものを、
ちゃんとやっていると思っている人たちが多すぎるんですね。
それは逆説的に何が証明したかというと、
今、心疾患の理波というのがめちゃくちゃ発展しているんですよ。
心疾患だけエビデンスがめちゃくちゃ高いんですね。
なぜかというと、医者が取っているデータでやっているからです。
理学療法士は一切取れないわけです、そういった機械では。
医者が機械をつけて、機械データを全部持っているわけですね。
そのデータを使えるから、理学療法の評価じゃないんですよ。
そうすると理学療法をちゃんとやれるんです。
運動機なんかはそういう評価を持っていないので、
いまだに乱雑なんですよね。
そういうのをちゃんとプロセスとして、
改めて作り直すというのが今の僕の仕事という感じです。
オントロジーによる教育・業務支援とAIの活用
その方法を明らかにしていって、
最終的なゴールとしては、
AIの診断、診断みたいなところは一つシェアに入っていますか?
そうです。ただそのAIのところまで、
大きく全部入れ込んでしまうとちょっと大変なので、
まず最初にやろうとしているのが教育支援です。
あなたたちはこういうところができていませんよね。
こういうことをしたらいいですよという、
理学療法士はある程度、あなたたちができていないという部分を明示化させる。
理学療法士がある一定の指向で回れるようになるという教育支援というのが第一の目的で、
その結果何が起きるかというと、業務の効率化とか、
業務の簡易化ができるから、
理学療法士が仕事で楽になりますよねという業務支援もやりたいと思っています。
だから大きく本当に、AGIみたいなこれがあることによって、
理学療法とか医療が全体的に変わるというところまでは目指していないです。
そういえば英語の頭文字で評価、治療の前、介入する前に何かあったんですか?
SOAPと理学療法士の思考における「お作法」
SOAP
大学でいうと結局、あんまりこういう論理的な考え方みたいな、
もう本当はSOAPしかなくて、S-O-A-Pで、
サブジェクティブの主観的な情報と客観的な情報を取って、
それをアセスメントで統合を解釈して、プログラムを考えましょうみたいな。
その統合と解釈みたいなものがめちゃめちゃ荒い感じだから、
そこをめちゃめちゃ深めて考えているみたいなのは結構わかりやすい。
そこをもうちょっとルール化しましょうってこと?
あなたたちには、理学療法士としての大きな自由を与えるが、
思考には自由を与えすぎちゃダメなんですよね。ある種のお作法です。
というか論文を書くのに、エッセイを書いてはダメなわけですよね。
それと同じで、ここにはちゃんとこれを書きなさいっていうのを与えようとしているってことです。
クリエイティビティと理学療法の技術
このお作法を抑えた上での、理学療法士としてのクリエイティビティっていうのはどこにあるんですか?
お作法を生んだ後に出てくる技術です。
要は、僕は理学療法士がやるべき要法要量までちゃんと明確にしたいんですね。
筋力トレーニングがこうやって。
ただ、いわゆる一般的な、例えば10キロで10回やったらこんだけできますよって言ってもそうはいかないわけなんですよ。
そこに理学療法の技術が入ってくると思います。今はそこをやってないんですよ。
なんとなく、自分の今のマーケティングっていう業務に落とした時にしっくりくるのは、
マーケティングも結構長らくいろんなフレームワークみたいなものが開発されてきて、
むしろその評価が結構重視されてきた学問領域なのかなと思うと、
結構そこの評価でフレームワークをきちんとまずファンダメンタルとして落として、
じゃあこの評価のもとでそれをどう世の中に価値として具現化しますかっていうのがクリエイティビティになる。
そこは結構理学療法とマーケティングの、今おっしゃった内容すぐにここに打ちました。
なので、クックパッドを渡して、だけど同じ料理はできないと。
だけどクックパッドのところまでは正しいので、それを作りたいんですね。
あとの自分自身の、例えばクックパッドに書かれてないラーメンなんかもお椀を温めてたらおいしいよとか、
そういったのはあなたたちの技術とかでやってほしいと。
ただ最低限こういう手順でこういうのをやってくださいというところまでを作りたいんですよ。
そうして初めて発見点が出てくるので、こうやったらもっとおいしいじゃんとか、
この人って例えば鍋振りがちゃんとできるからうまいチャーハンができるとか、
火力ってこれよりも高い方がいいじゃん、ここに初めてクリエイティビティが出てくると。
それまでのことを実は評価だとか思考のところにクリエイティビティを置きすぎて、
せりがけをして、これはクリエイティビティじゃないです。
ここはちゃんとやらないと、順序で。
ある種道路交通法だとかみたいなもんで、
確かにこの道路で180キロ走ったらすげえ俺クリエイティビティじゃんって言ってるような人たちが多いんですよ。
違うと、それはサーキットまで行かなきゃいけないから、
サーキットのところまで連れていかなきゃいけないっていうのを今、
思考でちゃんと作っていくことをしてるって感じですね。
理学療法の社会における存在意義と職域の課題
だから僕がやろうとしてることは他の人たちからするとすっごい厳しいんですよ。
だけど今までに厳しさを60年間放ってきたことで、
理学療法士っていうのが社会での存在意義が生み出せてない理由だというふうに捉えてるってことです。
要は今この業界にずっといると、どんどんどんどん職域は広がるんです。
例えばパーソナルトレーナーやっていいよとか、生体育やっていいよとかっていうのは、
でも理学療法の本質の職域が深まってないんですよ。
だから結局あなたたち、今僕が理学療法士になった時代と、
今の学生たちの理学療法士像というのはあまりにも違いすぎるんですね。
もう極端に言うと看護師なんです、今、理学療法士で。
その広さが、確かに海外の人と話をしゃべると、
日本の理学療法士って本当にいろんなことされるんですねって言われるんです。
それを一定の評価として受け入れつつ、
特に最近香港と台湾が何をやったかっていうと、
いわゆるダイレクトアクセスっていう開業権を彼らは手に入れたんですね。
それは深くいったからなんですよ。
でも日本の理学療法士は広くやれるが、そこはいけてないんです。
だから結局、職域として本当に欲しいものは得られないから、
なんか違うもので我慢しているような、どうやっている状況ですね。
医療における運動療法の位置づけと日本の現状
理学療法士が担わないことによって、
日本の医療で欠けてしまっている部分ってどういうことになるんですか。
今逆に担っているからできているというところで言うと、
これまでの医療の歴史を見てくると、
基本的にはまず休息を与えるというのが医療の、
例えば温泉に入るとか、ゆっくりしなさいというところ。
そしてその次に出てきたのが薬なんですよね。
なんか小薬とか。
その次に出てきたというのが外科的療法。
そしてその外科的療法の後に来たのがリハビリテーションという治療法で、
実は治療法ってこの4つしかないんですよ。
医療において。
リハビリテーションという言葉があまりよくないですね。
運動です。
要は人類が50歳ぐらいまでしか生きなかった時代というのは、
運動であまりいらなかったんですよね。
だけど今100年生きるとなった時に、
より健康を維持しなきゃいけない。
あるいは病気から復活しなきゃいけないとなってくると、
運動が必要であると。
ここにものすごく今、世界の医療のフォーカスが当たっているんですね。
そして何よりも安い。
手術とか薬に比べたら。
ただ手術とか薬に比べると、
まだデータが少ないというところと、
人材が足りないというところがあるんですね。
日本の場合は、非常に多くの職業がそこに関与しようとしている。
理学療法といった場合は、
内科も含めて医療全般を知っている役割なんですね。
だけど神経とか重生とかは、内科のことはほとんど学びませんので、
だから幅広く理学療法士が、
すでに学んでいるが、そこを十分に使い切れていない。
というのが今現状なんですよ。
今、理学療法士とかリハビリテーションがどういうふうに
国から評価されているかというと、
FIMというADLの能力の変化値で評価されないんですね。
これって全ての業態が関わっているんですよ。
なのに、理学療法のリハビリテーションの評価として使われちゃうから、
もっと簡単に評価できて、
理学療法士が関わっているから、よりいいでしょうというものを
見つけていかないといけないであろうと。
なので、今の最初の質問を答えるためのデータがないということです。
存在意義を説得できるだけのデータがないんですよ。
それは昔はゴッドハンドみたいな人がいて、
理学療法の価値向上と評価のジレンマ
自分のところに来れば腰痛が治るとか、
自分のところでいうと肩が治るとかという人たちがいたから、
みんなそこに集まっていたんですけど、
まだ理学療法士がそれこそ1万とか2万の時代はそれでよかったんですよね。
それが結局ゴッドハンドが相手にしていた人たちというのは、
どちらかというと、
40、50代くらいの仕事をやっている世代の人たちに当てたんですね。
でも今の医療の対象って基本的に80歳の人なんですよ。
対象がもう完全に変わってしまったんですね。
その対象が完全に変わってしまったところに、
より運動が必要であるというのが、
まだ細かなデータはたくさんあるけれども、
基本的に職業として役に立つというデータが出せていないんですよね。
評価をしてきちんとエビデンスを出せるだけのことをしなければ、
理学療法士の価値は上がらず評価されない。
一方で評価がされないと、
なかなかそこに対するインセンティングが働かない。
ニワトリ卵みたいな形勢がありそうな感じがしますね。
今現在の日本の理学療法士がやろうとしているやり方というのが、
100%間違っているとは言いませんけども、
もっと違う見方、つまり本当にファンダメンタルなところで、
自分たちが何をやっててどういう成果を上げているかというところをやらないと、
新しい技術だとか新しい知識の開発が多いわけですよ。
そうではなくて、自分たちが本当に何をやっているかという評価をやらずに、
新しいところへ新しいところへ行っていくと、
結局どういうことに今行こうとしているかというと、
触らない理学療法なんですね、今の注目って。
患者さんに触らない。
ってなってくると、理学療法じゃなくても良くなるんですよ。
技術が必要になってくるから、それこそ機械で良くなってくる。
ってなった時に、自分たちが自分たちを壊そうとしているということにあまり気づいていない。
オントロジーの再定義とAI時代への適合
触らない理学療法ってのは初めて聞きました。
今もうそっちの方向に動いています。
患者さんに触らないという。
それはその消化も触らない。
もちろん絶対に触ってはいけないということではないんですけれども、
これまで触りすぎだと。
極端に正しい意味で良い良い言い方をしたときに、
その人を手伝って立たせるのではなくて、
その人の力で立たせる方向に進みなさいということですよね。
そこは何となく理解。
ただ、それが触らないという方向が、
頭で文字だけインストールされちゃうと全くやらないんですよ。
そうじゃなくて、本当に必要なところは触らなきゃいけないんだけれども、
そうではない方向に参る。ちょっと怖い方向に。
あるいは、よく僕が学生に言うのが、
膝が痛い人に対して最もエビデンスが高いのが筋力増強運動だと。
お前痛い時に筋力増強するかと。痛いじゃん。
いや、だけどエビデンスが高いです。っていうすごいジレンマがあるんですね。
だから最初に痛みを取るような処置をこちらがやって、
動けるようにして筋力を付けたら動けるんですよっていう、
その全処置段階、要は料理、下ごしらえをやらない方向に今動いてるんです。
レンジでチンすればいいんじゃないかみたいな。
だからそこがやっぱりすごく怖い。
だから触らないっていうのはそういうところですね。
オントロジーって結構古い情報系の主義なんですよね。
先ほど言ったように哲学から来てる。
つまり存在というのはどういう形で存在しているのかっていう、
その組み立てを見る。
物質としての、例えば何て言ったらいいのかな。
だからソープもあるでしょ、オントロジーみたいな感じでできてて、
MMTという単体がどういう役割をしてどうやってつながってるかっていうのを表現する方法なんですね。
だからそこはソープっていうのはオブジェクトのところの客観的指標として扱いましょう。
そしてそれがサブジェクトと結びついたときにアセスメントに機能して、
それがプランに機能していきますよっていう、あれもオントロジーの形になってるんですよね。
それをもっと細かくやっていった感じです。
ルールを決めて、OからAに行くときのルールを決めましょうとか。
それは今のところのソープにはそういうルールがないんですよね。
じゃなくてちゃんとこういう条件であればそこが次のステップに行っていいっていうルールを決めてあげる。
で、このルールの見当たりのあるものには規制をかけるっていうようなことをやっていく学問です。
結構なんというか、いわゆるAI時代に結構ぴったりな。
そうですね。だからもうちょっと違う言い方すると、
AIはそれを作って発展するってことですよね。
70年代とか80年代の研究手法なので。
なるほど。
AIはそれを自己学習していったりとかして発展してきてると思うんですよね。
だからすごい僕は多分個展的なものが好きなんだと思います。
今だからオントロジー研究やってる人たちはほとんどいないんですけど、
ただAIにオントロジー得意なんですよ。
自分が今まで持ってきてるデータとか全部ぶち込んだりとかして、
それをやり取りしながらずっとオントロジーを作ってます。
最近よく思うのは、営業ってソリューションを販売するわけなんですけど、
オントロジーによる顧客理解とシステム構築
お客様のいろんなものを聞きながらそれを判断していかないといけないんですけど、
やっぱりそれの判断とか、一種簡単な例えばESのアルゴリズムを作ったとしても、
なかなかそれって浸透しない。
そこをどうやったら浸透させられるのかなというのが、
オントロジーをやった後にどう運用していくかみたいなところが、
もう一つ僕の世界でいうと問題になってくるんですけど、
そのあたりはどんなビジョンで考える?
今の例えばESのアルゴリズムって僕の方から言うとアプリケーションの方なんですね。
もっと多分真相に顧客とは何か、日本人とは何か、
その周辺の文化とは何かっていうものをオントロジーとして作っていて、
そのところにESを載せると動くっていうことです。
もっと理学療法の根本的な思考のところなので、
そこに例えば運動機における理学療法のアプリケーションが載ったり、
妄想中に対するアプリケーションが載ったりするので、
どちらかというとその顧客とそのものを作っているESのアルゴリズムっていうのは、
僕の方からすると上に乗るものなんですね。
その上に乗ったときにそいつらが間違わないように、
要は運動機も妄想中も新疾患も基本的には同じアルゴリズムで動かないと、
別々の存在にしてはいけない、あくまでも理学療法なんだと。
じゃあ理学療法って何ですかって言ったら、
ここの下のオントロジーで動いてるから、というものを作っています。
派手でもないし、すぐに役に立つものを作ってないです。
批判とコンピューターシステムとしてのオントロジー
なのでほとんどの人が見ても何の意味があるのかということをやっています。
よりアプリケーションよりもその伝達・浸透がさらにハードルが…
もう本当にそれだね、さすがです。全く流行らないですよ、僕の考えって。
でも批判はされる。
そうです、叩かれる。
批判はされる。
俺の臨床推論的なことをやってる人がたくさんいるから、
根本を問い直すって言っても、いやこれでいいでしょっていう人がいっぱいいるから、
なんでこんなんやってんのって思われて。
意味がわからんって言われるんですね。
確かにそれは意味がわからんからクリティカルなんですけれども、
なので、もともとはある種の思想を広げようと思っていろいろ作ってたけど、
なんでオントロジーにしたかというと、
僕のことを一番理解してくれるのはコンピューターなので、
コンピューターが理解してくれたらそれで、
その上にアプリケーションを載せる人たちっていうのは使いやすくなるので、
あくまでもコンピューターシステムとして動くためにオントロジーを作ってるんですよ。
だから僕の考えは、逆に言うとこれまではコンピューターが読めなかったんですよ。
コンピューターからすると言うことが変わるから。
そうではなくて、僕自身の思考というものを一つのシステムとして体系化してしまえば、
僕がいろいろ言ったとしてもそのオントロジーで動いてくれるから。
それで、誰かが運動機能発想だとした時に、
そこにパカッとアプリケーションが作れるので。
よく先生で言うと、コンピューターと会話しながら作り上げていって、
多分なんか、自分とか鈴木とかも、
生の理学旅行からちょっと距離を置いてるから、
フラットに見れるっていうか、
実際に今理学旅行をやってる人は、
自分のやり方とか身の回りの通例みたいなのがあるから、
なんか批判的に見ちゃうけど。
僕の考えを押し付けられてた気分になるみたいで。
根本的な構造と成功体験の語り部
要は例えば、ここのこれがグラグラしますと。
ビス打ったらええやんか、みたいな話。
なんで机がここに必要で、
何の材質でできてて、
どういう構成要素であるべきなのか、
あるいはべきということを考えるべきではないのか、
みたいなところをまずファンダメンタルとして設定したいと思います。
だから僕たちはグラついてることが問題なんだと。
だったらちょっとネジ閉めろよ。
僕はそもそも本当にこのテーブルでいいのかな。
このテーブル。
どういうことをやってるか。
だからつまりこのテーブルが安定してここに存在できるためには、
この地面がちゃんとフラットで行かなきゃいけない。
あるいは階段でこの大きさのものをどうやって運んでくるかとか、
っていうのを構想しておかないと、
そもそもこれがここに置けないじゃん。
いやいや、そんなにグラついとるんやろと。
っていう、そこが合わないんですよ。
レイヤーが全然違う話ですね。
まさにレイヤーをシーソレイヤーで言ってるので、
だからB to Bでもないし、C to Cでもない状態なんですよ。
学問として扱いたいってことですね。
もうたとえばわかりやすかったですね。
そうそう。
え、こんなんはもうネジ閉めろよ。
もうちょっとそのネジだけで言うと、
そこにネジ買ってって打ったら、
次解体するときとか、
次使うときに、
もう一回次のずれがあったときにできるんでしょ。
だからもう一回ちゃんと構造的に見直して、
本当にそのネジでいいのかっていう設計を見直しましょう、
っていうのを言ってるってことですね。
だから面倒くさい人になっちゃうっていう。
ある意味そういうのも、
かつてわからないゴッドハンドみたいな方たちは、
直感的に見て、
何かしら理解してたのかもしれないですね。
その棟梁みたいな、超腕利き棟梁みたいな。
僕はあえてそこは批判的で、
成功体験しか語ってない人たちなんですよ。
もちろんその人たちが失敗体験を語ることはあると思いますけども、
世に出てるのは成功体験だけで、
なんで間違ったかのプロセスも、
明示化してないっていうのはよくないってことですね。
確かにあるスポーツ選手を自分は復帰させた、
ドキュメント文化と医療のプラクティカル性
っていういわゆるマウントトークというか、
ポジショントークがあると。
でもその下の棚に、
出発させられなかった人がいて、
そっちの方がデータとしては面白いんですよ。
なんかたぶん業界の成り立ちみたいなものが、
結構影響してると思うんですけど、
ちょっとまたマーケの話になっちゃうんですけど、
マーケティングって結構P&Gが、
結構それを歴史を作ってきて、
実技を作ってきて歴史があって、
彼らはすごいドキュメント文化なんですよ。
必ず全てをドキュメント化して、
構造整理をして、
なぜこの施策を打つ必要が、
このターゲットに、
この方法でやる必要があるのかっていうのを、
必ずクリアにした上でしか実行ができない、
みたいなそういう文化になり立っているので、
ファンダメンタル、
そもそも顧客とは何か、市場とは何か、
我々は誰であるのか、
何を目指すのかみたいなことをやらないと、
アプローチできないって言ったら、
もうダイソーですよ。
それって、
ドキュメントの文化の中で、
発展してきた学問と、
実際にグラついてるよみたいなところの、
学問の違いではあるんだろうな。
確かにそうですね。
医療ってプラクティカルな学問なので、
テクノロジーの変化と、
そういう患者の変化と、
社会の変化とっていうのに対応していかなきゃ
できなかったっていう、
特に人間の根源的に言うと、
例えばP&Gが作る商品は、
一生使わなくてもいいかもしれないけど、
医療に関わらない人ってあまりいないわけですよね。
だからすごくベーシックに、
人間存在を支える医療というところが、
あまりにもプラクティカルすぎる。
確かにそれが100年前とかだったら別に、
自然言語処理の活用と医療のデータ偏重
よかったと思うんですけど、
今かなりデータ化されていて、
ただそのデータっていうのが、
あまりにも数字データに偏っているんですね。
もっと蓄積されているっていうのは、
本当はそれこそドキュメントであり、
訂正データ、つまり自然言語なんですよ。
自然言語を誰も扱わないんですよ。
そこに、例えばチャットGPTとか、
自然言語で動いているし、
多くの企業っていうのは、
顧客の自然言語を捉えて、
例えばサクスワとか、
食べたらサクッとフワッとするというような、
そういった自然言語系のアプローチが、
増えてきているんですよね。
でも医療は自然言語系のアプローチというのを、
やろうとしているのは看護だけなんですよね。
かといって看護のほうは、
それが適切かどうかっていうのは、
ちょっと一旦別として、
あまりにも数的データに寄り過ぎている、
ということのアンチテーズではあるし、
かといってそれを、
僕がこわだかに言ったとしても、
ビスうたいいじゃんの一つに勝てないんですよ。
マーケティングと医療におけるスコープとリソース
だから今のAI世代のところで、
地道に地道に、
実は気がついたら、
僕のOSで動いているという方向にも
仕向けたいという感じですね。
プラクティカルか否かで言うと、
多分マーケティングもプラクティカルではあると思うんですけど、
ただお話聞きながら違うなと思うのは、
多分見ているスコープ、
即時的であるのか、
あるいはブランドとして、
持続的に優位性を保つのか、
あるいはそれが、
そこにかけるリソースが極小なのか、
それとも一社の命運をかけるような、
ハイリスクな、
ハイリターン、
ハイリソースな
一手になってしまうのかの違いがあるんじゃないかなと。
マーケティングで例えば、
グラディティブ、グラディティブ、
パンやったらAI界でやって、
どこかに問題が起こったときのリスクが大きすぎるんです。
それがしかも、
ワンタイムで売上が上がりました、
クレームが来ました、
棚がなくなりましたとなったら、
ここからこの先、この棚を獲得できなくなってしまうので、
シェアが長期的に失われるみたいなことがあると、
なぜそれをするのかみたいなことに、
超大な思考が発生するんですけど、
とりあえず閉めてみるみたいなことだと、
閉めちゃえる。
ダメだったらいいじゃんみたいなことも、
そういう経路の違いもあるんじゃないかなと。
医療の場合の、もっと大きなところで言うと、
医療システムにおける株式会社化とマーケット構造
医療でいまだに株式会社で動かないんですね。
全部中小企業で動いて、
ノー割には年間50兆くらい使ってるんですよ。
お金の動きっていうものが、
全部オカミが決めて、
結局自分たちが頑張ったらお金が増えるっていうことは、
数を増やす限りあり得ないんですよね。
数を増やそうと思ったら、
一番安い治療を一番多くの人に提供するといいと。
だから吉橋とか、
ブランド力というのとはかなり違う、
極端かもしれませんが100円ショップなんですよね。
とにかく売れたらいいっていう形。
その中で同じ値段なのに、
より良いものを競い合ってる。
同じ値段の手術でもAの病院でやったほうがいい。
本来だったら値段が変わってくるはずなんですよね。
そういうことがないっていうのが、
医療のところに根本的に救っているものだし、
旗を振ってるのが厚労省なので、
厚労省の一挙式一等足で、
全部僕らの生き方が変えられてしまう、
というところがまずある。
ただこれ海外になると必ずしもそうではなくて、
自費診療みたいな形で動いていけるから、
ブランド力を作っていく。
美容形成がブランド力を作って動かしているという形。
ただ医療はそこにはまだ入る。
多分一生行かない世界。
あくまでもインフラに近い。
水道局だとか道路を作ると似ているので。
どういうふうにマーケットがあるかというと、
基本的には命のマーケットで健康になりますよとか、
その人の目的意識を死と連結させるという形で作っているわけですよね。
あるいはより健康に動いた方が幸せですよね。
死と幸福というのが実は健康の根本にあるので、
そこがマーケットになっているという、
特殊マーケット、すごい基本的なマーケットなんでしょうけども、
見えるものが長期的なんですよね。
長期的マーケットの中で、
安いものをどれだけ売れるかということになっている。
ちょっと変なマーケットなんだと僕は思っているんですけど。
長期視点と分業制の課題
一人の患者さんを治療するにしても、
その人が今日帰るタイミングまでにをどうにかしようとすると、
その人が5年間のターンでよりよく荒れるかというのを、
思いの馳せ方が全然違ってくるので、
そこのターンが長ければ長いほど、
さっきお話をいただいたような、
ファンダメンタル、すごく根本的なところに目が行くのではないかと。
そうですね。
そこが今の病院というのが、
僕らの時代というのは、
一人の患者さんを一人のセラピストが入院から退院まで、
あるいは在宅まで見るくらいの勢いを促したのが、
今は分業制になっているから、
長期視点というのが、
見れる人もいれば、見れない人もいると。
それを職人的責任論みたいになってくると、
昔の方が高かったわけですよね。
今は極端に言うと、もう渡してしまったらいいやっていうところでの、
もちろんそういうふうに考えている人が少数かもしれないが、
事実になっているわけですよね。
だからその分業というところが、
何ていうのかな、垂直分業というか、
もう渡したら知らない。
ただ、自分のところで一生懸命頑張ります、
というところになっている感じですかね。
生命保険会社と予防医療のビジネスモデル
めっちゃ思いつきなんですけど、
例えば生命保険の会社とかが、
うちの生命保険が契約してくれたら、
専属セラピストがつきますよ、みたいな感じで、
そこから死ぬまで何かあったら何でも相談ができます、
みたいな人がいたら、
コストも比較的安いし、
人たちはより健康的に長生きして、
ビジネスモデル的にそういうのがあるのかなと思いました。
海外だったらあり得るでしょうね。
どうしても日本の場合は、
二重ができないわけですね。
アメリカとかヨーロッパの場合は、
公的保険も使えるし、パーソナルも使える。
日本はこれが許されないから、
その間はなかなか難しいけど、
予防という観点で保険会社が作ったりするとありでしょうね。
今はバイタリティとか、
運動したらポイントが溜まって、
調整したら保険料が安くなります、みたいなのがあるから、
もっと質の高い形のサービスが保険的なもので提供されると、
結局長く生きる人も増えるし、
ビジネス的にも成立するし、
というのがなくはないのかなと思います。
そのビジネスは本当に有効だと思っていて、
理学療法士の収入構造の歪みとビジネスモデル
この前、学生と卒業生の理学療法士と喋っていて、
ある卒業生が非常勤になると、
時給1500円になりました。
バイトしてピラティスを教えるということで、時給6000円となります。
資格がない素人、
ピラティスの資格はあるかもしれないけど、
国家資格を持っている人間の時給が4倍になります。
これが日本の歪構造なんですね。
こっちが本当はある程度専門家として収入を得られないと、
こっちは伸びないです。
こっちはずっと顧客がいるかどうかわからない。
病院はずっと顧客がいるんですよ。
なので、数を見なさい。
こっちは1回1回で値段を高く見なさい。
ビジネスモデルが全然違う状況になっているというところが、
僕の中ではすごい大きな、
いわゆる資料と言われるものの歪さですよね。
学生でそんなに儲けられるんだ。
営業が上手い子は儲かる。
そういう子は病院に戻らないんですよね。
それはそれでいいと思うんですよ。
ただ、こっちは確かに儲けなさすぎているので、
そういうことを哲学的に問答することになります。
ぜひ問答しましょう。
日本一を目指すチームにおける「強さ」の定義
最近の問答テーマは?
最近の問答テーマは、
日本一とか何だろうか。
アメストで日本一を目指しているチームなんですよ。
去年はどうでしたか?
去年は2位ですね。
どこに負けましたか?
立命です。
いつも立命、間額、日台、法制が
どこが1位になるかを
ぐるぐる回しているんですけど、
立命が波が来ていて、
間額の波が引いていて。
最後は実業団と学生がやりますか?
やる人もいますけど、そうでもないです。
ライフスポールは実業団でしたっけ?
そうです。昔は学生と社会人の
一位同士の御頂上決戦だったんですけど、
最近は学生は学生、社会人は社会人。
その時は全く勝てなくなったので、社会人。
アメストも一緒なんですか?
レベルが違いすぎて危ない。
その中で日本一とは何か?
日本一って日本で一番強いことだろうって話なんですけど、
強いだけでも勝てないみたいなのがあるんですよ。
強いけどめちゃくちゃ柄悪いのがあるじゃないですか。
ラグビー猫背工業ってのはそうなんですけど。
ドヤンキー高校とか。
勝てばいいかって言うと
そうじゃないみたいな意味です。
めちゃくちゃ強いから勝てるってあるんですけど、
日台だったらいいけど間額だったらダメですよね。
カラーもありますしね。
人間教育と社会に通用する能力
日台は後ろからタックルして動けないので。
最近社会的に見張られてるじゃないけど、
未成年英雄は絶対ダメです。
タイマーはダメです。
当たり前なんですけど、そこが欠落するチームもあるんですよ。
先輩たちがね、日台なんですけど。
めっちゃ強いんですよ日台って。
間額とやって間額が10回あったら2,3回勝てるかとか、
5回勝てるかみたいなのをやってるんですけど、
でもたまたま間額が割とタッチに向けてきた歴史があって、
勝つか負けるかみたいな中で、
勝つチームと負けちゃうみたいな。
めっちゃ強いのに負けちゃうみたいな。
現実的には。
そこを人間教育なわけですよ。
分体を育てると同時に人間を育てるみたいな。
とにかく敵陣に攻め込める
肉体とか頭を育てると同時に
社会的に調和のある
人間を育てなきゃいけないし、
大学生だから大学出て終わりじゃないから、
大学出たら社会人なんで、
社会に通用する物の方とか捉え方とか
コミュニケーション力とかそういうことも
伴ってくれたら理想なんですけど、
伴わないより伴ってる方がいいよねみたいな。
とにかく強かったらいいんですけど、
じゃないんですよね。
横綱と一緒ですよね。
人として優れてないと横綱じゃないっていう。
そう言ってしまえば、
とにかく高みを目指すんですよねってなるじゃないですか。
苦しみと成長、そして「受け」の強さ
高みを目指すことに苦しみが生じるんですよ。
なんとなく分かるわって思うんですけど、
いいにかく良好人になろうと思ったら
苦しいこともしなかったみたいな。
そういう話でもあるんですけど、
でもできれば楽しみながら強くなりたいじゃん。
逆説的に、
楽しめない奴って強くなれへんみたいな
そういうシーンなんですよ。
なんとなく分かります?
場を楽しんでない奴が強いはずないじゃんみたいな。
場を楽しまなくて成長してるっておかしいみたいな。
めちゃくちゃしんどい思いだけしてたら成長するなんておかしいじゃん。
いろいろありますよ。
良い人間性を見抜きましょうみたいな。
そこで行くと逆にどうなのか。
本当に強くなるためを目指してるから
自ずとそういうのが見つかってくるようなこともあるような気がするし。
たぶん後者が正解というのが
あるべき道の登り方だと思うんですけど、
それで勝つ方だけをフォーカスすると
ゴールだけフォーカスすると
遠のいてんじゃねえみたいな感じになるんですよ。
日本一っていうところの話とはちょっとずれるかもしれませんけど、
絶対的な強さって何かというと
博法が強かった時に言ってたんですけど
徹底的に後手の先端って言うんですね。
相手に攻めさせてその後に自分が取るっていう。
これは将棋とかもそうで、受けが強いやつって強いんですよね。
相手が諦めちゃうっていうぐらい受けちゃうっていう
あれが横綱相撲だっていう風に言ってたんですね。
横綱は攻めない。
攻めちゃうと要は意地汚いと。
相手に攻めさせてほら勝てんだろっていうのが
横綱相撲なんだって博法が言ってたんですね。
だからもうそれは相手に胸をかすんではなくて
後手の先っていうための相撲を
彼は確立したんですね。
相手の勢いを殺して相手がえってなった瞬間に
やるっていう。
本当に将棋も受けて受けて
受け筋がなくなった時にやると
もう二度とそいつと戦いたくないって思わせるっていう
のがあるっていう。
「負けない」ことの強さとサッカー・ラグビー
本当の強さってそうなんだろうなという。
佐勝流はどうですか? 佐勝流は千の千ですよ。
だから勝ち筋がそこまで
博法まで伸びなかったんですね。
博法ってやっぱり歴代最高優勝でしょ。
やっぱあれは博法には勝てないっていう
67連勝かなんかしてるじゃないですか。
あの時の博法は
全部受けてガーってぶつかる相撲じゃないですよ。
ニュッて受けていってるらしいんですよ。
すごい力を抜くらしくて。
なのにひっくり返されるっていう。
それができるためには
当たったとしても戦える強さも
ありつつそうやるっていうのが本当の強さ。
だからその受け方も多分相撲を
彼しかそれを考えなかったはずなんですよ。
普通は電車道で押して切るっていうのが一番いい相撲だと。
だから電車道にしないっていう覚悟を決めたってこと。
将棋も例えば藤井壮太は
歴史上最高に詰める将棋が得意なんですね。
だから終盤は絶対勝てないわけですよ。他の人は。
時間がない状態で終盤の時間を
同じ時間だったら藤井壮太には絶対勝てないから
みんな先に先に
だから終盤絶対自分がある自信っていうのが
彼の強さなんですよ。
だからみんな序盤にどうにかしようって考えるから
彼は研究は序盤だけでいいんですよ。
だからこれもやっぱりこの線なんですよね。
ゲーム料理によっていろいろ違いがありますね。
ただでもやっぱり僕一時期サッカーの
絶対に負けられない戦いがここにあるっていうのは大嫌いだったんですけど
最近は素晴らしいと思います。ある考えた人。
負けないっていうことを作るっていうのが最高なんですよ。
つまり受け切るってことなんですよね。
受け切れる人間ってやっぱり強いと思います。
サッカーとかだともう本当に
なんとしても点は入れさせなくて
その中で隙を見つけて点を取るっていったら勝てる。
だから日本が今までブラジルに勝ったパーマンは大体それでしょ。
受けて受けてシュート数で言うと10倍くらい違うのに。
相手が疲弊したときにやるんですよね。
だからイライラさせたり。
ナグビーも相手をイライラさせて日本がディシンプリンを守ってやったら
勝ってるケースが多いんですよね。
だから耐えろ。
苦しみってのは耐えることですよね。
この時に後ろの人たちが
アメフトにおける守備と攻撃のバランス
どれだけ鼓舞できるかですね。
耐えてたら必ず大丈夫だっていうのを
どれだけ計算上でやり切れるか。
アメフトだと守りと攻めで言うと
どっちの比重が重要性が高い?
アメフトは
加点するスポーツだから
当然守っていけば負けない。
でも攻めなかったら勝てない。
守りが固くて
点数が少ないかもしれないけど
相手よりも勝てばいい。
違うって言い方は難しいんですけど
できるだけ守る。
相手より1点でも多く取る。
年によって攻めを重視するときと
守りを重視するとき。
感覚は守り重視ですかね。
最小支点で
バカみたいに点取るじゃなくて
堅実に取れるところ。
キックだったら3点とか。
欲を出して6点取りに行くより
3点取りに行く。
耐える苦しみっていうのは
僕の中では
きつい。
苦しみ、目標喪失、そして学生スポーツの呪い
苦しみとはちょっと違って
欲しいけど手に入らない苦しみと
きついとはちょっと違うじゃないですか。
めっちゃ欲しい。
喉から手が出るほど欲しいのに
与えてもらえないみたいな苦しみの方で
その試合がきついかどうかというより
1年を通して
どうやって登ったらいいかわからない時期があったり
4-1を見失うような時もあるわけですよ。
それより就活大変やしとか。
春シーズン戦ったら
余裕だったから多分秋も大丈夫やわみたいになったりとか。
若いがゆえっていうのもあるんですけど
それで1シーズン終わったら
また次の年が始まってしまうので
ゼロに近くなるんですよね。
チームの成熟度が。
また次の台の
3回戦だった子が4回戦になった時には
同じような悩みが生まれます。
去年もやったじゃんこれ。
学生スポーツの
呪いですよね。
ほんと毎年やらなきゃいけないですよ。
強豪校の育成方法と「日本一」の定義
青額のあれはすごいですね。
めちゃめちゃすごいですよ。
青額とか提供ラグビーとか。
提供ラグビー最近勝ってない?
そうですね。明治が行きましたからね。
勝ち続けるって学生スポーツにおいては
すごいことですね。
一時期青額もそうですけど
ラグビーで東方向が強かった時に
結局なんで強かったかっていうと
青たがりって言ってましたよね。
強い選手を全部自分のチームに入れちゃうっていう。
青額も結局レギュラーが20人くらいいるんですね。
だから速い選手を他のチームに上げないっていう。
じゃあどうやって来るかって言ったら
金渡すって言ってましたね。
青額はだから学生1人30万毎月上げるって言ってましたよ。
勝つようにして勝って
そして万弱にして
お前たちは大豪武だって
そこまでやってしまうのはなかなか大変ですよね。
学生スポーツじゃなくなっちゃいますよね。
お金渡してってどうなのかなって
思っちゃいますよね。
日本一とは何かって言った時に
本来はそこまで含むってことですよね。
自分たちはそういう日本一を目指したいかどうか
勝っちゃいいですよね。
お金もらったら勝つのかっていうことでもあるし
じゃなくて自分たちがプライドの中で
どういう風に勝ちを求めるかっていうところですよね。
そういったミーティングを
試合前の感情とラグビーの文化
選手同士でやったりも結構あるんですか?
そこまで濃くないと思いますけど
選手同士で学年ミーティングとか全体ミーティングとか
ありますよ。
俺たちにとって勝つとかみたいな。
そうそうそう。
飴太も試合前に泣いたりするんですか?
ビッグゲームになったらそういうこともありますよね。
いいですね。
ラグビーはみんな泣くので。
試合前に?
試合前から泣いちゃってるんですよ。
ラグビーは結構多いと思うんですけど。
一番簡単に言うのは怖いです。
怖いのを隠して
勘極まるんですよね。
いわゆる武者狂いみたいな状態が出てくるという。
死ぬかもしれないと思って戦ってますからね。
自我崩壊させる感じです。
それはあんまり触れたことないですね。
総名戦とかの前の
すごい雰囲気ですよ。
合わせたらみんなでアラブルーを歌う。
絶対歌わないだけですよね。
アラブルー歌えな。
ただ一曲歌いたいがために
命かけないといけないくらいの心境。
監督はだいたい何も言わないですね。
キャプテンが祭りの最高潮みたいな
挙げ方をしますので。
うわーって泣いてるんですよ。
スタッフも泣いてるんですよね。
あれは終了ですよね。
そこまではないですけど。
そうなるよねって理解はできます。
そういう雰囲気ですよね。
そういう舞台に上がる手前に
いてるとそうなるよねっていう。
ココトスイエとかボートとか
身体能力系競技と恐怖心
そういう身体能力系なんで
あんまり戦う系に触れてないと
そういう場面あんまり出くわしたことないので。
身体性能が強い競技は
そういうものはあるかもしれませんね。
国家斉唱の時に
泣いてるのがラグビーですよね。
アメフトラグビーにおいて
勝つ条件の一つはそれもあると思うんですよ。
いかに興奮できるかとか
怖さを消せるかみたいな。
タックル入るのってアタックじゃないですね。
相手が走ってきたやつに
体当たりする怖さ。
そして抜かれる時の辛さ。
そういうのを想像するだけで
怖くなっちゃってそういうスポーツできないタイプ。
やらない方がいい。
僕も息子に
絶対ラグビーだけやるなって言ったら
ラグビーやりましたからね。
やってたりトレーナーしてたら
お前試合で何するか分かってる?
ってなるのよ。
200m走って終わりじゃないよ。
今からめちゃくちゃ強いやつに当たらなあかんねん。
めちゃくちゃ痛いことを試合でやるねんから
練習するじゃあかんやろってなるんですよ。
練習の強度がえげつなくても当然じゃないですか。
そうなると苦しむんですよ。
狂気とラグビーファン
こんな苦しいのやったら
試合できるぞみたいなやつも
言わへんけど
心の中であるでしょうね。隠してるんでしょうけど
逃げたい心を抱えつつ
えげーって言ってたりするんですよ。
そういう
怖がってんのに頑張らなきゃいけない
みてて
こいつ頭の中と行動が一致してねえな
わかるわけですよ。
ただただ苦しんでるなあ
ビビりますよ。でっかいやつが
でっかいやつ有利だなあって思いますよ。
小学校の時に
空手父親にやらされてて
一回組手みたいになって
上の学年の大人が組手になって
バーン倒されたので
これで本当に嫌になって
怖ってなっちゃいましたけど
それを日々ずっとやってる感じですよね。
ただそれがどのレベルでやるか
例えば日本一になるとちょっと
嫌かもしれませんけど
もう少し低いレベルでやったらめちゃくちゃ面白いですよ。
癖になるんですね。そういう狂気が。
他のことができないし
見るのもラグビーが中心になります。
ラグビーファンってラグビー見続けるんですよ。
自分が引退してるんですね。
ラグビーを馬鹿にされるのは
みんな嫌うんですよね。あれおかしな話なんですね。
多分アメフトもそういうのがあるんでしょうね。
アメフト好きはずっと見てますよ。
そんなに怖いならもう日本一なんて言わなきゃいいじゃんってなるでしょ。
日本一を目指す覚悟と暗黙の了解
そこはなしにすれば全然好かせるやんって。
収穫は別に日本3位でも
収穫が変わるとは思わないし。
そこを許さないチームの雰囲気がある。
それでも日本一を目指すのか。
指名ですよね。
それでも言わないんなら
ファイターズに入ってくんないでいいですよ。
でもそれって究極はOBなんじゃないですか。
OBだけではないでしょうね。
OBから脈々と受け継がれた
暗黙の了解ってことですよ。
それはもちろんお前はそこに来たってことは
日本一になりに来たってやつで
日本一じゃなかったら別に他のとこ行けばよかったじゃん。
例えば学力が高かったらまた国立行けばよかったらいいとか。
そういうことですね。
だけど日本一になりに来たよねっていう風な暗黙の了解があるわけですよね。
あるわけですよ。
実際そういう奴もいるんですよ。
チームの一体感とハードヒット競技
いい選手というか
例えば大阪産業大附属でやってました。
こいつめっちゃ上手です。
でも日本一には高校でなれませんでした。
大学で絶対今度こそは日本一になるっていう
高いモチベーションの奴がいるわけですよ。
そういう奴が入ってきて
いや俺はほんまに日本一になるって言って
坊主にしたりするわけですよ。
いいですよね。大好きですよ。
どんなことしたらこれが入ると思う?
覚悟決まった感あるよね。
たぶん決まってるんですよそいつは。
死ぬ手前のことまではやりますぜみたいな。
怖いとかいう感情をほっとばせてる奴だと思うんですけど
そういう奴もいるんですよ。
OBから脈々と継がれた雰囲気とか
歴史だけじゃなくて
実際そういう奴がいるんですよ。
だけどついていけない奴らもいるんですよ。
ついていけない奴らはじゃあ俺日本一はいいわ。
Bチームでやっておきますとかって。
でもその中にも能力ある子はいるんですよね。
能力だけはあるもいいですよね。
それ使いたいんですよね。
本当はチーム一丸になるっていうのが
一番理想なんですよね。
酒飲ませたりするしかないですね試合前に。
それもありですね。
コンタクト、しかもハードヒットじゃないですか。
バスケとかもコンタクトありますけど
当たらなければいけないっていう特殊競技なので
マジで吹っ飛ばして止めなきゃいけないわけじゃないですか。
しかもアメフトになったら
ディフェンス専門なんですもんね。
アタックしないですもんね。
ディフェンスになればはい。
それを毎日の練習でやるわけですよ。
毎日というか
毎日タイムですけど
毎分やるわけですよ。
毎瞬間やれよっていう極限ですよ。
にならないと勝てへんねん
っていうところまで行き着く奴がいるんですよ。
めっちゃ危ないんですよ。
武道ですね。武道界ですね。
もう本当にピリピリしてますね。
こっちから切られるかもしれんと思って生きてるようで
あー大好き。
そういう奴がいるほど勝てるっていうのは何度も分かるんですけど
だからトレーナーが見張っとかないと
ほんまに無理しちゃうかもしれん
っていう意味でトレーナーが必要
そうでしょうね。しかも人間関係悪くしますからね。
そうですね。やっぱり
マイノリティーになったりとか
周りに本当にパワハラする
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