今、理学療法・オントロジーといって、正確には理学療法・推論・オントロジーといって、
その理学療法史の思考というものが、どういう風なプロセスを踏んでいくかというのを可視化するためのものを作っていて、
話が合わない人たちといかに話が合わせるかということに頑張っているんですけど、
オントロジーができているのをお見せしたいんですが、
オントロジーというのは、そもそもどういうものですか?
オントロジーってもともと正確には哲学の中から出てきた存在論というものなんですけど、
これは情報学のところに飛び火して、存在を可視化させるための設計図みたいなものなんですね。
そのクラスとかエンティティとかルールとか規制とかっていうのを全部かけて、
要はちゃんと全部が行き来できるモップを作るっていうのがオントロジーで、
今それをちょっと個人的に作っているところです。
数字に価値をつけるってことですか?
いや、数字ではないんですよ。これは言葉。
最近送られてきたやつですよね。
もうだいぶ変わりましたよ。
どんどん変わっていく。
更新されていく。
この前、臨床理学療法推論学会っていうのをやって、年に1回。
最初に僕が去年話した内容を今回発表してくれる人がいろいろと持ってくれてるんですね。
僕全くその位置にもういないから、話が全く違うんですよ。
あれ、全然違いますよね。前は去年引用で堀がこう言ったと。
俺もうその位置にいないから、みんな困るっていう。
これが、理学療法の推論プロセスっていうのをどんどん今可視化していって、
中心命題が何か背景が何かとかっていうのを今一生懸命作って、
それをアプリ化すると、どういうふうにあなたは進んでくださいねとかっていうのをちゃんとアプリ化している中で、
そのアプリ化はいいや。まず理学療法士っていうのはいろいろな背景を持って考えてて、
縦にいくと中心命題っていうのは基本的に活動の問題だとか、どういう身体の問題があるとか、
そしてそれに対してどういうプログラムをやってますよっていう、この流れが強すぎると。
そうではなくて、もう少しちゃんと論理的な思考というものを、
その抽象データとか具体データとかっていうのをいかに扱うか。
そしてさらにそれを、これがどういう書き方にしたんだっけな。
西銀味噌と一般比較層。
そうですね。だめだ、老眼で見えない。自分で。
西銀味噌と一般比較層というので、いかにここをもう一回考えて、
横の流れと縦の流れの思考というものを合わせるときに初めて理学療法が成立するっていう
存在的な位置を今作ってるんですね。
なぜこれを作ってるかというと、我々の語りってものすごい暗黙地だとか、
人によって考えが変わりすぎると。コンピューターが読めないんですよ。
レイさんが言ってることとリーさんが言ってることが違うから。
じゃなくてコンピューターが読める土台をここで作って、
コンピューターシステムに入れ込むためのオントロジーを今作っている段階です。
これが絶対的なルールを一種しまえば、あとはいろいろな人が言ったとしても、
あなたが言ってるところはここですね。
あなたが言ってることはここですね。コンピューターが読んでくれるようになるので。
というのがどうにか今、ここを数週間で作ったってことです。
最近、読んだ本の中でふんふんと思った話をちょっと思い出して、
要因メカニズムを合成するみたいなのがあって、
結構人はものを何かので、一番わかりやすい例で言うと、
機能法みたいな、AとBとCがあって結論、Xが見出されるみたいな、
あるいは売上が落ちているのはAとBとCの要因でできているみたいなことを、
要因メカニズム論とそれに対して、名前がちょっとおもいですけど、
要因プロセス論かな、プロセス論。
各メカニズムの要素がどう連携をしている結果、
どこかでは増強しあったり、相関しあったり、減衰させる、
みたいな作業を、基準を明らかにするような考え方がある。
結構、プロセスをきちんと明らかにしないと、原因がはっきりしない場合が往々にある。
一方で、説明をするときには要因メカニズム論を使うと、
売上が下がっているのはこれとこれと、これが原因だからこれをやろう、
みたいなシンプルなメッセージに仕上がるみたいな話があって、
なんでこんな話をしたかというと、機械は例えばこういう要素を入れたときに、
どういう関連性を持ってその原因を把握するのかなというのがちょっと興味はあるんですけど、
それは明示的に、これをそれぞれの関連性のプロセスとして理解をしてくださいというべきか、
これはもうある程度決まったフレームワークで、要因メカニズムとして把握をさせている。
だからそこにもともと人間の思考のプロセスを、要はフレームに全部分けて、
そしてそのフレームごとの橋渡しにルールを決めているという、それがオントロジーなんですけど、
それがないと人間は箱も変えるしルールも変えちゃうと思う、思考を。
ただ総合的に見ると三段論法とかだったら合ってるんですよね。
だけどその完全な三段論法で出来上がっていないにも関わらず、
無理やり三段論法に入れたがるんですよね。
原因と結果とかのような要因を。
そうではなくてそこに必ずプロセスがあるのに、プロセスは実は理学療法で明示化されていないんですよ。
そのプロセスを明示化して、かつそのプロセスの中にどういうフレームを置くかというのを決めて、
というのを僕が勝手に作っています。
コンセスで明示化されていない理学療法ってどんな…
むちゃくちゃ簡単に言うと、すごく低レベルな理学療法って、
肩が凝ってるから揉みましょうっていう論法なんですね。
でもこれって理学療法ですかっていうと、
理学療法師がいれば理学療法なんだけど、プロセスとしては理学療法ではないんですよ。
そこにちゃんとしたデータがあって、そのデータに基づいて問題点を導き出して、
それに的確なアプローチをやらなきゃいけない。
要は車が走りにくいです。
本来はエンジンの問題かもしれないのに、
タイヤの空気抜けてたから、タイヤの空気入れたら確かに良くなったと。
だけどエンジンのそのものは変わっていないということを理学療法師はよくやるんですよ。
そうではなくて、ちゃんと過程としてエンジンのどこが悪いっていうところに行かないと、
そこに確かに空気も抜けてて入れなければいけないけど、下の問題はこっちだよねっていうプロセスが本来はあると。
っていうのができていないっていうのが僕のクリティカルな指摘なんですよね。
特に今の現場がそうだし、
これはちょっと話が長くなって、根本的なところで言うと、
この前半田先生って元々の理学療法師協会の会長が言ってたのが面白かったのが、
理学療法士法ができるときに、
理学療法に評価という言葉を本当の法律の中に入れる予定だったんですね。
でも取られちゃうわけですよ。
それが入ったら何かというと、評価に医療点数が入るんです。
だから今、例えば医者は検査に医療点数が入らない。
だから検査をちゃんとやらなきゃいけないんです。
でも理学療法士それが入らなかったから評価がめちゃくちゃ適当になったんですよ。
それが暗黙値をたくさん生み続けてしまったがゆえに、
今の理学療法士が本当にバラバラな考え方をしてください。
これは国が決めてお金を払ってくれたら、
RMにいくら、筋力測定にいくらだったから、
ちゃんとした筋力測定をやらなきゃいけないんですよ。
例えばサイベックスにいくら入っていたら、みんなサイベックスでやっていたんですね。
だけど未だに手で押してバカみたいなことをやっているわけですよ。
だからそこは法律のところで負けてしまったものであると。
だから検査とか評価というものを、
ちゃんとやっていると思っている人たちが多すぎるんですね。
それは逆説的に何が証明したかというと、
今、心疾患の理波というのがめちゃくちゃ発展しているんですよ。
心疾患だけエビデンスがめちゃくちゃ高いんですね。
なぜかというと、医者が取っているデータでやっているからです。
理学療法士は一切取れないわけです、そういった機械では。
医者が機械をつけて、機械データを全部持っているわけですね。
そのデータを使えるから、理学療法の評価じゃないんですよ。
そうすると理学療法をちゃんとやれるんです。
運動機なんかはそういう評価を持っていないので、
いまだに乱雑なんですよね。
そういうのをちゃんとプロセスとして、
改めて作り直すというのが今の僕の仕事という感じです。
このお作法を抑えた上での、理学療法士としてのクリエイティビティっていうのはどこにあるんですか?
お作法を生んだ後に出てくる技術です。
要は、僕は理学療法士がやるべき要法要量までちゃんと明確にしたいんですね。
筋力トレーニングがこうやって。
ただ、いわゆる一般的な、例えば10キロで10回やったらこんだけできますよって言ってもそうはいかないわけなんですよ。
そこに理学療法の技術が入ってくると思います。今はそこをやってないんですよ。
なんとなく、自分の今のマーケティングっていう業務に落とした時にしっくりくるのは、
マーケティングも結構長らくいろんなフレームワークみたいなものが開発されてきて、
むしろその評価が結構重視されてきた学問領域なのかなと思うと、
結構そこの評価でフレームワークをきちんとまずファンダメンタルとして落として、
じゃあこの評価のもとでそれをどう世の中に価値として具現化しますかっていうのがクリエイティビティになる。
そこは結構理学療法とマーケティングの、今おっしゃった内容すぐにここに打ちました。
なので、クックパッドを渡して、だけど同じ料理はできないと。
だけどクックパッドのところまでは正しいので、それを作りたいんですね。
あとの自分自身の、例えばクックパッドに書かれてないラーメンなんかもお椀を温めてたらおいしいよとか、
そういったのはあなたたちの技術とかでやってほしいと。
ただ最低限こういう手順でこういうのをやってくださいというところまでを作りたいんですよ。
そうして初めて発見点が出てくるので、こうやったらもっとおいしいじゃんとか、
この人って例えば鍋振りがちゃんとできるからうまいチャーハンができるとか、
火力ってこれよりも高い方がいいじゃん、ここに初めてクリエイティビティが出てくると。
それまでのことを実は評価だとか思考のところにクリエイティビティを置きすぎて、
せりがけをして、これはクリエイティビティじゃないです。
ここはちゃんとやらないと、順序で。
ある種道路交通法だとかみたいなもんで、
確かにこの道路で180キロ走ったらすげえ俺クリエイティビティじゃんって言ってるような人たちが多いんですよ。
違うと、それはサーキットまで行かなきゃいけないから、
サーキットのところまで連れていかなきゃいけないっていうのを今、
思考でちゃんと作っていくことをしてるって感じですね。
触らない理学療法ってのは初めて聞きました。
今もうそっちの方向に動いています。
患者さんに触らないという。
それはその消化も触らない。
もちろん絶対に触ってはいけないということではないんですけれども、
これまで触りすぎだと。
極端に正しい意味で良い良い言い方をしたときに、
その人を手伝って立たせるのではなくて、
その人の力で立たせる方向に進みなさいということですよね。
そこは何となく理解。
ただ、それが触らないという方向が、
頭で文字だけインストールされちゃうと全くやらないんですよ。
そうじゃなくて、本当に必要なところは触らなきゃいけないんだけれども、
そうではない方向に参る。ちょっと怖い方向に。
あるいは、よく僕が学生に言うのが、
膝が痛い人に対して最もエビデンスが高いのが筋力増強運動だと。
お前痛い時に筋力増強するかと。痛いじゃん。
いや、だけどエビデンスが高いです。っていうすごいジレンマがあるんですね。
だから最初に痛みを取るような処置をこちらがやって、
動けるようにして筋力を付けたら動けるんですよっていう、
その全処置段階、要は料理、下ごしらえをやらない方向に今動いてるんです。
レンジでチンすればいいんじゃないかみたいな。
だからそこがやっぱりすごく怖い。
だから触らないっていうのはそういうところですね。
オントロジーって結構古い情報系の主義なんですよね。
先ほど言ったように哲学から来てる。
つまり存在というのはどういう形で存在しているのかっていう、
その組み立てを見る。
物質としての、例えば何て言ったらいいのかな。
だからソープもあるでしょ、オントロジーみたいな感じでできてて、
MMTという単体がどういう役割をしてどうやってつながってるかっていうのを表現する方法なんですね。
だからそこはソープっていうのはオブジェクトのところの客観的指標として扱いましょう。
そしてそれがサブジェクトと結びついたときにアセスメントに機能して、
それがプランに機能していきますよっていう、あれもオントロジーの形になってるんですよね。
それをもっと細かくやっていった感じです。
ルールを決めて、OからAに行くときのルールを決めましょうとか。
それは今のところのソープにはそういうルールがないんですよね。
じゃなくてちゃんとこういう条件であればそこが次のステップに行っていいっていうルールを決めてあげる。
で、このルールの見当たりのあるものには規制をかけるっていうようなことをやっていく学問です。
結構なんというか、いわゆるAI時代に結構ぴったりな。
そうですね。だからもうちょっと違う言い方すると、
AIはそれを作って発展するってことですよね。
70年代とか80年代の研究手法なので。
なるほど。
AIはそれを自己学習していったりとかして発展してきてると思うんですよね。
だからすごい僕は多分個展的なものが好きなんだと思います。
今だからオントロジー研究やってる人たちはほとんどいないんですけど、
ただAIにオントロジー得意なんですよ。
自分が今まで持ってきてるデータとか全部ぶち込んだりとかして、
それをやり取りしながらずっとオントロジーを作ってます。
最近よく思うのは、営業ってソリューションを販売するわけなんですけど、