#25-1 臨床・教育・管理における現場の悩みや理学療法学としての特徴
2026-04-08 47:27

#25-1 臨床・教育・管理における現場の悩みや理学療法学としての特徴

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堀 寛史

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サマリー

本エピソードでは、理学療法学の現状と将来について、臨床、教育、管理の現場における悩みや課題を掘り下げています。特に、理学療法推論学会での議論を起点に、理学療法推論の重要性、思考ツールの具体化、そしてその普及における課題が語られました。また、日本の理学療法における「評価」という概念が法制化の過程で失われた経緯とその影響、そしてそれが専門職としての責任や科学性の欠如に繋がっている現状が指摘されました。さらに、理学療法学が医学カテゴリーに属する中で、その独自性を確立し、学問として発展していくためには、哲学や歴史学といった根源的な探求が不可欠であることが強調されました。最終的には、理学療法学が医学や看護学とは異なる独自の学問分野として確立され、国際的な基準に見合うレベルに達するための道筋が議論されました。

学会参加と理学療法推論学会の現状
こんにちは、田代です。
こんにちは、堀です。
Advanced Therapistエピソード25本目ということで、前回はですね、ちょっとオフ会の音源も共有したのもあるんですけど、
ちょっと前に3月に堀先生中心にやられている推論学会の学術集会もあったりして、最近実際に人に会って話す機会とかがちょこちょこあったので、
どういう話が行われたかなとか、現場でどういうこと困ってそうだな、みたいな話から広げていけたらなと思います。
はい、よろしくお願いいたします。ちょうどこの収録が3月31日で、その3月というものを少し振り返ってみると、
僕自身が3つの学会に参加してきました。
1つは先ほど田代さんが言ってくださった日本理学療法推論学会。これは主催者なので、好き勝手にやってるというところもあります。
あと、IEEEのABCという技術系の、映画でアクティビティー&ビヘイビアのコンピューティングだったと思うんですけども、
そこは函館に行って国際学会に行ってきて、そしてその次の週に東京で大学理学療法教育学会というのがあるんですね。
それに行ってきて、とにかくいろんな人と喋りまくって、
昨今の理学療法の状況だとか、昨今の学術の状況とかの情報を仕入れてきたという感じですね。
なるほど。推論学会とかだとPTとかで、他だと理学療法士以外のとても結構交流してきたという感じですかね。
そうですね。そのABCに関してはもう理学療法士はほぼいない学会です。
大学理学療法教育学会は理学療法士なんですけど、この学会は大学教員のみが会員になれる、ちょっと特殊な学会なんですね。
だから同じ教育でも専門学校ではダメなんですよ。
理学療法、大学教員資格を持たないと入れないという。
僕も実は今年今回初めて参加したんですけど、そういったクローズだが面白い学会があるんだなという。
なるほどですね。特にどれが印象に残っているとか、どれも多いかもしれないですけど、どういうトピックがとか何かありますかね。
まずその推論学会、ある種宣伝も含めてになっていくと思いますけど、今回第2回の理学療法推論学会を愛媛の道後温泉リハビリテーション病院というところでやってきました。
大会長が島原先生といって道後温泉リハビリテーション病院のスタッフなので、そこで会場を書いたと。
場所が場所というところもありまして、現地参加自体は全部で結局25、30行ってないぐらいだと思うんですけど、学会としては非常にこじんまりとしたものですが、
その分とにかく議論議論という形で、実際に土曜日の昼から夕方、そして日曜日の朝から昼までという形のことをやってますけど、
ほとんどのメンバーがそのまま飲み会にまで行きますので、だいたい12時ぐらいまで議論するという。
なるほど。
非常にたくさん喋ったなというような学会でした。
その中で、とにかく理学療法推論は何かというところを僕がテーマとしてやっているというところもあり、そこに一つ興味を持っていただきたいというところ。
あとそのワークショップとかを通して、いわゆる小学者の人たちというのがどういうふうに論理的に考えていくかとかということをやってきたんですね。
実際に皆さんにいろいろ言われた、僕自身が言われたことが、去年第1回で僕がいろいろ最初の基調講演で提唱した内容があって、
その内容を引用して皆さんプレゼンを作ってくれたのに、僕がその話をもうしなくなっているというところで怒られました。
それが一番印象的でしたね。
なるほど。自分はちょっと現地参加できなかったんで、オンラインで視聴する形でしたけど、本当に堀先生の話は昨年から結構発展しているところもありますし、
その中でも活発に議論している部分もあったところもあるんで、堀先生の思考がどこまで今後も進んでいくのかというのと、
その学術周回どういうふうにしていくかというのは今後も重要になってきそうな気がしましたね。
まさにそこで、変わっているっちゃ変わっている。だけども、その思考が発展して進んで新しいところに行っているというとそうではなくて、
拡散したものを集めてきているっていうところの僕の印象なんですね。
前回は非常に拡散していたものが今回もう少しより具体的になったっていうような僕の捉え方で、
このさらに26年度を使ってこれを本当に体系化して、そしてその体系化したものを第3回でさらに説明して、
それ以降はそれをベースにっていう形になるのかなというふうに予測してるんですね。
確かに。
昨年とかだと、ワークショップだとフィッシュボーンチャートみたいなのを使ってやるとか多くて、
そこでも十字モデルみたいな話も少し触れてたと思うんですけど、あんまりそこの説明になって、
今回結構その十字モデルとフィッシュボーンチャート、あと三角ロジックっていうところがまた組み合わさって話されて、
なので完全に新しくなってるっていうよりは本当に深まったというか、より具体的になったなみたいな印象は自分もありますね。
さすがです。そうなんですよ。思考ツールをより具体化してやってることは似通っているんですけども、
前回はどちらかというとフレームワークっていうフレーム自体をかなりぼやけてたんですけど、
今回はフレームの部分をかなりきっちりさせたというところで、思考の可視化に向けて進めたって感じなんですね。
ただそのワークショップそのもの自体が今僕の中で10時間分ぐらいの一つのセットになっているものですから、
その10時間のワークショップのセットの2時間分ぐらいの提供なので、やっぱりどうしても分かりづらい部分はあるよなというのが実施者としての課題です。
そうですね。また来年学術集会あると思うんですけど、そこはまたさらに深まるかなと思いますし、
とはいえ結構次回になるとだいぶ核の部分は固まってきそうな印象ってところですかね。
そうですね。次回が東京開催なので、参加される方っていうのが完全に新規になると思うんですよね。
だからご新規さんに対してどういうものを提供していったら。
ワークショップは必ずやるので、ワークショップ自体をどういうふうに提供できるかなというところは個人的な課題でありつつ、
簡単でもある程度のお土産が持っていけるものが作れたらなというのが今回その推論学会を受けての自分自身のテーマであり、
結局この理学療法推論をやっていくことの必要性とかっていうのが、どこまで説明できるかなというところも一つの課題で、
結局理学療法推論っていうことを言っていますけども、なんとなくみんな必要であるというのはわかると。
だけどもすごく必要であると思っていないっていう感じですね。
理学療法推論の普及と管理者・教育者への展開
なるほど。推論の流れができることで個人の臨床で活かせるという部分もあると思うんですけど、
結構今回の話も管理者とか組織のマネジメントするような方が特に困っていて、そこに役立てたいみたいな話はあったという感じですかね。
そうですね。もともと最近ワークショップ自体というのは、初学者に向けて僕らが教えれというよりも、
僕らが管理者だとか教育者に対して提供して、そのフレームワークをその人たちの独自性を持ってある程度病院のやり方だとか、
病院の考え方というものをアプリケーションと入れ込んで説明していただくというのが一番いいかなと思っているんですよね。
あくまでも我々が考えている推論の思考方法というのはかなりベーシックなものを作ろうとしているので、
そのベーシックなものというのが目新しくてちょっととっつきにくいというところがあるということと、
実際に理学療法推論ができたらどうなるんですかというもの自体を何となくは提供しているけれども、明らかに提供していないということなんですよね。
なるほど。その辺どうするかというと、本当に浸透するためには教育でも使われるようになって、
管理者も使うようになって、本当5年10年とかかかるような、OS変えるといったら5年かかるかもしれないですけど、
その中でも短期的にこういう価値はあるよねというのも出すことは必要かなと思うので、
どういうスケジュールでやるかみたいなことはちょっと考えようがありそうですね。
この大学理学療法教育学会の方で一般園内でそういう臨床推論、僕は理学療法推論と言いますけど臨床推論をテーマに
大学理学療法教育学会での議論と現場の課題
2つぐらい園内が出てたんですね。その2つぐらいの園内を聞いてみると、
1つは臨床実習でどういった学生を育てたい、あるいは学生はどういった理学療法士になりたいみたいなアンケートをベースに考えていたときに、
その中に学生はわりとシステマニックな臨床推論みたいなのを知りたいと思っているが、現場で実習に求めているものってほとんど態度なんですね。
知識技術っていうのは、現場に来ればどうにかなると思っている人たちが多すぎるってことなんですよ。
だけど、管理者に聞くとそれがどうにもなってないっていうところが問題なんですね。
管理者はできていない、でも多くの理学療法士はなんとなくできている。
結局、本来僕らが20何年間現場をいろいろ見ていく中で、ベーシックな理学療法推論の固定ができていないがゆえにうまくいっていないというのが僕の仮説なんですけど、
そこにはなかなかそういうわりと大きめな調査をやっても、そこの調査の結果は理学療法推論だとか知識だとか技術じゃなくて、
とにかく態度だっていう、とはいえ態度という表現ではなくて上位という表現を使うんですけど、
この上位という表現もよくわからない理学療法の教育の中ではかなり古くから使われるこの言葉なんですね。
上位面と言われて、その上位面の成長というものが実習において重要だというふうに捉えられると。
広くよく言えば、ある種プロフェッショナリズムの基本ではあるわけですね。
だけどそこが重要だってなってくると、これ理学療法の実習じゃなくて、別にいろいろな営業をさせたりだとか、
飲食店で働いてもできるじゃんって話なんですよ。
だからなんとなくやっぱり現場が求めているものというのが進化していないというか、という感じだったなというところと、
あともう一個の円台で、より良い臨床推論において動作分析の研究だったんですね。
動作分析をカメラで捉えて、10人ぐらいの理学療法師に動作分析をさせたときにどういう違いがあるかみたいな研究で、
すごいその中で主張として、その動作分析っていうのは理学療法師の基礎的な能力としてすごく重要だと。
それは僕すごくよくわかるんですね。
ただでもそれが理学療法の業界を壊しているのも、僕はそう思うんですね。
いまだに目視でそれを、こんだけ価格が多く広がっている中で、目視の評価っていうものを最大の評価項目に置いてるっていうこと自体はやり直さないと、
これはいつまで理学療法って成長しないっていうふうになるんですけど、それを科学的に検証しようとしている現代で。
面白いが、いつも質問でそういうことを言っておきました。
理学療法における「評価」の歴史的経緯と影響
なるほど。
そうですね。前半部分の上位的な接遇とかコミュニケーションみたいなところは、もちろん必要だとは思うんですけど、
さっき言われた通り、飲食店とかホテルのサービスとか、そういうところでより相手の気持ちに寄り添ってみたいなところは学べるところもあるかもしれないですし、
どちらかというと、やっぱり本当に効果が出せるかどうかとか、プロフェッショナルなところが重要かなと思ってますし、
自分もどちらかというと科学的なことを勉強してきたのもあるんで、
あまり人の感覚だけに寄りすぎずに、ちゃんと説明できるような、正しさがあるようなものはやっぱり追求しないといけないなとは思いますよね。
本当そこで、あともう一個、前理学療法士協会の会長の半田先生が、その理学療法士の法律の歴史の話を講演してくださったんですね。
その時にすごくクリティカルな考え方だなと思ったのが、もともとは理学療法の法律の中に評価という言葉を入れる予定だったと。
その評価というのがあるとき、いろいろな業界団体の関係で取られたと。
最終的に決定的だったのは、当時は盲学校が文科省がやると。
理学療法の教育は労働省がやるっていう流れだったんですね。
文科省からすると、ここに評価という言葉があったときに、盲の人は見えんだろうと。
だから評価ができないから取れって言われて取らされたんですね。
それが実はものすごく理学療法の職域に大きく影響して、評価という言葉がついたら評価に医療点数がつくんですよ。
だから例えばレントゲンとか血液検査に医療点数がついているように、理学療法評価そのものに点数がつくはずだったと。
その評価というのが外されたもんだから、理学療法の実施に点数がついたと。
そうすると評価しなくてよくなったってことなんですね、究極は。
なるほど。
で、評価に点数がつくとそこに科学性だとか責任だとか専門性だとかっていうのが向いてたはずなんですよ。
だから例えば6段階で判断するMMTとか5度刻みで測るRMだとか、そういうのがのさばることはできなかったはずなんですよ。
例えば筋力といってもサイベックスだとかいろいろな機械を使って評価して、そこにお金がついて、その上でプログラム立案のはずだったんですよ。
ここのやはり文科省と労働省のせめぎ合いというところ。
でも労働省じゃないかな、厚生省かな。
当時は厚生労働省、文部省なので、そこのせめぎ合いの中で評価が外されたっていうところがすごく影響したんだっていうことを言ってて。
動作分析とかっていうのも結局分析じゃないんですね。動作感想を言っているってことなんですね、あれは。
だからそこは根本的に元を正せば評価という言葉が取られたからだというところにつながってきます。
なるほどですね。
いずれもその医師の指示の下で行うというのも、毛の方が言ったからっていうのもお話であったと思います。
やっぱり最初の段階でそこはやっぱり今にもかなり影響しているなとは思うんですけど。
例えば海外を見ていくと評価みたいなものにしっかり点数なのか価値がつけられているとか、
理学療法士以外の職種で国内だと何か評価的なものが制度の中で行えるって何かあったりするんですかね。
これはもう完全に理学療法士、医者のみですよね。その評価が許されているのは。
いったんの指示によって、例えばレントゲンを取るということでコストが発生する。これが評価ですよね。
あるいは血液検査をする臨床検査技師の人が血液の分析をする。これが評価なんですよ。
治療は、例えば薬剤師が治療、あとは理学療法士が治療というふうに分けられているわけですけど、
だから医者の権限が強いというのがそこだということ。
理学療法士海外の場合というのは、そこまでものすごくきれいに分けられているわけではないですが、
評価をしてプログラムを立てて、それでお金をもらうということになるので、
その評価をするということ自体は、予後予測を含めてちゃんと患者さんに提供して、
その予後予測が外れた場合は訴訟対象だということになるわけですね。
そこが責任というところなんですよ。
なので、その責任を取るまでしっかりと評価をするというところで、
小さなクリニックでもかなり筋力機器とかが置いてあるそうですね。
筋力測定をちゃんとしてこの筋力をつけてみましょうというところが、
特にアメリカの開業型クリニックとかでは、それがベーシックな考え方だということでした。
なるほど。
日本国内でいくと、その責任を医師の方に強く持っていて、
それで理学療法士の責任の範囲は狭くて済んでいるというのもあるかもしれないですし、
それによってできないことも増えているというトレードオフがあるのかなと思いましたね。
海外との比較と理学療法の責任・専門性
そうなんですよ。そのトレードオフがあったら、理学療法士がどうなっていたのかというのはよく、
これはもう足られ場のことになりますけれども、
今それを甘んじて、じゃあ何もできない職業でいいのかというところに対するアンチテーゼとして、
ちゃんとやろうよというところ。
そしてちゃんとやるというのはどういうことなのかというのを、
論理的に組み立てていこうとしているのが、理学療法推論学会だということになります。
なるほどですね。
そういう意味で循環器系のところとかだと、
医師が取ったデータをもとにリハビリテーションも行われていて、
だんだん質も高まってきているというのはあるか。
例えば整形とか脳血管とかで、
医師ができない範囲の評価みたいなもので、
実際には理学療法士がしていてとかというのも、
現状なくはないのかなと思うんですけど、
法律を変えてそこまでやるというのは難度が高そうな感じですかね。
法律に評価を入れてそこにコストを発生させるってなってくるのは、
まあまあ難しいかなと。
ただあり得るとしたら、
特定認定理学療法士みたいな特別な資格を作って、
その人たちが評価をした場合は、
コストを上げるとかということは、
横道としてはできると思います。
なるほど。確かに。
理学療法のアイデンティティ確立と学問的探求
現状でいくと、特定とかっていうのも、
介入の種類というか質が高いというか、
そこの専門性が高いから、
特定とか形で認可されているのはあるかもしれないですけど、
評価の専門性で何か特定なのか認可がされるっていう風にできれば、
よりやりやすくなるんですかね。
本来はそこの評価自体というのは
医師の仕事なんですね。
医師がやっていない。
理学療法士もやっていないことはないが、
責任を持ってやらなくていいという法律上というところで、
そこがやっぱりすっぽり抜けちゃってるんですよね。
僕はいつも言うんですけど、
歩けないから歩かそうという方向になってきているのが、
非常に問題であると。
なんで歩けないのか、そしてどうやったら歩けるのか、
どのくらい歩けるのかという問いを、
作っていかなきゃいけないわけですよね。
そこを新人にやるというのは酷なわけですよ。
新人がやりなさいと。
なので、評価に特定した人がいて、
例えば最初の初期評価は、その人が40分で評価をすると。
2週間に1回その人の評価を受けないと、
理学療法の継続ができないとかってなってくると、
より適切な単位の設定とかが本来はできるはずなんですよ。
だけどこれもまた面白くて、
どっかの病院で初期評価の段階で患者さんに評価をしてたら、
この人は治療してくれないと言って、
病院にクレームを入れる患者さんがいると。
だけどそれは医者とか専門の人が、
もう説明するしかないですよね。
見積もり取らずに家建てるんかみたいなもんなので、
それだったら別にいいんですよ、治りませんので、
評価料もらえませんけど、その代わりこれをしないから、
まず理学療法できませんっていうぐらい、
理学療法士がはっきり言わなきゃいけないのに、
患者さんに押し負けることが多いって言ってました。
なるほどですね。
法律まで大きく変えるのは難しいですけど、
特定のどこかの病院とかで評価もより専門的にして、
データも蓄積していて、
それによって全体の効果も高まっているという事例を出していって、
徐々にそれが広がってくるというのが、
現実的な感じなんですかね。
グローバルな視点と日本の理学療法の課題
実際、理学療法士に直接関わっていない人とか、
他の医療職の人たちからすると、
理学療法士だけそんな特殊な権限を渡していいのか、
みたいな批判もあると思うんですよね。
とはいえ、世界的規模で見ると、
それが世界の理学療法の基準なんですよ。
だから、日本の理学療法士だけが、
その基準を満たないという状態に対する、
非常にグローバルな視点で捉えた時の課題なんですね。
実際に日本の現場がそれで困っているかといったら、
困っていないかもしれませんけれども、
同じ資格があった時に、
日本だけ格式が低いと言いますか、
できることが少ないとか、
そういうのはやっぱり戦わなきゃいけないというところだと思います。
そうですね。
日本だと職位の広さはどんどん広がっているけど、
深さがという話もちょっとお深いで、
そういう話もあったんですけど、
まさにその深さの部分というか、
理学療法士たるものというか、
どうあるべきかみたいなところを追求していくと、
そこは自ずとやらないといけないなというのは
見えてくる気がしますけど。
特に、例えばその深さといったところに、
最終的にはダイレクトアクセスというような
開業の形に向かっていくというのが
海外の考え方であったり、
より専門性をとって、
業務独占ですね。
業務を独占する形が重要だとは思うんですけど、
理学療法学部設立の必要性と学問体系
理学療法士全てにそれをさせてくれと
言っているわけじゃないんですよね。
そういう位置筋を作ってもらって、
そこに行く理学療法士がいてもいいじゃないかというのが、
その法律というかの改定になってきて、
理学療法士の資格を取った瞬間に
開業していいとかということではないことだと思います。
例えば最低収支の条件をつけるとか、
あるいは教会に入って認定理学療法士を持って、
教会からその資格を出せるようにするとか、
これは実際の弁護士がそうですからね。
弁護士バッジは弁護士協会が出すわけですから、
そういう形のある種の変更はやっぱり
行っていかなきゃいけないだろうなと思いますね。
確かに。
その中でまた子どもの数も減ってきて、
学校側の教育も難しいところがあったりとか、
国立大学とかで理学療法士もしかしたら減ってきちゃうか
みたいな話もあったりするんでしたっけ。
そうなるとまた難しくなってきますかね。
これもちょっと文脈を全部理解しているわけではないんですが、
国立大学というのが研究大学としての立ち位置というのは
どこも強くしたいと思っているわけですね。
教育大学というか、それ以外の一般的な仕事に就くという場合は
それ私立でいいじゃんというふうに
結構文科省は捉えているわけですよ。
そうなった時に、
じゃあ研究大学である国立大学の立ち位置とした時に、
専門職教育をやる必要があるのかという問い立てをされているんですよね。
なるほど。
医学部は医学研究をやっている研究機関としての付属病院を持っているので、
医学部は何かOKらしいんですよ。
専門職だけど。
そうです。おそらく看護は看護学という独自の学問を持っているんですね。
看護以外は医学なんですよ。
理学療法、放射線も薬学。
でも薬学も薬学というふうに言った方がいいのかな。
理学療法は理学療法学ではなく医学カテゴリーなんですよね。
だから医学部である程度研究していたら、
他の介入というかサブカテゴリーはいらんだろうというふうに思われているわけです。
なるほど。
だから放射線とか検査技師とかも多分そうだと思うんですけども、
いらないとというのが国立大学の考え方として出てきている。
これはなくなるよと言っているんじゃなくて、
階層の中で本当に必要かというような問い立てをされた時に、
ちゃんと答えなければいけないというところのターンに入ってきているんですね。
なるほどですね。
それがうまく答えられないと、
現場の専門職とかは違う学校で要請されて、
大学院だけ残そうかとか、そういうふうになる可能性もなくはない。
これは学部がなくなったら院もなくなると思うんですね。
実際に理学療法、作業療法に関しては国立大の院があるんですよ。
学部があるんですよ。
だけど言語聴覚師は国立大に学部も院もないんですよ。
確かに。
でも言語聴覚師できてるじゃんって言われたら、
じゃあなんであんたたちは国立にいるの?
言語聴覚師の国立を作ればいいじゃんの発想にならないんですよ。
なるほど。
そうなるとまたより深めていくのが難しくなるかもしれないんで、
難易度が上がりそうだなと思いましたね。
学問の成熟と哲学・歴史学の重要性
本当にその中で理学療法というのが一体どういうものかっていうのを、
ディープに研究していこうとすると、
これは僕のある種の持論になるんですけど、
学問が成熟すると哲学と歴史学に進むというふうな持論があるんですね。
だからその哲学とか理学療法の歴史というものをしっかりと残していきつつ、
科学というものと合わさっていくっていうのがすごい重要なんですよね。
だけど哲学の部分、歴史学の部分っていうのが非常に甘いというのが理学療法で、
その歴史に関しては先ほど言った半田先生がですね、
本当に非常に深く考察されているというか、
いっぱい調べておられるので、そのデータをいただきましたので、
こういうのを受け継いでいかなきゃいけないんだなというところで、
僕はそれをさらに調べていこうかなと思っています。
なるほどですね。
自分の中でもどっちかというと、結構科学的な勉強を大学院ではよくしてましたけど、
ちょうど30代中盤ぐらいになってきてから、
ちょっとその限界も感じて哲学を勉強しないとなみたいな感じで
堀井先生でやったっていうのもありますし、
どっちかというと大学院の中では歴史とか哲学みたいなことを学ぶ機会が少なかったのもあるので、
その辺はもうちょっと広げていけるといいなと思います。
実際その科学であっても、どんな実学であったとしても、
足跡が残っていない学問は学問じゃないんですよね。
だから足跡の部分っていうのをちゃんとしっかりとデータを残していって、
どういう流れで今ここにあるかという通過点っていうものを見ていくことは、
必ず学問はやらなきゃいけない。
そこがおろすかになってるなというのが今の理学療法学だと僕は思ってます。
そうですよね。
もともと自分は京都大学なんで、
本当は学問の時はもっと学んでおけばよかったなと思うんですけど、
改めて京都学派みたいな哲学とか西崎太郎さんとか、
いちかわ博士さんとか岩沢康夫さんとか、
結構身体論みたいなことを話して書いてる方も結構探してみるといるんで、
最近結構読んでるんですけど、面白いなと思いますね。
なので学派というのでももちろんいいですし、
あえて広く医学史の中から身体の歴史を取り込んで、
そしてなぜ理学療法士という職種が、
例えば1820年代にスウェーデンで生まれて、
そして日本では1965年に法制化されて、
というような一例の流れをもう少しディープに、
要は事実関係だけではなくて、
歴史学というのはそこにどういう意図があったかというのを見ていかなきゃいけないので、
先ほどの毛の関係で評価というところがなくなったとか、
文部省と厚労省、労働省のせめぎ合いというのがすごくあった。
そしてそれに医師会というものの存在もあった。
さらに当時はWCPTですけど、
WCPTからの助言、あるいはWHOからの圧力、
いろいろなことが起きているわけですよ。
結果だけ見るとこういう法律ができました。
だけど何でこの法律になったかを調べるのが歴史学なので。
そうですね。多分その法律を変える必要性があるとか、
今の現代だったら変えてもいいじゃないかっていうのを、
根拠を持って言おうと思ったら、
歴史みたいなことは絶対必要になってくると思いますし、
テクノロジーの進化も起こっているところはあると思うので、
現代の技術だったらできるんじゃないかというような
説得力を持って言おうと思うと、
まさにその歴史みたいなところは必要かなと思いますし、
その哲学みたいなところは改めて深めていくと、
理学療法の存在意義と哲学の役割
どういうところで効果を発揮していきそうとか、
堀先生の見立てはあるんですかね。
先ほど国立大学の中で、
理学療法学をやるべきかっていうような問いを
まさに哲学がやるわけですよ。
我々理学療法という、あるいは理学療法学という存在というものが、
どういうもので、どういうところに立脚していて、
そしてどういうところに向かおうとしていくかっていうのを
明確にするのが哲学の仕事なんですよね。
存在意義だとか、あるいは過去からの流れで
どういう方向に行こうかというものを見るっていうのが哲学なので、
あるいはどういう人が関わってきたかっていうところですよね。
それを科学は言えないんですよ。
だから国立大学で必要ですかって言ったときに、
それは物理、例えば理工学とかロボティスクスでできるじゃんとか、
それ医学でできるじゃんって言ったときに答えれないんですよ。
そこが弱さです。
確かに先ほどの話でいくと、医学がありつつ、
看護学っていうのはちょっと別だよねとか、
薬学も独自のものはあるよねみたいな感じで、
例えば理学療法だったらやっぱり
理学療法学っていうのは医学と看護学とも違って、
独自に探求する必要がある学問分野なんですよみたいなことを根拠を持って言えると、
そういう理学療法は残そうかみたいな議論として言いやすくなるって感じですかね。
まさに一番最初に立ち位置として、
教会を見る。教会っていうのは理学療法教会ではなくてボーダーですよね。
ボーダーの教会を見たときに、
じゃあ理学療法士10人、100人でいいと思います。
連れてきて柔道制服と作業療法士と理学療法士の違いを明確に答えなさいって言ったときに、
法律という言葉を使わずに答えなさいってどれだけ答えられるかなんですよね。
多分あんまり答えられないですよ。
確かにそこの教会もありますし、
例えば医学の中でのリハビリテーションとか、
リハビリテーションの医学とまた理学療法も違うんですよみたいな、
その辺の教会も見ていかないといけないって感じですかね。
でもこの前それこそ羽田先生とかはリハビリテーションという言葉が悪いんだという言葉も言われてましたけど、
僕もアンチリハビリテーション派なんですね。
だから今までこの放送の中でもほとんど僕はリハビリテーションという言葉をポジティブに、
あるいはリハビリしなきゃとかっていう言葉を多分使ったことがないと思うんですよ。
それは僕はアンチリハビリテーション主義者なので、
リハビリテーションというのはあくまでも目的であってというところで、
この理学療法は手段だから、その手段としての理学療法の存在意義を話しましょう。
例えば先ほどの重症師、理学療法師、作業療法師っていった時の目的はリハビリテーションの方に向けれるんですよ。
でも基本的に手段が違うんですよ。
そこのものが説明できないからリハビリリハビリって言ってみんな歩かせてると。
その歩かせるということ自体の手段が違うのに、
そこが分けれない、境界が見えないっていう人たちが結構多いなという。
そこはその状況によって境界審判して、境界が混ざり合うところはあるんですけども、
その核となる概念が何かというところを考えるのはやっぱり哲学ですね。
確かにリハビリテーションは社会に再び適する状態にするとか、目的かなと思うので、
本当に個性が違うかなと思いますし、
そうなると理学の中でリハビリテーションみたいなことを探求するのは、
他の内科とか外科とかとはちょっと違った位置づけになってそうな感じを受けましたね。
なのでリハビリテーションを一旦横に置いて、
リハビリテーション概念と理学療法の定義
リハビリテーションって5つあって、
医学的リハビリテーション、社会的リハビリテーション、教育的リハビリテーション、
職業的リハビリテーション、リハビリテーション工学っていう5つの部門に分かれるわけですけども、
あくまでもその時の医学的リハビリテーションっていうところの、
さらに理学療法というふうな小さなカテゴリでやるのか。
だけどもそのQOLっていうふうにいくと、
職業的だとか社会的だとか、あるいは技師層部とかっていうとリハビリテーション工学も含んでくるわけですよね。
そういったフレームを与えられた時に、
そのフレームフレームでの説明ができるかっていうのがまず第一点として、
その知識として必要であると。
そして、理学療法っていった時には、
その理学という言葉の療法なわけですよね。
もともと法律の設定段階では、
理学療法ではなかったんですよ。
機能訓練師。機能訓練師が理学療法に充てがわれた名前で、
作業療法の職能訓練師が充てがわれてたんですよ。
その法律でいきそうだったけども、
名前はそれではいかんだろうと言って、
中国語は物理療法師ですね。
英語はフィジカルセラピストなので、
フィジカルっていうのはフィジクスなので物理ですよね。
だから直訳は物理。
だけども、そこも反発があって、
理学にしようという、
これはね、なかなか半田先生も言ってました。
僕もそう思います。センスがあるって言って。
その物理のもう一個上位学問である、
理学っていう言葉にしたというところは、
これはでも実は1940年代ぐらいから、
実はその理学診療科というのがあったので、
その流れを汲んだということだと思うんですけど、
その理学といったものが一体何なのかというところを考えたときに、
やっぱりフィジクスっていうのは基本的には運動なんですよね。
動作行為ではないということです。
だから運動を治療する、
運動を治療するというのはどういうことかというと、
これは必ずしも運動療法に限るわけではないですが、
その運動を助ける、
だから補助的な装具だとか、
サポーターとかもそうでしょうし、
運動ができないってなったときに、
刺激物理療法だとかマッサージだとかもありますし、
運動ができないとこのリスクとしてのリスクマネジメントというのがあると、
そしてそれで運動療法を行っていくというのが理学療法なので、
これをやっぱり明確にちゃんと説明できるようにならないと、
自分たちのアイデンティティが保てないんですよね。
その上で運動が阻害されているのがどういうことなのかというのを
推論しなければいけないというのが理学療法推論ということです。
理学療法学の独自性と学問体系の構築
そうですよね。こういう風な流れで聞いていくと、
黄色医学とか漢語学や医学とかとも違った
理学療法として探求する領域はやっぱりあるなみたいなことは思うので、
そういうロリ的な筋道を作っていけば
全然説得はできそうだなというのは思いましたけどね。
そうなんですよ。だから僕はそこで言われたら、
説得できるかどうか分からないけど説明はできると思います。
確かに。
これはそういう学問じゃないですかっていう。
だから生態力学でもありますし、バイオメカニクスでもあるしっていうところプラス、
あとは最近はやはりフィジックスだけではなくて、
フィギュアロジーが入っているわけですよね。脳だとか心臓だとか循環器っていう。
フィギュアロジーって生理学か。生理学を踏まえた物理学、バイオメカニクスという、
それが生態力学であり生態学ですから、これをやっている学問って他にないんですよ。
医学の中でも突出してやってないですし、スポーツの中ではそこに病理は入らないんですよ。
だから理学療法という学問は絶対必要だというところの説得になります。
なるほど、例えばの話なんですけど、今その理学療法学っていうか、
理学療法を学ぶっていうと医学の中の理学療法だと思うんですけど、
逆に理学部の中の理学療法とか、違う学部とか学問体系の中に位置づけられるみたいなこともなくはないのかなと思ったんですけど、
大学院の中でだと基本的にはもう医学の中の理学療法しかないって感じですかね。
今は学部構成あるいは大学院構成になると、医学部の中で保健学科という形を持ったり、
保健学部という中でのところだとか、あるいはリハビリテーション学部というところの中でやってますので、
理学療法学部がないんですよ。
僕は理学療法学部作ればいいと思うんですけど、文科は許さないみたいですね。
なるほど、将来的にはというか、理学療法学部ができるぐらいの説明ができると、長く残っていく可能性は高まるなっていう感じですかね。
本当にそこがまさにその通りで、医学部、看護学部、薬学部があるんですよ。
理学療法学部がないってことが問題だと僕はずっと主張しているってことです。
なるほど。
国際的に見ると、理学療法学部的なものがあるような国もあるんですかね。
リハビリテーションの学部とかってないですよ。
アジア一辺とはあるかもしれません。ヨーロッパとかアメリカにないことはないでしょうけど、基本的にはリハビリテーションの科学部門じゃないんですよ。
リハビリテーションを学びに来たっていう言い方はしないですよね。
例えばワールドフィギュアセラピーと言いますけど、ワールドリハビリテーションセラピーみたいなところはないですから。
これは間違ったリハビリテーション概念の理解なんですよ。日本の。
学際領域としての理学療法というのをちゃんと作っていかないといけないと。
例えば、コーナン女子大学看護リハビリテーション学部理学療法学科という形になりますけど、だいたい学部までしかみんな見ないわけですよ。
学部見れたらファカルティーオブナーシングアンドリハビリテーションなんですよ。どこに理学療法があるんだな、外国人から考えたら。
ナーシングアンドリハビリテーションを飛んでフィギュアセラピーを前に出さないと分かってもらえないんですよ。あなた何やってる人なんですかが分からないってことです。
自分の場合だと、京都大学で理学療法を学んでっていう感じで、学部どこですかっていうと、一応理学部ですっていうと。
すごい人みたいな感じで見られやすくはあるんですけど、そういうわけでも、理学療法学なんですって言って、
そうなんですねってちゃんと理解してもらえるような、社会の中での理解も必要だと思いますし。
まさにその通りなんですよ。すごいのはすごいんだが、田代さんの方でも違和感があるわけじゃないですか。
でも4年間で医者の免許って取れるんですねって言われたときにまた説明がめんどくさいじゃないですか。
それが京都大学理学療法学部っていうのがあれば、すごいスムーズなんですよね。
かといって、保健学部って言われたときに、何やってるんですかってまたなるんですよ。
いいじゃん、理学療法を前に出せばと思うんですけど。
同様に、違うところで言うと、哲学部っていうのが今ほとんどなくなってるんですね。
文学部か人文学部の階部門にされてしまったってことなんですよ。
本来は学問の素である哲学で、むしろ哲学の中に人間科学とか文学入れりゃいいのに、哲学は階部門にされてしまいました。日本の学際領域の中では。
なんか不自然な感じがしますけどね。全体を読めるのが哲学な気がするんですけど。
哲学をやってる人間からそうなんですけど、それは哲学者がお前ら何の役に立つんだっていう言葉に対して、ちゃんとコミットしてこなかったんですよね。
役に立つ学問ではないって言い始めたら、それが強く出始めちゃって、役に立たないんだったらお前ら必要ないじゃん、後ろに下がれよっていうところで、もう肺立つま飲めんくなってるわけですね。
哲学も理学療法も厳しい立ち位置にありますね。
学問としての哲学と理学療法の現状
哲学ってどちらかというと、もうミーム化してるというか、哲学やってる人変な人みたいなミームになってるわけですよね。
だから宗教学、あるいは自分は何々教を信奉していますっていうのと、何々哲学をやっていますっていう形が、
ある種ちょっと近寄りがたい人みたいな立ち位置になってしまう。
でも両方ともすごい歴史的に深い根深い学問であり、人間の本性なんですよ。
宗教を知らないからは、今我々が、例えばイスラエル、イラン、アメリカの問題がわからない人が多すぎるんですよ。
あれ宗教学をやってるとまあまあわかるんですよね。
だから本当は人間の営みとか社会の営みを見ようと思った時にベーシックになるのは、
歴史的にどういうふうに人間が考えてきたかっていうところが必要だと。
理学療法を説明する時にもやっぱり同じく、歴史的に何を我々が望んできたか。
特にこの21世紀になって人類が最も望んでいるっていうのが健康なんですよ。
その健康の部分に、健康を害した状態でも理学療法はコミットできるし、
健康を継続することにもコミットできるんですよね。
だからその理学療法というのは、それをより科学的に扱うというようなところの扱いとして、
僕は主張したいんですけど。
なるほどですね。
さっきの歴史みたいな話もできたんですけど、歴史もそこは歴史学部みたいな感じではないって感じですかね。
だから医学の歴史とか、医学哲学とか、医学教育って言ってるように、
理学療法の歴史、理学療法哲学、理学療法教育っていうのを作らなきゃいけないってことです。
看護学、看護教育って言うんですよ。理学療法教育って言わないんですよ。
弱すぎるんですよ、やっぱり。
それはしょうがないですよ。人数的な問題、歴史的な問題から考えた時に。
むしろ逆にここまで大きくなったことは素晴らしいと思います。
例えばSTのほうはそれが達成できていませんから。
だから贅沢っちゃ贅沢なんですけど、もっと贅沢にしようとすると、
さらにコミットしていかないといけないことがたくさんあるってことです。
なるほどですね。
理学療法推論学会と今後の展望
その辺、整論学会とか理学療法整論みたいなところだと、
根っこの部分から考え直そうみたいな感じはあるかなと思いますし、
その中でも現場で働いてる人とか管理者の悩みみたいなのもあった気はするんで、
そろそろいい時間になってきたので、前半はこのぐらいにして、
後半はもうちょっと実際にどうしようかみたいなところとか、
現場に近いところの話もしていったらいいかなと思います。
はい。
じゃあ一旦この辺で前半は失礼します。
ありがとうございます。
ありがとうございました。
47:27

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