Advanced Therapist エピソード35本目ということで、今回もですね、全開につながるような感じになるかもしれませんが、教育に関するようなところとか、堀先生の方でリーダーシップ系の研修、結構長時間にあるものを受講されたりとか、最近また AI とかもどんどん進化してきているのもあるので、
アドバンスなセラピストってどんな感じとか、もろもろ喋っていけたらなと思います。
はい、よろしくお願いいたします。
8月の中頃にデンツー育英会っていう、いわゆる CM とかを作っているデンツーですね。
がやっている財団が、もともとは大学生とかに対する奨学金を出したりとかしているんですけども、その中でリーダー育英塾っていうのをやってるんですね。
で、これはどれぐらいかな。
今、8期間やってまして、これが大体3日の缶詰研修になります。
朝から9時から10時ぐらいまで。
東京ですか。
東京でやって、これ交通費以外は全部デンツーが出してくれるという。
これ自体は何ていうのかな。
かなりセレクションされて参加するという。
セレクションはポートフォリオを出して、そのポートフォリオを審査されて選ばれるっていうのが今年なので、僕出したの2回目かな。
で、やっと通ったんですね。
で、その中でどんなことを一緒に話し合うかというところをやってきたということと、実際どんなことやってきましたみたいなお話を少しできたらなと思っています。
それはどうなんですかね。教育者的な人に役立ちそうとか、例えば病院とかの管理者とかでも役立ちそうとか、受けた感じだとどういう人に特に役立ちそうとかってあるんですか。
ペルセナー自体を見ていくと、小中高大の先生に向けているんですね。
で、多かったのは高校の先生が多かったかなというような印象になります。
あとは大学教員っていうのもいるんですけども、大学になってくると一般的な考え方からすると大学は教育というムーブがちょっと弱いというような捉え方をするので、
それに行く前の高校の先生たちと我々大学の人たちっていうのが今回テーマ自体がですね、トランジッション教育革命ということだったので、
一方はその中から高、高から大にどういう風にトランジションするか、いわゆる橋を架けるかっていうようなテーマだったところなので、僕個人結構高校の探究の授業とかもやっているので、そのあたりが興味があって非常に僕の中ではフィッティングが良かったような内容だったんですね。
で、自分でそのさっき言ったポートフォリオっていうのを出してそこでテーマ設定をして、そのポートフォリオをいかに完成させるかっていう三日間なんですよ。
最終的にみんなの前でポスタープレゼンテーションをして、それでフィードバックをもらってみんなでワーッつって終わるという感じなんですけど。
こういうワークショップとかって田代さんなんか参加とか行ったこととかありますか?
あんまりそこはできてないですし、そのポートフォリオっていうのがどういう内容提出するとか、完成するとどうな感じとかもちょっとイメージまだ湧かないので、もうちょっと聞きたいなと思いましたね。
僕割と昔から教育系の研究だとか教育系のワークショップとかってよく行くんですね。
それはたまたまその前の職場の先生がそういうことをやっていて、それに誘われてよく行っていたっていうこと。
そこから自分が興味を持って、そこで特にその兄弟の高等教育センター、もう今なくなったんですけど、高等教育センターの人たちと一緒に活動するようになって。
今回のこの天津育英会も結構高等教育センターの人たちが関わっているんですよ、もともと。
その高等教育センターがどこに関わっているかというと、中教進、中央教育審議会、いわゆる国の文部科学省の中教進との関わりがすごい強いグループなんですね。
なのでこういった考え方が中教進の考え方になるっていう流れを持っている、その中央との流れ。
つまり中央の流れっていうのは、今日本の教育をどういうふうに動かそうとしているかっていうような情報とかも入ってくるので、
僕は割と教育というものを良き教育っていうだけではなく、政策としての教育っていうものを見てきている。
このアドバンスセラピストでも結構そういう話をしていると思うんですけど。
その意味で改めてちゃんと教育というものを、大学教育だけではなく全体の教育の流れを見てきて、
そしてその中で自分がどういうふうにトランジッションを教育の中に入れていくかということを今回学んできたって感じですね。
全体的な流れとかが分かっていると、特に自分の強みを発揮できるのはここかなみたいなこともより鮮明になってくるってことですかね。
そうですね。これを聞かれている方って理学療法士の方が多いと思うんですけども、今、高校の教育というものがどんどん今変わろうとしているんですね。
日本の教育の場合ってよく言う詰め込み型という形で言われてきたと思うんですし、実際に今詰め込み型か詰め込み型かじゃないかというと、
今、競艇第何世代だ。4回目ぐらいかな。
センター試験から共通テストに変わって、詰め込み型が見方によっては助長されてるんですね。
それはなぜかというと、共通テストの全強化を受けると、時間で言うとどれぐらいかな。2時間近く受験生が解かなきゃいけない問題の時間が増えてるんですね。
一つは情報という強化が増えたということ。あと、刻A数Aかなが10分ずつぐらい時間が増えてるんですね。
それは考えなさいという詰め込み型じゃない考えなさいという問題ができたことによって伸びているということなんですけど、やっぱりそれを解こうと思ったら詰め込まないと解けないんですね。
だから共通テストっていうのが大きく変わってきてて、その共通テストが変わった流れで大学がどういった人材というものを受け取っていくかというところに関しては、大学自体はそこまで詳しく考えようとはしていないんですよね。
高校はその共通テストに対応するためということと、同時に探求の授業というのがあって、その探求の授業を通して総合学習というものをやった。
総合学習を通して推薦を取っていく。だから今東大も京大もいわゆる推薦入試を持ってるんですね。そういった共通テスト流れと総合学習流れという2本、今高校教育って持ってるんですよ。
なので我々理学療法士はそういった2つの流れの人たちというのを受け取っていかなきゃいけないという、管理者も広く言うと管理者も今後出てくる人材というのがだいぶ変わってくるんですっていうことを知っておかなきゃいけないということです。
結構その2つのカテゴリーでどちらを重視したかっていうので、学生の考え方とか行動っていうのは違うなっていう印象もあるんですかね。
学生の考え方は大きく違うように思います。共通テストってやっぱり国公立を中心に動こうとしている人たちですね。
私立大学って今年内入試、これちょっと文科省もいろいろ考えてて動かしてるんですが年内入試がほとんどなんですよ。一般入試が成立するのって本当にトップ私立だけなんですね。
関西で言うと官官同立が一般入試は成立しますけど、官官同立もどれくらいかな実際の数値わかってませんけど6、7割は推薦から取るはずなんですよ。
ただその推薦と言っても誰かが推薦してくれたら勝手に入れるような指定校推薦枠ではなくて、学力を伴う推薦があるというのと、私はこういう探究をやってきた、こういった研究をやってきたっていうことをプレゼンして、それで入るっていう人たちも増えてきた。
なのでその共通テストのように国数Aとかっていうような総合的な自分のリテラシーを表現するんではなくて、どちらかというとコンピテンシーの部分を主張して大学に入ってくるんですよ。こういう能力を持っていますっていう。
なのでその総合学習というのが、違う言い方をしたら探究の授業なんですね。その探究の授業っていうのが週2コマぐらい入っているんですけども、その探究がうまくできた学生というのはアウトプットがあった段階で大学入れますよね。アウトプットを評価されるんですよ。
なのでこのアウトプットを評価されて、こんなにいい研究をしたんだね、じゃあうちの大学でも引き続き研究できるね、みたいな感じで入ってきます。
前回もコンピテンシーっていう話あったと思いますし、そこでも理想論的には小中高とかで経験して身につけておくと大学に入ってもスムーズかなみたいな話もあったので、そうなるとそういう動きとしてはいい方向性って感じですかね。
これが本当に世界の教育の中も含めても相当やっぱり文部科学省が練りに練っている。そして練りに練りながらもできることを中心にやっていこうとしているっていうことなので、抜本改革ではないんですが、実はこの探究の授業って平成元年からやられてるんですよ。
実は40年間やっていて、もともと始まったのは普通科高校ではなくて、商業高校だとか農業高校だとか、そういう特殊、なんていう言い方をしてたかな、専門家庭っていう言い方をしてたかな、教育の中で始まってきたんですよ。
それがだんだん今の時代に即して来ようとすると、詰め込み型教育だけではなくて、問いを作れる必須。これは前回の話の中で、創造的思考だとか、論理的思考だとか、悲観的思考というのが今大事にされてるんですよって言ったやつなんですけど、それをどう表現するかって言ったら探究なんですよ。
ここが重要なのが、研究ではなくて探究なんですね。簡単に言ったら、問いをいかに作れるかというところを求めていくってことです。
これ問いもまた珍しくて難しくて、2020年ぐらいに問いのデザインっていう本が発売されてまして、これ自体が結構重要な役割をしてて、その中では質問と問いと、もう一個忘れた、3つ問いを分けてるんですね。
質問というのは学生から教員に向けて行う、分からない部分に対する確認。あともう一個何問つったっけな。質問ではなくて、聞き問ではなくて、教員知ってる人が学生に対して行う問い。
これは、あなたこれを知っていますか?っていう問い。お互いに何も知らないし、お互いに興味がある。例えば、今後社会においてAIというのはどういうような役割を持ちますか?みたいなのが問いなんですね。
だから作ろうとしているのは、先生、数学のこの問題が分かりません。君たちはこの数学の問題解けるか、ではないってとこです。よくね、最近もうちょっと使われなくなったかもしれませんけど、文化、複雑性を持った社会において、改めて知っているっていうことを聞くっていうのが知識ではなくて、誰も知らない、誰もよく分かっていないということ自体を問い続ける。これを探究と呼びます。
これはなかなか難易度が高いところでもありますし、でも質問とかに対する答えとかはAIでだいぶ精度高く答えられるようになってきたからこそ、今後より重要みたいなことがフォーカスされてきているっていう感じですかね。
まさに、なので、いかに問いを作っていくか。それに対して適切な答えを導くというよりは、問いを引き続き続けられるかということを見つけていく。それが究極は事故のあり方を変容させるんだっていうようなところを文化社は見ているんですね。
これまで先ほど競手の話をした場合は、競手っていうのはどちらかというと質問の流れなんですよね。競手で問いを問うっていうこと自体は難しいわけですね。
だけども大学に入って、もっと言うと社会に出ると、そういうリテラシーの部分ではなくてコンピテンシーの部分としての問いを必要とされるっていう社会に今なってて。なので、自分自体の問いを作れる、そしてそれを通して事故のあり方というものを理解していく能力というのが文部科学省が育てたい能力なんですよ。
これ難しいでしょ。
何でもかんでも疑問に思って問えばいいというわけでもないかなと思うんで。だからそこを両方どう回していくのがいいのかなみたいな気になりました。
今ここで喋ってるような内容っていうのは問いに近いんですよね。
結局お互いに知らないしお互いにわからないし誰もわからない。で例えばここである程度定義化したからと言ってそれが正しいものではない。
だけども多くの人がここ学校教育といった場でそういうことをやっているっていうこと自体はあまり知られてないんですよ。
例えば特に田代さんのお子さんが大きくなっていくと中学校高校でこれを求められて始めるんですね。
かつもう一個難しいのが先生がそれを教え入れてないってことなんですよ。
なので今探究の授業って結構大学との協業っていうトランジションっていうところとかいうふうに言われているのはそこであって
大学の先生そういうの得意でしょ大学の先生ぜひやってくださいよみたいな状況が出ています。
僕自身は湖南女子高校は1年生に探究の授業というのが通しの授業で1年間あるんですね。
それを大学が引き受けてます。なので大学の教員が探究の授業でやるんですよ。
だから高校生からすると面白みはある。
でも何やってるかわからないっていう一質のものをいかに何をやってるかわからせるかっていうところが僕らのテーマなんですよね。
あとここまでここに年に1回ぐらい外部から質問を高校生が直接僕のところに連絡してきたりします。
この間も東京のある高校生が僕の論文を読んで青年期のメンタルヘルスについて興味があって
実際に青年期のメンタルヘルスというの調べがつかないので相談に乗ってくれませんかっていう。
これJグローバルなのでリサーチマップの方から来てるんですね。
面白いなと思って。
面白いですね。
Zoomでそのこと1時間ぐらい喋って。
これはもう率直にそういうやり取りをしているとちゃんと自分は研究をしましたと言って推薦をもらえるらしいんですよ。
その子も正直言ってました。
これのプロセスっていうのが結構実は重要視されてるんです。
それは良いことな気がしますけど評価にもなる。
それがなかったらなかなかそういう大学の先生とかに連絡して話をするみたいな機会もないと。
大変だと思うんですけど先生は。
これが僕とかだったら年一とかでいいんですけど東大・京大の人たちって延々と来るらしいんですよ。
それは大変ですね確かに。
だから全然調べもしてないのにそのやり取りをしたら加点されるみたいなダサン的なやつと。
今回の子は本当にすごくちゃんと僕の論文読み込んでて論文に対する質問だったんですよ。
これはめちゃ面白いです。
なるほど。
高校生が論文読んですごい単語とかも理解しているし周辺論文とかもちゃんと読んでいるし。
そういう問い、ただどうしても高校生のレベルでの小さいさっていうのを我々がベースアップしていく。
まさにこれ探求なんですよね。
大学っていうよりも大学院とかのやってることが高校とかにも落ちていくっていうのはすごい個人的に価値を感じる気がしますし。
個人的にも大学院で自分なりの問いを立てて答えを探していくみたいなことをやった感覚があるんで。
どう接続させるといいのかなみたいな気がしますね。
本来は大学が今田代さんが言ったことをやっとかなきゃいけないんですよ。
大学っていうものがその問い立てを自分で行いその問い立てを専門値を通して解く。
さらにそれをアウトプットしていく場所がおそらく大学院で、アウトプットの方法を知るのが大学なんですよ。
だから卒業論文っていうのがちゃんと書けてるかどうかっていうその指導をどうするかっていう。
僕らも卒論に院を目指すのかそうじゃないかって実は力の入れ方変えたりする内容があるので。
僕自身は自分の問いそしてその問いを通して考えたことをまとめるもので卒論を書かせるんですけど。
学生からするとやっぱりタスクだと思ってますよね。
そうですね。なかなか自主的にタスクと思わずにどんどん探求できる人っていうのは相当マイノリティかなと思いますけど。
でもやっぱりタスクがあることでそういう経験するのも大事かなとは。
なので少なくとも僕が高校時代だった時、田代さんが高校時代だった時、今の20歳ぐらいの子が高校だった時からすると
確かにこの探求の授業というものの効果というのは社会影響を帯び始めてるような感じはするんですよ。
今回質問してくれた高校生ぐらいが社会に出る頃っていうのは結局本当に議論ができる子が育っていくはずなんですよね。
その議論自体は正しいか正しくないかっていうものは一旦置いといたとしても、議論トレーニングされてる子たちっていうのは脆いです。
そうですね。個人的にはそういう人と働いていきたいなと思いますし、本当に答えがあるものに関してはAIでできてしまうことが増えてるんで
そういう答えがないけど問う価値があるものみたいなことを一緒に考えながら行動していきたいなと思いますね。
今回受けたワークショップというかリーダー育成塾の中でも来年から今年の秋に中教進が探求の授業だとか
いわゆる高校生から小学生までのカリキュラムの新しいカリキュラムっていうのを出し始めるらしいんですね。
それが完全実装するのが2030年らしいんですよ。
だから2030年までの、来年から実際動き始める3年間くらいでいろいろなトライアルが行われるらしいんですね。
これはなかなか知っておかないと、教育畑の人たちっていうのは言ってしまったら現場が転圧する中での学生たちっていうのが今回の今の中学校3年生がそこに入ってくるんですね。
なので2030年に出てくるぐらいの大学で受け取る学生たちっていうのは結構がっつり探求やられてるってことなんですよ。
それまでに教員側もそれを理解しておかないと結構うまく対応できないとかってなりやすいんですかね。
いやそうだと思います。
だから市の総合答申っていうのが出されていくっていうことになってくると思うので、結局現状大学が、例えば財務省の発言だけれども200個をつぶせと言っている。
文科省はつぶさないとは言っているんですけど、資金的な部分ではつぶせという方向。
文科省はつぶさないけど結局肩たたきと統合をやっていくっていうことは言っているんですね。
つぶすんではなくてあなた諦めたらどうですかっていうことを言うと小さな大学が総合体になって、それで例えば地域のイメージとしては大阪公立大とか兵庫県立大みたいな感じにいくつかの大学が合併して一つの大学でキャンバスは別でトップは一つになったけれども
大学としては今のままやれるようにしましょうとか、あるいはそれの統合に合わせて人気がないところを切っていきましょうとか。
これは大学だけじゃなくて病院も同じように起きてくるんですよね。
もちろん会社も同じようになってくると思います。
そういった流れの中でトップが一つになってくるとそのトップの動きにものすごく考えが影響されていくわけですよね。
そのトップ自体というのはやっぱり継続させようとするということ。
そしてそれが私立だとしたときにニーズとなってくる高校生たちっていうのが探求学習をたくさん終えて特に私立っていうのはご教科受験ではなくて総合型受験をしてくるんですよ。
だから探求の授業をベースに学生が上がってきたときに大学はそういうテストパターンで学生を評価するっていうこと自体がおそらく成立しづらくなるってことなんですよ。
ではなくてプレゼンテーションだとかレポートだとかっていうところで評価をしていって実践地っていうのを育っていくっていう大学教育に動かなければいけない方向になっている。
理学療法教育は101単位いずれ103単位の決まった単位を動かしてやらなきゃいけない。
国家試験があるって言ってテスト型の大学教育なんですよね。
じゃあここにギャップが出てきますよってことなんです。
途中で自分が大学院に入ってからそういう問いについて考えることが増えたっていうのもやっぱり理学療法の過程にいたから大学のときはやっぱりまずは決まったカリキュラムの中で学ぶっていうことが多かったかなと思いますし。
今後はやっぱりそういう探究的なことは必要かなとは思うんで、理学療法教育の中にどれくらい探究を入れれるかっていうのはありますが、世の中全体的にはそういう探究的な方向に動いていってるっていう感じなんですね。
この親が知らない探究っていうやつがあって、あんたたち今学校で何やってるのって言ったら探究やってるよって言うと親は下手したこれ遊んでるように聞こえるんですよ。
総合学習だとかって言われたときに高校のランクにもよって変わってくるわけですけど、バーベキューしましたっていう探究もあるんですね。
結局バーベキューを通して人間同士のコミュニケーションを取って、コミュニティーが形成されるっていうこと自体を探究と扱ってることをコミュニケーションするんですよ。
それ自体は先生たちっていうのはものすごく仕掛けをやったり足場掛けをやったりしてて、それを通して人間関係、この子ってこういうことができるできないとかっていうのを見ていってることはやっているんですけど、
親からするとバーベキュー行った遠足なんですよ。生徒たちもそうなんですよ。だけど教員の仕掛けは違うんですよ。
このギャップをどういうふうに理解の中で埋めていくかっていうのがすごく難しくて、実際にそういうある高校の大阪のある高校の先生たちがそういうことやってるって言ってたんですけど、
これ仕掛けを聞くとめちゃくちゃすごいんですよ。よくその人数にそんだけやれますね、教員たち大変ですよね。
学生たちも楽しんで実際に成長につながってますよね。だけど親からするとバーベキューなんですよ。
そうですね。特にこういう短給とかで短期的に数効果が出るもんではなくて長期的にっていうところもあるかなと思うんで、なかなか評価なんかしづらいですけど、個人的にはそういうところの価値はあるかなと思うんで、どうしたもんかっていうところですね。
そうですね。実際に理学療法士の現場に出てきたときにどんなことを学んだって言って、みんなでバーベキューをしましたっていうことを、これが例えば大学が同じような仕掛けをしてやったときに、うちのゼミはよくバーベキューをやってたんですって話をすれば、この学生は何も学んでないになるんですよ。
だけどバーベキューを通して、例えばその人間のコミュニティがどういうふうに生成していって、かつバーベキューを通して自分の役割というのはどういうふうに考えたのか。そしてその役割の前後でどういうふうな計画を立てたかとかっていう仕組みとしてやってるわけですよ。
例えばそのバーベキューの現場に行くときに、現地集合にしますと。現地集合にするにあたって、その班の交通費は学校が出すけれども、いくら必要かっていうのを調べてきなさいってなったときに、そこで初めて学生ってGoogleマップとかを開いて、その場所にどれぐらいのお金が必要で、どれぐらいの時間が9時までに行こうとしたらどれぐらいのことって。結構高校生これできないらしいんですよ。
なぜかといったら行く場所のパターンが彼らすごく決まってて、お金の制約を持っているので、そんなに定期以外のところに行かないんですよね。定期外のところに行こうとなったときに初めて移動するときはお金がかかる。
例えば親と一緒に行けばかからないけど、友達と行く場合はかかる。わかりやすく梅田にしましょう。梅田に行くためには京都の子もいれば滋賀の子もいれば和歌山の子もいればっていったときに、お互いに集まる時間というのは正確に言うとスタートの時間が違うっていう概念もそういったところで学ぶわけですよね。
遠くから来る子、例えば梅田に住んでる子、じゃあバーベキューをするときに食材を買ってきなさいといったときに、誰が食材を準備しやすいかとかっていうのもそこで決めなきゃいけないんですよね。かといって遠くから来る子が何もしないかというと、その子は現場での焼くことだとか火をつけることであるだとか、いろいろな準備をするとかっていう役割、そういったのを話し合わせなきゃいけないわけですよね。
実はこれが探求なんだってことなんですよ。
なるほどですね。
確かにここまで聞くとバーベキュー的なものでもいろんな学びがあるっていうのはわかるけど、世の一般でバーベキューっていうと遊び的な感じになるから、うまく名前を変えていくとか、学びに受け取られやすいカルキュラムというかプログラムみたいなのを作っていくと受け入れやすいかなと思いました。
かといってこれをバーベキューというテーマではなくて、集まって何々の会議をしなさいってなると、これ学生急にモチベーション下げるんですよ。
このバーベキューも、高校側の仕掛けはその範囲をそもそも全く知らない同士で組ませる。それも上下で組ませるらしいんです。3年生と1年生まで。その人たちの連絡先を教えないらしいんですよ。
だからまず高校の中で、その先輩、その後輩を探すところからしなきゃいけないっていう。
すごい、面白いですね。
だんだん聞くと大変でしょ。
うーん、大変。
で、そうなってきた時に先輩が部活のルートを使って何々君っていうのを探してくれたりだとか。
教える唯一の情報は何クラスの何々さんしか教えないらしいんです。
はいはいはい。
そこにクラスに行って直接話しかける人もいれば、LINEのルートを使ってくる人もいるし。
だからそこに結局人間におけるコミュニケーションっていうものをちゃんとどうやって取らせるかっていう。
そしてそこにルールを教えないっていうのが高校のやり方らしいんですよ。
いやー面白いですね。
なんかそうやって聞くとバーベキューって大変じゃないですか。
そんなバーベキューしたくないんですよみんな。
でも本当に社会人的に働いていくとしたらそういう場面っていろいろありますし、また政治的な人間関係みたいなのが絡んできたりとか。
やっぱりそういう教科書を元に学ぶっていう以外の課外活動だったりとかそういう総合的なものでいわゆる生きる力とか人間力的なものは鍛えられることかなりあるかなと思うんで。
それをどう見せていくかで確かに今後の活動変わりそうな気がしますね。
なのでAIを使えないんですよ今のやつって。
AIを使おうとするとルートとかバーベキューのメニューとかを使えるけれども、このポンポン的なインターフェースのとこって人間関係なんですよ。
なので人間関係というインターフェースには実はAIを使えないっていうことを今多くの人が知らないんですよね。
ここが探求であるっていうところに設定をしているその高校僕興奮してずっとその話聞いてます。
いや面白いですよね。
本人の高校の先生たちはそこまでは考えてはいないんですよ。
だけども実際にやってることっていうのを外から解釈するとそういうふうに取れるってことで。
なるほど。
脱AI的型なんですよこれ。
はいはいはい。
例えば理学療法士とかセラピストみたいな人で今後高齢者のリハビリテーションに関わるみたいな人でいくと、
例えば地域の祭りを開催しようみたいなプロジェクトがあったりすると、いろんな年代の人と関わったりとか、
こういういろんな人がいる中で一つの目的を達成しようみたいな経験になってそれがすごい理想にも生きるとかにも考えられる。
まさにそうだと思います。
例えば地域の祭りを手伝うっていった時に、祭りを主催するのは地域であって自分たちじゃないわけですよね。
そうなった時に予算だとか広報だとか人間関係だとかいろいろな人間関係インターフェースっていうのに出会った時に、
AI使えないじゃん。スマホ使えないじゃん。
例えば祭りの主催者が70歳のおじいちゃんってLINE教えてってLINEやってなかったりするわけですよ。
どういうツールでが一番お互いにとってやりやすいものになるのか。
予算ってなった時にその予算も自分が使っている例えばスマホ代って予算に入るのかなとか。
いろいろなことが出てくるわけですね。予算外のはみ出しの部分っていうのは誰が担保するかとか。
こういったところを本当は経験していくっていうのが社会なんですよね。
確かに。確か中学校とかでも効率だと部活動配信みたいな動きで地域に移行するみたいなのもあったような気がするんですけど。
これまで部活動とかスポーツとかそういうのもいわゆる捉え方をすれば探究的な要素があったのかなとは思うんですけど。
本来はそうであったけれどもカリキュラムっていうのとカリキュラム外っていうのがどうしても教育の中でいつも問題になってくるんですね。
今までは田代さんが言うように探究的なことっていうのはカリキュラム外の話だったんですよ。
それをカリキュラムの中に入れて、要はカリキュラムの中に入れるってどういうことかって評価して判定しなきゃいけないんですよ。
これ部活はそこに入ってなかったっていうのがスタッフのところで。
部活を頑張ったからって国語の点数が変わらない。だけど実は大学入試は変わってたんです、部活で。
それが探究というものに受け渡ってきてそこで判定して成績の一つになる。
そしてそのアウトプットしたものが大学の総合型入試に生きてくるっていう非常に打算的なものにもつながってくるんですよ。
いやー難しいですね。本当に難しさしか感じない。
総合型のものがめちゃくちゃいいものができたら普段休停に入らない高校から休停に入れるようになるんですよ。
それってすごいチャンスなんですよね。
確かに。
本当にそういう子たちって結構今出てきてるんですよね。
ここの高校から東大通るってことは今までなかったはずなのに
年間一人ずつ東大通してるぞみたいな探究高校があるんですよ。
いいですね。そこのシステムの変更のタイミングっていうのは新しく活躍できる人が見つかりそうな気もするんで
まだそのゲームルールをきちんと理解したいなみたいな。
そうですね。まさにゲームルールの理解を周りがやっとし始めてるっていうことであり
2030年に向けて探究は一つの軸となりながら小中高の高校教育の中で回ってくるんですね。
そうなってきたときに学校のこれ違う先生としゃべって高校の先生としゃべるときに
保険体育の役割とかっていうのをどうするかとか道徳というものの役割をどうするかとか
今までこちらがちょっとずつ探究みたいな保険の先生は受けてると思ってるはずなんですよね。
高校大学入試に関わらない科目として自分の体力を作っていくことだったとか
そうしたら例えば大学の先生が外から来て理学療法の教員が来て保険の部分全部引き受けたりするわけですよ。
そうしたら自分たちのアイデンティティー取られちゃうんですよね。
だとするとじゃあ保険の中でどういうふうに出していくか。
これまで道徳の時間があったあるいは国語の時間でそういうクリティカルシンキングとかやってたり
大学の教員がいきなり降りてきてそのクリティカルシンキングとか取って行っちゃったりするわけですよ。
で高校の先生がよりも大学先生が面白いとかだった時に高校の先生が実はですね今そういった意味で苦しんでるんですよ。
自分たちの授業アイデンティティっていう正規の科目がやってることなのに
突然外から降ってきた人たちが正規の科目のおいしい部分を取っちゃうんですよ。
そういった問題をどう対応するかというような課題も実は高校の中に出てきてます。
学生にとったらどっちかっていうと面白く感じて確かに学び深まる方がいいかもしれないけど
そうなるともうそれだったら高校の先生になりたくないみたいな感じになるとそれもなくなるような気がするんで。
本当に一人の学校の体育の先生が体育の先生と呼ぶなと保健体育だっていうわけですよ。
自分たちっていうのは週の中の4回ぐらいの体育コマと1コマの保健コマを持ってると。
その保健コマっていうのをほとんどの人は覚えてないと。
つまり体育の先生って言われるんだと。
違うと保健の部分を通して自分の体に向き合ったりだとか健康に向き合ったりとかってするプロジェクトをちゃんと自分たちは動かしているのに
そこにあまりにも生徒たちの意識が向かない。
そういったところを変えたいっていうリーダー育成塾なので保健体育を変えたいっていう人が来てるわけですよね。
そういう単純に探究の授業と副教科と言われるようなもののセッティング。
かつ探究の授業と国語英語数学とは相入れない共通テスト型の部分の相入れなさとかっていうのがこれなかなか面白くて。
なるほど。