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どうも、アドバタラヂオ、はじまりでーす。
スナゲンでございます。
富永誠です。
よろしくお願いします。
この番組は、広告大好きな二人が
広告に関わる出来事や出会いを通して
聞いている皆さんに
広告に興味を持ってもらい、そして
好きになってもらいたい、そんな広告人学を
お届けするラジオです。
よろしくお願いします。
何度とだって言うよ。
ヨドミナイ。
言うの好きっすね。
このフレーズが僕は好きですよ。
ありがとうございます。
今回はですね、大変お待たせしました。
僕これ、アンケートを
してですね、
皆さんから
どれのお話をして欲しいと
募った
4つかな。
ジューンブライドの話
6月花嫁の話です。もう6月過ぎちゃいましたし。
よかったな、あれじゃなくてみたいな。
あと
なんだっけな。
僕はこれ面白そうだなと思った
ものでも
あったんですけど
ジューンブライドの話
と
ちなみにあれってサナケさん
投稿してくれました?
そうなんですね。
意外とそれ
聞かなかったですね。
ちなみに僕は
今これからお話するやつに手を挙げて
しましたよ。
ちょっと楽しみにしてくれてるんですね。
たぶんそこの中で選ばれ
そこの中の4つだか5つ
あった中をポーンって見てた時に
僕は
間髪入れず
それ入れましたよ。
あれちょっと緊張するじゃないですか。
全然
素直な感想ですよ。
ジューンブライドの期限についてと
あと5月婊の期限についてですね。
で、その中で
3つ出したんですけど今2つで
選ばれたのがハイボールのサイブレイク
絶対そっちの方が面白いと思う。
5月婊とかどうでもいいって。
よかったじゃん。
一通りなんとなく興味がある状態で
砂犬さんに反応してるわけですね。
それは嬉しい。
僕はやっぱそこのハイボールのところは
部分的とか人から聞いたのはあるけど
マーケティング
目線でやってる話は聞いたことがない。
最後の出口のところは聞いたことがある。
そこの川上から
川下に行く
そのは知らないので
そこはもうだから期待してます。
ありがとうございます。
よかったです。それ聞いて。
もちろん興味あります。
でですね。
今回
ハイボールのサイブレイク戦略について
なんですが冒頭にお伝えしてきます。
これですね。
サイブレイクではないです。
ほう。
サイブレイクというのは
一回ヒットしたんだけど
サイブレイクが下がっちゃったから
でも何か起爆剤が入られてズドン
っていうのがサイブレイクです。
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ではないんですよ。
みんな割とそういう認識じゃないですか。
ハイボールってまた来たよね。
おじさんたちの飲み物だよね。
これは
ハイボールじゃなくてウイスキーの
サイブレイクなんですよ。
なるほど。
ウイスキーは
もちろん最初バーン来て
確かにいろいろ後でご説明しますけど
右肩下がりになってしまい
ハイボールを起源にまた
伸びたっていうのは正しいです。
なので皆さんハイボールって
実は
もちろん昔は
いろいろ飲み方の中でありましたが
近年の飲み物だと思ってください。
なるほど。
そうすると話が聞きやすいんで。
なるほどね。
これはなかなかいいスタートだよ。
ありがとうございます。
興味もらってます?
どんどん自分の中でこういうのかなって
考えててそっちに向かっていくのが
楽しみにしてます。
ありがとうございます。
ベースの話です。
今回
アドバタラジオ初の
二話構成になります。
二部構成でお届けする。
毎回内容を
切って話してますけど
二部構成なんで。
飲みます?
飲みますよ。
それは
入れるものってことだよね。
まず
お店によればあれですけど
メーカーズマークとか
メーカーズマークもしくは
格ですね。
僕も一緒です。
僕もメーカーズマーク大好きです。
不思議なことで
ウィスキーといったら
全部ほぼサントリーなんですよ。
唯一
ニッカとかね。
ありますけど
みんなだいたい知ってるのって
サントリーなんですよ。
ブラック
ニッカ
もちろんメーカーズマークもそうですし
山崎白州
意外と
僕だからそれぞれのブランド
ごとは知ってましたけど全部サントリー
だったっていうのは今回勉強して
初めて知ったんですよ。
じゃあ別に何かそれだけいっぱいやってないから
そんなヒットなんてさせる必要ないじゃない
と思っちゃうよね。
基本的なので
みなさん思ってる以上に
日本に流通しているウィスキーは
サントリーであると。
それがまず
なぜなのかって話からしなきゃいけないんですよ。
なるほど。いいですよ。
興味深いですよ。
やっぱりなぜサントリー
イコールウィスキー
ウィスキーイコールサントリーですね。
なのかっていうところから
お話するんですけどこれ歴史の話もあります。
はい。
まずですね
皆さん創業者の方知ってます?
カジさんですよね。
トリーさんですね。
トリー新次郎さんです。
この人は1879年
明治生まれなんですけど
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この人だけでもずいぶん話せちゃうんですよ。
この前
イジュインさんが初日お書きになって
琥珀の夢っていう
いいですよ。
それからいろいろ切磋琢磨して
大きくなっていくっていう話をされてましたね。
まずトリーさんっていう人
サントリーの創業者の方なんです。
この人。
そこの方からバッと説明するんですけど
この人はすごい優秀な方で
学業も優秀で
ポンポンと今じゃありえないんですけどね
飛ばして年次を
勉強されてたんですけど
この人は仕事使えた時に
薬酒豚屋さん
薬を調合する
豚屋さんに
最初に務め
ここで薬の豚屋なんで
お酒とかも海外から輸入するんですよ。
薬と同じように
そこで
調合と
薬の勉強をするんですよ。
なるほどなるほど。
明治なんで
薬の技術がすごく盛んだ時ですね。
そこから
染料豚屋
染める
染料だね。
そこでも
色の調合だったり
薬酒豚屋の時が
すごく生きたらしいんですけど
染め物をやってらっしゃって
そこから
生まれて20歳の時に
トリー商店っていうのを
開業するんですよ。
ここでは
色々取り扱いながらも
トリーさんは
調合の
力がすごく強くて
英語で言えばブレンダーですね。
ブレンダーです。
ブレンダーとして
すごい
色んな
ことをやられてたんですけど
その中で混合ワインっていうのが
ヒット作として生まれるんですよ。
混合ワイン。
渋いレンミングだね。
その時のワインって
日本で作れなかったから
混ぜたりとかして
やってたんですけど
日本人に向いてるワイン
当然のように
甘みとか
色とか
そういうのをトリーさんが分かってたから
それが爆発的に売れたんですって。
なるほど。
混合ワインっていうのが。
それをトリー商店ではなくて
お酒に振って
ことぶき屋洋酒店
っていうお店に変えたんですよ。
そこでことぶき屋が出てくる。
そこら辺も分かります。
もちろん。
そこから分かります。
そこで洋酒店っていう名前を
付けたことで
お酒を売る会社ですって形にしたんですよね。
これだけでも話長いんですけど。
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でもいいですよ。面白いです。
ありがとうございます。
ここからさっきの混合ワインの話があったんですけど
さらにヒットするのが
赤玉ポートワインっていうのが
これをトリーさんによって
生み出されたんですよ。
これ大成功。
日本初のヌードポスターですよ。
数年前ですが
そのモデルをやったおばあちゃんと
ポスターが再開したんですね。
え?鳥肌立った?
今でもネット検索していただければ
その時のポスターを
保存していた
綺麗なピン皿のポスターと
年を取った
70年か80年経った
そのおばあちゃん
90何歳だよね。
そのおばあちゃんとこうやって一緒に
写ってるっていう
日本初の
ヌードポスターの
一人目の女性ということで
ちょっと前にヤフーニュースに載っていた
ところと記憶して
すみませんちょっと挟んじゃった。
でもすごい有益な
まさかの角度から来ましたね。
その赤玉ポートワインっていう
商品がバカ売れしたんですよ。
これもさっきの話みたいに
やっぱり鳥居さんだから分かる
調合とかで
すごい巷で
飲まれてたって言うんですけど
これですね
ちょっと話ずれちゃうんですけど
この赤玉ポートワイン
っていうのがサントリー
社名のきっかけでもあるんですよ。
サントリーって
なぜサントリーって
言うか知ってます?
一回調べたことがあるのよ。
要は
鳥居さんじゃない?
そうです。
鳥居さんが
あ
要は赤玉ポートワインの
あそこの後ろに
要は太陽が
ここのように
赤い瓶のとこに
これがサンですね。
よろしかったでしょうか。
でも違いますね。
続けてください。
もっと自信持って言ってくださいよ。
いや、分かんないのよ。
もしかしたら記憶違いなのかなと思って。
えっとですね。
正解なんですよ。
合ってて
あそこのラベルに
日が昇ってるじゃないですか。
あの太陽
と鳥居っていう名前で
サントリーっていう名前です。
なるって言うほどこの赤玉ポートワインは
サントリーにおいて
大事な商品だったんですよ。
バカ売れヒット商品。
ヒット商品のところから借り受けて
そこで自分の喋りをしたと。
サントリーに変えたのはもっと後の話なんですけど。
そうなんですね。
っていう名前です。
で
赤玉ポートワインっていう商品が
バカ売れしたそのお金を
使って鳥居さんが
日本製のワインを
日本製のウイスキーを
作り始めるんですよ。
12:01
なるほど。
すごい利益を全部投資して
ウイスキーに。
そうなれば周りの者たちは
ど反対しますよね。
超反対してて。
なぜか
みんながすごく反対したかというと
まず
ウイスキーを日本で作るなんて
研究がまずない。
その当時は。
ウイスキーは熟成に5年かかるんですよ。
最低でも。
すぐに利益が出るものじゃない。
だから5年間は
金を溶かし続けなきゃいけないと。
しかも成功するかもわからない。
そう。
っていう大博打をされたんですね。
なるほど。
ただそこにはウイスキーに対する
憧れだったりとかトリーさんが持っている。
もちろんその時メイジだったりするんで
人との交流が多かった時代もあって
日本製を作りたかった。
もちろん
日本製は今ではないし。
というところで
赤玉ポートワインで稼いだ
金を全額
誇張してるかもしれないけど
バコンと投資して
日本製ウイスキーに着手するんですよ。
ここで
1899年に
トリー商店ができて
1911年に
混成ウイスキー
ヘルメスウイスキーというのを作るんですよ。
混成ウイスキー
ヘルメスウイスキー
混ぜてるんですよ。
混成なので。
ブレンドだね。
これは日本発というわけでもないらしいんですけど
でもそれとしては
サントリーとしては初めて
ウイスキーというのを出しました。
純日本で作った
ウイスキーという形ではなくて
それを作ったんですけど
大失敗したらしいんですよ。
売れなかった。
ステン行きましたね。
とはいえ
ウイスキー事業
諦めることもなく
ここから出てくるのがキーパーソン
1923年
竹鶴正隆さん
この人はご存知の通り
マッサン
NHKの
モデルとなった人ですね。
亀山さんでしたっけ?
竹鶴さんというのが
ヘッドハンティングされるんですよ。
この人はスコットランドから
日本に戻ってきた時に
ヘッドハンティングされたんですけど
その時の
港には
鳥居さんだったりとか
朝日の創業者の人とか
早々たるメンバーが
彼を待ってたらしいんですよ。
うちで土屋さんを
そこを鳥居さんが
捕まえてヘッドハンティングして
ウイスキーを作るとは何ぞや
というのを教えてほしい
というところで
彼をコトブキ屋
用紙店に
招き入れたと
皆さんが
マッサン知ってる方だったら
分かると思うんですけど
15:01
この方ですね
その後の
辞められるんですけど
日華
を作られて
日華夜市ですよね
北海道で作られて
作って
日華という会社は
日華ウイスキーか
朝日に
の子会社なんですよね
アサントリーで
ウイスキーを作り
自分でやって
朝日に
という歴史があるんです
日華ウイスキーの
居は難しいもの居ですね
ウイスキーの
マッサンの
タケツルといって
ありますからね
この人結構いろんな
メディアではウイスキーの
父と言われてますけども
意外とそういう出会いが
あったり
このタケツルさんをヘッドハンティング
して
ついですね
1919年ですね
京都府に山崎
山崎と
京都府山崎に
重量場を
作ると
水だね
この水の話も
面白くて
日本各地の水を集めて
スコットランドの
ハクセに
チェックしてもらってどこの水がいいか
ってやり取りして
そこでオッケー
というのが京都府の山崎
何もあれですよ
メール便とか
移動中に劣化してるんじゃないか
って水が
山崎に作ると
上流所
面白いですか
面白い
だって俺
白州行ったもん
旅行で
その時の広告とか
展示されてるの
大好きですよ
調べるまで全然知らなかった話なんですよ
なるほど
山崎ってここにあるんだみたいな
ここで話がずれ込んじゃうかも
しれませんけども
琴吹屋のところに
琴吹屋宣伝部っていうのがあったんです
それが
当時の売れっ子作家たちだったんですね
山口ひとみ
とか海光たかし
海光けんさんとか
海光さんとか
あと
イラストレーションを
お書きになった
有名な
ハイボールのあの時の
書くしたイラストレーション
お書きになった方がいらっしゃったんです
トリスハイボールの
トリスのキャラクター
トリスのキャラクターを書いた人たちが
サントリーの
広告だけを作る宣伝部ですね
そこから
サントリーの宣伝部から
えー
文章化した形
18:01
それが今のサンアドですから
なるほど
という話もあったりもします
これやばいですね
2本立てしようと思ったら3本立てですね
まあそうです
本当にだからそういう
芥川賞とか直樹賞とかを取った
作家さんたちが
集められて
サントリーの広告を
いよいよ
円溜めにしていこうと
今でも検索していただければ
分かりますが
えー
ことぶき屋宣伝部から
サントリー宣伝部になる
芥川賞の時から豆本というのを作ったんです
サントリーの
お酒の知識のことを
面白おかしく書く
本当に豆本というのが
そこには本当に
有名な作家さんとか
イラストレーターとかが
もうただでもいい
みんな書いてくれて
今それ全感想っていうのはかなりいい
僕も一つ
持ってたんだけど今ちょっと
あげちゃいましたけど人にね
まあそういうこうサントリー
まあ多分これから確実に
出てくるフレーザーのことは
僕はもちろん知ってる
残してるでしょ 僕もそれは言いませんよ
あの
鳥居さんが作ったというか
部下の人たちに
言っているあのフレーズっていうのは
本当に今でも残っている
本当にそういう風に僕は思っていますね
いいですかじゃあ
話し戻してサントリーのところから
疲れさせていただきます
すみませんすみません
でですね
どこまで話したっけ
ごめん
でですね山崎
重量場
作るんですけど
上流場ですね僕言い方間違えてる
上流場
山崎
じゃあちょっと戻しますね
2019年に京都府の山崎に
上流場を作りますと
でですね
そこからやっぱり時間がかかったんですね
10年後
1929年に
日本初の国産ウイスキー
白札っていうのができるんですよ
白札知らないね
やっぱね知らない通りで
売れなかったんですよ
なぜならスモーキーすぎると
やっぱ一発目
だとはやっぱそこで
やりながら
改善していくっていう
ところを考えたときに
やっぱスモーキーすぎて
評判が良くなかったんです日本人とっては
なるほど
だからやっぱ諦めないですよね
諦めないね
1937年
核誕生なんですよ
なるほど
核がそこで
核誕生されると
やっぱりその
21:01
1919年に山崎の
受領場
上流場
上流場を作ってから
まあ28年かかってんすよ
核を作るまで
一回白札あるけど
18年
18年かかってんすよ
でやっぱりさっき話したように
寝かせなきゃいけない
5年かかって
そこから出荷してだったりすると
そうだよね
相当時間かかった中で核誕生と
これが売れたんすよ
それですよね今も残ってます
そう
ただですよ
みなさんこれ
勘違いされてるんですけど
商品名じゃないですよ
あれサントリーウィスキー
って書いてあるんですよ
サントリーウィスキー
核っていう
字は
一つも書いてないんですよ
瓶の中には
ラベルには
ただみんなが核瓶
核だから
それはまず
形
で核だっていう話
ありつつも
これですね
発売当初は核瓶という名ではなく
やがて食卓に
馴染んでいくと
いつしか瓶のフォルムが
核バッテリーから
核って呼ばれ始めたんですけど
これですね
気候模様なんですよ
なるほど
分かります
気候模様っていうのは
気候模様と
黄色のラベルっていうのは
縁起がいいもんなんです
80年以上かかっても
全く変わってないです
そういうのも
すごく大事にされてて
さつま
さつまキリコか
さつまキリコをモチーフにしてるんですよ
だからすごく有所正しいものとして
デザインされてて
みんなが核核って
言うから
一回商標登録を
しようとしたらしいんですよ
ただ
瓶の形状を表しただけ
っていう理由で一度
登録を拒絶されたらしいんですよ
これ関係ないじゃん
ただそこを
何度も広く認知されてるから
っていうところで
押し通したらしいんですけど
ある意味
あそこのラベルにはサントリービスキーと書いてあるんですけど
核というのはない
でも商標としては核です
だけど今でも瓶に核は書いてない
だからあくまでも相性として
相性が商品名に
登録されちゃってるっていう
不思議なケースなんですよ
今でもCMでは核って
コミュニケーションで出てきますから
だから核がそこで大ヒットしたと
そっから
24:01
3年後とかに
オールド
サントリーオールド
で出てきたり
それが1940年か
1946年にはトリス
っていろいろ出てくるんですけど
サントリーオールドは
これは画期的な話があって
ダルマだね
ダルマではなく
形がダルマ
形はダルマだね
ダルマという愛称だね
ウイスキーって
食前か食後酒として飲まれてたんですよ
ただここのオールドから
水割りっていうのが出てきたんですよ
だから食事中でも飲めるものとして
爆発的に流行ったんですよ
なるほどね
それってなぜかというと
度数の問題だったりもするんですよ
強すぎると
食事中に飲むと合わない
から
水割りすることで
ちょうどいいパーセンテージも
若干下がり
食事にも合いやすい
食事中の
食中酒ですね
として流行ったことが
それのマーケット開いたことで
ウイスキーが
割と大衆化したっていうのもあるんですよ
オールドはそれはいいきっかけだったりするんですよ
なるほどね
オールドっていうね
トリスはですね
すごい歴史的なものだったりしていて
サントリーウイスキーがアメリカで
ジャパニーズウイスキーとして
初めてラベル登録の認証を受けたんですよ
これって要するに
アメリカだったりとか
カナディアンのように
一個のジャンルとして認知されたっていう
これはすごいトリスは喜んだらしいです
なるほどね
ついにと
それが1946年
なるほど
面白いですよね
トリー商店じゃなくて
トリー商店化を
お作りになったのは何年でしたっけ
これが
1899年
50何年か
そうだね
それでとうとう世界に
売って出たんだ
ジャパニーズウイスキーとして
面白いですよね
彼の頑張り
っていうところが大きかったんですけど
先ほど話した通り
ウイスキーって
ブレンドする能力が
すごい大事らしいんですよ
つまりブレンダーで
いかようにでも
そういう意味だとトリーさんって
めちゃくちゃ
ブレンダーとして
優秀らしく
27:01
みんなびっくりする
これ結構一話が
いろいろ残ってるんでぜひ調べてほしいんですけど
そういう有名な方だったらしいです
ブレンダーとして
はいはい
ここで一回
挟ませてもらうと
サントリーは
今の社長より前は
みんな
家族経営だったんですよね
そうですね
家族経営
そうですね
最初が初代トリーさん
次が長男の方が
トリーさんになってしまって
次男の方が
二代目の
サジケイゾーさん
っていう方だったんですね
そこから
長男の
息子さん
長男の息子さん?
そうです
長男の息子さん
トリーさんですね
そこから
一個戻って
サジケイゾーさんの息子
サジノブタダさんかな
そうだね
その方が今
今の社長の
一つ前なんですよ
次の社長
今の社長が
そうです
ローソンです
ローソンだった
ローソンの
元社長を
ヘッドハンティングして
その前に顧問になってたんですよ
ここで初めて
外部の人入れたんですよ
5代目は
初外部
ただ6代目は
おそらく
戻るんじゃなかろうかと
トリーさんに
さっき3代目の
トリー新一郎さんの息子さんの
トリーノブヒロさんに
ただ基本
脈々と
継承されている会社では
あったと
ニーミさんが入って
変革を起こそうか
というところでは絶賛ある
状態なんですけど
この家庭
継承されているのは
マスターブレンダー
の称号
というのも継承されておりまして
これは
ニーナミさんも持ってなかったんですよ
調べたら
トリーもしくは
サジケのみ
それが継承されている
はず
というので
トリー系サジケというのは
鼻も
舌も
30:01
とても優秀な家系
そういうプレッシャーもあるんでしょうね
基本的には
脈々と
引き継がれているものである
というところで
今回
トリーさん
ここまでが
トリーさんの歴史だったりするので
そこからさらに
ここからどういう動きがあって
ウイスキー
というものが
より認知されていった
その前に
右肩下がりになっていくのか
という話をさせていただきます
そこからいかに
どんなことが起こったのか
次週配信させていただきますので
よろしくお願いいたします
非常に楽しかったですよ
ありがとうございます
よろしくお願いします