それでは初めにですが、お二人の略歴をですね、私の方から簡単にご紹介をしたいと思います。
まずですね、初めに酒井監督からご紹介させていただきますが、
酒井博之さんはですね、東京都北区のご出身でございまして、
大東文化大学ラグビー部ではですね、
リーグ戦と選手権の2冠の優勝をご経験されております。
大学卒業後は株式会社リコーに入社されて、
ラグビー部でご活躍され、2002年に現役引退をされました。
その後ですね、2023年から大東文化大学ラグビー部の監督を務められております。
北区のラグビーといえばですね、酒井さんしかいないというような形で、
その中心的存在でいらっしゃいますので、酒井さん、今年もどうぞよろしくお願いいたします。
さあ、そして上取博之さんですが、大阪府のご出身でございますね。
現役時代のポジションはフランカーナンバー8ということで、
明治大学ラグビー部では1年、2年、そして4年次に全国大学ラグビー選手権で優勝されました。
社会人は選手として株式会社リコーにご入社されて活躍をされまして、
2006年に現役を引退されております。
その後、2013年からリコーの監督に就任されましたが、
2021年に母校の明治大学ラグビー部の監督に就任して、
今年の1月に全国大学選手権に7大会ぶり14度目ですかね、優勝を果たされたということで、
現在はリコーの方にですね、戻られているということでお聞きしております。
たった今ご紹介しましたが、リコーという共通のワードが出てまいりましたけれども、
なんとお二人はリコーご出身ということで、同じチームで戦った先輩後輩ということでよろしいんですよね。
どちらが先輩でしたか、坂井さんがご先輩。
2歳年上でしたっけ?
はい、そうです。
どうだったんでしょうか、リコー時代のお二人の関係というのは、
切磋琢磨をされていたと思うんですけれども。
ポジションが違うので切磋琢磨していないんですけれども。
本日はご来場誠にありがとうございます。
そうですね、リコー時代の思い出と言いますと、ご覧の通り坂井裕之、神取裕之と言いましてですね。
僕ら二個違いなんですけど、実はこの間にもう一人田沼裕之というのがいまして、佐藤裕之というのがいまして、
特に田沼というのはですね、ご存知の方もいらっしゃるかと思うんですけど、
日本代表でワールドカップにも2回出てまして、
田沼もすごい選手ではあるんですけれども、田沼のお母さんというのがすごくてですね、
田沼ママと言われてまして。
本当に一人フーリーがあると言われてましてですね。
スタンドからヒヨク、ヒヨク!
ヒヨク、ヒヨク!
そんなんで広く広くと言われて、僕ら振り向いていまして。
これがリコーの試合だけじゃなく海外でもいいんですね。
僕らちょうど96年ですかね。
南アフリカで行われた学生ワールドカップっていうのに出場したんですけども、
その時にはまだ亀沢大学生でしたね。
そうですね。
大学生で、僕と田沼はリコーから行って、亀沢と行った時も南アフリカでもヒヨク、ヒヨク!
そんな間からです。
よろしくお願いします。
田沼さんの情報はございましたか?
今盛んにおっしゃっていました。
田沼さんはリコーでロックをやられていて、
もちろん日本代表なんですけども、
北区のラグビー協会にも非常に前向きな方で、
我々のイベントとか、
この協会の創立記念パーティーの中にもお越しいただいて、
明後日も区でやる教室があるので、そちらにもいらっしゃるというふうに伺っています。
分かりました。ありがとうございます。
逆に坂井監督の印象というのは、嫌だったんでしょうか?
よろしくお願いします。
この通りです。このままだと変わらないですね。
自分が今話した南アフリカの学生日本代表です。
その時は学生日本代表なんですけど、
まだ若手の社会人チームの選手たちに入れる年齢縛りの代表だったので、
私は大学4年生で、田沼さんと坂井さんもいて、
当時まだ私の行き先をどこにするか決めていなかったんですけど、
南アフリカでずっとリコーを超えて誘ってもらった。
ほぼ監禁状態で、返事するまで部屋を出さないと言われていたような思い出がありますし、
入ってからもすごくかわいがってもらって、一緒にプレイした経験がすごく残っていますね。
いい先輩ということでよろしいですね。
間違いないです。めちゃくちゃ楽しい先輩でした。
ありがとうございます。
二人リコー出身ということで、そういう共通な話題があるわけなんですけども、
現役時代についてお聞きしたいと思っているんですけども、
神取さんにご質問なんですけども、
選手時代、現役時代、大学社会人を通じてですね、
ご自身ではどんな選手だったと思うんですかね。
プレーの特徴とか、何か得意なプレーとかですね、その辺はいかがだったでしょうか。
身体は当時はまだある方だったんで、今はもう何倍ずつだとこのサイズ小さいくらいかもしれません。
当時だとまだ大きい方だったんで、やっぱりボールを持ってプレーするのが好きだったんで、
ディフェンシブというよりは、ボールを持って捉えとるっていうのが、
常にそればっかり狙ってたっていう。
前に出て、相手を吹き飛ばして、それに快感を覚えてっていう。
そういう選手だったかなって思いますね。
坂井監督は、現役時代の神取さんのプレーの印象って何か覚えあたるものありますか。
明治大学のナンバー8として入部してきてくれたんですけども、
その頃からやっぱりナンバー8っていうのは結構外国人選手が増えてたんですけど、
理工は神取くんが8でやってくれてて、やっぱり豪快な突破力は魅力的でしたね。
明治大学といえばですね、いろんな歴代監督がいらっしゃると思うんですけども、
その中でも特に北島聖司監督が最も有名なんですけども、
北島雄大の印象や思い出、エピソードを含めて何かあったら教えていただきたいんですけど。
北島先生、よくこういう場で聞かれることが多いんですけど、
その時よく必ず私が言ってるのが、4年生の時に北島先生が亡くなられてるんですね。
本当に最後の世代っていうふうにOBの方々からも言われてて、
北島先生に直接指導を受けられたギリギリ最後の世代でしたので、
実は私4年生の時に先生の質疑を持たせてもらったりとか、
本当にチームのリーダーでもあった、キャプテンではなかったんですけどリーダーだったので、
当時のキャプテンと私と主要のOBの方で北島先生の質疑を持たせてもらって、
それを八幡山の寮からブランドまで運んで、
その真ん中に置いてみんなで周りを囲って、最後手を合わせて見送りしたっていう、
そういう貴重な体験をさせてもらえたので、本当に私にとってはありがたい財産というか。
あと1年生の時に、まだ先生お元気だった頃に、
これよく話している内容なんですけど、
僕本当に1年生で合宿所の前を掃除してたらですね、
ちょうど北島先生の家って合宿所の目の前にあったんで、
先生が杖ついて出てこられて、自分を見つけておいって呼ばれて、
1万円渡されてタバコ買ってきてくれって言われて、赤いラークだったんですけど当時。
僕1万円受け取って、1年生で本当に右も左もわかんなくて、
北島中司だと思いながら、その1万円握りしめて下のタバコ屋さんに行って、
赤のラークを買って先生の家まで持っていったら、杖でパンって頭叩かれて、
買えるだけ全部だって言われて。
250円だったんですけど、1万円でお釣りでたくさん渡したら、
これで買えるだけ全部買ってこいって言われて、もう1回走って買いに行ったっていうのは、
本当に僕にとって貴重な。
貴重なエピソードですね。
そうですね。
本当にそういった意味で、一緒に共に時間を過ごさせてもらえると本当にありがたかったなと思っています。
なるほど。
ご自身が最も影響を受けた指導者の1人ということが言えるんでしょうね、きっと。
直接教えてもらったことってほとんどないんですけど、
でもやっぱり存在感はすごくあったので、
自分にとっては本当に貴重な指導者なんですよね。
存在感がすごかったってことですね。
坂井一監督からはどうですか、北島聡司監督。
なんて作戦が、本当有名人になっちゃってましたね。
やっぱりたまに当時の、それこそ神取さんの試合とかをYouTubeで見たりすると、
監督がカメラで向かわれたりするんですね。
明治大学の北島監督です。
タバコ吸ってるんですね。
試合中でも吸ってましたね。
こうやってタバコ吸ってるのが、昭和というか平成の初期ですかね、
の時代を匂わすというか。
ただやっぱりああいう、ちょっと羨ましかったですね。
名物監督みたいな方がいらっしゃって、
すごい気になりましたね。
自分が4年の最後戦った時、
敵ではありましたけど、スタンドに北島先生がいらっしゃるような、
なんていうんですかね、ちょっと湧いて、ちょっと体調が落ちたんですかね。
北島先生が久々に試合を見に来るっていうので、
ちょっと人だかりができて、すごいなって分かりましたね。
あと北島先生が亡くなられた時、
上市さんが4年戦の時ですかね。
その思い出というか、見てて。
明治大学の襟が黒だった。
初代だよね。
あの年だけですね。
あれもやっぱり思い出に残ってますね。
やはり存在の大きさというのがまずあって、
いろんな方に影響を与えてたということを得るんでしょうね、きっと。
ありがとうございます。
昨年度の明治について、ちょっとお聞きしたいんですけども、
大学選手権に優勝いたしました。
昨年度の明治大学のラグビーの最大の特徴というんですかね、
ちょっとこれを振り返っていただいてですね、
どういったチームの作り方というか、仕上げ方、戦い方、
初戦、筑波大に確か負けてそれがスタートした。
どう立て直したかとか、存在をお聞きしたいなと思うんですけど、よろしいでしょうかね。
ラグビーの特徴というのは明治ってあんまり変わらないと僕は思っています。
当然時代に合わせてバージョンアップしていっているところもあるんですけど、
最近ではバックスも入っているので、バックスの選手もいい選手いますけれども、
基本はやっぱり強いフォワードの軸にセットプレーを圧倒して前に進んでいくというラグビーは変わっていないので、
ラグビーのスタイルにおいてはどの時代においても変わっていないんですけど、
去年のチームにおいて一番大きな特徴といえば、
本当に4年生の結束力というのがすごく大きかったと思っています。
それは5年間とやっている中で、どの世代もみんないい学生たちだったんですけど、
中でも4年生がまとまっていたというのはすごく印象的だったかなと思います。
学生って4年生のスポーツなのでよく乗れるんですけど、
いかに4年生がしっかりしているかというのはすごく大事で、
去年うちの場合、筑波に負ける前にも不祥事を起こしてしまって世間の方にご迷惑をかけたりして、
いろんな失敗を得ながら学生たちがまとまっていったというのは、
結果的にラグビーのパフォーマンスにつながったんじゃないかと。
まとまるというのは、つまり一試合に出ていない選手も届いているわけで、
出ていない選手たちも本当にこのチームで勝ちたいとか、
このチームのためにどうすればいいかということを真剣に考えるような流れに、
シーズンが深まるごとにどんどんなっていった。
それが結果につながったのかなというふうには、僕は個人的には思っています。
なるほど。やはりチームの結束力、一体感、それがあってこそということなんでしょうかね。
簡単なシーズンではなかったということですね。
そうですね。いろんなことがあったので、すごいジェットコースターみたいな。
ジェットコースター。
1年でしたよね。
小宮山さんもちょっとご覧になったと思うんですけれども、
明治といえば前衛というラグビーなんですけれども、
昨シーズン、小宮山さんがご覧になっていた明治のラグビーというのは、いかがだったでしょうか。
よく皆さんご存知の前衛とあるんですけれども、
今上取さんがおっしゃったように、去年は本当にバックスが良くて、
スタンドオフの伊藤さん、伊藤君も始め、
バックスがこんだけ強い時の明治って怖いなというのを、
まざまざと見ていて感じていました。
なるほど。
そうですね。上取さん、ご自身が初めて監督として優勝を経験されたということだったと思うんですけれども、
その瞬間というんですか、その時の思い、感想というのはどうだったんでしょうか。
すごい感動だったかな。
5シーズンですよね、監督。
はい。
そうですよね。
でも覚えているのは、
これは安田大学さんのオービーの方々とかがいたら、
ちょっと失礼になるかもしれないんですけれども、
決勝戦、すごい安心して見れたという感じだったんですね。
それだけ学生たちの結束と成長がピークに達したのが決勝戦だったので、
試合を見ていて、監督5年と理工でも8年やっているので、
いつも5シーズンバクバクしますよね。
本当にバクバクするんですけれども、
あの決勝戦だけをすごい不思議と落ち着いて見れたというのは、
初めての感覚だったというのは、それが結果につながったのかなと。
なるほど。
正直、勝負は最後の最後まで分からないというのは、今でも僕もそう思っているんですけれども、
前半終わった時に、今日勝てるんじゃないかなという感覚を持つくらい、
安心して見れるようなゲームだったので、
優勝した瞬間は、やったなという感じにならなかったというか、
やっぱり勝ったなという感じだった。
そういった意味では、話を前後しちゃうんですけれども、
対抗戦の提供戦があったんですね。
これもこのチーム成長するために、結果的にすごい大事な試合だったんですけれども、
あの試合の方が生きた心地がしなかったという感じでしたね。
優勝した瞬間は、優勝したなという、ちょっと監視している自分がいたような感じでしたね。
なるほど、分かりました。
ありがとうございます。
先ほど一体感、結束というような話もあったんですけれども、
盆時徹底というキーワード、言葉が頻繁に使われていると思うんですけれども、
どのようなことを意識して選手に対して指導されているのか、
その辺はいかがでしょうか。
選手がこういう変わり方をしたとかですね、
何かそういったことで、気持ちの中で相手に伝えることによって何か変化が起きたとかですね、
それはいかがでしょうか。
自分実は理工の監督をやっていた時に使っていた言葉なんですね。
なるほど。
なので、何かこう選手たちにキャッチって言ったら変ですけど、
チームをまとめていく上で何か良い言葉がないかなって言った時に、
当時のマネージャーがこういう言葉どうですかみたいな感じで、
話をいろいろしている中で生まれたんですけれども、
要はその通りなんですね。
当たり前のことを徹底するっていうことなんですけど、
当たり前って何?っていうところを選手たちにイメージ付けさせる作業は結構やってたんですけれども、
例えばラグビーの試合においても、よく言うんですけど、
80分間ある中で、
実際に選手がボールを持っている時間帯ってどれくらいあると思いますか?
っていうような質問を選手にするんですね。
これちょっといろいろ全部あるんですけど、
単純に言うと1分しか持っていない。
もっと持っていない選手もいるんですけど、
1分ですか?
1分だけなんですよ。
1人の選手が試合の中でボールを持っている時間帯っていうのは、
9番10番みたいなポジション特性で触る選手はちょっと触る時間はあるんですけど、
単純に慣らすとですね。
じゃあ残りの79分どうしますか?っていうような話とか、
ボールを持っていない時間帯はあなたはどういう態度ですか?とか、
あと練習時間は24時間の中で、
明治の場合は2時間くらいしかやってないんですけども、
じゃあ残りの22時間どうしますか?っていう話だったりとか、
人って当たり前のスポットライトを浴びている時間っていうのは一生懸命やるんですけど、
そのうち他の時間帯って結構自分にすごく委ねられる。
そこで当たり前のことを当たり前にできないと、
いくら練習の時だけ、ボールを持った時だけ、
試合の時だけ頑張ってもダメじゃないの?っていう話をしながら、
選手たちと打てたっていうところがあるので、
学校に行くか行かないかっていう、
瞬間瞬間の正しい選択をできる選手。
寝た方が楽だけれども、
学校に行かなきゃいけないっていう決断をするときに正しい選手を選べるとか、
そういう勝負の積み重ねに勝っていかないと、
最終的に自分たちが求めているものを得られないんじゃないかっていう話を。
そういうところで、ボンジテッドで当たり前のことをちゃんと当たり前にできる選手が、
やっぱり本当に日本一になれるっていうことを常に言ってたっていう感じですかね。
なるほど。
先ほどですね、今ちょうどサッカーのワールドカップやってますけども、
先ほどお聞きしたら、日本大学の森安監督が、
ボンジテッドって言葉を使い始めた。
これは上取さんの方が先ですね。
上取さんの方が先なんですね、それは。
ですよね。
そういった非常にいいワードっていうか、
言葉で選手に伝えるっていうことの重みというかですね、
それが非常に伝えるような言葉かなと思うんですけども、
坂井監督はいかがですかね、
選手に伝えるときの意識している言葉とか、
何かそういったものはあるんでしょうか。
そうですね、言葉が大事ですね。
自分だけ伝えても伝わってなければ意味がないので、
言葉選びはすごい慎重にしてますね。
だから別にかっこよくなくてもよくて、
そのチームとかその選手たちに合う言葉をよく考えてますね。
正確に伝えるってことは、気持ちがきちんと伝わらないと
やっぱりチームとしてまとまっていかないってことがありになるでしょうね。
特にチームのスローガンだったり、
チームの中での流行語対象じゃないですか、
そういうぐらいみんなが口にするようになっていくと
引いているのかなと思ったり、
自己満足じゃなくちゃんと響くような言葉選びはいつも考えてます。
ありがとうございます。
さて、ちょっと次もお聞きしたいなと思っているんですけども、
これは会場の皆さんもぜひ気になるところだと思うんですが、
上鳥さん、理工の監督から明治大学の監督に就任されたんですけども、
これ皆さん驚かれた方も非常にいらっしゃると思うんですが、
この経緯とか決め手っていうんですかね、
当時どういった決断で僕の明治大学の監督を引き受けになったのかっていう、
そこを皆さんお聞きしたいなと思うんですけども、いかがでしょうかね。
これは、私理工のブラックラウンズの監督をやっていた、
7年目、8年務めたんですけど、7年目のシーズンが終わったシーズンオフだったかな、
の時に明治大学の前監督の田中興典監督から連絡をもらいまして、
ちょっと会いませんかっていう話で電話をもらったんですね。
そういう電話のやりとりっていうのは過去にも何度かあって、
私はブラックラウンズの監督をやっていた時って言ったら、
当時GMも兼務していましたので、電話のマネージャーも兼務していまして、
大学生の有望な選手をリクルートする最終責任者でもあったので、
よく当時の田中興典監督が明治の監督でしたので、
有望な選手の情報交換であったりとか、その選手がどこに行くとか、
その学生がどこに興味を持っているみたいなやりとりをするために
頻繁に連絡もとっていたので、逆もしっかり明治大学の選手の
こういう選手をリクルートで取ってくれませんかみたいな相談もされたりもしたので、
今回もそういう話かなと思って会いに行ったら、
来年監督やってくれませんかっていう話を唐突にされたところが、
思えもしなかったので、
もう10年ぐらいやるんじゃないの?っていうふうに言ったんですけど、
彼もサントリーからの出向の立場でしたので、
長くできるわけじゃないので、
しっかりとチームを引き継げる人材を探していかなきゃいけないんですっていうふうな説明をされて、
ちょっと予想もしてなかったので、
私もこういうプロで行ける立場ではないので、
一旦話を持ち帰らせてほしいということで帰ったということで、
ただ、個人的に北島中二のポジションに自分がつくなんて、
人生の中で考えてもいなかったので、
正直ちょっと弱腰になりかけたと思ったんですけど、
多分最初ファーストインプレッションとしては、やっぱりやってみたいと思ったんでしょうね。きっと。
周りの方の理解もあって、
特に立候補の当時の山下社長は、今は会長なんですけれども、
直属の上司は、私は人事担当の役員の方だったので、
この人に相談すれば多分いけるだろうと思って、
明治から監督の方がいたんですけど、
どうしましょうかって話をしたら、
私決められないって言われて、社長のところに行こうと。
前例がなさすぎて、
こういう本業以外のところに出向するなんていうのは。
山下さんのところに行って相談したら、
もう開校一番、そんな名誉のことはないっていう。
立候補のために行ってこいって言ってくれて。
そういう周りの方の声もいただきながら、
最終的には家族とも相談して、
監督さんからも、
なかなかね、こんなやりたくてもできないような仕事をね、
やってほしいって言われるなんて、
なかなかないんじゃないの?って言われて。
行ってこい、やったらいいんじゃないの?みたいなことを言われて。
自分自身も、あの時やっとけばよかったって後悔するよりは、
進んでみようっていうことで。
1週間から10日くらいに、
田中監督に返事をしたという。
そうですか。
原因でしたね。
やはり相当悩まれますよね。
時間的には10日くらいかかったんですけど、
やっぱり自分の気持ちの中っていうのはね、
聞いた時の瞬間っていうのは多分今となればですけど、
やっぱりありがたいな、やりたいなって思いは多分あったんだろうなと。
ただ、そこに至るまでにいろんな方の理解とサポートと、
背中を押してくれる方々がいたっていうのは、
感謝ですかねっていうところですね。
小宮山さん、このニュース聞かれた時は、
相当びっくりされたんじゃないですか?
そうですね。
社会人のほうの監督から大学ってそんなにいなくて、
大学で結構頑張ったから、
例えば早稲田の清宮監督が上行くとか、
いうのはあったと思うんですけども、
それほど社会人くらい大学ってあんまりなかったので、
え?って思いました。
そうですか。
びっくりしました。
坂井監督は先輩としてこのニュースを知ったのは、
やっぱり報道ですか?
ちょっと噂はありましたね。
今年で田中監督が終わる、
次上取君がやるみたいな噂はありました。
そうなんですか。
ただ、なかなか決断だったと思います。
そうですよね。
教え子というんでしょうかね。
たくさんいらっしゃると思うんですけども、
まず明治大学の方ですね。
先ほど伊藤選手という名前も出ましたけども、
久保田に所属されているタムフタ選手ですとか、
それから広瀬選手、キャノンの石田選手。
日本代表候補に入られていますけども、
そういった選手が活躍しているこの辺りの感想をお聞かせください。
嬉しいですよね。
明治のOB、特に若手のOBが最近日本代表クラスの試合があったり、
合宿とかにも呼ばれている。
リコーノ監督から明治監督になりたての頃って、
リコーノ選手をよく知っているんで、
リーグワンの試合とか見ててもリコーノ選手を調べていたんですけども、
監督2年目、3年目くらいになってくると、
明治のOBがどれだけ出ているかをチェックするように変わっていったところが
一番自分の変化というか。
今でもジャパンのスコットを見ても、
まだリコーノ選手を追わずに明治のOBを探しているというのがあるんで。
そういった意味で龍之介なんか、学生でこのまま初キャップを取って、
アイドランドの試合で出るんですよね、多分ね。スターメンで。
あいつはもう試合を追うごとにどんどん成長していっている感じがしますし、
広瀬は僕の印象深いのは100周年のときにキャプテンですので、
有機の決勝戦で試合中断して最後勝てなかったという悔しい思いで児童団に進んで、
やっぱり彼もしっかり児童団でもレギュラーになって、
ジャパンでも12番で試合出て、
タメちゃんちょっと変わったやつなんで、もうマイペースですね。
変わったよね。
マイペースなまま、でもすごくいい選手で体が強くて、
すごくヒットレスもあって、
本当に常にマイペースなんですよ、自分も立志しながらね。
多分ジャパンになるだろうなと思ってたけど、
思ってた以上に20キャップ、この前たまたまあって聞いたのが20キャップ以上で、
本当にいろんな若い明治の選手がどんどん出てくるっていうのは、
僕たちにとってみれば、よく学生にも話すんですけど、
やっぱり明治の4年間がゴールじゃないんで、
ラグビーを続けるにしても続けないにしても、
その先の人生も長いので、そこで輝ける人材を作っていくっていうのも、
我々高大学指導者の使命だと思っていますので、
そういう意味においては、卒業した後に活躍している選手が出てくるっていうのは、
私にとっては本当に嬉しい、尽きるっていうところですかね。
あとはドキドキの伊藤選手も、やっぱり期待が大きい人ですよね。
あいつ兄貴もいるんで、一応PRしておきますけど、ブラックラバーズでね。
同じポジションで、広瀬と同級生で、カルビー選手ですし、性格が全然違うんですよね。
リュウノスケのほうが、弟のほうが今出てる伊藤のほうが、
気が強くてコミュニケーションが高いんで、
それがうまくチームにフィットし始めて、怖いもの知らずなところがありますんで。
兄貴のほうはちょっと大人しいんでね。
能力がすごく高いので、本人は悔しいと思いますんでね。
地道にトレーニングをしっかり続けて、
二人でジャパンになってほしいなというのがありますよね。
期待は大きいですね。
ありがとうございます。