1. スポーツ文化評論家・玉木正之のCatch Up
  2. 日本野球とドジャースの関係性
2023-12-20 10:34

日本野球とドジャースの関係性

スポーツ文化評論家 玉木正之
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毎週水曜日のこの時間は、玉木正之のCatch Up、スポーツ文化評論家、玉木正之さんです。
玉木さん、おはようございます。
はい、おはようございます。
さて、今日はどんな話をしますか?
今日もね、大谷選手がドジャースに入ったということを受けまして、
ドジャースというジムは一体何なんだという話をしたいと思うんですけどね。
先週言いましたよね、ドジャーの意味はもうご存知ですね。
ドッジボールから来た、避ける人っていうことですよね。
ブルックリンの街で避けろ、避けろ、避けろってドッジドッジと言われた子供たちが、ドジャーと呼ばれたという。
このドジャースと日本の繋がりがものすごく大きいのは、
昭和37年と39年に、読売ジャイアンツがドジャータウンでキャンプをしてるんですね。
海外キャンプの先駆けと言いますか、
それをプロデュースしたのが、相久幸原さんという日本人で、
実はこの幸原さんという方は、アジア大学の野球部の監督だったんですね。
それでアジア大学を3部から1部まで上げたんですけれども、
それ以上はどういう風にして野球をやっていいかわからないっていうんで、
ドジャースに留学したんですよ。
その幸原さんが、当時のオーナーの息子さんのピーター・オマリーという人、
お父さんはウォルター・オマリーというものすごく有名なオーナーで、
大リーグで初めて黒人選手を採用して、ジャッキー・ロビンソンという方ですね。
こういうことをした改革者として素晴らしい人だったんですが、
その息子さんと一緒になって、マイナーリーグでいろいろ野球の経営なんかを学んでたんですね。
この相久幸原さんという方が、日本の野球とアメリカのメジャーリーグとの野球の間のかけ端になって、
すごく貢献されたんですね。
そこで2回連続、ジャイアンツが春のキャンプをやったということがありまして、
そこで日本にたくさんのメジャーリーグのやり方を持ち込んだんですね。
一番有名なのはバントシフトですね。
今バントシフトっていう、サン・ルイッシュとイッチ・ルイッシュがずっと前に走ってきますよね。
あれ、ドジャースの戦法なんですよ。
それをジャイアンツが初めて持ち込んだということで有名だったんですね。
それからダウンスイングですね。
バットというのは上から下に振り下ろさなきゃいけないというので、一時ダウンスイングがすごく流行りまして、
それもドジャースの戦法として持ち込んだんですね。
今は打ち方としてはフライボールスイングになって、
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大谷なんかも思いっきり下から上に打ち上げるというような振り方になってるんですが、
一時はドジャースの戦法としてはダウンスイングがすごく流行したんですね。
ドジャースというのは日本の野球のお手本のようになったんですよ。
そんな中で攻撃の面ではバスターですね。
バントの構えをしながら打つという。
これがドジャースがやってたんですね。
ただしバスターというのは言葉は大嘘でして、
そういうのはドジャースのキャンプで誰かがバントの構えをしていて、すぐにヒッティングをして打ったという時に周りの人がバスターって言ったんですね。
それはどういう意味かというと、すげーと言っただけだったんですね。
それを聞いた当時のジャイアンツのヘッドコーチの牧野茂さんという人が、
これはバスターと言うんだと、この戦法は。
と言うんで日本に持ち帰ったんですね。
そうしたら今では日本ではバスターというのが定着してしまいまして、
バスターと言えばバントの構えから打つことだなんて思ってる人多いですけれども、
バスターというのはただ単にすごいという意味です。
やったーとかそういう意味なんですね。
牧野さんという人にそういうことを言うと、そのぐらい知ってたよって言うんですよね。
でもバスターというほうがみんなわかりやすいでしょっていう。
だからこの牧野さんとしては面白い人で、そのドジャースの戦法というのをものすごく利用したんですね。
これはドジャースの戦法だとかっていう。
例えば1塁にランナーがいるときにピッチャーが牽制球を投げますね。
わざと悪送球するんですね。
そしたら当時は高楽園球場だったんですけれども、そこの塀に当たりますね。
それのクッションボールがありますね。
それをセカンドの守備にいた選手がすごく素早く取りに行くっていうので、
わざと悪送球して2塁に走ったランナーをアウトにするというような戦法を。
壁まで使って。
そういうのをやったんですね。
それとか、ランナーが1塁で相手が攻めているときにカウント1ストライク、2ボール1ストライクのときには必ずヒットエンドランをしたんですね。
牧野さんの作戦としては。
4月と5月だけはずっとヒットエンドランをやってたんですが、6月からはやらなくなった。
なんでだろう。
というのは相手がボールを外すようになった。
対策を打ってきたんですね。
そういうことをやったんだと、これもドジャースの戦法なんだと言われてたんですね。
ところがドジャースの戦法というのが、ロイ・キャンパネラという人が書いた1冊の本にあるんですけれども、
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そんなことどこにも書いてないんですね。
それを牧野さんが生きておられたときに聞いたことがあるんですね。
そんなことどこにも書いてありませんでしたよって言ったら、
いや書いてないよって、でもドジャースの戦法って言った方がみんな信じるだろうって。
ということで、ジャイアンツのV9、9年連続優勝したのはドジャースの戦法で勝ったとか言われたんですけれども、
上手く利用しましたね、ドジャースの戦法を。
ジャイアンツが。
そういうことでドジャースとの関係がすごく強くなった。
そこのところが川上監督の時代だったんですが、
長嶋監督に代わって、代わったときに相久幸原さんと先ほど言いました人と、
星野選一さんがすごく仲良くなって、
それで中日ドラゴンズがドジャースのキャンプに行くようになって、
それで中日ドラゴンズもドジャースとそっくりのユニフォームを作る許可までもらって。
そこからなんですね、変わったのに。
そうなんです、業務提携を始めたというような。
それは星野選一さんのすごく上手いところだったですね。
私も相久幸原さんには非常にお世話になったことがありまして、
家族でアメリカ旅行をしたことがもう20年前、もっと前かな、あったんですけれども、
その時にドジャースのチケットを取ってもらいました。
その相久原さんという方も今は亡くなられたんですけれども、
日本の野球とアメリカのベースボール、それをものすごく架け橋にしてすごく貢献された方なんですよね。
ですから今大谷選手がドジャースに入って騒がれてますけれども、
そういう歴史があったということもやっぱり忘れてほしくはないなと思って、
今日ちょっとそんな話をさせていただきました。
ついドジャースというと野望さんの姿が浮かぶんですけれども、
前からもそういう繋がりがあったということですね。
ずっと前から、昭和30年代から日本の野球との繋がりがあったということですね。
それともう一つ面白いこと、
ドジャースの戦法に書いてあったと牧戸さんが言った面白いことで、
ピッチャー交代させるに行ったら、マウンドに行ったら、
ピッチャーが疲れて、お前もう疲れてるから変わってくれって言ったら、
いやまだ疲れてません、投げさせてください、投げられますって言うんですね。
大体ピッチャー、普通のピッチャー。
それで牧戸さんは何て言ったかって言ったら、
見てるほうが疲れたから変わってくれって言った。
なるほど。
これもドジャースの監督の言っていた言葉だって言うんですけど、
これは嘘でしたね。自分で作られたもんですからね。
玉木さんありがとうございました。
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はいどうも失礼しました。
スポーツ文化評論家玉木正之さんでした。
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